22
大陸北部スカディファムが誇る、サータイ山脈最高峰エベネカイセ。
麓にポツリと建てられた無数の宿泊施設の一つで、白皙の美貌と、妙に輝く金の長髪を持った長身の男が瞑目していた。
男、いやクレイトン・ヒンチクリフの名を知る一般人は、アークスの領域ならばともかく、彼の全盛期に交流が少なかった国では皆無に等しい。
故に、小屋の主である老夫婦も彼を単なる登山客として見ており、故に彼に対して心からの気遣いの言葉をかける。
「お兄さん、本当にその格好で行くのかい? エベネカイセは常に氷点下の場所だ。この上着を着て行った方が……」
「お気遣い感謝する。だが問題は無い。俺は、嘗てこのカッコで登頂したことがあってな。ま、年は食ってるけど大丈夫な筈だ」
「……」
日頃身に纏っている崩れた軍服の下に防寒用の肌着を着用し、防寒性の低そうな鳥の羽根で構成された外套を羽織り、両の手に申し訳程度の防寒用手袋、それがクレイが身に付けている防寒装備の全てだ。
雪山を舐めてかかっていると断じられてもおかしくは無い装い、しかもエベネカイセはエル―テ・ピルス同様、飛行魔術では接近不可能な環境である為に、老夫婦の目に彼が自殺志願者であると映っても、それは当然の帰結である。
しかし、クレイは提案を受ける事を笑って拒み、やがて説得を諦めた老夫婦が持ってきた、注文していたエベネカイセの地図を見つめる。
――目指すは頂上。隊長の言葉が正しければ、そこにある筈だ。……正直、俺の最近の自発的な行動は裏目に出まくってる気もするが、何があってもこれだけは取られる訳に行かない。
眼前の卓に置いてある空になった食器を暫し眺めた後、立て掛けてあったオー・ルージュを背負って立ち上がり、代金を置いて小屋を辞する。
すぐに強烈な冷気が身体を突き刺し、クレイの端整な顔が僅かに歪む。
エベネカイセを始めとした、サータイ山脈一帯はアルベティートの領域であるとされ、それを証明するかのように季節を問わず極寒地帯となっている。
山頂は雲よりも高い場所に位置するが、魔力に依る物か常に吹雪が吹き荒れ、進入者を拒む。
確かに物を隠すには最適な場所だが、やり過ぎではないだろうか。何度も抱いた疑問は、その度に出した答えで否定する。
――選ばれた奴にしか抜けないと言っても、万が一悪意を持ちながらも選ばれる奴が現れた場合、パワーバランスが一気に崩れる。……生半可な志や悪意しか持たない輩から『ムラマサ』を守る為にここにしたんだろうな。
嘗ての同僚、立ち位置的には先達といっても良い存在、スズハ・カザギリの持っていた最強の刀『ムラマサ』。
「君が必要だと思った時、この場所に赴いて封印を解け」
そう言われて彼女から封印した場所を教えられ、ムラマサを覚醒させるか否かを託された。そしてファビアに促され、たった今覚醒に向けた一歩を踏み出そうとしているが、眠りについた武器を戦場へ再び駆り出すのは、あまり気分の良い行為ではない。
加えて、クレイ自身はムラマサから拒絶された身で、鞘から抜く事も出来なかった過去を持っている。
正直な所、ヒビキ達があの妖刀に選ばれているとは考え難いが、彼やファビアが抱く最悪の想定が的中した時の事を考えると、みすみす放置しておくのは危険であるとの彼女の判断は、かなり合理的な物だろう。
恐らく、ではあるが、ヒビキ達は『ディアブロ』の片割れに存在している弱点を見抜き、彼らを撃破しただろう。
目の前に迫って来た脅威を排除した事で、また平穏な日々が帰って来ると彼らは考えているかもしれない。しかしクレイの経験から推測するに、彼らにはまた新たな危機が襲来するのは疑い難い。
既に彼らは選ばれているのだ。そして、選ばれなかった者は選ばれた者のお話に、筋書きを曲げられる程に介入することは出来ない。
自分に出来るのは、多少の手助けぐらいだが、やらないよりはやった方がマシだ。そんな感情に基づいて、クレイは今ここにいる。
訓練についても書き置きは残しているので問題は無い。だが、可能な限り早くした方が良いのは当然の事で、立ち止まっているこの時間も惜しい。
「……っし、行くとするか」
軽く頬を叩き、クレイはエベネカイセ山頂に向かって歩き始めた。
◆
同時刻エル―テ・ピルスの麓で、大量の煙が空に向かって立ち昇っていた。
「……」
煙の発信源となっている自身の生家を、茶色の髪と灰色の瞳を持つ少女、ティナ・ファルケリアは瞬きさえも忘れて見つめている。
彼女の中の多くの思い出が刻まれた場所が、父親の亡骸と共に灰と化していく。
父ハルクの遺言に従った行動だが、十六歳の少女にとって、あまりにも残酷な光景を目にしても沈黙を守り続けているティナに対し、早々に戦線離脱させられた為に、敵による破壊を辛うじて免れたルーゲルダも、何も言葉をかけられずにいる。
沈黙の時間が流れ、柱も崩れ始めた頃、ティナが小さな声を発する。
「……か?」
「……?」
「父さんは、誰に負けたんですか?」
殺された、とは言わない。自身に力が、それこそ歴史に名を刻む存在に比肩する才覚があれば、ハルクは救えた筈だ。彼を殺したのはティナ・ファルケリアなのだ。
七十年近い時を生きたルーゲルダは、ティナの強い自責の感情に痛みを覚えつつ、言葉を発した。
「……少なくとも、ヒトではありません。上手くは言えませんが、そうですね、まるで作りかけの人形みたいな相手でした。明らかに完成されていない未熟な点が大量にありましたが、どれだけ攻撃を仕掛けても、相手は復活し、そしてそっくりそのまま私達の攻撃を返して……」
泣き声も混ざった哄笑を聞いて、ルーゲルダの言葉は中断させられる。
両の目から涙を流し、表情筋を引きつらせて壊れた笑顔を作りながら、ティナは呻きに似た声を発する。
「なるほど、作りかけ、ですか。……父は、開発段階を確かめる為の当て馬にされた訳ですね。……四天王なのに、随分滑稽な扱いだ」
「……」
「……でも、そんな風に道理は何処にも無かった筈だ! 父は、父さんは名声も富も、すべてを捨てて生きていた。なのに、何故!?」
吐き出された悲痛な問いの答えを有している者など、ここには居ない。ではティナは何を決意するか。それは実に単純で、そして切実な物だった。
ティナがゆっくりと顔を上げる。彼女の灰の相貌に宿った、嘗ての相棒と同質の炎を目にし、ルーゲルダは言葉を失う。
「ルルさん、貴女のせいで、父さんが負けたとは言いませんし、そんなことは思ってもいません。敗北は避けられなかったのでしょう。……ですが、少しでも責任や罪悪感を感じているのならば、私に力を貸してください。……父を敗北に追い込んだ存在を、そしてソイツを生み出した輩を灰に変える為にッ!」
吐き出された言葉の含む色と、瞳に宿った炎に撃ち抜かれ、ルーゲルダは肯定を示す沈黙を選ぶ事しか出来なかった。
才覚や努力だけでは、絶対に辿り着けない領域がある。
歴史に名を刻んだ偉人の一人が語り、ハルクがティナに気付いて欲しいと願い、異なる世界からの来訪者と行動を共にする事で、掴みかけていた物がたった今、ハルクの望んだ形から大きく歪んで彼女の中に収まった。
最早退路など無い道を、ティナはこの瞬間から歩き始めたのだ。
新たなる狂戦士の誕生を祝福するかのように風が吹き荒れ、燃えカスとなりつつある家から発せられ続ける煙は、大きく形を歪めて空へと昇って行った。
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