11

 分断によって生まれた半島の軍事境界線。

 無数の地雷が埋設され、対立する二国や仲介役の央華人民共和国と日ノ本の軍隊が駐留する。考え得る限り最悪の環境に於いても、住民達は平穏な日々を生きていた。

 破壊され尽くした大地を、たった今疾走する青年、ソン漢弩ハルラもまたそうだった。

「何故だ、何故だ、何故なんだ!」

 悲鳴のような問いは、大地を吹き飛ばす砲撃で搔き消される。

 破綻しない程度に作物を生産し、細々と生活を重ねて死んでいく。弟を都市部の大学に通わせる金を手に入れたいが、日々の農作業に追われて何も出来ていない。

 何処にでもいる青年の、凡庸な日々は『向こう側』からの唐突な攻撃で木端微塵に粉砕された。

 停戦に留まっている以上、戦火が再び降り注ぐ可能性は常に在った。仲介と称した監視目的で大国の軍が駐留している事から、戦闘再開に道理がないと思っていたのは、只の楽観論でしかなかった。

 緩衝地帯故に南鮮民国の軍備は最低限に留められている上、奇襲で完全に無力化されている。集落の壊滅がすぐそこに迫っている現実に突き動かされ、漢弩は日ノ本駐留軍基地に辿り着いた。

 砲撃や爆裂魔術の直撃で死んでいった人々の血肉や、巻き上げられた塵芥。止めどなく流れる汗で薄汚れた姿に、門衛はあからさまに軽侮の表情を向けてくるが、それに応じる余裕は皆無。

 暴発を抑えるお題目を掲げた駐留軍に『向こう側』の暴発に対する緊張は皆無。固く閉ざされた門の奥からも、何も聞こえてこない。

「向こう側が攻めてきてる! どうして動かないんだ!?」

 至極真っ当な問いを、門衛は鼻で笑った。現在進行形で無辜の人々が死んでいる状況と、期待から著しく乖離した反応に、一歩踏み込んだ漢弩の喉元に冷たい感触。

「この基地に攻撃は届かない。向こうにも事を構える気概はないだろうしな。なら、俺達は動かない」

「なっ……!」

「考えてもみろ。一国に纏めておくことすら出来なかった阿呆の国の、何の資源もない土地を守る意味がどこにある? ないだろ? お前みたいな能無しが幾ら死んでも、基地の設備や人員を守れたら俺達は構いやしない」

 土地や食料を供給する代わりに、有事には守護の役割を担う。

 信じていた道理を踏み躙られ、命が失われることを肯定される。持つ者の悪辣な思考を浴び、無力な善人に過ぎなかった少年に一迅の暴風が駆け抜けた。

「お……前!」

 過ぎ去った後に芽生えた憤怒で理性が焼き切れ、門衛に手を伸ばした漢弩の視界が一回転。軍人の剛力で地面に叩き付けられ、反吐を散らした彼の目前に燐光。

 魔術が構築され、生殺が相手に握られたと察して激情が急激に引いていく。

「路傍の石がどう思おうが関係ないね。邪魔をするなら排除するだけだ」

「俺達にはその権利がある。この状況はお前らが無能だから陥った。尻拭いは自己責任でやれ」

 道化が己の役回りと突きつけられ、漢弩は這うように後退。盛大な笑声を浴びながら立ち上がり、死から遠ざからんと走りだす。

 恐怖が疲労を打ち消し、周囲に降り注いだあらゆる事象を振り切る疾走の果て。門衛の気配が完全に消えて我に返った漢弩が見た物は、炎上する家屋とその前で立ち尽くす、自身と相似の姿を持つ男だった。

「智異!」

 呼びかけに応えて、自身と同様の農作業に出ていた四歳下の弟が振り向く。異様に鈍い所作と紙の如き白に染まった弟の表情に、浮かんだ疑問はすぐに解けた。

 手酷く破壊されていようと、焼け残った家屋や転がる死体で現在地はおよそ分かる。本来ここは居住区で、死体の大半が見覚えのある住民のそれだ。

 そして、目前で炎上する家屋は漢弩達の生家に他ならなかった。

「……!」

 向こう側の暴発が始まった時、太陽は高い位置にあった。年老いた両親は必ずその時間帯に昼食を摂っており、例外は繁忙期のみ。

 そして、道中散々味わっていた人の灼ける臭いが、確かに内部から届いている。か細い可能性に賭けて救助に動くべきと脳は理解していても、農家の息子に過ぎない兄弟は状況の打開に繋げられる術を持ち合わせていない。

 限界を超えて真の力が覚醒し、窮地を脱する現象など起こりはしなかった。

 弟の号哭を聞きながら頽れた漢弩は、煤けた地面で視界を埋める。


 何故、自分達がこのような目に遭わなければならないのか。

 何故、日ノ本や央華の軍隊はお題目を守らず、この惨劇を放置するのか。

 何故、向こう側の国は数多の死が生まれる暴挙に出るのか。

 何故、自分は誰も救えないのか。


 脳裏に次々と浮上する疑問の答えは、すぐに出た。

「そうか、この現実は必然だったんだな」

 罅割れた呟きは、智異を眼前の絶望による呪縛から解き放ち、彼に対する恐怖に塗り替えた。弟にすら怯えを抱かせた漢弩は、徐に右手を伸ばす。

 肉が焦げる激痛に耐え、悍ましい何かに加速度的に変質していく右手をしかと見据える少年に宿るは、世界に対する一つの結論。

 耳にした誰もが糾弾し、唾棄し、否定する醜悪な。そして、示された現実に対する解となる結論を乗せた漢弩の咆哮が、炎と共に立ち昇った。


                  ◆


 嘗ての強者の語りを前に、ヒビキとフリーダは沈黙する他なかった。

 何もなかった狭間の弱小国に生まれた、凡庸な農民だった漢弩は『何をしても許される存在』と世界に定義された。

 そして当事者になれぬまま故郷を失い、定義する側に回ろうと足掻いた結果、逢祢に敗北して弟までも失い、離島で孤独に生きる結末を迎えた。

「列に並ばなかった者は世界に認識されないことを代価に、苦しみを買わずに済む。降りられない何かがあるなら、余計な列に並ぶな。……敗者の戯言ではあるがな」

 そう締め括ったが、参戦するか否かの問いが本題でないとヒビキにも理解出来た。

 全てを求め、掴み取るには人は矮小に過ぎる。アルベティートとの戦いに於いて、あまりに多くの物を背負い過ぎていると、漢弩は突いてきたのだ。

 幼馴染に吐いた言葉を反芻し、ヒビキの顔が曇る。

 皆を救える存在ではないとエリスに宣いながら、口走ったのは身に余る責任。冷静な判断力を欠いており、軸がブレているとの指摘は正鵠を射ていた。

「色々と難しいね、本当に」

 状況に不適格なフリーダの拙い言葉が、二人の間に不恰好に落ちていく。

 どれだけ取り繕っても、大層なお題目を掲げてもアルベティートへの恐れは消えず、今戦場に挑めば一瞬で殺される。

 敗北の余波が全世界に及ぶ以上、逃げられないが前方への道もない。

「えーい離せ! 年上は敬えボケぇ!」

「自殺を試みる方を敬える訳ないでしょう」

 二人を圧していた重苦しい沈黙は、聞き覚えのある声による間抜けなやり取りと、発信源の姿で微塵に砕けた。

 通路に出てみると、予想通りの姿がそこにあった。ただ、その格好は奇妙に過ぎた。

 和洋折衷の装いを纏ったティナの右手から無数の『鋼縛糸カリューシ』が伸び、目に喧しい色彩の持ち主たるレミーを引き摺っている。

 意味不明な光景に、思わず硬直する二人を灰の目で見る少女は小さく息を吐く。

「この方が仲間だけで戦おうとしていたので。自殺を止めていただけですよ」

「勝算があるっつったろ!」

「絡め手で崩していく貴方では無理です。現実を見てください」

 戯けたやり取りを繰り広げる青年が抱えた、苛烈な意思の炎。その根源が仲間の死であるのは自明だが、似た事例など幾らでも転がっている。

 特別に成り得ない理由で、暴発しかけた青年は酷く不恰好に肩を竦める。

「俺はロザリスからの不法移民。で、今回連れて来た奴も同じ。これ以上説明いるか?」

 出会ってから一度も崩さず、この瞬間も守り抜いた戯けた口調で放った事実は、あまりに重い響きを持っていた。

 ヒルベリアのような半ば見放された町ならともかく、真っ当な国に於ける不法移民の扱いは想像に難くない。彼なりの地獄を超えて今に辿り着いたレミーにとって、同じ苦しみを持つ仲間の死は、冷静な計算を吹き飛ばすに足る物。

 滑稽な挙動で床を這う青年は、ティナに引き絞られて呻きながらもヒビキ達を見据えて、見透かしたように笑った。

「何を考えているか知らないが、俺はしたいからしてるんだよ。何かをする理由なんて、そんなモンだ。最強親子鷹のティナちゃんだって、きっとそうさ」

「勝手に代弁しないでください。……行きますよ」

「畜生……ん? ちょっと待て、これ外してくれないのか!?」

「再戦の指示が出るまで、大人しくして貰います。無意味に死なれて戦力が減っても困るので」

 淡々と切って捨てたティナは、一礼を残して去っていく。潰れた蛙のような苦鳴の残響も完全に消えた頃、黙していたフリーダが背を向ける。

「お互い、もう少し整理しよう。何かあったら呼んでくれ」

「……おう」

 残されたヒビキは、部屋に戻りベッドに腰を降ろす。徐にスピカを抜き、冴え冴えとした光を放つ蒼刃を茫と見つめながら、思考の海に没していく。

 抱えきれなかった時点で説得力は皆無に等しいが、ライラに放った言葉も確かにヒビキの指針。死んでいった者の願いを僅かでも拾い上げる為に、現れ続ける戦いを絶対に投げ出してはならない。


 全てかと問われれば、絶対に否であると言わざるを得ないのだが。


 ――エリスに言った役回りを演じるには、アルベティートは強過ぎる。

 惑星そのものと形容可能な怪物への決定打は、未だ見つからない。多くの知見を有する司令部も、沈黙が続いている事実を踏まえると同様の状況だろう。

 ゆかりの乱入で伏せ札は残されているが、デイジー戦で体得した形で殺しきれる保証はない。一度だけ引き出した限界の『先』に手を伸ばせば、結末の如何を問わず死ぬ。それでは意味が無いのだ。

 漢弩の指す「余計な列」から離れ、絶対者との戦いに臨むに足る物は何か。思考の欠片が泡のように浮かんでは消える中で、ノックの音がヒビキの耳に届く。

 召集ならノックと同時に扉が開けられている。では誰が?

 首を捻りながら扉を開けると、ゆかりが立っていた。

 ルチアに招かれていた彼女の表情は、若干の疲労こそあれど召集前にあった理解不能な事象に対する怯えが消えていた。

「アルベティートとの再戦で、私が切り込み役を担うよう指示されたの。……私の攻撃が、ダメージを与えられたんだって」

「なっ!?」

 

 単刀直入に放たれた言葉に、間抜けな音が毀れる。


 怪物が攻撃を受けた後に殺害を図った事実から。否、出自からしてゆかりの力が鬼札に成り得る可能性を、ヒビキも感じていた。

 手札の大半を喪失した今、観測手越しに知ったであろうルチアの選択は妥当。それでも、可能性が現実に変わった上、ゆかりが自らの意思で乗った事実に驚きを隠せない。

 無謀な決断を下したゆかりは、己を棚に上げて硬直したヒビキを見つめる。

「私ね――」


 時間にすれば、ゆかりの語りは二分弱に過ぎなかった。


 短い時間の中で、純粋かつ醜悪な解を放ったゆかりの姿は、怖気が走るほどに美しかった。

 その姿を目の当たりにして、あの時なぜ彼女を助けたのか。の答えを思い出したヒビキは、己の浅ましさとそれが繋いだ今に目を向ける。

 人を動かす物が大義とするなら、内在する独善的な意思が立ち上がる為に必要な物。過去に実践していたのなら、思い出した今、もう一度が叶わない道理はない。

 伸ばされた手、血戦に挑む者とは到底思えない細くたおやかな手を取って、一度だけ深く息を吸う。

「……お前の意思に乗る。勝とうぜ、ユカリ」

 道徳や常識が導く正解からかけ離れた答えを受けたゆかりは、僅かに残っていた緊張が吹き払われたかのように微笑を浮かべた。

「うん。私とヒビキ君、それぞれ決めた『最後』に行く為にも、絶対に勝とうね」

 どちらかが、或いは両方が死ぬ未来もアルベティートが相手では現実的な道と言わざるを得ない。恐怖が消えたと言ってしまうのは、大嘘になるだろう。

 それでも、二人は何の為に戦うかの答えを拙いながらも出した。同じ答えを持てたのなら、最早迷いなど何処にもない。

 意思を共有した、ヒビキとゆかりは勝利への道筋を模索する。ルチアの遣いに召集されるまでの短い時間は、状況に不相応な穏やかなものだった。

 

                 ◆


 西大公海上空。水無月珪孔が遺した仕掛けで誕生した異空間内部。

 世界から切り離された領域で、異形の怪物相手にヒトが悪戦を繰り広げていた。

 ヒトの器を得た『エトランゼ』一柱、メガセラウスは『巨艦砕航錨アン・ピードゥ』の錨を拳打で粉砕。口から噴射した水流刀で炎を搔き消し、大業物トリアイナを繰って、接近戦する者を易々と弾き返す。

「悪かねぇや。でもよぉ、もっとやんねぇと、オレには勝てんぜ!」

 吹き荒ぶ魔術の嵐を霧散させ、前衛の要たるハンナと頼三を踏み潰す、メガセラウスの咆哮にぶん殴られた蓮華は、吹き飛びながらも無言で鉄球を放る。

 一顧だにせず前進する、鮫の周囲に舞い散った鉄球へ躊躇なく引き金を引いた。

 蹴り出された弾丸は疾走の中で結合が崩壊。微細な粒子同然に縮小したそれらが接触した刹那、鉄球から『煌光裂涛放レイクティルス』の閃光が迸った。

 全方位から身を焼く光条に晒されながらも、己に食い下がる頼三を殴り倒した怪物は、無造作にトリアイナを投擲。

 敵の選択を認識するなり胸部に熱。三叉槍の一端が掠めた蓮華は、背に届いた破裂音から最悪の現実を描き、激情を燃やして途切れかけた意識を繋ぐ。

 喀血しながら水彩で鉄拳を受けるが、大地に亀裂を奔らせる剛力に膝が折れる。圧死を予感した蓮華の輪郭が緩み、淡い光を湛える泡と化して消えると同時、白銀の魔剣が滑り込む。

「させるか!」

「やっぱお前は来るよなぁ。もっとだ、もっと行こうぜお前よゥ!」

 引かれた槍が再び発射。不可視の刺突を捌いた筈のハンナの右肩、左脇腹、左足から出血。痛みに耐えるハンナの右腕が、不意に前方へ伸びて穂先を掴む。引き戻される速力を活用した、大上段からの斬撃が怪物の脇腹に食らい付く。

 左半身にのみ『怪鬼乃鎧オルガイル』を発動する奇策で、更なる速度を得た剣が体内を蹂躙する寸前、怪物が無造作にトリアイナを手放す。予想外の一手に体勢を乱したハンナに手が伸び、捕縛を恐れて首を振った彼女に足が突き刺さる。

 顔面から血を噴出させたハンナは、三叉槍との打ち合いを分が悪いと判断し、肉体の損傷を覚悟で腹から『暴颶縮撃プロケイア』の圧縮空気を打ち出して後退する。

 入れ替わりに降り注いだ魔術が、燐光と化して散っていく光景と合わせて、蓮華は最低な状況に舌を打つ。

 長射程を始めとする様々な要素から、一部の怪物を除けば戦場の主役は槍となった。

 剣と槍の均衡には、前者が三倍優越している必要がある。幼少期に飽きるほど聞かされた理論を当て嵌めると、一つの到達点と言えそうな槍捌きを見せるメガセラウスが負ける道理はない。

 唯一のよすがであった数的優位も、荒波の如き猛攻で既に四人が死亡しており、急速に失われている。

 槍術への造詣が深く、真っ向から張り合えるハンナを最前線に据え、本来前衛に回るべき頼三が治癒魔術の展開に力の大半を割く。ここまでして辛くも維持されている戦線は、前者が斃れた瞬間に崩壊する。それは即ち、蓮華達の全滅に他ならない。

 重責にも臆することなく、ハンナが流星の突きを放つ。急所を的確に狙った三連突きを軽々と捌いた怪物の、小蠅を払う軽率さで伸びた拳が魔剣を打ち、重苦しい音と火花が空間に生じる。

 咄嗟に紡いだ『鉄角峰メルベルク』のスパイクが破壊され、後退を強いられたハンナは、全身を強い光で包んだ敵の姿に血相を変えて叫ぶ。

「あれはいかん! 全員防御を!」

 屹立した無数の『剛鉄盾メルード』を水流が一閃。竜の一撃をも防ぐ防壁を紙屑同然に貶め、暴れ狂う水流は有機的な軌道で上昇。空中で結合し、明確な殺意を以て蓮華達に降り注ぐ。

 逃げ場のない空間を、丸ごと飲み込むように堕ちた水塊は津波も同然。あらゆる抵抗が無効化され、押し流される蓮華の視界に夥しい赤。

 水流によって装甲ごと肉が削られている。気付くなり盛大な主張を始めた痛みに囚われる寸前、空間の果てに位置する壁に激突して止まる。

「さーぁ死んで貰うぜぇ!」

 振り下ろされたトリアイナを水彩で打つが、逆に弾き飛ばされる。残酷な膂力差を見せつけた人身の鮫は、僅かに逸れた三叉槍の軌道を純粋な腕力のみで修正。追撃に反応して構えた蓮華を嘲笑うように後退し、無造作に右腕を引いた。

「見切ってるっての。定石じゃオレには勝てねぇよ」

 背部を狙っていたハンナが、石突で縫い留められていた。

 額から激しく出血する竜騎士は、なおも全身の筋肉を膨張させて足掻くが、メガセラウスは微動だにしない。

 魔剣継承者が腕一本で止められる、絶望的な現実は止まらない。痛みに苦悶するハンナがゴミ同然に放り投げられ、唖然とする蓮華に覆い被さるように落ちてくる。

「げっ!」

 衝撃で潰れた蛙同然の苦鳴が漏れ、体内で骨の折れる音。

 骨や関節を金属に置き換え、戦闘用義手を装備するハンナの体重は、単車に匹敵する。下敷きになれば戦士でも只では済まず、蓮華も例外なく動きを封じられる。

 停滞は死。重い現実で力を絞り出して引き金を引く。音速の殺意は六発命中し、紡がれた『散瘴雨ヴァルナジカル』による毒素がメガセラウスの体内に浸透。

「小細工はよ……つまんねぇぞォ!」

 生物の組織を崩壊させる猛毒を浴びながらも、人身の鮫は哄笑と共に加速。『鉄射槍ピアース』や『剛錬鍛弾ティーツァエル』といった音速の射撃魔術は、愚直な直線軌道を描く怪物を捉えられない。

 怪物の通過後に着弾・炸裂した轟音を背景音楽に、凶星と化した三叉槍が激発。

「無礼を……許して頂こう!」

 蓮華を蹴り飛ばしたハンナが、魔速に達した一撃をフラスニールで受け止める。悪足掻き同然の仕掛け故、明後日の方向に弾き返された魔剣に追従し、浮き上がったハンナが空中で一回転。意表を突いた斬撃を左腕に浴び、メガセラウスが血の尾を曳きながら後退。

 片腕を失った怪物が溢す音。それが笑声と蓮華が気付いた時、懐に潜り込んだ団員の目前で鮫の顎が開く。瞬時に閉ざされた頭部の隙間から、大量の赤と茶が零れる。装甲諸共捻り潰された仲間の断片が散り、高揚しかけた戦意が萎んでいく。

 流れを渡すまいと前進する蓮華だが、不規則かつ乱雑に振り回されるトリアイナを前に防戦が精一杯。掠めただけで両断される『剛鉄盾』の連打で凌ぎ、壁の隙間から敵の穴を探すが、敵の巧緻極まる槍捌きを前に何も見出せぬまま、時間が流れていく。

 ――このままだといずれ削り殺される。……やるしかないか。

 無意味な消耗を齎す魔術の連打を止め、銃と入れ替える形で右手に短刀を握ると同時。何度もバウンドしながらハンナが蓮華の前に転がる。

 フラスニールを杖に立ち上がったハンナは、砕けた歯を吐き出して口元を拭う。鎧に匹敵する強度を持つ、バトルドレスの各所が引き裂かれ『擬竜殻ミルドゥラコ』による表皮の補強や、後方からの治療も追い付かず至る所から出血している。

 乱れた呼吸を整え、再び魔剣を掲げるハンナの色違いの眼に宿るは、掛け値なしの恐怖と敬意。

「信じられない完成度だ。あれほどの槍術、ヒトの歴史を遡ってもそうはいない」

「……どっちかって言うと、身に付けようと思う精神が俺は怖いよ」

 隔絶した力を持つエトランゼは、その身に宿る力をただ振るうだけで人類を圧倒出来る。根本的な思考の転換が求められながらも、本来の優位性が制限される人化は愚行でしかない。

 ヒトが振るう武器の技巧を習得し、それを達人の領域まで磨き上げるのは、狂気と形容すべき振る舞いだろう。

 狂戦士や傾奇者とも異なる、無二の怪物は蓮華達の畏怖を他所に三叉槍を伸長。腰を落として全身に力を溜め、突撃体勢を執る。

 勝ちに来た相手の意思を浴び、背に冷水が走った蓮華は口の端を不恰好に歪める。精神の死を回避すべく笑っておきたかったが、敵の圧は小細工を許してはくれなかった。

「大体だな……サメがヒトに変身して戦うなんておかしいんだよ」

「知らねぇのかお前、限界や道理は超えてく為にあるんだぜ?」

「弱者や主人公の台詞だそりゃ。お前は間違いなく強者だろ」

「望めば誰もが主人公だ。なんかほら、ヒトの歌にそんなのあったろ」

 妙に人間臭い言葉を吐くメガセラウスは、状況に対する喜びを全身で示す。被捕食者側にとって最悪の話だが、敵は打算や常識を投げ捨てている。

 時間切れの結末を望まず、己が手で全滅させるまで止まらない怪物に対する、蓮華の答えは自然と一つに絞られる。

「ハンナ、プランFで行くぞ」

「存在しないプランを持ち出すな……顔でやりたいことは分かるがそれは無茶だ」

 苦い面持ちになりながらも、ハンナの五指がフラスニールの柄を握り込む。蓮華の手振りに合わせて散開した団員達も、各々の最大火力を叩き込むべく武器を構えた。

 投降も撤退も許されない現実と、頭目が抱く勝算への希望。二つを燃料として足掻く人間が築いた包囲は『名有りエネミー』を封殺可能な殺意を放っていた。

「おおそうだ、そうだとも。只の雑魚ぶち殺しても意味ねぇんだよ。盛大に殺しに来る奴を殺ってこそ、オレのリベンジは完結するッ!」

 涎を垂らさんばかりに頷いた怪物が、全身の鱗を逆立てながら嗤う。逆鱗に包まれたメガセラウスの放つ闘志は、彼の者を縛める式はおろか、船自体を破壊せんばかりの圧を以て蓮華達の殺意と拮抗する。

 突撃から迎撃へ。体勢を切り替えたメガセラウスがトリアイナを天へ掲げる。穂先から伸びた三条の光は異空間を穿ち、垣間見えた空から蒼い月を引き摺り出す。

 月が厖大な水の集合体と誰かが気付いた刹那。蠢動する球体が一本の槍に転じる。使い手の指示を待つこの瞬間すら、世界の輪郭を曖昧にする輝きを放つ大槍は、鈍重な挙動ながら、禍々しい穂先を蓮華達に向けた。


「終わりにしようや! 『穿鮫槍海嘯破アエクトゥ・ピストケアリス』ッ!」


 狂気の咆哮と、蒼の大瀑布が異空間に落ちる。

 空の一角から、あらゆる事象が搔き消された。

 

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