16:帰還

 くすんだ灰で全てが構成された通路を、ゆかりは刑務官の先導で歩む。

 すれ違う職員から浴びせられる不躾な視線に、最初は身が竦んでいたが、数度経験した今はもう慣れた。これだけに留まらず、様々な局面で自身の順応性が劇的に向上している事実は、喜ぶべきなのだろうか。

 戯けた疑問を繰り返して緊張を和らげようとしていると、先導の刑務官が不意に足を止めた。視線を上げると、壁や通路と同色の壁がそこにあった。

「少し待て」

 屈み込んだ刑務官が、壁に設えられた錠や鎖に手を伸ばす。何重にも施された鍵の解錠作業が生み出す、耳障りな音を立ったまま受け止める。

 

 思いの外早く、音は止んだ。

 

 屈強な刑務官が呻き声を上げ、重々しい音を響かせながら壁と同化した扉が開かれる。ラフェイアのような怪物を除きヒトが収監される施設は、規格化が為されている。

 フリーダから教わった知識が、ゆかりの脳裏に浮かぶ。

 約六十年前に顕現した『正義の味方』ファゴーソン。彼の者の装甲が保持していた、魔力流を乱して弱体化させる特性を付与された人工金属で基盤を作り、種族的特徴として高い魔術干渉作用を持つ竜鱗で覆う。

 拘束具を無効化する存在でも、放り込んでしまえば拘束可能な領域まで弱体化させる。先進国では普遍的な構造の施設は、革命が起こるまでバディエイグには無かった代物だ。

 バディエイグにこのシステムを導入した男は、ゆかりの視線の先。狭い部屋に打ち捨てられた粗末な椅子に拘束されていた。

「十八日ぶりか。少し顔つきが変わったが、成すべきことを成したようだな」

 バディエイグ『元』最高指導者。ベラクス・シュナイダーは左眼が潰され、左肘から先が焼失し右腕は骨折。

 鉛玉に剣、そして魔術。あらゆる手段で蹂躙され、長きに渡って拷問を受けた虜囚同然の惨状を晒していた。

 息を飲んだゆかりと対称的に、初対面の時と何ら変わらない風情の男は、死刑囚の立場を忘れさせる、穏やかな所作でゆかりに座るよう促した。

「よく落ち着いていられますね」

「最初から覚悟していた。そして、本来三日前に殺されていた。処刑されるだけ僥倖だよ」

 帰る手段を持ち合わせていなかったヒビキ。そしてコルヴァンの亡骸を含めた五人は、三日前ウラプルタに辿り着き、狂乱に湧く町を見るなり官邸に急いだ。

 目的地に辿り着いた時、民衆に首を刎ねられようとするベラクスの姿を一行は目撃する事となった。

「誰がそんなこと許可した!? お前ら、何サマになったつもりだ!?」

「でもコイツは……」

「ベラクスはこうしてた。だから自分達も許されるってか? そんな理屈が通ると思うなよ! すぐに武器を降ろせッ!」

 利用されるが故に、意見を軽視されない打算と良心に基づいた指示をハンヴィーが叩きつけなければ、彼は既に晒し首だっただろう。

 路上の死こそ免れたが、待ち受ける結末は不変。誰もが正気を手放す状況下で、何も変わらずいられるのはある意味異常だ。

「独裁者の冠を被り、そして敗北すればこの結末以外ない」

「分かっていて何故、走り続けたのですか?」

「私には血統も人脈も資産もない。他国より優れているという自尊心と、適度な生活さえ満たされれば国民は緩やかな自殺を選ぶ。当然のことだ。見えもしない未来の為に、適度な生活が保障された今を投げ捨てる者はいない」

「……けれども、あなたは投げ捨てることを強いた」

「ラジアット、ヘルカイン、ローピエ。これらの国の結末を見た。理由はこれで十分だ」

 ベラクスが並べられた単語は、インファリス大陸に於いて失政が原因で消滅。又は他国に吸収された国々だった。グレリオン軍人として戦場に身を投じ、数多の国が崩壊する姿を見ていたベラクスは、何らかの出来事を切っ掛けに母方の祖国に足を踏み入れ、やがて現在に至る道を選択した。

 主張の完全な否定は、ゆかりとて難しい。『説得力』を持たぬ者の主張など、世界は紙屑同然に扱う。弱者の提示する正解は、強者が放つ誤りに踏み潰される事が世界の規則だ。

 強硬手段で国の体制を変える。やり方次第で、ここまでは辛うじて正当性を持たせられる。だが、ベラクスの過ちはそこから先にあった。

「正しさを求めることを、私は否定できません。でも、あなたの正しさを、あなたは国民に伝えようとしましたか? 行動ではなく、あなた以外にも伝わる言葉で。一度ではなく、何度でも」

 傷塗れの男に、僅かな陰が差した。如何なる言説にも動じなかった男の変化は、ゆかりの指摘に痛みを覚えていると明朗に告げていた。

 現状に不満を溢し、上に立つ者をただ罵倒する。ここまでは言葉を持つ者なら誰でも出来る。しかし、実際に変化を試みる者は稀だ。

 

 ベラクスは、常々自身を凡人と評していた。

 

 ファナント島の探索で、コルヴァンが時折口にしていた言葉だ。始まりの時点では一人の軍人であろうと、見聞きしてきた事象から計画を描き出し、実現させた時点でベラクスは『特別』になっていた。

 末端はともかく、アティーレ・スファルトを始めとする中枢の軍人達は、最後まで戦って殉死した。この事実は、彼が他者を掌握する力も十二分に有している証左。

 だがその先、反発から無関心に至るまで。様々な理由で賛意を示さない者の理解を打ち切り、理想の結実を急いた時点で、この結末は約束されていたのだろう。

「惑星が齎した自然の防壁は、加速度的に意味を失っている。体制の混乱が続けば、間違いなく我が国は食われる。何よりも、時間が惜しかった」

「だから対話を打ち切ったのですか? 強硬に進めれば、積み上げた物を全て失う危険もあった筈す」

「人は皆死ぬ。死ねば何も持ち越せない。私が得た物は次代に渡せば良いだけの話だ。丁度、ハンヴィーが継ぐだろう」

 理解した上で選んだのが、汚泥を背負って死ぬ終着点。多くの国民を殺めている以上、全ての肯定は到底不可能だが、その逆を押し付けられるだけの存在でない。

「暗い顔をするな。私が望んだ道だ。そして私は終わるが、君はまだ道がある。望む道を進めば良い」

「あなたのようになんて、なれませんよ」

 意気消沈したままの呟きに、死を待つ男は鷹揚に笑う。

「君が間違いと思う者を真似る必要はない。君は私と違って友がいる。目的の為に同道するだけが友ではない。……抱え込まずに、頼るんだ」

 独裁者の誹りを受けながらも、ベラクスは自身の理想と信念に従い走り続けた。だが、この瞬間は一人の壮年男性に戻っているように、ゆかりは感じた。

「それは……」

「時間だ。出ろ」

 背いた場合どう対応するのか。幽かに匂わせる刑務官の声が差し込まれ、ゆかりは半ば強制的に立ち上がる。終わりとするには足りない物が多過ぎると、後ろ髪を引かれるように、ゆかりはベラクスに視線を戻す。

「私は敗北し、君は勝利した。世界は常にこうして回る。大願の成就を望むなら、君は勝ち続けろ。必要なのは折り合いを付けることではない。ただ、背負うことだ」

 そこで扉は閉ざされ、ゆかりとベラクスは分かたれる。

 次に会う時は、互いに死を迎えた時だろうか。そんな重い考えを巡らせながら、来た時と同じ道を、刑務官と共にゆかりは行く。


                  ◆


 拘置所を出て、陽差しに眼を眇めて伸びをする。視線を巡らせると、壁に寄りかかっていたヒビキを目撃。彼もゆかりに気付き、小さく頷いて駆け寄ってくる。

「二人は?」

「出国の準備。荷物無いんだから迎えに行けって追い出された」

 苦い顔を浮かべるヒビキの姿に、思わず笑みが溢れる。

 出発前、いや、出会った頃と同じと言い張るには、知るべきで無い事も含め互いに知りすぎた。決着を強いる『いつか』は必ず訪れる。

 分かっていても、時間を共有出来る今はここにある。些細だが確かな幸福は、消耗したゆかりの心に溶けて、偽りのない喜びを与えていた。

「出港の時間は……」

「おーい!」

 可愛らしい声を引き連れた黒髪のヒト。彼に大きく遅れる形で、白衣の壮年男性が駆け寄ってくる。

「良いのか。新たな統治者サマがこんなところに来て」

「いーんだよ。ユカリにフリーダ、ライラはオレにとっちゃ友達だ。見送らない方がおかしいだろ?」

「俺の立ち位置はどこだ?」

「んー美味しいとこ持ってった奴?」

 遠慮会釈ない言葉に、三者とも相好を崩す。三日前と変わらない光景だが、露出が一気に減ったハンヴィーには、それ以外にも大きな変化があった。

 急襲の単語が相応しい圧倒的な速度で、旧体制が崩壊したバディエイグは、旗印に用いた継承者、ハンヴィー・バージェスを新たな指導者に起用した。


 十六歳が国家の頂点。


 冗談のような話だが、旧体制の核であった軍は言うまでもなく、形骸化して久しい国会議員からの選出は不可能。ベラクスの仕込みもあったが、狂った支配者の手先と戦い伝承の力に覚醒した。確かな物語を持つハンヴィーは神輿に最適。その判断は、新体制を早急に組み上げるには妥当だろう。

「無理したら駄目だよ? 学校サボってたから、分からないこともあるだろうし」

「そのためにオヤジとかがいるんだよ! 大丈夫、オレだって只の飾りになるつもりはないからさ!」

 一定の縛りはあるが、登用する人材は彼自身が選ぶ。

 担がれる代わりにハンヴィーが提示した条件を、革命者達は飲んだ。

「市民革命は偏りが生まれます。軍政だったが為に、新体制は軍を徹底的に遠ざけるようとする。これでは遠からず混乱が生じるでしょう」

「オレもコルヴァンに勝てなかった。バディエイグを守るには、今までのノウハウも必要だ。不満を抑え込むのは大変だろうけど」

 麻痺しつつあったが、極々僅かな例外を除けば強大な一は多数に磨り潰される。道理を超越した一も、共同体の運営と維持が可能かはまた別の話。

 バディエイグで最も暴力の行使に秀でているのは軍隊。不満はあろうが、これは絶対の事実。制御に失敗すれば、バディエイグは瞬時に大国に食われるだろう。

「フラヴィオさんも、中枢に入られるのですか?」

「家族が入れば癒着が疑われます。それに、私は政治経済の完全な素人。今まで通りですよ。何人か推挙しましたがね」

「各分野の専門家をとりあえず置いて、徐々にスライドさせていく感じか。急造の割にしっかり組み立てたな」

 ヒビキが発した感嘆の呟きを受け、ハンヴィーは笑顔に少しだけ苦みを滲ませ、懐から書物を取り出した。

「ベラクスから渡されたんだよ。迷ったらこれを使えってな」

「しばらくの間、我々の舵取りは彼の遺産を利用する必要があるでしょう」

 与えられた役割を受容しながら、自身が引き摺り下ろされ船頭が素人に置き換わる事を予見し、一定程度の道筋を遺す。


 ――望むのなら、地位など喜んで譲ろう。 


 男が残した言葉の説得力と意思を示す記録を受け痛みが走るが、彼女はそれを胸中に留めた。

 決断に基づいて道を行く事は、時に対立者の否定に繋がる。奪った痛みは永劫に残り続けるだろうが、囚われて足を止めるのは、対立者の誇りを踏み躙るも同義。

 痛みと迷いを背負い、歩き続けることが勝者の使命。そして、自分自身の選択を証明する為に求められる。ベラクスは結実の為に歩み、ハンヴィーも続く。

 歪んだ形だが、確かにバトンは継承された。

「何があっても、オレはユカリ達の味方だ。何かあったらすぐ……」

「空手形を切ってはならない。そう教えただろう」

「あっ、やっべ……」

 言葉は個人の意思ではなく、国家の意思に成り得る。

 フラヴィオによる事実の指摘に、ハンヴィーは慌てて口を塞ぐ。妙に喜劇染みた物を感じさせる仕草に、ゆかりとヒビキは声を上げて笑う。

「俺達も、アンタ達の運営に助力を確約出来ない。けど、気には留めておく。アンタもそれぐらいで良いんじゃないか?」

「だなぁ。また、会えたら良いな」

「そうだね。……お互いに落ち着いたら、絶対に会おう」

 これもまた空手形。しかし、確かな意思を載せた言葉と共に、ゆかりが伸ばした手を取り――


「……わっ!」

「色々頑張れよ。ヒビキのことも、ユカリが帰ることも」


 急接近したハンヴィーが囁き、また引き戻される。

 新たな指導者を呼ぶ声が四人に届く。刻限が来たのだ。

「それじゃ、元気でな!」

 ありきたりな挨拶を放つハンヴィーに手を振りながら、道を分かつ。新体制樹立の熱狂に湧く町には、ただ熱に浮かされるだけでなく、打算に従って動き出す者の姿も見えた。

 争いの火種はまた生まれるのかもしれない。だが、ここから先に生まれる争いは、新生バディエイグの力量を試す試練とも言える。

 そこに積極的な介入を試みる事は、無粋だろう。

「行こうか」

「うん」

 示し合わせたように首肯を交わし、ゆかりは足を船着き場に向けた。


                   ◆

 

 ベラクスがそうだったように、革命に立ち上がった者達にも損得勘定を超えた理想はある。彼等は己の理想を実現すべく命まで賭けた。理想無きものは今日を生きられない。故に、彼等を単に野蛮と罵るべきではない。

 だが、共同体に於いて一つの意思を貫徹させるのは、その過程で対立者を完膚無きまでに叩き潰しにかかる、争いの連鎖を呼ぶ危険を孕んでいる。それはゆかり達も目にした事象だ。

 人類の誕生から二万年弱が経過したと、ハレイドの図書館に収蔵されている歴史書には記されていた。それだけの時間が経過しても、全人類を幸福に導く方法は見つかっていない。民主主義とて最悪を回避する為の手段でしかなく、完全から程遠い。

 何らかの不満を抱えながらも、致命的な欠陥を生まない綱渡り以外に、現時点でヒトが選べる道はないのだろう。

 継承者と称されていようと、ハンヴィー・バージェスは自身の持つ物と限界を戦いで知った。彼は民衆の望みに百点で応じず七十点、いや六十五点の形を進む。

 力を持ちながらも行使しない腰抜けと。或いは、生まれだけで地位を得た卑怯者と。すぐに生まれるであろう国民からの賢しげな糾弾を受け止め、そして過剰に反応することなくハンヴィーは歩む筈だ。

 熱狂が失望に転じた者からの攻撃、ベラクスが懸念していた大国の柔らかな形の侵攻。あらゆる困難を軟着陸させて進むのは、砲弾飛び交う地雷原を歩むに等しい長く険しい苦行と言えよう。

 それでも、ハンヴィーは進むと決めた。人々の、そしてバディエイグの為に。

 過ちを犯しても、喪失の痛みを受けても世界は進む。否、進まねばならない。先に明るい道が見えずとも、停滞以上に破滅に繋がる道などないのだ。


 そして、それは矮小な個人であっても同じ。


 ヒビキ・セラリフがそうであるように、大嶺ゆかりもこのバディエイグでの戦いを経て進むことを決めた。身に余る願いを結実する壁は高く、現状正解は何処にも見えない。

 だが、見えない正解を目指す意思を持つ事も、足掻くことも、大嶺ゆかりにしか出来ない事だ。

 ――殆ど何も分からない。けれど、私はヒビキ君を失いたくない。それだけは確かだ。

 ヒビキ・セラリフの死は運命に定められたと、ハンス・ベルリネッタ・エンストルムは告げた。現時点では不変の事実を覆す為には、道を降りてはならない。

 灯火は意思一つ。微弱な原動力を、大火に変えろ。

 決意を抱いたゆかりは、ヒビキと共に友人が待つ船着き場へ。そして、その先に待つ未来へ歩む。


 終わりに向かう旅は、ここからまた始まるのだ。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る