9:スクリーム・エッジ・サーカス

序:語るまでもない世界の真理について

 『価値がない』

 そのような札を貼られた者に対し、人々は冷淡だ。

 例えその者が苦しみを抱えていても、目では捉える事が叶わない『正しい』手段を提示し、実行出来ぬ弱さを、非力さを嘲笑い去って行く。当然、その者が救われることなどない。

 世界にとって『価値の無い』苦しみは、誰からも肯定されることなく、ただ薄汚い笑い話の題材として消費され、娯楽材の枠組みに押し込められる。

 押し込められ、嘲笑によって翼を折られた者は一人では飛べず、誰にも顧みられぬまま路傍の隅で腐り落ちて死んでいく。

 仮に死したとしても、その死は悼まれず『正しい』生き方を掴み取れなかった汚物として、鼻を摘ままれ、唾棄すべき存在として消えていく。

 それが、無価値な者に待ち受ける全てだ。


                  ◆


 豪奢な部屋の中心部。

 一人の少女が茫と立ち尽くしていた。

 赤黒い血であどけない顔や桃色の髪を汚した少女は、光無き双眸を自身の右手に握られた刃と左手を覆う粘液塊で行き来させ、半開きの口で声にならない音を絞り出していた。


 揺らいでいた目が左手に固定され、音が少しだけ輪郭を持ち始める。

「―・―・―……」

 不安定な声が響かせるのは祈りか。懺悔か。はたまた狂喜か。いずれにせよ、正解を知る者は役者が少女一人の空間には存在しない。

 これだけでもヒトの常識では異様な光景だ。しかし、視野を部屋全体に広げると、少女の姿が描き出す異様さは更に増幅されていく。

 本来は白一色で構成された壁は、少女の顔を汚している物と同じ色に大半を支配され、雪の粒の如く小さな点が、辛うじて面影を匂わせている。

 原型を保っているテーブルや椅子もまた、インク瓶を叩きつけたかのように赤が広がり、木材のそれと絡み合って異様な臭気を放っていた。


 そして、少女の目前には巨大な花が咲いていた。

 

 頭部が消失している為、一見して判別するのは難しいが、体格から鑑みるに恐らくは男性が床に転がっていた。

 首元から指先に至るまで、数えきれない程の斬線が刻まれ、皮膚と血液と肉が出鱈目に攪拌された液体がひり出されている。入念に破壊された内臓が下腹部から毀れ落ち、時折奇怪な痙攣を繰り返す。ヒトの尊厳が何処にも存在しない、凄惨な光景がそこに在った。

 歴史書に記載された猟奇殺人者の大半が雛鳥に思える、猟奇的かつ残酷な破壊の嵐に晒された男性は、当然ながら既に絶命している。

 肉塊と血だけが彩の全ての部屋で、立ち尽くす少女は揺らぎ続ける。

 

 不意に、少女の膝が折れた。

 

 湿った音と飛沫を散らし、全身を更に汚した少女は、破壊し尽くされた死体に縋りついて何かを囁く。

 右手の刃や、この家には死体に転じた男性と少女しかいない事実を踏まえると、正解はおよそ見える。憐れな被害者ではない別の名札が相応しい少女は、光の無い目で死体に視線をしかと固定し、彼女にさえ聞こえない声を紡ぎ続ける。

 異様な静寂が続く室内。そこに乱雑な足音が二つ接近し、それが止まると同時にドアが蹴破られる。


「これ……は……! ユアン、医者を呼べ!」

「医者なんか信用出来るか! 先にこいつを連れ出すぞ! 聞こえるか? おい、聞こえてるなら返事をしろ!」


 切迫した男達の声と、その片割れが伸ばした手に揺さぶられても、少女に変化は生まれない。


「……わたし、強くなったでしょう。これなら、パパもほめてくれるよね」

 

 辛うじて音の態を成していた少女の声は、祈りにも似た響きを持っていた。

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