永楽銭は突然に 後編

 大橋清兵衛と別れた堀内氏善は自分の部屋に行く。そして自分が昔に使ったおもちゃ箱の中から永楽銭を見付け出す。それを持って氏善は父親の堀内氏虎の部屋に向かう。

 氏虎は仕事中であった様で書類に目を通している最中だった。


「氏善か。市場の監視はどうした?」


「それどころではありません、父上。コレを知りませんか?私は昔、コレを父上から頂いたのですが」


 堀内氏虎は氏善に市場の監視を命じていた。それが突然、帰って来たのでサボりを疑う。しかし氏善は構わず、手に持つ永楽銭を父親に見せる。


「何だ、その鉄屑は?知らんな」


「いや、鉄じゃなくて銅なんですけど」


「それがどうしたというのだ?」


「コレは貨幣なんですよ」


「かへい?」


 堀内氏虎の永楽銭に対する感想はやはり『鉄屑』であった。熊野の共通認識なのだろうか。そして貨幣という言葉も知らない。


「そこからですか。日の本ではこの貨幣であらゆる物を取引出来るんですよ。なのでこの貨幣がたくさん有れば、何でも手に入るって事みたいです」


「ほう、それは凄いな。……ん~~、んんん?氏善、ちょっとソレをよく見せてみろ」


「はい」(やっと興味を持ってくれた)


 熊野に『売買』という言葉は無い。だから『取引』という。氏善は手に持つ永楽銭を父親に見せて、日の本はコレで何でも取引していると訴える。この永楽銭がたくさんあれば何でも手に入ると。

 それを聞いて氏虎はようやく興味を示す。熊野の取引は物々交換だ。持って来た品物と相手の品物が釣り合わないと成立しない。しかも良い品物でも取引相手が興味が無い場合も成立しない。逆に大した事がない品物でも相手の興味を引けば成立する。所謂、『わらしべ長者』が出来るのだ。その中でも『米』は最強の品物と言える。米で取引を断わられる事はほぼ無い。結局、熊野の通貨と呼べるのは『米』かも知れない。あまり穫れないが。

 氏虎は米の様な物かと思って、息子が持つ永楽銭をマジマジと見詰める。彼も何処かで見た事があると気付いたのだ。


「たしかに何処かで。……そうか、『開かずの蔵』だ!」


「開かずの蔵?あの開けてはならないという?」


 氏虎は『開かずの蔵』という名前を出す。開かずの蔵という名前に氏善も反応を示す。それは堀内家の自宅の隅にある決して開ける事のない大きな蔵の事だ。開けた事は無いので氏善は中に何があるのかは知らない。


「少し誤解があるな。あの蔵は開けてはならないのではなく、開けたくないだけだ。開けても仕方が無いというか」


「は?何が中にあるので?」


 だが、開かずの蔵は開けてはならないという意味ではないと氏虎は言う。開けたくない、或いは開けても何にもならないという事らしい。

 それなら氏善はあの大きな蔵の中に何があるのか気になった。話の流れから永楽銭があるのは判る。だが何故、永楽銭が蔵にあるのかが理解らない。


「うむ、あれは私の祖父の頃だ。8、90年前くらいか。あの頃は海賊行為は当たり前でな。その戦利品が開かずの蔵に保管されているのだ」


「はあ」


 話は今から8、90年程前。堀内氏虎の祖父が若い頃だ。その頃の熊野は全盛期ほどではないが、まだ海賊行為を続けていた。その時の戦利品というか略奪品を蔵に収めたのだと言う。


「何しろ、あの頃は船を襲っても鉄屑ばかりが多くてな。それもあって熊野は困窮していったという。子供の頃、年老いた祖父が苦々しく語っていたものだ」


「食べれませんしね」


「そうだ。捨てようにも嵩張るし、一応戦利品だしな。それで開かずの蔵に押し込んで忘れたのだ。その後は海賊行為も下火となった。鉄屑ばかりで皆やらなくなったのだ」


「海賊を止めたのは、そういう理由だったんですか」


 しかし、その頃の海賊行為では鉄屑が大半でちっとも儲からなかった。彼等が欲しかったのは食料品や衣類などの生活用品だ。彼等の生活に役立つ物が好まれる。もちろん、船ごと持って帰る事が至上となる。

 海で襲い船を奪い熊野に持って帰る。熊野の民衆は喜んだだろう。しかし出てくるのは丸い鉄屑ばかり。彼等はがっかりしてしまったという。

 海賊達も成果無しで帰る訳にはいかない。結局、この鉄屑を持って帰るしかなかった。その後も海賊行為は続けたが、獲られるのは鉄屑ばかりで、海賊行為は段々と誰もやらなくなっていった。そして積み上がった鉄屑は捨てる事も出来ず、蔵に収めて誰もが忘れていったという。

 氏善は熊野が昔、海賊をやっていた事は知っている。だが、やらなくなった理由は知らなかった。この永楽銭が原因だったのか、と彼は驚愕した。


「とにかく大橋に鑑定させましょう」


「そうだな。直ぐに呼べ」


 氏善は大橋清兵衛に開かずの蔵を鑑定させようと提案する。これに氏虎も賛同した。氏善は清兵衛を呼びに市場へ向かい、氏虎は自宅の蔵を開ける為に部屋を出て行った。


 氏善は大橋清兵衛に事情を説明し、堀内家の開かずの蔵に案内した。そこに清兵衛は部下と共に鑑定を開始した。そこには大きな箱が無数に積み上げられている。驚く程、広い蔵に所狭しと詰め込まれていた。そして箱を開ければ、これまたギッシリと永楽銭が詰められている。乱れた様子はまったくない、出された事すらないようだった。これを大橋清兵衛は半日掛けて鑑定した。

 鑑定が終わり、大橋清兵衛は堀内家の部屋で堀内氏虎と面会する。相手は熊野別当なので深々と頭を下げる。


「毎度で御座います、別当様」


「うむ、大橋。それでどうだったか?」


「はい、何と言いますか」


「警告しておくが、この堀内氏虎相手に詐欺を働こうとか思うなよ」


 堀内氏虎は大橋清兵衛に睨みを利かす。以前、詐欺に掛けられたので警戒しているのだ。

 氏虎に睨まれた清兵衛は大袈裟に慄く。


「そんな!?詐欺だなんて。池田上野介様にキツく言われておりますので、有り得ません」


「そうか、上野介殿がちゃんと言ってくれたか。ならば安心だ、ハッハッハ」


(池田様の名前を出したら、あっさり信用されてしまった。詐欺を働く気は無いが、騙され易そうなお人だなぁ)


 清兵衛は池田恒興からキツく言われていると答える。氏虎は恒興の名前が出ると安心だと言って笑い出す。恒興がちゃんと熊野の事を気に掛けているのが嬉しいようだ。

 その様子に清兵衛は氏虎が騙され易そうだと思う。彼に騙す気は無いが。


「まあ、そんなに期待はしていない。はっきり言うが良い」


「では、ハッキリと言います。ざっくりとではありますが約『二万貫』相当で御座います」


「ふむ、二万貫か」


(流石は別当様だ。落ち着いている。二万貫など堺の町全体でも分割する程なのに)


 清兵衛が堀内家の蔵を調べた結果、約二万貫程の永楽銭が見付かった。つまり永楽銭二千万枚だ。これはとんでもない金額であり、堺の大商家でも分割しないと無理な程だ。大名家でもほぼ無理。織田家でもそう簡単には用意出来ない。他の大名家などお察しで必ず破産する。そんな金額だ。

 それを聞いても氏虎は平然としている。平静そのもので聞き流しているのではないか、と思えるくらいの余裕顔だった。

 大橋清兵衛は熊野別当とはこれ程の大物なのかと感嘆した。


「で?二万貫とはどのくらいなのだ?」


(価値を理解してなかった!?)


 堀内氏虎の平静の理由。それは二万貫が何れ程なのか理解していなかった。それでなのか!と清兵衛は心の中でズッコケた。


「そ、そうで御座いますね。何で例えましょうか。熊野の速玉大社は素晴らしい建物ばかりですな」


「ふふ、そうだろう、そうだろう」


 清兵衛は熊野速玉大社を褒める。素晴らしい建物ばかりだと。氏虎はうんうんと頷く。彼は速玉大社が褒められるのは当然としながらも、やはり嬉しい様だ。


「その速玉大社を丸ごと3回程、建て替えれますかね。2万貫は」


「速玉大社を3回、建て替えれるのか。……3回だとおおぉぉぉーーーっ!!!??」


 そのとても素晴らしい速玉大社を3回建て替える事が出来る。二万貫とはそういう価値だと清兵衛は例える。

 この発言に氏虎の平静フェイスは驚く程崩れた。いや、実際に彼は驚愕している訳だが。表情の分かり易い人だな、と清兵衛は思う。


「速玉大社を建て替えるのに、どれだけ苦労すると思っているのだ!それを3回だと!?」


「お言葉ですが、別当様。当方は伊勢神宮や熱田神宮の建て替えも手掛けております。見ただけでも試算はおおまかに出す自信が有ります」


「伊勢神宮……か」


「父上、これはとんでもない金額なのでは!?」


 氏虎は清兵衛が速玉大社を建て替える苦労を知らないのか、と怒鳴る。しかし大橋清兵衛は津島商人の大店として伊勢神宮の式年遷宮や熱田神宮の建て替えに参加している。熱田神宮の建て替えでは4000貫弱、そして現在行われている伊勢神宮の式年遷宮では一万貫ほど掛かる試算が出ている。この試算には清兵衛も加わっており、見ればだいたいの金額は出せるのだ。

 流石に熊野別当の堀内氏虎でも伊勢神宮は知っている。天皇家から斎宮が出ているからだ。以前の志摩侵攻作戦でも伊勢神宮だけはキズ付けるな、と厳命していたくらいだ。その式年遷宮に参加している清兵衛の見立てを信じる事にした。氏善もとんでもない金額だと目が泳いで止まらない。


「別当様、ハッキリ申し上げます。日の本の大名で2万貫を用意出来る者は殆ど居ません。それが永楽銭でとなると絶対に居ません。別当様は日の本全体で見ても、大富豪で御座います」


「あ、あ、あばば、ばばっばばばっ」


「父上、落ち着いて下さい」


 二万貫を用意出来る者は限られている。それを永楽銭のみで二万貫なら存在しない。織田信長でも現在、永楽銭不足で頭を抱えているのだ。

 日の本で数えても有数の大富豪だと言われた氏虎は既に言葉が出て来ない。壊れたおもちゃみたいに首振り人形と化している。いち早く正気を取り戻した氏善は、とりあえず父親を落ち着かせるのに尽力した。


「別当様のご所望の品なら何でもご用意致しますが」


「うーむ、私が欲しい品物か。はて、何か入り用だろうか?氏善は何かあるか?」


「突然、言われましても。折角ですから熊野の為になる物が欲しいですね」


「そうだな。大橋、その辺りで何か見繕ってくれ。次回からでよいぞ」


「ははーっ。この案件、持ち帰らせて頂きます」


 大金に驚いている割には物欲が無いなと清兵衛は思う。日の本を知らない為に何が欲しいかも分からない様だ。結局、彼等親子は熊野の為になる物が欲しいという。順当に考えれば熊野速玉大社の建て替えだろうか。しかし速玉大社は新しかった。ここ、5年以内に建て替えたばかりだろうと清兵衛は見ている。それで堀内氏虎は苦労したのだろうと思う。

 結局、大橋清兵衛はこの案件を持ち帰る事にした。永楽銭の事を含めて池田恒興に報告する為に。


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 池田家政務所。

 熊野から帰還した大橋清兵衛は直ぐに池田恒興へ報告した。この報告には恒興もびっくり仰天。何故、熊野に大量の永楽銭が有るのか、とても信じられなかった。


「大量の永楽銭が熊野に!?ニャんで!?」


「何でも8、90年程前の海賊の成果だと言ってましたな。多過ぎて回収し切れません。持って行った商品ではまったく釣り合いませんでした」


 清兵衛は熊野で聞いた事を話した。その永楽銭は8、90年程前の海賊の成果だと。

 そして今回持って行った品物ではまったく回収出来なかった事も併せて報告する。何しろ、今回の取引は主に蜜柑となる予定だったからだ。蜜柑などを買い取り、永楽銭を使って品物と交換するつもりだった。しかし熊野の民衆が自宅に永楽銭を持っていた為、品物の方がまったく足りなかった。そして熊野別当の堀内氏虎は個人で二万貫を保有している。しかも永楽銭だけだ。

 恒興は8、90年程前と聞いて考える。熊野に永楽銭が行く道理は海賊行為だけだ。ならば、永楽銭が大量に保管されていた場所が襲われた?いや、そんな場所は無い。有れば戦国大名の餌食だ。


「8、90年程前かニャー。その時、日の本で何かあったのかニャ?ああ!!」


「池田様、何か分かりますか?」


 ではもう一つの可能性。永楽銭を大量に積んだ船が襲われた。永楽銭を大量に積まなければならない状況。90年前、日の本に何があったか。恒興は答えに辿り着く。


「90年程前の日の本は『応仁の乱』ですニャー!」


「あああー!そういえばー!」


『応仁の乱』は今から96年前に勃発したが、その期間は11年に及ぶ。しかも京の都の中での戦いは最初の方で周辺にも波及した。更に時間が経つと各地で下剋上と土一揆の嵐が吹き荒れた。


「そうか、応仁の乱が始まって京の都が焼かれ、幕臣や商人が大金を持って逃げたんだニャ。そして海に出た奴は……」


「熊野水軍の餌食になったと。しかし熊野は経済圏ではないので、永楽銭を鉄屑としか思わなかった」


「ヤツラは海賊だニャ。海賊は奪った略奪品を捨てられない。手ぶらで家族の元に帰れニャいから」


「それで永楽銭が保管されたと。何という事でしょうか」


 絡繰はこうだ。応仁の乱が勃発し、金持ちの幕臣や商人が逃げた。応仁の乱は幕府外の地方大名達の争いであり、舞台が京の都になっただけだ。細川勝元も山名宗全も京の都の外に領地がある。他国から連れて来られた足軽達は京の都でとにかく暴虐を尽くした。地元ではないから手加減などしない。それまで幕府の内政を司っていた幕臣が金を持って逃げた為に足利幕府は機能不全となり、後に足利8代将軍・足利義政の妻である日野富子が一族を幕政に就かせて幕府を維持した。その為、彼女の権力は巨大なものとなった。多方面から悪女扱いされる程に。

 京の都から逃げた商人は堺に集結して『堺会合衆』を組織した。そして堺に掘を巡らし、傭兵を雇って武装化した。

 一方で応仁の乱は年数を経ると周辺に戦火が拡大。逃げていた幕臣は更に逃げる事になる。そう、摂津国から船に乗ったのだ。大量の永楽銭と共に。そして京の都にいる軍勢全てより恐ろしい『熊野水軍』に襲われたのだ。海賊行為をしていた頃の熊野水軍は淡路島南まで出て来ていたのだから。応仁の乱で警戒が緩んだ隙に出て来たと思うが、そもそも止められない強さだ。熊野も強いとはいっても人的被害は嫌なので楽なタイミングは計っていたと思う。

 そして持ち帰ったのが大量の永楽銭という訳だ。


「大橋殿、出来る限り早く、その永楽銭を回収して欲しいんですニャ」


「と言いますと?」


「今、京の都を中心に永楽銭不足になっているんですニャ。信長様はこの対策に頭を痛めておられます」


「成る程、信長様の支援になる訳ですな。お任せ下さい」


 恒興は熊野の永楽銭回収を大橋清兵衛に依頼する。それは永楽銭不足に悩む織田信長への援護になると。

 清兵衛は笑顔で引き受ける返事をした。彼にとって信長は従兄弟だ。一族として協力したい、津島発展に信長は無くてはならない。様々な思いがあるだろうが、全て信長を支える方向だ。


「ええ、信長様の声望を高める為にもお願いしますニャー。ニャーも熊野への商品を融通しますので」


「犬山織は大変な人気でしたから、お願いしますよ」


 熊野において犬山織は大変な人気だった。特に御婦人方から。熊野において絹織物は略奪品以外では手に入らない。その為、知ってはいてもまったく手に入らない羨望の品になっていた。熊野に行った清兵衛は犬山織を希望する御婦人の群れに揉みくちゃにされた。激しい取り合いに、どの女性も殺気立つ程だったという。

 とりあえず清兵衛はまた持って来ると約束して、女性陣を宥めたそうだ。


「ただ、問題は別当様ですな」


「別当殿がニャにか?」


「約二万貫ほど有るんですよ。永楽銭が」


「エグいっ!商品で回収は追い付かニャいかも。あの人、自分の物欲はあまり無いし」


 個人所有で永楽銭が二万貫。この事実には恒興ですら驚愕する。二万貫分の品物など何年掛けて運ぶんだと悩むレベルだ。しかも高価な財宝は熊野では価値無し、頼みの綱の絹織物を堀内氏虎がそんなに欲しがるとは思えない。そして、かの人物は物欲が大して無い。だが、熊野の安寧にはかなり気を掛けている。ここが突破口になると恒興は考える。


「どうしましょうか?」


「……公共事業とかはどうですかニャ?湊を造るとか、道を造るとか、堤防を造るとか」


「おお、良い案かと。湊は狭く、使いにくい感じでしたから」


 恒興は公共事業を提案する。織田家の土木技術で熊野に何か巨大な物を造るのだ。湊を造る、道を造る、堤防を造る、灌漑設備を造るなど、やれる事は幾らでも有る筈だ。これらを堀内氏虎に選んで貰い、織田家の技術者を派遣する訳だ。

 この方法なら二万貫の永楽銭も回収出来るだろう。清兵衛も良い案だと賛成する。


「その線での交渉、お願い出来ますかニャ?」


「お任せ下さい。この大橋清兵衛、信長様の為に全力を尽くします。よろしく信長様にお伝え下さい」


「必ず伝えますニャー」


 大橋清兵衛は準備に掛かると言い、池田家政務所を後にした。恒興も遊んで居られない。清兵衛を見送ると、直ぐに加藤政盛を呼び出す。


「政盛、緊急上洛だニャー!行くぞ!」


「はい?えーと、何か準備しますか?」


「信長様に報告するだけだから要らんニャ。直ぐに出発だ。親衛隊も準備させろ」


「はっ、直ちに」


 恒興は上洛を決める。織田信長に報告する為だ。流石に大事過ぎて書状で済ます訳にはいかない。それに許可も必要だ。織田家の土木技術は全て信長の許可無しには行えない。犬山の土木工事も全て信長に許可を取っている。その為に土居清良が行って、織田家臣から嫌がらせを受けたとかもあったが。

 恒興は加藤政盛と親衛隊を引き連れて上洛の道を急いだ。


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 恒興は強行軍で上洛、次の日には京の都に辿り着く。そして緊急であると取次に伝え、織田信長に面会を願った。程なくして恒興は信長の部屋に通される。緊急という事で部屋は人払いをして貰い、恒興は信長の前に座る。


「おう、恒興。どうした?」


「信長様、大量の永楽銭が見付かりましたニャ。その額、およそ三万貫!」


「三万貫だとぅーっ!?何処にそんなもんがあるんだ!?何処だ!言え、恒興ぃーっ!!」


 突然来た猫が突拍子もない事を言う。信長の平静な顔は豹変して恒興に飛び掛かる。そして恒興の胸ぐらを掴んで持ち上げる。さっさと吐け!と物凄い剣幕だ。それはそうだろう。三万貫の永楽銭など何処を探したらあるんだという話だ。信長は恒興を締め上げ振り回す。危うく話す前に意識が飛びそうな恒興であった。


「信長様、苦しいですニャー……。熊野です」


「熊野?何で熊野に永楽銭があるんだ?」


 信長は意味が理解出来ない。何故、貨幣経済が無い熊野に永楽銭が有るのか。しかし恒興がつまらない冗談を言う為に犬山から緊急上洛する訳がない。若干、混乱気味の信長に恒興は解説する。


「応仁の乱ですよ、信長様」


「意味が分からん。応仁の乱は熊野に関係ねぇだろ」


「ところがあるんですニャー。応仁の乱で京の都が焼かれ、周辺にも波及しました」


「そうだな」


 混乱する信長に恒興は応仁の乱が原因だと告げる。それでも信長は理解出来ない。応仁の乱に熊野は何も関係していないからだ。

 恒興は構わず説明を続ける。


「応仁の乱で誰が真っ先に逃げ出しましたかニャー?」


「京の都の民衆だろ」


「残念ながら間違ってますニャー。民衆は乱の結果として焼け出されたのですから。真っ先に逃げたのは『金持ち共』ですニャ」


「成る程な。言われてみりゃ、そうか」


 信長は応仁の乱で真っ先に逃げたのは京の都の民衆だろうと言った。それは間違いだと恒興は答える。民衆は住み家を簡単には捨てられない。彼等は乱が酷くなった結果、足軽共の暴虐から逃げざるを得なかっただけだ。

 それより前に逃げ出しているのが、比較的余裕のある『金持ち共』。幕臣と商人だ。


「応仁の乱が始まると真っ先に逃げ出したのは金持ちの幕臣や商人。彼等は摂津国や近江国に逃げたと思われますニャー。商人は近江商人のせいでだいたいが摂津方面に逃げて『堺会合衆』を組織します。彼等は摂津国や近江国で乱の終結を待っていた筈です」


「おう、それから?」


 幕臣や商人は山城国の周辺に逃げた。しかし近江国には近江商人が居るので都商人は行かないだろう。主に摂津国となる。幕臣は南近江の六角家と摂津国の足利幕府三管領細川家とどちらを選ぶだろうか。おそらく摂津国に逃げるのが大半だっただろう。

 そして商人は『堺会合衆』を組織して立て籠もり、幕臣達は乱の終結を待った。


「しかし乱は簡単には収まらず10年近く戦い、周辺に拡大。自分達の居場所も危なくなった金持ち幕臣共は永楽銭を持って逃げたんです。しかし、物品よりはマシと言っても、永楽銭だって大量ならクソ重いですニャー。後ろから軍勢が来てるのにへーこら荷車押してられますかニャ?」


「オレなら船を使うな。船なら重さはあまり気にならねえ。……そういう事かーっ!?」


 応仁の乱は簡単には鎮まらず、戦場を周辺に拡大した。商人は堺に立て籠もり、堀を巡らし傭兵を雇った。

 幕臣達は戦火から逃れる為に更に逃避行を続ける。しかし物品よりマシとはいえ、永楽銭だって大量なら重い。陸路で逃げていては軍勢の餌食だ。何しろ周辺に戦火を拡げた大名というのは金欠で都を出たヤツラばかりだから。金持ち幕臣は良い鴨ネギであった。

 だから彼等は船で逃げた。信長はそう言って気付いた。頭を抱えながら。そう、熊野と繋がったのだ。


「そういう事ですニャー。摂津国から海に出た金持ち幕臣共は熊野水軍の餌食になったんですニャ。海賊行為が下火になったとは言っても、応仁の乱の頃はまだやってましたし、淡路島くらいまでは出て来ますから」


「おおう……」


 海に出た金持ち幕臣達はそのまま熊野水軍の餌食となった。彼等は応仁の乱で警戒が緩んだ隙に淡路島近海まで進出して来たのだ。そして逃げる船に楽勝で取り付いて、白兵戦で荷物ごと船を奪って行く。こうして大量の永楽銭が熊野に持ち去られた。


「ですが、これが熊野水軍の海賊行為終焉のトドメとなりましたニャー。彼等は永楽銭の価値が分からなかった。襲っても襲っても獲られるのは鉄屑ばかり。しかし彼等は海賊、出撃して成果無しでは帰れません。結局、熊野水軍は永楽銭を成果だと持ち帰る他なかったのですニャー。そして熊野中で忌まわしき記憶として永楽銭は封印された、という訳ですニャー」


「なんてこった」


 しかし、この海賊行為は熊野に何ももたらさなかった。熊野は永楽銭の価値が理解らない為に、鉄屑としか認識されなかった。しかし彼等は海賊だ。略奪品という成果を捨てられない。結局、熊野が得た物は船と少々の物品、そして大量の鉄屑だった。

 彼等は永楽銭を家に持ち帰り、家族をがっかりさせた。この後も数年、海賊を続けたが手に入るのは鉄屑ばかり。次第に熊野の誰も彼も海賊を止めてしまった。儲らないからだ。そして、永楽銭は海賊時代終焉の忌まわしき記憶として蔵に封印されたのである。


「そして熊野は困窮し、今に至りますニャー。その後に我等との交流が始まって、永楽銭の存在に気付いた訳ですニャ。大橋殿の話では保存状態は良好との事」


「何て言えばいいんだ、これは」


 その熊野の黒歴史は今になって幸福の大木となった。織田家と交流した事で永楽銭の価値を熊野は知ったのだ。日の本の品物が何でも手に入る、熊野の民衆は狂喜乱舞した。そして自分達の祖先に感謝の言葉を送っているという訳だ。

 信長は未だに頭を抱えている。それは略奪品だぞ、は熊野に通用しないだろうなと。


「信長様、お気持ちは分かりますが、放心してられませんニャー。三万貫分の永楽銭があれば、永楽銭不足など解消出来ます。どうか熊野へ公共事業の輸出許可を!」


「公共事業だと?何故だ?」


「熊野別当の堀内氏虎殿の永楽銭保有量が二万貫ほど有るんですニャー。彼とは直接会いましたが、物欲は大して無い御仁です。しかし熊野の未来は憂いていますニャ。なので熊野の為に永楽銭を出させたいと思いますニャー」


 恒興は頭を抱えている信長に永楽銭の回収を提案する。その為に熊野に公共事業の許可を求める。

 熊野別当の堀内氏虎の永楽銭保有量が二万貫程有る。これを物品で回収するのは困難。なので巨額になる公共事業を熊野に輸出したいのだ。これで永楽銭を大量に回収しようという話である。公共事業の輸出は外交になるので信長の許可は絶対に必要だ。


「成る程な、許可を出す。恒興、永楽銭を出来る限り回収してオレの所に持って来い!」


「ははっ!大橋清兵衛殿に依頼しておりますニャ」


「お、従兄弟殿か。それなら安心だ。これで永楽銭不足も解消だな。オレも一息付けるぜ」


 許可を出した信長はふうと息を吐いて座る。これで永楽銭不足は解消の目処が立つと。頭痛の種が一つ減ったと安堵したのだ。

 しかし恒興は更に提案する。


「それなんですが、永楽銭を流す場所を限定しましょうニャー。流出場所を安土の楽市楽座に限るのです」


「どういう意味があるんだ、それは?」


「楽市楽座で積極的に永楽銭を出す意味。まずは楽市楽座にあらゆる商人を通わせ、発展を促しますニャー。都商人だって楽市楽座に来てますから、問題はない筈です」


「確かに良い案だな」


 恒興は永楽銭を楽市楽座でのみ流す事を提案する。楽市楽座の発展を促す為だ。そこには都商人も来ているので、彼等から京の都に永楽銭を満たして貰えば問題はない。

 だが、この案にはもう一つの効果が有る。


「もう一つは近江商人へのトドメにしますニャ。いい加減鬱陶しいです。永楽銭を貯め込んで、この状況の一因を作ってますから」


 もう一つは近江商人へのトドメにする事だ。寧ろ、こちらが本命か。恒興の顔がかなり険しくなる。彼等の所業はかなり頭に来ている様だ。それは信長も一緒だ。


「永楽銭を楽市楽座で流す事がトドメになるのか?」


「なりますニャー。アイツラと言えど財貨を貯め込む事は商売の邪魔です。大半の商家は永楽銭を出して更に大きな取引をしたい筈です。しかしある男がそれを阻む。その男に逆らえないのですニャー」


「仰祇屋仁兵衛か。あの野郎……」


「だから教えてやるのですニャ。「オマエラのやっている事は無駄・・」だと。そんなもので織田家は小揺るぎもしない、と。血反吐を吐く思いで永楽銭を貯めていた商家はどう思うか。仰祇屋仁兵衛に付いている事はそんなに正しいのか。近江商人の各商家に考えさせるのです」


 永楽銭を貯め込む。言葉にすれば簡単だが、商家は銀行ではない。貯めて何になるという事だ。それなら貯めた永楽銭で更に大きな取引をしたいのが商人というものだ。通常、現金を貯め込む行為に保険以外の意味は無いのだ。

 だから近江商人の各商家は血反吐を吐く思いで永楽銭を貯めている。ある男が主導する計画の為に。その計画に利は無い、各商家には。ただ、仰祇屋仁兵衛が怖いだけだ。

 しかし、その計画がまったくの『無駄』なら?織田家は平気な顔をして近江国で永楽銭をばら撒いていたら?

 近江商人の各商家は仰祇屋仁兵衛に疑念を抱くだろう。彼は織田信長に勝てないのではないか、と。ならば仰祇屋仁兵衛の何が怖いのかと気付く。彼等とて人間だ、より強者に付きたいのは心弱き人間のサガだ。


「決着の時が来た訳か」


「天王寺屋の義父殿が以前から近江商人の各商家を籠絡していますニャー。未だ靡く者は少数ですが、楽市楽座で永楽銭の大量放出が始まれば」


「近江商人は仰祇屋仁兵衛を捨てて、オレの下に集う、か。ようし、一気呵成にやってやるぜ!」


「ニャーも急いで永楽銭を回収しますニャー」


「おうよ。急げよ、恒興」


「はっ!」


 織田信長は決着の時を悟る。近江商人の各商家を仰祇屋仁兵衛から引き剥がす。そして新しき近江商人として自分の力(財源)にするのだと。

 織田信長は立ち上がり、恒興に急ぐ様に命令する。恒興は短く返事をして退室した。


(もう一つ。楽市楽座は信長様の完全支配下。ここで永楽銭を流す事で、幕府は一切関係が無く、織田家の威勢を内外にこれ以上なく示すニャ。対決の時は早まる。覚悟せよ、日の本を私物化する者共よ)


 この楽市楽座での永楽銭放出にはもう一つの意味がある。だが、これは言わなくて良い。信長も既に理解っている筈だ。織田家が直接管理する安土の楽市楽座で永楽銭を放出する。これは足利幕府が一切関係していないという事だ。

 つまり永楽銭不足解消は織田信長のみの功績となり、足利幕府は更に威信を損なう。つまり恒興は織田家と足利幕府の対立の加速させた。時計の針を自分の手で早めたのだ。


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【あとがき】


 淡路水軍さん達の対応

「熊野水軍が来た?湊を封鎖しろ!砦に立て籠もれ!迎撃?バカ、死にたいのか!?」

 以前は雑賀の辺りまで範囲だった熊野。当然、その辺りの海、淡路島の南までは無双状態だった模様。熊野水軍の戦闘スタイルは白兵戦。素早く船に取り付き、外海の激しい揺れの中でも身体のバランスを保ち戦います。全ての水夫が。なので船ごと持ち帰るパターンが多いと予測されますニャー。

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