15:サイノメを待つ者・見た者
生命の息吹が絶えた場所。インファリス大陸中央に位置する平原デウ・テナ・アソストル。赤から黒。黒から腐敗した緑。そこから淀んだ白。目まぐるしく変色を繰り返す空と、瘴気が延々と噴出する大地。
生命の存在を拒絶する平原のとある一角。別地点と同様、停滞した変化を続ける世界に忽然と光点が出現。
握り拳大のそれは滞空状態のまま静止。ある意味で調和の保たれた世界に溶け込み始めた頃、不意に光点の上下から別の光が放たれる。
揺らめきながら伸びていく、清浄な蒼光は三メクトル弱まで伸長。中心を起点に、空間が裂けた。
七色の光が垣間見える裂け目から、艶消しの黒一色の、無骨な手甲に覆われた手が伸びる。何らかの動きを見せる度、キイキイと物悲しい音を奏でる手が光を掴み、紙を引き裂くように押し広げる。
「便利なのは確かだが、やっぱ怖ぇな」
「仕方がない。デウ・テナ・アソストルの座標を知る者など皆無に近い。カロンの力を借りる他なかった」
「そりゃぁ分かるんだがな」
くぐもった声でやり取りを交わす二つの人影が、禁足地に忽然と現れる。細かい意匠を除き、同一の戦闘服を纏う身長差の激しい二人組の片割れが、徐に頭部装甲に手を掛ける。
「……おい」
「適応は済ませてるから問題ない。それに、空気や魔力の流れを肌で感じられない方が、俺にとっちゃ痛い」
相棒の制止を振り切るように、長身が頭部装甲を脱ぎ捨てる。淀んだ世界で異様な存在感を放つ長い金髪が世界に踊り、餓狼の犀利さを宿した碧眼が死の大地を射貫く。
『七彩乃架』で開かれた道に乗って現れたのは、元四天王クレイトン・ヒンチクリフ。久方ぶりの戦いに備え、身体の各部をほぐしながら彼は共犯者に呼びかける。
「お前も脱げよ。カロンの力が途絶えない限り死なないんだろ?」
「何の為に準備してきたんだか。……間違ってはいないけれど」
苦味の篭もった声で応じながら、背の低い男もクレイに倣う形で装甲を取り払う。髑髏が刻まれた眼帯が存在感を放つ中性的な、少年と言ってしまえる青年。
カロン・ベルセプトによって復活を果たしたクレイの同僚、オズワルド・ルメイユもまた、当地に踏み込むのは初。緊張の面持ちで深い呼吸を繰り返す。
「魔力流の狂いはあるが、発動に支障はない範疇だ。大気汚染は……君の肺なら問題ないだろう」
「俺が元々おかしいみたく言うな。それなりにヤバいと思ってるから、改造もしたんだよ」
「戦いに支障が出る。だから肺を先生に改造して貰おう。その直列繋ぎの思考回路は十分おかしい」
「センスを理解出来ないお前や世界が間違ってんだよ」
友人同士、肩の力の抜けたやり取りが死の大地に飛び交う。ともすれば、緊張感が欠如しているとも取れそうな風情だが、二人にとっては、この振る舞いはある種の逃避とも言える。
「しかし、君があの果たし状に乗るとは思わなかった。罠の可能性を考えなかったのか?」
「呼びつけるってことは、アイツには俺達を倒す算段が付いてるってことだ。けど、力量に致命的な開きはない筈だ」
「あるのならば、暗殺が最適解だからな」
結末を知る者なら、誰もが顔を顰める形でオズワルドが賛意を示す。体内の魔力流を調整しながら、淡々と雷狼は言葉を繋ぐ。
「拮抗した奴が戦えば、周囲への被害は避けられなくない。それを望まないから、この場所を指定したんだろうよ」
「変質していなければ、な」
「信じるしかない。そこまで変わっていたのなら……もう言葉を交わす余地はねぇよ。叩き潰すだけだ」
話し合いで決着が付く、拳を交わして真の理解に至る。そのような幸せな結末は最初からない。どのような展開に転んでも、終着点は片方が踏み躙られる残酷な物だ。
嘗ての姿を判断材料にしてしまうほど、相手への感情を無機質な物に変えられていない。最善を描くために求められる痛みを抱えながら、二人は少し先の未来で戦いの盤面に登る。
停滞した世界に三、四度、乾いた音が響く。
明確な勝算を持って挑んでくる相手に、迷ったまま挑めば敗北以外の道はない。頬を平手で叩いてノイズを払い、クレイは全身に闘気を充填させていく。
過去の焼却が結実に求められるのならば、迷ってはならない。少しでも早く終わらせる事だけが、痛みを抑える唯一の方法と既に二人は解している。
敵の手札は未知数。対する二人は、カロンの力で蘇ったオズワルドはともかく、クレイは完全に割れている。勝敗の天秤は、どれだけ甘く見積もっても均衡が精一杯。だが、二人は論理をかなぐり捨て、勝利だけを求めてここに来ている。
「俺達の代で始まったのなら、俺達でケリを付ける。……それだけの話だ」
「勝って帰ろう。終わらせて、先に待つ悪夢を止めるんだ」
静かな決意を呟いた男達の上方。
デウ・テナ・アソストルでは滅多に見えない夜空が、暗雲の切れ目から微かに覗き、一条の流星が闇を駆け抜けて消える。
奇跡にも近い現象が、この瞬間現れた意味は。
答え合わせは成されぬまま、開戦の時は刻一刻と近付いていく。
◆
連鎖的に響く爆音と怒号が、状況を包み隠さず告げていた。
ベラクス達が嘗て引き起こした『革命』と同様の事象は、異様なまでにスムーズに進行し、既に大半の軍事施設が陥落している。
民衆の進撃を前に、軍人と言えども恐れを成して職務を放棄した者も多数いる中、最後まで職務に殉じる者達からの報告は、一つの着地点を指し示していた。加えて、ファナント島でコルヴァンは継承者に戦いを挑み、乱入してきた謎の少年に殺害された。
最悪の条件が揃ったにも関わらず、ベラクス・シュナイダーは官邸から動こうとしなかった。
熱を帯びた声と圧力を感じさせる粗雑な足音は、迷いなくこの建物に接近し続けている。
革命の結末と、それが求める物が何であるかを知りながらも、ベラクスは平時と変わらぬ姿を保っていた。
「ここまで早く進むのか。もう少し他の状況でも発揮してくれれば良かったのだが」
「……武器を持たせれば、誰でも出来ることです。寧ろ、内紛を引き起こして余計な犠牲が出る可能性もありました」
「継承者に刃を向ける。バディエイグに於ける最大の禁忌を犯した我々に対する敵意が、ここまでの抑圧と噛み合い団結を生む。我々を潰し終えるまでは問題ない」
革命に於いて最大の問題となるのが、成した後に誰が頭を張るかという問題だ。旧体制の支配者の首を取った後、船頭を決めるやり取りで内紛が発生し、瞬く間に崩壊を迎えた国家は多数ある。
だが、伝承の力を引き出したハンヴィー・バージェスが生き残っている以上、次の船頭は彼になる。そうでなければ、この革命の正当性を担保出来ない。加えて、彼が無学な若者である事実も大きな加速因子となる。
正義を担保する物を持ち、全てが終わった後の展望もそれなりに見えている。『革命』が滞りなく進行しているのは、必然と言えよう。
「いつから計画を?」
「始まった時に。政治家には基盤があるが、軍人にはない。暴力による封殺を繰り返さねばならない以上、奇跡の助力が無い限り叛逆は不可避だ。ハンヴィーが生き残った今、最良のシナリオを粛々と進めるだけだよ」
汚職の一掃に財政の健全化。自衛能力や技術力の向上と、ベラクスは非常に短期間で多くの改善を成したが、遂行の為に過激な抑圧を行った。
前者は革命後の基盤にも成り得るが、後者にのみ国民の目は向いている。功績はハンヴィーか彼を支える者の手に転がり込み、ベラクスは極悪非道の独裁者として永遠に毀損され続けるだろう。
変えられない現実に、拳を握り締めるアティーレ。その姿に、ベラクスは小さく微笑む。野望を抱えていたコルヴァン然り、旧体制が齎す理不尽に晒されていた彼女然り、引き入れた事に打算があったのは彼も否定しない。
だが、忠義の心一つでここまで行動を共にするとは彼にしても予想外で、家族の概念を失って久しいながらも、そのような感情を抱くに至っていた。
「君は間に合う。投降して、全てを暴露すれば私に利用された被害者の立ち位置を確保出来る。それが、最善の道だ」
始まりの時を除き、感情を排して物事を構築してきた男の、感情に支配された言葉。真っ向から受け止めたアティーレは眼を大きく見開き――
首を横に振った。
「世界が提示した正しさに私は蹂躙された。あのままでは、呼吸すらままならなくなっていた筈です」
ハンヴィーが好例と言えるが、卓越した才や能力の持ち主でも、適切な環境が無ければ凡庸な生活に終始する。凡人が劣悪な環境に放り込まれれば、大半が環境に適した廃品となる。
国の『名誉』とやらを父が傷つけた。それだけで、生まれから後天的に得た物までの全てを『正しさ』の発露に踏み躙られた自分には、旧体制が続く限り廃品になる道以外無かったと、アティーレは自覚していた。
見えていた道を変えたのは、あの時ベラクスが手を伸ばしてくれたからだ。後世に、少なくとも現状の世界が続く限り『悪』と記される道を選ぶ彼女が理由は、それだけで十分だった。
下方から武器と武器の激突が奏でる歪な音と、肉が弾ける音が届く。革命者達が『正義』を貫徹すべく、ここまで到達した事実を認識し、二人の顔に刃が宿る。
「貴方が貫徹するのなら、ここで座して待ってください。……私も、世界が規定する役割に殉じましょう」
「無論。少し遅くなるだろうが、必ず私も同じ場所に行く」
迷いを捨てた二人は、視線を絡め合いどちらともなく頷いた。
「生まれ変わっても。いえ、船頭の支配する地獄に墜ちようとも、また貴方の元で私は戦います。……ご武運を」
敬礼を残し、アティーレは最奥部から飛び出す。
階段を駆け下って戦線に近付くごとに高揚は徐々に色褪せ、反比例する形で数分先に待つ未来が脳裏へ鮮明に描かれる。
鍛錬で獲得した、暴漢複数名を素手で鎮圧する程度の戦闘能力など、十数もの銃火器の前には無力。どこまでも凡人でしか無い自分に、物語の奇跡は舞い降りない。
膨らみ続ける死の恐怖を自覚しながらも、アティーレは決して疾走を止めず、求められる役割を貫徹すべく表情を消していく。
「たとえ墜ちようと、この道は変えない。……それだけの話だ」
小さく呟き、官邸の入り口に到達。すぐに革命者達の燃え滾る視線に晒される。
「ベラクスの副官だ!」「独裁者の情婦が!」「これが出てきたって事は、あの××××××野郎まで近い!」「絶対にぶっ殺せ!」
純粋な意思と熱の篭もった「殺せ」の大合唱と共に、武器が構えられる。バディエイグに古くから伝わる刀剣ではなく、国軍が保有する最新鋭の魔導銃や火砲は、ヒト一人を殺害するには十分過ぎる。
約束された死。されど、アティーレ・スファルトの意思は、それさえもはね除ける。
――共に行こう。この国を変える為に。
――俺とお前の目指す場所は違う。だが、共に在る限り、俺達は仲間だ。
背が伸びる前に聴いた、懐かしい声を浮かべながら、共に鍛え上げたセティアックを引き抜き一礼。
「ベラクス・シュナイダー大佐に……栄光あれ!」
求められた役割通り、そして紛れもなく本心から絞り出した咆吼と共に、アティーレは革命者達に突進。
多種多様な音が奏でられる。
それは、ごくごく短い時間のことだった。
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