7:死へ至る地の怒り

 内から鳴り響く咎の音に、寝台から跳ね起きる。

 周囲を見渡して現実に回帰。喘ぎの如く乱れた呼吸を強引に鎮め、傍らに置いていた水を流し込む。錠剤に手が伸びるが、数刻後に待つ事象を思い出して止める。

 止めどなく流れていた汗で酷く重い服を脱ぎ捨てる。若々しさを保っている豊満な肢体には、肉欲に基づいて近付く阿呆な男が退散する、凄惨な傷が無数に踊る。

 傷と首元に刻まれた背信の証を、茫と見つめていたルチア・C・バウティスタは、やがて軍服に体を機械的に押し込んでいく。

 天翔ける才人でも、彼等を巧みに繰って功を成す策略家でもない彼女は、この戦の指揮官を務めるには力不足と言わざるを得ない。

 彼女を四天王たらしめる力は、あくまで人の世で成立する物で、異次元の怪物には通用しない。己が大河に呑まれるだけの石でしかないと、他ならぬルチアが理解していた。

 戦いには死がつきもの。だが、個々の人生は一度きりしかない。

 劇的な何かは皆無な退屈で凡庸な理屈は、敵があまりに強大であるが故に重く圧し掛かる。負ければ人類滅亡。勝利を収めても、遺族からの怨嗟によって彼女に安息の日々は永劫に訪れない。

「私は道を違えた。ならば、走りきるだけの話」

 背信の証を撫で、懐から退色の始まった写真と翡翠が鎮座する首飾りを取り出す。

 嘗ての仲間は変わらず切り取られた世界に集い、師たるサムライから贈られた首飾りは今も透徹した輝きを放っている。

 何処までも共に行けると信じていた過去と、誰もいなくなった今。

 等しく身に宿したルチアは、それらを仕舞い込んで一人の戦士から冷徹な軍人へと思考を切り替える。

 過去と今に於いて、唯一彼女に変節なく寄り添い続ける、無銘の長剣を剣帯から抜く。彼女の実直さを示すように、曇り一つない輝きに目を細め『証明者セルティファー』は決然と前を向く。

「理想の為に、私は咎人となる。始めましょう」


                     ◆


「行ってくる、またね」

「勿論。……無理するなよ」

「ヒビキ君もね」

 簡潔な挨拶を交わして、ヒビキはゆかりと別の装甲車に乗り込む。アルベティートの命に従った四頭の中で、彼女は『早暁竜』ルキメイオス討伐部隊に割り振られた。

 無論、一兵卒に過ぎない自分が隊の編成に口を挟む権利はない。有名人が揃う部隊に於いて、彼女に求められる役割は小さい事もヒビキは理解しているが、それでも不安は残る。


 ――大丈夫だ、ユカリは俺より強い。


 己に言い聞かせていると、集団で一際目を引く和洋折衷の装いの少女、ティナが隣の座席に腰を降ろす。

 鮮烈な赤を基調とした羽織を纏い、内側には堅実な戦闘服を纏う、滑稽にもなりかねない装いが説得力を持つのは、他ならぬ少女の凛とした美貌と、己の力量に対する自信の賜物。

 不躾な目を向ける輩を一睨みで黙らせながら、少女は口を開く。

「ユカリさんをあまり心配する必要はない。あの方は私やお前よりも強い」

 内心を見透かしたような言葉を叩き付けてくることには、それなりに思う所はあるのだが。

 よくよく考えると、ティナは自分以外には敬語を使っていた。襲撃した負い目のような物があるのか。それとも何か引っ掛かりがあるのか。

「お前に言われなくても分かってるよ。アイツともう一年近くいるんだぞ」

「その割に、あの方の心に気が付いていないようだが。もしや、気付かないふりをするのが男らしいと思っている口か」

 強烈な切り返しに、言葉が詰まる。

 根源まで分からずとも、ゆかりの心持ちの変化には気付いていた。終着点に辿り着いていないと思いたいが、彼女は自分より遥かに聡い。

 腹を割って話し合うのが最善。理解しながらも実行に移さないのが逃げであるのは百も承知。

 分かっていて、改めようとしない事もまた然りなのだが。

「黙り込むな。もっと切り返してくるだろう普通」

「……悪かったよ」

 沈黙する様を不気味に思ったのか。幾分トーンを落としたティナに、ヒビキは謝罪を返す他ない。それも予想外だったようで、双剣士の少女は薄気味悪そうに距離を置く。

 路面の凹凸を拾って生じる酷い振動と、大排気量エンジンが齎す轟音が、両者の間で満たされる。気まずい沈黙は、通路を挟んで向かい側の席に座す青年によって破られた。

「仲良いなお前ら。付き合ってたりすんの?」


「付き合ってねぇよ」「こんな朴念仁と付き合う訳ないでしょう」


 反論が綺麗に揃い、渋面で互いを睨む。喜劇そのものの光景に青年、レミー・ホプキンスと相方らしき橙色の髪を持つ妙齢女性が噴き出した。

「ほら言ったろナナリー、面白い奴がいるって」

「そうねぇ。でも、あまりイジメちゃ駄目よ。私達と若い子だと感性が違うから」

「俺もお前も二十六だぞ。十分若い」

「そうやって殊更に『若い』と強調する振る舞いこそ、年寄り臭いと思いますが」

 ティナの呟きに、レミーは思い切り仰け反る。運が良いのか悪いのか、丁度路面の凹凸を拾って装甲車が跳ねた。

 ふざけた体勢では、姿勢の急な変化を御しきれない。宙に打ち上げられたレミーは、そのまま前方へ吹っ飛んでいく。

「おわあああああああああああああああ」

 間抜けな悲鳴を連れ、白い目を浴びながら遠ざかる。その様にナナリーと呼ばれた女性は苦笑するが、殊更心配することもなく二人に視線を戻す。

「良いのですか?」

「大丈夫。隊長は殺しても死なないから」

「そういう話じゃないような……アンタはレミーの?」

「ナナリー・トスランド。『イビルファングエナジー・タスクフォース』チーム1に所属しています」

 にこやかに差し出された手を取ると、予想外の硬さが届く。近接戦闘を行う者特有のタコは、彼女が容姿と裏腹に多くの修羅場を越えて来たと伝えていた。

「アンタ等全員、どんだけ戦ってるんだ?」

 レミーも大概な手をしていたが、彼女も劣っていない。清涼飲料水企業の私兵としては高すぎる練度に呆れたヒビキに、ナナリーは柔和に微笑む。

「目立つ事第一。それががウチの社長のスタンスだから。福利厚生や給料が高い分、バンバン戦闘に投入される。正確な率は言えないけれど、戦死率は高いわよ」

「そのスタンスは傭兵組織として危険だ。アンタ等が強いのは分かるけど」


 ――対『エトランゼ』に投入するなど無謀だ。


 一般論を紡ぎかけた口が、自分達に突き刺さると気付いて止まる。

 宣伝効果とそれが生む新たな利益を狙うなら、例え端役でも人類の敵に挑んだ事実は比肩する事象はない。隊員の誰かと、会社が立っていられれば投資を遥かに上回る利益が得られるのは確かだ。

 恐らく、ここまでなら誰でも考えられる。だが、単純な可能性に乗ったのはレミー達のみ。アークス国内の混乱に全力を注ぐという理由があれど『氷舞士』すら所員を出さなかった事実を踏まえると、イビルファングエナジーの社長は相当な博徒と言えよう。

「それだけじゃぁない。エキセントリック少年ボーイや、血統最強少女に理由があるように、俺達個人にも出る理由がある。しれっと見捨てんな、悲しくなるから」

「暗殺者の女の子に猛毒を呑まされたのに、ノーダメージだった隊長が、この程度で死ぬわけないじゃない?」

「パブリックイメージが崩れるから止めろって。毒に強いのは只の体質だって痛たたた……」

 派手に打ち付けたのか、身体を擦りながらレミーが戻って来る。

 かなりの速度で飛んだ筈だが「痛い」で済む出鱈目な頑強さに二人が目を見開いていると、乱れた髪を整える青年は意味深に笑う。

「一つ言って良いか? その変な呼び方止めてくれないか?」

「断固として断る。俺の芯に関わるからな」

「あぁそう……」

「呼び方はどうでも良いのです。この戦いに出る理由は一体? 貴方達程の力量なら、コルデック内だけで人生を完結させられるでしょう」

 ティナが切り込むと同時に装甲車の速度が低下していき、やがて止まる。目的地への到着で俄かに騒がしくなる車内で、青年から答えは紡がれなかった。

 髪色と同じ黒と蛍光グリーンで彩られた、砲口を二本の刃で挟む奇妙な構造の剣を担いで、レミーは二人の前を通り過ぎていく。

「出来る男によくある泣ける過去。とでもしとく。死ぬんじゃねぇぞぉ」

「お互い最善を尽くしましょう。前座で負けるのは好みじゃないからね」

 やはり髪色と同じオレンジの、そして意図を読み難い配置で穴が開けられている長槍を担いだナナリーもまた、レミーに追従していく。

 掻き回され、煙に巻かれた事で戦前にも関わらず妙な疲労感を覚えたヒビキも、気を取り直してスピカを腰に差す。

 敵のスケールや連携の都合上、短刀や拳銃の類は外している。結果、怠惰な生活をしていた頃よりも身軽な彼に対し、精緻な装飾が施された長剣と刀を装備しているティナは、装いも相俟って戦場に赴く者とは思えない。

 漏出している闘争心を以て戦士であると示す双剣士の少女は、全身に括り付けられた武器を丁寧に検分していく。

「ルーゲルダさんは?」

「ルルさんなら対アルベティートの部隊だ。父さ……父と比較すると私との連携は精度が低い。それに知識も豊富だからな」

「そうか」

 当人には語らないだろうが、ルーゲルダが別行動を選択したのは連携云々ではなく、ティナを信頼しているからこそだろう。

 誇るべき事実にも関わらず、浮かない表情のティナの肩をヒビキは軽く叩いた。

「お前の事を信頼してんだよ。一人でも大丈夫ってな」

「なんだ気持ち悪い。ルルさんの気持ちを、勝手にお前が代弁するな」

 どこまでも当たりのキツい少女と共に装甲車から降り、陣形の説明を受ける。

 事前のブリーフィング通り、ヒビキは最前線での切り込み役を任ぜられた。リスクは極めて高いが、戦闘様式的には最善と言える。

 後方で重火器を繰る部隊は『トーレス烈士隊』の一部やアークスの正規軍人で構成されており、素人の助力が不要なのだろう。

「それでは各自持ち場に付け。生還を祈っている」

 機械的な激励の後、ヒビキは持ち場に就く。

 作法とやらがあるのか、力への絶対的な自信か。アルベティートは特殊な波長の音でルチアへ改めて宣戦布告を行った。

 嘘を吐くのはヒトと、そこに準ずる種族のみ。ならば、彼の者の配下は今日この時に必ず現れる。

 じっと待っているだけでも汗が滲み、バカバカしくなるほど喉が渇く。

 何度目か分からなくなるほどに、汗を拭った時だった。

「前方に巨大な魔力の波長……来るぞ!」

 拡声器から緊迫した声が届いた時、大地に岩山が屹立した。

 最初に見えた、蛇のように長い首と白濁した眼が瞬く間に上昇。桁違いの大きさに唖然とするヒビキの前で、四つの大木が大地を粉砕。土中を根城とする生物に見られる、一指と五指が極端に歪曲した爪は戦斧も同然に厚い。

 骨の粒を鎧に纏う胴部に翼はなく、尻尾も首と同等の長さを持つ。草食竜に近似の肉体的特徴を持つ竜は、雑な目測でも三十メクトル近い。

 遠戚かつ格上のラッバームをも凌駕する巨躯に圧せられたヒトをねめつけ、熾土竜しどりゅうは肺腑を震わせる。

「我が名はセイスレプモス。アルベティート殿の命に従い、愚かな猿を抹殺する」

「撃て!」

 口上が終わる寸前、指揮官の咆哮。

 ヒビキ達の背後から轟音。砲弾やミサイル、そして『剛練鍛弾ティー・ツァエル』を始めとした魔術が音速に迫る勢いで空を疾走。押し寄せる猛烈な熱波と轟音に、何処からか悲鳴が生まれた。

 海竜や飛竜、実戦投入され始めた戦闘用航空機といった高速移動を行う標的を仕留めるべく開発された巡航ミサイルを地竜に、しかも大量に用いるなど狂気の沙汰。

 備蓄や戦費を鑑みると、国民の批判を躱す為に何人か首を括りかねない消費は、有志軍を構成する者達の意思を言外に示す。

 聴覚が壊れそうな轟音の後、白煙によって姿が隠れる。

名有りエネミー』に括られた竜や頑健さを強みとする『古塊人ゴーレム』を、一撃で粉砕可能な砲火の雨に、全員の期待が集中する。


 そして、それは微塵に砕けた。

 

 煙が晴れ、露わになっていくセイスレプモスの巨躯に淡い光。魔術展開をしているとは即ち生きている。

「猿の小細工は滑稽だ」

 落胆と恐怖を封じ込め、再始動した戦士達に地鳴りの如き音。竜の声には痛みも恐怖も皆無。先の攻撃が何の意味も無かった現実に、動揺が拡散していく。

 ミサイルの雨を無効化させた『輝光壁リグルド』を解き、褐色の巨体が蠢動。悠然と掲げられた前肢に紋様が刻まれ光を放つ。

 記された魔術構築式は誰もが知る低位魔術。だが竜の持つ厖大な魔力に掛かれば、侮るなど出来る筈も無い。

「格の違いを見せよう」

 竜の宣告と共に大地が崩壊し、視界に陰が差す。粉砕と攪拌によって液状化した土砂による大津波が、集団に押し寄せる。

 咄嗟にスピカを投げ、ヒビキは空中に退避。飛行魔術を使える者は同じ道を選べたが、初手の大規模攻撃を担った者達はそれが叶わない。

 超大質量が彼等を悲鳴ごと飲み込み、無慈悲に粉砕しながら流れていく。余興とばかりに襲来する岩弾を受け流し、泥濘の大地に降り立ったヒビキの顔は、蒼白な物になっていた。

 どれだけ強力な戦車や砲台も、津波の前には呑まれるだけのガラクタと化す。土砂に依る津波は打撃攻撃の効果も付与される為、ヒトが囚われると肉片一つ残らず粉砕される。

 一撃で定義上の全滅を描く破壊力もさることながら、使用した魔術も人類への精神的なダメージを齎した。

 変質させた土塊を敵に飛ばす低位魔術『融跳土ホッパリス』で、戦車を全滅させる破壊力は異次元。高位魔術を行使された時の被害は想像したくもないが、そもそも使用する必要が無いと錯覚させられる。

 低位魔術だけを行使するなら、消耗は無に等しい。無限に地獄を生み出す竜が相手では、勝ち筋どころか生存可能性すら霞む。

 岩弾で引き裂かれたジャケットを脱ぎ捨て、スピカの泥を払う。場に生まれた呻きと断続的な爆発音で、援護射撃は無いと見たヒビキは、セイスレプモスに捕捉される前に走り出していた。

 圧倒的な巨躯は死角が多く、そこを徹底的に叩けば隙は生まれる。

 狙いを定めた左前肢へ急速接近して『奔流槍クルーピア』を紡ぐ。膝の部位に着弾した水槍は、ダメージを与えられずに霧散するが、土塊の装甲を引き剥がした。即座に再生が始まり、視界から消えゆく表皮にスピカが食らい付く。

 最速の踏み込みから放たれた斬撃は、堅牢な鱗を破壊して僅かな赤を散らす。肉の層に跳ね返されたスピカを翻し、追撃に動いたヒビキの目前で竜の前肢が急上昇。

 次の瞬間、弩の速力で落ちて来た前肢が地面を穿った。

 爆散した土砂が空中で投擲槍に変形。先の砲撃にも匹敵する速度で有志軍へ降り注ぐ。数メクトル先で直撃を受けた戦士の兜や鎧が粉砕され、挽肉が零れる様を目の当たりにし、防御は無意味と悟ったヒビキは熾土竜の懐へ入り込む隙を伺う。

「許すと思うか?」

 冷徹な問いを浴び、強制的に動きを止められたヒビキへ『送冥緑饗炎ヘルア・ローダエス』の炎が襲来。恥も外聞も捨てて逃げを打ったヒビキは、持ち主を失った武器が緑の炎に触れるなり腐食・崩壊する様に舌を打つ。

 大規模攻撃を担う兵器や後方の魔術師を最初に潰し、懐に潜り込む不届き者を排除しながら、取り残された武器を纏めて退場させる。

 的確に戦力を削る指し手は、対人戦闘への造詣の深さを如実に示す。野生生物に多く見られる人類に対する軽侮はセイスレプモスに皆無で、精神面の揺さぶりは期待出来ない。

 軽率な踏み込みを封じられ、様子見を強いられたヒビキへ竜の首が向けられる。

「その姿、見覚えがある。お前がヒビキ・セラリフか」

「……だったらどうする?」

「兄者は良き先達だった。まずはお前の首をタドハクス砂漠に手向けよう」

 竜の社会には未解明な部分が多い。ラッバームとの深い関係を伺わせる言葉は、研究者には非常に興味深い物。

 しかし、抹殺宣言と白濁した眼に宿る鮮烈な殺意を浴びたヒビキに、そこまで思いを馳せる余裕は無い。後退を望む体に鞭を入れ、口腔から放たれる岩石を躱す。

 颶風の如く戦場を疾走するヒビキを、執拗に岩石は追尾してくる。止まった瞬間に圧死する未来が見えているが、持久力勝負では竜に叶う筈も無い。

 次を模索するヒビキに、不意に強烈な熱が届く。瞬く間に距離を詰め、駆け抜けた熱は巨大な翼を有していた。

「るゥああああああああああッ!」

 炎の巨鳥に転じたティナが、けたたましい咆哮を発し突撃。飛来する岩石を溶解させて突き進み、セイスレプモスの顔面を痛打して強制的に下降させる。

 ダメージが少なかったのか、即座に首を戻して仕掛けんとした竜の顔面に、蛍光グリーンの粘液が降り注ぐ。『輝界壁リグルド』を掻い潜った一部が、怪しく揺らめくと同時に猛烈な腐敗臭が広がる。

「これは!」

「派手に逝けよ! 刺激的な愛は流るるる、ってなぁ!」

 肉体に生じる変化から危機を悟り、治癒と解毒に意識が逸れた竜へレミーが急速接近。開かれた刃の先に鎮座する砲口から場違いに耀く光球が激発し、セイスレプモスの頭部から鱗を引き剥がす。

 呻く竜の前肢が上昇。胸部から『牽岩球ルベレット』を乱射しながら降りた肢で地面が爆散し、即席の地震が発生。後退を余儀なくされたヒビキ達は、揺れに慣れた頃に、セイスレプモスの傷が完全に塞がった現実に直面する。

「『炎凰天翔炸撃フェネイクラート』で隙が出来た。俺の『溶庖疫メルアソーム』を繋いでブチかましても、鱗を剥ぎ取っただけ。ちィと不味いな」

 タンパク質の分解作用を持つ、酵素複合体の塊を撃ち出す『溶庖疫メルアソーム』は堅牢さを強みとする生物に絶大な効果を有し、大抵の個体はこれを浴びると防御力が失われる。

 仮に耐え抜いたとしても、二撃目で確実に仕留められる。鉄板の組み立てが破られ、傷の再生が即座に成された事実は重い。

 嘆きの声が生まれても、決して責められはしないだろう。

「……戦える者は、あとどれほど?」

「頭数だけなら六割か? 殆ど萎えてるみたいだが。ヒビキ、まだイケるよな?」

「当たり前だ」

「私も行けます」

 初手で示された圧倒的な力量。増援が期待出来ない中で強いられる。戦力を大きく削られた状態での戦いなど、嘆いて当然の惨状。

 まだ踏み留まっているのは、ここで折れていられる余裕が無いだけだ。後ろ向き極まる理由で前を向くヒビキと、彼に負けじと乗って来るティナの様に、レミーは獰猛な笑みを浮かべる。

「よぅし、だったら俺達で総取りだ。仕込むんでお前ら……」

「話が長い」

 流れを断ち切り、炎が押し寄せる。酸素を取り込んで猛烈に拡大していく炎は、単なる水では消えない。二つの選択肢の内、彼等は単純かつ無謀な側を選択した。

 断続的に爆裂が発生する戦場を、三手に分かれて走り出す。

「逃がさん」

 微量の苛立ちを滲ませたセイスレプモスに光が灯り、黄金の戦槍が虚空から顕現。

 竜の周囲を暫し舞った夥しい数の戦槍は、風雨に晒された花弁の如く散開。有機的かつ不規則な挙動で戦場を駆け、戦士を蹂躙して大地を穿つ。

 槍の正体を金と読んだ者が『融界水スフィッド』を発動するが、何の効果も齎さずに発動者は貫かれる。積層金属で形成された装甲や四重展開した『剛鉄盾メルード』を容易に貫通する破壊力と掛け合わせると、誰も黄金槍の正体を掴めない。

 竜にのみ使用が許された魔術か。それともヒトが至らぬ領域に存在する物質か。疑問は尽きないが、当たれば死ぬ事だけは確かだ。

 進路上に槍が降り注ぎ、道を塞がれたヒビキは急停止。

「少しは……手加減しろよ!」

 手前勝手な叫びを上げ、戦槍を迎え撃つ。

 私的な恨みからか、彼に向けられる槍の数は明らかに多い。撃ち漏らせば即死する悪夢の仕掛けを、スピカで打ち払っていく。

 姿勢を、跳躍や後退で位置を変えてもそれに正確に呼応し、振り抜かれたスピカを掻い潜って喰らいに掛かる。穂先を反射的に蹴りつけて凌ぐも、それは瞬の時間を稼いだに過ぎない。

 延々と続く黄金の雨の渦中、ヒビキは残る二人を視界の隅に捉える。「仕込む」と宣言したレミーは、地面に剣を突き刺した状態で制止。傍らに立つナナリー・トスランドが発動する複数の防御魔術に守られながら、彼は視線に気付いて深く頷いた。

 一方のティナは『竜翼孔ドリュース』で飛翔し、前進を選んだ。

 黄金の槍が追尾し、岩の弾丸も放たれるが、まさしく鳥の如き身軽さで宙を駆ける少女はその全てを掻い潜り接近。

「鬱陶しい」

 ダメージこそないが、後方から時折届く援護射撃で意識が削がれるのか、熾土竜の迎撃網に僅かな穴が開く。『希灰超壁ウォルファルド』で更なる防御を展開するが、その仕掛けは精緻さを欠く。

 またとない好機と見て、ティナは翼から噴射する空気を増加。もう一段上の速度域に達した少女は、遂にセイスレプモスの頭部へ最接近を果たす。

「終わりです」

 腰に吊られた二刃の柄に手を掛け、交差させるように振り抜く。

 紫電と紅炎が、土埃と泥濘で満たされた大地を照らして十字を描く。美しい斬線はセイスレプモスの頭部をしかと捉え、微塵に刻んで消える。

 会心の一撃を放ったティナの顔に、勝利への確信や喜びは無い。

 刻まれ破片と化した物体は、セイスレプモスの口腔から伸びていた。つまり、本体は完全な無傷。斬撃の増幅に力を振ったのか、飛翔魔術が解除されて重力に囚われたティナの目前で、燐光が灯される。

「みすみす隙を晒す筈もなかろう。まずは一人、死んで貰う」

 極彩色を纏った炎の矢が大気を一閃。

 反射的にスピカを投じてティナを抱えたヒビキは、左腕を消し炭にされて地面に落ちる。受け身を取れずに仲良く転がった二人は、至る所を地面に打ち付けて止まる。

 事態の急展開に激しく動揺するティナを降ろし、ヒビキは右手で体に突き立った槍を引き抜く。派手な失血で意識が揺らぐが、手放す寸前で『魔血人形』による治癒能力が発動。

 顔面に負った火膨れや、焼失した左腕が再生され、スピカを構え直す。

「……あれは一体」

咽頭顎いんとうがくみたいなモンだろ。あんな使い方、初めて見たけどな」

幻光像イラル』などで誤認を誘う戦術を、厖大な魔力量の問題から竜は使えない。間合いに入れば一騎打ちに持ち込めると、対竜戦闘の経験者は判断するし、ヒビキもそうだった。

 熾土竜しどりゅうはそれを逆手に取り、一部の魚類が有する咽頭顎を口腔に形成し、囮に使ったのだ。攻撃の手応えが生まれる事で無意識の油断が生じ、その隙にカウンターを叩き込む巧緻極まる組み立ては、対人戦闘を勝ち抜いた竜の実力を示していた。

 背中合わせで槍を撃墜する二人だが、やはり多勢に無勢。徐々に押し込まれ、全身に大量の傷が刻まれていく。

「そろそろ厳しい。なんか考えてくれ」

「有ると思うか?」

「……まぁ、そりゃそうだよな」

 現状維持は死への片道切符。さりとて逆転の一手も見当たらない。背に最悪の予兆が忍び寄っていく中で、そのような決着を望まなかったのは竜も同じだった。

「時間切れなど許さん。私の『陸塊饗哭ヴェーゲ・ラ・クウェイア』で葬ってやろう」

「『陸塊饗哭』だと!?」

 ティナの激烈な反応に、ヒビキは一瞬怪訝な顔を浮かべた。

 セイスレプモスの四肢が接する大地に亀裂が生じ、地脈の魔力が吸収されていく様で、正体を知らぬまま危険性を悟るのだが。

 地脈に刻まれた魔力は、本来血晶石や魔力形成生物といった形で消費されるが、アラカスク平原は未踏領域故に手付かずで残っている。その全てを魔術に活用した場合、想像したくもない未来が待っている。

「やるしかない! 前に出るぞ!」

 ある筈も無い希望に縋った、彼等の選択は単なる自殺に等しい。

 何ら意に介さず、必殺の仕掛けを構築する竜は勝利を確信したように咆哮。音の大槌で最後の抵抗を制圧し、反動を殺す為か姿勢を低く執った刹那。

「……これ、は!」

 魔術構築が解け、セイスレプモスが苦悶に体を折る。誰かが干渉した気配は無かった故、ヒビキは一瞬動揺を見せるが、すぐに一人だけ『仕込み』を行っていた存在に気付く。

「すぐに中和される。ぶった切れ!」

 強い疲労が滲むレミーの叫びに押され、ヒビキは加速する。

 竜の出鱈目な反抗は精緻さを欠き、先の猛攻に晒されていた事で皮肉にも回避を容易にする。至近距離で放たれる槍すらも、ヒビキのスピードに追い付けない。

 遠距離魔術の間合いを踏破し、スピカの射程に到達。竜の再生速度と、それに伴う攻撃速度の修正は白眉だが、迎え撃つ全てを蒼刃が斬り捨てる。

 魔術の射出とスピカが空を切る音。そして両者が絡み合う音が奏でられ、獣の咆哮に似た音が連続して響く。

 膠着状態を破るように続いて生まれたのは、肉を引き裂く重い音だった。

 短いが、決定的な沈黙。首元に斬線を描かれた竜が口腔から血を吐く。

「……何が……起きた?」

「教える道理があるかよ」

 降り注ぐ血の雨を浴びるヒビキは、スピカを鞘に納めて息を吐く。

 刃が奔ったのは首の半分程度。にも拘らず、首が完全に切断された挙句、体内の魔力回路を破壊された。道理と現実の著しい乖離に疑問を浮かべたまま、熾土竜の首がずれ、四肢が脱力していく。

 前哨戦と定義された戦いで、犠牲はあまりに大きい。それでも勝利を掴んだ事に安堵するヒビキは、落下してくるセイスレプモスの頭に視線を引き寄せられる。

 生の炎が消えつつある白濁した瞳は、確かに笑っていた。

「骸に残された力は、アルベティート殿に届く。私は負けたが、私達は必ず勝つ。それが、ここに集った同胞の覚悟だ」

 確信に満ちた遺言を残し、熾土竜は生を手放した。

 巨体を大地に横たえ、二度と動かなくなった大敵を茫と見つめていると、肩で息をするレミーに声を掛けられる。

「よくやった。流石と言うか何というかって感じだわ」

「アンタの魔術のお陰だ。どういう仕組みなのか知りたいけどな」

「俺の剣の名前は『重砲牙ヴェノム』だ。それで分かるだろ?」

 はぐらかされたが、セイスレプモスの急激な変化と中和の単語から推測するに、レミーが発動したのは毒素を生成・拡散する魔術だろう。

 地脈から直接吸収していた竜に打撃を与えた事実から、相当な汚染をごく短時間で行ったのは確かで、マトモに決まれば大半の生物は死に至る筈だ。

『溶庖疫』の行使から大地汚染まで、派手な見た目から来る予想を裏切る絡め手の巧者。戦いに呼ばれた理由を明朗に示した男は、荒い息を吐きながらヒビキの背後を指し示す。

「こんだけ広範囲にやると、今日はもうキツイけどな。向こうを見る限り、そうも言ってられないか」

 振り返ったヒビキは、全身に圧し掛かっていた疲労が消し飛ぶ感覚を抱いた。

 方角は総司令部近辺、即ちエリスを筆頭とする対アルベティートの部隊が居る地点の上空に、猛烈な吹雪が吹き荒れていた。

 平原一帯は晴天と言い難いが、極地のような常に降雪が観測される場所ではなく、事実ヒビキ達は天候の妨害を受けずに戦った。

 超局地的な天候変動という、惑星の摂理を捻じ曲げる存在など最早思考する余地もない。


『エトランゼ』首魁たるアルベティートが、アラカスク平原に降臨したのだ。


「ラスボス登場、って訳だ。寝てる場合じゃないよな、マジで」

「そんな良いモンかよ。連戦になるんだぞ」

「呑気に話している場合ではないかと。急ぎましょう」

 ティナの言葉を合図にヒビキ達は、そして生存者達は乗って来た装甲車へ向かう。

 大規模兵器やその繰り手は放置せざるを得ず、無惨な亡骸の傍らを抜ける度に痛みが走る。参戦の理由が何であろうと、これだけの犠牲が出た以上、最早この戦いに退路は潰えている。


 どれほどの死と地獄が待ち受けていようとも、生存という財貨を得るべく死闘に身を投じる他ないのだ。

 

 

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