終わりの先:斯くて彼等は蠢動する
アメイアント大陸はコルデック合衆国。エスクト州リルファの一角。
草木を排除し混凝土が敷設されて生み出された灰色の四角形で、中央に鎮座する物体を囲むように人々が行き交っていた。
「商品は全部降ろせ。そこに砲弾と食料だ。どんな敵が現れるか分からない、速度が落ちても構わないから装甲を厚くしろ。金は俺が積んどくから気にすんな」
張り上げている訳ではないが、不思議とよく通る声で水無月蓮華は団員に指示を飛ばす。
団員達が集い、蓮華の指示に基づいて整備を進める空を走る船『村雲号』が仕事を与えられるのは、飛行島での苦い出来事以降初となる。怪物との対峙で仲間を失った彼等の動きに、熱が入るのは当然と言えるだろう。
「本当に船が空を飛ぶのか」
場で唯一、あの地獄にいなかった銀髪の女性、ハンナ・アヴェンタドールが溢した呟きは、知らぬものの発言として至極真っ当だ。少々場の空気が読めていないかもしれないが、彼女の苦しみを理解出来ない自分達も同じと、蓮華は肩を竦める。
「ロザリスに飛行機械は無かったのか?」
「軍用の一部だ。それも一人か二人程度しか乗れない。輸送機もあるが……このような大人数の収容と戦闘を想定した構造ではなかった」
飛竜や怪鳥類に分類される巨大な鳥達が空を支配する構造は、古代から現代に下っても大きく変化していない。ヒトの目で視認出来ない、彼等の領域を犯せば、容赦なく攻撃を加えてくる。
三次元的な攻撃に対してヒトが選べる有効な手段は乏しく、飼い慣らした前述の生物達で応戦するか、卓越した個人が飛行魔術を展開して直接挑む。或いはハンナが触れた通り、軍用の飛行機械を用いるかの三択が可能性を語れる範囲だろう。
あくまで可能性の範疇であり、眼前の船はそのどれにも該当しないことが、ハンナに疑問を浮かばせているのだが。
「村雲号は俺も親父の遺産を引き継いでやってるからな。浮遊・航行機関は日ノ本に伝わる呪術が基盤になってる、ぐらいしか知らない」
「……おい」
「その代わり、武器は良い奴を突っ込んでるよ。それは見りゃ分かるか」
ハンナは異論を挟むことなく、首を縦に振った。
懐古趣味と揶揄されそうな旧態依然とした外見ながら、対飛竜用の小型魔導砲を始め、甲板に並ぶ武器は小規模な戦争を引き起こしかねない凶悪な代物が並んでいる。鴨が葱を背負うかの如く、ただ領域を犯して撃墜される末路はひとまず回避出来るだろう。
育ったロザリス軍でも、これだけのイカれた物量を積んだ船は無い。武器をただ積んだだけで、発射などの反動や敵の攻撃による衝撃に耐えられる頑強さが無ければ、ただの金を掛けた自殺装置以外の意味を持たない。
無論、蓮華がある程度の補強を施しているだろう。しかし、機械というものは設計段階で殆どが決定付けられ、後付の強化には限界がある。
彼の父、水無月桂孔は何を目的に村雲号を建造したのか。
隠し事をするつもりはない。
契約時に告げられた言葉に従い、ハンナは率直に問う。
彼女より十数センチ背の低い極東人は、左腰に捩じ込まれた異形の銃を弄びながら、曇天の空を見上げる。
「俺が物心付いた時、親父はもう抜け殻だった」
「……すまない」
「早いし的外れだそりゃ。何れ追放されることを読んでいたのか、それとも単なる気紛れか。明らかに空中戦を意識してコイツを設計した。つまり」
蓮華の声が途切れる。
「どうした?」
問いかけにも無言。心変わりでもあったのかと首を捻りながら、ハンナが目を遣ると、蓮華の顔は上に向けられていた。彼の黒瞳に宿るは、緊張と恐怖。
口を開こうとしたハンナだったが、直後フラスニールを抜いて構えた。
敵対行為と判じられ、袋叩きにされて当然の蛮行を咎める者は皆無。団員もまた、彼女達と同様に視線が空に固定されていたのだ。
灰色の雲は厚く、太陽の姿を隠し続けている。
だが、その隔壁に遮られても強い輝きを放つ、清浄な白光がそこにあった。
何処からか竜の咆哮が響く。生態系の頂点に立ち、誰にも頭を垂れぬ強者の声には純粋な敬意。
矮小なヒトの肺腑を鷲掴みにし、激しく震わせる咆哮の合唱を浴びる白光は、しかしそれに答えることもなく空を泳ぐ。
瞬く度、大地が震え、大気が張り詰める。異常な現象に直面した団員の中から悲鳴が漏れる。蓮華も口を引き結んで硬直し、ハンナもフラスニールを構える事で辛うじて意識を保っていた。
無意識の内に震える切っ先と、その先で輝く白光を見つめ、時が過ぎ去ることを待つ。同族の者と対峙した時以上の恐怖に、相棒を握りしめることで対抗する。
強者に分類される彼女や蓮華にも、この瞬間に展開されている事象に対して、ただそれ以外打つ手が無いのだ。
地上のヒトが畏怖と己の無力さに打ちひしがれる中、白光は悠然と空を進み、やがて彼等の視界から消えた。
白光の消失に連動するように咆哮も失せ、リルファの地に静寂が戻る。
だが、人々の心は平穏に戻ることは無かった。
フラスニールを収め、ハンナは荒い息を吐きながら片膝を付く。
竜が敬意を払い『在る』だけで地上に干渉する存在など、両手両足の指で数え切れる程度。空を領域にする者は、片手の指にまで減少する。
――だが、何故彼の者がヒトの可視領域まで降りてきた? 彼等とヒトは不干渉だった筈。まさか……。
「倒れた奴の介抱をしてやれ。作業は一旦中止だ」
最悪の方向に転がり始めたハンナの思考を、蓮華の声が打ち切った。
生物が逃れることが出来ない恐怖に飲まれた後とは思えぬ強い声を浴び、団員達は雷に打たれたように身を跳ねさせる。やがて短い言葉に籠められた何かを感じ取ったのか、団員達は各々の役割を果たすべく立ち上がり、散っていく。
「出発が遅れるぞ」
「無理に急かして、空で爆発四散! より怖いものは無いだろ。頼三、飯作ってくれ。夜までの完成は無理だろうから、今日はもう野営になる」
「希望は?」
「景気付けにステーキにしようぜ。良い奴頼むわ」
周囲の団員と同様、血の気が失せた老戦士に手早く指示を飛ばした蓮華は、そこでようやくハンナに向き直る。右腰に格納された異刃の柄を固く握り締め、短い呼吸を繰り返す男は、それでも最後の一線を崩すことなく笑う。
その裏側に隠された感情に踏み込まず、ハンナは次の言葉を待った。
「ロクでもない風景を見ちまったな」
「そう、だな」
朧気ながら、正解を二人は掴んでいる。だが、口にしてしまえば己の身に決定的な破滅が訪れる。そのような不吉な予感が勝り、正解を言葉にすることはない。
「俺はあの時、自分が盤面に登る資格はないと確信した。勝てるから挑み、負けるから逃げるだけの小物でしかないともな」
「勝算無き戦いに挑み続ける事を勇敢と言わない。彼等が異常なだけだ」
『異常』という点に見解の一致を見たのか、少しだけ二人の緊張が緩んだのは一瞬。
すぐに表情を引き締め、反対に体の緊張を解しながら、蓮華は再び空を見上げる。
「ああ言う光景に居合わせたってことはつまり、首を突っ込む権利は一応残ってるって訳だ」
「暴論だな」
「俺は暴論で成り上がった男だからな。何かが起こるのなら、指を咥えてそれに流されていくだけってのが一番クソなオチだ。食らいついて、見届けてやろうぜ」
声は、思いの外平坦だった。
水無月蓮華という、決して超一流に成り得ない男をここまで歩かせた根源が、欲望に対する執着心ならば、言葉は必ず実行するという宣言に他ならない。そして、自分も頭数に入れられていると、短い付き合いながらもハンナは既に理解していた。
「救われた恩がある。致命的な決別がない限りは、貴方が満足するまで同道するさ」
「戦力増強って意味じゃ死ぬほどありがたい。……まっ、皆で行けば地獄も怖くない。あいつ等とも何れ再開するだろうしな」
何らかの運命を背負った少年と、異邦の少女。
彼等の道筋は、たった今描かれた現象と必ず交わる筈。その先に、戦いの盤面があるのだろう。辿り着いて得られるのは、希望ではなく絶望であり、また失う恐れは根深い。
それでも一連の事象を見届ける必要があるものだ。蓮華やハンナはそう結論付け、先に事務所へ戻っていった団員の後を追う。
「後悔しないように生きる為には、命を賭けなきゃいけない。半端に知恵が付いた生き物は面倒くさいな」
「流木からの脱出を望んだ者の宿命だ。諦めろ。頭領として必要なのは――」
「あーあーもういい。美人の説教は苦手なんだ俺」
不安を拭う為なのか、微妙に気の抜けたやり取りを交わしながら。
◆
惑星に於いて、ヒトの侵攻が及ばぬ箇所が最も多い領域が、七割を占める海だ。
生身では二百メクトル程度が限界。水中特化に適応した人種でも深度は殆ど伸びない。しかも、あくまで『潜れる』だけであり『行動出来る』事に直結しない。
更に水中ではヒト属の魔術発動速度が地上の五分の一に低下し、消耗も格段に増加する。
ヒトの持つ強みに枷を嵌められた状態で、空中戦とはまた趣の異なる三次元戦闘は非常に難易度が高く、万が一それを克服したとしても、海中に地上同様の居住区域を展開する事は現状不可能。
海洋汚染や乱獲に起因する絶滅はあるものの、これらの理由から海はヒトの支配を免れ、魚類や海棲生物達が自由に行き交う世界を形成していた。
その中でも、絶対の頂点に立つ存在が大公海の何処かを悠然と進んでいた。
黒と白の二色で構成された流線型の体は、肉食魚として図抜けた十八メクトルの巨躯を誇り、表皮には無数の傷が刻まれている。同属と差異のない小さな瞳は艶消しの黒で体に埋没し、背から尾まで、全ての鰭は曲剣の鋭利さを有していた。
最古の『エトランゼ』通称『覇海鮫』ことメガセラウスの周囲には、お零れを狙う小さな魚が屯し、王とその従者と形容すべき光景を海中に描き出していた。
生態系図の中にいた種の一個体ではあったものの、既にそこから逸脱した『エトランゼ』には生命維持の捕食は不要。だが、秩序をあまりに乱す生物を粛清する瞬間が度々存在し、その時に大きな恵みが得られる。それを目当てに、弱者達は集っているのだ。
特段の目的もなく、ただ秩序保持の為に世界中の海を巡り続ける。
今日も明日もその先も、彼はその営みを続けるのだ。
「散れ」
世界の確信は、他ならぬメガセラウス自身によって打ち砕かれた。
津波に酷似した重い音に弱者が、そして場に居合わせただけの海竜が慌てて逃げていく。瞬く間に沈黙が降りた海の一角に、眩い閃光が生まれた。
発光器官を持つ生物を全て集めても尚及ばぬ強い光が収束した時、そこには牛頭の怪物が立っていた。
「久しぶり……でもないな」
『戒戦鬼』カラムロックスが、このタイミングで交信を飛ばしてきた事実に微量の疑問はあるが、おくびにも出さずメガセラウスは身構えた。
「先日の件について、礼を言いに来た」
「あのハンナだか言うガキの救助か? 単にオレは沈まないようにしただけで、他の連中の手出しを積極的に止めることはしなかったろ。感謝される謂れはない」
数ヶ月前、フィニティス崩壊の余波で海に放り出された少女の救出を、カラムロックスから依頼された。
極めて一部を除き、人類を忌み嫌うアルベティートとの軋轢を避けたい意思はあったものの、救出より先を要求されなかった事と、少女自身が激しく負傷しており反撃の危険が無い事を理由に彼は受けた。
結局、漂流している内に少女は引き上げられたようだが、それはエトランゼたる彼にとって興味の外。カラムロックスがそれを望んだ理由も、おおよそ理解しているが故に、メガセラウスも追及しなかった。
だが、こうして態々現れたのであれば話は別だ。
「オレはヒトに負けて、お前も引き分けた。ギガノテュラスは負けた理由を、相手が強すぎた事としているが、実際はそうじゃない」
二千年前の大戦で、メガセラウスはヒト属の手で一度殺害されている。
どれだけ生態系から逸脱し、他の水中生物の強みを全て取り込んでいる彼も、根本的な構造は通常の鮫と何ら変わりない。水中から引き摺り出されてしまえば魔術の展開速度が極端に落ち、やがて呼吸が出来ず死ぬ。
海棲であるが故に、逃げ場は無限にある。そこを突かれる事などないと、あの時は過信していた。
だが、ヒト属は数万の命を犠牲にする奇策で海の一部を陸へと強引に書き換えた。名前こそ知らないが、当時のヒト属で最強の魔術師がメガセラウスを狩る為だけに生み出した魔術で、活動領域から強引に引き摺り出された挙げ句、集中砲火を浴びて落命した。
『時序可逆遡行』が無ければ、今頃歴史書の存在だった確信はある。死にはしなかったものの、眼前の巨人も限界まで追い詰められ、暫し休息を余儀なくされた。
「馬鹿みたいな犠牲を払えば、ヒトはオレ達に手が届く。当代最弱つっても、ハンスの道を継いだ奴を救助するのは」
「某やそなたの、否、五頭が皆見えぬものがある筈だろう」
「……オレ達がそれに敗北した後を考えて、その手札として活かす為に救助させた。そんなところか」
青の無間が広がる世界に、重い沈黙が降りる。
個々が撃破されても全体で見れば、『エトランゼ』が敗北した事例はない。筆頭のアルベティートなど、シグナ・シンギュラリティに両翼を斬り飛ばされた事が最も重い傷で、ヒトとの交戦で生命に関わる傷を負った事がない。
彼の者の敗北を論ずるのは、太陽が爆発四散する可能性を念頭に人生設計をするような物だろう。
『エトランゼ』とは、それほど隔絶した領域に立つ存在なのだ。故に彼等はヒトを、ヒトから見た蜂、程度で見ていた。惑星を汚し、生命を絶滅に追い込む事はあっても世界の根源に手を伸ばす事は不可能。
しかし、力の差があまりに大きいと全容の把握は難しくなる。傀儡をヒトの世に送り込んで世情の把握に努めているが、完璧とは程遠い。
『七彩乃星』の不正使用による異邦人の顕現頻度向上と、彼等の消失を筆頭とする事象に対して、仕掛人の輪郭を朧気ながらに描く程度しか掴めていない。一定程度ヒトを理解するカラムロックスが、手札の確保に動くのは当然の動きと言えるだろう。
「とは言え、ヴェネーノやカレルが消えて生き残ってる異邦人も小粒なヤツしかいない。お前の理想の為にゃ、もうちょい派手に動く必要があるかもしれないな」
「承知している。だが……」
長命かつ強大な力を持つ竜は『龍』と成る。
歴史上でも七頭しか存在しない『龍』の内、世界との繋がりを絶ち舞台装置に徹する道を選んだ『天空龍』と『淵海龍』を除外すると、唯一世界に姿を見せる存命の龍にして『エトランゼ』首魁、白銀龍アルベティートはヒトを強く嫌っていた。
ヒトが隙を見せれば、嬉々として世界の均衡を保つ役割を逸脱した完全な絶滅を仕掛けかねない彼の者は、カラムロックスの思考とメガセラウスの行動を知れば激怒し、無慈悲な牙を向ける確信が二頭にあった。
彼の者と己の選択が果たして正しいのか。危惧するような事態が本当に起きるのか。それとも、全く別の方向から悪意が放たれるのか。
無数の可能性が浮かんでは消えていく、無意味な時間が暫し流れた頃、二頭の怪物達が弾かれたように面を上げる。
「招集か。最近多いな」
「仕方があるまいよ。……提案はしてみよう」
「責任は取らねえぞ」
同属からの招集に応じるべく、二頭は全身に魔力を纏い、目的地の座標を描き出す。
「何にせよ、現状維持が一番良いんだけどな」
ありふれていて、切実な想いが放り投げられた時、怪物達の姿は大公海から消えていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます