3:白銀の破壊者

 どのような悪が現れようと、王国の民が恐れることはない。

 女王陛下の志に惹かれて集った、九人の護り手が王国にはいる。

 高潔な心と、各人が持つ高い技量。女王陛下から下賜された『祓光ノ器』を振るう彼等に敗北は。そして、イルナクスの民に危機は訪れない。


 永遠の光となる彼等に、祝福のあらんことを。

 

                    ◆


『祓光ノ騎士団』三席・ジルヴァと名乗った鎧の男は、滑らかな所作で臨戦態勢を執る。しかし、ヒビキ達が応じない様を見て、怪訝そうに首を捻って問うた。

「どうした……来ないのか!? それでは道は開けぬぞ」

「二千年前の騎士が、現代に生きている事は有り得ない。あなたが高名な騎士である保証は、何処にもありません」

「闘士に道理など不要。今ここに私と貴君が立っている。それで十分だろう?」

 ゆかりの真っ当な指摘に、暴論が返される。黙したままのヒビキは、目前の騎士の体内を巡る異様な魔力流を視て、眼前の騎士がヒトならざる者と結論付けていた。

 世界中の娯楽作品で引用される、イルナクスに嘗て存在した強者の集団『祓光ノ騎士団』は九人。

 一席と二席の子孫が『現代に残る最後のお伽噺』と誉れ高い『白光ノ騎士』を代々襲名している。彼等は大戦後も生を繋いだが、残る七人は全員終戦を待たず死没したと伝えられている。


 ――そうだった。三席と八席は……大戦では死んでなかったな。


 ゆかりを庇うように進み出たヒビキは、兜の内側に在る筈の目を見据えて、静かに口を開く。

「アンタは他の連中と違って、エトランゼの侵攻と同時に蔓延した感染症で死んだ。感染した獣から民衆を庇ってな」

 指摘にジルヴァは応えない。だが、その首は僅かながら縦に揺れた。

 伝説に等しい強者が感染症で死ぬ。字面で愚かと嘲笑うのは、当時を知らぬ現代人の浅慮だろう。

 特効薬や明確な治療法がない病は、現代でも無数に存在する。多少見当違いでも、大抵の病に緩和策がある現代と異なり、二千年前に正解のない病に罹患する事は死への片道旅行。それは、選ばれし者でも常人と何ら変わらない世界の規則だ。

 死の危険を顧みずに民衆を庇うのは、まさしく高潔な精神の表れで、ヒビキの声にも軽侮の色は皆無。もっとも、ジルヴァに別の感情が芽生える出来事だったようで、白銀の拳を固く握り締めた騎士は倦んだ声を絞り出す。

「民を軽んじ、己の闘争心に身を委ねる騎士など不要。決断を悔いたことなど一度も無い。されど、ハインやディアナと共に女王陛下の旗を掲げ、侵略者の打倒に命を捧げた道に未練はある」

「ちゃんと戦って死にたい。アンタの望みはそれか」

「私は既に死した身。だが、敗者の義務は承知している」

「そうか。分かってるなら、それで良い」


 議論はそこで終わりを迎える。


 状態の確認も兼ねてか、何度か回した左手を柄へ掛けたところで、ヒビキはゆかりに目を向ける。相手の性分から考えると、手を出さない限り敵は彼女に仕掛けてこないだろう。

 だが、戦いに身を投じるか否か。結論を下すのはゆかり自身だ。

 幾らでも攻撃が届く好機にも、踏み込まず律儀に待つ騎士を他所にヒビキはゆかりに視線を向け、そして肩を竦める。

 彼女の手には、既に紅炎を纏った異刃『紅華』が握られていた。

「『祓光ノ騎士団』相手だと、戦いながら守るのは無理だ。……良いのか?」

「この国に行こうって言ったのは私。成果だけを受け取ろうなんて、図々しい事は考えてない。一緒に戦って、勝とう!」

 声に迷いはなく、そこから強引に翻意させるのはヒビキの意にも反する。

 左眼に蒼を灯してスピカを引き抜き、ヒビキは力強く吼える。

「だったら話は終わりだ。……行こうぜ、ユカリ!」

「うん!」


 紅と蒼の異刃が一際強い瞬きを放つ。


 前者は上昇。後者は白銀の騎士に真っ向から突進する。

 ――『エトランゼ』と真っ向から張り合った集団だ。……全力で行く!

 彼の者は時代に取り残された亡霊と揶揄する。傲慢な振る舞いが招くのは敗北。末期ながらも古代文明時代の住民なら、機械に関する知識も十全に持ち合わせており、知識面での優位性もそう多くない。

 つまり、求められるのは普段と何ら変わらない意識だ。

 一歩目で現状のトップスピードに達したヒビキは、未だ直立不動を守るジルヴァの鼻先まで接近。首と胴の繋ぎ目に存在する隙間へスピカを放つ。

 常人の視覚では到底捉えられない速度の斬撃に、しかし白銀の騎士は反応する。

 靴底から火花を散らせる旋回で、回避と最良の位置取りを同時に成したジルヴァが、大きく右腕を振り上げる。左腕と比較して著しく太い右腕がざわめく様に、ヒビキは瞠目しながらスピカを放って逃げを打つ。

 全身に浮遊感を。左手の指先に暴風を感じながら離脱に成功した刹那。彼の足下、そして玄室全体に激震が走った。

 馬鹿げたサイズの蜘蛛の巣が床に刻まれ、脆くなっていた天井の一部が崩落して礫を降らせる。

 上空からの奇襲を狙っていたゆかりも後退を余儀なくされるが、ヒビキの目は騎士の右手に吸い寄せられていた。

「それは……ハンマーかッ!?」

「如何にも。私が下賜された武器は『砕禍のイファルダ』! 貴君達を打ち落とす術は、幾らでもあるぞ!」

 再び叩き付けられた大槌が、物理法則を無視した速度で急上昇。回避が困難と即断したヒビキは、襲来する大槌の凶悪な打撃面を見据えスピカを撃ち込む。

 激突。けたたましい音を引き連れて大槌の軌道が逸れ、床に新たな蜘蛛の巣を刻む。撲殺確定の状況を脱したヒビキも無事では済まず、衝撃で後方へ吹き飛ばされる。

 空中で納刀しつつ、体勢を整えて壁を蹴り、四つん這いの状態で着地。四肢の痺れを取りながら立ち上がった頃ようやく、ジルヴァが持つ大槌の全貌を視認する。

 小惑星並みのサイズを誇る打撃部は宵闇に咲く月の輝きを放つが、職人技の結晶と一目で理解させる竜の頭部を模した複雑な造形に、天球が人々に齎す安息は影も形もない。

 地面に叩きつけられ、床でギラついた輝きを放つそれは、まさしく白銀の竜と呼ぶに相応しい圧力を放っていた。


 達人が振るう大槌は音の壁を突破する。


 物の例えで言われる事は多いが、軍事要塞の床をも破壊する攻撃が音速で襲来するなど、悪夢以外の何物でもない。

 ヒビキにとって、大槌を繰る強者との交戦経験は対レヴェントンの一度きり。自身はハンナに大半の時間を割いていた為に、その戦闘様式を把握していない。

 ――これなら、一席相手のが良かったかも……な!

 敵の仕掛けに即応し、思考を切り替えてスピカを振り下ろす。

 大槌の分厚い打撃面が瞬き、蒼刃を強かに打ち据える。強制的に軌道を変えられたスピカ諸共吹き飛び、天井に突き刺さる。背骨が軋む感触に苦悶しながらも、降り注ぐ破片を躱して右手一本で着地。

 飛び跳ね、回転しながら態勢を入れ替え、迫り来るイファルダをスピカで迎撃。敵の進撃を阻んだヒビキは、空間全体を跳ねまわりながら敵を睨む。

 一度の激突で両手を駆け抜けた痺れは、ジルヴァの圧倒的な膂力を明快に示し、直撃した未来を脳が勝手に描き出す。


 ――たった一度でもミスったら挽肉になる。長期戦も打ち合いも、止めた方が良い。なら……どうする?


 一度でも許せば到達する結末を回避すべく、思考を回すヒビキの前方。即ち、騎士の背後で赤が閃く。

「――っ!」

 紅華と結合し竜腕に転じた右腕を、ゆかりが大上段から振り下ろす。

 大気を攪拌する熱風を引き連れ、放たれた一撃は角度・速度共に十全。不可視領域外からの攻撃。それを、跳ね上げられた左手の盾が受けた。

 受け止めただけなら、彼の実力を鑑みれば当然。だが、彼女が放っていた灼熱の奔流が盾に吸収され、瞬く間に消え失せるのは明らかに理の外側にある光景だ。

「消え失せるが良い!」

「……下がれッ!」

 二者の声は全く同時に放たれ、白光もまた然り。

 迸った白光はヒビキの右半身を掠め、要塞跡地の壁を撃ち抜いて消える。顔面が焼け爛れ、上着の一部が発火する重傷を負いながらも、ヒビキは背後から聞こえる崩落音で生じる怖気を押し流し、間合いを詰める。

 重傷を負い、相棒に後退を指示しながら前進を選ぶ。

 矛盾の塊と言える愚行は予想外だったか、ジルヴァの反応は一歩遅い。

 後退の過程でスピカの切っ先が喉元に届く。接触地点から火花が散り、装甲が歪んで体勢が崩れるが、命を刈り取るには至らない。

 敵の頑強さに舌を巻きながらも、蒼刃を連れ戻す過程で切っ先から『奔流槍』を連射。盾に依る無効化を想定していたヒビキは、亀裂を更に拡大する踏み込みと共に、横薙ぎの斬撃を放つ。

 肉体の上下分断を狙った一撃。『奔流槍』からの防御で視界は潰えている。整えられた結末は鈍い音で砕かれた。

 何の前触れもなく現れた銀の茨が、持ち主に対する無礼を図っていたスピカに絡みついて、進撃を阻んでいた。引き抜きにかかるが、幾重にも絡みついた茨が強固な枷となり、試みを全て徒労に終わらせた。


 ――ただ殴るだけじゃないよなそりゃ。……クソッタレ!


 内心で己の愚鈍さを罵るが、既に状況は先に進んでいる。

 スピカを手放せば戦闘続行が不可能となって死に、握り続ければ攻撃を至近距離で受けて死ぬ。進退窮まったヒビキの体が上昇し、視界が幽かな時間暗転する。

「終幕と行こう!」

「……させない!」

 そんなやり取りと、硬い物に激突する衝撃を感じて視界が戻る。衝撃で内臓が揺さぶられたダメージと、朧気ながら見えてきた敵の組み立てを、吹き飛んできたゆかりと共に受け止める。

 仕掛けを吸収され、右腕が本来の形に回帰した少女は混乱が色濃く出ている。彼女を降ろし、何度か瞬きして視界を整えたヒビキは、敵が掲げる真円を描く盾を睨む。

「……祓光石と血晶石を組み上げた『白夜ノ盾ノルヴム・シールド』だ。思い出すのが遅れたけど、あれも女王から下賜される武具の一つだ」

「魔力吸収の効果がある。……で、良いのかな?」

「それだけじゃない。一度受け止めた魔術は自動的に解析されて、無効化作用が働く。俺達が今まで出した魔術は、多分もう通じない」

「!」

万変粧フィクス』のような変形魔術で指紋すら変えられる現代でも、個人の体内魔力流の変化は超上位者を除いて困難。ヒトが放つ魔術の構造もまた同じ。

 体力や魔力の枯渇よりも前に、手札を解析されてしまえば敗北が確定する。長期戦の道が潰えた以上、戦いの組み方を修正せざるを得ない。

「一度の接触で気付くか」

 イファルダを引き寄せ、ジルヴァが低く笑う。

「昔、ある人から聞いた。寧ろ遅過ぎたぐらいだ」

「知識と実戦は別だ。引き出せる貴君は優秀な」

 声が不自然に途切れ、一周回って戯画的な性急さで掲げられた左手に燐光。組成式が展開。理屈ではなく、本能が最悪の可能性を示し警鐘を打ち鳴らす。

 ゆかりを抱えて飛んだヒビキの傍らを、無数の火球が駆け抜ける。

「戦士だよ」

 放たれた仕掛けが単なる『牽火球フィレット』であると、ヒビキは飛来する火球の魔力流を『視て』気付き、相手の魔力の厖大さを目の当たりにして体温が低下する。


 ――『牽火球』でこれか。……最悪だ。


 魔術を不得手とするヒビキでも、戦闘用魔術の初歩たる『牽火球』は使える。

 この事実が示す通りの威力しか本来持たない魔術で、眼前の敵は玄室に無惨な穴を幾つも刻んだ。直撃すれば、確実に消し炭と化すだろう。

 最悪が上積みされていくが、現実は止まらない。断続的に放たれる火球の隙間を引き裂いて大槌が迫る。

 迂闊に動けば消し炭か挽肉の二択を強いられる状況だが、それはあくまで二次元的な話。

「飛ぶよ!」


 活路は、ゆかりが見出した情報にも存在する。


 転倒状態から強引に飛翔し、煙に巻かれ停滞するヒビキの腕を乱雑に取り上昇。クリアになった視界で、加速度的に玄室が破壊されていく光景を目の当たりにして、二人は揃って息を飲む。

 歴史的価値を持つ建造物を容赦なく破壊に掛かる、大規模な攻撃を躊躇なく放つ相手に対し、二人は手札の特性上相性が良いと言えない。加えて広範囲を一気に砕く大槌と、あらゆる魔術を吸収する盾の組み合わせは動く要塞に等しく、相性を無視しても突き崩すことは容易ではない。 

「空間ごと吹っ飛ばす仕掛けがあるなら良いんだが……」

「それは……難しいね」

 戦況の好転を通り越し、一足飛びに勝利を掴む手は無い訳ではない。

 しかし、その発動にはかなりの時間がかかる。ジルヴァに対策を講じる余裕を与え、徒に消耗を招く事はしたくない。そもそも、目前の騎士との戦いはあくまで通過点。どこで誰に見られているのかも分からない状況下で、通過点の戦いで切り札を用いるのは愚の骨頂。

 最善手を却下したヒビキは無言のまま右手を軽く揺らし、ゆかりが首肯で応じる。

 彼女の手が離れ、重力に従い落下を開始したヒビキはスピカを投擲。天井を破砕する火球と、降り注ぐ破片を掻い潜り距離を詰めていく。視界が戻ると同時、堕ちてくる大槌に臆することなくスピカを叩き込んだ。

 異音が奏でられ、打撃面に深々と蒼刃が食らいつく。粉砕と更なる進撃を免れた上、大槌による攻撃を封じる目論見は当たったが、最大の目標には届かない。

 ジルヴァも動かず、ヒビキも動かない。武器を絡めて押し合う、膠着した時間を崩しに掛かったのは白銀の騎士だった。

「邪魔だ!」

 一喝と共に右腕を跳ね上げ、釣られてにヒビキも宙に浮く。一度崩され、ここから右腕が降ろされれば最低でも骨の一・二本は確実に死ぬ。加えて、ジルヴァの右肩には魔術構築に伴う燐光が灯っている。

 敵を確実に排除する。極めて合理的な思考で構築された指し手を前にしても、ヒビキに死の恐怖はない。その理由を、対峙する騎士は熱波を以て理解に至る。

 ゆかりが放った『紅華』が纏う炎が竜と成り、爛れた咆哮を引き連れ突進。空間内の酸素が猛烈な勢いで消費され、炎は瞬く間に全体を飲み込んでいく。

 賠償金云々以前に、放った当人すら酸欠で死にかねない大規模な仕掛けは、ジルヴァの左側方から接近。だが、そこには破邪の盾がある。

 猛り狂う炎も魔術の範疇に在る。掲げられた盾と接触するなり活力を失い、魔術の形を喪失した粒子と化して消失していく。光を失っていく空間で、ゆかりの仕掛けを凌いで終局を紡ぐジルヴァの頭部が、唐突に横を向いた。

「貴君は……いったい何をした!?」

「ただの『奔流槍』だよ。……油断したな、英雄さん!」

 右手から放たれた二本の水槍は、共にジルヴァの右肩口に着弾。魔術の構築を強制的に停止させたが、ヒビキの狙いは別の所にあった。

『祓光ノ騎士団』に下賜された鎧は『エトランゼ』の攻撃すら防ぐ堅牢さを誇り、破壊を狙うのはヒビキでも厳しい課題になる。しかし、彼等も四六時中鎧を纏っている訳ではない。

 着脱の為に存在する可動部位を的確に突けば絶対防御に綻びが生まれ、無防備な内側に攻撃が届く。肉体を喪失した相手に適用されるか怪しいが、真っ向勝負の何倍も勝ち筋があるだろう。ヒビキ達は、その可能性に活路を見出したのだ。

 スピカをイファルダから引き抜き、水槍の進撃で生まれた白銀を汚す漆黒の虚無に狙いを定める。ゆかりの連発する爆炎への対処に破邪の盾を用いている上、鎧の破損で絶対防御は揺らいでいる。敗北がちらつき始めた状況で、ジルヴァは驚嘆すべき判断力で右腕を引き絞り、イファルダを振り下ろした。

「痛っ――」

「遅いわ!」

 地下要塞全体が激震に襲われ、降り注ぐ礫の激突で空を舞っていたゆかりが地面に落ちる。動きが止まった彼女を白光が襲い、それは瞬時に空間全体を呑み込む。

 直接ぶつけてゆかりを灼き斬らなかったのは、騎士が持つ慈悲の顕れか。雑に発動しても溶解させられるが故、調整の手間とそれに伴う消耗を避けた為か。正解は誰も知る余地がない。

 しかし、英雄が下した選択は、他ならぬ彼自身に痛烈な対価を齎した。 

「魔術の威力に酔って、ユカリを確実に殺す手間を怠った。それがアンタの敗因だ!」

 清浄な光を引き裂き、蒼の流星が瞬く。

 重度の熱傷を負いながらも足を止めなかった、ヒビキの刺突が鎧の接合部に届く。虚無を駆け抜けて首筋まで届いた蒼刃の輪郭が緩み、内側から鎧を粉砕しながら砲台へ変形。

「これは……」

 ヒトの頭部が収まる程の巨大な砲口を目前に付きつけられ、魔力が収束に伴って砲身が回転する様で狙いを解したか。呻くように呟いたジルヴァに、ヒビキは悪辣さが滲んだ笑みを返す。

 スピカの持つ作用で多少軽減出来ても、英雄の放つ魔術は凡人の理解が及ばない領域にある。長々と続けていれば地力の差で競り負ける以上、賭けに出る他なかった。

 賭けの一段目は、辛うじて成功。二段目を結実させるべく、ヒビキは引き金を躊躇なく引いた。

「続きはあの世でお仲間とやれ。『恐鯨穿鋼槍ヴァレル・グラムピア』」

 一際甲高い軋り音が奏でられ、巨大な水槍が射出。反動に全身をぶん殴られながらも踏み留まったヒビキは、自身の放った蒼で白が急速に吹き払われる様を目の当たりにする。

 高圧噴射される水で形成された槍は、白の支配を打倒する。のみならず、ジルヴァの頭部装甲を完膚無きまでに粉砕しても止まらず空間を疾走。先刻穿たれた穴の先に見える、上層階の破壊を繰り返しながら上昇し、やがて地上と要塞跡を繋ぐ新たな道を残して消えた。

 降り注ぐ日光の恩恵で明度が上昇し、最早修復困難なまでに破壊され尽くした点を除けば、本来の姿を取り戻した空間で、スピカを回帰させたヒビキが一歩踏み出す。

「……悪い、怪我させたな」

「だい、じょうぶ。これがあったから、何とかなったよ」

 決して軽くない火傷を負ったゆかりが、出来損ないの笑みを浮かべて右手を掲げる。彼女の手首に通された精緻な銀の腕輪。その中央部に、ロザリス総統から半ば押し付けられた青の宝玉が鎮座していた。

 彼が謳った通り、宝玉は中型の竜種に匹敵する魔術干渉作用を持つと解析で判明し、防御手段を持たないゆかりに託された。

 だが、彼女が効果を引き出したのはごく最近。引き出せる頻度も不安定な上に、干渉能力は『牽火球』を無効化出来る程度。使用可能な前提で組み立てるのは無謀であり、それが『祓光ノ騎士団』相手なら論じる余地はない。

 ゆかりに追従する形で、ヒビキはジルヴァへ視線を向ける。自殺行為を引き出させた白銀の騎士は、不動を守っていた。


 頭部装甲の半分を失い、そこから漆黒の伽藍を晒して。


 魔力形成生物と仮定すれば、体の一か所に存在する核の破壊が求められるが、敵が未だヒトならば心臓と脳、二か所の同時破壊が勝利を得る絶対条件となる。

 遠近どちらの射程で挑んでも、条件を満たせないと戦闘の中で理解した結果、頭部の一点破壊をヒビキは選んだ。ここから敵が再生した場合、結末は一つに収束する。

 魔術を紡ぐヒビキと、紅華を杖代わりに立ち上がるゆかり。悪足掻きと解しながらも抵抗を試みる二人を他所に、ジルヴァの長身が大きく揺れる。

「見事……だ。女王陛下から下賜された『君主の聖衣』の唯一にして最大の弱点を、この短時間で見抜くとは」

「俺には反則がある。それに、見抜ける奴ならアンタの時代にも居た筈だ。それを狙って仕掛けてくるのも、な」

 不純物無き賞賛に渋面を浮かべながら、ヒビキは血晶石で造られた左眼を指で叩く。

 敵の強大さ故に賭けとなったが、力が集束する箇所は左眼が捉えていた。一定の根拠に基づいたヒビキの仕掛けは、魔術に秀でた者ならば同様の事が出来る。

 ジルヴァが戦で落命しなかったのは、そのような存在を退けていた何よりの証明。では、何故この戦いでそれが出来なかったのか。

 内心で忸怩たるものを感じながら、ヒビキは答えを絞り出す。

「膨大な魔力と豊富な知識を持っていても、アンタの本質は魔術師じゃない。魂と実体、技能を二千年繋ぎ止める術は、アンタ達の二席並みの魔術師でなけりゃ完全な成功は難しい。死の寸前で発動させたから、どこかで欠落が生じてたんだろ」

 勝ちを拾ったのは、自身やゆかりの成長や戦闘能力以上に、ジルヴァの劣化という要素が大きい。『祓光ノ騎士団』三席撃破の大戦果も、それ故に喜ぶ事が出来ないヒビキに、途切れ途切れの笑声が届く。

「貴君達は私の弱点を見抜き、実行に移して勝利を掴んだ。どのような背景があろうと、勝者は胸を張るべきだ。……道を示そう」

 物悲しい軋り音を引き連れ、覚束ない所作で左腕が掲げられる。限界が近いのか、何度も落下の兆しを見せながらも左腕は中空で停止。立てられた人差し指が、戦闘で穿たれた穴の一つを示す。

「その先に進め。貴君達の求める物に出会えるだろう。……女王陛下のご加護があらんことを」

 敬礼姿勢の途中、鎧の結合が崩壊。糸が切れたように落下していき、地面に落ちて乾いた音を立てる寸前、鎧は光の粒子と化して大気中に溶けて消えた。

 開始時と同様、戦いは唐突な終わりを迎えた。複雑な感覚を覚えたヒビキだったが、自身の目的を唱えつつ、転がっていたゆかりの手を引いて立たせる。

 ごく短時間で急激に修復が成され、服に纏わりつく塵芥を払い落とす頃。彼女の身に刻まれていた火傷は綺麗に消え失せ、戦闘の面影すら感じさせない状態に回帰していた。

 戦闘や探索の観点では歓迎すべき適応。しかし、再生作用の強化と高速化は、彼女が世界へ適合していることを、どのような言説よりも明朗に示していた。

 完全な適合を果たした状態で、魔術が存在しない世界に戻ればどうなるのか。ずっと抱え続けているが、答えを出せずにいる問いは、異国の地でも平時と変わらぬ恐れをヒビキに呼び起こす。

 ――つっても、ここで考える意味はない。ハンスやジルヴァが示した手掛かりをさっさと見つける方が、ずっと有益だ。

「どこか痛む?」

「なんでもない。他が出てきても困る。行こうぜ」

 不安を表出させたゆかりに、努めて軽い調子で返したヒビキは、ジルヴァが示した大穴へ踏み出した。

 壁の破壊は偶然なのだろうが、ここまで踏破してきた箇所より薄暗い点を除けば、目前に広がる通路は整備が行き届き、奥まで続いている。床や壁に刻まれたイルナクス領に生息する動植物を模した装飾や、その風化度合いはジルヴァと交戦した空間と大差ない。即ち、この通路は彼が存命の頃から要塞に存在していた。

 遺言は真実で、進んだ先には何かが在る。事実から確信を得たヒビキは、左眼で罠や敵の有無を注意深く確認しつつ、ゆかりと奥へ進んでいく。

 左眼とゆかりの紅華の放つ光が、進むごとに強くなる。満ちていた発光作用を持つ微生物が減少し、それに比例するように張りつめる大気に得も言えぬ感情を抱きながら、二人は無言で進む。

 石造りの床を靴底が叩く、コツコツという音が規則的に響く時間が続き、やがて床が一気に広がる。広い部屋に辿り着いたが光量減少の進行で、許された視界は埃が厚く積もった床のみ。

「悪い、頼む」

 小さく笑って首肯したゆかりが、鮮血の刀身を鞘に走らせ『壊照光ルメーシュ』を発動。『月燈光ルティーナ』と近くて遠い白光を放つ握り拳大の光球は、漆黒を薄暮に引き戻した。 

 全貌が暴かれ、眼前に映る光景を解したゆかりが息を飲み、ヒビキは低く唸る。

 ジルヴァと対峙した広間より狭く装飾も皆無に等しいが、土足で踏み込んだ事に心苦しさを感じさせる、厳かな気を放つ室内に錆鉄の台座が一つ。

 経年劣化が激しく刻まれた刻印の類は読み取れないが、ジルヴァが指し示していた物であるのは、台座の上に鎮座する小さな箱を視れば一目瞭然。

 そして、収蔵されていた何かが失われているのも、箱の蓋が無惨に破壊されている事実からまた然りだった。


 縋るように、二人は黙したまま台座へ歩み寄り箱を覗き込む。


 奇跡は当然起こらず、破壊の過程で降り注いだ塵芥が、約六十センチメクトル四方の箱に格納された全てだった。

 遺物が本当に異なる世界と繋がる物なのか。そもそも、ハンスの情報は信頼に足る物なのか。あらゆる疑問に対する回答を得る機会が一つ失われた。

 項垂れたヒビキの目が泳ぎ、箱の内部を彷徨う。正規の解放手順を完全に無視した、相当雑な手段で破壊されたと解するが、彼の気付きはまた別の所にあった。

 ――この箱、破壊されてから時間が経ってないな。

 破損は痛々しいが、周囲の空間が見せている風化の色は皆無。中に眠っていた何かが取り出されてから、長く見積もっても数か月しか経っていない。

 冷静さを幾分か取り戻し、再び空間全体に目を向ける。ある一箇所に向かう道を作るように、埃がない筋が刻まれていた。一筋の列を成す足跡は複数人かつ、探索に適した靴による物。何らかの不運で飛ばされた迷い子の線は、これで消えた。

 侵入者達はこの部屋を最初から目的地に定め、ジルヴァの目を掻い潜り眠っていた何かを奪い去った。基本的に無人と言っても、整備担当者やヒビキ達のような宝を狙う者。そして守護者がいる以上、危険を切り離す事は不可能。

 侵入者は一定の覚悟と、この場所に価値のある物が眠っていると確信を持って、この場に降り立ったのだろう。

 無言で箱を戻し、足跡をなぞるように歩む。歩き始めて一分も経たぬ内に、壁が目前まで迫ったところで足跡は途切れる。無論、ここで終わりにするつもりもない。

 スピカの柄で壁を小突くところから、『奇炎顎インメトン』による小規模な爆破まで。ゆかりと様々な方法を試したが、望んだ結果は得られず壁を睨むだけの結果に終わった。

「道がないなら……侵入した人は、ここをよく知る人になるね」

 空間移動の魔術は『転瞬位トラノペイン』を筆頭にそれなりに存在するが、一部の超越者が使用する類を除けば、安定した転移には目的地の情報を一定程度知っている必要がある。自分達の動きを把握した『エトランゼ』が遣いを先んじて送る。

 そんな妄想染みた可能性を除外すれば、侵入者の素性は多少絞り込める。

 ――誰にせよ、厄介な事になりそうだな。

 不審者や救国の英雄との交戦から、宝物獲得の失敗まで。

 イルナクス連合王国への渡航は、波乱に満ちた幕開けになった。先んじて獲得した者と接触すべく、暫し滞在する必要が生まれた日の沈まぬ国を、ヒビキは殆ど知らない。

 しかし、予想外の事態がこれで打ち止めとなる。そんな甘い展開がない事だけは、ここに至るまでに経験した数多の事態から確信を抱いていた。

「出ようぜ。そんで、一旦首都に行こう」

「そうだね。……長くなりそうだけど、頑張ろうね!」

 落胆は彼以上に大きいであろうゆかりが、両の手を固く握って力強く頷く。

 その姿に得も言えぬ感情を喚起されながら、ヒビキは地上を目指しゆかりと共に再び歩き始めた。

 

                  ◆


 イルナクス連合王国首都イルディナに、ウィラード城は存在する。

 旧き名の時代には城とは名ばかりだった粗末な建物は、勢力の拡大と共に改修が施され、やがて現在に続く白銀の城に姿を変えた。

 王国の意思決定が全てここで行われていた時代もあったが、立憲君主制への移行に伴い、現在は象徴たる王族の居住地や国賓を招く場所の側面が強くなっている。

 しかし、この日のウィラード城には早朝から多くの発動車が飛び込み、善人とは形容し難い面持ちの人々がそこから吐き出され、続々と城内へ吸い込まれていく。

 彼らの行先は皆同じ。広大な城の一角に存在する擂鉢状の部屋。嘗て意思決定の場に用いられていた議場だった。

 極大の緊張に包まれた者達の視線を、一段高い位置に座す妙齢の女が一身に受け止め、新たな言葉を紡ぐ。

「ディル・ベイン・シェルター跡に虫が入った」

 当代イルナクス女王・ベアトリスが、そう言い放つなり動揺が波濤の如く議場に広がる。どのような効果を有するかを知らずとも、女王が示した場所に大戦以前からの遺産が眠っている事は、場に集うイルナクス政府高官にとって既知の事実。

 侵入と奪取を許した時に何が起きるのか。国を統治する彼らにも見当が付かぬ事であるが故、恐れが場に拡散していく。

「あの場所には『祓光ノ騎士団』の残留思念が存在している筈です」

「肯定した者ならば容易に道を開け、ニヴィアに連なる血を引く者には、そもそも足止めすらしない。欠陥に過剰な信頼を寄せ過ぎたな」

 象徴として国民から敬意を払われているが、ベアトリスも立憲君主制の縛から逃れられず、政治的な実権は皆無に等しい。王族に関連する事象には一定程度の権限を有しているが、神話と化している『祓光ノ騎士団』に異を唱える事は原則的に許されなかった。

 残留思念に守護を託す危うさを把握し、ベアトリスからも法に抵触しない範疇での忠告を受けていたが、それを聞き流して不埒者に遺産の奪取を許した。

 下手をせずとも、場にいる数人の首が飛ぶ現実に重苦しい空気を帯びていく議場を一瞥し、イルナクス女王は白磁の顔に皮肉な笑みを湛え呟く。

「離脱者を含めても、ジルヴァの目を掻い潜る者はそう多くない。草の者が動向を監視している。徹底的に洗い出せ。歴史を巻き戻そうとする輩は、老若男女問わず害悪でしかない」

 苛烈な言葉に、修羅場を超えてきた高官達の身が跳ねる。

 ベアトリスはニヴィアの直系ではなく、本来女王の座に就く事はなかった。

 失政を繰り返していた先代女王と、彼女の親族が揃って心身共に機能不全に陥ったことで、二十七年前王座に就いたが、彼女達の退場には後ろ暗い噂が今でも絶えない。

「無能が為政者に立つ事は国民を殺し、国を滅亡へ歩ませる事に他ならない」

 近しい者にそう語っていたが為に、即位後彼女は疑惑の眼差しを容赦なく向けられた。

 常人なら三日と保たない厳しい状況に、規則に則り女王の座に就いた彼女は一切揺らがず、規則に抵触しない範囲で政治の世界に手を伸ばし、陰からイルナクスを変化を試み蠢動している。

「『白騎士』を呼び戻しますか?」

「遺物に今を生きる者を使う必要などない。我等の手で奪い返すまで。手段は問わん、総力を尽くせ」

 有無を言わせぬ指示を飛ばし、会議の終了が示される。

 千々に散っていく者達を冷めた目で見つめるベアトリスの傍らに、少女が歩み寄る。耳打ちを受けたイルナクス女王は組んでいた腕を解き、頬杖を突いて中空を睨む。

「伝承を正と仮定とすれば、あの場所に眠るのは『エルフィスの書』与太話を全て無視しても、所持するだけで箔は付く。……状況は良くない、か」

 ベアトリス自身は伝承の類を過度に信じていない。

『祓光ノ騎士団』第一席と第二席の子孫と称される『白光の騎士』も、振るう力を目の当たりにしたが為に受け入れているに過ぎず、血縁を含めた彼にまつわる荒唐無稽な噂の類は一笑に付している。

 ただ、彼女個人と民衆の認識は当然異なり、全ての国民が真っ当な判断力を持っている訳ではない。

 昨今の移民増加に伴う混乱や経済指標の悪化。果ては傍系が女王の座に就いていることまで。大なり小なり持っている不満を出鱈目に繋ぎ合わせ、諸悪の原因を一点に定めて人を煽り、我欲を満たさんとする輩は国内に一山いくらで転がっている。

 神話と化した時代の遺物は、そのような輩が欲する権威付けに十全な働きを成す。下手な使われ方をすれば、確実に流血を含んだ混乱が国内に生じる。対処に人員を割けば、水面下で蠢く火種が爆ぜた際の札が消える。


 図らずも、下手人は会心の一手を打って来た。


 目頭を軽く揉み、更なる情報の整理を試みたベアトリスが、何気なく手にしたのはディアック港からイルディナを結ぶ旅客バスの乗降記録。

 全ての乗客が一直線に首都へ向かう事が当たり前であり、途中降車する者は極めて少ない。偶然の作用が無ければ、普段はロクに見もしなかった代物だ。

 だからこそ、ディル・ベイン・シェルター跡に降り立った者が、今日存在している事実に女王の目が引き寄せられた。奇妙な符号を感じ、一言一句たりとも見逃すまいと細部まで目を向けたベアトリスは、乗降者の名を認識した瞬間、愉快そうに顔を歪めた。


 ――遂に、我が国に乗り込んで来たか。


 異邦人がインファリス大陸のヒルベリアに降り立ったと、情報を掴んだのが十か月前。背広組は対岸の火事と切り捨てたが、アークス王国との奇縁からベアトリスは独自に動向の監視を命じていた。

 踏み躙られるだけの存在と気にも留めていなかった彼等は、数多の強敵を打倒して『エトランゼ』との邂逅も果たしたと伝え聞く。ここまで生き延び、勝ち抜いてきた彼らが当地に乗り込んできたのならば、確実に嵐を呼び起こす。

 指を咥えて嵐が過ぎ去るまで待つ。穏健派を気取った無能の振る舞いが齎す報酬は破滅と、歴史が証明していた。イルナクスを守る為に打つべき手を、ベアトリスは既に握っていた。

 懐から取り出した通信機器を手早く操作し、耳に押し当てる。

 短い通信音の後、目的の人物の声が届き、ベアトリスの翡瞳に閃光が走る。

「久しいな。君に過去の後始末を命じる。孫弟子に当たる少年少女だ、楽しんで仕事に臨むと良い。スワルチオ公爵……いや、こちらが適切だろう。アークス王国元四天王・『札術士』ジャック・エイントリー・ラッセル」

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