8:絶対的

「ボクだけで構わないのですが」

「お前が一番強いのは知っている。だが、戦いに絶対などないのだぞ」

 時間を少し遡り、ヒビキ達が装甲車から降り立った頃。本作戦の核となる部隊もまた持ち場に付き、始まりの時を待っていた。

 穏やかな笑みを湛える『白光ノ騎士』エリス・ハワード・ルクセリスと対称的に、『太陽の御手』セルル・ティチモウ・メネトカの表情は険しい。

「そう長くない歩みの中で、私は大敵と多く戦ってきた。対竜戦闘の定石も知っているつもりだが、今回ばかりは予想が付かない」

 幾度となく押し寄せる大国を一人で押し返して来た女傑は、己の死が滅亡に直結する環境に居続けた故か、慎重論に傾く傾向は自覚している。

 悲観主義と揶揄される程、堅実な思考や戦術を好む彼女の目でも、ルチアを始めとする総司令部が組み立てた陣形は対竜戦闘の定石を抑えていた。

 思想信条や人格面で相容れないだろうが、エルケ・トーレスを頭とする兵器運用部隊も練度が高い。頭目のエルケも、戦備には非常に真摯に取り組んでいる。寄せ集めで起こりがちな、慣れない兵器に振り回されての自滅はないと見ていた。

「後はお前が斬り捨てて終わる。そうであれば良いのだがな」

「相手が生物なら、どれだけ強くともボクが勝ちます」

 簡潔な宣言に揺らぎはない。そこに青年が持ち合わせる危うさを感じ、蟷螂の足掻きを続ける女傑は眉を顰める。

 彼と直接対峙した者は例外なく敗死した。抜かずに「名有り」を全滅させる聖剣アロンダイトが抜かれた光景は、セルルすら悍ましさを感じさせられた。

 異次元の怪物同士の激突など、勝敗問わず惨劇となる。勝っても遺恨は残るが、万が一敗北を喫した時にエリスは、集った戦士達の結末は如何なる物になるのか。

 戦前にあるまじき疑問と恐怖を鎮めるべく、セルルは無骨な短槍を握りしめ、エリスは微笑みを崩さぬまま白銀の兜を装着する。

 太陽が陰り、気温が低下し始めたのはその時だった。

「来たか」

「ええ、始めましょうか」

 大気に燐光が散る魔力放射と、大地の震動が平野に広がる。開戦と判断した兵達の魂に火が入り、場に緊張が満ちる。

 絶対の最強者に抗う選ばれし者達が動き出した時、空が砕け散った。


                   ◆


 五感を蹂躙する騒乱に晒されながら、ヒビキ達は装甲車に揺られていた。

 十キロ強離れた場所にも届く音の暴虐と、急激な気温の低下は対アルベティート戦の開幕を示す。短時間で収束せず延々と続いている事実に、焦燥が否応なく募る。

「もう少し速く走れないのか」

「軍用車だぞ、そんなスピードは出ねぇよ」

「そんなことは分かっている……分かっているんだ」

 往路より静かになった車内で、ティナと交わすやり取りは空しく上滑りする。


 悔いなき道を選ぶ。


 そのような惹句で怯懦きょうだを捻じ伏せて人は戦いに臨むが、自己や親しき存在の敗死を前に悔いぬ者などいない。

 こうして車内に留まっている内にフリーダやライラが、ゆかりが殺害されたなら、ヒビキも生涯後悔するだろう。

 焦っても現実は変わらない。寧ろ焦りは戦闘に於いて致命的な隙を生む。

 戦塵に塗れ続けた一年で体得した道理を何度も復唱し、感情の暴発を抑え込もうと試みる。それでも届く心音を、炭酸の弾ける音が打ち消した。

「ビビりも怒りも悲しみも、どうせすぐ経験するんだ。前借りしちゃつまんねぇぞ」

 締まりのない面持ちで、レミーが炭酸飲料の缶を傾けていた。それが出資企業の製品と気付き、彼のプロ意識の高さに思考が否応なく引き寄せられる。

 飲み干した缶を握り潰した青年は、それを弄びながら態勢を崩す。滑らかだが、どこか無理のある所作は「ふざけた人間」の看板に従おうとしているのではないか。

「アルベティートが本気を出すのは大戦以来だ。アンタは怖くないのか?」

「めちゃくちゃ怖いに決まってるだろ。思考までエキセントリック少年ボーイになるなバカタレ」

 手酷い切り返しに硬直するヒビキを他所に、缶を馬鹿丁寧に袋へ詰めたレミーは、小さな懐中時計を手に取る。何度か開閉させる姿に垣間見えた、焼け爛れた感情の残滓はすぐに瞳の奥へ仕舞い込まれた。

「怖いけどな、予測から生まれる恐怖は現実を超えない。どうしたって都合の良い解釈が生まれる。だから最低限の情報を入れた後は、何も考えないようにしてる」

「やはり、あなたはプロフェッショナルなのですね」

「だと良いんだが。今回ばかりは考えちまうな」

 ヒビキのように魔術が不得手な者を除き、体温を上昇させたり、体組織の凍結を抑えるといった、氷属性主体の敵を相手取る定石は抑えている。

 しかし、定石が想定するのは『名有り』程度。前座と自称したセイスレプモスすら未知の力を行使した事実を踏まえると、予想はどうしても悪い方向に転がる。

 在野の雑兵ならともかく、国家を背負った軍人が勝算なき戦を起こす筈が無い。何らかの打開策を有している筈だ。

 苦し紛れの一般論も、ルチアを筆頭とする司令部の意思表示の少なさで揺らぎが見える。同士討ちのリスクを極限まで抑え、各人の力を活かす配置や物資の安定供給といった側面で、形を維持しているに過ぎない。

 無意味に巡り続ける思考を他所に、外部の狂騒は激しさを増していく。

 際限なく膨れ上がるもどかしさを感じながら「待ち」に徹しようとしたヒビキ達は、装甲車の唐突な停車で現実に引き戻される。

「どうした?」

「エンジンがいきなり止まった。さっきまでは何とも無かったんだが。通信も途切れたぞ、どうなってる?」

 前方の軍人から届く困惑を受け、各人が起動を試みた通信機は揃って沈黙。魔術による強引な起動も受け付けず、肝心な場面で無力な物体に成り下がった通信機への怒りはない。

 先触れを撃破し自らの元へ向かう者達と、既に挑んでいる者との連携に必要な芽を潰す、アルベティートの底知れなさへの恐れだけが、全員が抱いたものだった。

「走っても問題ない距離だ、俺は降りる」

「一人で良い格好すんなって。ナナリー、そんでティナちゃんも行くよな?」

「ちゃん付けは止めて頂きたい」


 止まっていても事態の好転はない。


 理由を殊更に唱えて体を再起動させ、ヒビキは先陣を切る。彼に続く形で、数十人の戦士達が死地へ向かう。

「……死ぬなよ!」

 職務上、安易な車両の放棄は許されていないのか。各部の検分を始めた軍人の切なる願いを背で受け、一行は荒野を駆ける。

 気温は更に低下し、氷点下に達したと肌に届く痛みで知る。

『エトランゼ』が気象を司るとされたのは、神話を大真面目に受け取っていた時代の話だ。アルベティートの根城たる極地は、日光の照射角度といった自然条件が影響して低温環境が形成されている。

 このような見解が現代では提示されており、凡そ正しいのだろう。

 しかし本来なら寒冷ではない当地で、ここまで強引な変化を目の当たりにした今なら、旧き時代の畏怖を嫌でも理解出来る。

 白い息を吐きながら、一心不乱に走り続けた一行は総司令部に辿り着く。


 そして、目前に広がる光景に言葉を失った。


 司令部が利用する建造物は辛うじて残っている。その周辺に位置する物、とりわけ兵器の格納庫や整備員が配された箇所に、大量の白い華が咲いていた。

 曇天の下で輝く華は心胆をも凍てつかせる強烈な冷気を発し、幽かに見える内部に多様な感情を貼り付けた人々が見える。つまり、これは――

 視線を逸らしても、白の華と破壊され尽くした兵器の骸が映るばかり。惨劇が描かれた場所で、特段白が目立つ場所に人影を視認する。

 縋るように駆け寄ったヒビキは、地に転がっていた氷塊に躓き転倒。挽肉に転じる過程で、それが凍結死体と気付いて悲鳴が毀れる。


 破砕音に反応し、蹲っていた人影が動く。


「……誰だ……いや誰でも良いか……アタシの武器……知らないか……?」

「アンタは……エルケ・トーレスか。何が……あった?」

 実戦特化した戦闘服を纏う乱れ気味の赤髪を持つ女性は、ヒビキの声に危うい所作で立ち上がる。肉体に目立った傷は無いが、身体の至る所に白い蕾が巣食い、こうしている間にも膨らみを増していく。

 不吉な可能性に怯え、後退ったヒビキの姿が見えていないのか、エルケは覚束ない足どりで明後日の方向へ歩む。

「あれさえありゃ戦える……アタシは……まだ……あの言葉を……」

 当人の中で完結した言葉と、長い息を吐いたエルケの体が前へ倒れる。

 地に落ちる寸前で白に呑まれた女は、耳を塞ぎたくなる音を発して砕け、光の粒と化して痕跡一つ残さず消えた。

 ――エルケ・トーレスが死んだ? 何も出来ないまま?

 集団戦闘力のみならず、当代四天王に匹敵する戦果を挙げて来た強者が死んだ。何らかの事情で防御が薄かった可能性もあるが、彼女が易々と撃破されるなどあってはならない事態だ。

 疑問と恐怖が一周し、ヒビキは硬直する。しかし、現実は止まってくれない。

「伏せろッ!」

 誰かの咆哮で反射的に膝を折り地に伏せる。頭上を冷気が駆け抜け、次いで破砕音。通過を確認するなり別の建物が爆発し、人が塵芥のように舞い散る。

魔血人形アンリミテッド・ドール』の機能を解放。全身を舐める業火と塵芥に阻害された視界が開け、状況の正確な把握が叶ったヒビキは、病葉同然に落ちてくる者の中に見知った存在を認める。

「ライラッ!」

 制止を振り切って氷槍が飛び交う地を抜け、幼馴染の少女ライラック・レフラクタを、地面に叩き付けられる寸前で受け止める。

 乱れているが呼吸は安定している。安堵しかけたヒビキだったが、両足に白の蕾の存在を視認して目を剥く。

 数十秒前に目撃した通り、蕾が開けば氷漬けとなって即死する。進行が個々の魔力や身体能力に依存すると考えれば、それらが低い幼馴染に残された時間は僅か。

 絶望に至りかけたヒビキは、ライラに付着した蕾が両足の二つだけと気付き、そこから希望を描く。

 求められる外道の振る舞いに対し、逡巡の時間は数秒で過ぎた。

「恨むなら、好きなだけ恨め。耐えてくれよ!」

 鯉口を切る澄んだ音。そして、肉が爆ぜる凄惨な音が生まれた。

「いぎ……ああああああああああああああ!」

 戦慣れしていない者特有の、悲痛な叫びが戦場に響く。

 太腿から下を切断され、盛大に噴出したライラの血が頬を汚す。切り離された両足が凍結し、エルケと同じ氷像に転じて彼の推測は肯定される。

 しかし、友人に武器を向けた事実は正しさで拭えない。圧し潰しかねない程、胸中で膨張する罪悪感と痛みを振り切って立ち上がり、丁度駆け寄って来たティナと視線が交錯する。

「なんということを……」

「終わってから好きに言え。治療を頼む、お前なら出来るだろ」

「は? それは可能だが……おい待て! 一人で行くな!」

 医療班が来るまで、恐らく相当な時間が掛かる。それまでの時間、熟練者の治癒魔術で処置すればライラの両足は復活する筈。才覚に満ちたティナなら、追って来るであろうレミーならそれが出来る。

 殺し合いしか能が無い自分は、根源を叩きに行かねばならない。何より、傷付けた友人に寄り添える自信が今はなかった。

 膨大な魔力の波長に従い、破壊の嵐に晒された基地を駆け抜ける。道中に点在する氷像に、ゆかりやフリーダの姿がない事実に安堵して最前線に到達。

 目に映る光景は、彼の常識を根底から覆すものだった。

 人の丈を超える、長大な円錐同然の爪が振るわれ、虚無を内包した口腔から極大の冷気が照射。一度の上下で台風に匹敵する暴風を放つ翼は、三十メクトルを超える流線形の巨躯の超高速機動を実現させていた。

 生物史や龍の頂点にして『エトランゼ』首魁。世界最強の冠を戴く『白銀龍』が、戦闘態勢を執っている。彼の者の呼吸で放たれる魔力でヒビキの髪は乱れ、猛烈な吐き気と悪寒がせり上がる。全身の毛穴が開いて滝のような汗が流れ落ち、両足が無様に震え始めるのは、生物が持つ絶対の死への恐怖に依る物。

「何をしに来た!」

 烈しい声に、思わず身が竦む。

 降り立ったセルルは、四肢に刻まれた『テスカティウ』の刺青に光を灯して漆黒の短槍を携えていた。全身を血に染めた女傑の目に宿るは、確かな戦意とヒビキへの配慮だった。

「アンタ達と同じだ。アルベティートを殺しに来たんだよ」

「君のような未来ある子供がこの戦いに乗るな。私とエリスで片付ける」

「頭数は多い方が良いだろうが!」

 善意の発言と理解している。ただ、ヒビキとて覚悟を持ってここに来た。あからさまに遠ざけられると反発が湧く。

 一歩踏み出した姿に議論が無駄と判じたのか、小国の長が反転し消失。

「ならば、君が介入するまでもなく終わらせるまで。エリス、まだ生きているな?」

「無論です。終わらせましょう」

 握り込まれた爪が裂け、白光の翼を戴くエリスが空中に出現。装甲に汚れは目立つが、白銀龍の掌中に引き摺り込まれてその程度で済む頑健さは異常に過ぎた。

 阿呆の如く口を開けて空を見上げたヒビキと、エリスの視線が僅かに交錯。彼の根源を解する前にエリスは前を向き、流麗な長剣を掲げる。

「死に損ないも来たのか。愚かなことだ」

「彼の出番はない。私達で貴様を打倒する……仕切り直しだ!」

 短槍が天へ掲げられるなり、厚い雲の天蓋が裂けた。

 降り注ぐ陽光が落下の最中で急停止。直角に軌道を変えアルベティートへ殺到する。魔術ですらない純粋な魔力障壁で霧散するが、壁には一条の亀裂が走る。

 塞がれる寸前で懐に潜り込んだエリスの長剣と、掲げられたアルベティートの爪が激突。猛烈な魔力の波濤が生じて大地が罅割れ、大気が悲鳴を奏でる。

 戦車砲数十発すら凌ぐ破壊力を持つ巨竜の一撃と、人類の剣戟が拮抗。

 御伽噺の世界でも起こり得ない事象に圧されるヒビキを他所に、流れるように体勢を変えたエリスの突きが炸裂。泳いだ爪の隙間を縫うように聖剣の切っ先が鱗を砕き、光を放ちながら小片と化して落ちていく。

 再生開始の寸前に、セルルが放つ光矢が破砕点に殺到。僅かに露出した肉に黒点。絶好機と見たエリスの踏み込みに即応し、龍の口腔から『零下大瀑布ブリア・カタルクタス』が発動。

 過冷却状態の水流が地面に落ちると同時に凍結。白に浸食され、更に気温が低下していく大地が蠢動し、そこから無数の剣が形成。

「拘るならば、こちらも答えよう」

 高速で撃ち出された氷剣がエリスへ殺到。応戦する白騎士の援護に動きかけたセルルは、白銀龍が翼を打ち鳴らす様に機敏な反応を見せた。

「逃がすか」

 セルルの背に光が屹立。光は巨大な翼に転じ、女傑の体が垂直に浮上する。

 天を駆ける白銀の流線形を、無数の閃光が追う。目まぐるしく色を変える空を裂く煌々たる光は、生命体の如く何度も軌道を変えて防壁を削る。決定打を持つエリスの存在故か、完全な再生を強いられる白銀龍は攻勢に転じられない。

 大地に築かれた凍土が厚みを増す氷風を放ちながら空を舞う白銀龍を、光矢を乱射するセルルは執拗に追う。

 空を塗り替える程の厖大な光矢は、破壊者がどちらなのか曖昧にさせる代物。そして、ヒトの身で白銀龍の防御を削る力の乱発は奇妙に過ぎる。

「その力、覚えがある。太陽光を吸収・増幅しているのか」

「如何にも。私の肉体は『天恵授受テスカ・ソルティクト』を恒常発動する。時間切れなど、私の戦いに存在しない!」

 太陽光を取り込んで力に変える者は少数存在し、魔術も一応体系付けられている。

 だが、最大効率を出せるのは晴天時に限定され、取り込んだエネルギーを貯蔵する事も不可能と効率は最悪の一言。

 器用自慢に留まる太陽光の戦闘活用を、セルルは特異体質で実現させた。付き纏う問題点が解消されているなら、絶えることのない太陽光は圧倒的なエネルギー源と成る。

 小国を一人で守護する『伝説』の答えに瞠目するヒビキの傍らを、氷剣の牢獄を突破したエリスが抜ける。『暴颶縮撃プロケイア』の圧縮空気で飛翔した騎士は、聖剣を横薙ぎに振るう。

「鬱陶しい」

 刃から伸びた白光の帯がアルベティートの頭部を灼く。肺腑を震撼させる咆哮と共に傷が泡立つが『エトランゼ』に傷を負わせた事実にどよめきが生まれる。

 再生完了前に開かれたアルベティートの顎は、大気を攪拌して火花を散らすに留まる。死角から飛んできた光条への対処で回避を強いられ、反撃が鈍ったアルベティートを他所に、エリスが踏み込んでいく。

 聖剣は空をも引き裂く清浄な光を乱発し、セルルの放つ光矢と同様に白銀龍の動きを縛る。広げられた翼に魔術が紡がれ、しかしエリスの踏み込みが先を行くと判じて変化。

 六重の『輝光壁リグルド』が紙屑同然に引き裂かれ、アルベティートの右前腕に斬線。その先が炭化して落ちていく。のみならず、破壊に飢えた白光は彼の者の後方に位置していた大地に数十メクトルに達する大穴を穿つ。

 忌々し気な唸りと大地が砕ける轟音と共に、振られた左腕を回避すべく後退するが、エリスは確かに成果を挙げた。

「遊んでいる暇はない。終わらせましょう」

 絶対無敵と称される怪物を傷付ける。確かな希望を示した騎士は、僅かに息を弾ませながら聖剣を掲げる。

 援護射撃を担う太陽の御手も短槍を構えて突撃姿勢を執り、アルベティートに意思を示す。生物である以上、光を振り切ることは龍にも困難。逃げ続けた所で、エリスの一撃を浴びれば再生不可能な傷を負う。

 ――攻撃は届いている。……これなら、やれる、のか?

 ヒビキを筆頭とする観劇者達の目に晒される白銀龍は、押されているにも関わらず沈黙を守る。

 巨躯を纏う魔力流に乱れはなく、肉体の傷もまた然り。人類全体に戦争を仕掛ける存在が、この程度で戦いを投げる筈が無い。

 沈黙の意味を測りかねているのは皆同じだが、絶好機に退く道理はない。視線を行き交わせたエリスが聖剣を正眼に構え、セルルが全身に光を湛える。

 飛翔魔術の追加発動で瞬時に不可視領域に達したエリスは、自身の射程にアルベティートを収め、大上段から振り下ろす。

 抜かずとも竜を纏めて虐殺する聖剣を、圧倒的な身体能力と魔力を持つエリスが振るう。龍にとって超至近距離で放たれる斬撃を回避しても、遠距離兵器をも超えるセルルの光矢が直撃する。

 逃げ場はどこにもなく、あるのは絶対の死のみ。

 可能性を現実に変えるべく、凍土を粉砕し分厚い雲を吹き払って突進するエリスの腕が振り抜かれ、聖剣の纏う光が呼応する形で降下。

 ヒトならざる厖大な力の放出によって、世界が白一色に塗り替えられた。

「当代の騎士はこれほどの力か。なるほど、何も変わらんな」


 嘲弄を含んだアルベティートの声。そして、何かが爆ぜ割れる空虚な音が響いた。


 急速に白が消え、世界に正しい色が回帰する。視界を取り戻したヒビキは、中途半端な姿勢で硬直するエリスと、根元から刃が消失した聖剣を目の当たりにする。

「そんな、ボクの聖剣が……!」

「我は初代の聖剣使いや、異邦の戦士と刃を交えた。確かに貴様は奴等に匹敵するだろう。だが、それだけだ。二千年前の戦士と同等の力で、今の我に勝てると思うな」


 聖剣が破壊される。


 悪夢そのものの現実に晒された人類を他所に、白銀龍は魔術の展開を開始。未知の何かが来ると本能で解し、無意味と知りながらもヒビキは走り出す。

 空中では、動けないエリスを庇う形でセルルが前進。蓄えられたエネルギーを放出すべく、女傑は短槍を白銀龍へ向ける。

「貴様如きに人類を……」

「意気込みは結構。だが、我を見くびるな」

 御手の体から光が唐突に失われ、背部の翼も消失。騎士を抱えて堕ちていくセルルの目に生まれた極大の恐怖は、場の全員が抱いた物だった。

 太陽光を武器とする為に必要な細胞を、ピンポイントで破壊するなど誰も想定していない。凄まじい技巧で絶対的な差を見せつけられ、絶望に呑まれゆく人類を嘲笑うように、次へ移行しつつあったアルベティートの動きが幽かに鈍る。

「無意味と知りながら来るか。それは蛮勇ですらないぞ」

 純粋な事実を告げた白銀龍の腕が、緩慢に降りる。距離を詰めていたヒビキは、迫り来る死に無意味な口の開閉を繰り返す。

 足元に纏わりつく虫を踏む潰す時、ヒトは特別な工夫など誰もしない。ヒビキもそうだった。

 何気ない日常の所作が降りかかる現実に、生物の本能で涙が零れる。

 死に囚われながらも、決闘者の本能に身を委ねて大地を踏みしめ、腰を落としてスピカを握る。頭部が凍結を開始した刹那、抜き放たれた蒼刃が大盾の鱗に激突。軋り音を奏でた刹那、体が後方へ吹き飛んだ。

 そのまま転倒すれば死。確信に基づいてスピカを地面に捻じ込み、強引に肉体を押し留める。左腕の震えは、激突の衝撃に依る物だけではない。

 人類の最高到達点に届いた斬撃が、かすり傷一つ付けられなかった。何重にも展開された魔力障壁は突破したが、それだけでは何度繰り返そうと敵は斃れない。

 彼我の間に存在する、絶望的な力の乖離を突き付けられながらも、親しき者達の死という未来への恐怖で、ヒビキは折れようとする精神に鞭を入れる。

「殺ぁああああああッ!」

 再接近する掌へ、渾身の突きを選択。激突で流れた刀に従って空中へ上昇。回転する視界の中で、白銀の虚無に燐光が灯る様を目撃した刹那、全身の力を解き放つ。

「『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ッ!」 

 超高速回転する無数の斬撃が、先の接触地点を刻む。無効化を免れた幾ばくかの斬撃が鱗を貫通。その下の肉に届くが、出血が生じる前に傷が完治し負傷は実質皆無。

 これでもまだ届かない。重い現実をヒビキに叩き付けたアルベティートは、翼を打ち鳴らして上昇。

 ――空に逃げられたら終わりだ。……やるしかない。

 空中の三次元戦闘に於いて、飛行魔術を持たない彼は有効打が皆無に等しい。仮に相手の動きが罠であったとしても、ここで叩くしかない。

 舞い上がった土塊を蹴り、追走の道程でスピカを変形。砲身が過熱する砲撃を浴びせるも、恒常発動の魔力障壁に分解される。砲台形態ではかすり傷さえままならぬ現実に舌を打つヒビキの目前、骸と化した兵器が浮上。大質量が風船の如く上昇する様は、先の一手を明朗に示す。

 空へ砲撃し、反動で地面へ落ちるヒビキを鉄塊の雨が襲う。砲撃を繰り返して直撃を防ぐが、破片を受ければ死ぬ。

「結局こうなるのかッ!」

 半ば自棄でスピカを投擲し、前へ出る。

 鈍色が大半を占めていた視界が純白で埋まる。アルベティートとの距離が一気に縮まった事を認識した刹那、全身が総毛立ち意識が揺らぐ。

 呼吸同様に垂れ流す魔力で、ここまでのダメージを与えてくる現実に、己が描いた最悪の予想が生温い代物であったと再認識させられる。

 自死が脳裏を過る状況で、進退窮まったヒビキは己の腹をナイフで抉る。原始的で、大気中の魔力よりも更に近い距離の死を幻視させ、白銀龍を視界に留めながら魔力流を整える。

 ――これしかない。……不発だった時は、考えるな。

 闇医者の弁を借りるなら、切り札を発動すると四割の確率で即死する。仮に成功しても一度の使用で魔力が枯渇する為、仕留め損ねれば即座に殺される。極めて分が悪く、避け続けていた賭けだが、伝承の怪物相手に有効は他にない。

 重力を捻じ曲げて滞空し、スピカを納刀。徐々に失速し、単純化しつつあった世界で、ヒビキは更なる混乱に叩き落とされる。


                   ◆


『早暁竜』ルキメイオス討伐部隊に組み込まれたゆかりは、彼の者が唐突な戦闘放棄と消失で、さほど消耗することなく第一幕を終えた。

「これほどの軍勢、ワタシでは勝てない。口惜しいですが王に託しましょう」

 際の言葉に不安を掻き立てられ、どうでも良い雑兵とされている事を逆手に取って一足早く司令部に戻った彼女は、そこに広がる惨劇に言葉を失った。

「嘘……でしょう?」

 数分前のヒビキと同じ反応を見せ、爆轟と閃光の発信源へと導かれるように辿り着いた。

 屹立する夥しい数の氷柱や、無惨に解体されて濛々と湯気を立てる死体に恐怖し、そこに友人がいないことに安堵する。身勝手で人間らしい感情を見せながら、ゆかりは進む。

 迷いなく動いていた足は、三十メクトル超の小山と、そこから噴出思しき巨岩が凍結する異様な構図を前に止められる。

 不毛の平原に山はない。魔術の産物だが、穴や亀裂と異なり山を築く魔術は一つだけ。

「『大業炎噴脈峰ヴァルケ・ラ・ティア』が凍ってる。……こんなの、有り得ない」

 大地に直接作用し噴火を引き起こす『大業炎噴脈峰』は、超級の魔術師が行使すれば文字通り新たな火山を造成する。有志部隊で行使可能なバザーディの傑物ハートレーは、この魔術一本でケルベロスの群れを粉砕し地形を変えたとの噂を、ブリーフィングの隙間で聴いた。

 範囲と威力に特化した単純かつ大味な魔術が、時間を止められたかのように氷の棺に押し込められている。

 一年弱の経験の外にある光景はアルベティートの力と、発動者のハートレーを含む多くの強者が敗れた現実を示し、ゆかりの鼓動は加速する。

 乗り込んでも犬死が関の山と理性は答えを出すが、ゆかりはヒビキの魔力を既に感知している。波長の狂奔は彼が激戦に身を投じている証拠。彼が戦っているのならば逃げる訳にはいかない。

 暴論を核に走り出したゆかりだったが、ある二人組を前にしてすぐに止まる。無視するには、あまりにその人物達は予想外に過ぎた。

「君か……誰も彼も、どうして」

 微動だにしないエリスを守るように、セルルが進み出る。

 全身に刻まれていた刺青を喪失した戦士は、不自然な程の外傷の無さと裏腹に強い疲労を滲ませている。

 精神力で立っていることが明白な、憔悴しきった面持ちは彼女すら破れた最低の事実を示すが、それ以上にエリスが大きな問題となる。

 慇懃無礼の形容が的確な程、力量に絶対の自信を見せていた青年の眼は小刻みに震え、整った口は声なき声を紡ぎ続ける。戦意喪失した彼の姿は、全く予想外の代物だった。

 先日の光景だけで、エリスの圧倒的な実力は分かる。鎧の破損も僅少な上に、肉体は無傷に等しい。心身の著しい乖離は、疑問と恐怖を喚起するには十分過ぎた。

「エリスはアロンダイトを折られた。私も根源を破壊された。少なくともこの瞬間、我等は戦えない」

 端的な事実の提示は、ゆかりに激しい動揺を呼び起こす。無意味と知りながらも何かを発しようとした刹那、遠方からヒビキの咆哮が届く。

「……まだ戦っているのか。だが一人では」

 セルルの言葉が聞こえたのは、そこまでだった。

 背を食い破った毒々しい肉の翼に炎を灯し、焔矢と化して空を翔ける。

 危機感が力を与えたか、訓練時を遥かに上回る速度でヒビキのいる場所に到達。彼の姿を認めて緩みかけた緊張の糸は、炎が萎む猛烈な低温と魔力放射で再び張り詰める。

 強制的な失速で視野が広がった結果、敵の全貌を視認したゆかりを悪寒が貫通。こちらを塵芥としか見ていないにも関わらず、死の予感は鮮明に届く。

 逃亡を最善と判じて、勝手に体を試みる。生存本能に呑まれかけたゆかりの腕は、遅々とした速度ながら上昇。瞳の紅を一段と強め、彼女の翼に再び炎が宿る。

 禍々しい炸裂音が白銀の地獄を裂く。直後、背を蹴り飛ばされたかのような衝撃と共にゆかりは加速。翼の噴出孔から圧縮空気が断続的に噴射され、瞬く間に亜音速の領域に到達。

 愚者の接近に伴いアルベティートの口腔が明滅。極光の如き光帯が降り注いで爆裂したかと思うと、瞬時に氷剣へ転じゆかりの真横を通過。

 後方で何かが落ちる重い音。司令部の何処かが破壊され、生存者の悲鳴が上がる。余興の破壊力は予想を数段も上回るが、止まっていられる時間は既に過ぎた。

 ヒビキが死へ向かおうとするならば、逃げも停滞も許される筈がないのだ。

 有機的な挙動で迫る極光帯と氷剣を、螺旋を描いて躱したゆかりは、圧縮空気の噴射を調整し空中で停止。慣性の打撃に晒されながらも、無機質な白銀龍の瞳をまんじりともせず睨む。

 理由は異なるが、ゆかりも大技を放てるのは一度。ヒビキに手を出させず終わらせるには、その一度を成功させる他ない。

 鞘ごと紅華を掲げ、滞空から上昇に転換。眩暈を覚える巨躯を目の当たりにしながら、最善手への道程を整える。

 幾重にも鱗が重なり、魔力障壁も展開された心臓を狙うのは厳しい。賭けるなら脳の破壊一択で、恐らく敵も読んでいる筈だろう。


 ――もう少し早く、使えるようになっていればよかったな。


 掠めた後悔を押し流す間に目標高度に到達。心胆まで凍てつかせるような、零下の世界で異様な彩を放つゆかりの全身が紅炎に染まる。

 速度限界へ瞬く間に至り、空を墜ちていく中で白銀龍との距離も縮まっていく。有効射程に到達すると同時、ゆかりは体内に宿る熱に任せて獅子吼を上げた。

「『浄血戦刃・炎崩竜撃』ッ!」 

 背に屹立していた十の翼。八枚が溶け落ち紅華に吸収。一際輝きを増した刃は、ゆかりの手で世界に炎を紡ぐ。

 紡がれた炎は前後左右に伸長。前方に無骨な刃が並ぶ頭部。後方に蛇の尾が伸び、左右には剣の翼。

 紅華から生み出された歪な造形の竜は、地上から届くどよめきを無視して翼を打ち鳴らす。羽ばたきで氷を蒸発させ、兵器の残骸を溶解させる熱波を纏ったまま急降下していく。

 殺意で全身を煌々と照らし、発動者の斬撃体勢同様に竜の右腕が上昇。地上に顕現した太陽の如き光量と熱を湛えたそれは、静止したアルベティートへ叩き付けられた。

 直接的な競り合いで、異次元の存在に到底及ばないゆかりが紡いだのは、炎による疑似生物の召喚だった。イルナクスの元・四天王の手解きで完成した疑似竜の一撃は、訓練用の地下空間をも粉砕した凶悪過ぎる代物で、完全制御は困難。

 敵が巨大かつ内包する魔力が厖大故に、制御に注意を払わず攻撃に全力を注げる。合理的で無謀な選択で、一撃を叩き込む事に成功した。

 思わず安堵の息を零しかけたゆかり。そして世界全体が暗転。衝撃波で脳を激しく揺すられ意識が強制的に遮断。

 再覚醒と同時に地面へ叩き付けられ、何度もバウンドしながら転がる。何本も骨を折られた末に止まったゆかりは、激痛を堪えて一歩踏み出す。

 先の狂奔が嘘のように思える静寂。白煙の隙間から垣間見えるのは、消えかけた炎や金属片に肉塊。嵐の残滓が転がる平原に、雷鳴の如き宣告が響く。

「道を探るだけなら見逃した。刃を抜いたならば、貴様も覚悟しておろうな」

 煙が吹き払われ、残酷な現実が暴かれる。

 アルベティートは、悠然と空に留まっていた。

 頭部の角が僅かに欠け、首筋に焦げ目が付いているが大事なく、それもゆかりの目前で塞がれた。即ち、彼の者は完全な無傷。

『浄血戦刃・炎崩竜撃』は確かに届いた。されど、悠久の時を生きた怪物を殺すには何もかもが足りなかった。

 打ちひしがれ、魔力の枯渇で停止するゆかりを他所に、アルベティートの周囲に七色の光が灯る。視界が歪曲し、破片が引き寄せられ砕けながら消えて行く様から、彼の者が潜伏していた異空間との接続魔術と推測可能。

 逃げなければ想像だにしない悲惨な死が待っている。危機感を他所に体が強制的に前進する。最後の力を振り絞って突き立てた紅華も地面ごと抉り取られ、土塊が先んじて光に吸い込まれていく。

「ユ――」

「邪魔だ」

 特攻に動いたヒビキの左腕が、アルベティートの一瞥で霧散。血飛沫に塗れる少年もまた、光の渦に引き摺られていく。

 既に悲鳴の合唱が奏でられ、仕掛けに依る死者の存在を感知するが、最早ゆかりに打つ手は何もない。数秒後に在る死に、取り込まれることが定めなのだ。

「これで終わりだ。後悔を抱いて死ぬが良い」

「いいえ、二人は死なせないわ」

 凛とした声に、アルベティートが魔術発動を停止。不可視の牢獄を形成していた障壁に十字の斬線が走る。

 斬撃で生じた、金属同士が擦れ合うような不快な音を搔き消すように、首無し白馬が障壁を突き破った。

 唖然とする両者を他所に、極東の防具を纏いし騎手の右腕が斜めに振り下ろされ、地面に届く寸前に跳ねる。

 アルベティートから放たれる燐光を何度も引き裂き、猛然と疾走する首無し白馬は腕の再生が成ったヒビキの目前で止まる。

 返り血に依るものか、どす黒く染まった約一メクトルの刃は刀の文法から逸脱する程に太く、面覆は極東の鬼を想起させる禍々しい代物。破壊者の風格を漂わせる『侍』は、傲然と掲げた大刀の切っ先をアルベティートに向けた。

逢祢あいね黄泉討よみうち・ファルケリア、ここに見参!」

 名乗りに応えるように龍の魔術が発動。異次元への片道切符となる螺旋の光、重力放射、氷剣が逢祢に殺到。連打される超魔術に、首無し白馬から飛び降りた逢祢の両腕が左から右へ流れる。

 切っ先が触れるなり、光条が千々に刻まれ世界から消失。異空間への入り口は霧散し、氷剣は塵芥に成り果てる。

 異次元の応酬は数十秒続き、やがて止まる。全てを無に帰す刀舞の余波で巨体を揺らしたアルベティートの眼に感嘆が映る。

「『城斬り黄泉討』の剣技、見事なり」

 逢祢の大刀は常識外れの形状だが、刃に特段の仕掛けは見えない。繊細さが皆無の野蛮な刀で魔術を切り裂き、無効化する技巧は理屈付けが不可能な代物。

 救われたゆかり達さえ恐怖を抱く、異次元の刀術で逢祢は実力を示したが、アルベティートに畏れはない。滞空状態で魔術を静かに再度構築していく。

「だが、貴様とて限界はある。その剣技、永劫には続けられまい」

 妙に抜けの良い音が場に響く。何も語らずに逢祢が放った舌打ちは、最悪の回答を示した。

 構成が異なる三種の魔術は、切断方法も僅かながら異なる。完全な無効化には斬撃に寸分の狂いも許されない。実現させる超技があれど、肉体が最後まで応えられるかは別問題。

 切断の瞬間に生じる、一秒以下の接触で多大な消耗を強いる龍の力に晒され続けて、立っていられる保証はない。何より、ヒトと龍には絶望的な肉体強度の差がある。

 粗雑な連射を繰り返せば勝てる。事実に基づいて蠢く白銀龍から、逢祢の視線がヒビキへ向けられる。

「私と同じことをやって貰う。ヒビキ君、あれを斬りなさい」

「……龍の魔術だぞ、俺は」

「男の子でしょう! ゆかりちゃんの為に、つべこべ言わずやりなさい!」

 鬼気迫る大喝にヒビキの背が跳ね、眼に生気が戻る。

 無理無茶無謀完備の大博打が、親しき者の生死に直結する。新たな掛け金を双肩に載せたヒビキは、目前に迫っていた魔術へスピカを抜き放つ。

 蒼刃と魔術が交錯。腕が輻射熱で焼け、蒼が赤に染まるが、魔術も形を維持出来ず崩壊。辛くも成功させたヒビキは、惑いながらも降り注ぐ魔術を逢祢と共に斬り捨てていく。

 妖艶な口の端から血を。額に汗を滲ませながら不敵に笑い、逢祢は天上に吼える。

「時間は稼いだ。さぁ、出番よ!」

「いちいち叫ぶな。そしてお前は人使いが荒い」

 厚い雲の海から、ソン漢拏ハルラが忽然と現れる。重力に身を委ね落ちてくる男は、脈動する光を湛えた右腕を引き絞りながらアルベティートへ接近。

 第三の乱入者に攻撃対象を切り替えた、白銀龍の魔術が男に殺到。激突で生じた爆裂に姿が書き消える。

「黄泉討逢祢すら我に勝機がない。それ以下がどれほど来ても、結果は変わらん」

「その傲慢故に足を掬われる。阿呆かお前は」

 勝利宣言を上書きする形で、不遜な宣告が轟く。

 魔術に依る事象が渦を巻いて縮小し、漢拏の右腕に吸収。軋り音を発する右腕と共に加速して白銀龍へ更に接近。本能的な恐怖で白く染まった顔に、不遜な笑みを張り付けた男は、龍の懐に潜り込んで拳を激発させた。

「己の仕掛けで死ね。化石にはお似合いだ」

 爆音。そして衝撃波。

 複数の金属で組まれた義腕が微塵に砕け散り、男の体が後方へ飛ばされる。人外の速力で放たれた拳打を難なく弾き返したアルベティートだが、自身の肉体に七色の縛鎖が絡み付く様に低く唸る。

 構成から異空間へ引き摺り込む魔術と推測可能だが、人類側に使用者は皆無。漢拏が何をしたのか、ヒビキ達が気付いた頃には虚空の裂け目へとアルベティートが後退していく。

「時間稼ぎに最善の一手だろう。だが、己が創り出した空間で死ぬ道理がどこにある?」

 無機質な宣告には、勝利への絶対の確信が滲んでいた。

「すぐに戻る。そしてまた、使命を果たそう」

 忽然と龍の姿が消え、平原を覆っていた雪雲も薄らいでいく。

 舞い上げられた物体が落ちる、騒々しい音が生まれては消えゆく中で、場の生者には重苦しい沈黙が降りていた。

 数的有利が成立する程度の人員を搔き集め、圧殺を狙う。叶わなければ最強の聖剣使いと、実質的な無限攻撃手段を持つ御手で倒す。

 準備期間を始めとする、あらゆるリソースが致命的に不足している中で、ルチア達は最善の策を打ち出した。多くの犠牲を払いながらも、捨て石に使われた強豪の竜を破った事実は、策の正しさを一定程度証明していた。

 最善の策は、しかし白銀龍には届かなかった。生存者は少数で、戦意を保っている者の数は大敗を喫した今、数える程だろう。

 翻って『エトランゼ』側は、他の四頭が万全の状態で生存している。アルベティートが危機に陥れば確実に参戦する四頭もまた、想像の外にある怪物。彼等全員を相手取る余力など、人類に有りはしない。

「殺せたと思う?」

「『異天動地彷徨ノ理ロストマン』をそのまま跳ね返したが、奴の言が道理だ。数日もせずに再臨を果たすだろう」

 年長者の会話にヒビキは、彼に背負われたゆかりは唇を噛み締める。

 生き延びたのは幸運と、戦死した者達が事実上盾となり、アルベティートの仕掛けの直撃を免れたからに過ぎない。

 個人の生存率、集団の士気が著しく低下した状況下の再戦をどう生き延びるか。そして、どうやって勝利するのか。

 答えの出ない問いに打ちひしがれたかのように、戦場は沈黙し続ける。

 

 

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