小牧山築城

 犬山城は程なく落城した。

 力攻めを行った訳ではない、ただ城主織田信清が逃亡しただけである。

 犬山城が包囲されているのに信清が逃亡出来る理由は簡単である、信長が包囲を解いたからだ。

 それは斎藤方の奇襲を恒興からの伝令で知った信長が念のため陣を下げたのだった。

 これを最後のチャンスと見た信清は一目散に逃げていった。

 それに対し信長は追っ手をかけることもなく、悠々と犬山城に入城した。

 現在犬山城の大広間に主な家臣が集められており、主信長の到着を待っていた。


「信長様、皆が広間に集まったようですニャ」


「ん、そうか」


「何をご覧になっておいでで?」


「ああ、これか。信清の置き土産、外交文書だ」


 織田信清は犬山城から脱出する際、金目の物だけを持って逃げた。

 余程急いで脱出したのか、文書などが消却されず残ったままだった。


「これによると、織田家内部にも同調者がいるようだ」


「他国だけではなく、織田家内もですか。あの男、どんだけ手広くやっているのやら」


「まあ、家臣じゃなくて豪族ばかりだがな。清州に帰ったら速攻で動くとしよう」


 恒興は家臣の中に同調者がいなかったことにほっとする。

 同僚の裏切りなど見たくないものだ。

 まあ、信清が信長の家臣に声を掛けていたら犬山城の裏切りはもっと早く発覚しただろうが。


「さて、広間に行くか。恒興、準備は出来ているな?」


「ははっ、勿論ですニャー」


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「やはりあの話か、五郎左よ」


「確かにあの豪族達の軍勢、戦いより土木作業にきているみたいですしね。権六殿はその新しい城の場所は知りませんか?」


「さあな。しかし清州より遠くなるのは困るな」


 家臣達の間では新しい城の建築と本拠移転の噂が流れていた。

 築城の件は既に豪族には伝えられており、さらに那古野城に残っている林佐渡から建築資材が運ばれているという。

 これで隠し通すことは不可能というものだ。

 各人周りの同僚とこの話題で持ちきりであった。

 そこに恒興を伴った信長が現れ上座に座る。

 恒興は座らず手に持っている紙を家臣に渡していく。


「はい、紙は1枚取ったら後ろに回して下さいニャー」


「何だ、これは?」


「むむっ、何かの地図ですか?」


 そこには真ん中に犬山城、上方に木曽川、下方に目的地と書かれた地図がのっていた。


「これから皆さんでこの目的地、新本拠城予定地を見学しにハイキングですニャー。あ、豪族の方達は敵襲警戒のため残って下さい。犬山城責任者は出羽殿にお願いしますニャ」


「ワシ?まあ、良いが」


 ハイキングと言われて全員微妙な顔をするが命令とあれば行かねばならない。

 それに新しい城の場所は皆気にはなっていたので一度は見ておくべきだと思う。

 ・・・反対意見を出すためにも。


「よし!全員これより予定地視察に行く、遅れるんじゃねぇぞ!」


 最後に信長が号令を掛け、参加者は犬山城から外出していった。


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 ハイキングと称された遠足で一行は森に入り、大分歩いて森は斜面となる。

 森歩き+登山となったのだ。

 未開発地の森山など草木が鬱蒼と生い茂り、細い獣道しかない。

 どう考えても猟師くらいしか来ない場所である。

 山の斜面も結構な勾配があり、足を滑らせたり転ぶ者が多数出る。

 それでも一行は何とか山頂にたどり着き、山を踏破した感動の言葉を吐き出す。


「さっっっむーいっ!!!なにここ!」


「何ですか、コレ!?寒いどころじゃない、痛いですよ!!」


 柴田権六はあまりの寒さに似つかわしくない悲鳴を上げ、丹羽五郎左は全身を温めようと体の各部を擦り始める。

 生い茂る木々によって空気は澄みわたっているこの山頂だが、風は強烈の一声だ。

 この風は北風が飛騨の山々を越えて濃尾平野に吹き下ろしてくる風なのだ。

 そして現在の季節は冬である、ここで一晩過ごしたら凍死すること間違いない。


「何って『二ノ宮山』ですニャー」


「「「場所聞いてんじゃねぇよ!!」」」


 防寒装備を整えて着込んでいる恒興が平然と宣言する。

 防寒装備を整えているのは恒興と信長だけで他の家臣達は冬用の服程度だった。

 この場の寒さはその程度で防げるものではなかった。


「どうですニャ、大変風光明媚な場所でしょう」


「「「森しか見えねぇよ!!」」」


 ここまで森&森山を進んで頂上まで来たのだから当然見える景色は森しかない。

 此処に来る人間など猟師くらいなものだろう。


「ここに織田家新本拠・二ノ宮山城を建てるのですニャ」


「「「ふざけんじゃねぇよ!!」」」


 寒さもあるが、これは冬を越えれば良くなる。

 問題はこの山の急勾配だ。

 城を造るとなるとその造成のため山を削る・・・わけがない。

 そのまま利用するのだ。

 なので此処に城が出来たらこの急勾配を登城せねばならなくなる。

 家臣一堂、冗談ではなかった。


「さ、流石にここは無いでしょう。納得出来ませんよ」


「ですが丹羽殿、ここが戦略的要地であることはお分かりだと思いますが?」


「そ、それは・・・」


 この二ノ宮山は犬山の南に位置する標高300mの山なのだが、ここに斎藤軍が進駐した場合犬山城が簡単に孤立してしまうのである。

 そんなものは進駐される前に迎撃すればいいと思うかもしれない。

 だが進軍速度に至っては斎藤家の方が圧倒的に速いのである。

 織田家の軍勢は現在清州城に集めてから出発しなければならない。

 足軽長屋が清州城下にあるからだ。

 それに対し斎藤家は豪族単位で動くため、本拠の稲葉山城に集まらずとも豪族の領地から突然進軍を開始する。

 事前に合流地点を決めて現地集合するスタイルだ。

 だから織田家は多治見修理の動きを掴めなかったのだ、飯尾敏宗が発見してなければ本気の奇襲を受けた可能性がある。

 ただ斎藤家のやり方にも問題はある。

 個別に動くため各個撃破の危険があるし、色々な理由で予定された兵数が来ない場合もある。

 豪族自体が仮病を使うこともある。

 そして兵糧がちゃんと集まるかが最大の問題だろう。

 その点で言えば織田家は兵数も兵糧も揃えてから出発する、ただ時間が掛かる。

 だからこそ軍事拠点としての城が必要なのだ。

 足軽長屋を集中管理して即応部隊を出せるようにしたいからだ。


「だから此処ですニャー。犬山と清州を結ぶ街道を守る最高の場所なのです。東にある根本城の牽制にも最適です」


 根本城とは犬山の東・多治見にある城で城主は斎藤方の若尾甚正である。多治見は地理的に木曽川の南岸にあるため渡河無しで尾張への侵攻が可能である。


「いや、待たんか、池田殿。それなら犬山城でいいじゃないか」


「犬山城は国境に近すぎて情報の秘匿が難しいですニャ。それに犬山城ではそもそも街道は守れません。そして街道を塞がれるだけで行軍出来なくなるんです。もう一つ、木曽三川側の国境が遠すぎます。そうではございませんか、柴田殿?」


「いや、その・・・」


 全員が不味いと思った。

 もしも此処が新本拠に決まった場合、家臣達は全員このクソ寒い中マラソン+登山という『山岳マラソン』というべきものを登城するたびやらねばならないのだ。

 誰しもが冗談ではないと思っているのだが、恒興が言っていることは正論で論破出来ない。


(((頼む、誰か恒興を論破してくれ!!!!)))


 織田家の家臣一同の気持ちは珍しく一つになった。

 そして皆が救世主の到来を願った。


「ちょっと待て、恒興。オレにも意見があるぜ」


 待ち望んだ救世主は意外な人物だった。

 なぜならこの話は主君の承認の元でされていると思ったからだ。

 即ちその救世主は織田信長その人だった。


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「此処だぜ、オレが考えている場所は」


 そこは二ノ宮山の南西にある標高80mほどの山、『小牧山』であった。

 ただ標高80mを山という程ではない、せいぜい小高い丘だろう。

 この場所は清州と犬山の丁度中間にある未開発地で、街道を守り国境線を守るにも絶妙な位置取りをしていた。

 更に此処から一宮方面に街道が走っており、木曽三川側の国境に行くのも便利だった。


「さ、流石信長様です。素晴らしいお考えかと」(二ノ宮山は絶対にイヤですし)


「う、うむ、池田殿の案もなかなかだったが、やはり信長様の案の方が優れておるようだ」(二ノ宮山など冗談ではないわ)


「「「そうそう、織田家の主は信長様なんですから」」」(((これを推しておけば二ノ宮山は避けられる)))


 小牧山を見た家臣達はこぞって信長の案を褒め称える。

 恒興が信長の案を受け入れないというのはあり得ない。

 ならば家臣一堂主君の案を推しておけば、恒興を論破せずとも二ノ宮山は廃案に出来る。

 それ故皆、信長の小牧山案に飛び付いた。

 そしてその様子を見ていた発案者の二人は心の中でこう思っていた。


((バカ共が!踊らされおってからに!))


(お前らが二ノ宮山を嫌がる事ぐらいお見通しだニャー。あの場所は信長様に言われてニャーが探してきた戦略的に重要だけど誰でも嫌がる要地。て言うかニャーだってあの場所はイヤだ)


(恒興もいい場所を見つけてきたもんだ。アレを見せられた後じゃ小牧山が天国に見えるだろうな。これで小牧山移転は誰も反対しないだろ。まあ、二ノ宮山の麓に砦くらい造るけどな)


 二人がこんな芝居を打った理由は人の心理である。

 ただ小牧山移転をストレートに言うと必ず反対意見が出される。

 現状でいいじゃないかと思ってしまうものである。

 そこで先に二ノ宮山を見せることで、二ノ宮山だけは絶対にイヤだという気持ちにすり替えてしまったのだ。

 あとはこのまま皆を初心に戻す様な発言をするバカがいなければ成功するだろう。

 だから佐久間出羽は置いてきたのだ、空気の読めない発言をするから。


「あれ?最初は引っ越すのはイ・・・」


「池田流秘奥義・ニャックルブロウ!!」


 空気読めない発言をしようとした又左に対し恒興は目にも止まらぬ速さで迫り、容赦ない打撃をお見舞いする。


「がふっ!?・・・何が起き・・・」


「ふっ、愚か者め」


 義兄(あに)の策略を台無しにしようとするバカに対し恒興は又左すら反応出来ないスピードを出してみせた。

 こういう時の恒興は人を越え獣を越えた何かの力が出せる。

 完全に不意を突かれた又左はそのまま意識ごと沈黙した。


「なんだ!?何があった!?」


「いきなりどうしたんですか?」


 端から見れば突然恒興が利家を殴って気絶させたようにしか見えない。

 柴田権六と丹羽五郎左に何と返そうか悩んだがいい案は浮かばなかった。


「か、蚊がいたんですニャー」


「?この真冬に?」


「・・・はい、大変季節外れですニャ」


 こうして信長の新本拠地『小牧山城』の築城が始まる。

 この小牧山移転に関して家臣からの反対意見は皆無だった。

 信長は豪族たちに築城を指示すると軍団を解散し清洲城へ戻っていった。

 そして恒興は気絶した又左を背負って帰るハメとなった。


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 稲葉山城の謁見の間に斎藤龍興が現れると長井隼人は頭を下げ、猿啄城を接収した旨を報告する。

 この長井隼人佐道利は本来は斎藤龍興の伯父に当たる。

 つまり彼は斎藤道三の息子で斎藤義龍の弟なのだ。

 ただ母親の身分が低かったため庶子として扱われ斎藤姓は名乗れなかった。

 それを不満に思っていた長井隼人は兄・義龍と共謀し父・道三を死に追いやった。

 共謀とは言っても事後承諾であり、機先をを制して異母弟・孫四郎、喜平次の二人を殺したのは彼だった。

 だが義龍は彼を責めることはなく、共に父・道三と対決する道を選んだ。

 だからこそ彼は龍興を何が何でも支えようと思っていた。

 自分のことを解ってくれた兄・義龍のためにも。


「ご苦労だったな、隼人。それでこの程度の報告にわざわざ来たのか?」


「いえ、龍興様の真意をお聞かせ願いたく思います」


「・・・・・・真意ね」


「どうかこの長井隼人を信じて欲しいのです。必ずやお役に立ってみせます」


 頭を下げる長井隼人を龍興はじっと見つめる。

 龍興も実は迷っていた、この伯父は自分の理想についてきてくれるか。

 少し逡巡した後、意を決して話してみることにした。


「ふう、わかったよ。まあ親父も何かと伯父上に相談しろって言ってたしな」


 龍興は立ち上がり障子を開いて外を見る。

 稲葉山城の本丸館から見える景色は冬ということもあり雪化粧だった。

 そして彼はこの景色を見ながら語りだす。


「この美濃は豊かだ、この日の本でも有数の豊かさを誇る国だ。そうだろう?」

「確かにその通りです」


「じゃあ何で斎藤家の財政はこんなに厳しいんだ?親父や爺さんが贅沢でもしてたのか?・・・違うだろ、美濃の大部分が豪族の支配下だからだ」


 現在の斎藤家の所領は稲葉山周辺と新たに加わった猿啄城ということになる。

 美濃の豪族一つと比べれば一番大きいのだが、抜きん出て大きいわけではない。

 稲葉山は長良川が近いため水に困らず農業が盛んで米の収穫高も高いのだが、商業的にはイマイチだった。

 実は京の都から東海地方への商路は琵琶湖南岸から関ヶ原を通り大垣に至る。

 そこからは揖斐川長良川を使って伊勢国桑名へ行ってしまうのだ。

 そこまで行けば、後は海に出るだけである。

 なので稲葉山城の城下町『井之口』はあまり商業が発展していなかった。


「特に西美濃だ、経済力を得るなら彼の地を抑えねばならん」


「しかし西美濃三人衆の実力は侮れません」


「ちゃんと考えているさ、実はもうすぐ北近江の浅井家との同盟が成る。向こうも大乗り気だった、南近江の六角家との戦に専念したいんだろうな」


 北近江の浅井家当主・浅井新九郎賢政は父・久政を強制隠居に追い込み家督を継ぐと、それまで臣従していた南近江の六角家へ敵対の意思を顕にした。

 その証として六角家当主・六角義賢から偏諱された『賢』の字を返し『長政』と名乗る。

 両家の関係は抜き差しならないものとなっており長政としても余計な敵を抱えたくなかった。

 それゆえ美濃方面の安全が叶う同盟は願ってもないことだった。


「飛騨の姉小路家は元々縁戚。甲斐信濃の武田家は上杉家と戦争中。これで俺達の敵は尾張の織田家のみ、これをどうにか黙らせたら次は西美濃の豪族共だ。浅井家と挟み込んで潰してやるのさ」


 龍興の狙いは西美濃全域である。

 中でも必要なのは関ヶ原と大垣である。

 現在関ヶ原は竹中家、大垣は氏家家が所領としている。

 同盟が成ったとして六角家という大敵を抱える浅井家が兵を出せるかは不明だが、脅しくらいにはなると龍興は踏んでいた。


「標的はまず稲葉だ。安藤や氏家は勝算が無ければ動かない奴ら、浅井との同盟があれば動きはせん。だが稲葉はそんなもの気にしないだろ、あの頑固者は」


「では、あの時挑発のような言を発していたのはワザと・・・」


「そうだ、早いうちに尻尾を出してくれると期待してな。あと厄介なのは竹中重治か、まあアイツの弟は抱き込んであるから色々と手は打てるさ」


 流石にこの4家に連合されると8千近い兵が出てくるので個別に叩いていこうと龍興は考えていた。

 個別なら各家2千程度、最大勢力の氏家で3千くらいだ。

 だが計算高い安藤と氏家は動かないだろうし、竹中家からは当主の弟・重矩を人質として預かっている。

 龍興はこの重矩を篭絡し味方としていた。

 そして竹中家の当主に彼を据えようと画策していたのだった。


「何にしてもまずは浅井家との同盟だな」


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 稲葉良通は自室で一人思索に耽る、考えているのは龍興のことと稲葉家の今後だ。

 龍興の態度と言葉は明らかに挑発だとわかっていた。

 おそらくあの場で良通が憤慨するのを期待していたに違いないと。


「安い挑発をされたものだ」


 この件ではっきりわかったのは龍興が稲葉家を標的にしているということだ。

 この場合恨みを買ったとかではなく見せしめの意味合いが強いだろう。

 何しろ稲葉家は西美濃最強との名声を受けているのだから。

 その稲葉家を潰すか家臣化することで他の豪族に対する脅しとしたいのだ。

 この場合の最強というのはこれまでの戦果を讃えられているのであって戦力のことではない。

 何しろ稲葉家単独なら兵数2千が限界なのだ。

 それに比べれば斎藤家は単独で4千、長井家や遠藤家などの中濃東濃豪族を集めれば1万2千近いだろう。

 勝ち目は流石に無い。


「道三殿や義龍殿は良き盟主としての立場を崩さなかったのだがな」


 美濃の豪族が斎藤家の家臣ではなく同盟者であるというのには理由がある。

 当初は美濃の豪族も土岐家の家臣であった。

 だが応仁の乱で親族同士の争いが勃発、それが終わったと思ったら土岐家当主が嫡男を無視して次男に家督を渡そうとしてまた後継者争いが勃発。

 荒れていく美濃と続く争いに疲れ果て家臣は土岐家を見限り豪族として独立していく。

 そして急速に力を着けてきた斎藤道三に協力して土岐家を美濃から追い出した。

 その時から斎藤家とは所謂同志の間柄だといえる。

 道三も義龍もその姿勢を崩さなかった。

 だが龍興は一つの国に一大名とその家臣という一般的な大名を目指しているのだろう。

 考え方は正しいのだがその為に稲葉家を生贄にされては堪らない。

 問題はまだある、支配の正統性だ。

 そもそも美濃斎藤家は守護代の家柄を簒奪したもので土岐家家臣を斎藤家の家臣にするのは正統性がない。

 なので道三は彼等を無理に家臣にはしなかった。

 さらに斎藤道三はこの正統性に無頓着で整えもしなかった。

 そんな道三も一度だけ正統性の確保のため、公家の名門『五摂家』の近衛家から養子を貰ったことがある。

 その人を斎藤大納言正義というのだが、彼が美濃で勢力を伸ばすとさっくり暗殺した。

 最早何のために養子にしたのか分からない。

 当然近衛家は大激怒、義龍が正統性を整えようと朝廷工作するときに大きな障害になった。

 なので斎藤家が美濃を治める正統性はまだ中途半端であった。


「何をそんなに悩む必要があるのじゃ、親父殿」


 良通は突然部屋に入ってきた無作法者をみる。真っ赤な袴に身を包みウェーブがかかった長い髪を頭の後で結っている少女であった。


「彦、お前には関係のない話だ」


「稲葉家の存亡が関係ないと?随分な話じゃの」


 彦と呼ばれた少女はけらけらと笑う。彼女は稲葉彦六貞通、稲葉良通の娘で13歳である。


「そんなに難しい話ではなかろう。斎藤に付くか、織田に付くか。これだけではないか」


「簡単に言うな、斎藤なら家臣化、織田に付けば裏切り者なのだぞ」


 家臣化は避けたいのだが、だからといってこの状況で織田に付くのは難しい。

 そもそも稲葉家の領地が織田領と接しておらず援軍も見込めないのだ。

 今織田への寝返りなどしたら、安藤と氏家が喜んで潰しに来るだろう。

 西美濃三人衆などと呼ばれているが別に仲が良い訳ではない。

 ただ西美濃で大きな勢力の3家というだけだ。会って話ぐらいはするが。


「なんじゃ、その程度で悩んでおるのか。なら話は簡単ではないか」


「何だと?」


「より戦が楽しめる方を選べば良い。戦場でこそ我が稲葉家の価値は輝くものじゃ。戦場での武功は誰も汚すことは出来ぬ。龍興にしろ信長にしろ武功を無視することなど不可能じゃ」


 彼女の考え方はこの戦国において特に間違った考え方ではない、楽しむのは問題だが。武功を挙げ大名家に尽くす功臣を無碍に扱えば、他の家臣からの信頼を失ってしまう。あんなに頑張っている人でさえ評価されないなら俺達はどうなると思うものだ。彼女は稲葉家が家臣化しようが武功さえ挙げれば覆せると言っているのだ。


「だが妾が考えるに龍興はいかん。あの男は美濃斎藤家の安定しか考えておらん。この先戦が楽しめるとは思えん」


「では織田に付けと言うのか、お前は」


「織田は戦が楽しめそうじゃ。あの信長は尾張を収めると直ぐに次の獲物に目を向けた。美濃を収めればまた直ぐに次の獲物を探すだろうよ」


 実は織田信長はこの時美濃だけを見ているわけではなかった。

 北伊勢の豪族にも調略の手を模索しているくらいだった。

 何しろ伊勢国も美濃に負けず劣らず豪族の連合体で、一番大きな北畠家がようやく中勢で勢力を拡大し始めた程度だった。

 また伊勢湾という商圏を完全に確保出来れば、織田家にもたらされる上納金は更なる上積みを得られるだろう。

 そういう意味でも信長が伊勢を狙わない理由はなかった。


「だがまだ織田に付くのは早いぞ、親父殿。菩提山城の竹中重治が面白いことを考えているようじゃ。それを見てからでも遅くはないぞ」


 菩提山城主・竹中半兵衛重治。

『今孔明』と名高い武将である、・・・そう、この時点で既に名高いのである。

 彼の戦歴は13歳の時からだ。

 まず信長も参戦した長良川の戦いで父・竹中重元は道三側に付いて負ける。

 このすぐ後義龍の命令を受けて竹中家本拠・大御堂城を接収するため数千の兵が来襲する。

 兵士の殆どは父・重元が連れて行って警備兵くらいしか残っていなかった。

 なので百名程度しかいなかったが、難なく撃退する。

 その後竹中家よりも勢力の大きい豪族・岩手弾正を難なく撃破し菩提山城を築く。

 大豪族不破家の襲撃を受けるが難なく撃退。

 更に関ヶ原の諸豪族をほぼ撃破し難なく制圧した。

 この後で斎藤義龍が本気で竹中家を潰す構えを見せたので弟を人質に出して臣従したという現在16歳である。


「妾としては早く戦場の赤を見たいがのう、アハハハハハ!」


(・・・この娘はどーしてこうなった・・・)


 良通はその場で頭を抱えたい気持ちで一杯だった。


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 池田衆は勝幡まで帰ってくると解散し、加藤政盛と飯尾敏宗もそれぞれの家に帰還する。

 恒興も戦での疲れを癒やすべく池田邸に入る。


「今帰ったニャー」


「お帰りなさい、恒興」


「お帰りー旦那様」


「やっと帰ったか、兄」


(・・・あれ?返事が一人多くね?)


 玄関に来ていたのは三人。母・養徳院と許嫁・藤、ここまではいい。

 問題はもう一人、キツイ三白眼で睨んでくるちっこい奴だ。

 整った顔立ちに腰まである長い黒髪、上等な着物を着ている8歳の少女なのだが別に恒興が知らない者ではない。


「栄、ニャんでお前が此処にいる?」


「私が実家にいたらおかしいのか、兄」


 彼女は恒興の実の妹で名前を栄という。

 現在は別居しているというか最初から別居している。

 何のために来たのかは後で聞くとして、とりあえず藤に手伝ってもらって鎧兜を脱ぐ。

 鎧の着脱はかなり面倒で後に回って結び紐を解いてくれる人がいると速く済む。

 そして居間に移って妹の話を聞いてみることにした。


「目的の一つは兄の嫁を見にきた、兄には勿体ない」


「うるせーニャ」


「妹ちゃん、ほんま可愛ええわぁ」


「堺の綺麗な櫛を貰った、うれしい」


 嬉しそうに櫛を見せるお栄。

 藤は早速にもこの妹を味方につけたようだ。

 ここら辺は彼女が商人の娘として抜け目のないところだろう。


「もう一つの目的、兄に文句を言うことだ!」


 栄が突然飛び掛かってくる。

 彼女の『文句を言う』はどうやら実力行使の事らしい。

 恒興は仰向けに倒され、その上に栄が乗ってくる。

 そして爪を立て恒興を引っ掻いてくる、とは言っても爪が伸びていないので大して痛くないが。


「私の嫁ぎ先を吹っ飛ばしておいてただで済むと思うな、ニャー男」


(初めてニャー語に突っ込まれた・・・じゃなくて)


「お前の嫁ぎ先って織田藤左衛門家?」


「犬山の件で連座したぞ、どうしてくれる」


 犬山の件で恒興も理解した、つまり信清の置き土産だ。

 恐らく信清に協力でも約束していたのだろう。

 その文書が残ってしまい信長から速攻で制裁されたわけだ。

 織田藤左衛門家は織田姓だが一門ではない、ただの豪族の一つだ。

 そうなると処罰は追放であろう。


「そんなのニャーのせいじゃねーギャ」


「犬山やったのは兄、みんながそう言ってる」


 このちっこい妹の攻勢は尚も激しさを増し、恒興に引っ掻き傷を作っていく。

 攻撃方法がネコみたいな妹だった。


「栄、いい加減にしニャいと・・・」


「私に手を上げるか、信長の妹であるこの私に出来るものならやってみるがいい」


 栄の母親は言うまでもなく養徳院だ。

 ただ父親は織田家先代当主信秀である、つまり彼女は恒興の妹だが信長の妹でもあるのだ。

 主君の妹に手を上げたら大問題である。

 別居とあるがそれは単に彼女の家は最初から清州城なだけなのだ。


「すいませんでした。お許しくださいニャ、お姫様」


「ダメだ、ゆるさん」


「ギニャー、理不尽だー!」


 もう分かるかも知れないが恒興はこの妹に勝つことは出来ない。

 実は恒興は池田家当主なのだが家庭内ヒエラルキーは

 母・養徳院(信長の乳母)

 妹・栄(信長の妹)

 嫁・藤(母妹に認められし者←NEW)

 最下層・恒興 (ただのニャー)

 の順だったりする。


「兄妹仲ええなぁ」


「ええ、仲の良さが自慢の兄妹なの」


「何処をどう見たらそうなるニャー!!」


(ああいう文書は処分してから逃げろよ、信清ー!!)


 恒興が積極的に歴史を変えた結果、妹の嫁ぎ先が吹っ飛んだという話だった。


「このやろう、どうしてくれようか」


(マジでどうしてこうなるんだニャー!!)

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