17:血風 鋭くなって

 凄烈な速度の斬撃が激突し、光の尾が二人の決闘者を彩る。

 反動で両者共に大きく後退するも、ヒビキは『魔血人形アンリミテッド・ドール』の、ハンナは自らの身体能力をフル活用して急速接近。再び互いの得物を絡め合う。

 ディアブロ側の魔術で、世界から切り離された決闘場の中を疾走しながらも、お互い得物を振るい合う事は止めない。

 猛り狂う斬撃の応酬によって大地には斬線が奔り、廃屋が意義を失くしたガラクタと化す。転がっていたゴミは原型を留めぬまでに斬り刻まれ、両者の破壊の舞に巻き込まれそうになったフリーダとレヴェントンが、戦闘を一時中断して慌てて逃げる。

 互いに大量の傷を生み出しながら、延々と続く剣舞を先に中断したのは、地力で劣るヒビキだった。

 敵の攻撃を受ける力を態と弱め、衝撃を利用して後退。

 ハンナが距離を詰めてくる前に『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』でスピカを形態変化させ、『牽水球ウォルレット』をめくら撃ち。

 放った魔術の格、相手の実力等から考えられる当然の帰結として、ハンナにはまるで効き目がない。だが、幾つかの水の弾丸がレヴェントンの方へ向かっている。

 フリーダとの戦いの最中のもう一人のディアブロが、ヒビキの仕掛けに気付いている様子は無く、無防備な背中に当たればかなりのダメージが期待出来る筈だ。


 ヒビキの目論見はしかし、いや、やはりハンナによって崩される。


「させるかッ!」

 

 こちらも槍への形態変化を行った得物、彼女曰くパラボリカを放り、レヴェントンに向かっていた水の弾丸を全て霧散させる。

 飛来去器に似た軌道を描いて戻って来たパラボリカを握り直して、兜の面覆を跳ね上げたハンナが不愉快そうに問いかけてくる。

「……先程から狙いを誤っている風情を装って、レーヴェに攻撃を仕掛けているが、一体どういうつもりだ」

「アンタなら分かんだろ。敵の戦力は少しでも削りたい」

 ――もう一個理由はあるが、これは言う訳にもいかないからな。

 内心を伏せたヒビキの返しに、ハンナは苦笑する。

「ならばもう分かっただろう。小細工など無駄だと」

「ああ、よーく分かったよ」

 ――アンタがどれだけレヴェントンを大切な存在だと考えているかもな。

 偶然や事故による戦力減は期待出来ない以上、今はハンナとの戦いに集中する他ない。

腹を括ってスピカを構え、ヒビキは疾走を開始。

 ハンナも即応してパラボリカを構え、射程に彼が入り込むなり、肩から腹へと流れて行く斬撃を放つ。

 ――よしっ!

 期待していた反応が来たことに、ヒビキは内心で拳を握る。強引な身体捌きで斬撃を躱し、慣性の打撃を浴びながらも体勢を整え、スピカの蒼い刀身をハンナの心臓に撃ち出した。

 ――アンタがどれだけ強かろうと、そのデカブツを振り切ってしまえば身体が流れ、反応が僅かに遅れる。……俺の勝ちだ!

 勝利を確信したヒビキだったが、氷の如く冷たい印象を抱かせるハンナの顔に、うっすらと笑みが浮かんでいる事に気づき、怪訝な物を抱く。

 

 ヒビキの抱いた疑問はすぐに氷解した。彼にとって最悪の答えを提示して。


「――っるぅおおおおおォッ!」 


 咆哮と共にパラボリカの刃が返され、直近の一撃を逆回しした軌道で振るわれる。


 完全に予想の外から襲来した攻撃を前に、ヒビキはどうする事も出来ずに斬撃を喰らい、胴に巨大な裂傷を描かれる。

「……!」

 度を超えた激痛で明滅する視界の中、横に飛んで追撃を振り切ろうと試み、弩から放たれたに等しい速力の回し蹴りを受けた事で吹き飛び、図らずも致命傷を免れる。

 ハンナからかなりの距離が開いた所で、ヒビキは顔面から着地。骨や内臓が飛び出して悲惨な状態の胴部と、半ば千切れかかっている左腕が修復されていく感触に、顔を歪めつつ立ち上がる。

 

――初撃は撒き餌。アイツは端から、こっちが馬鹿みたく接近することを狙ってたって訳か。……クソッタレ!


 改めて、相手が自分の全てを上回っている現実を突きつけられるが、白銀の騎士が突撃を開始した今、嘆きに酔っている暇は無い。

 止まっていては的になるだけと判断し、ヒビキは再び疾走。大槍と一体化した、まさしく竜の一撃に髪を僅かに切り飛ばされながらも回避。

 すれ違い様にスピカで胴を斬り払いにかかるが、手首のみによる強引な旋回で、穂先をこちらに向けたパラボリカで弾かれる。


「――ッ!」


 本能の叫びに呼応して手の痺れを捻じ伏せ、スピカの形態変化を行い地面に発砲。反動で宙へ浮いたヒビキの身体を、槍から放たれた『鉄射槍ピアース』が掠めて消えていく。

 悠長に振る舞っていては死ぬ。改めてこの事実を突きつけられ、先日の戦いで刻み込まれた恐怖が目を覚まし、ヒビキの動きが僅かに鈍る。

「何処を見ているッ!」

「ガっ!」

 集中力を取り戻すのと同じ頃に、『竜翼孔ドリュース』によって飛翔し、同じ高度まで上がってきたハンナに強烈な打撃を貰い、ヒビキは墜落して地面にめり込む。

 追撃を警戒して跳ね起きると、ハンナの姿は何処にも見えない。

 間抜けにも周囲を見渡していると上方から強い殺気。身構えたヒビキに、ハンナの声が届く。

「悪いが、終わりにさせてもらう。……『終焉竜旋剣ラファネルデ・ドラグヴェーズ』ッ!」

 宣告から数秒、沈黙が流れる。一体どういうことだとヒビキが首を捻りかけた時、空に小さな点がポツリと生まれた。


「……はァっ!? いや、ちょっ、いくらなんでもそれは卑怯じゃねぇのクソ竜騎士のハンナちゃんさまよぉッ!」


 一つから二つ、二つから三つ、そして無数に点は増え、それら全てが殺戮への喜悦を目に爛々と輝かせる竜を形作り、ヒビキは間抜けな罵声を発する。

 聞いた者を腹の底から揺さぶる重低音と共に、無数の竜が襲来。こちらに対して、明白な殺意を抱いて迫る相手を、ヒビキは斬り捨てるべくスピカを疾らせる。

「なんだこれ!? ……金属かッ!?」

 斬るには斬れたが、スピカから伝わってくる感触が過去にハレイドで対峙した竜以上に硬い。

 非生物かもしれないとの推測を抱くが、思考は足に突き刺さった鈍い痛みで中断。見ると、躱した筈の一頭が、ヒビキの腿に喰らい付いていた。


「……クソがッ!」


 左腕で別の竜を弾き返しながら、不思議とこちらを嘲笑しているように見えてくる竜を右腕で強引に引き剥がす。

 ブチブチと嫌な音と、肉が千切れる感覚を存分に堪能し、目の端に涙を少し浮かべながらも襲来してくる竜を睨む。

 ――――数が多過ぎる! ……ご丁寧に各個撃破は無理、だな。

 検討の時間は一瞬。ヒビキは腹を括ってスピカを中段に構えて目を閉じる。

 ハンナの姿が今なお上空に留まっている事実に対しての懸念はある。しかし、この無数の竜に喰い殺されてしまえば、彼女の仕掛けが云々も言えなくなるのだ。

 足を止めたヒビキの姿をどう捉えたか、嬌声を上げて全ての竜が彼に向かって襲来する。中には十メクトルをも超える物も存在し、ヒト一人を蹂躙するには満ち足り過ぎている戦力。

 号砲の役割を飛び抜けて巨大な個体がこなし、そして全ての竜が一斉に大顎を開いて、敵を喰い散らすべく迫る。

 動きに呼応してヒビキは眼を見開いて跳躍。身体を一気に捻り上げ、そして力を解放。


「『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ァッ!」


 咆哮と共に、スピカの蒼刃がヒルベリアの空を縦横無尽に奔る。


 包囲していた竜が皆等しく輪切りにされ、無機物への回帰を果たす様を見て、鉄の雨を浴びながらヒビキは快哉を叫ぶ。

「よしッ! 次は――」

「良い攻撃だ。だが、その剣技は放った後に無防備になる。今この瞬間が、まさしくそうだな」

「―――なぁッ!?」

 冷静な指摘に釣られて顔を上げると、無数の金属製の三角錐を引き連れ、ハンナが猛烈な勢いで落下してくる構図が、ヒビキの視界に飛び込んでくる。

 直撃すれば不味いのは馬鹿でも分かる。

 しかし『鮫牙閃舞』を放ち終えた後の短い、しかし確実に存在する、無理な動きに対するツケを支払わされている彼には、ハンナの攻撃を躱せはしなかった。


「……!」


 ダメ元で回避を試み、心臓を破壊される事だけは免れたものの、白銀の竜、いやハンナはヒビキの腹部を貫通する。血の尾を引きながら無様に落ちたヒビキの、生身の右足と左腕に三角錐が刺さり、地面に固定される。


「血晶石の腕や足があろうと、こうなってしまえば最早君に勝ち目は無い。……終わりだ」


 無慈悲にパラボリカが放たれる。一切の過ちなくヒビキの心臓に向かう大槍は――


「――――ッ!!」


 突如として持ち主ごと大きく跳ねて後退する。ハンナの甲冑はある一点だけが穿たれ、その下にあった素肌が火傷に似た爛れを起こしている。

「終わりじゃなかったな」

「……」

 皮肉な笑みを浮かべて血を吐くヒビキの腹、正確には胃の辺りが大きく裂け、撒き散らされた肉が気泡を上げて融解を始め、異臭を周囲に撒き散らしている。

 自らの傷と敵の状況等から仕掛けを推測し、答えを出したハンナから、呻きに似た性質の声が発せられる。

「……胃液を『融界水スフィッド』に変換して撃ち出したのか」

「大正解だ」

 正解を当てた事よりも、選択の不可解さが勝り、ハンナは沈黙する。

 確かに『融界水』の王水にも比肩する腐食作用があれば、ハンナの纏うドラグフェルム合金製の鎧であっても損傷させる事は可能だ。

 だが、金属を腐食させ、融かす物なら、生身のヒトの身体には当然大きなダメージを齎す。

 『魔血人形アンリミテッド・ドール』の再生作用をアテにするにしても、修復よりも先に『融界水』が内臓を侵しきれば死が確定する。どう考えてもリターンよりもリスクの方が大きすぎる。

「不思議か? 俺がこんな真似をしたのが」

 沈黙によって肯定したハンナを、スピカを杖替わりにしたヒビキが指さす。


「……俺も戦う人間の端くれだから、斬り合えば分かんだよ。アンタは真の天才と呼ぶに相応しい才覚に溺れず、たゆまぬ研鑽を積み上げて来た戦士だ。心・技・体どれをとっても、今の俺が勝っている物なんざ一つもない。アンタが天を翔ける誇り高き竜ならば、俺は地を這う虫けらだ。常識に基づいて思考すれば、今アンタとやり合って、勝てる可能性は億に一つもない」

「……何が言いたい?」

「俺が欲しいのはユカリを守る為の勝利だ。……アンタを相手にして理想と現実を同一にするにはどんなに可能性が低い事でも、どれだけ卑怯な事でも選択し、俺の中にある全てを賭するしかない。……正々堂々と戦って勝利して得られる名誉? 決闘者としてのプライド? クソ食らえだ!」

「!」

「笑いたきゃ笑え。否定し、罵倒したけりゃしてろ! だが俺は、どんな形だろうとアンタを打倒する! ……肉体の損傷や卑怯者の称号を受け入れるだけじゃない、俺の命さえも、アンタを倒せるのならば喜んで捨ててやるッ!」


 レヴェントンとフリーダが発する音だけが、空間の音となる時間が、僅かに流れる。そして、ハンナの静かな笑声がヒビキの耳に届き、彼の顔を一より層険しい物に変えた。


「おかしいんじゃない。心の底から敬服しているんだ。「勝つためなら何だってやる」と宣う者は掃いて捨てる程にいる。だが、他人の命や社会的地位を対象にして語る者は多くとも、自分の命をも対象に出来る者はそういない。……君は君自身が思っているよりも強いよ」

 鎧が剥がれ落ち、パラボリカに吸い寄せられる。集束した金属はその刀身に付着し、ただでさえ巨大であった武器を、更に長く、太く、厚く変えていく。


 やがて、簡素な防具のみとなったハンナの両の手に、転生を終えた剣は握られた。

 

 槍の形態の時点でハンナの身長近くあった全長が更に伸長し、大樹の如き太さを持ち、そして殺戮に特化した竜の牙に似た形状の刀身には、ドラケルン人や竜にのみ解する事が出来るとされる紋様が描かれている。

 屠った敵の血を啜ったのか、曇りのない白銀の刀身の一部を汚している紅いグラデーションが見る者を威圧する剣を掲げ、ハンナは宣告する。

「強者には敬意を払う。この金剛竜剣フラスニールの刀身に、君の魂を刻もう!」

 『エトランゼ』単独撃破を成した、ハンス・ベルリネッタ・エンストルムが振るった伝説の剣『覇竜剣エクスカリバー』を生み出したドラケルン人の名匠ケブレス家。その当代が作り出した三つの最高傑作、その一つが眼前にある。

 凡百の戦士ならばそれだけで失神する存在を前に、ヒビキは全身から滝のような汗を流しながらも、スピカを正眼に構えて嗤う。


「今更何が来ようが知るかよ。……行くぞッ!」


 全く同時に両者が始動。

 己の誇りと使命を掲げた竜の斬撃と、勝利を渇望する蒼き流星の斬撃が世界へと放たれる。

 得物が打ち合う剣戟音。衝撃波で地面が隆起して塵芥が舞い、ディアブロの連中が作り出した結界に亀裂が入る。

 それでも尚衰えず、行き場を探す力の波涛の矛先は発信源たる二人に向き、身体を容赦なく痛めつける。

 ダメージに対して特段の反応を見せずに、両者は競り合いへと移行。リーチと馬力に勝るハンナが、先に動いた。


「吼えろフラスニール! ……『嵐竜旋撃ドラグヴォーゼ』ッ!」


 柄に鎮座する複雑なカットが施された金剛石ダイヤモンドが妖しく輝き、陽炎にも似た揺らめきを纏ったフラスニールと一体化し、ハンナがその場でまわる。

 隙だらけの回転斬り、と彼女の動きを侮ることなど出来ない。名剣の圧倒的な目録性能カタログスペックと、使い手の完成の極致にある技量が合わされば、竜をも一瞬で挽肉に変える攻撃となるのだ。

 不可視の速度で幾度も巨大な刃が襲来する超多段攻撃によって、受け流しにかかったスピカが大きく跳ね上げられ、血風と、余波としてバラ撒かれるハンナの魔力が竜を形作ってヒビキを叩く。

 外套コートは千々に乱れ、刻まれた無数の噛傷に身体が沸騰し、膝が無意識に折れそうになりつつも、ヒビキは確かな足取りで前進。

 始動時に生じた、切っ先を地面に引き摺る音が溶けるよりも速く間合いを詰め、殺人独楽と化したハンナへスピカを放つ。

 金属同士が奏でる悲鳴。そして、両の刃が停止する。


「ガアアアアアアアアアアッ!」 


 僅かながら静止した時間を己の側へ動かすべく、ハンナの全身の筋肉が隆起し、フラスニールを反転させ断頭の一撃を大上段から放つ。

 処刑を免れるべく、ヒビキは下段からの斬り上げを選択。

 火花を散らして、当初の狙いからは僅かにズレてすれ違った二つの斬撃が、一瞬だけ世界への登場を果たして消失。前者は相手の顔面に、後者は相手の胸部に甚大な損傷を与えて持ち主は共に後退。

「これこそが戦いだ! ……さぁ行くぞヒビキッ!」

「アンタの自己満足なんざ知るかよッ! 吼えろ、スピカァッ!」

 両者跳躍、そして交錯。

 新たな傷を一瞬で相手に刻んだ二人は、飛揚した大地の破片を踏み台に空中で身体を翻し、再度の交錯。一個の塊と化して大地に堕ちる。

 バネ仕掛けの玩具のような性急さで両者は立ち上がり、決闘を再開。

 異刃と名剣が踊り、火花と金属音が高らかに歌う。

 正気から逸脱した者同士によって紡がれる狂宴の中で、演者たるヒビキの心から、先刻まで抱いていた筈の恐怖の類が消えていた。

 疑問も一瞬、答えはすぐに出た。


 ――闘争に対する喜び、誰かに肯定される事への喜びって奴か。……大分相手に毒されてきてるが、いい方向に働くなら構わねぇな。


 彼自身が全く予想していなかった心境の変化は、身体の動きにも変化を齎す。

 『魔血人形』の持つ超再生力を最大限に活用し、絶対に覆すことは叶わない実力差が存在している筈のハンナに対し、破壊されてはならない箇所以外、即ち脳と心臓を除いた他の部分を何度も貫かれ、焼かれ、斬り飛ばされても尚、ヒビキはスピカと共に食い下がる。

 城壁を想起させる程に、彼女の意思以外で動きはしなかったハンナの足が、僅かに後退の素振りを見せる。

 対応を変化させる為の試みだろうが、その動きを好機と見たヒビキは一気に仕掛けに移行し、激流の速さでスピカを水平に振るう。

 フラスニールを滑り込ませて受けに回ったハンナだったが、巨大な刀身の上から顔面へ迫る拳を見て、表情に焦りが浮かぶ。 

 竜騎士の左目部分に、血晶石を始めとした金属で構成された、ヒビキの右拳が強かに叩きこまれた。


「ちィッ!」


 無論、ドラケルン人特有の硬質な皮膚と、『擬竜殻ミルドゥラコ』を始めとした数々の魔術による強化を果たした瞼の上からでは、只の殴打程度で眼球は損傷しない。

 しかし、視界は一時的にだが確実に片目のみの物へと転じる。

 魔力や視覚以外の感覚の補強によって、一般人よりも視覚への依存度が低くなる戦闘職の者であっても、突然の減少は戦況に多大な影響を及ぼす。

 原因は何であれ、両者が拮抗しているこの戦いに於いては、致命的な隙となりうるのだ。

 ハンナは焦りからではなく、打算に基づいてフラスニールを出鱈目に振り回し、敵の接近を防ごうとするが、先刻まで彼女自身がヒビキに見せていた圧倒的な剣技が、その策を無に帰させる。

「何処見て振ってんだ、俺ならここだッ!」

「――ッ!」

 フラスニールの内側に入ったヒビキは、ハンナが反応するより速く、彼女の右肩にスピカを突き刺した。

 苦鳴を特等席で聞きながら、肉を捉えた異刃を振り抜き、耳障りな音を立てて持ち主の意思に応えられなくなった腕と共に、落下してゆくフラスニールを左足で彼方へと蹴り飛ばす。

 パラボリカとフラスニールが同一の存在である以上、これで相手は丸腰となった。

 勝利を手にしたも同然だが、ドラケルン人を、いやハンナを舐めてかかるなど、これまでの戦いで有り得ないと理解している。

 振り抜いたスピカを伸ばし、首へと差し向けた時、側頭部に強烈な打撃を浴びてヒビキは吹き飛んで、ハンナから数メクトル離れた所に着地。

 どうも鉄拳を浴びたと判断しつつ跳ね起きようとすると、自らの意思に対して左足の反応が僅かに遅れた事に気づき、表情を歪める。


 ――不味い、そろそろ時間が……。


 クレイの鍛錬で多少なりとも力の解放のやり方を覚え、恐らくはセマルヴェルグの羽を体内に取り込んだ事で、最初の解放時とは比較にならない程の時間と効率を手に入れはしたが、それでも限界はある。

 そもそも、自分を遥かに上回る実力の持ち主であるハンナとの戦いがここまで縺れ込めば、こうなるのも必然であると覚悟はしていた。していたが、間が悪すぎる。


「……なるほど、仕掛けが切れつつあるのか」

「悪いかよ」


 視線を向けると、フラスニールを左肩に担ぎ、右腕の再生を始めているハンナの姿が飛び込む。睨んではみるが、相手が健在となると、もはや勝機は一片も見当たらない。次に彼女が動き出した時が最後となる可能性が極めて高い。

 ハンナの腕の再生が完了し、ヒビキは身を硬くするが、彼女がフラスニールを地面に突き刺し、攻めの意思を見せない事に瞠目する。


「……何のつもりだ」

「時間切れによる勝利など、君を相手には手にしたくない。お互いの最高の技をぶつけ合って、勝敗を決めよう」

「……馬鹿にしてんのかアンタ」


 相手の抱く感情とはほど遠い物をぶつけて答えを引き出す。ヒビキ自身、反吐が出そうになる薄汚い手法の返しにも、ハンナは揺らぐことなく応じる。

「馬鹿になどしていない。君に対して敬意を抱いているからこそ、ドラケルン流の決着の付け方を行いたいんだ。……受けてくれるかな?」

 このまま戦いを継続しても、時間切れによる敗北以外の未来はない。ハンナの提案を受ければ、完全に見えない物だった勝利がほんの僅かに見える。もう一発程度ならば、まだ彼女に抵抗する攻撃を放つだけの力は残っている。

 

 受けない選択肢など、ある筈もなかった。

「……受けてやる。アンタは、ここで俺が倒すッ!」

「良い返事だ! 全力で君を討たせてもらおうッ!」

 童女のように純粋な感情を露わにしたハンナを見て、改めて彼女が組織の一員である以前に、誇り高き決闘者である事を認識させられる。

 種さえ分かれば只管に時間を稼ぎ、動けなくなったところで首を取る手段も彼女は選べた。それは、戦いにおいては紛うことなく正当な方法だ。

 楽に勝てる術を捨て、敢えて真っ向勝負を選んだ点に、彼女の純粋さと気高さが、痛いほど伝わって来る。

 そのような存在に認められた喜びと共に、ヒビキは自らがフリーダと共に描き、今なお戦いの終着点として定めている卑劣なやり口を思い返す。

 元より、卑小な自分ではこれ以外では勝利を掴めないと分かっている。先刻の咆哮の通り、迷いは捨てた筈だった。

 それでも、ヒビキは胸を抉られるような感覚を覚え、彼女に罪悪感を覚えずにはいられなかった。


                 ◆


 両者が数メクトル程の距離を取って向かい合い、互いの得物を宙へと放り投げる。

 ヒビキは戻って来たスピカを鞘に納め、ハンナはフラスニールを右腕で握って切っ先を向ける。

「放つ技は一つ。逃げも隠れもしないし、させない」

「いつでも来いよ。叩きのめしてやる」

 闘争心を露わにした視線を暫しの間ぶつけ合う。

 静寂で満たされた二人の世界を、僅かに揺らす風が吹いた時


「『崩竜墜星剣メテオール・ドラグセイバー』ッ!」

 

 比喩抜きに目を光らせ、全身の筋肉を肥大化させたハンナが、フラスニールを夜の星々と同程度の大きさになる程の高空へと放り投げ、彼女自身も大地に隕石孔クレーターを刻み込んで跳躍。

 視認すら困難な場所でフラスニールを両の手で掴んで体勢を整え、ハンナは己の肉体さえも一つの剣と捉えた突撃を開始する。

「おおおおおおおおおおおおおおおッ!」

 重力による物だけではない、彼女自身の魔力も推進力に加え、咆哮と共に加速を続けて亜音速の領域まで達する。

 まさしく竜そのもの、何もかもを力で捻じ伏せ、勝者の座を掴むに相応しい攻撃がヒビキへと迫る。

 魔剣の切っ先に宿る力の奔流が烈風を生み、それが身体を叩き始めた頃、ヒビキは始動。

 右腕に流す魔力を鞘が保持出来る程度まで減少させ、浮いた魔力を両足と左腕に送り込む。

 未踏領域の速度で迫るハンナを血晶石で構成された蒼の瞳で見据え、フラスニールの切っ先の到達点を予測。

 大地を踏みしめてスピカの柄を握り、吼えた。


「『鮫牙断海斬・執行乃型カルスデン・スクァルクート・エクスブレイズ』ッ!」


 超強化を施した左腕によって抜き放たれた、高圧の水流を刀身に纏いしスピカには、本来の技であれば放出される筈の魔力が刀身に宿って加速効果が生まれ、持ち主の勝利に対しての餓えに応えて、竜の突進に伍する速度まで到達する。

 真っ直ぐに伸び上がった蒼の刀身と、急降下する白銀の刀身は、吸い寄せられるように切っ先が激突する。


 そして世界が揺らぐ。


 負けたくないのではない、勝ちたいのだ。

 純粋かつ獰猛な感情に委ねて放たれた互いの剣技の激突で、星の爆発と錯覚する光量の閃光が周囲を覆い、大地に底の見えぬ亀裂を生み出して二人を再び世界から切り離す。

 感情を糸として得物は繋がり、一歩も退かぬ競り合いだけが、二人の全てとなる。


 片や確かな血統と力を持つ騎士。片や何の肩書きも無い、出来損ないの人形。


 絶対に交わる筈の無かった者達が繰り広げる戦いにも、永遠は当然存在しない。 

 終幕はもう、すぐそこに立っている。 

 それを察してか、二人は狂声を上げながら最後の一押しと言わんばかりに、得物に力を叩きこむ。 

 

 勝者は――

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