幕間:咲くという発想のない花を
極東人の語りが始まった頃。異形どもの襲撃から逃れてインファリス大陸に向かった蓮華達は、雲海を下方に臨みながら高空を駆けていた。
古典的な外見の船が、航空機同然に空を飛ぶ。常識外れの光景の中で、蓮華は猛烈な速度で流れゆく雲を茫と見つめていた。
航行の管理を団員に任せ、武器の調整を始めとする雑事を終えた彼は、船内をただ彷徨っていた。
「前みたいに、珍しい物が見えた! って飛び降りたりしないでくださいよ!」
「分かってるって。今そんなことしたら、ファンが殺到するだろ」
すれ違う団員と戯けた会話を交わしながらも、目に刃の光。過剰な緊張を抱いている自覚はあるが、本拠地を襲撃した異形が脳裏に焼き付いて離れないのだ。
――あんなのは今まで見たことがない。何かがおかしい。
機械を身に宿した生物から、狂人の妄想を具現化させた歪な魔力形成生物まで。世界中を彷徨し、異常な連中を目の当たりにしてきた彼にも、群れは未知の存在だった。
強引に既存の何かに分類するなら、ある作家が生み出した別次元の生物だろうが、そんな荒唐無稽な話が許される状況ではない。
答えの出ない問いを回しながら船内を歩む蓮華。彼の足は、通路の隅で蹲っているハンナを見て強制的に止まる。
「大丈夫……この船は落ちない。落ちないに決まっている……!」
「えっお前何してんの」
当代ケブレスの魔剣『金剛竜剣フラスニール』を抱えて小刻みに震えるハンナの姿は、どう見ても高所恐怖症のそれだ。
空中戦も積極的に行うドラケルン人にあるまじき反応だが、自力制御が不可能な乗り物はまた別なのだろうと自己解決した蓮華は、魔剣継承者の肩を叩く。
「船の操舵は訓練を積んだ奴がやってるし、バックアップもいる。安心しろって」
「理性では分かっている。分かっているのだが……」
強風が吹き抜けて船体が揺れ、ハンナの口から抜けの良い悲鳴が飛び出す。
放置すれば何かしら事故が起きる。確信めいた予感を抱いた蓮華は、震えるハンナの隣に腰を降ろす。
特段会話を求めていた訳でもないが、幸か不幸か話題には事欠かない。無数に転がるそれらから一つを掬い上げた時、意外にもハンナが先手を打った。
「インファリスのどこに向かうのだ?」
「対アルベティートの拠点がアラカスクらしい。そこに向かう」
「なるほど……いや待て、軍事機密をどうやって?」
「傍受したに決まってるだろ。緊急回避だからセーフだ」
当たり前の話だが、有志部隊に召集されなかった蓮華が作戦の概要を知っているのはおかしい。そもそも、通信の傍受は胸を張って公言できる行為ではない。
喜怒哀楽何れの感情が絶妙に混ざって形成された、何とも形容し難い表情を浮かべたハンナは、両手で頬を張って冷静さを取り戻す。
「色々と横に置こう。拠点に辿り着けても私達は部外者だ、出来ることは限られているぞ」
「言いたくないが、戦場なんて死人塗れで大混乱だ。俺達が紛れ込んで咎められることはないし、戦線に加わるなら寧ろ歓迎される。その先がまだ見つからないんだけどな」
だらしなく足を投げ出した蓮華の視線が、天井に向けられる。会話の無意味さを笑うように、天井の灯りは不規則な明滅を始めていた。
概念そのものが消滅寸前の御三家当代と、不完全な魔剣継承者で奇跡の化学反応は望み薄。水無月怪戦団にしても、勇者シグナの武器を有していたとは言え、ラフェイアに防戦一方だった以上エトランゼには無力と言わざるを得ない。
「私は接近して斬る以外に手がない」
「クソ度胸に敬意を表する。逆に、俺は小細工を大量に使ってどうにかってところだ」
「どのような手も、そもそも実現させられるか。そこからだろうな」
思考は冴えるが、希望で脳が麻痺することはない。対竜戦闘に於ける互いの認識を擦り合わせ、連携に支障を来さぬよう議論を重ねていく。
張り詰めながらも穏やかなやり取りが続いた後、ふとハンナが言葉を切る。向けられた色違いの眼には、興味と疑問。
「そう言えば、レンゲ殿の御父上が遺した切り札は解明出来たのか?」
「さっぱりだ。船の四隅と中央部に機関があるが、積んでる武器とのシナジーはなかった。アテにしない方が良い」
後ろ向きな答えに、ハンナは小さく頷くに留めた。巻き添えを避ける為に確認しただけで、端からアテにするつもりがないのだろう。その判断は、蓮華も同じだ。
都合の良い大逆転に賭けることは愚策と割り切り、短期間ではあるが団員達の練度上昇に注力した。他二名より落ちると称するが、魔剣継承者たるハンナの加入で、全員が確実に強くなった。
蟷螂之斧であろうと、彼等を信じて動くしかない。
結論付けた蓮華の目が、窓の外へ流れる。
流れ続ける蒼空も、船体に切り裂かれる大気も平穏そのもの。無理な発進が祟って道中で何度か停泊を強いられたが、数時間もすれば最前線に到着するだろう。
刻限までは日常に留まろうと動いた足が、数歩もせずに止まる。ハンナもまた、フラスニールを背負って立ち上がっていた。
「分かるか?」
「感じた。……何かがおかしい」
短い言葉を投げ合った二人は船内を駆け、突き当りの扉を無造作に開いて甲板に出る。気圧や酸素濃度といった問題から、大陸間航行時には固く閉ざされている扉があっさり開く事態への懸念は、目前に広がる現実に覆い隠される。
出迎えた空の青さや、肌に届く温度は平穏そのもの。だが、押し流される筈の雲が硬直し、船の機関部から発せられる音や風切り音が消え失せている様は、道理から外れている。
信号を送った操舵室から「異常なし」の返答。機械的トラブルでないならば、現状を表現する理屈は必然的に絞られる。
「俺達全員、幻覚を見ている。それとも……」
「異空間に引き摺り込まれた。どちらかだろうな」
「ご名答。説明の手間が省けて良いな」
極光に酷似した、鮮やかな光の紗幕が蒼空に顕現。甲板に飛び出して来た団員達が異常な光景に硬直し、蓮華達も絶句する中、非現実的な美を描く紗幕が歪曲を始める。
夥しい数の牙が並ぶ緩い三角形の頭部が大気を砕き、宵闇そのものの無機質な黒が甲板を睥睨する。
魚類では破格の十八メクトル近い巨体に並ぶは水を裂く鰭。胸部を彩るアスピラーダ文字まで視認すれば、最早誤認の余地などない。
「エトランゼ一柱『覇海鮫』メガセラウス……!」
右手が白くなるまでにフラスニールを握り締めたハンナが、辛うじて絞り出した名を聞いた全員の体が跳ねる。
高度一万メクトルで生存し、条件が整っていない状況で自然現象を引き起こす力を有するサメなど、世界にたった一頭しかいない。いないのだが、絶対の死を齎す存在が眼前にいるなど認めてしまえば精神が保たない。
「流石魔剣継承者、ご名答だ。オレはメガセラウス、エトランゼの大願を成就すべく、お前らをぶっ殺しに来たって訳よ」
傲然と為された抹殺宣言は、船上の全員に極大の恐怖を齎す。数十人を全滅させるなど、エトランゼにとって児戯に等しい。抗う術も皆無の現実と合わさり、絶望が降り行く中で、黙していた蓮華が前に出る。
抜刀姿勢を執っているが、大ダメージを期待出来る魔術構築なしに前進するのは愚策。呆気に取られたように停止する団員を一瞥し、恐怖を捻じ伏せた蓮華はメガセラウスに視線を戻す。
「それ、嘘だろ?」
「面白ぇこと言うじゃねぇか。オレがお前らに法螺を吹く必要がどこにある?」
指摘で揺らぐことはないが、攻撃の構えは止まった。砕けそうになる心を鼓舞して、蓮華は思考を加速させる。
「邪魔者を消すなら、アルベティートに同道して有志部隊を潰す方が効率的だ。図抜けた実力を持っている奴が助力を拒み、残りが別々に動くにしても、だ。お前が単独で俺達の元へ来る理由がない」
「へぇ? そりゃどうしてだ?」
「鈴羽さんやヴェネーノ級でもなければ、御三家当代と魔剣継承者の肩書きはエトランゼにとっちゃ無意味だ。俺達を相手取るぐらいなら、コルデックの軍事基地でも襲撃する方が何倍も有意義だ。お前の独断専行と考える方が、筋が通るんだよ」
ヒトならざる存在のメガセラウスは、鋭利な歯を打ち鳴らしただけだ。
しかし、巨躯を小さく震わせるその様は、状況に不相応な感情を想起させた。
「オレを目にすれば、どいつもこいつも許しを乞う。そん中でお前は上等な方だ。残り三頭は今頃『船頭』とやり合ってるだろうよ」
詳細を知らずとも、二千年前にヒトの側についた『船頭』の排除にかかるのは妥当な判断。伝承に於ける力関係を真と仮定すれば、メガセラウスがここにいるのは勝率の低下を齎す。
合理性が欠落した道を選んでここにいる怪物は、混乱する蓮華達を他所に全身の魔力流を加速させていく。
「二千年前の敗北を、ちィと異なる形で晴らしに来たんだよ。オレにも矜恃ってのがあるんでな。……ギガノテュラスと違って、あの敗北を偶然とは見ない。そして、敗者たるオレはお前らの土俵に乗らなきゃならねぇ」
メガセラウスを包んでいた泡が白濁し巨躯を隠す。反射的に武器を構えた蓮華達は、何もかもが異常に過ぎる現実を目の当たりにして、その先を描けない。
硬直する彼等を他所に泡は降下し、甲板に接触する寸前で弾けて消える。
露わになった異貌に、全てを呑み込まれた。
「ヒトに負けたなら、ヒトの姿で返す。悪かないだろ?」
力を誇示する声は鮫の頭部から発せられるが、それが載る肉体はヒトに酷似した造形を見せていた。青白い鱗に覆われた、約三メクトルの体は肥大化した筋肉によって『古塊人』を想起させる程に太く、浮き出た血管は有機的な脈動を繰り返す。
膨大な魔力と高い知性を持つ生命体が、何らかの目的を達するべくヒトの姿を取る。知識としてそのような事例を知る蓮華も、眼前の変化は予想外に過ぎる。
メガセラウスならば、魔術を一つ紡げば場の全員を文字通り塵に変えられる。人化という選択に、一欠片の合理性もありはしないのだ。
まさしく矜恃と内在する意地で針路を決めた怪物は、虚空から緋色の三叉槍を引き出し突撃姿勢を執る。
「お前らぶっ殺した後、他の有名どころも殺してアルベティートに合流する。始めようぜ」
宣戦布告を引き裂いて、鋼の風が吹き抜ける。
最速で始動した千歳が放つ無数の鋼糸が、メガセラウスに四方八方から襲い掛かる。一切の回避行動を見せない巨躯に鋼糸が叩き付けられ、けたたましい音が奏でられ、火花が弾けた。
息を飲む千歳を他所に、彼女と同時に動いた頼三が足の両断を狙って戦斧を掲げる。やはり立ち止まったまま、メガセラウスは斬撃を受けた。
「駄目だ、武器を捨て――」
「しゃらくせぇ!」
蓮華の叫びを上書きしたメガセラウスは、鋼糸を引き千切り両手を打ち鳴らす。大槌の激突同然の衝撃波が空間に晒され、後方に吹き飛ばされていく中で生まれた絶叫が、蓮華の耳朶を強かに打つ。
揺れる視界の中で、蹲る千歳の両腕が赤に染まり、肘から先が挽肉のような物体が垂れ下がる惨状を晒す様を見る。
頭部から足の先に至るまで斬線が刻まれ、間断なく血を吐き出す彼女は動けない。
そして、至近距離で音の暴虐を受けた頼三は、上半身と下半身が殆ど分断されていた。脊椎で辛うじて繋がりを保っているが、露出部位に少しでも衝撃が掛かれば即死する。
戦闘要員の上澄みが一撃で粉砕され、団員の戦意が加速度的に萎えていく事を、蓮華は明朗に察してしまった。
「止まるなレンゲ殿! 動かねば死ぬぞッ!」
純粋な膂力で人体を粉砕する、天井知らずの力に対する恐怖を、ハンナの叫びが吹き払う。
『
竜をも粉砕する巨大な錨が魚人に握り潰される、悪夢同然の光景に思いを馳せる暇もなく、懐に潜り込んだ蓮華は水彩を地面に突き立てる。切っ先を起点に波濤が生じた地面から無数の『
『
振るわれた三叉槍をフラスニールで受け流し、痛みに顔を歪めながら口から火球を連射。即座に分解されダメージこそないが、生物の本能で視界が引き寄せられるコンマ数秒の隙を活用し体勢を転換。
「おおおおおおおおおっ!」
裂帛の咆哮と共に、フラスニールが右肩に着弾。表皮の障壁を突破され、砕けた鱗を散らしたメガセラウスは負傷とハンナに交互に目を遣り、淀んだ笑声を発して右脚を地面に打ち下ろす。
刃を介して届いた激震に揺らいだハンナに水槍が殺到。成す術なくそれを浴びた竜騎士に三叉槍が着弾。
弩の速力で放たれた刺突を腹に受け、喀血するハンナは出鱈目に振り回される。救出すべく踏み出した蓮華の視界が、頭部への強い衝撃で暗転する。
鍛え抜かれた前衛と言えど、脳髄に強い衝撃を受ければ一時的に意識を失う。ごく僅かな時間であろうと戦闘では、そして大敵相手には致命的な隙となる。
再覚醒を果たした時、メガセラウスの姿は遥か遠くに在った。
歯噛みしながら立ち上がろうとするが叶わない。訝しみ、視線を落とした蓮華は己の惨状を目の当たりにする。
「……何が、起きた」
数秒前には存在していた四肢が、最初からなかったかのように消失していた。傷口に付着する鱗が激痛を間断なく齎し、滲みだす液体が肉体を腐食させていく。
這いつくばったまま、顔を上げて目を動かす。団員は揃って自身と同じ惨状で戦闘不能。フラスニールを杖として辛うじて立つハンナも、腐食が再生を上回る状況。
あらゆる状況に一定の対応が可能と自負していた組織が、数分も保たず蹂躙される。しかも、メガセラウスは全く本気を出していない。
これを絶望と呼ばねば、何をそう呼べば良いのだろうか。
「もうちょい足掻いてくれよ。オレが弱い者イジメしてるみたいじゃねぇか」
首の後ろを揉む妙に人間臭い仕草と共に、伝承の怪物が悠然と接近してくる。
彼の者の握る三叉槍を彩る紋様から、淵海龍が生み出した『皇海槍トリアイナ』と解するが、何の救いにもなりはしない。
海底から天を穿ち、気象現象をも捻じ曲げる大業物が怪物の手で振るわれれば、止められる者は誰もいない。
大海を身に宿した怪物は一挙手一投足が津波に等しく、自然現象は人に拭い難き根源的な恐怖を喚起する。
百の手札があろうと、全てを押し流してメガセラウスは勝利を掴む。不変の事実を突きつけられながらも、蓮華は四肢を再生させて水彩を構える。
「自殺か? 悪いが、その手のは山盛り見てる。感動も何もしねぇぞ」
「知らない程に、頭が終わってる訳じゃない。……元々、そういうのから無縁だ。けどな、ここで俺が立たなくてどうすんだよ」
腐食と再生が拮抗し、刀を構えるだけで全身がブレる。武術の心得が皆無の子供に小突かれても、今なら死に至るだろう。
崩壊寸前の肉体で前進を試みる様に瞠目するハンナへ、出来損ないの笑みを返す。自身と最も遠い場所に立つ彼女が、この選択に理解に苦しむのは当然。愚かな振る舞いと、そもそも自覚している。
それでも、立たねばならない理由が蓮華にはあるのだ。
「風切・黄泉討。どちらの当代のようにも俺はなれなかった。いや、親父の足元にも及んでいないな。……鈴羽さんからの失望と憐みの目は、今でも思い出せる。国に戻った所で、シグナの遺物を手にしていた所で、俺は何も起こせなかっただろうよ」
「……」
「親父の代からの付き合い。打算、温情。理由は多々あろうと、ここにいる奴らは俺に付いてきてくれた。どうしようもない凡才と知っていても尚、同じ船に乗るくらいには信じてくれている。だったら、ここで俺が投げる訳には行かないだろうがッ!」
前に出た蓮華の刺突は、策も肉体強化も皆無の愚直な突撃でしかない。だが、繕う余裕が消えた事で、限界を一段越えた速力を絞り出してみせた。
世の不条理を示した一撃は、観劇者の理解を置き去りに大敵の胸部へ襲い掛かる。
「団長、逃げてください!」
「その心意気は良いなぁ! だが、身の程を弁えるべきだったなッ!」
一切の躊躇なく、メガセラウスは飛びずさって刺突を回避。十全の立ち位置を確保し、雄たけびを上げて地面を踏み砕き、蓮華の遥か上を行く速さの刺突を放つ。
攻撃を外して泳いだ蓮華の手から、水彩が零れる。迫る三叉槍は一切の攻撃手段を奪い去り、死の実像を鮮明に描き出す。
悪足掻きで掌に紡いだ魔術も搔き消され、完全な詰みに追い込まれた。
走馬灯と呼ばれる現象か、失速した世界で細かな紋様まで目視可能となったトリアイナは、意趣返しとばかりに彼の胸部へ迫り、急激に軌道を変えて地面に叩き付けられた。
「んだこれ……畜生、何しやがった!?」
正常な世界に回帰した蓮華は、船のあらゆる箇所から伸びた鎖がメガセラウスを縛める様を目撃する。大敵の硬直を待っていたかのように、何処からか紡がれた治癒魔術で場の全員が再起を果たすが、実行に移せた者は蓮華も含めて皆無。
あらゆる疑問が脳裏を駆け巡るが、怪物の傍らに立つ人影を認めるなり、全員の視点がそこに引き寄せられる。
着崩した極東様式の戦闘用衣装に、蓮華と相似した顔立ち。腰に提げられている刀は、彼が水彩に他ならない。
「……親父、なのか」
口に出しはしたが、水無月
理解しながらも、絶体絶命の局面で乱入した父の姿にどうようする蓮華を他所に、虚像の珪孔は右手を掲げる。
「この船が動いているってことは、つまり蓮華は成人したってことだ。成人おめでとう、ここまでよく生き延びた。そしてこの声が届いているなら、目の前にいるのはエトランゼ。絶対絶命の状況だろうが、その為に俺は準備をしていた」
洪水のように流れてくる情報に混乱する一行より早く、気付きの色がメガセラウスの瞳に灯り、赫怒で肉体を震わせる。空間全体が震動し、青白い火花が舞い踊るが、それ以上何も起こらない。
「『五柱図録』の真意は『エトランゼ』を祀ったり、異空間の扉を開く物じゃない。彼等を縛る物だ。連中がここで暴れる事で、まず中央のコアに魔力が流れ込む。特定の順番でそれを分散させ、装置を起動させれば封印は叶わずとも力を抑える。そう、戦いの土俵まで引き摺り下ろす事は出来る」
答え合わせに怪物は唸り、蓮華は茫と立ち尽くす。
他の当代と比して遥かに力が劣り、逃亡同然に故郷を捨て新天地で生を繋いだ。
莫大な財を成しはしたものの、維新後も続いた故郷の動乱から目を逸らし続け、助力を乞うた鈴羽や逢祢の手を跳ね除けた様を蓮華は見ていた。
憧れなど抱ける筈もなかった。寧ろ軽蔑していた父が、世界の危機を見越して対エトランゼの策を構築していた。
真実に衝撃を受ける蓮華だが、何故自分に託したのかという疑問も残る。御三家当代だった珪孔は、非才を当然見抜いていた筈。血統に大事を託すのは過ちと言わざるを得ない。
彼の疑問を汲み取ったかのように、珪孔は肩を竦める。生前に見せていた何気ない所作に籠るのは、強い親愛の情だった。
「すずや逢祢の分析も、一部の強者だけが救世主と成り得る未来も俺は否定する。とは言え、何の覚悟のない奴に託しても意味が無い。だから、俺はある条件を起動式に籠めた。
お前が他の誰かの為に立つなら、そう思える友人を得たのなら。この仕掛けは発動する」
「!」
「弱体化してもエトランゼは強いし、縛れる時間も限られている。だけど、ここまで辿り着いたお前を俺は信じる。俺が最強と信じるのは、すずでも逢祢でもない。世界で最も美しい名を背負ったお前だ。お前と、お前が命を賭けるに足る人々が、デカい旗を掲げると、信じているぞ」
「親父!」
一度も視線を交えぬまま、水無月珪孔の虚像が消失。何も言えぬまま見送った蓮華は、暫し父のいた場所を見つめていた。
幼少期からの疑問に対する回答と、名に籠めた想い。嘗て見えなかった、見ようとしなかった事実に混乱していないと言えば嘘になる。
受け止め、消化するだけの時間を求めているのもまた然り。
しかし、ここは敵が目前にいる戦場。縛めから脱したメガセラウスは戦闘態勢に移行済み。弱体化しても尚、その身から放たれる魔力や闘争心は人智の外にある。
一方的な虐殺から圧倒的不利な戦いになった程度で、状況の悪さは不変。一生涯に於ける最善を絞り出せねば全滅するだろう。
「理屈は知らねぇが、ヒトに力を縛られるたぁな。だが、何があろうと勝つのはオレだ。大海の王たる理由を土産に、ここで散れ!」
「敵はメガセラウス一頭。総員、人生最後の戦いと思って挑め。けど俺達なら勝てる、勝ってインファリスへ乗り込むぞ。異存はないよな、皆!」
「応!」
ヒト型のエトランゼと、零れ落ちた者が頭目を張る集団。
背景事情の全く異なる、されど内在する勝利への渇望を同一とする者同士の戦いが、現世から切り離された空間で幕を開けた。
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