17
「さぁ……行くぞッ!」
白銀の竜巻が室内に吹き荒れる。
一連なりの歪んだ音が奏でられ、消えた時。
水無月怪戦団の戦闘要員十名が、揃って室内鍛錬場の石造りの床に受け身も取れずに叩き付けられた。
防刃繊維で編まれた戦闘服と、その下に仕込んでいた積層金属製の防護板が纏めて切り裂かれ、各人の武器は二度と修復が叶わぬまで砕き斬られた。
「どうした。この程度か!? 私はまだやれるぞ……立てッ!」
竜の牙に酷似した形状が齎す禍々しさと、理想強度を発揮させる為の変成が行われたドラグフェルム合金が放つ輝き。加えて、細部に施された芸術品同然の精緻な装飾による美。
相反する要素を兼ね備えた姿を持つ『金剛竜剣フラスニール』の、高い
魔剣継承者ハンナ・アヴェンタドールは、生来持つ氷河を内包した左眼と、先日埋め込まれた無機質な青の右眼で、伏した鍛錬相手を暫し見つめる。
やがて、全員が戦意喪失したと察したハンナは、関節から物悲しい軋み音を奏でながら腕を翻しフラスニールを背負う。
完勝劇を、鍛練場の採光窓近くから見つめていた二つの影の片割れ。極東人離れした巨体を持つ老人、加賀美頼三が低く唸る。
「まさかこれほどまでとは。……蓮華」
「『ジャッジメント』と『スクウィーバー』の売却金がタネだ。簡単に適応出来て、壊れるガラクタを使っちゃいないさ」
三十年近く前、彼自身が誕生する前に販売終了し、現在では好事家が争奪戦を繰り広げる二台の旧車。賭けの支払い代わりに手に入れたものの、それなりに愛着を持って扱っていた二台を手放す。
億単位の金をハンナの再生に注ぎ込んだ事実と、蓮華の覚悟に息を呑む頼三を他所に、蓮華はハンナを見つめる。彼女の欠損部位には北部アメイアント大陸最大の軍事企業『ガルガノック』が半年前に発売した最新式を取り寄せ、接合を行った。
戦闘時の破損や脱落を防止する観点から、一度装着すると取り外しが困難な戦闘用義肢にも、生活用と同様優劣は確かに存在する。炭素繊維と希少金属を組み合わせ、それらの共振で生じる電気信号で神経系統の代用を行う戦闘用義肢は、上位モデルになるほど出力が増大し、使いこなす難易度も上昇する。
アメイアント大陸に古来から伝わる大怪鳥『サンダーバード』の名を持つ義肢は、使いこなせる者がロクにおらず、数少ない成功者も一年以上の時間を費やしている、出力と耐久性以外を切り捨てた極端な代物。何度かアップデートが施されているが、根本的な扱いにくさは不変。
以前団員に使用する必要が生まれた時、蓮華達は選択肢にすら挙げなかった代物なのだ。
――それを九日で、しかも団員を倒すところまで手懐ける、か。これが天才って奴ね。……文句言っても仕方ないんだが、ちょっとムカツクなぁ。
魔剣継承者の才を目の当たりにし、ささくれ立つ心をおくびにも出さず、蓮華は手すりにだらしなくもたれ掛かる。
「おい」
「ハンナちゃんが強いのは分かってたけど? このままじゃちょーっと不味いよな。水無月怪戦団、下剋上の危機! って奴?」
「『ディアブロ』に選ばれた者だ。そのような軽挙は有り得ない」
「血統とそれに違わない実力で成り上がった奴は、得てして常識から外れるモンだ。俺みたいな御三家の面汚しとは違う」
実情を知らぬ日ノ本人から浴びせられる、自身の忌憚なき評価を口にしながら、蓮華は手すりに足を掛ける。制止を振り切って跳躍。空中で一回転。ハンナの眼前に無音の着地を果たす。
「まぁ待ちたまえって奴よ。もう少し心を交わして良いんじゃないか?」
「貴方との契約外だ。それに、私一人で鍛錬していた方がお互いに良いだろう」
圧倒的な数的不利を覆した現実に基づいた、ハンナの言葉。本人に自覚は無いだろうが「お前達と連むことは時間の無駄」という、最悪の意味も内包している言葉を受け、鍛錬場の空気が急激に低下する。
倒れ伏した団員も怒りに震えながら睨むが、肝心のハンナに届いた様子はない。仮に届いていたとしても、負け犬が喚いているだけでしかなく、彼女の心を震わせるお伽噺は有り得なかっただろうが。
変成した空気に包まれながらも、蓮華は笑みを崩さず肩を竦めるに留めた。
――あれはかなり怒っているな。
現在の立ち位置こそ部下だが、嘗ては父親役を務めた頼三だけが、蓮華の感情を正確に読み取り、そして次の瞬間。
「全てやりきった面するならさ、俺を倒してみな」
蓮華は爆弾を放り投げ、団員が、そしてハンナすら硬直する。
「正気か?」
「勿論。弱い相手に従いたくないのは分かる。で、ここで一番強いのは俺。だったら、結論は一つだけだろ?」
頭目が戦いを挑み、敗北した組織はどのような末路を辿るのか。当然知っているハンナは、真意を測るかのように眼を細め、蓮華はやはり平静を保つ。
停滞した時間が暫し流れた後、ハンナの右腕がフラスニールの柄に伸びる。戦意を示した事実に周囲の空気が緊張を増していく。
両者の距離は二メクトル弱。少し詰めれば、どちらの武器も届く。
「では……行……きゃっ!」
やけに可愛らしい悲鳴が溢れ、始動したハンナが転倒。後頭部を盛大に打ち付け、周囲の者が耳を塞ぐ鈍い音が生じる。自重も相俟って、本来脳震盪を起こしても不思議ではないダメージを負いながらも、フラスニールを手放さなかったハンナ。
「これで終いだ。俺の勝ちな」
彼女の首筋に、蓮華の愛刀『水彩』の怜悧な切っ先が突きつけられていた。
蓮華が少し動けば、水彩はハンナの喉笛を穿つ。それは、彼女が持つどの選択肢よりも速く遂行が可能。宣言通り、決着はここで付いた。
何が起こったのか。自身の不可解な転倒の理由を求めて動いたハンナの眼が一点。蓮華の右手に引き寄せられる。
――これは……なんだ、糸か?
目を凝らしてようやく視認可能な細い糸が、蓮華の五指から無数に伸び、自身の左足に絡みついていた。拘束に用いられる汎用的な物や『鋼縛糸』で生み出された物とは大きく異なる未知の仕掛けに、混乱するハンナ。
彼女の無意味な思考を打ち切るように、蓮華の醒めた声が差し込まれる。
「魔術じゃないぞ。ただの釣り糸だ」
「釣り……糸だと」
「そう。魔術だと相手によっちゃ気付かれるし、無効化される。身体が耐えきれるなら、こっちの方が不意打ちがしやすい。弱者の知恵って奴だ。もっとも、魔剣継承者に通じるとは思わなかったけどな」
意趣返しを正確に解し、ハンナは唇を噛む。戦場や一対一の真っ向勝負の経験は豊富だったが、このような絡め手は殆ど経験していない。いや、仕掛けられても潰せていた為に警戒対象から外していた。結果、実戦であれば死体に変えられていたであろう負けを引き寄せた。
義肢への適合云々で言い訳不可能な完敗は、取りも直さず蓮華とハンナの経験値と手札の差を示していた。
「お前は間違いなく天才だよ。でも、負けは負けだし、手札も少ない。もうちょい俺達と組んで、見聞を深めても良いんじゃないか。どうせ俺は抜かれる身だ、持ってる物全部教えてやるよ」
敗者に対して寛大に過ぎる言葉。だが、それを放つ蓮華の目には強い光。たじろいだハンナだったが、すぐに光が自身に向いていないと気付く。
彼を除外した何かへ。除外される事に異を唱えられぬ弱い自分への怒り。そして、そこに食らいつかんとする野心。
既に社会的地位や理解者を持つ者と思えぬ渇望を、水無月蓮華は抱えている。あらゆる責を背負う立場。真っ当な文句では片付けられない重い何かに慄き。同時に、強い興味をハンナは抱く。
敗北した以上、独断専行は許されない道理に起因するチンケな義務感は、彼女の中から消えた。
男の選択と、その行く末を見届けたい。
腹を括り、頭を下げる。
「貴方の意思を軽んじていた。……満足するまで、貴方に同道させてくれないか」
意思を受け、蓮華は野心に燃える目を眇めつつも悪意無き笑みを返し、伸ばされたハンナの手を取る。
「勿論。結末まで全部付き合って貰う。その先に見えるのが地獄であろうと、俺は突き進むつもりだ。……皆も、覚悟は良いよな!?」
団長の掛け声を受け、場の全員から雄叫び。各人の準備に駆けていく団員が生み出す喧噪に飲まれながらも、ハンナは蓮華を見つめる。
態々形容文句に出している時点で、先に待つのは血みどろの戦い以外に無いのだろう。伝え聞いた話では、ヒビキ達が絡んだ戦いで、蓮華は多数の部下を失っている。更なる喪失の恐れを解しながらも前進を選ぶ理由とは。
そして、待ち受けている地獄とはどのような物なのか。
――私は欠片に触れ、そして取りこぼした。……もう一度の機会が与えられたのだ、今度は必ず掴み取る。
「お互い弾かれた身だ。醜く、無様に、見苦しく足掻いて、食らいつこうぜ。世界が迎えようとする激動の瞬間にな」
『ディアブロ』とアメイアント大陸の商人集団の長。本来交わる事の無かった二人は、意外な共通項を元に同道と相成った。
決断の果てに見える光景がどのような物か、この瞬間には誰も知る由も無かった。
◆
「目隠しは不要だ。最後まで景色を見ておきたい」
差し出された慈悲を、ベラクス・シュナイダーは丁寧に断った。
熱帯特有の風と、浴びせられる憎悪に満ちた視線を感じながら、元・指導者は周囲を悠然と見遣る。彼の目に、目前に迫った死に起因する感情の起伏はない。
指導者に祭り上げられたハンヴィーは、私情と打算に基づき、刑の執行を遅らせるよう主張した。当然却下されて現在に至るが、その判断が正解とベラクスは考えていた。
民衆の団結に最も効果的なのは、敵を配置して叩き潰すこと。独裁者の冠を持つ自分の速やかな処刑は、外部にはバディエイグの変化を、内部には敵の完全な排除を改めて示す筈だ。
下手に遅らせてしまえば、決断力に疑問を持たれていきなり新体制が躓く危険がある。態々牢獄にまで来て、対面で謝罪した姿を思い出し、傷塗れのベラクスの表情が少し緩む。
――思えば、ここまで長かった。
亡き母から、バディエイグは楽園と教わった。
抱いた憧憬に従い、降り立って見えたのは『同調』と曖昧な『正しさ』に基づいた差別と腐敗が横行する、緩慢な自死を目指す国という現実だった。
誰も変化を望まず、自死を望んでいた。ならば、危機感を抱いた自分がやるしかない。
登り詰めたのは十八年。計画を練り始めたのが二十一年前、彼が三十三歳の時だ。クーデターの計画など、首謀者が誰であろうと追放又は処刑が露見した時の結末。バディエイグに降り立ったばかりで、ツテが殆ど無かったベラクスは当然綱渡り同然の行動を強いられた。
軍人として旧政権から信頼を勝ち取りつつ、仲間を少しずつ増やしてクーデターを実行。ハンヴィーと異邦人によって綱から落ちるまで、どうにか国の形を守り続けたが結末はこの有様だ。
暴力で革命を成した者の宿命で片付けられるかもしれない。この結末を覚悟して、彼もここまで戦ってきた。失った仲間も、踏み躙ってきた敵や国民も。進む事だけが全てに答える術となる。嘗ての師の言葉に愚直に従ってきた。
――それでも死を恐れるのは、私とて只の人間でしかなかった。という訳か。
超越者を気取ったつもりも、なるつもりもなかった。だが、数多の命を奪ってきた男が持つ感情としては凡庸で矮小だ。そして、そのような存在に成れなかった事が、綱から落ちる決定打となったのかもしれない。
異邦人の少女は『特別』になってしまったと、ベラクスを形容した。あの時は動揺したが、彼女の指摘が正解から微妙にズレている。
特別にも凡庸にも振り切れず、中途半場な、ベラクス・シュナイダーのままであった事が、敵を増やし続けて敗北を引き寄せた。
翻って、ハンヴィー・バージェスはどうか。
特別な生まれだが感覚は一般的な国民に近く、人々に好まれる人格の持ち主と、内部の統率は暫く問題ないだろう。所詮この地域に限定された伝承の、威光が通じ難い他国に対しても、選出した人員を見ると短期的に凌ぐことは問題なく可能。
長期的な運営の成否は、現段階では見えない。突き当たる現実に屈すればベラクスと同じ末路に。撥ね除ける道を選んでも、彼個人の正しさや信念は容易く否定される上、それなりの軟着陸を続ける手法は強硬な思想を持つ国民からの不満を呼ぶ。
革命の熱狂をただ享受する事など許されず、ハンヴィーは一線を退く瞬間まで茨の道を往く事を強いられる。結果的に責任を押し付けた者の、身勝手な願いと自覚しながらも、ベラクスは願う。
――継承者であることも、責任も、抱え込むな。信じられる者と歩め。……私には出来なかった事だが、君なら出来る筈だ。
届くことのない願いを宙に放り投げ、ベラクスは周囲の景色から銃を構える処刑人達に目の焦点を戻す。そこに、彼と共に歩んだ者は一人もいない。
「……貴官達の最初の仕事になる。狙いは頭か胸だ。未来に於いて、貴官達は肉親を。友を。愛する者を守る為に他者を殺すのだ。私如きの殺害に迷っていては、誰も守れず惨めな敗北を積み重ねるだけだ……怯えなど捨てろ」
助命ではなく、正しい殺し方を音にする。
最後の瞬間まで自身が、そして他者が望む姿に基づいて踊った男の言葉を受け、憎悪の炎を灯しながらも表出していた、処刑人達の迷いが消える。
鈍い金属の音が重なり、引き金に指がかかる。
「くたばれこの悪魔がッ!」
悪魔の遠吠えにも似た銃声が、晴れ渡るバディエイグの空に響いて消えた。
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