13
「矛を収めるのだ、同胞よ」
厳かに発せられた宣告に、平原にいる全員の時間が止まる。
それはヒトのみならず、アルベティートにも同じ物を齎し、平原に不気味な沈黙が生じる。
「貴様等、己が吐いた意味を分かっているのだろうな」
沈黙を打ち破る形で発せられた、怒りが煮凝ったアルベティートの問いは、彼の者の視点に立てば至極真っ当な物だった。
予想外の傷を負いはしたが、戦況はアルベティートの圧倒的優勢。有志軍に逆転の術は最早なく、体勢を整えるにしても彼等を皆殺しにしてからにするべきだ。
敵対者を残して撤退するのは、アルベティートにとって無意味な利敵行為に他ならない。ゆかり達以上にそれを理解している筈の存在が、撤退を促す意義を見出せず硬直する場を天空龍の蒼白い眼が一瞥。
やがてヒビキとゆかりに向けられた宝玉の如き眼は、形容し難い感情を湛えたままアルベティートに戻され、カルエフィアラが口腔から音を紡ぐ。
「正誤の審判を行うならば、お主の主張が正しいだろう」
「私達とて、多くの同胞をヒトの手で喪った。その苦しみを忘れたことは片時もありません」
追従する形で放たれたオルケレルス共々、カルエフィアラは攻勢に出た同胞の選択を肯定する。二者の論理の着地点を見出せず、只々硬直するヒトを他所に龍の啓示は続く。
「ヒトが惑星を汚し、同属に留まらず生命の理を蹂躙してきたことは事実。死の定めを超えたそこの少年も、惑星の支配者を僭称するヒトの過ちとも言えるだろう」
「肥大化を続けるヒトは、私達が観測した以上の過ちを積み重ねることでしょう。それでも、私達が率先して戦を引き起こす必要はないのです」
玉虫色の言葉を並べる二者に、アルベティートが憤怒の咆哮を上げる。負傷を忘れさせる圧を発する龍は、観劇者全員に死を予見させる厖大な魔力を全身に纏う。
怯えるヒトが存在していないかのように、龍同士が視線を交錯。沈黙を破ったのは、白銀龍の側だった。
「惑星の守護が我等の務め。捨てて逃げた貴様等に、賢らに語る権利などありはしないッ!」
「では問いましょう。我等が手を組んで戦いを挑んだとして、この者達を屠ることは可能です。その後、人類全体に闘争を挑めば、どうなりますか?」
「人類への憎悪を共有していようと、その他の種族は龍属と協調出来る筈がない。先に待つのは、全種族で繰り広げられる泥沼の闘争だ」
朧気ながら、乱入者達の思考がゆかりにも読めてくる。
三頭の龍が並べば、当地に詰めている有志軍を一瞬で全滅させられる。だが、全人類が相手となればどうだろうか。
アークス主体の召集に、無視を決め込んだ国や強者も彼の者達が動けば、国や国民を守る為に死力を尽くす。
極めて低いが人類側にも勝算が生まれ、竜も軽んじられない損害を被ることは目に見えているが、カルエフィアラの指摘通り問題は人類を滅ぼした先にある。
人類に対する憎悪こそ一致すれど、たった一つの頂点の座を前に生物は団結出来ない。泥沼の戦争へ突入することは避けられず、惑星全土にまで戦果は及ぶ。
単純な戦闘能力で優越する竜に対し、他種族が同盟を組む可能性も十全にあり、竜達にも確実な勝算はない。
他種族を滅する為に振るわれた力は惑星を汚染し、環境の悪化が更に進行することも確か。荒廃しきった惑星の頂点に立つことに、どれほどの意味があるのか。
人類滅亡による利と、その後に待ち受ける危険を天秤に掛けた撤退宣告は、場の全員に重く響くが、アルベティート程の実力者がこの論理を理解していない筈がない。
事実、白銀龍の感情は烈しさを増し、淵海龍が防壁を展開するまでに至っている。趨勢を見守るしかないゆかり達を他所に、轟音が響き渡る。
「ヒトが誕生してから一万年だ。その一万年で、どれだけの同胞が失われた!? 我等竜は種の七割が失われた、他の生物種も、多様性を大きく喪失した。力を持つ者が崩壊を止めねばならぬ、観測者を気取り盤面から逃げた貴様等の戯言は不愉快だ!」
「そうではない、そうではないのだ」
天空龍の言葉に寂寥が宿る。意見の相違によるものと異なる何かが起因しており、その答えに至ったゆかりは、恐怖を振り払って口を開く。
「……貴方達竜は四億年以上前に爬虫類から分化し、生存競争に勝利して発展した。人類との戦いで敗れ去った者達も、突き詰めると生存競争の敗北に過ぎない。
生存競争に於ける敗者の遺志を旗印の一つに掲げ、数百年という短い単位で支配者を気取る、人類を同列視して戦いを挑む思考は、悠久の時を生きる龍ではなく最早ヒトに近い」
二頭の龍が地鳴りのような深い息を吐き、アルベティートの眼に亀裂が走る。
惑星の守護者として立ち上がった『エトランゼ』は、強靭な肉体と意思を持ち合わせて他の生物達の旗印となった。だが、龍の世界はアルベティートが示す通り億という単位で動く。
それだけの時間が流れれば、頂点を気取っているヒト属は必ずどこかで滅びている。ここで多大なリスクを犯す意味は、龍には存在しないのだ。
白銀龍が理解していない筈がない。他種族を蹂躙して君臨することを是とする龍でありながら、人類によって理不尽な絶滅を強いられた生物達の悲嘆に耳を傾け、心を痛める慈悲深さがあったからこそ、彼の者は龍のあるべき形を捨てて動いたのだ。
矛盾を改めて突きつけられた龍は、暫くの間呼吸すら忘れて硬直する。
「違う、私は――」
葛藤を示すように絞り出され声を遮り、氷で象られた剣がアルベティートの周囲に顕現し、巨体を隠す。
次いで場に生まれた、人の目を焼く鮮烈な白光が消えた時、人類に戦いを挑んだアルベティートの姿は何処にも無かった。
戦いの結末は、あまりにも呆気ないものだった。
縛めから解き放たれたゆかりを、残る二頭の龍は興味深そうに見つめる。機先を制して、天空龍が蒼眼を瞬かせる。
「永遠の生命や強大な力を持ち、悲嘆の声や血が流れる光景を見続ければ使命感が生まれる。変えられる力があれば、変える為に動いてしまう。此度の戦いはそのような物だったのだろうな。……今の奴に必要な物は、思考を整える時間だろう」
「……アンタ達の言い分なら、勝ちの目が出れば戦うってことだろ。結局の所、まだ火種は消えた訳じゃない」
「無論。龍は貴方達との闘争を恐れない。利害の一致と『茨姫』との約定に基づき馳せ参じましたが、ヒトへの憎悪は有しています」
顕現時と同様、空に開かれた門へと巨体が沈んでいく。呼吸すら忘れて立ち尽くすヒトを悠然と見下ろして、後退する龍は宣告する。
「ゆめゆめ忘れるな、我等は闘争を恐れない。決戦の時が今ではない、それだけの話だ」
「貴方達との再戦が訪れないことを、僅かながらですが願っています」
傲慢な宣告を残して、救世主となった龍は去った。
嵐のような出来事を前に、立ち尽くす他ない二人に強い光が差し込む。
白銀龍による結界の解除で、正しい昼夜の概念が復活した平原に朝が来たのだ。
数日間に過ぎないが、久方ぶりに浴びた朝日への感慨に耽る間もなく、暴かれた地獄に二人は息を呑む。
白銀の大地を塗り潰すように赤が塗られ、個人の識別が付かないまでに損壊した有志軍の亡骸が転がっている。破壊された臓腑や脳漿を彩りとする、歪な赤の大河は何処までも続いて吐き気を催す悪臭を放つ。
亡骸の隙間を埋めるように、完膚なきまでに破壊された武器が大地に散らばり、限界を超えた物から次々と砕け散っていく。
どこから湧いたのか、遠目で様子を伺う死肉食らいの奥に見える、総司令部もまた建屋の大半が無惨に消失して黒煙をたなびかせていた。消火活動が出来る者がいない事実が、彼等の疲弊を示していた。
嗅覚のみならず五感全てに届く噎せ返る死の臭いが、逆説的に自らの生を肯定する現状を前にゆかりは、そしてヒビキにも歓喜の色はない。
勝利と人類世界の存続を求めて、集った者は戦いに身を投じた筈だ。
だが、現実が提示したのは無数の死。一かけらの希望さえも見えない程の地獄を、死に物狂いで有志軍は作り出しただけではないのか?
紅華を己の足に捻じ込む。
鋭い切っ先が齎す痛みで、目を背けたくなる衝動を強引に黙らせたゆかりは、黙したまま死の世界を見る。
可能性を繋いだ自分と逝ってしまった者達の道を分けたのは、只の運に過ぎない。
この地獄を魂に焼き付け、時に己の非力を悔悟し、果てなき恐怖を忘却という逃げ道に向かわせることなく前に進む。
幸運にも生き残った自分に出来る弔いは、これしかないのだろう。
何の因果か、他人事のような虹が空に架けられる。
残酷なまでに対比する光景の中で、希望に縋った愚者達は静かに動き出す。
望んだ筈の未来へと、歩き出す為に。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます