14:悪足掻きは空のかなた
甲板に着弾した水塊が弾け、大気流に乗って流される。
再び視界が開けた甲板に在ったのは、無慈悲な現実だった。
「全員生きてるか。上等上等」
トリアイナを肩に担ぎ、鼻唄交じりに宣ったメガセラウスの先。
各々の武器を杖代わりに辛くも立つ、蓮華達の姿があった。
直撃こそ免れたものの、超質量の打撃で折れた肋骨が肺に刺さり、呼吸のリズムがくるっている。右足も明後日の方向に曲がり、津波に混ぜられていた金属片が太腿に刺さって出血が止まらない。
全てを認識すると、完全に心が折れて終わる。思考を打ち切って無言で水彩を構え直すと、傍らからネバついた咳が届く。
「厳しいな」
呟いて口元を拭うハンナも、内臓を損傷したのか呼吸の度に血を溢している。フラスニールこそ穢れなく輝いているが、持ち主の肉体は遅れを取りつつあるのが実情だ。
劣勢ながら踏み止まっていた状態から、一撃で敗北寸前に追い込まれる。彼我の力量差を改めて突きつけられた蓮華の目は、無意識に盤面を保持する機構に向かう。
――まだ機能しているが、派手に壊れたな。メガセラウスの魔術を受けて動いているのが、そもそも奇跡か。
残された時間は極めて少ない。焦燥に身を焼かれる蓮華を、無機質な輝きが射抜く。怖気に身を任せて転がった蓮華の傍らを、金属の魚群が通過。大半は甲板に激突して絶命するが、一部の個体が身を翻す様に目を剥く。
水彩で捌き切れなかった個体が左肩を穿つ。激痛でたたらを踏む蓮華を、突き込まれた三叉槍が急襲。
直撃は死を意味する故、咄嗟に発動した『
「楽しくないなぁ。もっと先にあんだろ、魔剣継承者の限界はァ!」
「何という……力だ……!」
腕が伸びきった状態で敵を圧し、そこから攻勢に転ずる膂力は異常に他ならない。持てる全てで応戦するハンナも、このままでは串刺しにされて終わる。
彼女の苦鳴を背景音楽に、検討と選択を終え魔術の構築を開始する蓮華の傍らを、一迅の風と化した頼三が駆け抜ける。
「その傲慢が貴様の敗因だッ!」
嗤う鬼が半月の刃に描かれた戦斧『鬼ヶ島』を掲げた老戦士は、伸ばされた左手を掻い潜って射程圏に突入。
甲板に亀裂を刻む、踏み込みで放たれた戦斧がメガセラウスの胸部に着弾。刃を覆う『
『エトランゼ』の基盤が自然界の生物である以上、内臓への負傷は看過出来ない。剛力による一撃に、雷撃魔術が上乗せされれば大抵の敵は沈む。
煙に覆われたままの大敵へ射撃魔術が殺到。更なる赤が舞い、船上に激震と快哉が上がる。唯一の勝ち筋と思える組み立てが嵌ったが故、戦士達が抱いた希望は、塵芥から届く哄笑に粉砕された。
塵芥を引き裂き、赤い尾を曳いて人型が飛んでくる。
「頼三! 全員、受け――」
飛んできた頼三を受け止めきれず、蓮華達は甲板に叩き付けられる。追撃を警戒しながら、老戦士の引き千切られた右腕や削られた腹部の修復に団員の大半が移行。
停滞を他所に塵芥が晴れ、傲然と立つメガセラウスの姿が暴かれる。急速に塞がれていく胸部の、その内側を垣間見た蓮華の顔が引き攣る。
「胸を狙うってのは何も間違っちゃいねェな。けどよォ、ここまで姿を変えられるのに胸の弱点だけがそのまんま。ってなぁ変だろ?」
軟骨魚綱に分類されるサメは、心臓を保護する肋骨の類が脆い。競合する肉食生物が胸部を攻撃して臓器を破壊する習性に倣う形で、頼三はメガセラウスの胸部に攻撃を仕掛けた。
超進化を果たした強者故、海竜の脊椎に伍する強度を有しているだろうが、それでも他の部位より弱い筈。生物学的な特徴から希望を見出した一撃が、何の救いも齎さなかった衝撃は、単に魔術を破られるよりも精神的に重い。
要の一人が戦闘不能に陥ろうと、蓮華に迷いが生じようと戦いは止まらない。猛進するメガセラウスが振るい、突き込んでくる三叉槍は、ヒトの仕掛けを易々と破壊し、応戦した者から骨肉を奪い去っていく。
治療が遅れたハンナの首を取らんと、槍を引き絞ったメガセラウスの左後方で爆発音。無視して動く怪物の後頭部に鈎が突き立ち、肉が削ぎ取られる。蠅を払う所作で翻ったトリアイナが、暴かれた頸動脈を狙う千歳を弾き飛ばす。
僅かな隙に『
「ドラケルン二匹ならともかく、オメーの攻撃なんざ――」
笑声が途切れ、引きかけた左手が弾ける。
蔦のように分化した水彩の刃が掌を穿ち、体内で伸長していく。再生作用による強引な追放を試みるメガセラウスの顔面を水槍が捉えた。
ダメージこそ軽微ながら、連続射出で水に埋もれた頭部が上を向く。視線が逸れる様に生じた動揺を振り切り、更なる力を籠めてハンナは敵の両断を狙う。
表皮を引き裂き、堅牢な肉を突き崩した白銀の刃が、メガセラウスの骨に到達。全身を隆起させ踏み込むハンナの腹部に、返礼とばかりに水槍が通過。
大穴を穿たれよろめきながら後退する、ハンナへの感情を封じた蓮華は水彩の刃を戻し、振り下ろされたトリアイナを絡め取りに掛かるが、軌道を逸らすことが精一杯で膝を付いてしまう。
堅牢な結界が爆砕される光景から、目を背けようとする本能を捻じ伏せ水彩を床に突き立てる。
刃に籠められた魔力が衝撃で拡散。蓮華の周囲に舞い上がったそれらは、水彩と同じ湾曲した刃、即ち『カタナ』に転じてメガセラウスへ襲い掛かる。
「奥の手はこっちにもあるんだよ」
「奥の手ってのは、このガラクタ遊びのことか?」
右腕一本で旋ったトリアイナが、光刃を粉砕した。引き戻される過程で援護射撃を弾き返し、放った側の団員から悲鳴。
仕掛けが呆気なく瓦解した現実に抗うように、裂帛の気合と共に踏み込むが不発。右肩に熱が弾けると同時、腹部に巻き付いた鎖に引かれメガセラウスとの距離が開く。
遠ざかっていく人型の鮫の胸郭が膨張。理屈ではなく本能が紡いだ『
利き腕を真っ先に再生し、戦闘続行の意思を示した蓮華の傍らにハンナが駆け寄る。表層的な部分を整えた彼女にしても失血で顔から色が失われ、限界が近いが労る余裕などなかった。
奇襲目的の『千本桜』を発動前に潰され、ハンナや頼三も押し負ける。直線に強さを誇示する怪物相手に、考えうる奇策は無効化される。
文字通り、詰みに追い込まれた。
「そろそろ終いか? 頑張った方だ、名誉が残るように殺してやるよ」
平坦な宣告と共に、メガセラウスが三叉槍の穂先を天へと向ける。
先の『
一握の勝ち筋を探し、どこにもそんな物がない現実に突き当たる。
左手から擦り抜け落ちて行く水彩を、傍らから伸びたハンナの手が掴む。
「見届けるのだろう、運命の結末とやらを。ここで死ぬのが運命か? そうではない筈だ」
フラスニールを持つハンナに、畏敬はあれど恐怖はない。
窮地に立たされようとも尚、彼女は勝利を信じている。まさしく槍の如き直線の意思を前に、蓮華は押し付けられた水彩を強く握り込む。
「奴は底を見せていない。『断罪ノ剣』を頂点と見て、アレを凌いでもまだ先があるんだぞ」
「そんなことは分かっている。相手は生物である事を誇りとする『エトランゼ』の一柱だ。ユカリ・オオミネの世界であればいざ知らず、この世界に完全生物など存在しない、必ず道はある」
理屈を飛び越えた力強い宣言が、蓮華の心胆を強かに打ち据えた。
進路の先に避けられない障害があるのなら、何であれ排除する。そこに同情も妥協も不要とする思想は、間違いなく決闘者だけが持てる物で、根底から異なる蓮華には真似出来ない。
だが、ここで死を許容すべきでない理由は彼も持ち合わせている。語った相手にそれを突き付けられる己の滑稽さを痛感しながら、充填を続けるメガセラウスへ視線を戻す。
発動された先について、思考が逆説的に不要となった今、停滞はこちらへの救いとなる。持ち札を洗い始めた蓮華の目に、千歳の手が振られる様が映る。
『団長、一つ気付いたことがあります。偶然かもしれませんが……』
団員とハンナ以外に解読法を知らない、水無月家特有の手話で示された『事実』の提示は、脳内に掠りもしていなかった可能性を示す。
幸か不幸か、実行する余力は辛うじて残っている。勝率を上げる為に一発勝負の回避を是としていたが、この戦いでは無視せざるを得ない。
『死ぬなよ』
『えぇ、勿論!』
ハンナが急速後退し、千歳が前に出る。
集団で最弱の存在が単独で接近する様に、メガセラウスはさしたる感情の起伏を見せずにトリアイナを一閃。両者間に存在する物質を押し流す瀑布を、千歳は跳躍で回避。短刀『夜鴉』を構えて人型の鮫の傍らを抜けていく。
残る左手が、颶風と化した少女に着弾。脊椎から四肢に至るまで、強かに打たれた矮躯の少女は原型を保てず空間に弾ける。
腕を戻したメガセラウスの目前。弾けた赤の泉から無数の鴉が湧き出し、空間全体を埋め尽くさん勢いで増殖していく。
異常極まる光景に惑った怪物は口腔から水の刃を放ち、鴉を両断。圧倒的な威力で塵に変えていくが、すぐさま補充され総数は変動しない。
不毛なやり取りの最中、鴉の描く軌跡が実体を持ち始める。
ヒトの視力では捉える事さえ困難な『
強引に引き千切るのが最適解で、己が身に於いてそれは十全に可能。事実に基づき力を籠めたメガセラウスの足が、無数の千歳が『
軋り音を奏でながら上昇する怪物は、己の失策を悟って咆哮。大技の展開を止め、戒める千歳を早急に殺害せんと『奔流槍』を発動。
紡がれた槍は弾丸と化し、次々と千歳を消失させていく。補充速度を上回る速さで減少させていく過程で、トリアイナを引き寄せ構えたメガセラウスの上方に陰が差す。
「生ける神サマ相手に不敬かもしれないが……世紀の大博打と行こうか。……『
残る全員から魔力供給を受けた蓮華は、片膝を付いた状態で引き金を引く。
転瞬、人身の鮫に蒼の波濤が降り注いだ。
水無月家の秘奥『秘海降破衝』を自身の才に応じて低位化した『大海還降濤』は、生成した水を降らせる単純な代物。大質量の打撃は竜にもダメージを与えるが、その程度でメガセラウスが死ぬ筈もなく、水属性を主として行使する鰓呼吸の鮫に、溺死の類は全く期待出来ない。
膨大な魔力を浪費する最悪の愚策を選択した蓮華は、宙吊りのメガセラウスを見て嗤う。
「完全生物など存在しない。お前の言った通りだなぁ、ハンナ」
本来の姿とヒトの姿、選択を惑うように肉体の奇怪な蠢動を繰り返す『エトランゼ』に、先刻までの余裕はない。乱れ撃たれる低位魔術はめくら撃ちに過ぎず、明後日の場所を削るばかり。
「メガセラウスが水の魔術を浴びる時、必ず直撃を避けていました。本来の器官が機能しているなら、水など恐れる筈もない。偶然かもしれませんが、賭ける価値はあると思います」
奇跡に等しい人化は、メガセラウスにとっても容易な物ではなく、変化に伴い本来の器官はヒトの姿を取っている時には失われるのだろう。肺呼吸に転じた段階で水中行動に大幅な制限が掛かり、溺死するリスクすら抱えていたが為に、効果がない筈の水属性の攻撃に対して回避を繰り返していたのだ。
ヒトの槍術の習得にまで至った怪物が、この穴に気付かなかった筈がない。しかし、不慣れな形態でもメガセラウスは容易に敵を殺害する力を有し、鍛錬の過程で苦戦などしたことがなかったのだろう。
ヒトの流儀に則った逆襲に拘り、妨害を受けても尚上澄みに当たるハンナを圧する領域に辿り着く。自らの執念と技巧によって窮地に追い込まれたメガセラウスに視線を固定したまま、霞み始めた意識の中で蓮華は呼びかける。
「準備は出来た。頼むぞ、ハンナッ!」
託されたハンナの体内から、機械的な音が生まれた。
全身に埋め込まれた疑似回路が、生命維持から敵の殲滅へ移行。活性化していく肉体に炎が灯り、右腕を引き絞って突撃体勢を執る。
喪失を埋める義眼が激しくスパークを繰り返し、背を食い破って顕現した銀の剣が光条を発し翼を形成。
人類史の汚点たる機械兵と神聖なる竜。二律背反を具現化させたハンナが、地を蹴り飛翔。
自由を取り戻した右腕が振るうトリアイナを、飛燕の挙動で完璧に躱して間合いに到達。持ち主に応えるように眩く輝き、竜の牙を喚起するもう一つの刃が顕現したフラスニールと共に、一条の焔矢となって踏み込んだ。
「『
白銀の切っ先がメガセラウスの胸部に着弾。堅牢な胸骨を焼き、砕き、溶かして心臓を目指すが、相手も再生でそれを凌ぎ、全身から発する水槍でハンナを返り討ちにせんと足掻く。
翼や義肢の排熱孔から炎を噴射し、一段階上の領域を絞り出したハンナの手で、フラスニールが徐々に前進していく。
「がああああああああああああッ!」
竜をも征する暴力的な咆哮を奏でたハンナの姿が、世界から失せた。
白銀の閃光を連れて帰還を果たした時、ハンナは荒い息を吐きながら滑るように着地。
対して、彼女に背を向けたままのメガセラウスは、腹部に無惨な穴を穿たれ忘我したように浮遊していた。
力を使い果たしたヒトは、固唾を飲んでゆらゆらと揺れる怪物を見つめる。二の手は当然なく、相手が動けば今度こそ全滅が確定する。
審判を待つ罪人のように硬直していた者達は、メガセラウスの肉体が粒子と化して消失していく様を目の当たりにする。
「アルベティートが退いた。大将が退くならオレも……いや、違うか。これ以上やったらオレが死にかねない。とんでもない屈辱だが、退くしかないわな」
「……逃げるのか」
「その通り、無様で惨めな敗走だ。先代からの執念を活かしたレンゲ・ミナヅキと、失われた力を引き戻したハンナ・アヴェンタドールに、いやオメーら全員に、オレは負けたんだ」
敗北宣言を発したメガセラウスの姿が、徐々に薄らいでいく。『エトランゼ』だけが進入可能な空間への撤退と予測は付くが、止める術は蓮華達にない。
空が軋み、吹き荒れる風が一際烈しさを増す。
「また会おうや。まぁ、さよならでも良いんだがな」
生来の姿に回帰したメガセラウスの姿が、忽然と消えた。
見計らったかのように結界が途絶え、止まっていた空が再び動き出す。状況の変化に取り残された蓮華達は、阿呆のように立ち尽くしていたが、やがて勝利と生が現実であると五臓六腑に行き渡って緊張を解いた。
「やりましたね団長! 私達の勝利です!」
「相手が退いてくれたのが大きいけどな。けど勝ちは勝ちだ、よくやった」
駆け寄って来た千歳の頭を、雑に撫でる蓮華の手はまだ震えていた。
勝算の薄い賭けなど下の下。また死人を出してしまった以上、長たる自分がこの結果を誇ってはならない。
「貴方は他の御三家にも成せなかった事を成した。そして、貴方だから団員の皆が無謀な作戦に付いてきた。掴んだ勝利を、長が喜ばずしてどうする」
もう一人の立役者の言葉を、素直に受け取れる余裕はまだ戻っていない。肩を竦めて応えた蓮華は、脱力して甲板に身を預ける。
嘘を吐く利が何処にもない以上、アルベティートが退いた。即ち『エトランゼ』による侵攻は幕を閉じたのだろう。ひとまず、人類は滅亡の危機を免れたことになる。
しかし、ここで異邦人達を巡る物語まで幕引きを迎えたとは、蓮華にはどうしても思えなかった。
ここで打って出た理由は、明かされぬまま終わった。矛先が向いたことで、彼の者達が人類側の不穏な動きを察知したまでは推測出来るが、その先へ至る材料は不足している。
いずれにせよ、生き延びたのならば喜びに酔い続けてはならない。材料が不足しているのならば、自らの手で引き寄せていくだけのこと。
英雄とやらになろうと、水無月蓮華と水無月怪戦団の在り方と、そこに在る意思は何一つ変わりはしないのだ。
「進路変更な、アガンスに降りられるようにしてくれ。補給と……有名人との打ち合わせをしよう」
辛うじてそこまで絞り出した所で、水無月蓮華の意識は暗黒に飲み込まれた。
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