19

 爆発によってフリーダの巨大化した右手が回帰を果たし、それに伴ってハンナも解放されて地面に落ちるが、受け身を取る素振りすら見せなかった事で、彼女の状況を朗々と彼らに伝える。

 腕を巨人のそれの如きサイズにまで転じさせ、日頃の何気ない動作を一撃必殺に変える『鋼人爆膂握クローム・デスグリッパー』の真価を如何なく発揮し、ハンナ・アヴェンタドールを戦闘不能に追い込んでみせたフリーダは、安堵の溜め息を吐いて前のめりに倒れ――


「ここで倒れたら死ぬ流れだ。立っとけ」

「……お気遣い感謝するよ」


 何時の間にかこちらに近づいていたヒビキに腕を掴まれて、倒れ伏す直前でどうにか踏み留まる。

 ヒビキの方も左眼と右腕から光が失われ、呼吸も荒い。貯めこまれた魔力をほぼ全放出してしまい、彼も最早限界なのだろうと思いながら、フリーダは問いかける。


「レヴェントンは?」

「死にはしないだろうが、まだ意識が戻っていない。これで俺たちの……」

「まだだッ!」


 会話を遮る形で、心が全く折れていないと声高に主張する叫びが耳に突き刺さり、二人は硬直する。

 声の主であるハンナは全身に重度の熱傷を負い、右足に加えて左肘から下を消失しても尚パラボリカを杖として立ち上がり、目に闘争の炎を宿している。

 ――どうにもこのまま終了とはいかなさそうだ。


「のわっ!」


 などと呑気に思考を回していると、彼女の口から炎が吐き出され、ヒビキがフリーダの上から倒れ込むようにして伏せる。


「い、今のは一体何なんだ!?」

「ドラケルン人はなんか魔術無しで火を吹けるらしい! 隙が大きいか何だか知らないが、今日の戦いでは今までずっと使ってこなかったけどな!」

「なんだって!? ――それじゃ」


 僕たちの負けじゃないか。

 皆まで言えなかったが、フリーダの言いたかった事はこうであり、この指摘は正鵠を射ている。

 『魔血人形』の力の解放が不可能になったヒビキと、『鋼人爆膂握』の反動で右腕が使い物にならないフリーダでは、ノーリスクで攻撃が可能なハンナを対処する術などない。勝敗の天秤は、またしてもディアブロに傾いたのは明白。


「……今更引ける訳ねぇだろ。……俺はやるぞ」

「無茶だ! その身体では戦えない!」

「九十六時間ぐらいその忠告は遅い。……もうやるしかねぇんだよ」

 

 左足を引き摺って、ヒビキは前進を開始する。勝利が限りなく遠い場所に消え、敗北だけが目の前に残されている事など当然理解している。

 しているが、今更ここで賢者を気取って逃げても何も得られず、目的も達成出来ない。ならば、例え気狂いの現実逃避と断じられようとも、小数点以下の微小な可能性に縋って戦うのが正解だろう。

 目に狂気を宿し、満身創痍の身体に鞭を入れて二人は対峙する。どちらかが命を落とすまで続くであろう戦いの火蓋が切って落されようとした時――


「そこまでにしとけ、ハンナ。それとヒルベリアの兄ちゃん達もな」


 手を打ち鳴らす音と、野太い声が背後から届いて中断させられる。

 ハンナはその声で、ヒビキとフリーダは背後に向き直って姿を視認したことで、ここにいる筈がない者が乱入者の正体であると理解して、混乱する。


「ロドルフォ・A・デルタ……。ロザリスの総統がなんでここに!?」

「そこの茶髪の兄ちゃん俺の事知ってるのか。ヒルベリアの輩も、コルタロの奴らと同じでそう馬鹿じゃないのな」


 肥満気味の身体を、金銀の勲章が彩っている軍服で包んだロザリスの最高権力者が何故いるのか。疑問を抱いて動きが止まったフリーダと比すると、頭に血が上っているせいで判断力が低下しているヒビキは、切っ先をロドルフォへと向けた。


「おーおー怖い怖い。……しかし兄ちゃん、俺が誰であるか分かってやってんなら、なかなか命知らずだな」

「るせぇッ! ここに何の用だ!?」


 ハンナを含む、この場にいた者全員の気持ちを代弁した言葉を受けて、ロザリス総統は身体を揺すりながら、笑って煙草を箱の底から取り出し、火を点けて口に咥える。

 紫煙を口と鼻から吐き出し、今にも斬りかかってきそうなヒビキや、体力の限界で倒れそうになっているフリーダと視線を絡めた後、両の手を大きく広げる。


「単純な話だ。ハンナとレヴェントンを回収しに来たんだよ。……つまりは、俺たちの負けだ」

「……!」

「……なるほど」

「そ、そんな! 私はまだ……」

 

 三者三様の反応を受けながら、ロドルフォは「勝者への特別サービスだ」と笑って言葉を繋ぐ。


「お前等にディアブロが負けた以上、俺はこれ以上異なる世界からの来訪者とやらに手は出さんと誓おう。ここからも退かせて貰う。これで手打ちにしちゃくれないか?」 

 詰めの一手がなく、逆にあちらからの最後の手を待つばかり、の状況だった二人にとってロドルフォの申し出は非常に魅力的だが、相手が態々そのような申し出をしてくる理由が無い。

 加えて、相手が約束を履行する保証が何処にもない。同じ危惧を抱いた二人は、揃ってロザリス総統に不審の目を向ける。。

「そんな言葉、信用出来ません。貴方達を殺す為に戦いを続行します。……僕達がこう言ったらどうするおつもりなんですか?」

 フリーダの問いに、ロドルフォはニヤリと笑って上着を脱ぐ。


「ま、これをああする訳だ」

「……!」


 ロザリス総統の身体に、粘土によく似た色をした爆弾が無数に巻かれていた。

 仕組みを理解出来なくとも、起動すれば彼諸共自分たちも死ぬ事だけは理解出来、二人は互いに目配せをして得物を下ろす。


「……本当に、ユカリには手を出さないんだな?」

「約束しようじゃねぇか。こっちの方でも別の事で準備をする必要が生まれそうでな、異邦人をどうこうしている余裕が無くなっちまった。それに、奪うのにこれだけの労力が要るなら、割に合わないからな。……詫び賃として取っとけ」


 おもむろに、ロドルフォは何かを放り投げ、受けとめたヒビキの掌には、深海を想起させる青の宝石が乗った指輪が収まっていた。

 駆け寄り、ヒビキの手の中を覗き込んだフリーダの目が、指輪の価値を理解したのか驚愕で開かれる。

「これは……!」

「知ってんのか?」

「キノーグ人が加工したラピスラズリだよ。……他の色が混ざらない物なんて、売れば相当のお金になるだろうし、対魔術防御の効果も物凄く高い筈だ」

「魔術の適性が無い俺でも『奇炎顎』ぐらいなら完全に無効化出来たぜ。お前等の殺し合いに何処まで通用するかは分からないが、気休めにはなるだろ」

「……感謝する」

 最低限の礼儀として言葉を発するが、納得はしていないと顔で朗々と主張するヒビキを見て、ロドルフォは苦笑しながら背を向けて歩き出す。

 レヴェントンを抱えてハンナを肩で支え、そして二人の得物を「あ、これ腰が死ぬんじゃないか……?」と間抜けな言葉を発しながら背負い、停車していた発動車の後部座席と荷台に安置して発進させる。


「あと一つ、これは老婆心からの忠告だ。異邦人から、早い内に距離をとっておけ」

 態々発動車を停止させ、運転席から身を乗り出したロドルフォから発せられた言葉で、二人の表情は再び険しい物へと変わる。

「ザルバドで、ロザリスの諜報部に化けたアークスの軍人がいたらしくてな。そいつらは異なる世界からの来訪者を寄越せと迫ったそうだ。ま、ここに帰還しているから、計略は失敗されたと見て良いとは思うがな」


 あくまで聞いた話、の風情で語ってくるが、国のトップが、しかも強引な手法で政権を奪い取った男が確証の無い情報を話すとは考え難い。

 ロドルフォを信じるとするならば、アークスの中でも、ユカリを強硬な手段で扱いやすい場所に「保護」しようとする動きは確実に存在しており、自国民にさえも牙を剥く、という訳だ。

 理性で考えれば、関係を絶つのが最善なのは疑う余地もなく肯定が可能だ。

 今回のディアブロとの戦いは、一番の実力者であるハンナに二人程度の実力でも衝けるような脆い点があり、更にロドルフォの助け船があった為に勝利を拾えただけに過ぎず、実力だけで勝利したは到底言い難い。

 この先勝ち続けられる保証は一切なく、寧ろ敗北して物言わぬ骸へとなる可能性の方が格段に高い。


 ――でも、迷う段階はとっくに通り過ぎてんだよ。


 薄汚い自分を肯定して貰いたい欲望から始まった交流は、既にヒビキの中では日常の中に、そしてそれなりに失いたくない物の中へと組み込まれている。

 更に言えば、自分は既に二度死んだ存在だ。死ぬのが怖いだなんだとお上品に語る資格も無ければ、これまでの人生で慣れてしまったせいで、敗北を喫する事に対しての恐れも薄れている。


「ご忠告には感謝するが、今更放り捨てる訳にもいかないんだよ」

「放棄したところで、運命ってヤツは僕達を追いかけてきそうですしね。なら、立ち向かう姿勢を保つ方が良い。……それに、ユカリちゃんもヒビキの元を離れるのは望んではいない」

「そりゃどういう意味だよ?」

「自分で答えを見つけると良いよ」


 年齢相応の調子でのやり取りを、暫しの間眺めていたロドルフォだったが、肩を竦めて相好を崩し、発動車を方向転換させる。


「覚悟が出来てんなら、俺がこれ以上言うこたぁないな。……ま、ケツまくりたくなったらロザリスにでも来い。俺の用心棒にでも雇ってやるよ」


 発動車を発進させて、手を振りながら遠ざかっていくロドルフォ達を、見送っていた二人だったが、その時間はフリーダが地面に崩れ落ちた事で終了する。


「……すまない、もう限界だ」

「しっかりしろ……って、あ、れ?」


 助け起こそうと手を伸ばしたヒビキも、視界が激しくブレ、生身の右足が勝手に脱力してへたり込む。二人とも力を使い果たしてしまい、しばらく立てそうにも無い状態だが、表情は明るい。


「なんだ、ヒビキもしっかりしてないじゃないか」

「俺のが後に倒れたからお前よりしっかりしてるぞ」

「それは子供の屁理屈だよ」

「お前も俺もまだ法律の上では子供だろ」

「なるほど、確かにそうだね」


 いつも通りの下らない言い合いで笑い合う。こんな事が出来るのも、勝利を掴みとったからこそで、逃げの選択をしていては絶対にありえなかった。

 喜びと安堵を噛みしめながら、ゴミ捨て場の少年二人は立ち上がれるようになるまで、転がったまま笑い続けた。


                 ◆


「……どうして、アークスに入国出来たのですか?」


 発動車がヒルベリア、そしてアークスを脱出した頃、ハンナが投げかけてきた疑問に対し、ロドルフォは首の後ろを揉みながら答える。


「バトレノスの戦いが、一応ケリが付いた。負けに近い引き分けっつー交渉結果だったから、何かオマケを寄越せってゴネて今回限りの入国権を与えられたんだよ」

「……総統は私達が負ける事を予測していたのですか?」

「いや全く。ガラ抑える為に入国したつもりだった。呑気に車転がしてたら、お前とあの餓鬼共がやり合ってるところに辿り着いただけだ」

「……」


 敗者に下された処分への恐怖か、期待を裏切ってしまった事への絶望か、ハンナは沈黙して身体を震わせる。

 死人の風情を漂わせ始めた、助手席に座る部下の肩を、ロドルフォは軽く叩く。


「負ける事だってある。……次勝てば良い」

「次など私には……」

「なんで首飛ばす事が大前提になってんだ。飛ばしやしないさ」

「!?」


 惑星外生命体を目撃したかのような、驚愕の表情を浮かべるハンナに対し、ロドルフォは前方を向いたまま続ける。


「どうにもキナ臭い事がこれから起こりそうでな。乗り越える為に、兵隊は幾らいても充分とは言えん。そのような状況の中で、最も実力の高いお前等を切れる訳がないだろうが」

「……!」

「今回の敗北で、お前が、それとレヴェントンが俺に対して申し訳なく思うなら、もっと強くなって俺に貢献しろ」

「そ、総統ッ!」


 感極まった様子で、ハンナは首元に飛びつく。一見感動的な光景だが、筋肉の密度が常人の十倍近くあり、骨も金属に近い組織構成に置換している為に、細身な外見とは裏腹に体重が三桁に乗る彼女の飛びつきは、常人を殺害するだけの力を有する。

 元軍人と言えどもこれには耐えられずに顔を青くし、ハンドルの操作を乱して発動車は酔っ払いの運転に似た蛇行の挙動を見せる。


「分かった、感動したのは分かったから腕を離せ! 俺の首が砕け――」

 

 呑気な振る舞いをしているが、ロドルフォが、いやロザリスがバトレノスから退く選択を行った理由の中に、この戦いの終結という私的な物は脇役でしかない。

 どうにもアークス内部で、二国間を通り越してこの大陸にまで累を及ぼしそうな試みが進行しているとの噂と、噂を補強するような出来事の発生を前にした彼は、戦力減を嫌ってディアブロの救出と、引き換えとしてバトレノスの放棄を選んだのだ。

 

 アークス王国が、元四天王の処分を行おうとしている。異邦人と関係を持った為ではなく、国王たるサイモンが何か別の意図を持って。


 噂を補強する要素の一つである、諜報部から上がって来たこの事実以外にも、彼女たちには伝えるべき懸念事項があったのだが、このまま行くと命が危うい。まずは、ハンナを引き剥がす事に集中しなければならない。

 今一つ締まらない雰囲気を纏いながら、ロザリス総統とその兵を乗せた発動車は夜の闇の中へと消えていく。

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