18

 ――勝者は、やはり竜騎士。


 自らの肉体に甚大な損傷を刻みながら、猛る竜はスピカとその刀身が纏う水の刃を押し切り、魔剣フラスニールの凶悪な切っ先がヒビキの身体へ届く。

 フラスニールによって身体を破壊されながら、烈風と強力な魔力にぶん殴られてバランスを崩したヒビキの足が地面から離れ、後方へと吹き飛ばされる。


「ヒビ――」

「おーっと! それは駄目だなぁ!」


 自らの横を抜けて遙か彼方へ消えていこうとするヒビキを、受けとめようとしたフリーダだったが、レヴェントンの邪魔を受け、友人が結界の壁に叩き付けられる様を見送るしか出来なかった。

 地面に落ちて転がったヒビキはピクリとも動かず、戦闘続行か否かは考えるまでもない状況。

 結果、強制的に二対一の戦いを強いられる事になったフリーダは、どうにか強気な姿勢を保ってディアブロに挑みかかる。


 だが、現実は極めて残酷だ。


 レヴェントンだけが相手でも、持てる全てを絞り出してやっと戦いと言える状態に持ち込めていたのだ。彼以上の実力を持ち、戦闘の様式がまるで異なるハンナが加われば、戦いの勝敗など火を見るよりも明らか。


 僅か三十秒。


 三十秒でフリーダは地面に崩れ落ちた。後一撃程度なら、何とか放てると己を叱咤してみるが、一撃でディアブロの二人を纏めて撃破するなど不可能だ、と冷静に現実を突きつけてくるもう一人の自分が、立ち上がる事を阻む。

 完全に決着は付いた。だがまだ事態は終わっていない。

 ディアブロの二人は、そう言わんばかりに己の得物を高々と掲げたまま、フリーダに接近していく。


「よく頑張りました、だね~。ま、及第点ぐらいはあげても良いかなって感じだよ!」

「……ふざけるのも程々にしておいた方が良いよ。まだ終わっては――」


 レヴェントンによる若干十一歳とは思えぬ容赦の無い蹴りが腹部に刺さり、フリーダは皆まで言えずに悶絶して地面を転げまわる。


「レーヴェ。決着がついた以上、無用な苦痛を与えるのは良くない。ここまで食い下がった相手に対し敬意を払って、一撃で終わらせるぞ」

「は~い」


 ハンナの指摘に頬を膨らませながらも、レヴェントンはバスケスを大きく振り上げ、狙いを定める為か空中で止める。


「ま、あの世の感想を聞かせて――」

「勝者気取りしてんじゃねぇよ、クソガキ!」


 遥か後方から、極々僅かな笑声の成分も混じった怒鳴り声が届き、三人の動きが綺麗に止まる。

 六つの目から注目を浴びる声の主、いやヒビキは全身から出血しながらも立ち上がっていた。『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』を行い、スピカを砲台の形状にしているが、その意図はディアブロの二人には解せない。


「何? 僕たち二人を纏めて倒す手段でもあるの? その身体で?」

「ある訳ないだろクソガキ! ……俺達にお前等を纏めて倒す事は最早不可能だ。……だから」


 言葉を切ってヒビキが目を閉じ、それに呼応するかのように大地が僅かに震動を始める。

 極々僅かな物だった震動は徐々に大きくなり、やがて小規模な地震並みの物となってディアブロ達は不穏な物を感じて周囲を見渡す。

 やがて地面を割って地下水が噴出し、長身のハンナの腰が浸かる程度まで結界の中を満たす。

 ここまで来れば、相手が何らかの攻撃を仕掛けるつもりだと誰でも理解する。 

 ディアブロの二人はヒビキを先に仕留めるべくフリーダを放って始動、だが選択が致命的に遅かった。

 発動の準備は整った。

 ヒビキは勝利への確信と、あまりにも正々堂々と戦ってくれた、ハンナに対しての謝罪の気持ちを等分に抱いて吼えた。


「だからお前等片方だけでも、道連れにしてやんよ! ……終わりだッ! 『大鯨潜海戈獄ヴァレル・インフェロット』ッ!」


 手酷い負傷によって体内の血液を失い、身体を激しく震わせながらも、ヒビキは天に掲げたスピカの引き金を迷いなく引いた。

 

 無骨な砲口から小さな光球が一つだけ放たれ、同時に水中から巨大な鯨が飛び出してそれを喰らった。


「―――ッ!」


 ヒトの耳では正確には捉えられない鳴声を上げて、水と魔力で構成された鯨が身体をくねらせて再び水中に没する。

 妙に角ばり、全体の三分の一近い長さを誇る鯨の頭部の形状、そして水の抵抗をモロに受ける、胴体を彩る奇怪な骨の棘。これらの要素から、術の発動者が構成した鯨が何であるかを察したハンナは、疾走を開始する。


「レーヴェ、逃げ――」


 伸ばされたハンナの手がレヴェントンに届く直前、水中から再び姿を現した鯨の牙に、ディアブロの片割れは捉えられる。


「な――」


 疑問の言葉を皆まで言うより先に鯨の顎が閉じられ、レヴェントンが喀血。

 鯨が頭部を激しく振るった事で牙が食い込み、腹部の肉を引き裂かれながら、ディアブロの片割れは鯨もろとも水中へ没する。

 海竜達でさえも、よほど飢えていない限り接触を避ける凶暴な潜水鯨、インフェロテールを模した水の塊はその生態通り、レヴェントンを咥えたままひたすら深く潜行する。

 咥え込んだ存在からの抵抗を受けても、全身が岩盤に激突しても、大鯨の皮を与えられた生命を持たぬ水の塊は一切動じず、ひたすら突き進む。


 しかし、生身のヒトであるレヴェントンにとっては話が別だ。


 大抵の者は、水中では魔術の発動効率が極端に低下する。

 それは『ディアブロ』たる彼にとっても例外ではなく、防御、もしくは負傷を治療する為の魔術を紡ぐ事さえも出来ずに、激流に身体を蹂躙されていく。

 肺呼吸の生物である以上、魔術等の備えがない状態で水中にずっと居続ける事は不可能。加えて、岩盤への激突が延々と続いてしまえば、如何にディアブロと言えども命の危険を論じる必要が生まれる。


「や、やめ――」

「……まだだ! 跳べッ!」


 制止を求める、ハンナの震えた声を無視して、ヒビキは水の塊の操舵を続行。

 彼の意を正確に汲んで、レヴェントンが水中から放り出される。既に抵抗するだけの力を失っている様子の、ディアブロの少年の周囲を水の柱が包囲。

 再び構成された鯨の水塊は身体をくねらせ、巨大な尾でレヴェントンをぶん殴る。

 骨の砕ける物と思しき鈍い音を発して、再び堕ちていく少年を追撃すると言わんばかりに、水塊も追随する。


「良いぞ! このまま一人だけでもぶっ殺せッ!」


 先刻までとは打って変わって、小悪人の風情を漂わせて喚くヒビキと、黙したまま水に攫われぬようにひたすら無表情で耐えるフリーダとは異なり、ハンナの表情は今まで見た事もない蒼白な物に転じていた。

 戦士として、組織人として思考を冷静に働かせれば、レヴェントンが死んだところで、二人に地力が圧倒的に勝っている彼女を倒す余力は既に無く、目的を達成する事は何が起こったとしても可能。

 ここが戦場である以上、敵の術に嵌った相棒を見捨てる事は正しい選択肢の一つとして確かに在る。結果さえ持ち帰れば、賞賛を得られるのが組織だ。


 しかし、ハンナ・アヴェンタドールにとって、レヴェントン・イスレロの存在は戦術的判断や組織の理屈で括れるほど安くはないのだ。


「レーヴェを、放せぇぇぇぇッ!」


 フラスニールを槍の様に構え、ハンナは眼前の無力なフリーダに背を向け、魔術を発動しているヒビキに向けて突撃を開始。

 明らかに、魔術の制御に手間取っている風情のヒビキは回避の為の行動が出来ず、あっさりと接近を許す。

 魔術を停止してスピカを構えた時には、最早選択肢は倒される事のみという状況。

 敗北を待つだけの状態でありながらも、ヒビキは突撃してくるハンナを笑顔で出迎え、腰を落としつつ口を開く。


「アンタなら来てくれると信じてたよ。……だが言った筈だ、どんな手でも勝利を掴むと!」

「黙れッ!」


 スピカとフラスニールが極々短時間交錯し、けたたましい音と火花が世界に散る。

 両者の速力や余力の差から導き出される当然の結論として、ヒビキはハンナの右足を斬り落としたものの、強烈な斬撃で腹部に致命傷を負って、今度こそ戦闘不能状態に陥り地面に沈む。

 そんなヒビキを放って、ハンナは魔術が中断したことで空中に放り出された相棒を受け止めて呼びかける。


「しっかりするんだ、レーヴェッ! ……っ!」


 相棒の状態は意識を喪失した、だけでは済まなかった。

 全身に打撃に依る傷が刻まれ、四肢が明後日の方向に無惨に変形し、大量の水を飲んだせいか呼吸も怪しい状況に陥っている腕の中のレヴェントンに対して、ハンナは一切の躊躇を見せずに『妖癒胎動ファリアス』を発動。

 効果はすぐに現じ、レヴェントンの傷はすぐに塞がっていく。

 これなら、時間はかかるが五体満足でいられる。安堵の息を吐くのと同時に、自らが巨大な影に覆われつつある事に気づき、振り返ったハンナは息を飲んだ。


「ヒビキだけじゃない、僕もいるんですよ、ハンナ・アヴェンタドールさん!」

「――なっ!?」


 茶色の髪を持った少年、フリーダ・ライツレの右腕が、彼の『転生器ダスト・マキーナ』共々異常なまでの巨大化を果たし、ハンナに向けて無慈悲な速力で振り下ろされる。

 驚異的な判断力でレヴェントンを右手の範囲外に退避させ、持ち前の剛力で右腕を押し返しにかかったハンナだったが、身体が突如として右方向へ傾斜する。 

 それもその筈、彼女の右足はヒビキによって切断され、レヴェントンの治療を優先した為に未だ再生していないのだ。


「ぐッ!」


 バランスを崩した結果、ハンナはフリーダの巨大化した右手の中へ握り込まれ、腕の上昇に呼応して宙に浮く。

 フリーダが『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』の変化先として選んだのは、ヒビキの持つスピカの変化と比すると単純な、しかし確実な効果が見込める強化という選択だった。

 竜鱗に似た装甲の隙間から肉が見え、血管が浮き出て紅い帯が脈動するグロテスクな右腕と右手の齎す力は凄まじく、脱出しようと死にもの狂いでもがくハンナさえも封じ込める事を実現している。


「……そうか、君達は最初からこうするつもりだったのか!」


 縛めを強引に突破しようと、フリーダとの力の綱引きを行っている中で、二人の狙いにハンナだったが、その気付きは致命的なまで遅すぎた。

 誰かを、何かを犠牲にせずとも、己の力のみで事態を打開し勝利を得る。

 それだけの実力を有しているが故に、ハンナの中で知識としては存在していても、実戦で使われることは無かった、相棒を囮に用いて大技を放つ隙を作り出すという策に、二人は最初から賭けていたのだ。

 ヒビキが剣技のぶつけ合いに持ち込んで敗れた事で、決着はついたと判断したディアブロの二人の注意は、当然残るフリーダに向く。

 三人がやり取りを交わしている間にヒビキは『大鯨潜海戈獄』を紡ぎ、それによってレヴェントンを拘束。彼を死に近い所まで追い込めば、資料などから読み取る事が出来た、ハンナの性格から考えればレヴェントンを確実に助けに行く筈。そこから後は、最早思考する必要はない。

 ハンナ・アヴェンタドールについての資料で記されていた、レヴェントンとの繋がりを利用する賭けは、二人も絶望的な状況に追い込まれはしたものの、こうして結実しつつある。


「……!」


 地響きに酷似した咆哮がフリーダの耳を叩き、右手を伺うとハンナが強引に手から抜け出そうと足掻き、そして右手が開かれようとしている光景が目に飛び込む。

 信じられない馬鹿力を前にして、焦りと、やはりこれを使わねばならないのか、という恐怖心がフリーダの中に宿る。

 ――……ここで使わないと、何の為に練習して、何の為にここまで戦ったのか分からないじゃないか。……後の事は後で考えれば良い!

 決意と共に、フリーダは一気に魔力を右腕に集中させる。

 血管の脈動が更に激しくなり、腕全体が赤熱して陽炎が揺らめく。生身の部分が熱傷を負うほどの高熱にも怯まず、ハンナは更にもがき後少しで脱出が可能となる状況。 

 しかしフリーダの中で、焦りや不安の類は不思議と消えた。恐怖が振り切れて自棄になっているのか別の何かによる物なのかは分からないが、結果として、この戦いを終わらせるのだという意思だけに、彼の内側は満たされる。


「終わりにしましょう。……『鋼人爆膂握クローム・デスグリッパー』ッ!」


 主の叫びに呼応して、右腕が僅かに震動を開始する。

 更に輝きを増すと同時に、右の掌が強制的に閉じられ、内側からハンナのくぐもった声と骨が折れる音が聞こえてくるが、フリーダは取り合わずに、まるで勝利を掴みとるのだと言わんばかりに右腕を天へと掲げる。

 ――これで、僕達は勝てる。……まだ生きていられるんだッ!

 感情に呼応して更に握力の増大が為されたのか、ハンナの「ごふッ」という声が聞こえた後、血管に宿っていた光が全て右手へと集結し、手の中の存在を視認出来ない程の輝きを放って沈黙。

 全ての準備が完了した事を察したフリーダは、一片の迷いもなく、右手に対して最後の指令を飛ばす。


 一瞬の静寂の後、場にいる者の視界を完全に奪う閃光を発して、強制的に閉じられた右手が爆発した。

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