10


 格好良い戦争は、平和な世の中にしかないんだよ。

 良い感じの運命を背負った英雄が、超絶凄い力を振り回して圧倒的劣勢を覆す美しい展開は、人生を百周して一度見れるかってとこじゃないか。

 醜い責任の押し付け合いや、死の恐怖に憑かれながら、逃げずに泥水を啜る戦いが九割九分九厘だろうよ。少なくとも俺は、人生の中で英雄なんて見たことないね。

 そんなのは皆、本来は分かっている筈だ。

 それじゃ何で求めるかと言われると、そうじゃないと楽しめないからだろうよ。

 戦争・武器・悲惨な死を娯楽化することで、人は自分の中に下を作っているんだろう。別に構いやしない、精神を安定させて日々の生活を楽しく生きることは、全くもって正しい。

 でも、その為に必要な『戦い』って現象を下支えしている俺達みたいな商人を、狙い撃ちで悪と石を投げるのは辞めて欲しいんだよな。

 悪が描き出す醜い戦争があるから、格好良い戦争が生まれる確率が上がって、兵器のスペックや外観で遊ぶ趣味が成立してんだぜ。ちょいと感謝してくれたって良いんじゃないか?

 責任転嫁だって言われると、否定しないけどな。


                   ◆


 足を踏み入れるなり飛んできた、複数の無遠慮な視線にゆかりの身が竦む。

 殺風景な部屋に座す担うルチアと、彼女の腹心と思しき正規軍人に囲まれる様は、査問の単語を否応なく想起させられる。

 兵の大半が死亡・再起不能となった緒戦で、大きな結果を残したとは口が裂けても言えないが、致命傷に成り得る失策もない。

 堂々としていれば良いのだが、何らかの理由と逃げ道を探し始めるのは人の性か。自問するゆかりを猛禽の眼で見据えたルチアは、指で机を軽く叩いた。

「まず、よく生き延びました。偶然や運の要素があろうと、生存は一つの勝利。あなたとこうしてまた話せることを、嬉しく思っています」

「はぁ……ありがとうございます。……二度目は、あるのですか?」

 予想外の賞賛に面食らいながら放った、ゆかりの問いで室内の空気が一気に重くなり、何名かの軍人が顔を伏せる。

「目的を果たすまで我々は撤退しない。貴女を招いたのも、そのためよ」

 強い言葉を放つが、ルチアの目の端には僅かな痙攣が見える。

 核となる二人が戦闘不能に陥り、少なく見積もっても六割の兵が死んだ。ヒトが感情の生き物という大前提に立てば、この事実は数字以上の痛手だろう。精神的なダメージで、再起不能に陥った生存者も多数いる筈だ。

 どれだけ取り繕っても、連携が難しい弱みを数的有利で帳消しにした上で、数の暴力で強引に磨り潰すことが作戦の肝要だった。基盤が根底から破壊された現状で、二度目を断言したルチアもまた、常軌を逸した精神の持ち主と言わざるを得ない。

 無意識に手を強く握り込んだゆかりと対称的に、ルチアの手が軽快に翻る。彼女の動きに呼応する形で、アルベティートの虚像が壁に映し出される。

「観測可能な範囲に留まりますが、アルベティートに着弾した攻撃を我々は解析しました。砲撃や魔術が無効化される中で届いた攻撃は三つ。彼の者の再生作用を抜いた攻撃は、貴女の物だった」

 一見して明るい報せだが、届いた攻撃が自分の物と言われてもピンとこない。

 四天王の纏う空気が変化したことを悟り、問いかけを止めたゆかりは、得も言えぬ不安を感じ掌に汗が滲む。

「現実的な視点を持てば、我々に手札を選抜している余裕などない。されど、戦果を得る者にはそれなりの格が無ければ、世論は納得しない。好きな人員を選んで結構、二度目にして最後の戦いは貴女に先陣を切って貰う」

「ちょっと待ってください! 格が必要であるなら、私など一番不適な筈です。何故、私が――」

「栄光を受け取る者は別の誰か、私ではないから安心なさい。そして、何故とはおかしなことを聞く。この集団は寄せ集めとはいえ軍隊である以上、拒否権などない」

 攻撃が届いたことが事実でも、二度目の戦いで先陣を切らされるなど死刑宣告に等しい。随伴させる者の選択権を与えられたとは即ち、ゆかりが選んだ者達も死出の旅に送られるということだ。

 彼の者に一撃を食らわせられたが、あれは過熱した精神が成した偶然。至近距離で見たアルベティートは一切の誇張なしで、理解の範疇を超えた代物。もう一度など出来る筈もないと、ゆかりは自覚してしまっていた。

 無意味な口の開閉を繰り返すゆかりに、無機質な視線が降り注ぐ。

「決定事項は覆らない。選択の放棄及び逃亡は命令違反とし、貴女の親しい者も含めて極刑に処する。欲しい装備があれば、可能な限り揃えます。よく考えて選定なさい」


                  ◆

 

 司令部をまろび出たゆかりは、壁に寄りかかって口元に手を当てる。

 せり上がって来た吐瀉物をどうにか堪え、呼吸と精神を整えようとするが不発。最後の一線を踏み留まっているに過ぎない危うい足取りで、司令部が完全に視界から消える所まで辿り着いたゆかりは、力なくその場にへたり込む。

 ルチア・C・バウティスタの言説に、客観的な瑕疵はない。僅かな可能性に賭けることも、実現させる為に個別の命令が下すことも当然の話だ。

 ゆかり個人を特別扱いする方がおかしな話で、命令は彼女が未だ勝利を信じている事の証明とも言えるだろう。


 俎上に挙げられることを考えていなかった自分が、間抜けなだけだ。


 道理を言い聞かせても、無意識に体が震える。逃げ場はなく、一人で行くと断言する度胸もない。この瞬間もアルベティートの再生が進行していると思えば、さっさと立ち上がって動かねばならない。

 何度言い聞かせても、道理を超えた怪物に挑むことを本能が拒む。纏めて皆殺しにされる未来が鮮明に見えてしまい、踏み出せない。

 自縄自縛に陥ったゆかりの耳に、騒々しい足音。

 のろのろと顔を上げると、やたらと明るい色彩の青年が何やら喚きながら走る様が見えた。

「軍用飛竜が十二、対竜ミサイルが六千、装甲車が百四十! 銃や短剣なんかも含めて、俺がどんだけ出したと思ってる!? 結果は大敗北の大損だ! もう付き合ってられ……ぐへっ!」

 吹き抜けた一迅の風に足を掬われ、青年が転倒。目前まで転がって来た、どこか見覚えのある小柄な青年は、体を跳ね上げてゆかりの姿を捉えるなり首を捻る。

「ん? お前誰? ……いや、アレだな。噂の異邦人って奴か」

「あらゆかりちゃん、恥ずかしい所を見せたわね。……どうしたの?」

 先の戦いで決定的窮地を救った逢祢が、大刀を背に戻しながら近寄ってくるなり、青年の表情がまた変化する。どうにも、先の罵倒は逢祢に向けられていた物とゆかりは解する。

 二者間のやり取りを邪魔したくない。そう考えて立ち上がって去ろうとするが、足が上手く動かず無様に崩れ落ちる。もう一度を試みても、結果は同じだった。

「す、すみません。すぐに……」

 取り繕うための言葉は、二人の真摯な表情で搔き消された。

「何かあったのね。……空き部屋がある筈だから、そこで話を聞きます」

 有無を言わせず背を向けた逢祢と、諦めたように首を振った青年に追従し、何とか立ち上がったゆかりは覚束ない足で二人に追従する。

「リームス・ファルラ・フェルシュホー。アイネに乗せられた間抜けだ。これ名刺な」

 流麗な筆致の名前と竜を象った紋章。『総合個人商社』なる見慣れない肩書が記された名刺と、相手の顔を見比べる。次いで目に入った、腰に吊られた剣の意匠でリームスがドラケルン人と気付く。

 巨大な両刃剣を振るう前衛特化の怪物。過去に出会った二人が揃ってこのような存在だった為、目前の青年がドラケルン人とは俄かに信じ難い。

「あの、リームスさんはドラケルン人なのですか?」

「そうだけど? 脳味噌まで筋肉のヴェネーノやらと比べるなよ、ああ言う手合い、俺は嫌いなんだ」

 追及に対する強い拒絶と、ヴェネーノへの激烈な嫌悪の感情に鼻白んでいる間に、三人は空き部屋に到着。適当な椅子に腰を降ろした所で、逢祢に促されるままにゆかりは口を開く。

 下された指令に、リームスは呆れと同情の眼差しを向ける。対して、逢祢からはゆかりの語りが進む毎に熱が抜けていく。

 射干玉の眼に透徹した光を灯す極東の怪物は、語りが終わると長い息を吐いた。

「戦場に来たからには、指令を拒む権利はない。だから貴女も戦わねばならないのだけど……」

「身元が怪しい奴なんて、使い捨てにはピッタリだわな。仮にこいつが金星獲っても、功績はアークスの誰かのもの、あの司令はよく考えていらっしゃる」

 経験豊富な二人もまた、ルチアの指示を否定はしない。いよいよ全身の血が抜けていくような感覚に襲われ始めたゆかりの意識が、鈍い音で引き戻される。

「本当はティナちゃんが先なのだけれど、この際だから伝えます。ゆかりちゃん、貴女まで他人と同じ目線で考えなくても良いの」

「同じ目線?」

「あの子は指揮官で、アークスの軍人。役割に求められるのは、合理性に基づいて人を使うこと。先にあるのは国民の命だから、指揮下の者を潰してでも国益を得なければならない」

「ヴェネーノやカレル、ハンナみたいな阿呆の目線に立つなら、闘争心のままに暴れりゃ良い。俺なら大損する前に損切りして逃げる。戦いに於いてどこまで張るかは、個人の自由だ。けど、美しい戦いは世界の何処にもない。名誉と万歳三唱だけ貰える主人公は、現実にゃいない。……お前だってそうだ」

「いつかは分からないけれど、盤面に登った瞬間から、ゆかりちゃんも踏み躙る側に回った。貴女はもう、誰かの憎しみを背負わねばならないし、逃げる事も許されない」

 真理を突いた、そして求めていた慰めからかけ離れた言葉は重い。過去に何度も決意しておきながら、未だに揺らぐ己の弱さを見透かしたかのような指摘に、ゆかりは唇を噛み締める。

 目前にいるのは数百万の命を斬った怪物と、彼女と正面切ってやり取りが可能な異常者。共に死の手から逃れ続けているのは、逢祢が語った通り戦いの現実から「逃げなかった」為なのだろう。

 では、今でも逃げ道を探そうとしている矮小な自分は、何を掲げれば良いのか。

 思考の袋小路に入ろうとしたゆかりの意識を、再び鈍い音が引き戻す。逢祢が大刀の切っ先を床に当てる事で発せられる音は、哀切な響きを孕んでいるように思える。

 持ち主が何処かに置いてきた感情の残滓。図らずも詩的な想像が脳裏を掠めるゆかりを、逢祢は静かに見据えて口を開く。

「何もないことを恥じる必要は無い。でも、求めるなら自分の為に在りなさい。己が他者を害するだけの何かを、既に貴女は持っている筈よ」

「続ける以外にヒトは生を確かめられない。だったら、自分が決めた指針で張り続ける方が良いだろ」

「自分の中で理由が在れば、戦いの咎を背負える。あの少年は既に理由を出した、貴女はどうする?」

「わた、しは――」

 現在は決断の積み重ねが齎した結果で、引っ繰り返して逃げるのは過去の意思すら否定する。それを柔軟な思考とする者もいるだろうが、血塵に塗れた今は最早許されない。

 最後まで走り続けねばならないのは、ヒビキだけではなく自分もまた然り。生命体としての本能が齎す恐怖をも超えて刃を取る、その為の最善を見つけ出さねばならない。

 過去からこの瞬間に至るまで。全てを巡って、答えを探す。

 己との対峙へ完全に没入した少女を横目で見ながら、年長者二人は視線を交わして部屋を辞した。

「なんつーか、あまり気分は良くないな」

「戦いに挑ませることはああいう物よ。でも驚いた、貴方がゆかりちゃんに助言するなんて。てっきり『勝手に死ね』って言うと思ったわ」

 純粋な感嘆を受け、リームスのオレンジ色の髪が不快そうに揺れる。

「利害関係が無い奴に死ねと言えるほど、人間辞めちゃいない。金儲けだって死ねば出来なくなるし、前金だけしか俺は受け取ってないんだよ。全部勝ち取る為なら、幾らでも賭け金を載せるさ」

 鞘に納められた剣を取り、手首のスナップで回転させながら、小柄なドラケルン人は前方に視線を固定したまま淡々と呟く。

 死の商人の肩書に違わぬ、悪意の取引を積み重ねた男らしさと、人間らしさを備えた答えに逢祢は沈黙で応じる。

 内在する何かを定めた頃を思い出す為に、彼女は時の大河を大きく遡らねばならない。輪郭や根幹は今でも鮮明に浮かぶが、細部は綻び始めている。

 決断に基づいて歩み続けた結果、成し遂げた事や失った物がある。それを数え、得た物の喪失への恐れが強くなっている。

 それらが老いの証明と自覚し始めた逢祢は、まだ迷うことが許される娘やゆかりが尊く、同時に彼女達が戦いに身を投じて欲しくないとも思う。

 未来を担う者達が当地に招かれたのは、嘗てにいた自分達の咎。此度の戦いに参戦したのも、そのような想いがあった。

「すずちゃん、貴女の願いは未だ遠い。通り過ぎてしまった貴女の為にも、私は一振りの刃に回帰しましょう」

「死亡フラグ立ちまくりの所信表明辞めろ、俺も死にそうだから」

 少女の背中を押した者も、すぐそこに待っている地獄へと前進する。

 再演の時間は、刻一刻と迫っていた。

 

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