4.リトルクライディーヴァ

序:お伽噺は等しく鳴く

 ザルバドから北東に少し向かった所に、小国グレリオンは存在する。

 他国と比較して明確な優位性を持つ産業は存在せず、非常に小さな国土しか持たないこの国など、アークスが全力で潰しにかかれば、瞬く間に呑みこまれる事はどんな愚者でも理解出来る。 

 国力が劣っている状況が、何も近年に始まった訳でもないグレリオンが、独立を辛うじて保っていられるのには当然理由があった。

 

 二千年前の大戦で一人の戦士が振るった巨斧、『破神斧ジレオーネ』の継承する資格を有するのが、この国の創設者たるグレリオンの血脈の者に限られているのだ。

 単に強力な武器である、という範疇に収まらず、この巨斧の所有者が指揮を執った兵士達は皆、所有者より僅かに劣る程度の実力の持ち主へと早変わりし、結果として装備や数の差を覆す戦いを実現可能としたのだ。

 舐めてかかった他国の軍隊が、血祭りにあげられて国力を消耗し別の国に食われる。アークスが四天王率いる部隊を差し向けて、構成員の半分を喪って撤退、などの恐ろしい事実を叩き付けてくるグレリオンを、積極的に侵攻をしようと考える国は、直に消えた。

 更に、数十年前に人材の不足に悩まされたアークス王国は、ジレオーネの継承者を四天王に迎え入れ、対価に不可侵条約を差し出す事となった。

 大陸西部の三大国の内、ロザリスは距離の問題から侵攻は厳しい。

 更にコーノス山脈を越えたところに位置するノーティカは動きを見せない以上、アークスからの不可侵条約は完全な独立の獲得に等しい物だった。

 小国と言うにはあまりにも物騒な国グレリオン、その首都イーザスに存在しているとある公園のベンチで、二人の少女が暗澹とした雰囲気を纏って座っていた。


「まったく! レヴァンダさんも変わり過ぎです! 昔はもっとこう、勢いで動く人だったのに!」

「仕方ありませんよ。只の兵隊と一国の主では、求められる物が大きく異なります。この国の事情を無視して私に力を貸すのは、国長として失格です。きちんと理由を話して断ってくれただけ、レヴァンダさんは配慮してくれた方だと思いますよ」

「そりゃぁそうですけど……」


 苛立ちをぶつけるかのように、口火を切った金髪碧眼、そして右肩の鷹の刺青が目立つ少女、ルーゲルダ・ファルケリアは、露店街で購入したサンドイッチに勢いよくかぶりつく。

 その様を苦笑して眺めながら、もう一人の少女、茶髪に鋭い灰色の目が特徴的なティナ・ファルケリアは、計画の修正を余儀なくされた事に嘆息する。

 ――予想が甘すぎた、か。内情を知らなかったからと言っても、父の言葉を信用し過ぎたな。


 二人は観光目的でグレリオンに来た訳ではない。


 異なる世界からの来訪者と共に、セマルヴェルグに形式上勝利した日。

 ティナの父にしてアークス王国元四天王、ハルク・ファルケリアは正体不明の存在と対峙し、そして敗北した。

 命の灯が尽きる前に、襲撃者はアークスに関わる者である事、そしてまずはレヴァンダを頼れと、自らの体内から引き摺りだした血晶石と共に、ハルクはそのような言伝を残した。

 それに従い、ティナはハルクの相棒であったルーゲルダも連れて、グレリオンに訪れた。

 小さいが独立国故、刺客を安易に差し向ける訳にも行かず、更に統治者たるレヴァンダは嘗ての同僚。好条件が揃っている為にそう残したのだろうが、現実は彼の想定以上に厳しかった。


「……貴女に対し、敵対的な行動を取るつもりは無い。ここで旅の準備を整える事も拒まない。でも、それ以上は提供出来ません」


 女王の年齢不相応の力を感じさせる眼に、苦悩を宿して発せられた、謁見時の最後の言葉に、ティナは顔を僅かに歪める。

 独立を保ち続けていたグレリオンにも、現在では大国と直接殴り合う事は難しくなっている何かがあるのだろう。

 レヴァンダの子供達は皆ジレオーネに拒絶され、後継者が不在。他国からその点をつつかれている。噂好きの行商人はそう語っていたが、この国のお家事情なぞティナには知った事ではない。

 手の温度でで温くなり始めた、まだ半分以上残っていたサンドイッチを強引に口の中へ放り込んで咀嚼、嚥下してティナは立ち上がる。


「協力を得られないのなら、長居する意味もありません。旅の準備を整えて、ここを出ましょう」

「ここを出て、どこへ向かいますか?」

「ハレイドに向かいましょう。時間がかかりますし、危険も有るでしょうが、それが一番早く真相に辿り着く道かと」

「そうですね! 行きましょうか!」


 ベンチから勢いよく立ち上がった、ルーゲルダの姿が黄金の粒子と化し、やがて粒子は剣の形に収束。光が収まった頃には、黄金の鞘に覆われた一本の剣がベンチに転がっていた。

 眼前での変化に、特段の感情の変化を見せることなく、ティナは剣と化したルーゲルダを背負い、歩き出した。


「とりあえず、寝袋とテントを買いましょう!」

「嵩張るからどちらか片方にしませんか?」

「何を言ってるんですかティナちゃん!? しっかりとした睡眠は……」


 意識的に、これから先の事を忘れる為に本筋から離れた会話を行いながら、一人と一本は雑踏の中へと入って行った。


                ◆


「……ば、かな。……この俺が、負ける、だとッ!?」


 二メクトルを超える長身を黄金の鎧で覆った男が、絶望と驚愕が等分に含まれた苦鳴を血と共に吐き出し、膝を折って荒野に崩れ落ちる。

 男の手に握られていた、こちらも巨大な剣が乾いた音を立てて回転し、やがて持ち主と同じように倒れた。


「終わったか」


 倒れ伏した男と比すると非常に小さく見え、少年とも形容可能な雰囲気を纏う、右目部分に無骨な眼帯を身に付けた男は、長い息を吐いた。

 男の名はオズワルド・ルメイユ。嘗てのアークス王国四天王にして死人だ。

「××××××!」

「××××××!」

 東方の言葉をオズワルドは解さない為、周囲にいた、宗教色が極めて強い衣装を身に纏った者の言葉も理解は出来ない。

 ただ、慌て具合と倒れた男に目もくれずに逃走を開始した辺りから推測するに、最早彼らに反抗の意思はなく、彼がここに来た目的も達成できたと結論付ける。

 倒れ伏した男との戦いで無惨に崩壊した、無駄に煌びやかだった宗教施設の残骸とも言うべき黄金造りの柱の間を抜けて、倒れ伏した男の傍らに転がる剣を回収すべく、手を伸ばし――

「ケブレスの魔剣に安易に触れるな。手を下さずとも、貴様の目的は達成される」

「――!」

 突如として背後から届いた重々しい声に、オズワルドは手を止めて振り返るが、背後には誰もいない。 

「ここだ」 

 声に釣られて、オズワルドは上方へと僅かに視線を動かし、声の主を視界に捉えて、僅かに驚きの色を瞳に浮かべる。

 一本の柱の上に、彫像か何かと錯覚させるほどに荘厳な雰囲気を持ち、赤熱した金属の赤を持った髪を風に揺らし、飛竜の紋様が刻まれた長外套マントで全身を覆う長身の男が、悠然と立っていた。

 先程彼が撃破したカレル・ガイヤルド・バドザルクと同様、二メクトルを超えている規格外の高さを持つだけでなく、長外套越しからも察せられる程に研ぎ澄まされた肉体から考えるに、男はただの木偶の棒ではない。

 更に男から放たれている静かな、しかし凶悪な闘争心に、オズワルドは徐々に警戒を強めていく。

「貴様の疑問はすぐに解ける。だが、無価値な連中にケブレスの魔剣の最後を見せる訳にもいかん。少し待て」

 男は自らの背に右手を伸ばし、そこにある一本の、もはや金属塊と形容した方が適切な剣を天に掲げる。

「砕け散れ弱者共。貴様らはこの空間に於いて邪魔でしかない」


 神々しさをも感じさせる重い声で、男は処刑の言葉を告げた。


 転瞬、オズワルドの聴覚は轟音で蹂躙され、視界は赤に侵されて身体は熱風に包まれる。

 

 収束した時、オズワルドが撃破した男、カレルと手を組んで事を起こそうとしていたカリーシュ教団の者達が、全て物言わぬ炭の塊と化していた。

 鼻を突く臭気から判断するに、何らかの細工で燃やしたのだろうが、少なく見積もって、この場には百近い数の人員がいた筈。

 全て非戦闘員とはいえ一撃で、しかも自分と、倒れ伏したカレルの亡骸に被害が及ばぬように調整した上で焼き尽くす。

 これだけで相当な実力の持ち主だと理解出来、オズワルドの身体に緊張が奔る。

「お前は――」

「よく見ておけ。ケブレスの魔剣とその持ち主の終の姿など、なかなか希少な光景だ」

 男に対する警戒を絶やさずに、前方へ目を戻すと、カレルの亡骸の傍らに転がっていたケブレスの魔剣『散竜剣さんりゅうけんクレセゴート』が独りでに蠢き、空中へ浮き上がり切っ先を地面に向ける。


 浮遊した、魔剣は一切の迷いなく死した持ち主の身体に深々と突き刺さった。


「なっ!?」

「まだだ」

 男の言葉通り、クレセゴートはカレルから一度離れ、もう一度喰らいつく。まるで肉を貪る獣のような動きで、二メクトル超の巨体を切り刻んでいく。

 骨が砕ける乾いた音、肉が切り取られる湿った音が、沈黙の降りた荒野に生々しく展開されていき、カレルの亡骸は瞬く間に原型を失い、肉片へと形を変える。

 持ち主を完全にこの世から消し去った後、魔剣の刀身に亀裂が奔り、やがて自らも霧散し、初めから存在自体無かったかのように消滅する。

「これが、ケブレスの魔剣が後世に残らない理由だ。持ち主が死亡、または保持するのに相応しくないと判断すると、魔剣は持ち主を破壊し、最後に自壊を選ぶ。触れていれば、貴様も巻き添えになっていた」

「……忠告感謝する。そして、お前は一体何者だ?」 

「これは失礼した」

 軽い謝罪と共に、男は柱の上から飛び降りる。

 二十メクトル近い高さからの降下にも関わらず、土煙の類が一切生じず、靴底の接触音さえも無い無音の着地。

 降下から着地の流れの中で、身体の僅かな乱れも、攻撃を仕掛けられるだけの隙も見当たらない。

 ――相当に出来るな、この男。

 オズワルドが内心で冷や汗を流している事に、気付いているのかいないのか。男はカレル同様、二メクトルを超える長身を紳士の作法に則って折り、名乗る。

「我が名はヴェネーノ・ディクセリオン・テナリルス。ハンス・ベルリネッタ・エンストルムを継ぐ、いや超える者だ」

「!」

 ――当代ケブレスの魔剣を持つ者は、皆ドラケルン人の集合体から追放された。カレルはドラケルン人にしては俗物過ぎて、ハンナは両親の政治闘争の敗北と死によって。

 ……そしてヴェネーノは、あまりにも純粋に闘いを求めすぎたせいでね。

 カロンからの言葉と共に、彼女から勝手に記憶領域に刷り込まれたこの男の所業のおぞましさに、オズワルドは戦慄する。

 竜や敵性生物だけでなく、名の知れた戦士や犯罪者を手当たり次第に虐殺し、国をも滅ぼした逸話もある。

 ある小国が、英雄を殺害された事の復讐として持てる全ての軍事力、いや国民全てをヴェネーノ一人に差し向け、そして一人残らず殺されて完全な崩壊に至った悪夢も広く伝わっている。

 一人のヒト族との括りが小さすぎる所業を繰り返し、億単位の賞金がかかる最強の罪人。人呼んで『生ける戦争』。

 それが眼前の彫像染みた男が持つ物だった。


「ボクを殺しに来たのか?」


 当然の問いは、微妙な形で返される。

「本来の目的は別だ。ハンナを倒した者がいると風に聞き、その者の元へ向かっていた所だ。たかが両親が死んだ程度で下野する、奴の汚物以下の脆弱な精神は気に食わんが、才覚と実力は本物だ。奴を倒した者ならば、俺にとって狩り甲斐もある。だが、貴様が倒したカレルもまた同じ事」

 長外套マントを脱ぎ捨てて露わになった、完璧に鍛え上げられた裸の上半身を埋め尽くしている、一切の規則性が存在していない極彩色の刺青に、オズワルドは僅かに気圧される。

 その間に、ヴェネーノは先程掲げていた巨大で歪な、しかし何処か儚さを感じさせる、波打った刀身を持つ魔剣の切っ先を眼前の獲物に向けた。

「貴様の魂も、この『独竜剣どくりゅうけんフランベルジュ』の糧にする」

「――ッ!」


 さながら閃光。


 全身の筋肉を怒張させ、オズワルドの視界から掻き消える速力で始動したヴェネーノの動きは、これ以外の形容が不可能だった。

 完全に初動が遅れたオズワルドの右腕に、黒と白銀で構成されたフランベルジュの流麗な刀身の切っ先が見事に突き刺さり、黒霧と化して消えていく。

 そこで停止せず、敵の胴の切断まで至らせる選択をした刃に、斬り落された腕の断面から放たれた鋼糸が絡み付き、ヴェネーノの表情が歪む。


 縛められる苦痛や失策への悔恨ではなく、憤怒で、だが。


「下らんッ! 『嵐竜旋撃ドラグヴォーゼ』ッ!」

 

 熟練者が扱えば、竜の動きさえ停止させられる『鋼縛糸カリューシ』。

 しかもカロンから分け与えられた魔力によって、超強化が為され、彼女曰く『エトランゼ』をも拘束可能な代物を、眼前の狂戦士は純粋な腕力だけで微塵に裁断してみせた。

 刃ではなく、竜巻を想起させる激烈な剣風によって吹き飛んだオズワルドは、フランベルジュから撒き散らされた液体が地面に付着し、そこにあった植物が瞬時に炎上して世界が炎に包まれる様を受け瞠目する。

 ――なるほど、フランベルジュの仕掛けギミックはこれか。マトモに受ければ生物は確実に死ぬ。……二度死んだら、どうなるのかな?

 返答者のいない空虚な問いを内心で浮かべたのは一瞬。

 オズワルドは受け身をとって鞘から歪な曲がり方をした長剣『隷輝剣れいきけんダストテイル』を引き抜き、雄叫びと共に襲来するヴェネーノを迎え撃つ。


 二種の刃が悲鳴を上げて激突。


 世界に震えが生まれるよりも速く、両者は旋回まわり始めて再びの接触を果たし、極彩色の火花が踊り狂う。

 単純な力比べでの不利が、眼前の化け物相手ではどう足掻いても覆せない。短時間のやり取りでそれを察したオズワルドは、刃が再び離れた僅かな間隙を衝いて跳躍。

 フランベルジュの刀身に降り立ち、足場の悪さを全く感じさせない動きで、無防備な敵の顔面に向けてダストテイルを撃発させる。

 相手が超軽量級の存在と言えども、この状態では得物を使ってどうこうする、などの対処法はとれない。

 敗北は必至と思える状況の中、燃える紅の頭髪とは正反対の感情を想起させる、ヴェネーノの銀の瞳には、絶望ではなく狂喜が宿っていた。

「――!?」

 ダストテイルの切っ先は、ヴェネーノの顔面まで僅か数ミリといった所で、強制的に停止させられた。

 狂戦士の上半身に刻まれた刺青の一つ、毒々しい紅の薔薇が発光し、それと同色の燐光が刃の侵攻を阻んでいた。

 刺青の模様や大きさなどは、一切の規則性が無く刻まれているように映るが、何か意味があるのでは、とのオズワルドが抱いた推測を肯定するかのように、ヴェネーノの口が開かれる。

「この刺青は、屠った者の魂だ。これは俺への憎悪で生前の力を保ち、全て俺の力となる!」

「――くっ!」

 フランベルジュから飛び降りて逃げを打つオズワルドに対し、ヴェネーノは地を這う蛇の如き低位置からの刺突を放つ。

 常人ならここで話が終わるが、宙に浮かされた死せる四天王は身体を器用に翻して音速の突きを回避。魔剣と主の行く道をダストテイルを振って強引に変え、ヴェネーノの背後を手に入れる。


 一瞬であっても、無防備な背中を晒せば終わるのは実力者同士の戦いならば必然。


 理解しているが故に、ヴェネーノは超重量級の身体を鳥の羽のように軽く、そして敏速な動きで反転。

 地面を陥没させる程に両の足を強く踏み込んで狙いを定め、関節の限界を超えた動きと、常識の理解を拒絶する筋力でフランベルジュを大上段まで引き上げ、何の迷いも見せずに振り下ろす。


 最早ヒト型生物とは思えぬ速力の斬撃を、オズワルドは回避の素振りを一切見せずに顔面で受ける。血飛沫ではなく先刻の腕と同様の黒霧が、刃の軌跡から盛大に噴出する。


「――むっ!?」


 会心の一撃を命中させた事への感情よりも、奇妙な受け方を選択した眼前の相手への警戒が先に湧き上がり、追撃に動くヴェネーノ。だが、彼よりもオズワルドの動きが速かった。


「我が剣に斬れぬ物無し! 『船頭乃戯曲・斬式シング・オブ・カロン・シュラーディス』!」

 

 絶叫と共に眼帯を放り捨て、顕わとなった虚無の広がる右側の眼窩に、オズワルドは懐から抜いた短剣を躊躇なく捩じり込む。

 勢い良く吐き出されたドス黒い粘性の液体が地面に零れ落ち、オズワルドは身体を苦痛で歪めるが、すぐに粘液で覆われてその姿は見えなくなる。

 

 同時に、遙か高空から無数の剣がヴェネーノを襲う。


 大地を裂き、残っていた柱を粉砕して迫る漆黒の剣。完全な回避は不可能と即断し、狂戦士は真っ向から剣を破壊にかかる。

「カラクリなど無意味! 『暴竜勇炎禍剣ヴォルカンテ・ドラグセイバー』ッ!」

 叫声と共に、刀身が真紅に染まったフランベルジュが天へ掲げられる。

 

 転瞬、何もなかった筈の大地から、炎の柱が屹立する。

 

 大地を泥濘に転生させた猛り狂う炎は、勢いを一切緩めることなく剣に激突。鍔迫り合いとなったのは僅かに一瞬。圧倒的な魔力の差を見せ付けて、死せる四天王が放った剣を世界から退場させていく。

 全ての剣が消滅した時、炎の柱が一方向、即ちフランベルジュの刀身に吸い寄せられる。

 紅炎の奔流を身に纏い、まさしく火竜と化したヴェネーノは、背中から更なる炎を吐き出して丸裸のオズワルドに突進。

 噴流が齎す推進力によって、ヒトでは到底たどりつけぬ領域の速度への到達をヴェネーノは果たし、両者の距離は瞬く間に縮まる。

 フランベルジュの射程内に敵が収まった時、突進の速力をそのまま活用した刺突を、ヴェネーノはトドメの一撃に選択。

 空気を切り裂く事で生まれる衝撃波のみで、大地に消えない傷を作り出す攻撃が届く寸前。粘液塊からダストテイルが吐き出され、両者が激突。


 吼え猛る両者の魔力によって、轟音と激震。そして紅蓮の炎と極彩色の閃光が世界を凌辱し、二人の姿を隠した。


 やがて、災厄にも等しい力の放出が終わり、世界は互いに凝視し合っている二人の演者を捉える。

 両者共に負傷はしているものの自らの足で立ち、次の手を打てる状態だが、互いに何の動きも見せず、言葉を発しない時間が暫し生じる。

 沈黙を打ち破ったのは、ヴェネーノの方だった。

「流石だな、カレルを倒しただけの事はある」

「まだ続けるつもりか?」

「いいや、止めておこう。よくよく考えれば、貴様はカレルとの戦いで消耗していた。そのような相手を討ち果たした所で、何の意味も無い。強者は、完調な状態で打ち破ってこそ価値が生まれるからな。次に会った時、俺の真の力を見せよう」

「……なら最初からそうしてくれ」

「強者を目にした喜びで身体がつい動いた。貴様も分かるだろう?」

「分かりたくはないね……」

 ヴェネーノの体の各所に大量の火傷が刻み込まれ、右腕が吹き飛んで肉が垂れ下がっている等、かなりの深手を負ったのは間違いない。

 しかしそれはオズワルドも同じ。

 黒の粘液が右目が本来ある場所から流れ続け、同様の現象が全身の傷口から生じ、更に全身の輪郭が僅かに揺らぎ始めている。

 自分の方が遥かに厳しい状況に置かれていると、すぐに理解して顔を歪めるオズワルドを他所に、ヴェネーノは吹き飛んだフランベルジュへ颯爽と歩いて行く。

「またいずれ会おう。この勝負、貴様に預ける」

 言いたいことだけ言って、背中から噴き出した炎を翼に変えて飛翔し、凄まじい迷惑を提供してくれた狂戦士は西の方角へ消えていく。

 恐らくは、ハンナ・アヴェンタドールを撃破した者を探しに向かったのだろう。

 ふっと緊張を緩めると、足が自重を支え切れなくなり、オズワルドは糸が切れた人形のように地面に崩れ落ちた。

 酷く乱れた息を吐き、身体を激しく痙攣させながら眼帯を再装着し、仰向けになって目を閉じる。

 ――流石に魔剣に選ばれし者と二連戦は厳しい。少し休まないと……。しかし『正義の味方』に加えて、あのような化け物までもアークスに向かっているのか。

「飼い主様の言葉が正しいという訳か。……嫌な話だ」

 一人ごちて目を閉じたオズワルドの周囲から、黒の粘液が噴出し、それはやがて繭に似た物を形成する。完全に彼の姿が見えなくなったところで、繭は地面に吸い込まれ、破壊され尽した大地に沈黙が降りた。


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