千種家の憂鬱

 

「はあっ!せいっ!」


 夏が終わり、寒さが出てきた早朝に男の気合の声が木霊する。その男は上半身裸になって、一心不乱に刀を振り下ろしている。丁寧に上段に構えて真っ直ぐ振り下ろす。単純な動きではあるが、淀みなく洗練された動きで繰り返している。

 庭で刀を振るのはこの千種城の主・千種次郎大夫忠正。中肉中背だがかなり鍛えた体付きをしている。


「ふぅ」


「朝からご精が出ますわね、殿」


 鍛練が終わった様なので縁側に居た女性が忠正に声を掛ける。彼女は忠正の正妻である。


「日課だ。武士もののふたるもの、鍛練を欠かしてはならんからな」


「殿、手拭いを」


「おお、スマンな。時に太郎は起きたか?」


「はい、先程」


 太郎というのは忠正の息子。千種家の跡取りとなる嫡男である。現在3歳、忠正はこの子をとても愛している。

 というのも彼等夫婦には長い間、子供が出来なかった。それでも忠正は側室を迎えず、妻に義理立てしていた。正妻である彼女もかなり悩み、側室を迎えて欲しいと願い出た事もある。

 そんな彼等に待望の子供が産まれた。しかも男の子だ。二人の喜びは一入ひとしおのものだった。


「そうか。ならば風呂に入ってから行くか。汗臭いと嫌われかねんからな。はっはっは」


「まあ、殿ったら。うふふ」


 忠正は息子の太郎をことのほか愛していた。勿論、千種家の次代を担う嫡男という事もあるが、それ以上にようやくにも得た自分の子として大切にしていた。

 そして一風呂浴びてから、忠正は太郎のいる部屋に向かった。


「はいよー、ちちうえ。はいよー」


「いいぞ、太郎。その調子だ、ヒヒーン」


 忠正は四つん這いになって背中に息子の太郎を乗せていた。所謂、お馬さんごっこをしているのだ。

 もうそろそろ太郎の七五三の時期。その時には盛大に祝ってやらねばと考えている。

 七五三の起源は平安時代と考えられている。当時は子供の死亡率が高く、子供のうちに死んでしまう事が多数だった。そのため7歳を越えて生きられる様にと、3~7歳は毎年祝うのである。何故7歳までかというと、7歳にまで成長すれば体がしっかりしてきて死亡率も格段に下がるからだと思われる。

 この七五三を越えたあたりで幼名を捨てるのが慣例となる。織田信長を例にすると、幼名は吉法師。七五三を越えて織田三郎を名乗り、元服して織田三郎信長となっている。上総介を自称した時もあるが、現在は織田弾正忠信長となる。

 幼名というのはあくまで生き延びて欲しいという願いなので、名前とは言い難い。それを示す様に、この七五三の期間の子供は人扱いされない慣例となる。酷い扱いという意味ではなく、神からの授かり子の様な扱いである。その習慣自体は既に廃れてしまったが。

 この七五三を祝えるのはやはり裕福な家のみとなり、公家や武家のみである。七五三が庶民にまで浸透したのは明治時代以降となる。

 因みに名前が七五三なのは奇数が目出度い数とされたからである。


「はいよー、はいよー」


「ヒヒーン、パカラ、パカラ」


「まあ、あなたったら」


 ノリノリで馬役をこなす忠正に妻も周りの女中達も笑顔を見せる。忠正の方は言動とは裏腹に大真面目であるが。何しろ背中に3歳の子供が乗っているのだから。

 大の大人が四つん這いになっているとはいえ、落ちれば骨折してしまうかもしれない。いや、落ち方が悪ければ死ぬ可能性すらある。

 それだけに忠正は背中を水平に保とうと必死だったりする。一応、女中二人が自分の後方両側に付き、万が一に備えてはいるが。

 そうしているうちに時間は過ぎ、忠正の元に家臣が呼びに来る。


「殿、そろそろ……」


「おお、もうそんな時間か。名残惜しいがここまでだな。太郎よ、父は仕事に行ってくるぞ」


 呼びに来た内容は、今日開かれる惣の会合のためである。既に各土豪や国人がこの千種城に集まっていた。


「ちちうえ、もっと」


「これ、太郎。父上様を困らせてはなりませんよ」


「また今度な」


 太郎にせがまれるが流石に行かねばならない。今にも泣きだしそうな息子を妻に預け、後ろ髪を引かれる思いで忠正は城の広間に向かった。


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 城の広間には50人ほどの男達が集まっていた。どの者達も国人と呼ばれる者達で、勢力規模も2、3村の支配者から20村を超える領主までまちまちである。参加者の年齢層も様々で村長の様な老人もいれば、武家の頭領の様な若者もいる。

 要は勢力規模の小さい者達が肩を寄せあって、大名や大豪族に対抗している。これが『惣』というものである。

 そこにおいては出自などは問題ではない。たとえ農民の出であっても勢力(戦力)さえあれば加われる。

 発言権となると勢力規模が大きいとか武家であるといった要素は必要となる。そして音頭を採るとなると、やはり武家となる。家が立派ならなお良い。常識的に武家が農民の下に付くなど有り得ないし、武家の誇りが許さないからだろう。

 農民出身の木下秀吉が上級武士から嫌われやすいのは、この点が作用していると言える。それに加えて新参者なので織田家内でも嫌われやすい。ただ、それ以外の者達には好かれやすいという利点はある。下級武士や野武士、農民に商人の様な生活出世が大事な者達。そして公家である。……公家はただ武家を見飽きたので、秀吉の様な人間を珍しがっているだけではあるのだが。


「よく集まってくれた、皆。では定例会を始めよう」


「……千種殿、その前に聞きたい事がある」


「何かな、大矢知殿?」


 挙手して発言したのは大矢知城主・大矢知遠江守知房だった。彼の家である大矢知家は南部家の支流でれっきとした武家である。

 勢力規模的には千種家とそう変わらず、千種忠正にとっては対抗馬といった関係になっている。つまり惣の主導権を争える人物という事だ。そして領地も隣合っているため諍いが絶えない相手でもある。


「何故、織田家への傘下入りを断ったのか?惣の方針は自治を守りつつ従うと決めたはず」


「それは説明しただろう。織田家に自治を許す気がないと見たからだ」


「それはおかしな話だ。現に各地の豪族達は自治を許されている。我等だけ許されないとはどういう事なのか」


「千種殿がそういう風に誘導したのではないかのぉ」


「……そんな事はない」


 大矢知知房が言い出したのは織田家の傘下交渉の件だった。この件は既に話し合われており、決定として傘下にはなるが自治権は渡さないというものだった。

 そもそもは織田家としても自治は認める方向で話が進んでいたのだ。戦もせずに理想的な占領を目指していて、臣従した後は滝川一益が纏め役になる事で決まろうとしていた。

 話し合いは順調と聞かされていたのに、つい先頃、千種忠正からいきなり破談を知らされたのである。疑問を持つなという方が無理かも知れない。それ故、大矢知知房の派閥に属する者からも疑問の声が挙がる。


「何れにしても、その様に話を着けてくるのが千種殿の役目ではないのか」


「織田家は我々の権利を奪うつもりなのだ。少なくとも滝川はそう考えている。ならば惣で団結し、織田家に対して抗するべきだろう」


「千種殿、勝手に決められては困るな。我等が何故、団結しているか忘れたのか」


「何だと……」


 惣とは自分一人では対抗できない相手がいる場合結成される。自分一人では抵抗が難しいので近隣と手を結んで巨大勢力に対抗するわけだ。その場合、意思決定には必ず惣全体の決議を必要とする。

 大矢知知房は惣の決議もせず、勝手に決めるなと言っているのだ。


「我等は伊勢4大豪族の争いに巻き込まれたくないから団結しているはずだ。織田家は対象ではない」


「そうじゃそうじゃ」


 この惣は伊勢4大豪族に対抗するために結成された。一番の標的はすぐ南に居を構える鈴鹿神戸かんべ家である事は間違いない。神戸家からの臣従要求を断るため、武力行使には団結して戦うためだ。その他、神戸家を攻撃するために味方になれという他豪族からの誘いも断るためである。

 そして惣の結成当初、尾張の一被官に過ぎなかった織田弾正忠家など対象に入っている訳がない。それだけ織田信長の拡大スピードが異常なのではあるが。


「では、黙って権利を明け渡すつもりか!?」


「そうは言わん。だが惣の決を取りもせず、勝手に織田家を対象にしてもらっては困ると言っているんだ」


「ならば今ここで織田家に対して団結する事を決議しようではないか」


「その前に!」


「何だ?」


「今回の責任を取って頂こう」


「責任だと?」


「当然だろう、我等の惣に無用な争いを持ち込んだのだからな。さしあたっては前に係争した川の堰、あの開閉権をこちらに頂きたい」


「……うぬっ!?」


(あの堰は千種家が管轄する事で先代が決着させたはずだ。これ見よがしに皆の前で取り上げて派閥を拡大するつもりか!?)


 昔から地域にある争いは大きく二つあると言える。一つは領土の境界争い。そして水場の占有である。

 どちらも農業には必須なので、その争いは激しいものになる。過去には上流域にある千種家が川に堰を作った事で、下流域にある大矢知家と戦をした事があるくらいだ。堰が作られると下流域は必要な時に水が無い状況にされるからだ。渇水でも起きた年は尚酷いだろう。


「たかが堰一つだ、安いものだろう。もちろん、不平が出ない様に管理するとも」


「……」


(大矢知め、いつもこうだ。こちらの弱味を見付けてはつけ入る。いや、大矢知だけではない、全員がそうか。どいつもこいつも自分の事しか考えてない。……辟易してくる)


 忠正は大矢知知房の考えは見透かしていた。即ち、堰の権利を取る事で付近の親千種家派の国人や農村を切り崩していこうという事だ。

 水の問題は農業にとって死活問題となる。ならば権利を持っている大矢知家に近づこうという者も現れるだろう。

 同時に思う、惣の結束力の無さも。彼らは所詮、自分達の都合のみでここにいるのだ。一皮剥けば、近隣の武装勢力など敵対勢力でしかない。あくまで近くに大勢力が居るから団結しているだけ。戦となれば団結しているが、平時は自分達の欲求ばかり主張してくる。

 そんな状況に辟易しながら、忠正は渋々、大矢知知房の要求を飲んだ。それは彼にも後ろ暗い事があったからだ。


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「ふっ、これであの堰の権利は我等の物だ」


「しかしのぉ、大矢知殿。あまり千種殿を追い詰め過ぎるのは……」


「分かっているとも、これっきりだ」


 千種城からの帰り道、大矢知知房は上機嫌で自分の派閥に属する老人と話していた。上機嫌な知房とは裏腹に老人は千種忠正を心配していた。

 二人とも分かってはいる。千種家抜きでこの惣が成り立たない事は。だから老人は追い詰め過ぎてはいけないと考えている。一応、彼が大矢知家の世話になっているので、会合では援護したが。

 何しろ千種忠正を追い詰め過ぎれば困るのは彼らなのだ。特に今は状況が悪い。北に滝川家、南に神戸家、どちらも織田家なのだから。

 惣の中心的存在である千種家抜きでは抵抗も難しい。

 老人の心配は主に織田家の動向なのではあるが。


「儂としては織田家が攻めて来るのかが気になるのぉ。もしそうなら惣で団結しなければならん」


「それはそうだ。だが織田家は上洛準備中のはずだ。我等の相手をしている余裕は無いと思う」


「それだと滝川の強硬な態度はどういう事じゃろう。儂等の権利を取り上げるなどと、敵対しようとしているとしか思えん」


 大矢知知房の言葉に老人は首を傾げる。話の筋が通っておらず、ちぐはぐな感じを受けてしまう。滝川一益に余裕がないなら、何故に強硬姿勢なのかである。


「それだ、それがおかしいのだ。織田家どころか、滝川にはもっと余裕が無い。桑名は治まっているとは言い難いのだからな。ここで我等と戦えば北伊勢全体に火が着くぞ。それが分からん滝川ではあるまい」


「はて?何故、北伊勢全体なんじゃ?」


 大矢知知房は滝川一益が強硬的に動けば、その混乱は北伊勢全体に波及すると見ている。彼が独自に情報収集した結果、そう判断した。


「織田家が木下なにがしとかいうヤツの仲介で三川の川並衆と手を結んだのは知っているな?」


「木下某は知らんがな」


「織田家と懇意になった三川の川並衆は儲かり大きく勢力を伸ばした。だがそのせいで割りを食った者達がいる」


「誰じゃ?」


「『長島川並衆』だ。ヤツラの利益は大きく減り、不満を募らせている」


 世の中は何処へ行っても利権争いで満ちている。それは現代でも変わらない。

 この場合、木曽三川の川並衆が木下秀吉の仲介で織田家の傘下に収まった事が起因している。

 それまでは木曽三川周辺の物流は必ずある場所を通らねばならなかった。それが長島だ。

 何故なら木曽三川に限った話ではないのだが、周辺に大きな道が無いのだ。京の都から延びる道はせいぜい大垣辺りまでである。このため商路と言えば川、又は海を使う。この場合は大垣から揖斐川を使い南下する。途中の桑名は荒廃しているため寄れないので長島を経由して津島に入るのだ。そして外洋も海賊が出るため危険で、陸に沿って船を進めれば必ず長島を通る。なので川と海の境界にある長島は物流の関所となり、物流量で長島川並衆は木曽三川の川並衆を圧倒していた。それだけ儲かっていたという事だ。そこに大勢力を築いている寺はお布施という名の通行料だけで大儲けしていた。

 だが織田信長の勢力拡大で状況は変わる。木曽三川の川並衆の傘下入り、桑名の占領と復興、津島会合衆の巨大化、九鬼水軍(志摩水軍)の傘下入り、信長による濃尾勢の開拓と街道整備が重なり、商人は長島を通らなくなったのだ。

 今では木曽三川の川並衆の方が大きく儲かっており、逆に長島川並衆は閑古鳥が鳴く状況に追い込まれた。

 そのため彼らは織田信長を非常に憎んでいたのだ。自分達の権利を奪う存在だと。


「長島川並衆!?あいつらは本願寺と結んでおる一等危険な者達ではないか!」


 長島に大勢力を築いている寺とは浄土真宗本願寺派で長島願証寺を拠点としている。この願証寺と長島川並衆が結び付いて大儲けしていた背景がある。長島川並衆は商人から運賃を独占し、本願寺はお布施という名の通行税を巻き上げていたのだ。

 運賃は独占なので当たり前だが高い。その上、高額な通行税まで取られる。周辺の商人は正に青色吐息だった。

 尾張から東方が湊も商業も発展しにくかったのはこのためだ。

 だから信長は街道整備に力を入れた。東から来る富を津島や熱田に集積し、そこからは陸路で運ぶ事を構想したのだ。労力なら戦で数増しにしか役に立たない『傭兵』が多数居るのも幸いした。

 その構想のために好条件を出してまで木曽三川の川並衆を説得したくらいだ。これは全て失敗したが、木下秀吉により傘下に組み入れる事に成功した。

 その頃に九鬼嘉隆の傘下入りで志摩水軍を味方に付け、外洋航海も可能となった。伊勢湾で暴れていた海賊は今や志摩水軍によって駆逐されている。……というか志摩水軍自体が海賊だったりする。海賊が警備護衛艦隊に変わった事になる。

 つまり東国へのアクセスが容易になった上に、高額な運賃と通行税が必要な長島を通らなくてよくなったという訳だ。

 商人達が挙って信長に近付いてくるのは必然と言える。堺の天王寺屋助五郎はもっと前から近付いているのだから、先見の明があるだろう。

 このため濃尾勢の商業は飛躍的な発展を遂げ、空前の好景気を産み出している。……ある場所以外だが。

 この状況が面白くないのは長島川並衆だけではない、本願寺も一緒なのだ。


「ああ、織田家に対して蜂起せよとヤツラが願証寺住職に迫っているらしい」


「それはイカン、マズイぞ!儂の領地には浄土真宗徒が多い。特に富農が……」


 本願寺の長島における勢力圏は北伊勢、西尾張、三河と広い。特に浄土真宗は民衆布教型仏教の最王手なのだ。この点が他の仏教宗派と一線を画している。


 ここで仏教について解説しておこう。日の本の仏教であるという事は留意して貰いたい。

 まず仏教は民間宗教として日の本に入った。時期としては『三國志』で有名な中国の三国時代より後である。何故なら仏教は三国時代までは中国でも根付いていないからだ。

 その後、国家統治に仏教を取り入れようとした人物が現れる、それが聖徳太子だ。彼は同じく仏教を導入しようとしていた舅の蘇我馬子と手を組み、遣隋使を派遣する。

 その後も朝廷は遣唐使を派遣して唐の文化を学んでいった。そして仏教は日の本に根付いたのである。

 ここで重要なのは仏教の導入は国家プロジェクトであり、民間宗教ではないという点だ。国家プロジェクトなのだから仏教導入には勿論、目的がある。

 その仏教に託された国家の願い、それは『国家鎮護』である。つまり仏教の不思議な力で国を護ってほしいという訳である。……お門違いも甚だしいが。

 だが仏教は性質的に布教のためなら何でもやる宗教なので特に何も反論しなかった。寧ろ好都合だったのだろう。

 そういう経緯もあり、仏教僧侶は『国家公務員』だった。寺の伽藍に集まって『国家鎮護』の祈りをお経で唱える存在だった。

 時が下ると朝廷は重度の財政難に陥る。となると国家公務員の大量リストラが始まり、仏教僧侶はその対象となる。

 これまで給料は朝廷から貰っていただけなのに、いきなり自分達で稼ぐ必要に迫られた。そのため仏教の権威を利用してお布施や寄進を集める様になった。また朝廷が農民に対してやっていた『出挙すいこ(稲の貸付)』を真似て、『高利貸し』を始める。一番悪名高いのが比叡山延暦寺の『土倉』だ。悪僧達の取り立てはかなり厳しいものだった。

 また、これらのノウハウを手に入れるため、寺は積極的に犯罪者やはみ出し者を悪僧として匿うようになる。この者達を引き渡さないために朝廷を脅して、寺内不介入を取り付けたくらいだ。

 そしてこういうならず者を受け入れ続けた寺は非常に俗世に塗れた物に変化していく。

 だが鎌倉時代に浄土宗の開祖・法然上人が現れた事で仏教の民間布教が加速していく。それまでの仏教は民衆から『よく分からないけど何か凄い。逆らわない方がいい』程度の認識だった。だが彼によって仏教、仏の存在が身近となった。当然、浄土宗は民衆の間で大人気となる。

 これが長きに渡る仏教闘争の始まりとなり、それは戦国時代にも持ち越されている。ハッキリ言うと浄土宗及び浄土真宗は他の仏教宗派から『民衆にちやほやされて気に食わない』と攻撃されているのだ。

 それ故に彼等は武装し、欲しい物は力ずくで奪う様になっていく。そして本願寺は近隣の豪族や富農を宗徒として取り込み肥大化していった。そう、己ではもう制御出来ない程に。

 長島川並衆の件は好例と言える。彼等は仏へ信心から織田家との敵対を叫んでいるのではない。自分達の欲望のために仏の力を利用しているだけなのだ。そして多額のお布施(お金)を受け取ってしまった寺はそれを無視出来なくなってしまった。

 俗世から離れなければならない僧侶が俗世に塗れれば食い物にされる。これはそういう話なのだ。


「分かるだろ。滝川に余裕が無いっていうのは。今はまだ蜂起しないだろうがな」


「それなら滝川の態度はおかしいのぉ」


「俺が思うに、千種殿は何か隠している。そんな感じがするのだ」


「織田家と敵対の道を選ぶほどの何かか。何じゃろうか」


「分からん。だが堰の権利を明け渡したのは、やはり何か後ろ暗い事があるのだろうな」


 この点については大矢知知房でも何も知らなかった。既に伊勢の大名豪族の殆どが織田家の傘下入りを果たした今となっては惣による抵抗すら虚しい物になりつつあった。そんな状況でも傘下入りを断る理由が彼等にも分からなかった。


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「この前の嵐でか」


「はい、殿。川の堤が壊れて田畑にかなりの被害が出てしまいましたんじゃ」


 惣の会合の後、千種忠正は支配地域の村の視察に赴いていた。その村では夏の嵐で川の堤防が決壊、多数の田畑が被害に合っていた。その被害の具合を自分の目で確かめに来たのだ。


「あいわかった、村長。年貢に関しては考えておく。堰も近いうちに直せるよう取り計らおう」


「ありがとうごぜえます。わしらが安心して暮らせるのも千種家のおかげでごぜえますじゃ」


「うむ、早急に手を打とう」


 忠正は人員を出せそうな村を思い浮かべる。次の嵐は来年になるだろうが堤防は早く直しておきたい。

 だが同時に思う、それは北隣の滝川家や南隣にある神戸家の事だ。


(また、堰が決壊したか。嵐の度にこれではな。だが聞くところによると織田家の堰は今年、殆ど決壊していないらしい。……やはり傘下入りを考えた方がいいのか?いや、奴等に与するなど以ての外だ!)


 今年、織田家の領地では殆どの堤防が決壊せず、大豊作となっていた事だ。日の本でも有数の水害地である濃尾勢では奇跡にも等しい。その奇跡を起こしたのが織田家が熱心に造っている大谷休伯の堤防だった。

 この堤防を造った事で神戸家では毎年氾濫する川が治まったという。それは忠正も織田家への傘下入りを考えてしまう程に凄い事だった。だが彼はある事情によりそれは出来ないのである。

 そうして思案に暮れる忠正の元に家臣が報告に来る。


「殿、ちとよろしいでしょうか?」


「なんだ?」


「実は小作人達が何かを企てているのではないかと」


「何だと?」


「はい、どうも小作人の様子がおかしいと見張りが報告してきました。口数が少なく、妙に従順だと」


 報告は彼が所有する隠田村の小作人の様子がおかしいというものだった。村を見張っている家臣から小作人の様子がいつもと違うと報告が来たのだ。


「そうか、手空きの兵を城に集めておけ。何か事を起こしたら直ぐに動ける様にな」


「はっ!」


「……まったく、小作人共にも困ったものだ」


 こういう事は何度かあった。数人で逃げる者もいるが集団で逃げようとする時もある。

 数人の場合は逃げた者を殺す。集団であった場合は首謀者を割り出して、その者を皆の前で殺す。一罰百戒というもので、一人を罰する事で百人に戒めを与える事だ。逃げたらお前達もこうするぞと脅すわけだ。

 今までにもそういう事があったなと思い出し、忠正はため息をつきながら準備のため千種城に帰還するのだった。


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【あとがき】

恒「ニャんで次郎大夫の話を長々と?メインキャラか?」

べ「違うよ。ここで言いたいのは彼は決して悪人ではないって事。息子を愛し、妻を大切にし、家臣を信頼し、領民を慈しんでいる領主の鑑だ。そんな彼でも小作人を酷使している」

恒「ニャんでそんな奴が小作人を酷使するんだニャー?」

べ「そこだ。ちぐはぐな感じがするだろう。その答えこそ『常識が間違っている』だよ」

恒「ふむ」

べ「アフリカ人奴隷を例にしようか。奴隷を使って農園を経営していた人はみんなが悪人なのかな?彼等にだって愛しい家族がいるし、敬虔なキリスト教徒だっているはずだ。決して悪人ばかりではない。ジョージ・ワシントンの家にも奴隷は居たよ」

恒「それも常識だからかニャ」

べ「ここからは想像でしかないけど、奴隷は金でやり取りされた『物』だからだと思う。大切にするも壊すのも持ち主次第なんだ。例え、みんなが誉め称える作品が出来たとしても、気に入らなければ壊しても文句は言わせないだろう」

恒「現代では考えられないくらい人権ってモノがないからニャー」

べ「宗珊が言っていた『焼いて奪うのが常識だった』というのもそういう事だよ。因みにアフリカ人奴隷を捕まえて売っていたのはアフリカ人だという事を忘れない様にね。決して西欧人だけが悪い訳じゃないよ」

恒「最近、発言が過激になってるニャー」

べ「べくのすけの歴史観は何時でもフラットさ。贔屓はしないよ」

恒「いいから黙れニャー!」

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