9

 強者による蹂躙劇の後には、凄惨な光景が残る。

 此度の対アルベティートでも例外ではなく、溶け始めた氷柱から人が吐き出されては死んでいく。破壊された兵器から垂れ流される油臭さや炎の臭気が、ぬかるんだ大地に歪な彩を添えて、唯一無二の地獄を形成していた。

 白銀龍の一時撤退から二時間弱が経過した頃、有志部隊による救援活動が開始され、生存者や原型が残っている死者は回収が行われた。

 再戦に向けての検討会、もしくは責任の擦り付け合いが行われている状況で、蛍光グリーンに包まれた生存者が一人、平原に立ち尽くしていた。

「すんませんね、手間かけて」

「一応隊長だしな。それに、約束したろが」

 ヒビキ・セラリフの友人の治療に足止めを余儀なくされ、最前線から引き離された結果、死を免れたレミーはデブリーフィングを放り投げて隊員を探していた。

 一人は最前線への帰還が遅れた為に無事。一人は両足を失ったが生きている。残る二人の内、片方は体を両断され死亡。

 最後の一人となったジェイク・ガーロフは、レミーが発見した時には肉体の六割が凍結していた。

 仕掛けの解明など不可能だが、肉体と氷が一体化している事実を踏まえれば、強制的に氷を引き剥がしても仲間は死ぬ。

 意識を保ったまま氷像と化し、窒息死するか。それとも凍死するか。

 いずれにせよ尊厳の類が欠落した死が迫る中で、レミーは異形の武器をジェイクに突きつける。

「悪いな。これしか出来なくて」

「約束守って貰えるだけでも上等でしょ。そんなのを信じられる所で死ねるんだ、故郷にいた頃じゃ考えられませんでしたよ」

「……もう一個追加だ。どこで眠りたい?」

 凍結の進行で思考を回すことすら難しい状態で青年は頭部を持ち上げ、出来損ないの微笑を顔に貼り付ける。

 白濁が止まらない眼には、死に行く者とは思えぬ強い意思が宿っていた。

「宿舎の庭に。残った三人で、ちゃんと埋めてください」

「覚えた。後は、任せろ」

 ヴェノムから放たれた『鉄射槍ピアース』はジェイクの首を貫通し、頭部とその下を分かつ。

 切り離されて凍結を免れた頭部を拾い上げ、手慣れた様子で防腐処理を施して専用のケースに詰めたレミーは、ヴェノムと部下の氷柱を交互に見遣る。

 状況と自身の力量を検分すると、どう足掻いても全員を救えなかった。客観的に見て、彼は最善の行動を取っており、それは自覚していた。

 道理で感情を整理御しきれる筈がないのも、また然りなのだが。

 アイデンティティたる奇怪な剣を背負い直し、レミーは最前線に背を向ける。

「……どう転ぶか、全く分からない。それでも、約束を守る為に俺は動く」

 レミーが決意を固めていた頃、ヒビキ達は暗澹とした面持ちを浮かべていた。

 繕いようのない惨敗を喫した結果、醜い責任の擦り付け合いこそなく粛々と会議は進行した。叩き付けられた実力差が齎す絶望によって、単なる事実報告だけで締め括られる、無意味な代物になったのだが。

「いい仕事をしただろう。そう気にする事もあるまい」

 乱入者にして全滅を回避した立役者の一人。

 処遇に難儀する立場の漢拏ハルラが発した、嘘偽りない賞賛は本心だろうが、発言のタイミングは誰が聴いても皮肉にしか取れなかった。

 初戦での全滅を回避し、トーレスのような後憂の種を合法的に葬った上で、再戦が叶うだけの資源は守り抜いた。

 政治的な目線ではルチアは完璧な仕事をした。彼女が全く狙っていなかったとするのは人が好過ぎる見方だが、払った犠牲を鑑みると到底釣り合わない。

 激しても許されるであろう、無礼極まる問いに四天王は黙したまま去った。

「……今言う必要があったのかよ」

「乗った以上は物言う資格がある。二の矢を期待していたのだが、難しそうだな」

 言葉を切り、男は医務室へ視線を向ける。

 二枚の切り札の内、肉体再生に時間を要するセルルの戦線復帰は絶望的。聖剣を破壊されたエリスの復帰も難しいのが実情だ。

 龍の攻撃を捌いた事実から『白光ノ騎士』は聖剣が無くとも戦力になるのは確か。更なる実力者の救援を待つより、彼の再起を促すことが妥当な選択。

 戦前に漢拏が示した危惧が的中した今、その術を誰も持たないのが問題となっているのだが。

「ヒトの普遍的な欲に訴えるのは? 僕達でもそれなら出来る筈です」

「エリス・ハワード・ルクセリスの私生活は清貧そのもの。俗世的な要素に依る再起は難しいでしょうね」


 正しさと勝利を掴み取る。


 掲げた理想を現実にすべく不要な物を切り捨てて鍛錬を重ね、実現してきた男にとって此度の敗北は人生そのものの否定に等しい。

 他の誰とも異なる歩みであるが故に、彼を理解出来る者もいなければ、別の策を探る時間的猶予もない。

 翼を欠いた状態の再戦は確定していて、その状況を悲観したのか欠席者も目立ったが、大虐殺を目の当たりにした今、彼等を批判出来る者などいない。

 重苦しい沈黙を抱えたまま退室しかけたヒビキ達は、軍服を纏った男に呼び止められる。

「ユカリ・オオミネさん、総司令がお呼びです。至急本部までお越しください」

 予想外の指令にゆかりのみならず、ヒビキ達も鼻白む。

 男がルチアの遣いであるのは確かだが、基礎的な戦闘力が最も低いゆかりを呼びつけるのは予想外。理由を求めても「本部で話す」の一点張りな上、誰の同席も許可しないと付け加えられた事で不信感は否応なく増大する。

「ここで争っても仕方ないよ。……行ってくる」

 不安と疑問を滲ませながらも、自身に言い聞かせるように道理を唱え、ゆかりは遣いに連れられ本部へ向かう。

「ユカリちゃんを追いかけたらダメだよ。絶対に揉めるから」

「しねぇよ。俺だってその辺りは分かってる」

 修理に出したクレストの回収に向かったフリーダに諭され、残されたヒビキは改めて先の戦いを振り返る。

 先触れを担った四頭も、世界の脅威に認定されていた。いずれ討伐せねばならなかった個体を全て撃破した事実は、召集の意義を一定程度証明していた。

 対アルベティートを担った本隊も、個々が世界の敵と成り得る実力を持つ者達が、役割に徹して戦いを繰り広げた。薙ぎ払われた事を責に問うなど、出来る筈もない。

 アルベティートの強さが人類の智恵や武勇、そして組織的戦術を無に帰す異次元の代物だった。言葉にすると非常に簡潔、そしてどこまでも残酷で救いのない現実に、ヒビキは唇を噛む。

 楽に勝てる自惚れはなかった。同時に、爪痕を残すことすら叶わない断絶は予想していなかった。

 刃に届いた異常な硬度の皮膚。瞬時の再生を果たす肉体強度。余技に等しい仕掛けで強者達を一方的に蹂躙する魔力。

 比肩しうるものなき絶対強者は、恐らく力の底を見せていない。すぐそこに迫っている再戦で、どのように立ち回れば届くのか。

 答えがどこにもない現実に打ちのめされながら、一旦自室に戻るべく歩き出したヒビキのジャケットから、小さな物体が転がり落ちる。

 身に覚えのない物体が、彼の財力では到底手の届かない軍用記録装置と気付くなり、悲惨な死を遂げたエルケ・トーレスの姿が脳裏を掠める。

 ――あの時、何かの拍子で入ったのか。……どんな運だよ。

 過去のいざこざで好印象を抱いていなかった者の遺物を、偶然の作用で手にする皮肉な巡りも、今は笑う気にはなれない。

 破壊しても良かったが、既に当人は死している上、そうする意義はない。ルチアに引き渡すべきと結論付けたヒビキは、持ち替えた時にボタンを押してしまった。

「昇進おめでとう。大学出て三年で主任はすげぇんだろ? 姉としちゃ誇らしいよ」

「大したことないよ。偶々ポジションが空いてただけだ」

「空いている時に推挙されんのはそりゃ実力だ。自信持てよ」

 現状から遠い平穏な喧騒と、そこから響く穏やかな声に身が跳ねる。エルケとその縁者と思しき者の私的な会話は、ヒビキの機械に対する理解度の無さによって、止まる事なく続いていく。

「表立って祝えないのは悪いけど、ダンが真っ当に育ってくれて嬉しい。父さんと母さんも喜んでるぜ、死んでるから分かんないけどさ」

「姉さんがお金を出してくれなきゃ、僕は出来なかった。そのせいで……」

「アタシは頭悪いし、何より二人が死ぬ前に前科者だ。それに、この仕事は性に合ってる。何も問題ないさ」

 黒社会との繋がりも相俟って謎に包まれていた、人種差別主義者の平凡な一面は、ヒビキの何かを強く揺さぶった。正体を理解する暇を与えず会話は進み、やがて終わりに向かう。

「『エトランゼ』討伐の部隊に参加するんだろ。……姉さんはもう生きていける。危険を冒す必要はないんじゃないか?」

「世界の敵だなんだを信じちゃいねぇし、ルチアもアークスも信用出来ねぇ。けど、ここでキメれば一生分の金が入る。まっ、アタシに何かあったら墓参りは任せる。馬鹿な道に走ったカスがいない方が、二人も喜ぶかもしれねぇしな」

「悲しいこと言わないでくれ。また一緒に行こうよ」

「ははは、そりゃそうだ。わりィわりィ」

 声が不自然に途絶する。ようやっと構造を解したヒビキが、再生を停止したのだ。

 苦渋を内包した右手が握り込まれ、壁を殴りつける。

「……分かったつもりになってた。……そうだ、そういうことだよな」

 何らかの気付きに至り、歩き始めたヒビキは迷いなく医療区画へ向かう。精神を蝕む苦鳴の合唱が響く空間の最奥へ到達するなり、ノックもなしに扉を開ける。

「君は……」

「すぐ出て行く」

 出迎えたセルルに雑な言葉を叩きつけ、ベッドに腰掛けるエリスの前に立つ。

 僅かなやり取りでも感じた、清々しいまでの自信は無惨に焼き払われ、辛うじて上げられた空ろな目は、その実どこも見ていない。

 有志部隊で唯一白銀龍と真っ向から対峙した彼は、聖剣を破壊されて敗北を喫した。生き延びただけでも十分という慰めは、二千年に渡ってイルナクスの、ヒトの守護者の役割を担ってきた血族には受け入れられる筈もないのだろう。

 敵の齎した惨劇を目の当たりにした者なら、彼を笑うことは出来ない。傷が癒えるまで待つべきと諭す理性を捻じ伏せ、ヒビキは更に一歩踏み出す。

「アンタはよく戦ったと思う」

「……慰めか? 何を言おうと、ボクは負けたんだ」

「事実はそうだろうよ。けど、負けたままで良いと思ってんのか?」

 意図に気付いたセルルの制止を敢えて無視して、ヒビキは言葉を継いでいく。

「アルベティートはまた現れるし、俺達は逃げられない。だったら、戦って勝ちに行こうぜ」

 名前を出しただけで、医療区画全域の空気が一段と重くなる。

 エトランゼの切り札たる『断罪ノ剣アポカリュート』どころか、龍独自の術技さえ使わず場を征した怪物は、生命体よりも津波や大寒波といった自然現象に近い。大自然を支配することを諦め、受け流すことで生き延びて来た人類の手に負えない相手と、全員が骨の髄まで理解した。

 勝ちに行くと宣言するのは綺麗ごとを掲げる阿呆か、理性と正気が司る領域から旅立ってしまった者のどちらか。いずれにせよマトモな思考回路ではない。

 ヒビキの宣言に滑稽さを覚えたのか、エリスの口の端が歪む。

「勝つ? どうやって? 君がボクの代わりを担うのか?」

「出来りゃ苦労しねぇよ。誰もアンタみたいに出来ないから考えてるんだろ。剣は折られてもアンタはまだ生きてる、だったら立てよ」

「何の責任も背負わず、都合の良いところだけ取って来た君のような男に、道理など語られたくない」

「エリス、それは」

「確かにそうだな。だから言ってんだよ」

 上に立つ者が言ってはならない暴論をあっさりと肯定され、放った当人やセルルが硬直する。

 栄光を受け取るだけの矜恃きょうじ。他者を惹きつける人間性。肯定されるだけの正しい努力。何もかもを持っていないとヒビキも自覚しており、そこを突かれようと心がざわめく筈もなかった。

 薄く笑いながら、雑に頭を掻く。

「全部正しい。だから戦うんだよ、死にたくないからな。……責任を背負って勝ってきたアンタ達にしか出来ない、そして望まれていることがある。考えるだけでもしてくれよ」

 締め括って医務室を辞したヒビキを、切り札と位置付けられた二人は見送る。

 気配すら完全に消えた頃、伸ばしていた手を降ろしたセルルが長い息を吐く。

「どう思った?」

 返ってきたのは沈黙。しかし、先程までと趣が異なっている事に、長い付き合いの女傑は気付く。

 彼の言葉は彼自身の経験や感性に裏打ちされた物で、全く異なる道程を歩んだエリスにそのまま適用出来ない。即座にエリスが再起すると考えるのは、楽観的に過ぎる。

 必要なことは、結論を下す為の十全な検討だろう。幸いにも、時間はまだ残されている。

「泣いても笑っても、次で決まる。落ち着いて考えよう」

 同じく敗北に塗れた女傑の言葉を受け、人生初の敗北に打ちのめされる騎士の拳が、強く握り込まれた。


                  ◆


 一方、医療区画を辞したヒビキは足早に自室へ戻り、扉を閉めて大きく息を吸う。言葉を交わした二人に気付かれなかった事に安堵した刹那、反吐をぶち撒けながら床にくずおれた。

 口から飛び出す黒い粘液を見る眼の焦点は狂い、抑え込んでいた冷汗が流れる顔は紙同然に白い。最後の一線を越えはしなかったものの、力を行使し続けた反動がここで来た事実に歯噛みするヒビキは、懐から取り出した小箱を開けようとするが失敗。

 床を転がっていく小箱に手が届かず、無様な痙攣を繰り返すに終わる。

「ヒビキ!」

 隣室故に異変を察したフリーダが、軽い音を立てて床を跳ねたそれを拾い上げ、錠剤をヒビキの口に捻じ込む。

 思うに任せない体を無理やり駆動させ、強引に嚥下した鎮静剤が数秒で作用して発作は収束するが、荒い呼吸を繰り返すヒビキの姿にフリーダの貌は晴れない。

 対するヒビキは、遅々とした動作で顔についた反吐を拭う。

「……助かった」

「力をセーブしろなんて言わない。けれど、もう少し引いても良いんじゃないか?」

「それじゃ何も出来ない。俺がここに来た意味もなくなる」

 遠距離攻撃を可能とする魔術に乏しく、砲撃もアルベティートの埃を払っただけで終わった。刀形態による接近戦で辛うじて傷を付けられたが、その戦闘様式では前進を強いられ、比例する形で被弾リスクは上昇する。

 一秒でも遅れれば死に至るが故の超高速再生と、有効打を生む為の全力解放を両立させねば土俵にすら立たせて貰えず、死を引き寄せていると知りながらもそれらを使わざるを得ない。

 究極の二律背反を背負い込んだヒビキは、友人の手を借りずに立ち上がる。色がまだ戻らない手を何度か開閉して機能を確認。全身を大袈裟に上下動させる呼吸を繰り返し、強引に平常運転に回帰させる。

「……大丈夫だ、まだやれる」

「何も大丈夫じゃないだろう。戦いの中で発作が出たら、体が自壊したら――」

 何かが落ちる硬い音で、やり取りが強制中断。発信源たるライラック・レフラクタが、杖を拾い上げることなく覚束ない足取りで室内に踏み込んでくる。

 床の反吐とヒビキ。そして所在なさげに目を逸らしたフリーダに何度も目を行き来させた果て。ライラは意を決したように口を開く。

「ヒビキちゃん、発作って、何? 自壊って、何? 私、何も聞いてないよ?」

「なんにもねぇよ。再生が追い付いて……」

「嘘言わないで! じゃあなんで、フリーダまでそんな深刻な顔してるのさ!?」

 十年以上の付き合いになる幼馴染に、口先の誤魔化しは通用しない。黙り込んだヒビキの姿と、彼のメンテナンスを担っていた経験によって、ライラはすぐに答えを掴む。

 この瞬間に限っては、場の誰もが望んでいなかった聡明さだったのだが。

「『魔血人形アンリミテッド・ドール』の力が命を削ってる。……このまま続けたら、ヒビキちゃんは死ぬってこと?」

 直球で投げ込まれた『正解』に、二人は何も答えられないが、この手の問いかけに於ける沈黙は肯定に他ならない。

 最悪の末路が是と突きつけられたライラは、ヒビキの襟首を掴む。されるがままの状態で、しかし顔を明後日の方向に背けた幼馴染の様に苛立ったように、彼女の頬が紅潮する。

「言ってくれたら、父さんでも何でも使って、変えられたかもしれない! なんで、私には黙ってたの!?」

「ライラ、ここで騒ぐと……」

「隠してたアンタは黙ってて! 義肢や内臓だって、他の選択肢はあったよね? ちゃんと相談してくれたら、成長した今なら安全な物に替えられたよ。ねぇ、どうして!?」

 何度も揺さぶりながら問いを重ねるが、ヒビキは沈黙を守る。その姿を見てライラの怒りは更に過熱する。

「戦って苦しむなら、死ぬかもしれないなら、もう止めようよ! 別の道だって選べるんだよ!」

「はぁ?」


 切実な願いに、地を這うような低い声が返される。


 彼女の知るヒビキから遠く離れた声に、ライラの動きが止まる。無数の感情が行き交った結果、一瞬表情が消えたヒビキを見て、フリーダが制止に動くが遅い。

「ここで止める? なに言ってんだお前……ここで俺が止めたら、皆なんのために死んでいったんだよッ!?」

 雷撃の如き激情を乗せた咆哮が、室内を打ち据えた。

 縁の深いクレイトン・ヒンチクリフから、不愉快な敵でしかなかったエルケ・トーレスまで。一瞬でも道を交え、そして通り過ぎて行った者達は譲れない物を抱えて戦場に臨んだ。

 只の敗者と嘲笑うことは容易いが、彼等と自分は等しい存在であり、落とした荷物を背負うことが責務とヒビキは答えを出した。

 中途半端に戦いを止めて、平穏な道に戻ることは許されない。

 

 終わるまで走り続けると決めてしまった彼の精神は、既に常人から逸脱している。

 

 薄々気付いていたが、気付かぬふりをしていたのだろう。日常に在り続けるライラとヒビキの間には、既に深い断絶が生まれていた。異なる道を歩む二人のそれは永劫に埋まることはない。

 近くに居た筈の幼馴染が、いつの間にか届かない何かに変貌したと、逃げ場を封じられた上で示されたライラの目尻に涙が滲む。ようやっと呪縛から解き放たれたフリーダが口を開きかけた時。

「せめてドアを閉めろ。お前達にとって重要な話であろうが、他者には只の雑音だ」

 適切だがズレた指摘と共に先程まで同席していた極東人、宣漢拏が部屋に踏み込んでくる。強い澱みを湛えた男の目に射抜かれるなり、ライラは踵を返して部屋を飛び出した。

 彼女を追いかける事も出来ず、壁に凭れて倒れる事を防いだヒビキと立ち尽くすフリーダを他所に、予想外の来訪者は据え付けられた椅子に腰を降ろす。

 部屋を辞する気配はない。寧ろ、やり取りを聞いて気が変わったというのが適切だろう。体はともかく感情が昂ったままの二人に睨まれながらも、壮年の極東人は小動こゆるぎもせず肩を竦める。

「お前達に死なれては、俺も死ぬ。少しばかり年寄りの昔話を聞け」


 何かを懐かしむような、そして強い後悔の滲んだ声が、決裂の生まれた部屋に響き渡る。

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