横山印の清油

 油場銭の廃止が決まって一週間が経過した。帝の勅令は直ちに実行され、宣下として発表された。勅令とは『直ぐに行う』という意味だからだ。そして油場銭が廃止された日の本は……何も変わらなかった。

 比叡山の僧兵達は知らぬ存ぜぬを通し油場銭を取り立てている。しかし織田家領内や織田家傘下では軍勢まで出動するので僧兵と対峙する事もある。流石の僧兵も完全武装の軍団と戦う気は無く、「本山に言い付けるからな!」と言い残して去っていくのみである。

 更には池田恒興が荏胡麻のままでも買い取る方式を始めたため、油場銭が取り立て出来ない事態まで発生している。織田家領内の油生産者は「荏胡麻を納めているだけだ。油場銭なら犬山から取り立てろ」と返すばかりになっていた。ここに来て漸く、比叡山の僧兵達もかなりの危機感を抱き始めていた。

 そして今日、織田信長が手掛ける安土の楽市楽座が開催された。開始早々に楽市楽座は商人でごった返し、あちこちで商売に励む声が挙がっている。その一角に威勢の良い若者の声が響き渡る。


「さーあ、安いよ、見てってよ。こちら『横山印よこやまじるし清油すみあぶら』で御座ーい。高品質、混ぜ物無し。灯しても煤は出ないし、料理にも使える横山印の清油で御座ーい!」


 その売り場こそ恒興の命令を受けて金森長近が手掛ける油販売所である。金森長近はこの店で販売する清油を『横山印の清油』と名付けた。油樽には予め織田家の家紋である『織田木瓜』と『菱形に横』の焼印を入れた。わざわざ名前と焼印を付けた事には狙いがある。名前を付ける事でこの油は他には無い唯一無二の物であると印象付ける為だ。現代で言うところの『ブランドイメージ』を付けようという訳だ。そして織田木瓜の焼印を入れる事で織田信長の名前を全国に宣伝すると共に、清油を安価で販売する織田信長は仁君であるというイメージ戦略も企図しているのだ。

 若者の威勢の良い声に各地から楽市楽座を見に来た商人達も反応した。


「ほ、本当か!?混ぜ物無しでこの値段なのか?」


「ウソだろ!?混ぜ物油の半値くらいじゃないか!?」


 集まった商人達は『混ぜ物無し』『価格』に驚くばかりだ。だがそこは商人、偽物なんじゃないかと疑いの眼差しを向けてくる者ばかりだ。油と混ぜ物も時間が経てば分離する為、酷い時は混ぜ物だけという状態も頻繁にあるくらいだ。

 そんな状況の油事情なのだから混ぜ物無しの安価な油など、商人達は疑惑の眼差しばかりを売り子の若者に向けた。それも若者は見越していたのか、樽の口を開けて油を桶に移し始めた。桶に流れる油を直に見てもらおうという訳だ。


「ほら、見てくださいよ、旦那さん方。この色、透明感。これが混ぜ物入りに見えますかい?」


「ううむ、透き通る黄金色こがねいろの透明。混ぜ物はまったく見えんな」


「おお、す、素晴らしい……」


 10人くらいの商人の目の前で油は流れていく。その透き通る黄金色の油に全員が見惚れていた。混ぜ物もゴミもまったく見当たらない。次第に全員が感嘆の声を挙げた。


「か、買った!樽でくれ!何樽買えるんだ?国元に持って帰って売りたいんだ!」


「私もだ!買う!」


「はい、毎度ありがとうございます。在庫はまだまだ有りますのでご安心を」


 商人達は我先にと油を買い付ける。若者は在庫はたくさんあるから慌てない様にと商人達を制する。この大繁盛振りに水を差す様な大声を挙げる者が現れる。


「皆、待たぬか!」


 年老いた、されど鋭い声に全員が振り向いた。そこには中年の使用人を一人連れたかなりの老人が立っていた。杖をつき、立派な白髭を蓄えた整った服装の老人、年齢は80歳を越えているかも知れない。


「これは老旦那さん。何か御座いましたか?」


「ワシの目は誤魔化せんぞ。混ぜ物無しでこんな値段になる訳が無い。必ず何か仕掛けがあるはずじゃ」


 この老人も質と値段が不審であると主張する。現物が目の前にあっても尚だ。売り子の若者はやっと現れたかと安堵する。商人なら警戒し過ぎる人もいるはずだ。その人が現れた時こそ『あの説明』を行う時なのだと若者は思っていたのだから。売り子の若者は恭しく頭を下げて問い掛ける。


「なるほど、老旦那さんはこの値段は不審過ぎると。そう仰いますか」


「当たり前じゃ!旨い話には裏があるものよ。若い奴らは騙せても、商人歴75年にもなるこのワシは誤魔化せんわ!」


 商人歴75年の老人、丁稚で働き始めるのは早くて5歳前後なので、やはり80歳越えている様だ。歴戦の商人の登場に油を買おうとしていた商人達も押し黙って、若者との対峙を見守る。


「老旦那さんはどちらのご出身で?」


土崎湊つちざきみなとじゃ。普段は土崎と酒田の間で商っておる。久々に敦賀まで来たら安土で楽市楽座なるものが開催されとると聞いて来てみたんじゃ」


 羽後国土崎湊は現代の秋田県にあった港町である。歴史は古く、平安時代の蝦夷討伐の為に築いた秋田城の物資補給港として造られた。北陸水運の北の始点として栄え、安東水軍の拠点としても有名である。この港町に東北地方北部から蝦夷地の財物を集積して、土崎湊から酒田、直江津、魚津と回り敦賀で終着点となる。土崎湊から各国の港町に寄港し敦賀まで来る訳だ。加賀国と能登国には寄らない。その二国には大型船が入れる港町が無い上に海賊の巣窟になっているからだ。その辺りが開発されるには、100万石の大大名が赴任してくるのを待つしかない。

 商人歴75年の老人は羽後国土崎湊から敦賀に来たらしい。そこで彼は楽市楽座の噂を聞いて見に来た様だ。なら時間的にもあの話題は知らないだろうと若者は思った。


「なるほど。では、ごく最近に帝がお出しになられた『勅令』はご存知ですかな?」


「何じゃと?いや、知らんが……」


「でしょうね。出たのは一週間前ですし。その勅令とは『油場銭の廃止』なんですよ。帝は平安期より続いた油場銭はもう時代遅れであるとの認識をなされ、織田信長様に新たな税制を整えるよう命令をお下しになられたのです」


「な、何じゃっとーぅ!?あの油場銭が廃止されとったのかーっ!」


 あの話題、それは『油場銭の廃止』の勅令である。この話に老人は目が飛び出そうなくらいに驚く。身体がポッキリと折れそうな程にリアクションをする老人に、大丈夫かな?と思いつつも若者は説明を続ける。


「そうです。だから我々は油場銭を払っていません。その分、安いのですよ。更に……」


「ゴクリ。さ、更に、何じゃ?」


「織田信長様は庶民の油事情の悪さを嘆き、織田領内全体で油事情の改善を命ぜられました。これを受けて横山周辺で大規模な油生産管理が実施されております。織田領内の各地にある油生産者はまず横山に油を卸すのです。そして横山の厳格な検査を通過した油だけが『横山印の清油』として販売される訳です。分かりますかな?この油に混ぜ物があったら、それは『織田信長様のお顔に泥を直接塗り付ける行為』に他ならないのですよ。お〜、怖い怖い」


 織田信長は油場銭の廃止を受け、一般市場に流れる油の質と価格の改善を命じた。これを受けて織田家では横山周辺で油生産管理を行い、質を検査し、集中管理を行う事で価格も引き下げる事に成功した。という建前を若者は真実であるかの様に語る。そこに主導している池田恒興の名前は無く、織田信長の名前しか出さない。これも宣伝工作の一つだからだ。

 そしてこの油に混ぜ物や価格詐欺があれば誰が怒るのか。そこにも織田信長の名前を出して、彼が不正を許さないのだと強調する。油の樽には織田家の家紋『織田木瓜』が焼印されているので、話の信憑性は抜群だ。

 老人は驚きのあまり、顎が外れそうなくらいに口を開き、背中を反り返らせて叫ぶ。


「な、何という事じゃあ……。これは油業界の一大革命じゃあああぁぁぁ!」


「あの、ご隠居様。落ち着いて下さい。お体に悪う御座います」


 老人の付き人らしき者が心配そうに忠告する。おそらくは老人の商家で働く奉公人であろう。


「バカモン、これが興奮せずにいられるか!ワシも、ワシも油を買うぞ!船一杯にして持って帰るんじゃーっ!あーっ、しかし敦賀までどうやって運べば……」


「心配ありませんとも、老旦那さん。あちらをご覧あれ」


「ん?」


 油を大量に買っても敦賀までどうやって運ぶか悩む老人に若者は後ろを見る様に勧める。老人が振り返ると、ちょっとした休憩小屋に筋骨隆々の厳つい男達が待機していた。


「どーも〜、老旦那さん。俺達に任せてくれよ」


「敦賀まで責任を持って運びますぜ」


「堅田衆の皆さんが待機しておりますので」


 織田家の傘下となった堅田衆は堂々と楽市楽座内に拠点を作っていた。ここから琵琶湖を北上する荷物の運搬仕事に素早く取り掛かるためだ。この楽市楽座拠点にそれなりの人数を配置し楽市楽座から近くの船着き場に荷物を運ぶ。荷物の内容により伝令役の者は拠点から早馬を出して、堅田衆本拠に応援を頼む手筈になっている。近江国の六角家と浅井家の争いが織田家の一人勝ちで終わったため、平和になった琵琶湖で稼ぐべく堅田衆の者達は気合を入れて臨んでいた。ライバルの菅浦衆が来る前に地歩を固めておきたいのだ。

 これが池田恒興が明智光秀に何度も急かして、堅田衆の説得に行かせた意味だ。堅田衆を使って『湖上輸送』を計画していたからだ。この『湖上輸送計画』を織田信長はかなり早い段階から持っていた。商業を発展させるには物流こそが大事だと考え、街道整備や川並衆の優遇などを行ってきた。その延長線として琵琶湖の水軍にも目を付けていたのである。


「おおお、至れり尽くせりじゃのう。買うぞ!油を売ってくれ!」


「私もだ!」「わしも、わしにも売ってくれ!」


「毎度あり!在庫は大量にありますから慌てないでくだせえよ」


 商人達は殆どが敦賀に船で来た者達ばかりだ。楽市楽座の東西には堺会合衆と津島会合衆がある。彼等は楽市楽座から買った体だけ取り繕って、直接取引しているので来る必要がないのだ。だから油販売所に来ているのはそれ以外、敦賀に船で来た商人達という訳だ。彼等は船がある敦賀まで荷物を運ばねばならない。敦賀まで運んでくれる体制まで整えている事で、商人達は次々に買い付けを行い販売所は大繁盛となった。

 盛況な声が挙がる油販売所から少し離れた場所で金森長近は店を見ていた。同じ様に見ていた金森家臣に声を掛ける。


「盛況の様だね」


「これは殿、清油は飛ぶように売れておりますよ。池田の大殿には増産要請を出したところです」


 どうやら油は問題なく売れている様だ。在庫の減りが早いので、家臣は恒興に追加発注を行ったとの事。順調な様子に長近は満足そうに頷き、販売所を眺める。その視線の先には、忙しく説明に立ち回るあの若者が映る。


「それはいいね。しかし売り子もなかなか商売上手じゃないか。ウチにあんな子が居たんだねぇ」


「あ、いや、アイツは……」


「アイツは?何?」


 長近が思ったのは売り子の素性だ。あの油販売所は現在のところ、金森家臣のみで営業している。これも販売の叩き台を作って信長の代官に渡す為だ。とはいえ、武士が商人の真似事をするのは抵抗があるので、信長の代官も人を雇うであろう。だからウチの家臣も売り子を雇ったのかな?と長近は思った。


「済みません、殿。紹介しようと思っていたんですが、遅れてしまいました。アイツは久兵衛きゅうべえと言いまして流れ者なんですよ。北近江出身とか言ってました」


「ほほう」


「3年程前に何かやらかして逃げたみたいで、金森村に流れて来た訳です。その後、ウチの雑色として使っていたんですが、何かと使えるヤツなんですよ。それで殿にも紹介しようと思っていたんです」


 長近が見知らぬ売り子の名前は『久兵衛』という。北近江の農村の出身で、村で何かをやらかして家出したらしい。その後、金森村で行き倒れていた久兵衛を金森家臣が拾って下働きとして雇っていたらしい。それが3年前の話で、久兵衛は働き者で才能もあるので、家臣は折を見て長近に紹介するつもりだった様だ。


「今、何歳くらいかな?」


「今年で15だと」


「良い歳だね。なら今回の油販売で成績が良ければ侍として取り立てよう。本人にも伝えておいてくれ」


「はっ!伝えておきます。久兵衛も喜ぶでしょう」


「また様子を見に来るよ」


「ははっ」


 長近は久兵衛を召し抱えると家臣に伝えた。というのも、長近はこの油事業を信長の代官に渡したら、小牧の経営が待っている。2万石の大領だ、金森家は池田家臣でありながら大名とも言える。それ程の大功を近江経略で挙げたのだ。

 しかし長近には昔から家臣が付いているものの、2万石を経営出来る程には人数が足りない。なので、縁のある優秀な者は取り立てようと思っていた。家臣から推挙される程なので、長近は久兵衛を召し抱える事にした。


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 京の都 細川邸

 楽市楽座に関する報告を受け取った男は何処の言葉なのか理解出来ない雄叫びを挙げた。


「ンjdghfれjkfkrhgsj♡fpsmfkshgんglkdnヽ(`Д´#)ノァァァアアアアアアァァァあああァァァアアアァァァーーーーーーーーー!!!!!!?!!??!!!☆」


「父上、落ち着いて下さい。人語を忘れないで下さい」


 理解出来ない雄叫びを挙げたのは細川晴元である。頭を上下に激しく動かして、踊りながら叫び散らしている。彼の息子である細川昭元は、父親に落ち着く様に宥める。


「たわけがあああぁぁぁ!!これが落ち着いていられるかあああぁぁぁ!!麿の、麿の確信的利益たる油場銭が廃止されたのでおじゃああああぁぁぁ!!」


「油場銭って、あんな悪名高い物が我が家の資金源なんですか!?」


「当たり前じゃあああぁぁぁ!!幕臣の殆どが関わっとるわあああぁぁぁ!!足利幕府創設当初からそうなっとるわあああぁぁぁ!!」


「ええェ……」


 足利幕府内の高級官僚であれば、必ず油場銭による賄賂を受け取っている。細川晴元も例外なく油場銭を資金源にしていた。この流れは足利家が京の都に拠点を置き始めた時からで足利将軍家初代からだと言ってもいい。足利家という巨大戦力を敵に回さない為の大山崎油座の生き残り策なのだろう。しかしその生き残り策の賄賂は常態化し、幕臣達の資金源となっていた。


「更に織田信長は『琵琶湖水運計画』なるものを開始したという。これは幕府に対する明らかな反逆じゃあああぁぁぁ!!」


「え?商業が発展する画期的な方法だと思いますが」


「アホか、お前はあああぁぁぁ!!敦賀と安土の間を全て船で渡られたら、琵琶湖西の街道が要らんコになるではないかあああぁぁぁ!!幕府の重要財源である関銭が無くなるじゃろうがあああぁぁぁ!!」


 織田信長が商業発展の為に思い描いた『琵琶湖水運計画』。そもそもこれは琵琶湖西の街道が関所だらけで商売の邪魔だったから思い付いた事なのだ。

 陸路では通行料がとても掛かる。なら水上運送はどうなのか?もちろん水上運送は昔からあった。しかし儲かる事には人がたかり、派閥が出来てバリバリに割れていく。結果、商売敵ライバルが多数現れて争う様になる。そして六角家と京極家や浅井家の争いもあり、纏める者が居ない水上運送は機能しなかった。その状態が瞬く間に織田家一強時代となり、織田信長が主導する事になったのだ。

 今まで商人達は琵琶湖西の街道を通り、関銭を何度も払う破目になっていたのだ。何しろ敦賀から京の都に入るまでに100近い関所がある。それぞれの関所で関銭を払う必要がある。これが幕府の重要財源であり、日野富子が関所をバカスカ建てて稼いでいたのだ。

 流石の信長も幕府が管理している関所を壊す訳にはいかないので、代わりの道として琵琶湖水運計画を実行したのである。信長としては商売の活発化を狙ってやっているだけで、幕府に損害を与える為にやっている訳ではない。ただ、商人が琵琶湖路を使うという事は、幕府に支払っていた関銭が無くなるという話になるのだ。


「おのれ、織田信長あああぁぁぁ!!もう手段は選んでおられん。今直ぐにでもヤツを消し去らねば!!幕府から追い出すなどと眠たい事は言っておられん!!このままでは幕府そのものが崩壊させられる!!」


(父上のエセ公家口調が消えている。本気で怒ってる証拠だ)


「……出掛けてくる」


「は、はい」


 叫び散らしていた細川晴元は途端に静かになったかと思うと部屋から出て行った。その背中は「付いてくるな」と暗に言っている気がした。細川昭元は父親の剣幕に気圧されて暫く動けなかった。

 邸宅から出た晴元は何処に向かうかを考える。


(信長を潰すには幕府から追い出し、その上で軍事力によって叩き潰さねばならん。油場銭の件で大きな被害を受ける者、政所執事の摂津晴門を抱き込むべきか。アヤツと協力すれば織田信長を幕府から追い出すのは容易い)


 摂津晴門は足利将軍家に仕える幕臣で、足利将軍家第13代将軍足利義輝に仕えていた。その後、三好三人衆とは決別し、逃亡中の足利義昭に仕える。朝倉家での義昭元服式も取り仕切ったという。上洛前から足利義昭に従っているという事からも、義昭の信任は非常に厚い人物である。


(軍事力はううむ、本願寺の動きが鈍い。どうせ小僧法主が戦争に反対しとるんじゃろう。下間頼照も当てにならんのう)


 信長を幕府から追い出す算段は簡単につく。しかし肝心の軍事力が出揃わない。特に期待していた本願寺の動きは鈍いもので、下間頼照を焚き付けたにも関わらず未だ動きは無い。おそらく法主や他の坊官の説得に手間取っているものと思われる。


(ならば朝倉家を動かすべきか。仰祇屋なら動かせるな。ヤツは過去の被害でワシを嫌っとるようだが、そんな事は言うておれんじゃろう。清油の販売でヤツは真っ青だからな)


 なら、という事で朝倉家を動かす事を考える。朝倉家の重要財源である敦賀は近江商人の勢力下なので、近江商人の実力者である仰祇屋仁兵衛なら動かせるだろうと予測する。彼には一度会見を申し入れて断られたが、もうそんな余裕は無いだろう。


(朝倉家が動く条件は加賀国の一向一揆が動かない事。それくらいは愚図の頼照でも出来るじゃろう。鈍亀の朝倉家と、ついでに木っ端の浅井家も動かすか。しかし頼りないのう。もう少し居らぬかな。クソ忌々しい三好三人衆はワシでは動かせん。逆に捕まってしまうからな。そういえば松永弾正が大和一国を得られなくなったらしい。使えるか?)


 晴元は朝倉家と浅井家を動かす算段をする。しかし織田信長の軍事力からすると簡単に対処出来るだろう。そこで他の勢力を使う事を考える。三好三人衆を使う事を考えるが、これは却下する。晴元と三好三人衆は敵対しているからだ。ノコノコと交渉に行けば捕まる可能性が高い。

 それならば松永弾正久秀はどうか?彼は大和一国支配の望みが恒興により(間接的に)断たれた。今頃は鬱屈とした日々を過ごしているに違いない。


(まずはこれくらいか。ゆくゆくは大大名の毛利、上杉、北条と使える手駒がおるではないか。ニョホホホ。良い絵図面を描けたでおじゃ。やはり麿は天才でおじゃる。世の中は『河☆内☆源☆氏』の為に回るのでおじゃあ)


 細川晴元は上機嫌な笑顔になり、ニョホニョホ笑いながら幕府のある本圀寺に向かって行った。


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 比叡山延暦寺山門前。

 山門の前は大きな広場になっている。ここから比叡山延暦寺に入っていく入口の一つとなる。この山門を横道に逸れて、麓の方に行くと悪僧達の溜まり場に辿り着く。そこは無秩序に建物が並び、何処から来たのか女性もたくさん居る。さながら戦国時代の歓楽街と言っても良い様相だ。ここが悪僧達の本拠地だ。彼等は比叡山の僧兵と名乗ってはいるが、実際に比叡山に居る訳ではない。その麓に集っているだけなのだ。

 その悪僧達は山門前の広場に6人程で担ぐ大きな神輿を持ってきて集会を開いていた。


「先日、朝廷が比叡山延暦寺の権利である油場銭を廃止した!日の本を、民衆を救わんが為に日々、仏法を護り正道を貫く我等に対してあまりの仕打ちではないか!」


「「「暴挙だ!」」」


 悪僧の一人が仰々しく演説している。おそらくは悪僧を纏めるリーダー格の様だ。彼は油場銭は比叡山延暦寺の権利だと言う。この事からも分かる通り、この悪僧のリーダーは油場銭が何なのかは知らない。悪僧達の中で知っている者は皆無だ。彼等は油場銭を金を貰う権利としか知らないのだ。先輩悪僧がやってきた事を引き継いでいるだけだからだ。


「この様な暴虐、我等は許せても御仏は決して許さぬ!この行為は仏法を蔑ろにしているのだ!」


「「「そうだ、そうだ!」」」


「これは御仏の御意志による義挙である。御仏は我等にお力添え下さるだろう!」


「「「その通りだ!」」」


 悪僧のリーダーは仏の名前を出して正義を主張する。これが宗教の恐ろしい点だ。神仏の名前を出せば、どの様な事柄も正義にする事が出来る。

 戦国時代の人々は信心深い。というか、人智の及ばない出来事に理由を付ける為に神仏という存在を出す。例えば雷という謎の現象は雷神様が起こしているからだと、こんな感じである。神仏が許さないとなれば許してはいけないのだと信じてしまう。完全に言った者勝ちではあるが、これが彼等の正義なのである。


「あの何も出来ない帝に教えてやるのだ!叡山に逆らったらどうなるかを!御仏の名において!」


「「「おおっ!」」」


「行くぞ!神輿を担げぃ!」


「「「おおっ!!」」」


 神仏に対しては帝など何するものぞ、と言わんばかりに悪僧のリーダーは声を荒げる。自分達、比叡山延暦寺に逆らえばどうなるのかを教育してやると。そして集会に集まった悪僧達は神輿を担いで京の都を目指して進んで行った。集会に集まったのは2、300人程度だが、途中で仲間の悪僧が合流して2000人程度の規模になる予定だ。これだけ居れば、皇居外周を囲むのに十分なはずだ。


 それを遠くから眺める者達がいる。比叡山延暦寺の山門を守護する僧兵達である。こちらの者達が本物の僧兵と呼ぶべき存在である。彼等は油場銭など関係が無いし、日々鍛錬に励み戒律を守り、比叡山延暦寺の山門を守護している。彼等からすれば自分達と悪僧連中を同列に置かないで欲しいと願っている。今回の集会も冷めた目で見ていただけだ。

 鍛錬から帰ってきた厳つい僧兵が山門に立つ若い僧兵に話しかける。


「はあ、今日は悪僧共がやけに五月蝿いな」


「何か強訴に行くらしいですよ、師兄」


「下らんな。奴等は他にやる事はないのか」


「でもアイツ等の方が我々より良い暮らしをしていると思うと」


 厳つい僧兵はやれやれと言った感じで京の都へ向かう悪僧達を眺める。若い僧兵は悪僧の方が自分達より良い暮らしをしていると愚痴をこぼす。真面目にやっているのに、馬鹿を見ている気になっているのだろう。師兄と呼ばれた厳つい僧兵は愚痴る若手を叱る。


「馬鹿者、山門守衛たる我々と奴等を同列に置くな。御山と戒律を護る我々が間違っている筈は無い。奴等が間違っているのだ」


「はあ、そういうものですか」


「拙僧もその通りだと思いますよ」


 気のない返事をする若手の後ろから声を掛けられて、二人は振り返る。そこは山門の入口、ちょうど山から下りてきた感じの若い僧侶が居た。歳の頃は二十代半ば、整った顔立ちと禿頭、黒い法衣に左肩から袈裟を着用している。つまり彼は比叡山延暦寺で正式に得度している高位の学僧である事を示している。厳つい僧兵は自分よりも遥かに高位の人物が現れて、慌てて言葉を直す。


「おま、いや、貴方は御山の学僧の方ですか?」


「玄以と申します。騒がしさに釣られて来てしまいました」


「そ、そうでしたか。これはお恥ずかしいところを見られてしまいました」


「君が恥じ入る必要はありませんよ。この光景はずっと昔からですからね」


 厳つい僧兵は悪僧達の行いを恥じ入るも、玄以と名乗る僧侶は柔らかく受け答えをする。そして玄以は山門の先にある麓の歓楽街を見て嘆息する。


「……何故、こうなってしまったのでしょうね」


「はあ、昔から故によく理解りません」


「時々思います。伝教大師の理念がどうしてこうなるのか。理念が間違っているのか、場所が悪いのか、仏教自体が元々こうなのか。悟りに到らぬ我が身では答えに辿り着けません」


 伝教大師とは最澄上人 (以降敬称略)の尊称である。最澄は奈良時代に産まれ平安時代にかけて活躍した僧侶である。彼は官僧として超が付くエリートであり、延暦23年に遣唐使に加わる。この時の遣唐使には後の弘法大師・空海上人 (以降敬称略)も参加している。この頃の二人の評価を野球で例えれば、超エリートの最澄がエースで4番、努力家の空海はベンチ裏のブルペンキャッチャーくらいか。

 二人は4隻の遣唐使船に乗った。空海は第一船に、最澄は第二船に乗船し、更に第三、第四船が続いた。だが一行を嵐が襲い、空海の乗る第一船は航路を大きく外れるも何とか唐朝に辿り着く。最澄が乗る第二船はかなりの損害を受けながらも目的地の港町に到着。しかし第三、第四船は遭難、おそらくは沈没したものと思われる。一歩間違えば、日の本に比叡山延暦寺も高野山金剛峯寺も無かったかも知れない。それ程の危険を冒してでも、彼等は唐朝の最新仏教を学びたかったのである。

 しかし唐朝に着いた二人は明暗がひっくり返る事になる。最澄は唐朝の勉学について行けなかった、言葉を習得する事が出来なかったのだ。その一方で空海は唐朝の言葉を直ぐに習得し、唐朝で「天才現る」と評判になった。日の本で『エースで4番』と期待されていた最澄は落ちぶれていき、期待されていない『ブルペンキャッチャー』の空海は「唐朝で働かないか?」と誘われる程であった。

 この遣唐使で味わった絶望こそが『最澄の理念』へと成長する鍵となった。それは「才能の有無で救う救われないが決まるなどあってはならない。仏教が人を救うというのなら、皆を救わなければ只のまやかしじゃないか!そう、仏教において『人は皆、救われる権利が有る』んだ!」という思いである。

『人は皆、救われる権利が有る』。これが『最澄の理念』であり、帰国した彼が開いた比叡山延暦寺はこの理念を体現したものである。どんな人間にも救われる権利が有ると、どんな人にも救いの手を差し延べたのだ。こうして最澄は声望を高めて行き、仏教界にその名を刻んだのである。

 ここで話が終われば綺麗なのだが、そうはいかない。この『最澄の理念』は最澄の死後も続けられた。そして次第に組織のはみ出し者や犯罪者、極悪人までも救うというか匿う様になる。それらが悪僧となっていき、比叡山は巨大武装勢力へと進化を遂げる。

 そうなると必要なのは『資金』である。最澄が唐朝から持ち帰った経典や技術、いろいろな組織のはみ出し者が持ち込む技術、更に犯罪者や極悪人が持つ犯罪や詐欺の技術などが合わさり、比叡山は『大学+工場+銀行+犯罪組織』という何とも形容出来ない大怪獣になってしまったのである。この大怪獣は戦国時代でも猛威を振るい続けている。

『空海の理念』についても少し触れよう。彼は唐朝で天才と持て囃されたが、本人は驕る事無く修行に励んだ。しかしこの成功体験が空海の理念に影響を及ぼしたのは言うまでもない。「唐朝で成功したのは一重に努力の賜物だ。努力こそが私を遣唐使にし、唐朝での成功に繋がった。そう、仏教において『個人の努力こそが悟りの道を切り拓く』のだ!」と。この理念を体現した場所が高野山金剛峯寺であり、最澄の天台宗と比べると空海の真言宗がイマイチ流行らない理由でもある。

『個人の努力こそが悟りの道を切り拓く』。この言葉を裏に返すと『努力出来ないヤツは無駄だから辞めろ』になるのだ。その為か、高野山での修行は開山当初からかなり厳しいもので、そもそも付いていける人間は一握りしかいなかった。その果てに辿り着く修行は最強の捨身修行『即・身・成・仏』なのである。……断食修行ですら仏陀は泣きながら逃げ出したのに、空海はその上を行ってしまった。貴方は付いて行けますか?という事だ。


「我々には過ぎたお話です。私は学の才が有りませんので、御山を護る事で精一杯です」


「いえ、お勤めご苦労様です」


(この状況はいつまで続くのか。私は無力なのか)


 玄以は変わらぬ比叡山の現状を嘆く。これを改善出来る力は自分に無い事も理解している。しかし、もし、この状況を打破出来る人物が現れたのなら、自分も出来る限りの力添えをしたい。玄以はそう考えながら、比叡山に戻っていった。


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【あとがき】


 いつも御意見御感想、誠にありがとうございますニャー。

 幾人の方から『こうして欲しい』『こうなる事を希望』などの御意見を頂く事がありますニャー。べくのすけと致しましては参考にはさせて頂きますが、添いかねる場合も多々御座いますのでご了承頂きたく存じますニャー。と言いますのも、この小説は『歴史』を題材にしておりますので開始当初から『歴史認識』に対する批判は多かったです。更に『TS問題』でも批判が殺到し、べくのすけは悩み疲れて何度も筆を折りかけました。その果てに悟りました。『この小説は無価値である』と。ネガティブな意味ではありませんニャー。

 べくのすけも人並みに認められたい欲求は有ります。書き始めた当初は書籍化に憧れた事もあります。しかし、べくのすけにプロになれる程の才能は有りませんので、コンテストに出しても掠りもしない訳です。だから気付いたというべきか、『この小説に商業価値は無いのだから、好きに書けばいいんだ。金銭的価値が無いなら責任も発生しない。この小説はべくのすけの自由帳だ。書きたきゃ書け、嫌なら辞めろ。たったこれだけだ』と。これがべくのすけが到った悟りです。その為に数ヶ月書かずにゲームしてた事もありますが、結局また書いておりますニャー。

 何が言いたいのかといいますと、べくのすけは金銭は頂いておりませんので、小説に対して責任など負いませんし、誰かに忖度する事もありません。金銭的価値の無いこの小説はべくのすけのモチベーションのみで書きますニャー。『書きたきゃ書け、嫌なら辞めろ』の精神です。

 最後にこの小説に著作権など存在しません。この小説内のアイデアを使ったりコピペするなどはご自由にどうぞですニャー。寧ろ、それが良い作品を作る事に寄与出来れば、べくのすけとしては本望ですニャー。

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