6
ロザリス総統と彼の懐刀による抵抗は、長く続かなかった。
元軍人と言えど、ロドルフォは実戦から離れて久しい。現在も実戦に出ているフランも、肉体に埋め込んだ武器は弾丸の補充が必須となる。
前者は論外。後者にしても破壊された基地という、補充が得られない場所では早々に機能不全に陥る。
怪鳥と飛竜の嘲笑に似た咆哮を浴びる二人は、地に伏したまま呻いた。
「なぁフラン……俺達、何頭、殺ったっけ?」
「五頭、でしょうか。……大戦果としても、良いのでは?」
「全、滅させたなら、それも通るんだけどなぁ」
胸部に穴を穿たれる。頭を半分吹き飛ばされる。翼を強引に捥ぎ取られる。
多様な死に様を晒した亡骸と、噎せ返る程の死臭が彼等の戦果を明朗に示すが、上空にはまだ大量の飛竜が残っている。
そして群れを率いる怪鳥シャパラルが健在な時点で、結末は定められたに等しい。全身を苛む負傷は凄惨だが、二人にとっては詰みに追い込まれた事実の方が痛い。
ここを通せば、怪物の群れは大陸全土に攻撃を仕掛ける。何れは殺されるだろうが、そうなる前に死体の山が築かれる。立場云々を抜きにしても、それだけは許容する訳にはいかないのだ。
「なんか……なんか残ってないか? 華麗にピンチを脱出する凄いのが!」
「総統……もう寝たのですか?」
失血で紙の如き色になった顔を強引に持ち上げ、口の端を吊り上げた雑な笑みを浮かべ、フランが吐き捨てる。
数少ない生身の部位である右目に生への執着が宿し、弾が切れた左腕を杖代わりに立ち上がって腰を落とす。降下してきた瞬間に刺突攻撃を仕掛ける狙いは勇ましいが、敵もその程度は読んでいる筈。
遠距離武器が悉く破損した今、空中から魔術の飽和攻撃を受ければ終わる。甲高い咆哮と共に怪鳥が翼に光を灯す様は、最悪の予想を肯定する。
「あーフラン、遺言を教えてくれ。俺は遺産を七十人いる愛人へ平等に分配してくれりゃ良いから」
「……多分、実際はその八分の一ぐらいに伝えたら良さそうですね」
「妙にリアルな人数を言うんじゃねぇや!」
「どうして死ぬ前に中年の肉欲ボケを聞く必要があるんですか!」
鉄火場を越えて来た者とは思えぬ、低俗な怒鳴り合いを他所にシャパラルは魔術を展開。『
怪鳥に追従する形で、飛竜も次々に火球を放って逃げ場を塞ぐ。遺言を残す暇も与えられず、猛然と死が迫る無情を前に、彼等は反射的に目を閉じる。
「ぬぉっ!」
暴風が吹き荒れ、金属を叩く音が基地に響き渡る。派手に地面を転がり、既に刻まれていた傷が更に広がって痛みが増幅するが、予想していた死は来なかった。
逆転の要素が何一つなかったが故に、生存への喜びが搔き消されたロドルフォは目を開け、巨大な人影を目撃する。
薔薇の意匠が踊る赤褐色の鎧越しでもはっきりと分かる、鉄板から削り出したかのような分厚い長躯。短く整えられた鳶色に、雄々しさを醸し出す彫りの深い顔。
派手さを極限まで削り落とした長大な両手剣まで見た所で、乱入者の正体にロドルフォは気付く。
「お前……」
「イルナクス連合王国・巨大生物特別処理部隊隊長。ハーヴィス・クロムウェル、近隣諸国の危機に参上! ご無事ですか?」
海峡を超えた王国の最高戦力の片割れは、快活な笑みを残して視線を上空へ向ける。乱入者の登場で敵の群れは惑いを見せるが、ロドルフォ達と同じヒトであると解するなりまた喧しく啼き始める。
世界屈指の軍事力を誇るイルナクスの頂点ならば、実力に疑念の余地はない。だが、遠距離魔術を持たなければ群れの打倒は困難を極める。敵の余裕も、その辺りから来ているのだろう。
焦る人類と、勝利を確信した獣。
「お二人とも、俺は仕事でここに来ました。仕事なら、俺は死んでも負けやしない。無様な敗北は二度も許されない。陛下の意思も、そこにあるのでしょう」
どちらにも立たず、意味深な呟きを吐く男の姿は空中にあった。
純粋な肉体の発条と『
予想外が過ぎたか、何の防御も取れずに剣を受けた怪鳥の胸骨が粉砕。聞くだけで心の平穏が乱される喚きを無視して、ハーヴィスは剣を捻りながら引き抜く。
「ありゃ失敗か。怪我明けでちょっと鈍ってるなぁ」
雑に血を払い、まるで蠅でも叩くような気安さで剣が降ろされる。行先は、シャパラルの背中だ。
狙い過たず落ちた刃が強靭な皮膚を引き裂き、その下にある肉に到達。発達した筋肉を紙屑の如く斬り捨てても尚止まらぬ刃は、怪鳥の脊椎をも粉砕して無骨な全貌を再び空に見せる。
断末魔の叫びと共に落ち行くシャパラルを蹴り飛ばし、ハーヴィスは空中でもう一段跳躍。呆気に取られように硬直していた一頭の首を飛ばし、飛竜の群れへ果敢に挑む。
大質量落下の必然として、地面に激震が生じる。派手に転倒した二人は、己の負傷すら忘れて上空の光景に目を奪われる。
「行くぞおおおおおおおおおおお!」
ハーヴィスは圧縮空気の噴射で肉体を制御し、襲い来る飛竜と互角に空を舞い、巨大な剣で切り裂く。単純かつ使用している魔術に見るべき所はない粗暴な戦闘だが、飛竜を相手取って互角以上に持ち込んでいる事実は、彼の力量が想像し難い程に高いと示していた。
「ヒトが……飛行装備も無しに空中戦をやってる」
「出来ないことは無いでしょうが、彼の魔力量では不可能な筈です」
「いいえ、あの子なら可能よ。機械に頼っているから、大切なことが見えなくなっているのではなくて?」
呆れたような声が届くと同時、身構えた二人の目前に童女が忽然と顕現。
喪服と見紛う漆黒のドレスを纏い、奇怪な揺らぎを湛えた翡翠の瞳が嵌る顔は非常に幼い。一桁の年齢でも納得の行く姿の童女が向き直ると、二人は雷撃に撃たれたように身を竦ませる。
「はじめまして。ヴァイマル鋼国はアマーリア・ロルトリンゲン家当代、ヴルツェリ・アマーリア・ロルトリンゲン。『
童女の問いに、ロザリス人は何も発せられない。
ロザリスに勝るとも劣らぬ近代兵器を揃え、精強さが知れ渡っているヴァイマル鋼国の頂点に立つ存在が『茨姫』であるのは周知。滅多に姿を現さない事でも有名だが、為政者側の二人は当然姿を目撃している。
外遊時に見たのは、今にもお迎えが来そうな老婆だった。活動記録からするとあの姿が妥当で、断じて童女ではない筈。
そのように告げたロドルフォに、童女は小さく首を振った。
「発想が貧困です。はじめましてと、言った筈でしょう」
「どういう事だ?」
「あの者は只の影武者です。力を振りかざして、自己の存在をひけらかす趣味はありませんので。わたしが目覚めるのは、世界の危機が差し迫った時だけ」
問答を繰り広げる三人の直上に影。一頭の飛竜が、地上の存在を思い出したかのように方向転換。開かれた口腔の奥に灯るは『
十全に人を殺害可能な仕掛けの接近に、ヴルツェリの目が動く。
「無粋」
宣告が為された刹那、虚空から緑の奔流が生まれた。
禍々しい形状の棘が並ぶ奔流、即ち茨が竜の頭部に絡み付いて強引に魔術発動を止める。こじ開けようとする足掻きに呼応して戒めが強まり、砕けた鱗や血を浴びるヴルツェリは、厭わしさを表出させながら手を翻す。
蠢動していた茨が竜へ殺到。表皮を貫通した茨は体内を好き勝手に這い回り、竜の肉体を破壊していく。
「眠っている間に、わたしの紛い物が大きな顔をされていたそうですね。ですが」
言葉が途切れ、竜の肉体が弾け飛んだ。
落ちていく肉片を糧に、更なる茨が発生。ハーヴィスと交戦する個体へ無慈悲に喰らい付き、次々と茨の塊に変えていく。
気付けば、空には緑色の物体が点在するだけとなり、続いて生じた花火の如き断続的な爆発によって赤の雨と化す。
「紛い物は本物に勝てはしません。これが絶対の真理です」
酷薄な笑みを浮かべ、ヴルツェリが右手を降ろす。同じタイミングで着地したハーヴィスは、快活な笑みで彼女の頭を叩く。
「お久しぶりですね! えぇと……」
「二十八年ぶりです。ご両親は息災で?」
「あちこちが痛いとボヤいていますが、まぁそれなりに。……ともかく、お二人とも無事で何よりです」
戦の直後とは思えぬ、穏やかな言葉にロドルフォの背に悪寒が走る。隔絶した強者が、生命の破壊に無頓着なのはよく語られる説だ。
自身も敵対者を徹底的に殺して来た過去を鑑みると同類だろうが、目前の二人は異常に過ぎる。
肉体強化魔術と剣一本で、飛竜に空中戦を挑んで勝利する男に、茨の召で虐殺を成す自称ヴァイマルの切り札。世界有数の力量を誇る彼等に、絡め手を仕掛けても一蹴されて終わるだろう。
自己完結した力を持つ者程、御し難い。対応次第で死を招くと覚悟を抱き、思考を回し始めたロドルフォだったが、ハーヴィスが剣を背負って肉体強化魔術を解除した事で杞憂に終わった。
「俺は本当に陛下から指示を受けただけですよ。『汚名返上を成してこい』ってね。茨姫殿はちょっとばかり仕事があったみたいですが」
「……仕事?」
「禁忌を犯せば彼の者達の討伐は叶う。惑星の致命的な破壊と、人類の滅亡が代償となりますが。幕が開いた時点で、我等に残された道は引き分け以外ありません」
『エトランゼ』がどれだけ強くとも、禁忌の兵器や魔術を総動員すれば勝機はある。同種の研究から試算した強度と魔術耐性から、一定数の学者はそのような説を提唱していた。
問題はそのような形で掴んだ先に待つ物が、致命的な惑星汚染と人口の激減であることだ。
禁忌によって汚染された大地では、人類のみならず竜を始めとした殆どの生物が生存困難に陥る。微生物や宇宙空間への適応を果たしたとされる『天空龍』は残る可能性があるが、前者が現状の生態系に至る保証は何処にも無い。後者にしても、一頭だけではどれだけ強くとも種の存続は出来ない。
惑星内の生物や事象が全て消え去る、最悪の未来図を幻視したロドルフォ達の貌から色が失せる。
本来何を供物に捧げてでも得るべき勝利は滅亡に直結するとなれば、狙うはヴルツェリが語る通り引き分け以外ない。しかし、敵は『エトランゼ』だ。数分保たせるだけで幾百の命が消える強者を相手に、どうやって引き分ければ良いのか。
答えが存在しないとすら思える、狂った難題を提示した童女は、空中の茨を掌に収めながら淡々と言葉を連ねる。
「『白銀龍』の殺戮を止められる札は、世界に二枚だけ。サイモン・アークスの行っていた交渉と、わたしが築いた道でそれらは確実に現れる。図らずも、道を開く対価も確保しました。ですが、顕現までに戦線が崩壊すれば皆等しく死ぬでしょう」
意味を解せない言葉を吐き、ヴルツェリは遥か彼方の戦場に目を向ける。
翡翠の瞳から澱みが消え、残ったのは強い懸念。
「ここで覚醒して力を行使したわたしは、その先にある最後を追えない。最後に臨む者の幸福な結末を、願う他ないのは口惜しいですね」
先の狂乱が幻であったかのように、静寂が降りた基地に一陣の風が吹く。
噎せ返る程の硝煙や血肉の臭気を乗せ、場に残る生者の周囲を踊り、やがて離れる。彼等の意思はそこに乗せられず、極大の絶望が生まれ落ちる地に届きはしないだろう。
◆
漆黒が支配する世界に、巨大な流線形が鎮座していた。
時折生じる揺らぎで生命体と辛うじて判断可能な流線形は、沈黙した世界で沈黙を守っていた。
時間の尺度に当て嵌めるなら、既に一月以上の停滞。朽ち果てる道を選んだと、世界が判じそうな時が流れた今、小さな泡が世界に生まれた。
「肚は決まった。二千年前の借りを返しに行く。御三家当代と、ドラケルンの魔剣継承者を排除すれば釣りは出るだろうな」
遠雷にも匹敵する音が放たれ、揺らぎが拡大していく。
何処まで響き渡るそれを引き連れ、流線形が上昇。遥か彼方に存在する白を目指す道程の中で、もう一度音が生まれる。
「義理と忠誠はある。そして、個としての矜恃はオレにもある。始めるか」
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