若様と姫様

 犬山三河衆を率いる加藤教明には息子が一人いる。名前を『孫六』という。彼は池田家の馬厨で働いている。彼は馬の世話が好きなので割りと入り浸りである。お金を貯められて大好きな馬の世話が出来る、彼にとって犬山の生活は満足いくものだった。その後、孫六は池田家臣の師弟が集まる宗珊塾に在籍、飯尾茂助や小西弥九郎と友誼を結ぶ。最近来た森兵吉郎(旧姓は鯰尾)とも良好な関係を築いている。

 今日は皆で集まって遊ぼうと、孫六は全員を誘った。飯尾茂助と小西弥九郎は了承。森兵吉郎は弟の森勘八の世話を頼まれているので無理だった。この森勘八も来年になれば自分達に合流するだろう。

 風土古都の近くで二人を待つ孫六。しかし現れたのは一人であった。


「やあ、孫六。待ったか?」


「それ程。あれ?茂助の奴は?」


「茂助ならんぞ」


 孫六は弥九郎と茂助が一緒に来ると思っていた。しかし、その弥九郎から茂助は来ない事を告げられる。断言するという事は弥九郎は茂助の事情を知っているのだろう。


「何で?」


「逢引の最中やからや」


「何!?アイツ、殿の養女を許嫁にしているのに」


『逢引』とは男性が女性と密やかに会う行為に使う。はっきり言うと『浮気』に近い表現となる。正式に婚姻している男女に『逢引』などと使わないからだ。

 孫六は憤慨する。飯尾茂助は池田恒興の養女を妻として娶る予定なのだ。それなのに他の女性と逢引などと許されない。

 怒った顔を見せる孫六に、弥九郎は手をヒラヒラさせて否定する。早とちりだと。


「早まんなや。その許嫁が相手や」


「そうなのか?」


「養徳院様の方針やな。たまに二人で逢う事になっとるんや。養徳院様の監視付きとかいう絶対に逃げられへんヤツな」


「それは頑張れとしか言えないな」


 茂助の逢引の相手は恒興の養女の許嫁だった。いや、それなら逢引という表現はどうなのか、と思う。とはいえ二人は婚約段階で婚姻した訳ではない。顔を合わせた回数も1、2回の筈だ。だから弥九郎も表現に迷って逢引になった様だ。

 そして二人の逢瀬には恒興の母親の養徳院桂昌が立ち会っているという。会ったばかりの幼い男女が顔を合わせても話の間が保たないだろうという配慮らしい。絶対に逃げられないヤツだ。もし、茂助が逃げようものなら、飯尾家に何れ程の被害が出るか分からない。彼の飯尾家相続が吹き飛ぶレベルだ。


「茂助は来ないのか。宗珊様も最近はお忙しいみたいだし。どうするかな」


「なんや、呼んどいて暇なんか。そんなら僕は池田邸に戻るわ」


 森兵吉郎に飯尾茂助も来なかった。遊ぶ内容は集まってから意見を出し合う予定だった為、孫六はどうしようか迷う。3人が2人になってしまうと出来る事が格段に減ってしまう。今日の馬厩での仕事は休みを厳命されているので、孫六は暇なのだ。

 弥九郎は決まってないなら池田邸に戻ると言う。彼は池田邸で出来る事は多い。それを聞いて孫六は思い付く。


「それだ。俺も若様のお世話をしに行くかな」


 孫六は若様、幸鶴丸の世話を思い付く。彼はゆくゆくは孫六の主君になる予定なので、顔合わせは早い方が良い筈だ。


「時々、槍が飛んで来るから気ぃ付けや」


「……何で槍が?」


「お勝様や。迂闊に若様に近付くと全力で槍を投擲してくるんや。刃が十文字やったら、既に僕の首は吹っ飛んどるで」


「震え泣きながら言うなよ!」


 幸鶴丸に迂闊に近付くと槍が飛んでくるらしい。勝が全力投擲してくるからだ。危うく弥九郎は頭が串刺しになるところだった様だ。それを思い出して、弥九郎はプルプル震え出して涙が出てくる。

 弥九郎が生き延びたのは、勝の槍投擲が警告だったからだ。それが絶殺の勢いなのだが。鬼覚醒している勝が警告で殺さないのは、まだ優しい方だ。


「ていうか、池田邸内は暴力禁止の筈じゃないのか?」


「無論、養徳院様は直ぐに来て下さったわ」


 この件に関しては養徳院が来て、勝を窘めたという。池田邸内には暴力禁止の法が有るからだ。その場面を弥九郎は思い出す。


「槍を投げてはいけませんよ。めっ」


「幸鶴の為にやってしまった。失敗、てへり」


「もう、仕方がありませんね」


 窘める養徳院に幸鶴丸の為と言う勝。これで説教は終了した。


「これで終わりや」


「あ、甘い……」


「流石に2回目からは大丈夫や、と思う。お勝様も学習はする、筈やでな。せやから、1回目は何とか生き延びや」


「若様の世話は命懸けなのかよ。しかも予想でしかないとか。とにかく挨拶に行くか」


 流石に大丈夫なのか池田邸、と心配になる孫六。弥九郎の話では2回目からは勝が学習するので大丈夫との事。結局、1回目は命懸けなのかと孫六は頭を抱える。

 とにかく、まずは挨拶をするべく孫六は弥九郎と池田邸に赴く。そして庭で静かに槍の鍛錬をしている勝を発見する。端正な顔立ち、おかっぱ髪で鋭い眼光をした少女。服装は男装で袴を履いている。動きやすさ重視なのだろう。4歳の筈だが、有り得ない勢いで槍を振るっている。孫六は彼女の邪魔にならない位置で膝をついて礼を取る。


「失礼ご容赦を。今日から若様のお世話をさせて頂きます、加藤孫六と申します」


 孫六に気付いた勝は槍を止めて少し考える。そして思い出したかの様な顔をする。


「おお、加藤教明殿の息子か。加藤殿といえば我が父上が森家に欲しいと言う程の武将」


「恐縮です」


 勝は孫六が犬山三河衆の隊長の加藤教明の息子だと思い出したのだ。犬山三河衆の活躍は森可成の耳にも入っており、森家に欲しかったと羨ましがったという。


「幸鶴には良い家臣、良い兄が必要だ。よろしく頼む」


「はっ、お任せ下さい」


 勝は孫六を認めた。幸鶴丸は池田家次期当主、周りには頼りになる家臣が多数必要なのは勝とて理解している。勝は良い家臣、良い兄になれと孫六に言う。

 勝への挨拶を終えた孫六は弥九郎と合流し、彼に疑問をぶつける。


「ごくごく常識的な対応だった。で、弥九郎、一つ聞いておく」


「何や?」


「お前、お勝様にちゃんと挨拶したのか?」


「……」


 弥九郎は事前に勝へ挨拶をしたのか?その答えは彼の沈黙が何よりも証明していた。


「原因はそれだ!お前、人拐いと勘違いされたんじゃないのか!」


「僕の何処が人拐いに見えるんや!?」


「最初に挨拶しろって言ってんだ!」


 自分の何処が人拐いに見えるのかと反論する弥九郎だが、論点はそこではない。孫六はまずは挨拶するのが最低限の礼儀だろうと主張する。

 因みに、勝に槍を投げられたのは弥九郎一人だと特筆しておく。


「あの方自身が拐われた事があるんだから過敏になってるに決まってるだろ!」


「拐われたって、よう無事やったな」


「知らなかったのか。山賊3人ぶっ殺して帰って来たらしいぞ」


「お、恐ろしいお人や……」


 勝は前に山賊三人に拐われた事がある。とりあえず縊り殺して帰って来たのだが、それは自分だから出来たのだと勝は考えている。これが幸鶴丸なら生きては帰れない。だから幸鶴丸の身辺には神経を尖らせている。養徳院や美代、女中達が居る状況なら離れる場合もあるが、彼女は基本的に幸鶴丸が見える位置に居る。幸鶴丸がハイハイを始めている為、彼が安全圏を出ようものなら、鷹が飛翔する様な速さで回収する事もある。

 弥九郎は改めて勝の恐ろしさを知り、身震いした。


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 その頃、池田邸のある一室ではハイハイで爆走する赤ん坊がいた。名前を『せん』という。池田恒興の長女だ。産まれてから半年程、経過した彼女はハイハイの技能を習得し、気の赴くままに好きな場所に行く。当然だが、女中達はそれを阻止せねばならない。指定の場所である部屋の中以外では、赤ん坊にとって危険がいっぱいだ。ちょっとの段差でも怪我をするだろうし、赤ん坊はなんでも口に入れるので外にある物を口にされては堪らない。だから女中達は彼女を追い掛けて捕まえなければならないが、このせんは天真爛漫唯我独尊な性格で全く言う事を聞かない。せんvs女中達の追い掛けっこが始まり、女中達の方が疲弊していくという恐ろしい状況になっていた。


「はい、お姫様ひいさま。勝手な所に行かないで下さいね」


 しかし、新しく女中になった小雪は一味も二味も違った。彼女はせんにやすやすと追い付くと、外に出ようとした彼女をひょいと抱え上げる。


「あうあ、あうあー!」


「何を言われてもダメなものはダメです」


「あう!あうー!」


 せんの猛抗議も何のその、小雪はパワーでせんを抑え込む。逃れたいせんは手足をバタバタさせる。そして小雪に肘や膝をぶつけてくる。これが女中達に一番のダメージを与える。

 せんは赤ん坊にしては力が強く、更に何故か・・・クリティカルヒットさせてくるので次々にと女中達をノックアウトしていくのだ。だが、小雪はそれを意に介さない。そこら辺の女中とは鍛え方がまるで違う為、効かないのである。そして暴れ疲れたせんは寝てしまうのである。

 そう、これは寝かし付けなのだ。赤ん坊は体力が余っていると動き回る為、体力を使わせて寝かす。その後、起きた時には使った体力の分だけ少し身体が強くなる。それを繰り返して成長する訳だ。

 その様子を遠くの柱の影から女性が二人。せんの実母である藤とお付の女中だ。


「小雪、凄いな」


「ですよね。お姫様は動き回って暴れ回って、私共は日に3人は疲れ果てるというのに」


「そりゃ、うちの娘が悪かったな」


 日に3人は疲れ果てると苦情を言う女中に、藤は嫌味を返しておいた。とはいえ、藤も理解っている。いや、理解らされた。


「お藤様も疲れ果ててたじゃないですか。あの小雪って娘は只者ではありません。物凄く力強くてお姫様を逃さず抑え込んでしまうんですよ。それでいて体力もあります」


「赤ん坊にすら勝てんとか、うちら情けないな。泣けてくるわ」


 藤も何度、せんにダウンさせられたか。女中達も何人もダウンさせられて家中の仕事に影響が出るレベルだ。結局、せんを上手くぎょせるのは養徳院ただ一人という有り様である。だが、養徳院はせんの世話を毎日見れる程、暇ではない。

 その状況で新しく来た女中の小雪がせんを完封している。これに「期待の新人、来たー!」と女中達から喜びの声が挙がっているのだ。


「でも小雪がお姫様の世話をしてくれれば、私共は家の仕事が出来ます」


「せやな、よし!ちょっと旦那様の部屋に行ってくるわ」


「はい、頑張って下さい」


 この意見を聞いて藤は恒興の所に行くと決める。お付の女中は藤に声援を送る。藤が恒興に女中の編成について直談判しに行くと認識したからだ。


「旦那様、今ええか?」


「構わニャいぞ。どうした?」


 恒興は池田家政務所から帰って来て自室に居た。そして書物や報告書に目を通していたところに藤が来た。


「ちょい相談や。少し前に来た小雪な。あの娘、うちの専属にしてもええか?というか、せんの専属にして欲しいんやけど」


「女中の編成は美代の領分だニャー。そっちで決めろって」


 女中の編成を仕切るのは基本的に正室の美代である。正室は家の奥を仕切るのだから当たり前だ。だから藤が相談すべき人物は美代となる。だが、藤は万難を排して相談する為に恒興の所に来たのだ。


「旦那様が許可したって言えば、意見も通り易いやろ。とにかく小雪が必要なんや。な、うちを助けると思って!」


「……そこまで追い詰められてんのか。我が娘ながら恐ろしいニャー。分かった、ニャーが推薦すると美代に伝えろ」


「おおきにや、旦那様」


 恒興が推薦したと言えば、美代とてすんなり認めてくれるだろう。小雪に何らかの執着でもない限りは。藤の予想は当たり、美代は特に気にする事はなく、小雪の配属はすんなり決まった。

 藤は早速にも小雪を呼び出す。


「お姫様のお世話係ですか?」


「せや、大変やろけど引き受けて欲しいんや。給料も上がるで」


「それはいいのですが、日々の仕事を兼ねるとなると……」


「そっちはええんや。小雪にはせんの世話に集中して欲しい。他の仕事は女中に振るでな」


「はあ、分かりました」


 藤の話によれば小雪はせんの専属お世話係となり、それ以外の仕事はしなくて良いとの事。更に給料も上がるという。

 池田邸に来てから然程経過してないのに、いきなり評価された事に戸惑いはあるものの、悪い話ではないので引き受ける事にした。


(あの程度ならそこまで苦労はないけど。というか、赤ん坊に大袈裟な。でも給料が上がるのとお世話係という立場があるのは良い収穫よね)


 終始、笑顔で話す藤にそこまで大変なのか?と疑問には思う。しかし昇給と立場を得たのは良い事だ。小雪は自らの先行きが明るくなった事を喜んだ。

 こうして始まった小雪によるせんのお世話係。今日も今日とて、せんを疲れさせて寝かし付ける。彼女はせんを抱いて日向ぼっこへと向かう。お陽さまを浴びた方が健康的になれると思うからだ。

 すると庭の方から見た覚えのある女性が走って来た。


「居たわね、曲者女!」


 前田慶だ。ここ一週間程、慶は部屋に閉じ籠もりっ切りで顔を合わせなかったが。

 小雪は彼女について女中達から情報収集しておいた。女中達からの前田慶評価は『じゃじゃ馬』『騒がしい』『庭荒らし』との事。しかし彼女は歴とした池田家臣なので、面と向かって物を言う女中はいない様だ。主君の恒興は慶の事を『凪の海に大嵐を呼ぶ女』と言っているそうな。意味は何でもない場面でもとんでもないトラブルに変えるかららしい。


「また貴女ですか、えーと、前田慶さんでしたっけ」


「曲者女に名乗る名前は無いわ。気安く呼ばないでよね」


「はあ」


 慶は小雪の事を『曲者女』と呼ぶ。小雪の名前自体は知っている筈だ。藤が紹介したのだから。いや、物覚えが強烈に悪いのかも知れない。

 またとんでもないのに絡まれる事になってしまったなと小雪は溜め息を吐く。早くせんを日向ぼっこしながら寝かせてあげたいのに。来て一週間程だが、小雪は慶を邪魔くさいと感じ始めていた。立場が立場なので、こちらから喧嘩を売る様な真似はしないが。


「この前田慶の目が黒いうちは勝手にさせないから」


「……名乗る名前は無いんじゃなかったんですか?」


 名乗る名前は無いとか言っておきながら名乗っている。小雪が揚げ足を取ると、慶は闘気と殺気とも取れる気を小雪にぶつけて来る。それ、お姫様にも当たってるんで止めて欲しい、と小雪は思った。

 因みに小雪は慶の気くらいでは動じない。もっと強烈なのを受けた気がする。はて、何処だったか?槍ではなく棒だった気がする。自分はそれを作った薬で……ん?私は薬を作る?のか?

 小雪は過去を思い出そうとしたが、それ以上は無理だった。


「うるさい!今度こそアンタの化けの皮が剥いでやるわ。覚悟なさい!」


「どうでもいいですが、貴女はお姫様の前で暴れるつもりですか?」


「は?……って、せんちゃん!?アンタ、せんちゃんをどうする気よ!?」


 慶は槍を構えるが小雪は微動だにしない。というか、胸にせんを抱いているので迂闊に動きたくないのだ。

 小雪がここにせんが居る事を伝えると、ようやくにも慶がせんの存在に気付く。せんをどうする気だと宣う慶に小雪は正直頭を抱えたい。気付いてなかったのかと。


「どうするも何も、私はお姫様の専属お世話係なので」


「はあ!?有り得ないわ!」


「だったらお藤様に聞いてみて下さい。それで直ぐに判りますから」


「そんなバカな!お藤様、撤回をーっ!」


 せんを盾にする(様に見える)小雪を激しくなじる慶。しかし彼女がせんの専属お世話係だと知ると愕然とした。そして慶は藤に翻意して貰おうと走り出した。小雪はそれを黙って見送った。

 理由は藤が取り合うとは思えないからだ。そして何より、せんを早く日なたへ連れて行きたい。さっきの騒ぎでせんが起きてしまったのでないかと小雪は心配する。


「はあ、騒がしい人。お姫様が起きてしまうじゃないですか。……寝てる。お姫様、貴女は大物になる気がします」


 せんはまったく起きてなかった。スヤスヤと寝息を立てている。天真爛漫唯我独尊姫様のせんは周りがどうでも、寝たい時は寝て、動きたい時は動く。

 小雪はせんが大物になる予感がする。この手の人物はトラブルが付きもの、自分はお世話係兼護衛にもならなければと思う。そしていつ何時、前田慶が暴走してくるか判らない。小雪は明日からまた袖に寸鉄を仕込むのであった。


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【あとがき】


 お勝ちゃんの槍が直槍だったので命拾いした弥九郎くん。そろそろ『之定の十文字槍』を買いに行きましょうニャー。恒興くんのお金で。

 せんちゃんは後に鉄砲隊を組織する模様。鉄砲は高価なので恒興くんの武器庫から持ち出す訳ですが、恒興くんが許可する訳ないです。その為、恒興くんの警戒厳重な武器庫に忍び込んでせんちゃんの鉄砲を持って来る人を配置しようという当初からの計画ですニャー。

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