外伝 軍師の半兵衛くんですら困ってしまう 前編

 木下姓改め羽柴藤吉郎秀吉は出陣していた。既に農繁期が始まっているのだが、羽柴軍団は元川並衆が多いので農繁期が関係ない者が多数であるのが幸いした。あとは戦える傭兵を2千人ほど織田信長から借りて出発した。

 総勢で4千人。これから数国を治める大大名を相手にするには心許ない。とはいえ、今回はただの戦争ではないので、この人数でも問題無いと判断されている。

 軍団は街道を堂々と進む。街道の周りには田畑が広がっており、多数の農民が農作業に励んでいる。何人かの農民は羽柴軍団を見て若干ザワザワしていたが。秀吉は我関せずと空を見上げる。


「いい天気だなー」


「ええ、長閑のどかで良いですね」


「皆、農作業に励んでるな。俺達はこれから戦だってのに」


「宮仕えの悲哀ですか」


 隣を進む竹中半兵衛重治と他愛のない会話を交わす。秀吉は自分達はこれから戦なのに、世の中は日常を送っている。日常から離れていく自身を愚痴る秀吉を半兵衛は『宮仕えの悲哀』と評した。そう、秀吉の出陣命令は主君である織田信長から出ていた。そもそも、秀吉は長浜城を築城途中なのだが、信長の命令が出たので、築城監督を前野長康に任せて出陣してきたのだ。近江攻略戦が終わり、長浜城主になってゆっくり出来ると思っていたら、突然の出陣命令だ。秀吉でも愚痴りたくなる。まあ、信長の前では笑顔で命令を受諾しているが。


「……」


「どうかしましたか?」


「いや、何か変じゃね?」


「特に感じませんが」


「う〜ん、何だろな~。何か引っ掛かる」


 突如として秀吉は異変に感じる。何が異変なのか、本人も分かっていないし、半兵衛も特に何も感じていない。だが何かが変だ。秀吉はその異変を探す。そして目的地に着いた時に、秀吉は異変の正体に気付いた。


「違和感の正体はこれかよ」


「何かありましたか?」


「何かありましたか?、じゃねーよ!竹田城、戦の準備してないじゃん!そりゃ長閑な農作業風景が広がってるよ。徴兵されてねーんだもん!」


 ここは但馬国竹田城。大大名である山名家の支配地域である。今回の秀吉の出陣は『山名家に対する懲罰』なのである。幕府将軍の足利義昭から命令が織田信長に下り、信長から秀吉に命令が下った。という訳で秀吉は山名家に宣戦布告状を送り進軍してきたのだ。なのに竹田城は一切、戦支度をしておらず、農民は徴兵されてなくて農作業に励んでいる有様だ。これが異変の正体な訳だ。


「くぉおらあぁぁ!権兵衛!お前、俺の宣戦布告状をちゃんと届けたのか!?お使いも出来ないアホなのか、お前は!!?」


「そ、それは、あの……」


 秀吉は怒髪天を衝く勢いで後ろを歩く仙石権兵衛に怒鳴る。10歳になった彼は秀吉の近習として働き始めた。割りと無茶を言う秀吉の命令で四方八方に走り回っている。最近は馬術も上達しているので尚更だ。今回など長浜から山名家本拠地である此隅山城に宣戦布告状を届けてこいという命令だった。秀吉に怒鳴られた権兵衛はしどろもどろになったが、それに対し半兵衛が割って入る。


「権兵衛を叱らないで頂きたい。その宣戦布告状を焼き捨てよと命じたのは私なので」


「ほう、俺の宣戦布告状を焼き捨てたのか」


「ええ、お陰様で美味しい焼き茄子が食べれました。有り難う御座います」


 半兵衛の告白を聞いて、秀吉は怒り顔をギギィと音を立てるかの如く振り向かせる。それを見ても半兵衛は動じる事なく、茄子を焼く種火にしたと伝えた。次いでに礼も言っておく。


「そうか、茄子は美味かったか。……いや、そーじゃなくて!俺の宣戦布告状は茄子以下か!?」


「論点はそこですか?」


「いや、違うな。宣戦布告状を燃やすとか何してくれてんだよ!」


「奇襲性を高める為です」


「ああ、バッチリ奇襲が決まってるよ!竹田城のヤツラ、何で自分達が攻撃されるのかも知らんだろ!」


 自分の宣戦布告状が茄子以下の扱いにも文句を言いたい秀吉だが、論点はそこではない。宣戦布告状が届いていない為に、山名家は戦支度すら出来ていないのだ。

 徴兵には最低でも2週間近くを要する。この時間を短縮する為に、織田信長は城下に足軽長屋を作って傭兵を住まわせた。どんな緊急事態にも即応出来る様にした訳だが、これは戦国時代においては画期的な手法だ。山名家が出来る訳がない。

 戦国時代にもルールは有る。というか、割りと鎌倉時代より前から有る。その中でも割りと重めなものに『宣戦布告状無しに攻撃してはならない』である。


『宣戦布告状無しに攻撃してはならない』を守らなかった武将は数少ない。その数少ない一人がかの有名な『源義経』という。彼の代名詞とも言える『一ノ谷の戦い』は平家との休戦協定中に発生した奇襲戦である。また義経は一ノ谷の途上にあった山砦を焼き討ちしている。山砦は休戦協定中に義経が襲ってくるなどと考えておらず、就寝中に突然火を掛けられ千人近くが焼死した。これを見た坂東武者達は「無抵抗の者を焼き殺すとは。こんな戦は慮外者りょがいもののやる事だ。我々は武士であって山賊ではないぞ」と義経への反感を強めていった。義経はこの他にも宇治川の戦いで宇治川の漁民を焼き払っている。理由は『戦の邪魔』だそうだ。これらも義経が坂東武者から嫌われる原因の一部となっている。数え上げれば切りがない一部である。義経はルール無用の勝利至上主義なのだろう。その彼の最期は正に因果応報という言葉が似合う。

 戦国時代にはこのルール破りは小規模なものを除けばほぼない。日本の奇襲戦で有名な『桶狭間の戦い』は今川家から宣戦布告状が出されているし、河越夜戦なら連合軍からの攻撃であり北条氏康は反撃だ。宇喜多直家の鉄砲暗殺だって、攻め込んで来たのは三村家である。

 唯一、グレーだと思うのは某謀神様の焼き働きか。その数、数百回に及ぶ。しかし、この焼き働き部隊は所属を明かしていないので謀神様は何の事かのう?とすっとぼけ続ける。ここで謀神様の手法を紹介しよう。敵対大名の家臣に領地が隣合うAとBという豪族が居たとする。Aに対して謀神様は分かり易く寝返りを呼び掛ける。その一方でBの領地には謎の焼き働き部隊を繰り出し続ける。Bは何故、自分だけが焼き働きを受けてAは無事なのかを考える。そしてBはAが謀神様に内応しているに違いないと考えて大名に訴える。Aは大名に呼び出される。応じれば死あるのみ、応じなければ討伐だ。悩んだAは第三の選択肢、謀神様の誘いを受けるを選ぶ。これで謀神様は無傷のAの領地が手に入り、敵対大名はそれだけ弱体化する訳だ。因みに謀神様としてはAがどんな選択肢を選んでも得しかない。呼び出しに応じて殺されても、応じず討伐されても、敵対大名の力が削がれるだけだからだ。焼き働き部隊は占領などしないので、戦とは呼べないのだろう。安芸国の一豪族が西国最大の大名になるのに、まともな手段では無理だ。彼のスタートは織田信長が受け継いだ領地よりずっと小さかったのだから。


「そうでしょうね」


「そうでしょうね、じゃねーよ!俺、怒ってるよ。理解る?ねえ、理解ってよ」


「私に対して怒るとは、殿も成長されましたね」


「……最近、お前はヤバいって気付き始めたんだよ。俺達は山賊や野盗じゃねえんだぞ」


『宣戦布告状無しに攻撃してはならない』という事自体は竹中半兵衛だって理解している。秀吉が言う様に、自分達は山賊や野盗じゃないという事だ。それでも彼が秀吉の宣戦布告状を焼き捨てたのには理由がある。


「では、一度戻って宣戦布告状を出してから再度出発しますか?」


「そんな時間、ある訳ないだろ。何でこんな事をした?意味はあるんだろ?」


「勿論。奇襲性云々はおまけ。本題は懲罰を完遂する事です」


「?どゆこと?」


「懲罰の旨は既に幕府から通達されている筈です。なら、山名家の対応は粛々と受け入れて青田刈りをさせる程度でしょう」


 そう、懲罰の旨は既に幕府から山名家に通達されているのだ。これを以って、竹中半兵衛は宣戦布告状と見做している。これから懲罰戦だというのに、どうせ青田刈りでしょと高を括っている山名家がいけないのだと。


「そういうもんじゃないのか?」


「懲罰にやり方など指定されていません。折角、ここまで来たのですから派手に戦うべきかと」


「その心は?」


「織田家の威、信長様の威、殿の威を西国に知らしめる為です。竹田城を奇襲で落とされたとなれば、山名家はカンカンになって出て来るでしょう」 


 半兵衛はせっかくだから派手に戦って織田家の威勢を西国にも轟かすべきだという。そこで竹田城を奇襲で落としてやれば、山名家も目が覚めるだろうという事だ。その上で勝てば懲罰戦でも手を抜かない織田家は恐ろしいという風評が得られるのだと半兵衛は説明する。


「成る程。一理有るな」


(こんな山奥まで遠征して草刈して帰るなど徒労、ただの使い走りでしかありません。ならば、あの山名宗全の末裔の力を存分に試さねば勿体無いというもの)


 懲罰だからと普通にやっていたら、自分達はただの幕府の使い走りではないか。だったら『応仁の乱』の西軍大将・山名宗全の末裔が何れ程なのか試してやろう。懲罰なので敵地を占領する必要はなく、完全に戦にだけ集中出来る数少ない機会なのだから。これが竹中半兵衛重治の本音であった。


「ん?何か言ったか、半兵衛?」


「いいえ。さあ、あの憐れな城を落としましょう」


「憐れな状態にしたのはお前だけどな。まあ、いいや。前衛の蜂須賀衆に城攻めの開始を通達しろ!」


「ははっ!」


 この後、1刻もしない内に竹田城は陥落。城主など朝の体操をしていたら織田兵に乱入されて捕まったくらいである。現代に名高い『天空の城』竹田城はこうして瞬時に落城した。

 この後も羽柴秀吉は速攻を展開。占拠した竹田城に1兵も残さず、捕えた城主も放置して進軍した。そして山名家本拠地である此隈山城を目指して、目に付く城や砦に襲い掛かった。やはり占拠した城や砦は放置して進んだ。何故か?それは目的が占領ではなく懲罰だからだ。自分達の物に出来ないので統治する気が無いのだ。因みに捕えた城主達には「反抗したら潰しに来る」と脅してある。

 こうして何事も無く此隅山城へ進んだ秀吉と半兵衛だったが、此隅山城が近付くにつれて彼等の顔は曇っていった。順調に進んでいるのに、それは何故なのか?答えは山名家がちっとも迎撃に出て来ないからだ。普通は籠城策でも進軍を妨害する為に橋を落としたり、火災で止めたりするものだ。なのに山名家は静寂そのものであった。その理由は此隅山城で判明した。絶句している半兵衛を秀吉はからかう。


「半兵衛さんよ。これも計画通りなのか?」(笑)


「……」


 半兵衛は答えない。いつも飄々としている彼にしては珍しく顔が硬直して、汗まで出ている。


「珍しいな、半兵衛が冷や汗とか」(笑)


「さ、流石に予想外でした。下方向に。まさか籠城もせずに逃げ出してしまうとは……」


「本当に何の為の城なんだろな」


 既に山名家当主の山名祐豊は此隅山城から逃げ出していた。城にあった財宝や家財道具なども持って行った様で此隅山城は正にすっからかんという様相だった。この結末は稀代の天才軍師・竹中半兵衛重治を以ってしてもまったく予想出来なかった。


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【あとがき】


 戦国時代にもいますよニャー。降伏した無抵抗の人々を撫で斬りにした大名が。その後の彼に何れ程の人達が抵抗し敵対し嫌ったかを考えれば武士の暗黙のルールは存在していると思いますニャー。いくら若気の至りでもです。これから戦国時代に転生する方は宣戦布告状を出してから戦う事を忘れちゃダメですニャーん。

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