23:或る指し手共の蠢き
とある夜の街角。
ビルとビルが並ぶ路地の中で、鈍い金属音が生まれた。
夜更けであることも手伝い、発信源を目にした者がいなかったのは幸いだったという他ない。
何故か?
問いの答えは単純明快。発信源となった物はヒトの生首状の物体だった為だ。
知る者はいないだろうが、ザルバドでハルク・ファルケリアを急襲し、見事に打ち破った存在である生首は、見ての通りの重傷を負った。
不完全ながらも存在していた四肢は、命を捨てる前提で戦った、ハルクの抵抗によって破壊され、胴の部分も微塵に刻まれて消失。
人形の構造上、胴はあまり重要ではなく、頭部に設えられた血晶石と、眼に設けられた石さえあれば「自分」を保っていられるし、学習した事象も保持出来る。
魔力を持たないゴミなど、事前の予測では瞬殺する筈だった。
しかしハルクの抵抗は、人形に仕込まれた演算能力の域を超えていた。どうにかこちら側の勝利と言える程度の傷を彼に与え、当初の目的を達成した為にザルバドを離脱したが、薄氷を踏むような戦いであったのは事実。
残った頭部も、血晶石等が多少残されているだけで、早急に修復の必要がある。
だが、頭部だけでは『
思考を回し始めた人形の聴覚が、明確な意思を持ってこちらに接近してくる足音を捉えた。
ゴリゴリゴリ。
不愉快な音を発しながら方向転換を行って、足音の主を見る。右目のみの視界ながら、推測にかなり近い人物が来たとすぐに理解する。
人形の生首がゆっくりと宙に浮き、やって来た人物の紫の瞳とぶつかる。何らかの情報伝達を行おうとした人形の肌が、僅かな風を感じ、同時に甲高い音を地面から聞いた。
同時に、人形は対峙した四天王から浴びた物とは比較不可能な痛みを、自らの頭上から感じて生首となった全身を震わせる。
「所詮お前は試作品でしかない。最低限の成果を出したとは言え、ここまで損傷していれば、修復するより新しい物を作る方が良い、との結論を下された」
何らかの手段で声を変えているせいか、妙に無機質な声で発せられた宣告が終わると同時に、人形の頭頂部が切り取られ、脳に近い箇所にやって来た人物の手が進入し、何かを探すようにまさぐる。
死に直結する無慈悲な行為に、人形の目や口、鼻の部分からどす黒い汚液が噴き出して地面を濡らし、激しく生首全体が痙攣する。
目的の物を見つけたのか、やがて手の動きは止まり、人形の感じていた痛みも、新たな物は生まれなくなった。
一瞬の静寂の後、手が引き抜かれる。
その手には、忙しなく色を変化させ宵闇の中でも怪しく輝く小さな球体と、ヒトの持つ脳を二回り程縮小させて象った物体が握られていた。
前者は先日、ユアン・シェーファーが運び込んだ鉱石であり、後者は血晶石から作り出された物体だが、人形にとって重要なのはそこではない。
二つの物体は、ヒトで言うならば心臓と脳に該当する。つまり、この二つが抜き取られた今、人形は絶命が確定したという事になる。
放り捨てられ、地面に堕するまでの僅かな時間で、人形の中では生まれる筈も無い感情が生まれつつあった。
自分が討った存在が、最後まで足掻いた元となった物と同質の感情が、たった今宿ったのだと理解するよりも先に、生首は人影が振るった剣の一振りで世界から消失した。
「……よし」
やはり性別を判別し難い声で、処刑人は二種の石を懐に収め、取り出した軍用の通信装置で何者かとやり取りを行う。「了解」の短い単語を発してやり取りを打ち切った処刑人は、踵を返して何処かへと歩き始める。
その者の胸に、アークス国軍の階級章、付け加えるならば四天王のみが掲げる事を許される種の物が有るなど、腹立たしいほどに平穏な月以外は気づきはしなかった。
◆
「只今戻りました」
「お疲れー。……どうだった? 異世界からの来訪者は?」
「話になりませんね」
「わー手厳しい」
陰惨とした雰囲気や、壁や天井を形成する物質の質感から判断するに、洞窟が一番近いのだろう。だが、はっきりと何処であると宣言はし難い空間の中。
ユカリを救ったオズワルド・ルメイユと、頭蓋骨を丁寧に加工して繋ぎ合わせた浴槽に浸かっている、『船頭』カロン・ベルセプトが向かい合う。
少年に近い容貌を持つ、暗緑色の髪と右目の眼帯が目を引き付ける男、オズワルドは苛立ちが多分に混じった言葉を吐く。
「セマルヴェルグが、ヒトに真っ当な感情を持っていたからこそ、あの賭けは成立した。その程度の存在が、貴女の望みを叶える札にはなり得る筈もない」
「エトランゼは強力だけれども、他の世界の存在を容赦無く抹殺するほど力に呑まれてはいないもの。セマルヴェルグ以外が相手であったとしても、結果はそう変わらなかったでしょう」
淡々と言葉を並べながら浴槽から出て、すぐに水晶の髑髏の装甲で身を包んだカロンを、オズワルドは黙したまま見つめる。
「なぁに、じっと見つめて? 私の身体に欲情でもした?」
「死体を掘り返したり、他の世界の存在を引き摺るだのといった趣味の相手に、劣情を抱くとでも? それにボクは死人だ」
「生者と死者に、そこまで高い壁はないわよ?」
「……どうでもいい。それより、あの子をどう使うつもりなのですか?」
「今の所は何も」
「何もって……」
呆れを隠そうともしないオズワルドに、カロンは嫣然と微笑む。
「呼んで、あの子に力を与えた。そこまでは良かったんだけどね。『七彩乃架』に干渉されて殆ど届かなかった。それに、あの子の周りには怪しい気配も漂っている。主戦として使うのは、諦めた方が良いかしら」
明示こそされていないが、二千年前の大戦を始め様々な事態への介入を伺わせる記録が残されている。女性の形をした何かの言葉を、全て飲み込む訳にはいかない。
だが古巣、即ちアークスが絡んでいると言われれば、オズワルドの身構えるような動きも当然。
表情を固くしていると、首筋に透き通った刃を突きつけられる。『刈命者オルボロス』であり、仕掛け人はカロン以外ない。顔を上げると、大抵の男ならば心を持って行かれる笑みを船頭は浮かべていた。
「お話の続きはもう一つのお仕事を終えてからにしましょう。カレル・ガイヤルド・バドザルクが東方のヤナールで妙な気配を見せている。狩ってきなさい」
「誰だそれは」
「ヴェネーノ・ディクセリオン・テナリルス、ハンナ・アヴェンタドールと同じ、ドラケルン人で当代ケブレスの生み出した魔剣の保持者よ。単純な剣技だけなら貴方を上回っているけれど、総合的に見れば敵ではない。すぐに終わる筈」
「その者を狩る意味は?」
「頭のイカれた宗教団体と組んで、民族浄化を始めようとしている。貴方なら放置していいとは思わないでしょう?」
「……続きは必ず話せ」
「勿論♪」
オズワルドが『
――死人なんだし、態々魔術を使わなくても行けるのにね。
下らない事を考えながら、カロンは嘆息してオルボロスを宙に浮かべ、透き通った刃を持つ巨大な鎌が、空中を回り始める滑稽な様を眺める。
――どーしたものかなぁ。
船頭にとっても、オズワルドが死人と化したのは予想の外にあった出来事で、一応近年と言える範囲でも、それに近い出来事が妙に多く起こっていて、世界の流れを読みきれていないのが現実だ。
オズワルドに討伐を命じたカレルを含む、ケブレスの魔剣の保持者が三人揃って、同族から見放されているのも、ドラケルン人の習性からすれば異様であるし、全員がそうなるまで至った事もまた然り。
大小問わずに洗い出していけば、算する事を放棄したくなるほどに、予想の外を行く出来事は生じているのだ。
世界が、否、盤の上で優位に立っている存在が何を考えているのか、カロンにも読めない。
「……異邦人の召喚が、私の与り知らぬところで増えている。何のつもりかしらね」
異邦人を大量に呼び寄せた所で『正義の味方』と呼称される者達の様に、この世界に害悪を齎す可能性が圧倒的に高く、行う事による利点はカロンには思い付かない。
自我を持つ異邦人が増えれば増える程、状況は混迷を極め、不確定要素も増大する。手を誤れば、己さえも敗北に身を堕す事だけは理解出来るのが猶更恐ろしい。
だが、状況を読めず、自らも敗北の可能性が存在していることは、行動を放棄する免罪符になるかと問われれば否。無駄に長く生きているせいで、この世界にもそれなりに愛着はある。
更に言えば、自分が伝承の再現を試みて呼んだあの異邦人を放置するなど、許される筈もない。
何もかもが不利な盤面であっても、盤上に登り、勝利せねばならないのだ。
オルボロスを掲げて、カロンは暫し瞑目。
両の目が再度開かれるのと同時に、空間から姿を消した。
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