池田家の新たな嫁

 恒興は加藤政盛と親衛隊長の可児才蔵を伴い犬山に向かっていた。その護衛として池田家親衛隊100人を率いている。本来、池田家親衛隊は500人で構成されているのだが、内400人は親衛隊副隊長の可児六郎に任せて強訴対策に皇居外周警護任務に回した。


「六郎が宮外警護かー」


「ニャんだ、才蔵。やりたかったのか?」


「まっさか!俺じゃ胃が破裂しますよ。ただ宮外警護って長期になりそうだなーって」


「まあ、2、3ヶ月ってとこだニャー」


 警護任務は長くても2、3ヶ月程度だと、恒興は見ていた。それだけの期間があれば、信長の京の都の外壁補修工事が終わる。その上で都の要所に織田家の兵士が配置し終われば、強訴も出来なくなる。そして理由は強訴側にもある。


「その程度で終わるんですか?私はもっと掛かるのかと思いましたが」


「政盛。親衛隊を投入せにゃならんのは『大規模強訴』だけだ。小規模なら信長様の兵士で対応可能だろニャー」


「はあ」


「つまりだ、2、3ヶ月もすれば大規模強訴なんて起こせないくらいに困窮するって事だニャー。悪僧なんて油場銭で遊んで暮らす輩が、いきなり生活水準を落とせると思うか?ヤツラは貯金ニャんてしてないぞ。あっという間に資金は底を尽くニャー」


「な、成る程。大規模強訴をやるお金が無くなる訳ですか」


 恒興は2、3ヶ月あれば強訴側である僧兵が困窮すると見ている。そもそも僧兵達にとって油場銭は正に泡銭であり、暴飲暴食享楽に消費し続ける物だ。『悪銭、身に付かず』という言葉が示す通り、僧兵達はあったらあっただけ使って貯金などしない。足りなくなれば油場銭を取り立てるだけでいいのだ。

 その油場銭が取り立てる事が出来なくなったら?彼等はいきなり破産クライマックスまで追い込まれる。こうなって初めて大規模強訴となるだろう。これを防いでしまえば、彼等はどんどん困窮していく。比叡山僧兵と言えば土倉という高利貸し業もあるのだが、山城国人一揆で標的となった為にかなり衰退している。比叡山麓にたむろしている僧兵を全て養うのは不可能だ。

 自分を養えない比叡山からどんどん僧兵は去って行くだろう。これが恒興の比叡山を焼かずに倒す方法の一つでもある。


「それが帝が油場銭を廃止した効果って訳っすか?」


「いや、まだだ。帝が勅令を発したくらいで言う事を聞くヤツなんかいねーギャ。悪僧共は構わずに油場銭を取り立てるだろうニャ。だいたいな、勅令が出たくらいで日の本が変わる訳が無いだろ。出来たらこんな乱世になってニャい」


「え?意味無いんですか?」


 恒興は帝から勅令が発せられたくらいでは何も変わらないと思っている。帝が何かを言ったくらいで世の中が変わったら戦国時代など到来しない。

 ならば何故、恒興は帝から油場銭の廃止を宣下させたのか?それは日の本固有にして最強の大義名分『錦の御旗』を手に入れる為だ。


「朝廷から廃止命令を出して貰ったのは、織田家勢力圏での取り立てに対抗する為だニャ。これだけで日の本全土の油場銭を廃止させるなんて出来ないだろうニャ」


「じゃあ、どうするんです?」


「だから楽市楽座で清油を販売するんだニャ。いろんな地域の商人に楽市楽座から清油を買って貰う。彼等は必ず故郷で清油を売るだろう。そしたら他の商人も噂を聞き付けて楽市楽座で清油を買って帰る様になる。この流れが拡がれば全国の混ぜ物油なんぞ売れる訳がないニャ。油生産者に対して強制的に混ぜ物油を止めさせるんだニャー。そうなれば自動的に油場銭なんか払えなくなるんだ。これで帝の勅令は達成って訳よ」


 恒興の計画ではまず織田家勢力圏に対する油場銭取り立て防止に『錦の御旗』を使う。兵士も繰り出して武力で防ぐ。武力行使までは行かないだろうが、帝の勅令という『錦の御旗』を押さえられた僧兵は本山に苦情を出す。大規模強訴はここから始まる。

 そして恒興が楽市楽座で清油を販売する理由は各地の商人達に油を買って欲しいからだ。油を買えば油場銭が廃止された事も理解るし、故郷に帰って拡める事だろう。それは地方の油生産者にも伝わる。混ぜ物油を作る限り織田家の油に質で勝てないなど一目瞭然だ。なら彼等も清油を作らねばならない。そうなれば油場銭など出せない。出せば生産者は飢え死にだ。生産者は僧兵に対して決死の抵抗をするだろう。油場銭の廃止という『錦の御旗』があるのだから躊躇わない。こうやって日の本全国の油場銭を亡き者とするのである。


「そして油場銭が無くなったら、必ず油場銭の分を阿漕に稼ごうとする『アホ』が発生する。油場銭が無くなった分だけ利益に出来ると考える生産者と商人が現れるんだ。だからニャーは楽市楽座で清油を売り続ける。混ぜ物をする限り、織田家の油の質には勝てニャいって事を全国の生産者に強制的に教えてやるんだ。『混ぜ物なんかしてたら売れねーぞ』ってニャー」


 油場銭の廃止。これを利用しようという者は必ず現れる。まずは生産者だろう。油を水増しして払っていた油場銭、これをそのまま自分の物にしようという生産者が少なからず出る。これを防ぐ為に恒興は楽市楽座で日の本全国に向けて質の良い清油を販売し続ける。これにより混ぜ物油は一切売れないぞと骨身に染みる程に教え込むのである。


「商人にも清油で暴利を稼ごうとするヤツが出る。だから堺会合衆と津島会合衆で清油卸し協定を結ぶ。両者には無制限で清油を卸す代わりに、一定の販売相場を守って貰うんだニャー。遠隔地の運送料とかもあるからザックリだけど、日の本の大商会二つが相場を守れば、ボッタクリ商人は商売にならない訳よ」


 次に商人だ。商人が暴利を貪る程の価格設定する場合もあるだろう。それを防ぐ為に堺会合衆と津島会合衆の商人と協定を結んだ。彼等には織田家の清油を優先的に卸す代わりに、ある程度の相場を守って貰うのである。日の本三大商人の内、二者が相場を守れば、ボッタクリ商人など商売は出来ないと思われる。


「あとは油の生産量が問題となるんだが、ニャーは美濃国や伊勢国の山間部には随分と前から声を掛けていたんだ。美濃山間部と言えば奥美濃遠藤家だろ。ニャーの嫁の実家だ。義弟の慶隆に『儲かるぞ』って言ってやったら、喜んで乗ってきたニャ。それに日の本の油生産量は平安時代とでは比べ物にならん。水増しされた混ぜ物油は市場に余り出している。そうと気付かずに買い占めて値段操作してるヤツが近江商人の中に居るんだよニャ。混ぜ物油はもう売れんぞ。どうすんの、その在庫?ニャハハ」


「それ、仰祇屋ですよね」


「死んだな、こりゃ」


 この計画の肝となるのが『油の生産量』だ。では荏胡麻とはどれくらいの作物なのか。春に種植えをし、夏に育成、秋に収穫する一年草である。主に風通しの良い場所を好むのだが、強さが『雑草並み』である。葉っぱはシソと似ている為に、シソかな?と思ったら荏胡麻である場合もあるらしい。それくらい勝手に育つ。山間部でも楽勝で育つ。だから農地の少ない山間部で荏胡麻栽培は好まれた。手間が掛からない収入として。それを狙い撃ちにしたのが油場銭な訳だが。

 平安時代の油生産量など高が知れていた。だから油場銭はそこまで大きな利権ではなかった。だが経済圏の拡大と共に生活必需品たる油の生産量は飛躍的に伸びた。戦国時代には混ぜ物などしなくても油は足りる。そう、恒興に思わせる程に生産されている。それを正しく認識出来ずに畿内の混ぜ物油を一手に買い占めて価格操作をしている輩が居る。それが恒興の標的でもある近江商人の仰祇屋という訳だ。


「ま、次に大きな動きがあるのは秋の終わりかニャー。もう農繁期が来るから動けニャいし」


「犬山軍団も急いで戻しましたからね」


 恒興達が100人くらいで犬山に向かっている理由。それは犬山軍団自体は姉川会戦が終わると家老の土居宗珊の指揮で帰還したからだ。皇居外周警護任務の可児六郎、横山城で事業を開始した金森長近、そして京の都に行っていた池田恒興と加藤政盛、可児才蔵以外の者達は全て帰還済なのだ。季節は春、農繁期が始まる直前だ。恒興はギリギリ間に合ったと安堵した。


「総合すると、油場銭を廃止する事で比叡山の悪僧と近江商人を追い詰めた、と言う訳ですね」


「そんでもって油場銭を廃止した後に現れるであろうボッタクリ共は清油を販売し続ける事で防ぐ、と」


 恒興はこの油事業にたくさんの狙いを持っている。それは旧来の油事業利権者である比叡山僧兵と近江商人の打倒。いにしえの悪法『油場銭』に群がる驕者の根絶。そして油場銭を廃止した影響で現れる無法販売を防ぐ事だ。

 ここまでやって最終的な利益を全て織田信長の物にする。これが恒興の巨大財源造り計画なのだ。


「「成る程、流石は殿!えげつない!」」


「やかましいニャー!張っ倒すぞ、てめえ等!」


 加藤政盛と可児才蔵に『えげつない』と言われて、いつも通り『やかましい』と返す恒興であった。


 恒興は犬山まで帰って来た。出迎えは一切無い。当たり前だ、軍団自体は先に帰還したし、恒興は誰にも帰る日にちを報せていない。犬山の町はいつもの日常を送っている。

 恒興は加藤政盛や可児才蔵と別れて池田邸に入る。玄関から上がると丁度、幸鶴丸を抱えている母親の養徳院桂昌と顔を合わせる。


「母上。只今、帰りましたニャー」


「おや、お帰りなさい、恒興。突然帰ってきましたね」


「軍団だけ先に帰らせましたから。ニャーは野暮用が長引いたんですよ」


「成る程、それで凱旋はしなかったのですね。幸鶴、お父さん帰りましたよ~」


 養徳院は眠っている幸鶴丸に話しかける様に恒興の帰宅を伝える。幸鶴丸を見た恒興はもうたまらんという感じで、養徳院から奪い取る。そして恒興は幸鶴丸に頬擦りしまくる。


「おおー、幸鶴!父ちゃん、今帰ったニャー!大きくなってるか?なってるか?ん〜?」


「おぎゃあぁぁーん!あぎゃあああーん!」


「あ、ヤベ、泣いちまったニャー」


 恒興はやり過ぎたと後悔した。戦場暮らしが長引いたので堪え切れなかったのだ。

 幸鶴丸が泣き出すと、屋敷の奥の方から廊下を走る音が聞こえてくる。ドタドタなどと生易しい音ではない。猛牛が走る様なドドドドという様な疾走音が聞こえる。そして恒興の前でキキィと止まる。


「何をしているんですか、あなた様は!!!!ふんっ!!」


「あ、幸鶴……」


 池田家正室の美代である。鬼の形相で現れた彼女は気合の一言と共に幸鶴丸を奪い返す。恒興にすら反応を許さぬ速さで。


「幸鶴、もう大丈夫でちゅよ~。変な人が来て怖かったでちゅね~。よしよし」


 幸鶴丸を奪い返した美代は赤ちゃん言葉であやしながら立ち去る。恒興が帰ってきた事など幸鶴丸に比べれば眼中にないらしい。


「ああ、幸鶴よ。もっと大きく育つんだニャー。そしてニャーと遊ぼうな。グスン」


「何をやっているのですか、貴方は」


 そして養徳院も幸鶴丸を泣かした恒興に呆れる。幸鶴丸を奪い去られて嘆く恒興に別の女性が話しかける。ちょっと疲れ気味な声で。


「幸鶴の相手は終わったんか、旦那様。せやったら、娘の事も思い出してくれへんか?」


「おお、せんか!せーん、父ちゃんだニャーん!」


 声を掛けたのは恒興の側室である藤。幸鶴丸と違って何故か元気いっぱいの赤ん坊・せんに悪戦苦闘中である。このせんがちっとも寝ないので養徳院に頼みに来たら恒興が帰っていたという状況である。という訳で、喜んで駆け寄る恒興に押し付ける。


「あうあ!」


「ぐほっ!?せん、何故に父ちゃんの首を締めるんだニャー?」


 せんは恒興に抱えられるとカウンターとばかりに恒興の首を締める。赤ん坊とは思えない力の強さであった。


「あうあ!あうあうあー!」


「ニャに言ってんだ、お前!」


「『巨人発見、駆逐する』やないやろか?」


「誰だニャー!そんな言葉をせんに教えやがったヤツはー!?」


 せんの言葉はどうやら『巨人発見、駆逐する』らしい。母親の藤によれば、だが。さて、誰が教えたのか。

 恒興は暴れるせんをあやしながら庭の縁側の陽当り良い場所に移動する。春の陽射しで暖かくなれば寝るだろうと考えたのだ。恒興と一緒に藤と養徳院も縁側に座って、せんを見守る。


「あうー!あー!」


「お前はホントに元気だニャー。ほら、寝ちまえって」


「あら、せんはまだ寝てないんですね」


 そこに幸鶴丸を抱えた美代もやってくる。どうやら幸鶴丸は既に寝てしまったようで、スヤスヤと寝息を立てている。


「この通りや。直ぐに寝てくれる幸鶴が羨ましいわ」


「お、幸鶴は寝たのかニャー」


「あ・な・た・様が起こしたので、もう一度寝かし付けましたが、な・に・か?」


「反省してますニャー」


 美代の目からは「貴方に幸鶴丸は預けません」という強い意志が垣間見える。恒興は反省して、彼女の機嫌が治るまで待つしかないなと思った。


「しかし、麗らかな春の陽射しやな。う〜ん」


「絶好の日向ぼっこ日和ですね〜」


「お陽様を浴びて子供は強く育つものですよ」


「こういう時に限って、騒がしい何かが起きるんだよニャー」


 4人と赤ん坊2人。麗らかな陽射しを楽しみ、赤ん坊の成長を願う。そんな中、恒興は何かが起きると予言する。その直後、庭に闖入者が現れる。


「恒興君!話があるんだが!!」


「ほうらニャ、やっぱり」


「何が『やっぱり』なんですか?」


「あなた様が噂をするから」


「影が差す、どころの剣幕やないな」


「どうしたのですニャー、三左殿」


 突然、訪ねて来たのは森三左衛門可成。美濃国金山城主で東濃軍団長。いつも物腰の柔らかい雰囲気を崩さないイケメン武将としても有名である。その彼にしては珍しく声を荒げる様子に、恒興も余程の重大事があったのかと身構える。


「どうした、じゃないんだよ、恒興君!」


「どうしていきなり怒ってるんですニャー?」


 彼にしては激しい剣幕だが、迫られたところで帰って来たばかりの恒興には事情が見えない。ただ、森可成からは怒りよりも焦りの方が強く感じる。


「君の所に『可児才蔵』という男が居るよね?」


「居りますニャー」


「呼んでくれないかな?一緒に説明した方が早いから」


「了解しましたニャ。誰か!才蔵を呼んで来い!」


 どうやら原因は池田家親衛隊長の可児才蔵らしい。恒興は家に勤める使用人に可児才蔵を連れてくる様に命令する。おそらくは親衛隊屯所に居るとは思うが、羽目を外して酒場に行ったも有り得る。なので使用人は複数人で行かせた。

 程なくして、可児才蔵がやって来る。どうやら遊びに行く前に捕まえた様だ。


「殿〜、来ましたよ~」


「君が可児才蔵君かな!?」


「え?アンタ、誰?」


「森三左衛門可成殿だニャ。お前に用があるんだと」


 可児才蔵にとって森可成は面識が無い様で失礼な受け答えをする。恒興はその人物は同格の軍団長である森可成だと伝える。自分に用があるという森可成に才蔵はびっくりした。何しろ、面識などある筈も無いのだから。


「はい?あの、面識ありましたっけ?」


「無いよ、私はね。でも娘の方はある筈なんだよねええぇぇー」


 森可成にも可児才蔵との面識は無い。しかし、可成が言うには彼の娘は面識が有るらしい。才蔵、遊び人、女性とくれば恒興も邪推してしまう。


「ニャにー!?才蔵、まさかお前、手を出したのか!?森家の姫に!?」


「はあああぁぁぁ!!?待ってくださいよ!冤罪っすよ、それ!?俺、そんな覚えは無いですよーっ!」


 つまり可児才蔵が森家の姫と密会していた疑惑である。これが事実なら森可成は才蔵の首を取りに来たとしても不思議ではない。才蔵の主である恒興も可成に土下座で詫びなければいけないだろう。そう、森可成はもう刀を抜いて斬り掛かるくらいで……という感じはない。可成はそれなりに冷静だ。恒興が可成の温度差を変に思っていると、養徳院が助言する。


「落ち着きなさい、恒興。三左殿の娘といえばお勝の事でしょう。4歳の筈ですよ」


「え?4歳?」


 森可成の長女・勝。現在4歳である。恒興は無いと思いながらも、一応事実確認はしておく。


「才蔵、お前は4歳に手を出したのかニャー?」


「出すわきゃねーでしょうがーっ!森様、冤罪ですよ!俺は何も!」


「いいや、うちの子に槍を教えたんだろう?そう、お勝が言っていたんだから」


 話はいきなり変な方向に逸れる。才蔵が手を出した云々うんぬんは完全に早合点で、実際は才蔵が勝に槍を教えた事らしい。才蔵も恒興もん?と首を傾げる。


「え?槍を教えた?俺が、ですか?」


「可児村で、山の大きな桑の木の下で教わったとね。可児村の村長に聞いたら、それは可児才蔵だろうって」


「あ、あー、確かにそんな事がありましたっけ。一度、ガキに槍を教えた様な……」


「ガキ?」


 才蔵も思い出した。池田家親衛隊長になってから帰郷した時に、子供にせがまれて槍を教えた事を。その子供を素直に『ガキ』と呼んでしまい、可成に睨まれる。


「いえ!利発そうなお嬢さんに……お嬢さん!?あれが!?」


「悪かったねえ、お嬢さんに見えなくて?」


「いえ、何かスイマセン」


 才蔵は急遽、『お嬢さん』と言い直すが、あの子供を思い出してお嬢さんだったのかと驚愕する。

 こんなコントみたいなやり取りが続いたが、恒興はイマイチ理解出来ない。勝が才蔵に槍を教えて貰って何が問題なのか、と。森家に相応しくないというのなら、止めさせればいいだけだ。


「?才蔵が槍を教えたんですかニャ?それで三左殿が怒っていると?」


「違うよ。問題はソコじゃないんだ」


「??」


 可成も槍を学んだ事が問題なのではないと言う。恒興はやはり理解出来ないが、美代や藤は思い当たる様で声を挙げた。


「あー、旦那様は出陣しとったで知らんのやな」


「もう織田家中に知れ渡ってますよ」


「何の話だニャ?」


「母から説明しましょう。森家の大姫であるお勝が山賊3人に拐かされたのです。森家が総出で捜索したところ、お勝は山賊3人を縊り殺して帰って来たそうです。お勝は誰に教わったのか、毎日槍を振っていたそうですから」


 問題は恒興が出陣中で、可成は先に帰還した時だ。可成の留守に東濃で暴れていた山賊を帰って早々に退治したのだ。その後、可成は周辺の村々を慰撫して回っていた。それに暇を持て余した勝が同行していたのだが、山賊の残党3人が勝を拐ったのである。

 それに気付いた可成は森家臣総出で救出しようとした。しかし勝は自分を拐った山賊3人を縊り殺して血塗れで帰って来たのだ。


「え?つまり、それは槍を教えた俺のせいっすか?いや、俺が槍を教えてなきゃ、お嬢さん死んでますよ、森様!」


「そうだよ!だから私だって複雑な気持ちなんだよ!誰に文句を言えばいいんだ!」


 才蔵の言う通りで、勝は槍を教わってなければ、真剣に槍を鍛えてなければ、彼女は既に亡き者になっていた可能性が高い。可成もそれは理解っている様だが、文句の先は理解っていない様だ。とりあえず恒興は関係無いなと感じた。


「ニャる程。じゃあニャーは関係ないですニャ。才蔵と心行くまで話し合って下さいニャー」


「ちょ、殿!俺を見捨てるんですか!?」


「自分で撒いた種だろ。自分で何とかしろニャ」


「そ、それは無いんじゃないかな、恒興君」


「はい?」


「いや、だって、可児才蔵君は恒興君の家臣なんだから、君にも責任というものがあるんじゃないかなーと思う訳でさ」


「いや、そんな事を言われてもですニャー」


 見捨てられると感じた才蔵は抗議するも恒興は冷たくあしらう。しかし抗議は可成からも挙がる。ちょっと要領を得ない感じの話をする可成に、恒興も何が言いたいのか測りかねる。

 一連の流れで理解ったのは、可成は才蔵を責めたい訳ではなく、恒興に何か期待するものがある、という事か。恒興としても世話になった森可成になら出来る限りの便宜を図るつもりだ。しかしイマイチ何を求めているのか理解らないのだ。


「鈍いですよ、恒興」


「どういう意味ですニャ、母上?」


「槍がどうのこうのは、この際関係ありませんよ。問題は『4歳で大人3人を縊り殺した』事です」


「改めて聞くと字面がヤバいですニャ。どんな強さをしてるんですか、その子は」


 養徳院の説明を聞いて勝がとんでもなくヤバいのは理解る。しかし恒興は何処か懐かしさも感じる。そういえば、前世の彼も相当ヤバかったな、と。


「既に織田家中に知れ渡りましたから。その為にお勝は嫁ぎ先が無くなりそうなのです。お勝は森家の大姫なのですよ」


「大姫なら同格以上の家に嫁がせたいですニャー。あー、成る程」


 勝の武勇伝は既に織田家中に拡散されてしまったらしい。傍で聞く分には面白いかも知れないが、その人物が嫁候補に上がってきたら?間違いなく敬遠されるだろう。

 恒興も漸く理解した。可成は未練たらたらなだけなのだ。森家の財政は決して良くはない。恒興の東濃制圧作戦において森可成は東濃鳥峰城を占拠し兼山城へと改修した。この時点では森家の領地は無い。そこで織田家に付きたい豪族達が反織田家の豪族を滅ぼして、その所領を寝返りの対価として森家に差し出した。または要らない山地を差し出す場合もあった。東濃は山地が多く農地が少ない。良い農地がある地域は当たり前だが豪族達が所有している。また収入になる良い特産品も豪族がガッチリ押さえている。つまり森家の領地は広いだけで山地ばかりで特産品も無い、財政難の状態なのだ。

 だから可成は大姫である勝に期待していた。彼女が同格以上の家に嫁ぐ事で、森家に何らかの利益をもたらしてくれると。それが今回の件で嫁入りを敬遠される見通しとなり、可成の期待はご破算となりそうなのだ。いや、確率は非常に高い。


「そういう事だよ。済まなかった、君達に言ってどうにかなる話じゃないのにね。誰かに愚痴りたかっただけなんだ。悪かったね、才蔵君」


「森様……」


「君には感謝しているよ。どうであれ、お勝は生きて帰れたのだからね。それじゃ」


(流石にニャーに出来る事はないか。可哀想だけど)


 森可成は何を望んでいるのか?いや違う、彼はただ現状を嘆き、誰かに愚痴を聞いて欲しかっただけだ。だから縁が有る恒興と才蔵の所に来たのだ。

 恒興も残念だとは思う。しかし、彼が森家の内政に干渉する訳には行かない。そんな資格は自分には無いのだ。立ち去ろうとする森可成の寂しそうな背中を恒興はただ見送るしかない。恒興はこれも武家の定めか、と虚しさを覚えた。

 しかし、この池田家にはそんな武家の定めなど気にしない人物が居る。そんな空気など知った事かと言い切る人物。そう、恒興の母親・養徳院桂昌である。


「お待ちなさい、三左殿」


「何でしょうか、養徳院様?」


「三左殿がお勝の将来に不安を抱えているのは理解しました。ならばこの養徳院桂昌がお勝を立派に養育して見せましょう!」


(どういう理論展開でその結論になるんだニャアアアァァァー!!?アンタは引き取りたいだけだろ!!早く止めないと池田家の女性陣営が更に強化されちまう!!ニャーがビシッと言ってやるニャー!)


 何が『ならば』なんだと恒興は驚愕する。この母親には武家の理論など通用しない。ただ他人の娘を養育したいだけなのだ。恒興はこれ以上、池田家内の女性陣営を強化されてたまるか、と(心の中で)キツく言わなければと(心の中で)決意する。もう母上の思い通りにはさせない、池田家の当主は自分なのだと(心の中で)はっきりと認識する。


「母上!」


「何ですか、恒興。母に何か意見でも?」


「ニャんでもありませんニャー。母上のご随意に」


(あれー?ニャーの身体が意思と違う動きをするんだけどー?何の力が働いているんだニャー。誰か助けてー!)


 勇ましい心の中とは裏腹に恒興の身体と口は言う事を利かない。まるで自分の身体と意志が別々の様な感覚に襲われる。何故いつもこうなるんだ、何の力が働いているんだ、と恒興は言葉にならない助けを求める。


「お待ち下さい、養徳院様。いきなりそう言われましても、お勝を預ける理由にはならないのではないでしょうか」


「要はお勝の嫁ぎ先が問題なのでしょう。ならば我が池田家に嫁げばいいのです。そう、『幸鶴の嫁』として!」


(幸鶴の嫁って、まだ産まれたばかりだってニャー!)


 森可成も訳が理解らないので反対する。それに対して養徳院は勝は池田家に嫁げば良いと提案した。池田家嫡子である幸鶴丸の正室として迎えると言うのだ。幸鶴丸は生後半年で4歳の姉さん女房を迎える事になる。家格の高い武家だと無い訳ではないが、流石に生後半年で嫁取りは早過ぎる。


「池田家嫡子の正室。これならば森家の大姫としての面目も立つ筈です。お互い、幼い頃から接していれば仲睦まじくなるものでしょう。だからこの養徳院桂昌が養育する、という話なのです」 


「そ、それは確かに」


「まあ、こちらが頂くばかりでは申し訳ないですので、森家嫡子に『せん』を嫁がせましょう」


(ちょっとー、だから産まれたばかりだってばニャー!誰か母上を止めてくれー!)


 勝が池田家嫡子の正室であれば、森家大姫としての面目も立つ。可成も嫁ぎ先を探す必要すらなくなる。そして幸鶴丸と勝が仲良くなる様に、養徳院が勝を引き取って養育するという話にいきなりなっている。

 そして彼女は更に手を打つ。同じく生後半年のせんを将来的に森家嫡子の森可隆に嫁がせるという。森可隆は現在11歳。彼は嫁さんが来るまで10年以上掛かる事になる。

 養徳院はせんを手放すつもりは無いので、今回の件で移動となるのは勝だけとなる。


「成る程、池田家の大姫が森家に嫁いで来ると」


(お勝が池田家嫡子の幸鶴に嫁ぎ、せんが森家嫡子の可隆に嫁ぐ。大姫を嫁がせ合うとなれば森家は池田家とかなりの親戚となるか)


 森可成は池田恒興とお互いの大姫を嫁がせる利点を考える。

 まずはお勝の事だ。彼女は山賊の残党に拐われた。それは森可成の失態だ。しかし彼女は助けられる前に自力で帰って来た。その時の脱出劇が武勇伝の様に広まってしまった。それ故にお勝は同格以上の家に嫁ぐ事が絶望的になった。誰が逆らったら殺されそうな嫁を貰いたがるのか、という事だ。お勝は将来的に格下の家か家臣に払い下げとなるところを、同格以上の池田家嫡子の正室という話を貰った訳だ。これは断る理由が無い。

 次は森家の軍事を考える。森可成の領地は東濃にあり、飛騨国や信濃国と接している。国境防衛の最前線であり、緊急事態の際には速やかに援軍が欲しい。その最有力は隣の池田家である。もちろん恒興は援軍を出すだろうが、親戚ともなれば必死さが違う。特に嫁の実家で娘の嫁ぎ先ともなると、自分の領地を守る勢いで来るだろう。やる気が違う訳だ。

 最後に考えるのは森家の経済事情だ。森家の領地は山間部であり農地は限定される。木曽川沿いや谷間の僅かな平地に水田がある程度で収穫量は大した事はない。ならば儲かる特産品が欲しいのだが、そういう物は諸豪族が確保していて森家には無い。川沿いではあるので川並衆との繫がりくらいしか稼ぎがない状態だ。しかし隣の池田家は養蚕業に鉄工業を発展させ、商人とも深く繫がり、犬山を商工業都市として大成させている。森可成は犬山を羨ましく見つめ、恒興とは格が違うと思うしかなかった。それが嫁を出し合う仲となれば、森家は大手を振って池田家の事業に参画出来る。それこそ可成は恒興に何か出来る事はないかと聞くだけでいい。森家が参加出来そうな事業を恒興が上手く調整するだけである。


「その話、お受けしたく思います。しかし信長様の許可を取らねばなりませんね」


「心配は要りませんよ。私から信長様に手紙を書きましょう」


(……母上が信長様に手紙を出したら確定だニャー。前世の婿殿が今世では嫁殿になるのか。既に山賊3人を殺ったとか流石としか言えねーギャ。やっぱり前世同様にニャーが面倒を見ないとダメだニャー)


 恒興は前世の婿である森長可を思い出す。彼は面倒を嫌う武辺者の面があった。無意味な決まり事を無視する事があり、よく他人と衝突しては刃傷沙汰に及んだ。その度に自分が火消しに走り回ったものだと、恒興は懐かしく思い出す。

 森長可の有名なエピソードと言えばいろいろ有るが、性格が理解るのは取引所の話だろう。森家の領地において水産物を山間の取引所で商っていた。昔の領地区分だと水産物を商える場所が山間しか無かった。近くの平地部は他の豪族の縄張りだったからだ。しかし川漁師は周辺が広く森家の領地になっても山間まで行って水産物を商っていた。先人が作った決まりを守り続けるという思考停止に陥っていたのだ。長可はそれを止めさせた。『水産物は近くの市場で売るように』とわざわざ通達を出したのだ。それ以来、川漁師は近くの市場で商う様になり、何故あんな不便な山間まで行っていたのかと、やっと気付いたという。

 その無意味な事を嫌う性格は度々問題を起こしたが、恒興は彼を気に入っていた。恒興は武辺者が好きであったし、何より彼は妻のせんを大切にしていた。まあ、そのせいでせんは日の本初の女性鉄砲隊を組織して出陣したいと言うなど、ツッコミどころ満載の行動をしてしまったが。

 森長可に関しては苦労もしたが、恒興は婿の中で一番気に入っていた。その縁が今世でもあるのだろうと思う事にした。


「恒興、いいですか?」


「ええ、問題有りませんニャ、母上」


「おや?珍しく素直ですね」


「これも運命かもと思う訳ですニャー」


「??」


 勝の引き取りを素直に認める恒興を、養徳院は意外に思う。毎回、それなりに抵抗はしていたのに、と。まあ、恒興の全敗で終わるのだが。

 恒興はこれも運命と一人納得している。周りの者達は一切理解出来ないが、恒興が納得しているなら問題は無い。


「では恒興君、これからよろしく」


「ええ、こちらこそですニャー」


「それで、なんだけどさ……」


「ニャんです?」


「森家が池田家の近い親戚となったのだから、その、私としても恒興君を手伝うべきだと思うんだ。何かあれば頼って欲しいというか」


(ああ、『稼ぎ』が欲しい訳ニャー。東濃の良い利権は豪族に押さえられてるから。今回の遠征でも結構無理したみたいだし、森家が破産とかシャレにもならん。ガッチリ参加して貰おうかニャー)


 森可成は少し言い辛そうに、森家は池田家を手伝うと申し出る。それの意味するところは『何か稼げる事を回して欲しい』である。

 森家の経済事情が悪い事は恒興も把握している。犬山周辺の物流には恒興も気を配っているからだ。その中で森家からの物流がかなり鈍い事は気になっていた。恒興としても森家が衰退、破産、資金難というのはシャレにもならない。森可成は織田家の国境を守っているのだから。その森家がガタガタになるのは不安しか生み出さないのだ。

 恒興はこうなったら森家にもいろいろ協力して貰おうと考える。恒興にも依頼したい事はあったのだから、もう遠慮をする必要はない。


「それならニャーも三左殿に頼みたい事があるんですニャー」


「おお、どんな事だい?」


「まずは農地に出来ない山間部で荏胡麻を栽培して欲しいですニャー。荏胡麻油は今後需要が急速に伸びますので増産したいのです」


「信長様が行う噂の清油事業か。素晴らしい、参加させて貰うよ」


 まずは油の生産量増加だ。今が種植え時期なので、森家の山地で広く展開する事を提案する。農地は使わなくていいので、儲けはかなり上がる筈だ。何しろ森家の領地は山地だけは多いのだから。

 油の流通自体は恒興が仕切っているので、可成は荏胡麻を栽培してくれればいい。それを恒興が買い取るので、可成は難しく考えなくとも儲かるだろう。かなり理想的な『稼ぎ』となる。


「もう一つ、有りますニャー。実は犬山織の養蚕事業は可児村を中心にやっているんです。しかし商人からは更なる増産をせがまれていましてニャー」


「よ、養蚕事業に森家も絡めるのかい!?本当に!?」


「ええ、犬山織の増産には蚕の数を増やすしかありません。しかし、この蚕は桑を大量に消費するんですニャー。可児村周辺に養蚕事業が集中してますので、周りの山に桑を植林しているのですが増産となると足りないんですニャ。可児村の南はだいたい久々利領で手が出せません。西は犬山、北は木曽川。なので東側、森家の山を使わせて欲しいのです」


 森可成は養蚕事業にも参加出来るのかと驚く。何しろ池田家の犬山織は恐ろしい程の稼ぎを犬山にもたらしている。そこに森家が絡めるのは、どれ程の利益になるか予想も出来ないくらいだ。

 恒興としても商人から増産を依頼されているのだが、犬山織を増産するには人手も必要だが何よりも蚕の数を増やさねばならない。しかし、この蚕は結構な大食漢であり、繭になるまでにおよそ2kgの桑の葉を食べるという。なので桑の木を植林して増やす必要があるのだが、池田家の領地では植える山がもう無かった。こうなると恒興は平地に桑を植えるしかなかったのだが、今回の婚姻で森家の山を使う事にした。油と蚕、この二つは森家の大きな財源となるだろう。


「もちろんだとも。我々は親戚なんだから協力し合わないとね。任せてくれ、恒興君」


「よろしくお願いしますニャー」


 こうして森家の大姫である勝は池田幸鶴丸に嫁ぐ事が決まった。そして森家に油と蚕という利益をもたらし大姫としての役目も果たしたのであった。


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【あとがき】


 ご報告ですニャー。戦国時代というか明治時代が来るまで日本は基本的に『数え年』であります。つまり産まれたら1歳です。作者のべくのすけが忘れておりまして実年齢でこれまで表記しておりますので、「数え年?そんなものは無かったんだ!」を貫く事になりましたニャー。直すのめんどいとか、そういう理由ではないよ、ホントホント。


 池田軍団4人娘の三人目・森武蔵ちゃん(お勝)。人間無骨、坊主二十七首、射撃大会、(味方に)大立ち回りとエピソードに事欠きませんニャー。因みに(味方に)大立ち回りが武蔵守の由縁です。信長さんが「橋の上で暴れるとは武蔵坊弁慶みたいだな。よし、朝廷に奏上して武蔵守にしたる」って感じですニャー。自称じゃなくて正式任官です。

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