20

「へぇ、そういうオチがついたんすね」

「あぁ……」

 アークス王国首都、ハレイドに存在するアークス中央病院の特別な一室で、四天王パスカ・バックホルツとユアン・シェーファーが会話を交わしていた。

 全身が包帯と治療用の呪符塗れになっているパスカは、全身を巡る鈍痛に顔を歪めながらも言葉を続ける。

「バトレノスはどちらの領土とも定めず、元々あの土地に住んでいた原住民が管理し、資源は両国とも彼らと交渉を行って手に入れるように、だそうだ」

「ま、悪くはないオチっすね。原住民はこちら寄りな筈ですし、間違いなくロザリスより安価に手に入れられる。失った領土全てを奪還すると掲げていた、現内閣の支持率は下がるかもしれないですが、結果としては……。あぁ、となると王様のお友達が政権取る可能性が上がりますね」

「妥協案を提案したのがバーン議員だからな。無論、これだけで今すぐに変わる事はないだろうが、未来への足がかりにはなる筈だ」

「その足がかりの設営、お疲れさまですっ!」

 嫌味さえも、聞く者が愛の言葉を囁かれているとの錯覚を抱かせる、整った顔の同僚に対し、パスカは深く嘆息する。


 バトレノスでの日々は、四天王たるパスカにとっても辛い日々でしかなかった。


 敵を派手に殲滅させてしまえば、世論からの反発やロザリス側の攻撃材料となりうる為に、サイモンから上位の攻撃魔術の使用自粛を求められたが、前線にいるロザリスの兵は悠長な真似を許容してくれる筈もない。

 本国に戻さねば修理不可能に陥る、程度で済む箇所だけを狙って敵の装備を破壊したり、精神に干渉する魔術によって敵兵を離脱させたりと、地味だが神経を使う仕事や、腕や足が吹き飛んだ兵士を戦線復帰させる為に『妖癒胎動ファリアス』の上位魔術、『慈母活光マーレイル』を延々撃ちまくる作業が主となった。

 後者については、指揮官たるゲーガン、マコルガン両者から「死んでない奴は全員戦える状態に戻せ」との指令を受けての物だが、恐らくその事を知らない前線の者達からは良い感情は抱かれなかっただろうと、深々と嘆息する。

 報酬が、乱発による脳へのダメージと全身の魔力回路の損傷で入院となれば猶更だ。また襲い掛かってきた鈍痛に顔を顰めても、年下の同僚の調子はどこまでも平常運転だ。

「まーいいでしょ、死んでないんだから。もっと明るく行きましょ」

「明るく振る舞えと言われても、振る舞える要素がない」

「そりゃぁどうしようもないっすね!」

 何がおかしいのか、笑い転げるユアンを見ていると妙な苛立ちが湧き上がって来る。同僚に手を上げるのはご法度の原則を、この瞬間だけは無視する決断をパスカは下す。

「うわっち! 何するんですか!?」

「お前の無駄に整った馬鹿笑いを見るのが、今だけは妙に癇に障ってな」

「酷っ! それが仲間に対して……!」

「その台詞は、先生とお前にだけは言われたくない」

 『牽火球』を尻に受けた程度では、ユアンが致命傷を受ける筈もないし、そもそも着火した瞬間に消火する事も、彼の技量なら可能。

 態と受けてくれたのか。対処する余裕が失われる程に、別の何かに思考を割いていたのか。彼の振る舞いを見れば、前者と考えるのが妥当だろう。 

 パスカが内心でそう結論付け、感謝の言葉を発しようとするのと同時に、床にへばりついたままのユアンから一枚の新聞が投げられ、受け取って目を眇める。

「『正義の味方』、また討伐されたそうですよ。今度はベイリスんとこが緑色の輩を倒したそうで」

「近々現れたのは確か十人だったな。デイジーが黄とオレンジ。俺が黒と白。お前が金と銀を狩った筈だから、残るは三人か」

「ロザリスでも一体狩られたらしいですし、後二人っすね」


 別の世界からやって来たと主張し、こちらに対して害を為す存在を、様々な意味合いを込めて『正義の味方』と呼称している。

 

 今回出没した型はヒトの形をとっており、こちらに対する敵意も戦闘力もかなり高い部類に入るが、各自が一体目と挑んだ時には、特段の苦労なく撃破出来た。

 しかし、彼らが死に際に吐いた「私の悲しみを背負って、仲間達が大願を成す」との言葉通り、後の方に対峙した存在は、撃破された者の能力などをも身に付け、油断ならない強者と化していた。

 残るは二人、となれば最早竜に挑む時以上に警戒を引き上げる必要がある。出現場所が掴めず、受動的な行動を強いられるのは口惜しい。

「だーいじょーぶでしょ。何処で出ようが、俺なら一瞬で叩き潰せますから。仲間の死が自分を強くする、なーんて負け犬全開の思考に囚われてるボンクラなんざ、どれだけ強くなろうと知れてますよ」

「お前な……」

 ユアン自身にとって二体目の対峙となった金の個体とは、四天王が相対した中で最後の対峙となったとは言え、かなりの傷を負う苦戦を強いられた。

 この事実は記憶に刻まれているだろうが、彼の目には虚言を吐いたつもりは毛頭無いとの主張が宿っている。

 

 同僚に対する不安が、胸の中に少し巣食い始めた感触をパスカが感じていると、病室のドアが開かれ第三の声が登場する。


「お邪魔します。……ユアン君、何してるの?」

「いや、大人になるって難しいなと……」

「いつもの変な発作ってことね。パスカ君、具合はどう?」

 紫色の長髪に、同色の瞳。一・七三メクトルの、単なるヒト族の女性の中では長身に位置する身体を漆黒の軍服に押し込み、腰には無銘の長剣を差した女性。

 床に転がっているユアンを適当にあしらい、気遣いの声をかけてくれる、四天王ルチア・バウティスタに対して、パスカはぎこちない笑みを返す。

「峠は越えました。実戦復帰はしばらくかかりそうですf……」

「そう、なら良かった」

 クレイトン・ヒンチクリフと共に先代四天王の一翼を担い、彼と同年齢であるにも関わらず、やはり魔力に依る老化の軽減があるのか、二十代半ばにしか見えないルチアは、柔らかい笑みを浮かべたまま、おもむろに肩掛け鞄に手を突っ込む。

「一体何を?」

「旦那と娘の為にお菓子を作ったんだけど、余っちゃってね。二人にも……ユアン君、どうして這って逃げようとしているの?」

「いや、持病の癪が……」

「あなた超絶健康体だったでしょう」

 真っ当な指摘を食らって、執行を待つ死刑囚の表情を浮かべて戻って来るユアンに、パスカはルチアに聞こえない程度の声で問いかける。

「一体どうしたんだ?」

「……家事の中で、料理だけは旦那がやってるんすよ。……この意味が分かりますか?」

「ルチアさんが? にわかには信じ……」

 視界をも変色する錯覚を抱かせる異臭が鼻を叩き、パスカの言葉が止まる。恐る恐る目を向けると、何やら気泡を発しているどす黒い物体が、ルチアの艶やかな手に載っていた。

「……それは一体何ですか?」

「林檎のパイ。娘のおやつに上手く作れたと思うんだけどね。旦那が「甘い物を食べさせ過ぎるのは良くないから、同僚に食べさせてあげなさい」って言うから持ってきたの」

「あんのクソ眼……」


 失礼極まりない言葉を口走ろうとした、ユアンを肘鉄で黙らせて、パスカはここからの脱出手段を模索。彼の優れた頭脳は、すぐにこの場からの脱出は不可能との結論を出してくれる。

 ――え、マジで食うんすか!? アンタ自殺志願者だったんすか!?

 ――どちらかが食べないと収まらんだろう。……なら、お前が食うか?

 ――絶対嫌です!!


「あ、そうそう。ユアン君の分もあるからね」

「なぁッ!?」

 目でやり取りを行っている間に退路を塞がれ、四天王二人はルチアにバレない程度に細かく全身を震わせながらも、林檎パイらしい何かを手に取り、口の中へと放り込んだ。


 この病院の個室の空きが一室減った。頓末としてはこれで十分だろう。


                 ◆


 時間を遡ってエル―テ・ピルスの麓。

 セマルヴェルグによって、ユカリがヒルベリアに送られたのと同じように、ティナ・ファルケリアも自宅のすぐ近くに送られていた。

 転送場所が悪かったのか、木の上に降り立つ羽目になったが、手に持っている七色の羽根のお陰か彼女の表情は明るい。

 かなり下駄を履かせてもらったものの、セマルヴェルグに認められ羽根を手にしたのだ。父の、ルーゲルダの反応を想像すると、楽しみでならない。

 ――ルルさんは褒めてくれるに違いないけど、父さんはどんな反応するだろうな。喜ぶかな、負け惜しみを言うかな。それとも……

 木から飛び降り、表情を緩めて走っていると、すぐに自宅が見えてくる。

 

 が、やけに静かな事が、ティナに僅かな懸念を呼び起す。


 ハルクもルーゲルダも、非常に規則正しい生活の流れを持っており、それを崩す事は滅多にない。この時間帯なら、いつもハルクが家の外で何らかの作業をしているはずだ。

 ――体調を崩したのかな? まあ年だし仕方……!


 常識的な推測は、無惨に破壊されたドアで粉砕される。


 体調を崩していようとも、二人はこのような状態を放置して休むような性格ではない。警戒度合を一気に引き上げ、ティナはコーデリアと紫電を引き抜き、息を潜めて家に侵入する。

「……」

 居間にある筈の椅子が、玄関の壁に突き刺さっているのを視認し、心臓の鼓動が早くなるのを感じながら居間へと踏み込む。


「おおティナか。戻って来たって事は成功したってことだな。……おめでとう」


 平時と変わらない調子のハルクの声を聞いて、発せられた方向に向き直ったティナの両目が、限界まで開かれる。

「……!」

 ハルクの左足は失われ、胸部から腹部にかけて大量の傷が走り回っていた。

 傷は明らかに内臓にまで届いており、呑気に話している事すら奇跡に等しい状況を目の当りにして硬直する自らの娘に苦笑を浮かべながら、彼は再び口を開く。


「変な人形に襲われてなー。格好良く追い返してやろうと思ったんだけど、やっぱり年には勝てなかった」

「ルルさんは何処に!? あの人がいれば……」

「二人がかりで負けた。……ルルがいなきゃ役立たずになる事が割れてたみたいでな、早々に吹っ飛ばされた。だからアイツは命に別状は無……」


 ハルクの顔が苦痛で歪み、身体を曲げて激しく咳き込む。これだけの傷を負っている相手に、呑気に話しかける事は不正解だとようやく思考が働き、治療の為にセマルヴェルグの羽根を使おうと動いたティナの手が止められる。


「……助からん相手に力を使うな。俺もアイネも、無駄な情のかけ方を教えた覚えはないぞ」

「でもッ!」

「これから大事な話をする。……よく聞け」


 どれだけ過去を辿っても聞いた覚えの無い、父の真剣な声を前にして、ティナは口を閉じて耳を傾ける。


「俺達を襲撃したのは恐らくアークスの人間だ。……お前は自身は人形と対面していないから、とかいう甘い救いは期待しない方が良い。取り敢えずグレリオンへ逃げるんだ」

 ザルバドから東に向かったところに位置する小国は、ハルクの嘗ての同僚「獅子姫」レヴァンダ・グレリオンの血族が統治しており、そこならばアークスの者は容易には入り込めない筈だ。

 それはティナ自身にも当て嵌る事であるが、ハルクは解決策を提示してみせた。


 彼自身の腹の傷を更に抉り、震える手で血晶石を差し出したのだ。


「!」

「レヴァンダの魔力が入ってる。……これは俺とアイツしか知らないブツだ。……性を名乗って、レヴァンダに繋げと言えば少なくとも謁見は出来る。そんでコイツを見せれば、どうにかしてもらえる筈だ」

「どうしてこんな物が?」

「俺は強さを求めて邪道に縋った。それだけだ」


 体内に血晶石、邪道。この二つの要素で、ティナは父がどのような事を過去に試みたのかを理解し、力を渇望していたという側面を知って絶句する。


「……お前は俺よりも遙かに強い、だから……、こんなモンに縋ろうとせずに、強くなれ、いいな?」

「……別れの言葉みたいなこと、言わないでください」

「……魔力を持たない俺が、ここまで傷を負ったらいやでもオチは分かるだろ。……ルルは連れていけ、それと――げっ!」


 言葉の途中で灰色の瞳に宿る苦痛の色が強まり、ハルクは激しく血を吐き、ティナもそれを被った。


「父さんッ!」

「まだ死なんから落ち着け。……アイネの、母さんのことは心配するな。俺の拍動が止まって二十四時間が経過したら、自動的に伝わるようになってる。……後、準備が出来たら死体ごと家を焼いてくれ。相手の狙いが完全に分からない以上、全てを消す方が確実だ。……口惜しいがな」

 

 死神が確実に近づいているにも関わらず、今伝えるべき事を確実に言葉にしていくハルクに対し、ティナはただ首を振るばかり。そんな娘の頬に汚れが少ない右手で触れてハルクは笑う。


「――泣くな。生物は皆誰もが死ぬ。俺はまだ、お前の葬式を見ずに逝けるんだから幸せな方だ。……」


 上手い言葉を探しているのか、途中で喋るのを止めて灰色の瞳を宙に彷徨わせるが、やがてハルクは苦笑する。


「……すまん、頭の出来が良くないから、お前のこれからの人生についての金言を送るのは無理だわ。……別に歴史に残るような事が出来なくても良い、それなり程度の幸せを得て、長く生きてくれよ、ティナ」


 ハルクの伸ばした右腕が落ち、身体が鈍い音を立てて床に倒れた。

無言のままティナが身体を起こさせると、嘗ての四天王の目からは光が失われ、呼吸も停止していた。


 暫しの間、呆けたようにハルクの身体を揺すったり、無意味でしかない治癒の魔術の発動、セマルヴェルグの羽根を突き刺す等の行動をとった後、全てを理解したティナの口から慟哭が吐き出された。

 

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