未来から来たって本当かい?

 筒井軍、敗北。

 この報告は池田恒興に敗北した森志摩守の兵士数人によってもたらされた。そして池田恒興がそのまま筒井城に迫っている事も併せて報された。

 それを自分の叔父である筒井順政から報告された筒井順慶は愕然とした。絶対に勝てると言われていたからだ。


 筒井順慶。

 筒井家当主ではあるが今年で13歳の少年である。僧侶の袈裟は着ているものの、髪は剃っていない。髷も結っていないため、ボサボサの髪形をしている。

 そもそも『順慶』と名乗ってはいるが、それは予定されている得度した時の名前であって、彼はまだ出家していない。故に本来は『筒井藤政』で、髪を剃っていないのもそのためだ。ただ決まってはいるので既に『順慶』を名乗っている。


「え?左近達が負けた?何で?絶対に勝てるんじゃなかったの?」


「織田家じゃ。松永弾正め、織田信長を呼び込みおった」


 今回の戦いにおいて筒井軍は最初から集結していた。筒井順慶は本気で和平交渉に行ったが、軍団指揮官の島左近はいざという時の逃走路を設定し順慶に伝えた。そして松永久秀に気付かれずに逃走路の付近へ軍団を移動させた。

 その後の行動は語った通り、島左近率いる筒井軍は松永久秀を多聞山城に追い詰めた。この報告に気を良くした順慶の叔父である当主後見役・筒井順政は筒井城に残る全軍を森志摩守に預けて決着をつけようとしたのだ。戦力差、状況からいっても必ず勝てるレベルだ。

 ……唯一の誤算と言えば、織田家の池田恒興が恐ろしい速さで進軍して来て、筒井軍を丸ごと撃破した事くらいか。致命的だが。


「……だから俺、止めようって言ったじゃん、順政叔父さーん」


「やかましいわい、順慶。お前に戦のイロハは分からん。勝てるはずだったんじゃ」


「思いっ切り負けてんじゃん!どうすんのさ!?」


「どうするも籠城するしかないじゃろ?」


「どうやって!?勝てるとか言って兵士根刮ぎ連れてったじゃんか!」


「そう言われてものぅ……」


 順慶の言う通り、筒井城には現在100人程度の兵士しか残っていない。1000人強は居たのだが、森志摩守と共に援軍として送ってしまった。

 戦いに負けたにしても兵士達が戻って来たなら籠城は可能だろう。しかし戻って来たのは森志摩守の兵士が数十人のみ。島左近の兵士は未だに戻れていない。池田恒興が筒井城に迫っているので、もう戻らないと見るべきだ。

 自分の叔父の自信の無い答えに順慶は顔面蒼白となる。流石に彼でも自分がどういう結末になるかが理解出来る。


「織田家が……俺を殺しに来る……?い、嫌だ、死にたくない!嫌だーっ!!」


「落ち着け、順慶。……って、何処に行くんじゃー、順慶ー!?」


 順慶は部屋を飛び出した。それどころか城門まで突破して外に出て行った。後ろからは叔父の筒井順政が、気付いた重臣達が、少数の兵士達まで彼を追い掛けた。

 順慶は必死に走り、彼等を突き放して行った。人間、命の危険があると驚く程の力を出す時がある。この時の彼は誰よりも速かったという。

 ただ、彼は闇雲に走っているのではない。明確な目的地が彼にはあるのだ。


「そうだ、興福寺だ。興福寺に行こう!あそこなら先生達が匿ってくれる。もう髪剃って坊さんになろう、そうしよう!こんな戦争とはオサラバだー!」


 大和国興福寺。

 鎌倉時代には大和国守護職さえ持っていた大和国最大武装勢力。現在に至っても大和国守護職が置かれないのは、この興福寺が健在だからだ。

 武装勢力というものの、その武装は自衛が主な使い方であり、無闇に振るわれる事は無い。故に筒井家と松永家の戦いも『武家同士の争い』と見做して干渉はしなかった。精々、交渉を仲介する程度だ。

 とはいえ、順慶自身が興福寺に入れば匿ってくれるだろう。織田家が順慶の身柄を求めても拒絶して戦争も辞さない構えを取ると予測される。順慶は興福寺で学んでいた時期があり、興福寺院主をはじめ、何人も学問の師が存在する。彼等、興福寺側からすれば筒井順慶は興福寺の一員なのだから守ると直ぐに決断するはずだ。

 順慶はその事を認識していた。興福寺の師から「戦争には加担出来ないが、お前だけなら幾らでも守れる」と言われていた。

 だから筒井順慶は興福寺への最短の道をひた走った。自分が生きる道はコレしかないと。だが、その道は黒甲冑の騎馬武者によって塞がれていた。

 そのうちの部隊長らしき男に止まれと言われ、順慶はムッとした。自分は急いでいるのに、筒井家当主たる自分を止めるとは何様だ。何処の家臣か知らないが無礼にも程がある、と。


「ぶ、無礼だぞ!お、俺をつ、筒井順慶と知っての狼藉か!?」


「……成程、貴殿が筒井順慶殿でありますか。お迎えに参上仕りました」


「俺を迎えに?え?アンタ、誰?」


 順慶は迎えに来たと言われて、初めて認識した。いや、未だに認識出来ていないと言うべきか。即ち「この武者は何処の誰か?」だ。

 ここは筒井城と興福寺の間、完全に筒井家の勢力圏。そこに居る武者なのだから筒井家の誰かの家臣だと順慶は勝手に思っていた。だが、同時に順慶は全身、黒甲冑の部隊など見た事がない。馬まで甲冑を着けている部隊など聞いた事もないのだ。


「失礼。私は織田家犬山城主・池田恒興が臣、飯尾源右衛門敏宗と申す」


「敵の人だったーっ!!?」


 順慶が見た事ないのは当然だ。武将の名前は飯尾敏宗。率いる部隊は飯尾家騎馬武者隊100名。恒興の投資により全員に黒甲冑が支給され、馬まで甲冑を着けている者達。

 彼等は恒興の命令で先行して、興福寺に到る道を封鎖しに来ていたのだ。速さを重視したために徒士は連れておらず、騎馬武者100名のみではあるが。


「ご抵抗はなさいませぬ様。こちらも手荒な真似は控えとう御座います故」


「あばばば……」


 敏宗は静かに穏やかに丁寧に応対する。しかして確かな闘気をその身から発する。これだけで順慶は酷く怯えた。

 その後に坊主頭の男を先頭にした一団が順慶の下に到着する。彼を追い掛けてきた筒井順政と重臣一同である。息を切らせてヘロヘロになりながらやってきた。


「おーい、順慶。はぁはぁ、やっと追い付いたぞ。全く、いきなり走り出すでない。はぁはぁ……」


「……あ、順政叔父さん……」


「ふぅ。まあ、興福寺に行くのは良い案じゃ。筒井城は一旦諦めて再起を図るとしよう。なぁに、そんな泣きそうな顔をするな。池田恒興が居なくなったらゲリラ活動して全部取り返すわい」


「あ、いや、順政叔父さん。そうじゃなくて……」


「ところで順慶、お前一人で出たのではなかったのか?この兵士達はいつの間に集めた?というか、こんな黒甲冑の集団なんぞ居ったか?」


 そこまで話して順政は周りを見渡す。そこには黒甲冑の武者、黒甲冑の武者、黒甲冑の武者。クドいくらいに黒で統一した武者達が周りに居る。はて?こんな連中が何処に居たのか?と順政が考えていると、順慶が絞り出す様に答える。


「……織田軍だって……この人達……」


「は?え?ま、マジ言うとるのか?」


「申し遅れました。池田恒興の家臣、飯尾源右衛門敏宗に御座います。申し訳ありませんが喋っている間に囲ませて頂きました。無駄な抵抗はお止め下さいますよう」


 敏宗は順政が興福寺に逃げた後の計画を気持ちよく喋っている間に部隊を展開させていた。黙って見ている訳がないのだ。

 既に逃げられないくらいに囲まれている事を悟った順政は激昂した。敏宗の前でへたり座りしている順慶に。


「……いきなり捕まるとか何やっとんじゃーっ、順慶ー!」


「しょうがないじゃん!俺より早く居たんだもん!」


「じゃから迂闊に動くなと前々から言っとるだろうが!この迂闊な気狂いめ!!」


「あ!また言いやがったな、クソ叔父!俺の事を『気狂い』って!」


「気狂いを気狂いと言って、何が悪いんじゃ!子供の頃から変な事ばかり言いおって!やれ『ぱそこん』がどーだの、やれ『てれび』がどーだのと。いい加減、聞き飽きたわ!」


「んだとぉーっ!」


 筒井順慶は普段から訳の分からない事を言うので叔父の順政も頭が痛かった。夢で得た様な知識を披露しては、実際には何も出来ない。いつしか、周りは彼の事を『気狂い』扱いしていた。

 そんな目で見られて順慶も我慢が出来なくなっていた。どう考えても尊重されてないのは、ひしひしと伝わってくる。故に二人は衝突する事もしばしば、今回の様に順政が勝手に兵士を動かす事もある。


「ご両人、そろそろ捕縛させて頂いてもよろしいか?」


「「あ、はい……」」


 こうして飯尾敏宗は筒井順慶他、重臣諸共に捕らえる事に成功した。


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 一方、恒興はもぬけの殻となっていた筒井城に入城していた。それと同時くらいに飯尾敏宗から筒井順慶捕縛の報が届き喜んだ。無事に筒井順慶を捕縛した事も喜ばしいが、それ以上に子飼いの家臣である飯尾敏宗が大功を立てたのが嬉しい。何しろ最近は美濃衆が前に出る事が多い。必然的に犬山衆が後ろに回り気味であるため、犬山衆は弱いと思われていないか心配だったのだ。

 それに飯尾敏宗は恒興の家臣の中では最大領地を保有している。それは飯尾家が元々、領地持ちの豪族だからだ。恒興の家臣は○石とそれぞれの給料が示されているが、実際に領地を持っている訳ではない。領地を貰っても家臣が少ないため、治めるのが困難なのだ。それに加えて池田家の内政も割り振られているのだから無理というしかない。

 土居清良や渡辺教忠の様に試験的に持たされている者も居るが、基本的には○石分の給料を貰っているだけだ。土居清良や渡辺教忠が領地を持っているのは四国出身の部下を統率する事や、領地経営を実地で学ぶ為でもある。

 飯尾敏宗も当初は領地を持っていなかったが、飯尾本家を継承するにあたり、本家の家臣も継承したので領地が必要になった。今回の功績で飯尾家はかなり加増されるし、筒井順慶を捕縛した敏宗の名前は近隣に鳴り響くだろう。陪臣(家臣の家臣)でも出世出来る織田家という風評も手に入るし、これ程の武将を従える恒興自身の名声も更に上がるというものだ。

 恒興は広間で到着を待った。程無くして敏宗に連れられて筒井順慶が現れる。十代前半の若さで僧侶の袈裟は着ているものの、頭は剃っておらずボサボサ頭だった。彼はフラフラと歩きながらブツブツと何かを喋っているようで、心ここに有らずといった感じだった。目の前に居る恒興を認識しているかも怪しい。


「ニャーは織田弾正忠が家臣、池田家当主・池田勝三郎恒興だ。お前が筒井順慶かニャ?」


「もうダメだ、もう終わりだ。死にたくない、何で俺がこんな目に……ブツブツ……」


「おい!聞いてんのかニャー!?」


 恒興が怒鳴った事で筒井順慶はビクッと反応した。自分が置かれている現状を把握した様で、恒興を見て泣き出しそうな顔で笑っていた。精一杯の強がりだなと恒興は感じたが、順慶からはとんでもない発言が飛び出した。


「お、おおお俺は知ってんだぞ!『織田信長は本能寺で死ぬんだ』。へ、へへ、ざまぁみろってんだ!」


「ニャんだと?」


 織田信長は本能寺で死ぬ。

 たしかにその通りで半ば常識とも言える。問題は……まだ起こっていないので、誰も知らないというところだろう。恒興の顔はより一層、険しくなる。

 だが他の者達にとってはまだ未知の話だ。故に「何を言ってるんだ?」と首を傾げるだけだ。家臣として列席している加藤政盛や加藤教明もいまいち理解し切れない。


(……何だ、コイツは?気でも違うのか?今から信長様を本能寺で殺すと言いたいのか?たしかに本能寺は京の都にあるが……不可能だろう。自分の状況が分からないのか?)


(いや、それよりもこんな事を言われたら殿が怒り狂うのでは御座らんか?命知らずな。いざとなったら殿を止めねば)


 加藤教明の心配は的中した様で、恒興は険しい顔そのままに立ち上がり、順慶の所まで歩み寄る。


「おい、テメェ」


「ひぃ……」


「ちょっと来い。話があるニャー」


「いででで」


 順慶の前まで来ると、恒興は彼の胸ぐらを掴んで連れて行こうとする。それはマズイと感じた加藤教明が恒興を止めに入る。筒井順慶は筒井家当主、戦場での討ち死にでもない限り、信長の命令無しに殺す事は出来ないのだ。


「殿、殺めるのは不味う御座います!」


「殺したりしねーよ、話があるだけだニャー。誰も近寄らせるニャ、分かったな!」


 恒興は教明に人払いの命令を出し、順慶を引き摺りながら別室へ向かった。

 部屋に着いた恒興は襖を開き、その中に順慶を転がす様に押し込んだ。


「な、なんなんだよ、もう……」


「おい、お前、誰だ?ニャんで未来の話を知っている?」


「え?」


 恒興は襖をパンっと閉じる。二人きりになったところで、彼は本題に入る。即ち、この『筒井順慶』を名乗る人物は何者か、だ。

 例えば恒興とて『今世の池田恒興』ではない、『前世』と『今世』の違いは本人にしか判らないだろうが。だからこそ筒井順慶が『本能寺の変』を口にした事で、自分と同じ現象が起きたのかと確かめようと思ったのだ。


「『本能寺の変』だニャ。何で知ってんだって聞いてるんだよ」


「えーと、そのぉ……」


「それが未来の話だってのはニャーも知ってるんだ」


「ま、まさか、君も?」


「ああ、ニャーは未来から転生してきた」


「そうか、そうだったのか!俺達は仲間だったのか!」


 未来から転生してきたと語る恒興を見て、順慶はパッと顔を輝かせる。見知らぬ異郷の地でたった一人の同胞と出会う。彼の心境はそんなかんじだ。


「いやー、やっぱり俺だけじゃなかったんだ。良かった〜」


「あん?」


「恒興くんもアレでしょ。結構苦労したんじゃない?もう常識違い過ぎてさ〜」


「お前、いきなり馴れ馴れしくなったニャー」


 すっかり緩みきった顔で順慶は肩に手を掛ける。まるで長年の友人の如く。普通に無礼ではあるが、情報が欲しい恒興は不問にしておいた。


「いや、だってさ、未来から転生したの俺だけかと思ってたからさ。仲間が見付かって嬉しいんだよ。恒興くんはネットもテレビも無い世界で何してるんだい?いいのあったら俺にも教えてよ。基本的に暇だしさ」


「『ねっと』?『てれび』?ニャんだ、それ?」


「え?無い訳ないよね?スマホは?ケータイとかは?」


「知らんニャー」


「ウソだろ?無い訳が……」


 恒興は『ネット』なる物も『テレビ』なる物も知らない。当然ではあるが。そして『ネット』も『テレビ』も『スマホ』も『ケータイ』も一切知らない恒興に順慶も驚愕する。

 この二人はある種、同じ勘違いを起こしている。つまり相手が自分と同じくらいの未来からやって来ていると。恒興も目の前にいる筒井順慶は、前世で病死した筒井順慶が乗り移ったと考えていた。自分と同じ様に。それなら『本能寺の変』を知っているのは道理となる。

 しかし激しく違和感を覚えたので、恒興は一応確かめる事にした。


「……お前、いったい『何時』から来たんだニャー?」


「2021年だけど」


 順慶はあっさり答える。だが恒興は怪訝な顔しかしない。何故なら2021年というのは『西暦』であって、現在の日の本には無い概念だからだ。


「何時ニャんだよ、それ!?元号は?」


「令和」


「知らねーギャ!その前は!?」


「平成」


「知らんニャ!」


「昭和、大正、明治!」


「全然、知らねー!その前は?」


「もう分かんないよー。恒興くんは何時から来たのさ!?」


 順慶は元号と言われても明治までしか知らない。それはそうだろう。一般的に明治までの元号には『時代』と付くため、歴史的な区分として教わる。だから覚えている人は多い。だがそれ以前となると『江戸時代』という区分になるため、知らない人が大半だろうし、覚えてる意味もあまりない。


「天正12年だニャー。今から30年くらい先だ」


「ごく最近の人だった……」


「30年がごく最近だと?だからお前はどれくらい先から来たんだニャ?」


「えーと、『江戸幕府』が1600年だったよね。つまり……400年以上先から来ました……」


 恒興の予想は大幅に外れていた。この筒井順慶は前世とはまったく関係無い場所から来た別人であった。しかも400年以上未来から来たと自己申告した。

 因みに江戸幕府成立は1603年で、1600年は関ヶ原の戦いである。テストでは☓になるので気を付けよう。


「はああぁぁ!?400年!?マジかニャ?……『江戸幕府』って何だ?江戸って武蔵国か?」


「武蔵国って……あ、そうか、だから武蔵野とか武蔵小杉とかあるのか。たぶんソコだよ。徳川家康が幕府を開くんだ」


 恒興も江戸という場所は知っている。江戸城もあるし、昔から戦場となる事があるからだ。順慶は旧国名である『武蔵国』は知らないが、東京周辺に『武蔵』が付く地名が多数有るのでそうなんだろうと思った。

 しかし順慶の言に聞き捨てならないものがある。『徳川家康が幕府を開く』だ。恒興は小牧長久手の戦いまでしか記憶を持っていないため、徳川家康が結局どうなったかは分からないのだ。しかし結果として生き残り、幕府を開くまでになったという。ならば敵対していた羽柴秀吉や織田家の面々は滅ぼされたのであろうか。家康が幕府を開いたという事は担がれていた織田信雄は失脚したという事になる。


「徳川家康?アイツが!?うーん、たしかに長久手の戦いの時点で結構な勢力を持っていたがニャー。じゃあアイツが織田家を潰したのか?」


 なので恒興は徳川家康が織田家を潰したのだと思った。当然だ、家康が権力を保持しようと思えば対抗馬となり得る者は根刮ぎ潰す。家康の性格云々ではない、権力者とはそういう行動に出る。この逆の行動をする者に名君は意外と多いものだが。

 だが恒興の予想とは裏腹に、順慶の口からは意外な人物の名前が出た。


「えーとぉ?たしかその前に『関白・豊臣なんちゃーら』が日本を支配したんだ。たぶん、そっちじゃないかなぁ」


「誰だよ!その『関白・豊臣なんちゃーら』って!?関白!?関白が何で日の本を支配出来るんだ!?意味が分からねーギャ!豊臣?知らニャいぞ、そんな家名!」


 話は恒興も思い掛けない方向へと転がる。順慶が言うには小牧長久手の戦いの後に『関白』による日の本支配があるという。小牧長久手の戦いまでの記憶しかない恒興にはどうやったら関白が、朝廷が復権出来るのかが想像もつかない。そして『豊臣』という姓にも聞き覚えが無い。


「あ、ごめん。関白じゃなくて『太閤・豊臣なんちゃーら』かも」


「一緒だニャー!『太閤』は関白を隠居したら貰う尊称だ。ニャーが知りたいのは『なんちゃーら』の部分だーっ!」


「スイマセン、シリマセン」


「ニャんでじゃー!!?」


「歴史、苦手だもーん!一夜漬けでテスト対策するだけだもーん!」


「言ってる単語はよく分からんが、お前が情けない事だけは伝わってきたニャー」


 順慶の情報からとりあえず分かったのは、日の本の支配者が織田信長→豊臣なんとか(朝廷)→徳川家康となったという事である。それを踏まえて恒興は思索してみる。


(えーと、順番的には本能寺の変が起こってから長久手の戦い、関白の日の本支配で徳川家康の幕府。こんな感じかニャー。流れ的にはおかしくニャいか。ニャーが死んだ後、朝廷が盛り返した訳だな。そんで家康が武家政権を樹立する事で朝廷を抑えたと。まんま南北朝の争乱じゃねーギャ。……て事は、秀吉のヤツ、負けたのか?いや、ドロ沼になって朝廷の介入を受けたが自然かもニャー)


 恒興は予測する、小牧長久手の戦いの後に朝廷勢力が復権したのだと。これは自分にも責任があるなと思う。おそらく小牧長久手の戦いで恒興が家康に負けた事で、戦争がドロ沼化したのだ。流石に秀吉が負けたというのは無いと思う。恒興が居なくても兵力は圧倒的に勝っていたのだから。

 ただ、戦争がドロ沼化したため、朝廷から『豊臣なんとか』が介入し、劣勢である徳川家康は乗ったのではないかと思われる。その後は簡単だ、反織田家の大名も集まり、朝廷が一大勢力となり、その過程で織田家は徐々に潰されたのであろう。反朝廷の旗頭になれる織田家を生かしておくとは思えない。

 だが時が経てば公家政治が欠陥である事が露呈する。そうなった時の武家の第一人者が徳川家康だった。周りの大名は彼を担ぎ、朝廷を抑え込んで幕府成立。

 こんな感じではないかと、恒興は予測した。そのまま南北朝の争乱じゃないかとツッコミも忘れない。


(問題は『豊臣』って公卿だ。そんな家名は聞いた事がニャい。だいたい関白は五摂家しかなれないはずだニャー。五摂家の人間なら自分の家名を名乗る。なら豊臣なんちゃーらは五摂家の人間じゃない。成り上がり?成り上がれるのか、あそこは?)


 ここでキーとなるのが関白の『豊臣なんとか』という公卿であろう。恒興は豊臣という姓に聞き覚えは無いし、小牧長久手の戦い時点で朝廷側が織田家に何かを言える態勢は無かったはずだ。もしも小牧長久手の戦いに介入したとして、徳川家康が同調したとしても織田家の優位は揺るがないはずだ。

 だとすれば、それを揺るがした『豊臣なんとか』は凄まじい政治力を持っているのだろう。おそらく織田家の力に対抗するために、他大名をかなり味方に付けていたに違いない。となると小牧長久手の戦い以前から動いているはずだ。関白となってから姓を豊臣に変えた、可能性は低いが無いとは言い切れない。あとは政権確立の手法さえ解かれば、と恒興は思い順慶に聞いてみる。


「その豊臣なんちゃーらはどうやって日の本を支配するに到ったんだニャ?」


「さあ?」


「お前、そこ重要なところじゃニャいのか」


「歴史の授業はだいたい文化的な所と政治政策がメインだからさ。眠くなるよ」


「政体の移り変わりすらやらねえって、お前らはいったい何を学んでんだニャー」


 役に立たなかった。半ば予想は出来ていたが、この順慶の知識は至る所が中途半端なのだ。しかたのない事ではあるが、学校の教科書には戦争の歴史はあまり書かれない。日本に重大な影響があった戦いは書かれるものの、それでも少数と言える。戦国時代辺りは応仁の乱から戦国大名の発生、そして織田信長の登場くらいで終わりだろう。その後は城の建築様式や絵画、茶道の隆興など『安土桃山文化』に入る感じとなる。関白がどの様にして政権を握ったかなど学ばないのだ。


「そういう恒興くんは学んでるのか?」


「当たり前だニャ。平家物語に吾妻鏡、太平記は武家必須教養だぞ。関白の日の本支配はいつ頃ニャんだ?」


「えーと本能寺の変が1582年で江戸幕府が1600年だから、その18年の間かな?」


「本能寺の変が1582年?よく分からんが、そんな所はちゃんと覚えてんのニャ、お前」


「『1582』本能寺の変だから」


「十五夜?本能寺の変は秋に起こった訳じゃねーギャ」


「語呂合わせだよ、テスト対策の」


 順慶が本能寺の変を知っているのはただのテスト対策である。とりあえずそこで織田信長が死去したのは知っている様だが、恒興は詳しい内容を知っているか試す事にした。


「そうか。じゃ、本能寺の変を誰が起こしたかは知っとるのかニャー?」


「む、そこはテストに出たぞ。たしか……あ、アイダさん?」


「誰だニャ、アイダって!?」


 ……そして彼の知識は当てにならない事が確定した。その事は恒興も痛いほど認識した。


「ニャるほど、表面だけ学んで内容は学ばないんだな。ま、いいや。先を知っても意味ないニャー」


「なんで?知りたいでしょ、普通」


「ふん、信長様さえ生きてれば豊臣なんちゃーらが政権を取るなんて出来ないからだ。だいたいお前の知識が曖昧過ぎて意味無いニャー」


 織田信長さえ生きていれば、先の世の中など知る必要はない。たしかにその通りで、本能寺の変から先は確実に違う世の中になっていくだろう。そして恒興の計画もそこへ向かうためのものだ。

 そう吐き捨てた恒興だったが、ふと思いつく。順慶が居た世の中で役に立つ物はないかと。


「そうだ、お前が居た世の中の技術で役に立つ物はあるのかニャー?」


「ふっふっふ、よくぞ聞いてくれました!」


「あ、スマン。役に立つ訳ねーニャ。無理言ってしまった」


「まだ何も言ってない!!」


「役に立つなら、筒井家はもっと発展してんだろ。結果で答えが見えてるニャー」


 筒井家の繁栄ぶりという結果が雄弁に物語る。順慶が未来の知識を大いに役立てているなら、筒井家はもっと発展しているはずなのだ。これがそこら辺の大名豪族と差が無いという事は、順慶の知識が役に立たない証明でもある。


「アイツらは俺の事、キチガイ扱いして話も聞かないんだよー!」


「あーはいはい。じゃ、どんなのがあるんだニャー?」


「俺の居た日本は……『夜でも昼間みたいに明るく出来る』んだ!こっちの夜って本当に暗いよ。真っ暗じゃん。まず最初にそう思ったね」


「ほう、そいつはスゲー。どうやるんだニャー?」


「……まず電気が必要かな……」


「電気ってニャんだ?」


「……発電所は無いよね。電気ってのは雷の力、といえば分かるだろ」


「ほう、雷神様の力かニャ。それはどうやって使うんだニャー?」


「……」


「……。やっぱり役に立たんかニャー」


 この時代に電化製品は無い。というか電力自体が生み出せない。そして電気を説明するために雷の力とした。これなら恒興にも理解出来たが、雷の利用法などある訳ない。現代でも無いのだから。


「ま、まだだ。この時代でも出来る物……そうだ!『内燃機関』はどうだ!」


「ないねんきかん?ニャんだ、それ?」


「内燃機関……俺らは『エンジン』と呼んでいる自動車の動力源さ。自動車は馬の何倍も速く力強い。正に未来技術!」


「へー、その『じどうしゃ』とやらは何処にあるんだニャー?」


「いや、まずはエンジンを作ろうって話だよ」


「その『えんじん』はどうやって作るんだニャ?」


「いや、だから鉄を加工して……」


「どういう風にだニャ?お前は設計図を書けるのか?それとも、お前がその手で作れるのか?」


「……」


「……フワッとし過ぎだニャー、お前の話。全部そうなんだろうが、お前は誰かが作った完成品を使ってただけで作れる訳じゃニャいんだろ。空想の与太話聞かされているのと変わらん」


 順慶の言っている代物は車のエンジンの様だが、その前に蒸気機関を造れという話になる。そしてその前に製鉄技術が向上していないとお話にならない。更に致命的なのは、順慶は見た事ある程度で仕組みを全く知らない事だ。だいたい燃料はどうするつもりだ?と恒興でなくともツッコミどころが満載だ。

 因みに蒸気機関は既に考案されている。紀元1世紀のアレクサンドリアで作られた『ヘロンの蒸気機関』だ。何にも発展しなかったが。


「な、なら因数分解や三角関数はどうだ?公式とか覚えてるし!」


「言ってる意味は分からねーが、披露する前にニャんの役に立つのかを言え」


「……」


 因数分解や三角関数は役に立つ職業はあるだろう。だが説明すべき順慶はそれを知らない。彼はただ教師から公式を覚える様に言われただけだからだ。計算方法は知っていても、利用方法はまったく知らない。


「はあ、くだらないニャー」


「ダメじゃん、先生〜。学校で習った事、全然役に立たないじゃんか〜。うう〜……」


「『学校』だと?お前、私塾にでも通っとったのかニャ?」


 知識が役に立たない事を嘆く順慶。恒興は彼が発した『学校』という言葉が気になった。戦国時代で学校と言えば『足利学校』だ。足利家が一族や家臣の子息を集めて勉学させたという話があり、『坂東の学校』とも言われる。創設は諸説あり分からないが、足利家2代目当主である足利義兼が復興させた様で、以降足利家の教育機関となった様だ。室町時代には上杉家の庇護を受け、戦国時代には北条家の庇護を受けた。そして江戸時代は徳川家の庇護を受け、明治時代まで存続した教育機関である。

 なので恒興は順慶がこの足利学校を真似した私塾に通っていたのかと思った。


「塾って……いや、塾はあるけどさ。そうじゃなくて学校だよ。子供は強制で通うんだよ」


「強制?お前の家は武家なのかニャ?」


「武家って……違うけど」


「じゃあ農民かニャ?」


「農民って……いや、農家の人はいるけどさ。そうじゃなくて『全て』の子供は学校に通うんだよ」


「『全て』……だと?マジか?」


 全ての子供に教育を施すという未来に恒興は驚愕した。知識とは決まった身分でのみ学べる物で、戦国時代なら公家、武家、神官、僧侶、商人となる。農民や工匠は知識を実地で体に学ばせるものなので学問を必要としない。だからこそ彼等に学問を授ける事は無駄でしかない。この時代では常識的にそう認識されている。

 いや、これは表現として正しくない。一割の人間が知識を学び、九割の人間から学問を奪う事で優位性を確立している支配形態なのだ。つまり知識を持つ者持たざる者の階級制度だと言える。農民の子々孫々に至るまで学問の機会を奪い続ける事で、彼等を農民という階級に縛り続ける事が出来ると言う訳だ。


「そこでテストとかあるんだよ。習った事を覚えているか確かめる意味でさ」


(はーん、なるほどニャー。ある程度の学力を広く浅く教える訳か。で『てすと』とやらで頭の出来を調べてふるいにかけると。一般的な学力なんて文字の読み書きが出来るだけで十分だからニャー。そんで出来の良いヤツは上に行けるって事だニャ)


 恒興は順慶の言う学校がどんな物か察した。学校において主眼が置かれているのは『教育』よりも『選考』なのだと。


(『てすと』というのは大唐の『科挙制度』を参考に緩くした感じかニャー。たしかに農民でも賢いヤツは賢い。藤吉や小一郎なんてその典型的な例だ。それを拾い上げる意味でも『学校』っていうのはいいニャー)


 恒興はこの戦国時代の常識を破壊してしまう『学校』に興味が出て来た。その根底には池田家が、犬山が未だに人手不足だという現実がある。

 恒興は『侍』ばかり探しているからだ。農民は学が無いから無理だと端から決め付けて、子供を教育する事は全く考え付かなかった。だから学校の話を聞いて青天の霹靂だった。その手があったかと。

 しかし常識の壁は厚く、障害はやはりある。


(ただ絶対条件があるニャー。それは『天下人』くらいにならんと出来ない。ふむ、犬山で小規模にやってみて実績を出してから信長様に提案するのがいいかもニャー。とはいえ、反発は強いだろうニャ。特に『武家』から。この日の本には『身分制度』が暗黙的にあるからニャー)


 問題はやはり人々の認識だ。特に武家は被支配層である農民が成り上がるのを特に嫌う。何故なら農民が成り上がる事は自分達の優位性が失われる事でもあるからだ。支配層と被支配層が肩を並べては武家社会の統治は成り立たないのだ。

 だが、これは法整備された制度ではない。ただの武家側の願望の域を超えていない訳で、武家を黙らせる『力』が有れば学校は実現可能となる。それこそ『天下人の力』ならば。

 しかし小規模ならば幾らでも抜け道が存在する。


(しかし暗黙的であるが故に緩い、抜け道はいくらでもある。藤吉がおね殿を嫁にする事で『侍』になった様にニャ。それに池田家と織田家の将来を考えても優秀な人材を広く発掘すべきだ。……今にして思えば、本能寺の変の辺りの織田家は小粒なヤツが多くて重臣格に上がれそうな人材が少なかったイメージがある。だから重臣連中は老境になっても引退出来なかった。忙しくて後継者造りも遅れてた。ニャーは之助と輝政が居たから運が良かったのかもニャー)


 恒興は晩年の織田家の内情を思い出す。織田信長自身は嫡男である信忠に権力移譲しようとしていたし、恒興にも二十歳を越えた嫡男が居た。それはいいのだが他の重臣連中は問題しかなかった。丹羽長秀と明智光秀は嫡子が十代前半の少年で引退が出来ない状況だった。羽柴秀吉も実子が早世した為に養子しかいないし、柴田勝家など結婚すらしていない。だからこそ彼等は引退せずに第一線で頑張っていた訳だが、それはあと十数年すれば織田家の屋台骨がごっそり居なくなるという事でもある。彼等に代われる人材はあまり育っていなかったと恒興は思う。本能寺の変が起こらなかったとしても織田家の統治体制は盤石とは言い難いと。武家から人材を拾い上げているだけでは、広大になる織田家の領地を治めるには人材が足りないのではないかと恒興は考えていた。


(しかしコイツの言う未来の技術は何の役にも立たん。使っていただけで知識がフワッとし過ぎだ。だが、コイツが過ごしてきた『日常』には金の卵が含まれているニャー)


 恒興は順慶の話す未来技術には大した価値は無いと断じた。彼は先端技術を使っていただけで、その基礎にある技術や概念を全く知らない。だから彼には技術の再現は出来ない。妄想の話でしかない。順慶の叔父が彼の事を『気狂い』扱いしているのもその辺りが関係しているのだろう。

 未来から転生していなければ、恒興だってそう思ったはずだ。だが恒興は未来から記憶を持ってきているので、順慶の言う事を(理解不能な事は)理解は出来る。今世の知識ではないと信じる事は出来る。……問題は役に立たないというところだが。

 だが恒興は彼が持つ知識より、彼が過ごした何気ない日常の方が価値があると思う。戦国時代の常識に固まった自分の考え方を覆してくれるのではないかと。


「懐かしいな、学校。俺の居た日本は平和な国なんだよ。ここみたいに殺し合いなんてないし。何か争いあっても話し合うのが当たり前なんだよ。学校でもそう教えてるんだ。戦争は悲惨だ、起こしてはならないって」


「へー。そりゃ頭中に華でも活けた様な考え方だニャ。平和だ?そんなもん、ある訳無いニャー」


「やっぱり恒興くんも信じないか……」


「ここは修羅道だ。ニャー達は生きながらにして地獄に落とされたんだよ。何処まで行っても殺し合うしかねぇ」


 修羅道というのは仏教における六道輪廻の世界の一つで、修羅達が永遠に殺し合う戦争の世界だという。ただ、この修羅道の扱いは解釈が分かれており、善とする時もあれば悪とする時もある。果ては地獄道と一緒にする時まである。(六道輪廻が五道になる)

 恒興は戦の世の中しか知らない。この日の本が平和になった事などないので、そんな物は最初から期待していないのだ。

 そもそも日の本の広さは畿内のみから始まった。記述が遺っている範囲という意味だが、畿内は治安や税制度を整えようという努力はしていた。そして鎌倉時代より前は畿内以外の治安は無視されていたし、鎌倉時代になったところで畿内に関東が加わっただけだ。東北から九州まで拡がった日の本では常に支配権抗争が起こり続けている。戦国時代とてその延長でしかないと恒興は思う。

 自分達とて同じだ。織田信長は支配権を拡大させる為には最終的に戦って勝つしかなかった。これからもそうするだろう。それ以外の方法は見当たらないのだ。

 そして恒興も信長の為に謀略を練り、戦い続ける。これは善い悪いではない。そうしなければならない世界だからで、そうしなければ何一つ守れない世界だからだ。恒興は自分が立っている場所を『修羅道』なのだと思っている。


「平和ニャんてある訳が……ある訳が……本当にあるのか……先の世に?」


 だから恒興には信じる事が難しい。この悪意と武力が大半を占める世の中でどうやれば平和になるのか?恒興には想像も出来ない。


「ニャーにも子供が産まれたんだ。ニャーだって、こんな所で命の奪い合いなんかしていたくねぇよ。家に帰って子供達と遊んでやりてぇよ。この手で抱いてやりてぇよ。でも時代はそれを許さねぇんだ。ここは修羅道だから仕方ないって、ニャーはそう思って」


 恒興にとって子供は前世の分も含めれば何人も儲けてきた。だから今世で子供が産まれた時も慣れているので特に慌てる事はなかったし、努めて冷静であった。……という事は全くなかった。

 恒興は慌てふためき、これから出産を迎える美代の方が落ち着いていた。母である養徳院が手配した歴戦の産婆・梅の登場に安堵したり、お湯を沸かすだけで家臣と共に七転八倒の活躍?をしてみせた。伊勢や美濃の大名豪族が見たらこう思うだろう。これが濃尾勢を謀略で落とした男なのかと。それくらいの醜態だったが、恒興にとって子供とはそれくらいの大事なのだ。恒興の本心は早く家に帰って子供達と遊んでやりたい、成長を見守ってやりたいと思っている。


「順慶、どうやったら平和を早められる?ニャーが生きているうちに、それは可能か?お前の生きた日本はどうやって平和を実現したんだニャー!?」


「うん、それはね、……ゴメンナサイ、ワカラナイデス」


 恒興の切実な訴えに順慶は僅かに目を伏せ、そして思い切り逸した。そう、彼は知らないのだ。披露しようとした知識と同じだ。その平和な日本で産まれ育っただけで、その平和は何があってどんな犠牲を払って築かれたものかは知らないのである。

 まあ、そもそも日本の平和は自国の努力だけで得たものではないので、戦国時代に実現するのは難しいだろうが。


「テメエ、ここまで来て、そのオチかよ。巫山戯んじゃねーギャ!」


「だってー、産まれる前から平和なんだもん。どうやってとか言われてもー」


「マジで役に立たねぇニャー、お前。その調子で松永にも交渉掛けたんじゃねーのか?」


「そうだよ、松永弾正にも話し合おうって呼び掛けたんだ。争いは何も産まない、俺達は分かり合えるって。家臣達はみんな反対してきたけど」


 そんな未来に生きてきた順慶は『戦わずに話し合う事が平和』という思い込みに囚われていた。松永久秀曰く「お人好しな上に頭の中がお花畑じゃ」という感じらしい。恒興も同じ様に感じる。この戦国時代に何かを成したければ必要とされるモノがある。その事を順慶はまったく知らないのだなと恒興は思う。


「それで命狙われてりゃ世話ねーギャ。だいたいニャー、話し合うにも条件がある。お前はそれを満たしてないから失敗するんだよ」


「条件って?それは何さ?」


「まずは相手の頭、引っ掴んでニャー」


「あいててて!?」


 恒興はその『必要とされるモノ』についての説明を行うため、順慶の坊主らしからぬボサボサ頭を掴む。


「それを地面に叩きつけてニャー」


「痛い!」


 掴んだ頭をそのまま床に叩き付ける。とはいえ、順慶は腕でガードして床への激突を防いでいた。四つん這いの様な体勢になった順慶の顔目掛けて恒興の足が降り注ぐ。


「その顔を踏んづけて!踏んづけて!踏んづけてニャー!!」


「危ない、危ない、危ないってーっ!!」


「実力の差をこれでもかと思い知らせてニャァァァー!!」


「分かった、分かりましたからー!」


 恒興は順慶の顔面スレスレを足で踏み抜く。おそらく本来はそのまま顔面を踏み付ける行為なのだろう。恒興としてはただの説明なのでケガまではさせる気はない。

 一頻り踏み付けた恒興はピタッと足を止める。


「……ここまでやって、ようやく人の話聞く様になるんだニャー。この世の中、そんなヤツばっかだぞ?」


「……」(泣)


 恒興が言いたい事。それは武家に何かを言いたければ、まずは力を見せろという事だ。その上で言う事を聞かせたければ、これ以上なく打撃を与え絶対に勝てないと骨身に教え込む必要がある。

 この事は恒興のこれまでの行動にも表れている。最後まで敵対した斎藤龍興はどうなったか?経済封鎖を受けても戦う意志を見せた細野藤敦は今どうなっているか?恒興は一切容赦せず、彼等が何も出来なくなるまで叩き続けた。その一方で千種忠正は一度叩かれたものの、その後の説得に応じたため、織田家傘下として千種家の勢力を伸ばす事が出来ている。

 勢力を持つ武家というのは力を見せないと話し合いに応じる事も少ない。圧倒的な実力差が明らかならば話は別だが、筒井家と松永家の様な実力拮抗状態では無理というものだ。今回の様に松永久秀の奸計に利用されるだけだ。

 あくまで基本的にで、あとは武家当主の考え方にもよる。


「話はこんなもんかニャー。あんまり皆を待たせるのも悪いし戻るか。お前の身の振り方を考えにゃならんし」


「……恒興くん、頼むよう、俺を犬山に連れてってくれー」


「はぁ?ニャに言ってんだ、お前?」


「だってさぁ、ツライんだよ。俺が何を言ったって気狂いを見る様な目しかされないし。少なくとも恒興くんは俺の言ってる事信じてくれるじゃん」


「いや、お前が犬山に来る意味が分かってんのかって聞いてるんだニャー。それは筒井家が織田家の『保護大名』になるって事なんだぞ!」


 立ち上がった順慶は恒興に縋り付く様に犬山行きを懇願する。どうにも順慶は筒井家において『気狂い』扱いされているという。その扱いがツライ為、犬山に行きたいと願う。

 恒興は未来の話をしたんだなと即座に理解した。何しろ順慶の言う未来の話は空想、絵空事に等しい。語る事、何一つ実現していないのだから。

 だがそれは筒井家当主が犬山で人質に取られる事を意味している。つまり筒井家は織田家の『保護大名』になるという事だ。本人同士はそう考えてなくとも、周りからはそう見える。


「何それ?」


「保護大名になるって事はニャー、筒井家の大名としての誇りが地に落ちるって事だ」


「どーでもいいよ、そんなの」


(しまったニャー!コイツは戦国の人間じゃないから常識が通用しねーっ!)


 まず保護大名になると大名が持つ威信や求心力などがキズ付く。簡潔に言うと「先行き不安で成長が期待出来ない家」と目されてしまう。

 戦国時代には幾つか保護大名が存在している。有名どころで言えば『若狭武田家』だ。ここは長い間、内乱に明け暮れた末に越前朝倉家の介入を招き、もう少し後に現当主である武田元明が越前へと攫われる。ただ保護大名とはいっても内乱が収まっていないのではあるが。これが後に織田信長の越前出兵の口実となり、『金ヶ崎の退き口』が起こる。口実は『幕府の命令により武田元明の身柄を取り返す』である。

 言うまでもなく、名家若狭武田家の名声は地に落ちて、一豪族程度まで勢力が減ってしまう。

 まあ、当主親子相剋の争いが元であり、内乱ばかりだったため名声は既に地に落ちていたが。


「他には?」


「筒井家の領地保全には織田家が責任を負う……ニャー」


「つまり領地は織田家が守ってくれるんだ。いいじゃん」


 保護大名の領地はその保護大名が所有しているが、名目上は主家大名の勢力圏と目される。この辺りは傘下も変わらない。保護大名でも傘下豪族でも領地を攻撃されれば主家たる織田家が出て来る。ここで織田家が援軍を渋ったりすれば、離反の本となってしまうからだ。


「そのために織田家から代官が派遣されて内政に干渉する事にニャるんだぞ」


「内政干渉って何すんの?」


「……居るだけ……かニャー?別にやれる事は無い……のかニャ」


「なら、いいんじゃね」


 一応、保護大名にしたなら出来る限りを主家に持っていきたいものだが、これが難しい。あまりに干渉が過ぎると簡単に反旗を翻す。

 領地経営自体は筒井家臣で行うので、彼等を籠絡して織田家に寝返らせるのが得策となる。だが、問題は大半の筒井家臣が筒井家に忠義で仕えている訳ではないという点だ。彼等が大和国で生きていくためには、逆らうとヤバい組織が存在しているため、ソレを後ろ盾にする筒井家で纏まったという性質がある。

 故に織田家から代官が派遣されたとしても、連絡役及び顔役くらいしか出来ないであろう。


(どうしよう。変な方向に話がまっしぐらニャんですけどー?)


「俺が犬山に行くのはダメなのか?」


「いや、ダメじゃニャいけどな……」


(どうしよう、コレ。どう決着させたらいいんだニャー?一端の大名を犬山で人質にする(様に他からは見える)ニャんて勝手は、流石に独断はマズイ。最低でも信長様に問い合わせニャいと)


 恒興は話がマズイ方向に行ってしまったと頭を抱える。織田家の家臣である恒興が一大名の当主を攫って犬山に連れて行くなど謀反を疑われても仕方がない所業だ。まずは主君である織田信長に連絡せねばと思う。

 もう一つ問題となるのが筒井家臣だ。こんな順慶が今思い付いた案など賛成する訳がない。いくら忠義立てする家臣が少なくとも、自分達の主君を他家の好きにされて黙っている訳がない。

 これはどう解決すべきか、恒興は頭の中で試行錯誤を繰り返した。


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【あとがき】


前回のあらすじ


恒「サイクロンドライニャー!」

筒井軍兵士「「「ぐわー」」」

恒「ニャンダーボルトスクリュー!」

筒井軍兵士「「「ぐわー」」」

恒「受けろ!ニャン空宙心剣奥義・ゴッドニャンドスマッシュっ!!……成敗っ!」

筒井軍兵士「「「ぐわー」」」


恒「うん、こんな感じだったニャー」

べ「ウソをつかない様に」


 筒井順慶くんを現代人(未来人)として設定したのは現代と戦国時代の差を認識するストーリーに入れようと思ったからです。よって彼以外を出す予定はありませんニャー。その第一弾は『人柱』の話となる予定。

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