12:Stage of the ground

 断続的に鳴り響く遠雷の如き重苦しい音は、吉兆か破滅の暗示か。

 そのような思考に転びかねない状況でも、空には星が散りばめられている。人類の大事は惑星にとって些事に過ぎないのだろう。


 悲嘆も過熱もなく、漢弩ハルラは静かに星を見ていた。


 少年達に愚かな過去を語った時と異なり、新たな義腕を装備した姿で答えを示す男の横顔は固く、神経質に動く黒瞳には緊張が宿る。

 感情の答え合わせをするでもなく、ただそこに立っていた漢弩は戦に備えるべく踏み出し――

「後顧の憂いを断ちに来たか」

 嘗ての仇敵、逢祢あいねが無言のまま死した大地を歩む寄って来る。

 首無し白馬こそいないが、背に屹立する鉄塊に等しい大刀を振るえば機動力の差など無に等しい。どのような肚でいようと、先手を取られればあらゆる差が敗北を描く。

 星読みの結果も含め、一定の覚悟をしているとは言え、この瞬間に死ぬつもりはない。腰を落として構えた漢弩を他所に、無表情を貫徹する逢祢は距離を詰め――

「こらー! どうしてここで殺気を漂わせるんですか! お相手も困るでしょう!」

 虚空から伸びた細腕に頭を小突かれ、緊張が一気に霧散する。

 呆気に取られる漢弩を他所に、鷹の刺青が踊る右肩から始まり腰まで届く金髪、紺碧の目が嵌め込まれた顔。そして機能性を無視した白のワンピースに身を包む、華奢な体躯の少女が顕現を果たす。

「ハルクの得物……『忘想刃ルーゲルダ』か」

「正式名称で呼ばれるのも、そして貴方ともお久しぶりですね」

 少女の姿を取る剣、ルーゲルダはバツの悪い面持ちの逢祢の隣で溜息を吐く。

「ティナちゃんと違って、アイネさんは部外者です。ルチアさんに火の粉がこれ以上飛ぶのも防ぎたいですからね」

 人的・物的損失で測れば、此度の戦いは既に敗北と言える。どのような結末を迎えようと、指揮官のルチアは責任追及と『正義』を掲げた私刑を受ける。それを軽減する為にも、部外者は本部から距離を取る必要がある。

 逢祢の心情を解した漢弩は、警戒を解いて腰を降ろす。

 破砕された地面の断片の齎す痛みを感じながら、遠方に映る人工的な輝きに目を眇める。己の手から滑り落ちていった物を、今も持っている人々の姿は漢弩にとって。

 そして、黄泉討逢祢にとっても眩しい物だった。

「他者との繋がりが無ければ、どれほどの技巧や芸術も鏡の前の戯れと化す。お前に負けた時、俺は孤独を望んだ筈だったのだがな」

「失う物が無ければ強くなれると信じていた。ハルクさんを喪った時、貴方が私に向けた感情が真に理解出来たのだけれどね」


 喪失の果てに表舞台から消えた者と、修羅と化して世界からの理解を拒んだ者。


 対極に位置していた存在が、年月を経て同じ結論に辿り着いた。

 激突時に至っていれば。有り得ない仮定の先に存在した、美しい結末を彼等が見る事はなく、この先を生きる人々も理解し合えぬまま殺し合うだろう。

 生命維持活動の範囲を超えて、他種族の領分を害して喰らうに留まらず、我が身が痛まねば平然と同属を踏み躙る。

『エトランゼ』が断罪に動く愚かさは確かに存在し、人類はこの先も誤り続ける。

 抵抗が惑星に仇為す行為とする見方も、彼の者達の視点では正しい。正しさに基づいて生きていく事を善とするなら、この選択は大悪行に他ならない。

 それでも、他者との繋がりを求めて降り立った二人は戦場に立つ事を選んだ。問題の先送りと誹られようと、人類史の断絶を許容する寛容さを彼等は持てなかった。

「ティナちゃんの世代で、何かが変わるかもしれませんよ。先送りして好転した事例はヒトの世に沢山あります。だから私達はやるべき事をやるんです」

「その姿で言われると、違和感が酷いな」

「そりゃぁもう、私はお二人より年上ですからね! 年の功って奴はたっぷりです! ところでハルラさんは一体何を?」

「星読み、かしら」

 正鵠を射た逢祢の答えに首肯を返す。

 朧げな輪郭しか思い出せなくなった、両親から教わった星読みは一介の瓦職人となった今も覚えている。

 天候から戦の勝敗まで。様々な事象を予測する技術は、通ずる者の手で行えばそれなりの確度を持つ。

 真剣な眼差しを向ける逢祢から、再び空へ目を戻す。

「此度の戦の行く末を読んだ。俺達は恐らく全滅するだろう」

「あのねぇ……」

「話は最後まで聞け。故郷が破壊された日やお前と戦った日。何れもその前夜に俺は星を読み、予測は外れた。今回もまた、外れるさ」

 酷く迂遠な希望の提示に、逢祢とルーゲルダは数秒だけ虚を衝かれたように硬直し、そして僅かに緊張を緩めた。

「そうなるように、我々も足掻きましょう」

「皆が生きて帰れるように、私も頑張りますよ!」

 そこで、三人の言葉は絶えた。

 何も失わない結末など存在せず、既に多くの命が失われている。

 自分だけが死の縛鎖に囚われないなど在る筈も無いが、今はまだ生きている。ならば、死力を尽くして絶対強者に抗うのみ。

 生者としての責務を、裡に抱えた衝動を抱いた三人の頭上。

 漆黒の空が砕け、縛められていた白銀の影が伸びていく。


                   ◆


 同刻、総司令部。

 詰めの準備を終えたゆかりは、最後にもう一度装備を検める。

 紅華やネックレスといった継続使用している物から、供与された関節部の装甲まで異常はない。過剰と言えそうな程、準備を万全に行ったならば生死の責は己に帰結する。

 展開の予測が不可能故、内側から湧き上がる恐怖を押し留める事に集中していたゆかりの隣に、ヒビキが静かに歩み寄ってくる。

「ちゃんと話せた?」

「駄目だった。考えは伝えたけど、受け取って貰えるかは分からない」

 ライラとの対話が叶わず、ヒビキは珍しく翳りを滲ませている。感情に起因する問題ならば、何度やり取りしても望んだ決着に至らない事もある。良好な関係だった幼馴染とそこまで拗れて、平静を保てる人間の方が少ないだろう。

 好転させられる言葉は繰れない。代わりに強く手を握ると、僅かな迷いの後に握り返される。遠目にその様を見ていたフリーダやレミーが、小声で何かやり取りしていたが、反応する前に刻限が来た。

「先に行ってる」

「うん……また、後で」」

 ヒビキ達が去り、入れ替わる形でルチアが現れた。

 総指揮官もまた、アドレナリンの匂いを感じられる程の緊張に満ちている。非情な決断も勝利を描く為で、恨むことは筋違いとゆかりは結論を出していて、恐らく相手も謝罪に来た訳ではないだろう。

 出方を伺うゆかりの肩に、ルチアの手が伸びる。籠められた力の強さに驚いている間に、指揮官が静かに口を開く。

「総指揮官である前に、一人の人間として伝えます。ユカリ・オオミネさん、貴女は『生きた英雄』であって欲しい。下らない思想や欲望を跳ね除けて、図々しく、傲慢に己の成したいことを成す為に戦いなさい」

「それは……」

「全ての責任は取る。その為に私はいるのだから。どんな手を使っても構わない、勝って帰って来なさい」

 正しい形をかなぐり捨てた言葉に、強張った緊張が僅かに溶けていく。

 何の証拠もない言葉だが、相手はゆかりが望む結末を解している。ルチアが最も守りたい物もまた、体面とは別の所にあるからだろう。

 同じ思いを抱けずとも、方向性が一致しているのならば共闘は叶う。ゆかりが呼んだ者達がそうであるならば、ルチアもまた同じなのだ。

 大きく頷いて意思を示して踵を返す。前方の空に刻まれた無数の亀裂は拡大を続け、そこから蠢動する白が見えた。

 冷静な視点で検分すると、戦況は最悪の一言。百度挑めば百度殺されるだけの戦力差が彼我には在る。

 瞳に紅を灯し、禍々しい竜の翼を背部に展開。熱される空気の揺らぎの先にいる敵を見据え、ゆかりは息を吸う。

「始めます。皆さん、最善を尽くしましょう」

 宣告と同時、極彩色の弾丸と化して戦士達は前進を開始。

 余波で司令部の壁に亀裂が走る、強烈な加速で距離を詰める過程で武器を構え、ゆかりが更なる指示を継ごうとした時。

「終わらせる」

 シンプルな抹殺宣言と共に空が砕け、爆風が発生。

 吹き飛ばされる前衛と擦れ違うように対竜砲や弩、射撃魔術が顕現した爪に激突。淀んだ世界に疑似火竜が具現化し、感覚を破壊せんばかりに轟音や熱が猛り狂う。

 殺戮を齎す砲撃の雨は、ある瞬間を境に強烈な重力に引かれるように空へ伸び、亀裂へ着弾していく。

 拡大する亀裂はやがて空を埋め、そして全てが砕ける。再び顕現を果たしたアルベティートの巨躯に組成式が踊る様を受け、戦士達に恐怖が走る。

「『断罪ノ剣アポカリュート』だ! アレを撃たれたら終わるぞ!」

 エトランゼの切り札は個体ごとに異なり、アルベティートのそれは絶対凍結。放たれた瞬間、インファリス大陸は永久凍土に包まれる。

 文字通り必殺の一撃を発動させてはならない。立ち上がったゆかり達を嘲笑うように大地から無数の氷像が湧き出し、不揃いの武器を掲げる。

 忽然と顕現した軍勢を前に減速を強いられた一団は、白銀龍の翼の上下動で発生した暴風で散らされる。抗うべく放たれた砲撃が氷像の一撃で砕かれる、最悪の現実を回る世界で捉え、ゆかりの意識が勝手に逃避を始める。

 同じ芸当は人類には絶対に不可能。強度や力量差に愕然とする一団に氷像が接近。技巧も何もない粗雑な打撃が、後続の戦士達を粉砕し戦場に死臭を齎す。

「それで遊んでいろ」

「遊ぶのは私一人で良い」

 嘲弄を含んだ声を上書きして、無機質な軍勢の中央に逢祢が飛び降りる。着地の衝撃で何体かの氷像を破壊した逢祢はゆかりに、そしてティナを一瞥して瞑目する。

 叩き付けられた刃が大地を穿ち、亀裂に沿うように黒の澱みが拡散。不吉な趣の文字列に浸食される光景に敵味方問わず動きを止めた結果、不自然な停滞が平原に生まれた。


「我が罪の集大成、貴様達の魂に焼き付けろ。此処が最後の檜舞台、敗者達よ存分に踊り狂え! 『飢彷者千極烈陣きほうしゃせんきょくれつじん』ッ!」


 無機物にまで恐怖の概念を刻んだ、逢祢の咆哮に応えて大地が沸騰。煮え滾る溶岩の如く揺らめき、白煙を噴出させながら蠢く大地に肉の柱が形成。

 そこから手足や頭部が生み出され、氷像に匹敵する数の戦士が発する呻きが、地鳴りも同然に響き渡る。

 人種や体格、そして装備も全く異なる戦士達の共通点は、召喚者の逢祢に対する煮凝った感情と、体の何処かに刻まれた斬線。逢祢の言と照らし合わせ、或る可能性に辿り着いたゆかりの背を恐怖が掠める。

 誰もが忌避する力を披露した逢祢が、大刀を指揮棒同然に振るう。

 雷撃に撃たれたように身を震わせた亡者が、地鳴りと共に氷像へ殺到。憎悪を糧にする亡者と、心なき物体が激突を果たし、原始的な暴力の応酬が平原に吹き荒れる。

「これは……」

「何れ尽きる、あなたは進みなさい!」

 亡者の群れは数が限られている。個々の戦闘力で勝っていようと、戦闘が続くと何れ底を尽く。そうなれば、氷像の津波に呑まれて全滅する。

 切迫した逢祢の叫びで現実を再認識し、ゆかりは軍勢に攻撃の指示を下す。

 障害が減じた事で、遠距離攻撃がアルベティートに届き、白銀の長躯が炎に赤に塗れる。反射行動で生まれる障壁に無効化され、負傷こそしないが敵の攻撃は僅かながらも停滞。

 塵芥に等しい攻撃を繰り返して発動を阻害し、白銀龍の翻意を促す。単純かつ絶望的な難易度の任務に眩暈を覚えながら、飛翔しかけたゆかりの全身が震動に晒され、へし折られた鉄柱に背を打ち付けて呼吸が詰まる。

 辛くも耐え、気配に引かれて空を仰いだゆかりは、空を埋め尽くす竜の軍勢に目を剥く。

「御心の為に!」

 本能に畏怖を植え付ける合唱と共に、竜の翼膜に刻まれた紋様が発光。百を超える大型飛竜の魔力照射で大気が張り詰めるが、天蓋を帆布に描かれる複雑な組成式のおぞましさに全身が総毛立つ。

 大気圏の防壁を突破した宇宙空間の固体物質。人が隕石と称する物体は、大きさ次第で生態系を根こそぎ破壊する甚大な被害を齎す。

 惑星内部で隕石を疑似生成し、敵陣に落とす。竜でも発動に難儀する大技『天蓋崩浄墜パクス・フォーリア』を、アルベティートは自身の魔力を竜に供給する事で二の矢としたのだ。

 おおよその全体図を視認可能なサイズから判ずるに、元の世界での大絶滅を引き起こした程ではない。彼の者は平原の全てを消滅させる範囲に留めたようだが、発動すれば白銀龍以外の生物が全滅するだろう。

 信じ難い決断に唖然とするヒトの目前で、発動準備を行う竜の口腔から苦鳴きが毀れ、軍勢の一頭が血涙を流しながら堕ちていく。比類なき頑強さを持つ竜にも『天蓋崩浄墜』発動は看過出来ない負荷が掛かり、脱落者はこれだけで済まない。


 同属をどれほど使い潰そうとも、敵対者を粉砕する。


 苛烈な意思を行動で示したアルベティートは止まらず。隕石の形成もまた然り。砲火の雨は更に苛烈さを増すが、両方を相手取るには到底火力が足りない。

 反撃の氷弾が大気を走り抜け、後方で炸裂音が轟く。到達よりも磨り潰される方が早いと察したゆかりは停止を強いられ、大義と現状打破との間で惑いが生じる。

 ――二回目をやれる保証はない。でも……。

「迷うこたぁないぜ! 俺達がいるからなぁ!」

 拡声器を介しても尚、どうにも真剣味の欠ける宣言が上から届く。同時に視界の翳りが生じ、狂乱の中にも関わらず声の発信源に目を向けたゆかりに、またしても己の正気を疑う事態が訪れる。

 竜すら凌駕する巨人が、大地を沸騰させながら降臨を果たした。

 氷像と骸の軍勢。両者の区別なく踏み潰した巨人は、火球の発射姿勢を執った竜を翡翠の拳で強かに打ち据えた。

 砲撃にも耐えうる強度を持つ竜の背部が、着弾と同時に爆散。断末魔の悲鳴を踏み躙って尾を掴み、出鱈目に振り回して数頭の竜を粉砕。粗暴な殺戮に恐怖を喚起されたか、動きの鈍った竜を更にもう一頭、大地へ叩き落とした。

 純粋な膂力で竜を挽肉に変えた巨人は、停滞する竜を一瞥し、音程の狂った獅子吼を上げた。

 忽然と現れた救世主の正体を、巨人の頭部で繰り広げられる騒々しいやり取りでゆかりは解する。

「もうちょっと丁寧に扱えよ! 財産の五分の三を突っ込んでるんだぞ!」

「勝てば儲かるんだろ? だったら気にすんなよ旦那。時間稼ぎは任せろユカリちゃん、俺と大将に秘策がある!」

 レミーの力強い断言に乗る形で、赤銅の装甲を纏った漢弩が巨人の頭部から踊り出る。地上と同様に空中を駆け抜けた男は、形成されつつある隕石の目前で口の端を歪めた。

「盤面から逃げても執着した殺しの技を、敗者の俺が大義の為に振るうとはな」

 述懐が世界に届く前に、漢弩の右拳が振るわれた。

 超高硬度の義手と隕石が激突を果たし、構築速度が急激に鈍化する。

破幻詠エクスプローディア』のような魔術や、ドラケルン人の咆哮といった手段で理論的には阻止が可能。しかし、阻止する側が格上でなければ確実に押し負ける。飛竜の軍勢と歴史から外れた男の競り合いなど、本来成立する筈もないのだ。

 あり得ざる事象を前に、呆気に取られた竜の頭上に無数の剣が虚空から顕現。不吉さを覚える程に鮮やかな色彩の剣は、白銀龍の咆哮で竜が戒めを解かれる寸前に降下開始。

 強固な装甲を擦り抜けたように入り込んだ剣は、燐光と化して形を失う。散った光が線となり空想世界の悪魔を形作った刹那、竜の軍勢が一斉に苦鳴を発する。

「竜の素粒を読み取って、個体専用の毒を精製したのか!」

「学会にも出してない、完全オリジナル『狂獣牙失楽宴イ:ビルスター』だ! 理論上は連中が生きている限り縛れ」

 拡声器越しに、レミーの生々しい喀血が平原に響く。

 遺伝子同様、生物の魔力回路は個体によって異なる。大気中の魔力を読み取り毒を生成するだけでも神業に等しく、敵が即座に生み出す抗体をも無効化させるのは狂気の沙汰。

 脊椎動物である以外に共通項を持たない、上位生物の魔力を一度取り込む工程は、人体に猛烈な負荷が掛かるのは自明。

 漢弩やレミーもまた、この一戦に命を賭しているのだ。

 覚悟を背に受け、ゆかりは炎の翼を背に宿し飛翔。白銀龍からの更なる魔力供給を受け、魔術構築を再開せんとする竜の間を擦り抜け前進していく。

 痛みを覚える程の風が、彼女が絞り出す速度を暗示する。飛竜の追撃を振り切る速度は彼女にとっても未踏領域。故に、不意打ちへの対応が遅れた。

「不敬者には死を!」

 毒々しい輝きを放つ紫竜が、ステーキナイフのような牙をぎらつかせ死角から接近。強引に軌道変更を試みるが、その先にも同じ竜の頭部が伸びる。

 突破が賭けになると判断し、ゆかりは急制動を掛ける。やり過ごして隙が出来るのを待つのは最善の決断だ。

 上から伸びてくる、六本の首が無ければの話だが。

「う……そ」

 複数の頭部を持つ生物は大半が短命で、長く生きる個体も戦闘力は極めて低い。複数の脳を機能させることが困難故のことだが、裏を返すと戦場に現れた個体は並みの竜を一蹴可能な実力を持つ。

 失速するゆかりを二十四の眼が捕捉。瞋恚を全身に宿して口を開く。突破口を開く為に紅華を構えるが、有機的に動き回る八つの首への狙いが定まらない。

「死ぬが良い」

「思うがままに振るえ。ボクが合わせる」

 宣告を上書きするように届いた青年の声。天啓にも思えた声に従い、正面の三本を見据えて紅華を振るう。

 解き放たれた熱波が八頭竜の酸弾を蒸発させ、その先にある三本の首を焼き払う。それに追従し、ゆかりの頬を掠めて抜けた白の剣が、残る五本へと走り抜けた。

 刻まれた線に沿って、勝利を確信した頭部が滑る。燃えカスと挽肉が混ざり合った物質を散らしながら、落下した頭部が白皙の大地を醜く汚す。硬直する巨体が掲げていた翼が、蒸発同然に消失。制御者が失われた胴部もまた、落下の途中で消失した。

 肩で息をしながら、急展開の消化を試みていると肩を叩かれ振り返る。そこに立っていたのは意外な人物だった。

「間に合って何よりだ。あの少年に、少しは借りを返せたかな」

「エリスさん、それにセルルさんも!」

 折れた聖剣を構えたエリス、片翼のセルルが降り立ち、殺到する氷の兵に武器を向ける。敗北を喫した二人の装備には綻びが目立ち、それぞれの代名詞は機能不全状態のまま。

 縛めから解かれた氷の兵が、エリスが右腕を軽く振るうと同時に蒸発。流麗な所作で動く、中腹で折れた剣に連動して白光が瞬き、敵の増殖速度が僅かに落ちる。

「君の相棒の言葉を確かめに来た。ボク達が食い止める、先に行け」

「嘗て頂点を夢見た私と、そこに連なるエリスが、心なきガラクタに負ける筈がない。前に進むんだ」

 言い残して背を向けた二人に黙礼を残し、ゆかりは再び飛翔。

 どれだけの策を講じようと、絶対強者にとって砂上の楼閣に過ぎない。すぐそこに迫る破綻を防ぐ為に天を翔けるゆかりの視界が、不意に開けた。


「誰が来ようと、打ち倒すのみ」


 端的な宣言。そして五本の剣が急接近。

 制御不能寸前ながら回避したゆかりの傍らを、白銀の爪が通過。着弾で爆散した大地が即座に凍結し、唯一無二のオブジェが平原に誕生する光景に息を呑む彼女は、打ち鳴らされた翼に吹き飛ばされる。

「……行くよ『紅華あかばな』ッ!」

 冷風に晒され凍結が始まった肉体を、炎で強引に活性化させ突撃。

 退路はない。いやそもそも、この戦いにそんな物は必要ない。

 自棄に近い精神で前だけを見据えるゆかりは、白銀龍が振り返ると同時に紅華を振り抜く。応射された白光に焔矢が打ち消され、激突で生じた煙でゆかりの姿が隠される。

 ヒトが持つ対竜戦闘の定石を知る白銀龍が、無数の氷剣を展開。天地に顕現した氷剣は竜や有志軍を引き裂き、凍結させながら白煙に突入。誰もが死を確信する状況を、巨大な火柱が打ち破る。

「異邦の力が障壁と成ったか。鬱陶しい」

 無造作に『剛練鍛弾ティー・ツァエル』が紡がれ、戦車砲の雨が発生。誘導に気付きながらも、砲撃の隙間を掻い潜るゆかりに白銀龍の頭部が接近。回避困難と即断し『奇炎顎インメトン』を紡ぎ、紛い物の火竜がアルベティートの口腔へ殺到する。

 超反応で口を閉ざして頭部を引くと同時、くぐもった炸裂音が生じて次手への反応が遅れる。失神寸前の意思に鞭を入れ、翼目掛けて横薙ぎの斬撃を放つが回避を許し、一文字の炎を空中に描くに留まる。

 二十メクトル超の巨躯が見せる、機敏な挙動に動揺する暇も与えらえぬまま、胴に追従して振られた尾が齎す豪風に煽られ落ちていく。

 落下の最中、横から飛んできた竜の亡骸が尾に直撃。跡形もなく粉砕される様に焦りを喚起された圧縮空気を更に噴射した刹那。暴力的な光条が意趣返しとばかりに一閃。

 彼方の司令部や巨人。果ては構築途中の隕石を凍結させる暴虐にゆかりは捕捉された。排除に成功したと言える状況でも届く、生の鼓動を察知してアルベティートが跳ね上げた前肢に、燃える紅刃が食らい付く。

 音速の突撃から繋いだ、渾身の刺突にも敵は小動こゆるぎもしない。それどころか爪が徐々に接近してくる。小細工が効かない相手への正面突破は、正しかったが死を招き寄せた。

「何故抗う? 貴様にとってこの世界は只の通過点、拘泥する必要などあるまい」

 ゆかりの耳に届いた声は、嘲弄の中に確かな疑問を含んでいた。

 突き詰めて考えれば、白銀龍の論理が正しい。所詮大嶺ゆかりは何れこの世界を去る者で、戦いに首を突っ込む道理はない。命を賭すなど、筆舌に尽くしがたい愚行に映るのは間違いない。

 どこまでも正しい論理を浴びたゆかりの手に、更なる力が籠る。

「来たばかりの頃なら、いえ今でも貴方の論理は正しい。……この世界で出会った人達は、私にとって掛け替えのない存在です。彼等の死を傍観して帰るなど、出来る訳がありません!」

「ヒトは勝手な生物だ、安寧に身を置けば全てを忘却するまで。貴様の感情は欺瞞に過ぎん」

「欺瞞で何が悪い!? 貴方が種の論理を振りかざすなら、私も私の論理で戦う。貴方のような存在に、ヒビキ君を殺させてたまるかッ!」

 苛烈さを増す圧力に骨が軋み、凍結が翼にまで及ぶ。掛け値なしの絶体絶命に陥りながらも意思を示したゆかりは、本能が発する危険信号に背いて血肉を沸き立たせる。

 首元のネックレスが一際強く輝き、新たに背を突き破って屹立した炎がアルベティートの腕に絡み付いて鱗を灼く。

 一筋の希望を垣間見たゆかりだが、魔術の展開に割かれていた左腕が自身に向かう様に、思考を強制的に止められる。

 五指の爪には異なる組成式が刻まれ、運の介入をも叩き潰さんとする意思を明朗に示す。片腕だけで全てを絞り出しているゆかりに、もう片方を止める術などない。

 世界が急失速し、遅々とした速度で左腕が迫る。進退窮まった状況で視界が白に染まっていく中で、蒼の流星が迸った。

 死角から蒼刃がアルベティートの左手首に命中。落下速度と卓越した技巧が掛け合わさった一撃で、龍の手が完全切断。噴水の如く血を噴き出して戦場の空へ飛んでいく。

 負傷した怪物は無数の『牽氷槍ジェレット』を発動。音速で飛来する氷槍を、異刃で受け流した乱入者は、擦過音をも置き去りにして着地。

「不完全だが、俺の攻撃もアンタに届くらしいな」

「ヒビキ君!」

 全身に重度の凍傷を負いながらも、そこに現れたヒビキは確かに生きている。降下したゆかりを一瞥したヒビキは、抜刀体勢を執りながらアルベティートに視線を戻す。

「どうやってここに?」

「ルチアが道を開いてくれた。向こうの状況は予想より悪い。追加で誰かを飛ばすのは無理だ」

 既に再生を始めている左手が示す通り、全開状態のヒビキもアルベティートに致命傷を与えられず、頭部や胸部への正確な攻撃は飛行能力を持たない為に困難。

 停滞の間にもアルベティートは『断罪ノ剣アポカリュート』の構築を進め、左腕の再生を完了させた。既に多大な犠牲が払われ、今も戦いが続いている以上、これ以上を望んではならない。

「二人で終わらせる。俺が道を開く……行けるか?」

「勿論。その為に、私はここにいるんだから」

 撤退は道に背く行為で、この問いはあくまで意思確認に過ぎない。だが、ここで否と答えれば迷わず撤退に切り替えるだろう。

 ヒビキの愚直さと、独善を是としない潔さは、危地であろうと変わらなかった。


 そのような彼だからこそ、ゆかりも盤面に登りたいと望んだのだ。


 やり取りを終えたヒビキは、首肯を残してスピカを投擲。

 超高速移動でアルベティートの正面に到達したヒビキは、達人の速度で振るわれた腕に真っ向から挑む。

 閃光を次の一手で生まれた閃光が搔き消す。

 幻想の極致と形容すべき剣戟の傍らを抜け急速上昇。白の天蓋を突破し、無責任なまでに青い空を仰ぎ見たゆかりは、背の翼を一回り巨大化させ身を翻す。

 逆回しの如く移ろう視界が再び戦場を捉えた時、白銀龍が號と吼えた。

「その身に刻め。『審判ノ氷陣アルビテラクス』」

 超局所的な猛吹雪が発生。大地が雪に包まれ、無数の氷柱が屹立して平原の光景が一変する悪夢を裂いて、白く染まったヒビキが氷片を足場に踏み込む。

「『終閃蒼刃・零式』スラッシュ・オブ・スピカ・ゼロクスッ!」

 持ち主と一体化した蒼刃が、白銀龍と交錯。至近距離のゆかりさえ、両者の挙動が見えない異次元のやり取りで、天蓋の白が大きく裂けた。

 駆け抜けたヒビキは、腹に大穴を穿たれ血の尾を曳いて堕ちる。対する白銀龍の頭部には一本の斬線。道理を覆す現実に硬直する巨体から、切り刻まれた肉片が落下する。


 居合の極致と形容可能な抜刀斬撃は、世界の頂点へ確かに届いたのだ。


 心胆を震わせる絶叫を上げ、痛みに身を震わせる白銀龍が出鱈目に氷弾を乱射。牽制を行いながら再生に移行するが、動揺がスピカの形態変化に対する遅れを招く。

 明滅する瞳に獰猛な感情を灯し、ヒビキが引き金を引いた。

「アンタに俺の力が勝つ道理はない。けど、一瞬だけなら稼げる!」

 迎撃を掻い潜り、水槍がアルベティートの全身を穿つ。

 貫通せずに留まった水槍が凍結し、白銀龍の動きを縛る。本来の流れに繋ぐことは、力を使い果たしたヒビキには不可能。不意打ちで束縛が叶っても、既に水槍は崩壊を始めている。

 道理を突き詰めれば当たり前の現実がある。痛い程理解しながらも尚、ヒビキは悪辣な仮面を外さない。

 彼が託した紅は、闘気を具現化させたように揺らめきながら宙を墜ちていた。

 右腕に炎を宿したゆかりが、紅華と共に加速。一振りの戦槍と化した彼女は、展開された『輝光壁リグルド』を蒸発させて突進。鱗や肉が沸騰する光景に危機感を抱いた白銀龍が、遂に後退を選択。

 巨体が蠢動する寸前、紅華の切っ先がアルベティートの胸に届く。

 彼の者の強靭な防御を砕き、焼き払い、蒸発させながら紅刃が進撃する。荒れ狂う世界から切り離されたように、自己を守ったゆかりは更に加速。

 瞬の拮抗の後、決定的な破砕音が平原に響いた。


                   ◆


「GOOOOOOOOOOO――!」

 赫怒の咆哮に意識が暗転。

 すぐに覚醒を果たすが、凍土に叩き付けられ腕が折れる。取り落とした紅華を左手で拾い上げた時、ゆかりを庇うように立っていたヒビキは、紙のように白く染まっていた。

 視線を辿って顔を上げ、答えを得たゆかりもまた、絶望に身を侵される。

 穿ち、内部を焼いた胸の傷から氷柱が次々と屹立していく。

 紅華が放つ炎の特性によって、短時間での再生が難しいと判じたアルベティートは、反逆者の排除を最優先としたのだ。

 乱立する氷柱の一つ一つから吹雪が放たれ、平原中から悲鳴が上がる。至近距離でそれを浴びる二人もまた、全身の凍結が加速する。

「ここで貴方が斃れれば、惑星の秩序が狂う! それでは本末転倒でしょう!」

「退いてどうする!? ヒトが我等に、惑星に何をしたか!? 殊更に振りかざす誓約も、ヒトは決して履行しない! 我の命に代えてでも、まずこの地でヒトを排除する!」

 白銀龍の背後に『五柱図録』が描かれ、その輝きは空を強引に書き換えていく。

 見渡す限り白に染まった空の下、人造の巨人が頽れ、屍の軍勢が塵芥と化し、極彩色の剣は存在そのものが消えた。

 訳も分からず硬直する他ないゆかりの前で、ヒビキが汚液を吐いて膝を折る。

 支えようとして叶わず、自分も地面に転がったゆかりは、小刻みな痙攣を繰り返すヒビキの左眼から光が消え、義肢に亀裂が刻まれる姿で答えに至り雷撃が走る。

「平原の魔力を全部吸収している!? そんなことをすれば、貴方の同胞も死んでしまいます!」

「『大義の為に少数の犠牲は不可欠』ヒトの論理に基づいてヒトを破壊する。我が死せば、別の強者が『エトランゼ』に成り代わるだけのこと。卑劣な貴様等と我等では格が違うわ!」

 制止を一顧だにず、アルベティートが発動態勢を整えている間にも、後方から命の消える音が生まれ、ヒビキの口から悲鳴が毀れる。

 血晶石も吸収対象に含まれるなら、遠距離魔術に特化した砲台も機能停止する。死が迫りながらも天命を果たさんとする竜を、純粋な膂力では止められない。

 幾重にも奇跡が重なり吸収を止められても、本丸のアルベティートが健在なら『断罪ノ剣』で全滅する。

 あらゆる要素が敗北を示す状況で、ゆかりはヒビキを地面に横たえ、紅華を杖代わりに立ち上がる。

「……駄目だ、使ったら死ぬぞ」

「大丈夫、必ず勝つから」

 制止を試みるヒビキに出来損ないの笑みを返し、やけに重く感じる足を上げ、アルベティートに向かって歩き出す。

 瞑目し、深い呼吸を一度行う。ここに在る現実は悪夢そのものだが、不思議と思考は冷静さを増していく。

 周囲の魔力を吸収しているのならば、力の根源が異なる世界に在る自分が立っていられるのも、ルチアが切り札に据えたことも道理。

 開かれた目に紅を宿したゆかりの体内が熱を帯び、哄笑にも似た音と共に炎の翼が背に屹立。身を侵さんとする冷気を押し返して揺れる翼は、瞬く間に身の丈を上回る程に巨大化し、ゆかりの体を再び空へ導く。

 腕に走っていた赤い脈から炎が生まれ、紅華と一体化する形で肥大化。竜ともまた異なる異形の右腕を構えたゆかりは、アルベティートを見据えて始動。

「一撃で……終わらせるッ!」

 翼から噴射される猛烈な圧縮空気で空を掴み、彼我の距離を詰める。反抗の意思を示すゆかりごと、全てを消し去らんと白銀龍が遂に『断罪ノ剣』を展開。

 目的は正反対だが等しい選択を下した二者の力が放たれ、未知の破壊が引き起こされる寸前。空に巨大な二つの門が出現し、両者の力が強制的に停止。

 翼を失って墜落するゆかりは、最後の力を振り絞ったヒビキに受け止められる。またしても救ってくれた少年に謝意を示す前に、開かれた門から果たされた巨大質量の顕現に絶句する。

 翼を持たず、四肢が鰭状となって高速遊泳に特化した流線形の巨体と、角や口こそ龍の特徴を有するが、全体が鮫に近似した頭部。感情の起伏が読み辛い瞳が、平原を静かに見下ろす。

 もう片方の門からは、細く絞り込まれた胴部と、空全体を覆い尽くさんと錯覚させる程の翼と長い尾が顕現。細い槍のような器官を各部に持ち、正統派の竜と言えそうな形状の頭部は、蒼白い輝きを放つ。

「……『淵海龍えんかいりゅう・オルケレルス』に『天空龍・カルエフィアラ』」

 ヒビキが呻くように発した名を、ゆかりも知っている。

 現代に残る龍は三頭。現れたのは、歴史の舞台から姿を消した二頭だ。

 前者はメガセラウスと互角に渡り合い、後者は宇宙空間にも適応し小惑星を軽々と破壊すると伝えられている。

 即ち、アルベティートと同等の実力者であり、そのような者が現れる意味は愚者でも分かる。

 二者の介入で無効化された仕掛けをもう一度行う力は、ゆかりに残されていない。首の皮一枚繋いだヒビキは戦闘不能で、残る有志軍は彼よりも悲惨な状況。

 勝ち筋が完全に失われ、悲鳴すら上げられないヒトを二頭の龍は静かに見つめ、やがてカルエフィアラが音を紡ぐ。

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