5

 勝利を知らぬ者は、己の声を放てない。

 敗北を知らぬ者は、己の現実を知る事も出来ない。

 真の強者に至るには、敗北によって理想と現実の間にある隔たりを知り、正しく絶望することが必要なのだ。

 あまりに速くなり、敗北と絶望を忌み嫌い、嘲笑うことが是となった世界に於いて、このような考えは恐らく過去の遺物なのだろうが。


       ヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルス、最後の手記より抜粋。  


                ◆


 急襲した竜の群れを『白光ノ騎士』が一蹴した事実は、有志部隊に一定の希望を齎した。

 一個師団を動員しても勝敗は五分程度になる数の竜を、一刀の元に斬り伏せた戦士が核になるならば、『エトランゼ』でも戦いが成立するのではないか。

 圧倒的な戦果を目の当たりにして、楽観論に近い希望で意気が高揚したままブリーフィングが終わり、ヒビキ達は小さなテントに集っていた。

 特等席で見学する羽目になった彼が、エリスの立ち回りを語るにつれて全員の顔が引き攣り、最終的に頭を抱えんばかりに悩む姿は、第三者の視点では滑稽だが責められない。

 ――見てなきゃ俺も……実際に見た今も、アレが現実って思いたくないからな。

 歴史が示す通り、エリスが振るった『祓光剣アロンダイト』は過去の大戦でも大きな戦果を上げた。業物と認識していたが、剣を抜かずに竜を全滅させるなど前代未聞。

 全開状態で振るわれた聖剣が人類に向かえば、叛旗を翻す者は消える。心の向き次第で、エリスが世界を支配してしまえるほどの力が確かに在る。

 奮い立ったというよりも、寧ろ恐怖を呼び起こす圧勝劇で生じた沈黙。強引に打ち破ったのは、場で最年長のルーゲルダだった。

「実力と召集された人達の格から、核は間違いなくエリスさんですね。彼のサポートにセルルさんや、トーレス烈士隊の皆様が宛がわれるのでしょう」

「ヒビキの話を聞く限り、サポートは不要な気がしますがね。あの火力を本命に余さず叩き込む為。ぐらいしかお題目が浮かびませんよ」

「呼んだのに使わないとなれば、戦後に遺恨が残りますから。面倒ごとを起こしそうな人達は、本隊へ積極的に組み込むでしょうね」

「看板は豪華なのに、しみったれた理由で色々決まるんだねぇ」

 技術面を買われ、後方支援に組み込まれるライラの呆れ声に、一同揃って苦笑する。

 何を目的にしようと、組織には妥協点の設定が求められる。後の憂いを断つべく、厄介な連中を優先的に起用するのはよくある話。絶対的な頂点が定まっている今回は、まだマシな方だろう。

 人類の危機にも関わらず、妥協点とやらに拘泥する様は「しみったれた」と形容されても仕方のない話なのだが。

 華やかな話を横に置いて、自分達の立ち位置に視点を戻す。

 直々に指名された事実と不一致が生じるが、全員が対『エトランゼ』から外された。富や名声を勝ち取る機会を奪われたとするか、多少のリスク低減が叶ったとするかは人それぞれだが、少なくともヒビキは後者だ。

 ゆかりと出会って間もない頃に対峙した、カラムロックスが齎した恐怖は今でも鮮明に思い出せてしまう。

 幸運の助力で撃破したものの、あの時の相手は影でしかなかった。弱く見積もっても数倍の戦闘力を誇る本体が相手となれば、勝敗以前に戦えるかが問題に成る。

 

 誰かに任せてしまえるなら、それが最善となる相手なのだ。


「そもそもさ、本当に来るのかな? これだけの戦力が揃えば、死ななくても傷ぐらい負うでしょ。危険を背負わず、今まで通りの攻撃をしそうじゃない?」

「いいえ。全員ではないでしょうが、一頭は確実に現れますよ。こちら側の事情を問わず、反抗の意思を示した集団を潰す事は、今後に大きく影響しますから」

「強い奴を一気に殺して、スムーズに人類を滅ぼせるメリットがあるってこと?」

 ルーゲルダの首肯は、楽観論を微塵に打ち砕いた。しかし、今必要な物は現実を見る眼と、楽観論を唱えたライラも理解している。

 二千年前の大戦で形式上の「引き分け」を得られたのは、エトランゼが人類の生への執着を解さず、異邦の勇者召喚を含めた様々な対策を講じる時間を許したからだ。

 大々的な抹殺宣言で炙り出し、抵抗の意思が強い者を一網打尽にする手は乱雑だが、失敗の芽を摘むという意味では理に適っている。一方的な蹂躙が可能な力を持ちながらも、精神を崩しに掛かったのは、こちらを舐めていない証拠だろう。

「アルベティートの指示で来たって、ペグザールは言ってたな。先鋒が殺られたなら大将が出るのは道理だ。いきなりアルベティートと当たってもおかしくない」

「そう言えば、エトランゼの中で何故アルベティートが頂点に? 進化の樹形図で考えるなら、メガセラウスが頂点で良いと思うのですが」

 既に一年近くこの世界にいるが、未だ最深部を知らないゆかりの疑問に、場が凍り付く。戦場に出ないライラすら硬直する様に、異邦の少女は不安を表出させる。

「……生物学的なお話をするならユカリさんの仰る通りですが、アルベティートは別格です。原初竜の時代、三億年前から存在しているあれは『天空龍』と『淵海龍』と並ぶ惑星の頂点。誕生の古さから水中戦以外不可能なメガセラウスではなく、あれが頂点に立つのは道理と言えるでしょう」

 補足するなら、表舞台から姿を消した天空龍と淵海龍と異なり、アルベティートは世界への介入を続けている。その中でヒトの文明や戦術にも触れており、残る四頭のエトランゼとは格の違う強さを獲得するに至った。

 同属や他種族との闘争で勝利を重ね、一万年以上生きた竜は『龍』は、名前の出た三頭を含めても五頭。その事実だけでも、戦いの無謀さは理解出来てしまう。

 否応なしに重くなる空気を破壊したのは、酷く間延びした声だった。

「ティナちゃん。どこにいるの~?」

 危機感が皆無の美しい女性の声に呼ばれ、険しい面持ちだったティナの身が跳ね、逃げ場を探すように首を巡らせる。

「この辺りにいるって聞いたのだけど……私、もしかして道を間違えてしまったのかしら?」

「出てやれよ。お前を探してるみたいだぞ」

「ば、馬鹿を言うな! 人違いに決まっているだろう!」

「召集者の名簿を見たけれど、他にティナって名前の人はいなかったよ」

「ユカリさん、あなたどうしてそんなに細かいのですか!」

「名簿を見ておかないと、何かあった時に困るから……。後、キャラが崩壊してるよ」

 ゆかりから突っ込みを受ける、予想外の事態に進退窮まったか。ティナが頭を抱えて呻くが、そうすると声が漏れる。当然、外の彷徨者にも音は届いた様子で、軽い足音がこちらに近づいてくる。

 往生際悪く退路を模索しているティナを、フリーダとライラがそれとなく抑え、テントから出たヒビキは、射干玉ぬばたまの瞳に迎えられた。

「あら、貴方は……」

 年齢不詳の、無理に括るなら三十代後半と言えそうな、極東系の女性はヒビキの顔をまじまじと見つめる。戦場よりも、何処かの屋敷が似合いそうな美貌の持ち主に相対した事で生じる、得も言えぬ居心地の悪さを押し殺し、ヒビキはテントの内部を指し示す。

「ティナ・黄泉討・ファルケリアの知り合いか?」

「えぇ! ティナちゃんはこの中に?」

「一応……な」


 答えるなり、女性の表情がぱっと華やぐ。


 静から動へ一気に切り替わり、今にも踊り出しそうな程に意気の上がった姿にたじろぐが、ここは話を進めるべきと切り替えながら、ヒビキは本題に入る。

「喜んでいる所に悪いんだが、名前は? で、ティナとはどういう関係なんだ?」

 ようやっとたどり着いた問いに、女性はハッとしたように姿勢を正す。

「いけませんね、喜び過ぎました……。私は逢祢・黄泉討・ファルケリア。ティナちゃんのお母さんです!」

 ティナは当然ヒトで、当然家族もいるだろう。

 血統や家柄を重視して結婚相手を選ぶのは古臭い。そのような私見をヒビキは持っているが、彼女の父親は先々代アークス四天王ハルク・ファルケリアだ。世代的にその手の縛りを受けていても不思議ではないが、極東人は予想外に過ぎた。

 深く考えてみると、黄泉討という家名は極東最強の侍の家系『御三家』の一角。ティナがここにいるのならば、職業上親族が来るのは道理だ。

 だが目の前の女性はあまりに若い。明らかに諸々の要素と年齢が噛み合っておらず、漂う空気は肩書からも程遠い。

「母親ぁっ!? アンタが、ティナのっ!?」

 素っ頓狂なヒビキの叫びが、基地内に響き渡った。


                   ◆


「ティナちゃん! どうしてここに来るってお母さんに言わなかったの!? ルルもちゃんと教えてくれないと!」

「もう十六歳です。母様も私と同じ年齢の時には、戦場に出ていたでしょう」

「お母さんは認めてません! こんな危ない場所に出るなんて……」

「では、母様もそろそろ隠居しましょう。老化抑制を行っていても、六十四歳にもなって各国の戦場で刀を振るうのは危険ですから」

「そ、それは……」

 風船から空気が抜けていくように、逢祢の意気が萎んでいく。その様に肩を落とすティナとは、確かに血の繋がりが垣間見える。

 前者が異様に若く見える為に、年の離れた姉妹との形容が正確に思えるのだが。

「アイネさんって六十四歳なんだ!? 全然そうは見えないよ!」

「魔力に依る老化抑制を行っていますから。ルぅちゃんもそうしてるけれど、あの子はしっかりしてるから、私より大人に見えるのよねぇ」

「バウティスタ司令とお知り合いなのですか?」

「夫の、ハルクさんの教え子よ。あの代では一番真面目で……今回みたいな大仕事に適任だと思うわ」

 ライラやフリーダからの問いに淀みなく応じ、場を圧するスケールの答えを放つ女性は、何かを探るようにテントの内部を見渡す。

 先刻からの見せている姿は、親馬鹿を通り越した何かでしかない。しかし御三家当代で、インファリス大陸に於いて最も名が売れているのは間違いなく逢祢だ。


 曰く、城を一刀の元に斬り捨てた。

 曰く、死人を隷属させて一個大隊を蹂躙した。

 曰く、首無し馬に跨り天を駆けた。


 真偽不明の物も含めて、逸話は無数に転がっている。加えて、ティナが彼女を「戦力外」である旨を発していない事実は、逢祢の力を暗示していた。

「なぁ、アンタはルチアに招かれてここに来たのか?」

「いいえ。ルぅちゃんは私のような駒を好まないし、私もあの子の望むようには動けない。参戦は私の独断です」

 単刀直入な答えに鼻白んだのは一瞬。逢祢の答えは、状況を鑑みると実に真っ当な物だ。

 彼女の戦闘スタイルは魔術を殆ど使用せず、大刀を振り回す超近接型。集団戦闘の記録は、祖国を出た後に限定すると存在しない。

 トーレス烈士隊を始め、銃火器を主とする者も多い有志部隊と彼女の戦闘様式は相性が悪い。実力、又は格が低ければヒビキ達のように雑に扱えるだろうが、彼女の実績はそれを許さない。

 しかし、描き出される可能性を秘めた最悪の戦況に於いて、逢祢・黄泉討・ファルケリアが最強の鬼札ジョーカーとなるのは確かだ。

 正式な召集こそされなかったが、嘗ての教え子への義理や娘を思う親としての心。そして闘争心と世界滅亡を望まぬ理性を刺激され、事実として場に現れた。


 ――ティナの言う別の理由。もしかしたらこの辺りかもな。


 答え合わせこそ行わなかったものの、強者を呼び込んだルチアの指し手に、ヒビキは微量の恐れを抱く。それを察したのか、逢祢は薄く笑って手を振る。

「貴方達の顔に泥を塗る真似も、必要以上に出しゃばりもしません。あくまで私達は外野よ」

「貴女程の外野がいると、僕達は安心どころか不安ですよ」

 苦笑気味のフリーダによる指摘で、場の空気が更に緩む。

 部外者にミーティング内容を漏らすのはご法度。

 理解しているのか逢祢も求めず、過度な情報共有を行おうともしない。必然的に話題は戦から離れた物に移る。簡単な自己紹介から始まり、逢祢とティナの親子関係についての話が多く挙がっていく。

「それはもう昔の話でしょう!」

「良いじゃない。昔も今もティナちゃんは可愛いんだから」

「これ以上は親子の縁に関わりますからねお母様っ!」

「えぇ……」

 ティナに纏わる妙なエピソードを多数知り、四人が苦笑を浮かべる時間が流れていき、やがて解散の時間になる。この時間まで自由行動が許されている事実が示す通り、夜の見張りは交代で行われており、ヒビキ達の番は二日後に回って来る。

 とは言え、明日は『名有り』の討伐任務が控えており、そもそもいつ出番があるか分からない以上、許されている時に休息を摂るべきだ。

「そんじゃ、また明日」

「うん、またね」

「私は明日から後方支援に回されるけれど、死んじゃだめだよ!」

 一応分けられている就寝用のテントへ向かうべく、男性陣二人は歩き出す。

「どう思った?」

「アイネさんが善意で来たのは本当だろうね。けれど、最初から全力を振るってくれる事は期待すべきじゃない。いや、そうなるべきではない」

 当人の意思がどうであれ、無関係な第三者の乱入は組織の評価に大きな影響を及ぼす。

「妄言に貴重な金と物資と人員を注ぎ込んだ」なる逆風に、計画段階から晒され続けている有志部隊は、他の軍事作戦以上の成果が求められる。加えて、人員や装備の損害と言った失点に対して過敏にならざるを得ない。

 御三家の名と実績は偉大だが、侍は日ノ本の政変で地位を失い、今では見世物以外の役割を奪われた。逢祢を受け入れようものなら、大国の立ち位置を確保しつつある日ノ本と参画した国々の関係は著しく悪化する。

 多大な損害を被った挙句、戦後の火種がまた一つ生まれ落ちる。

 本末転倒の事態を回避する為にも、現時点で逢祢をアテにしてはならない。緩みかけた気を引き締めつつ、明日以降の動向についてやり取りを交わす。

「『熾土竜・セイスレプモス』は『砂王竜ラッバーム』の遠戚。ラッバーム程の巨体はないけれど、大地に甚大な影響を及ぼす怪物。このクラスが相手だと、先のことを考える余裕はあまりないね」

「……だな」

 逃避行の道中で戦った砂王竜もまた、異常な強さの持ち主だった。対竜戦闘のプロとも言えハンナがいなければ、今頃タドハクス砂漠の砂粒になっていただろう。

 重戦車型だったラッバームと異なり、セイレプモスは絡め手を多用するとされ、央華のピン砂漠を壊滅させた記録も残されている。

 数的有利を信頼しきれない相手。しかもそれが他に三頭確認されているなど、本来ならこれだけで災害級の事態。殿に控えるのがアルベティートと来れば、破滅思想が妄想する終末の光景に等しい。

「『白光ノ騎士』のアレがあったから、部隊の士気は高い。それだけが救いだな」

「あの数を一撃だからね。彼がいるなら、多少は見通しも良くなるんじゃないかな」

「随分おめでたいな。逢祢が目を付けた者とは思えん」

 酷く錆びた声が降り、発信源を探す。通信用に設けられた簡易的な尖塔に凭れ掛かるように、粗末な衣服に身を包んだ男が立っていた。

 退色し始めた黒髪や皺が垣間見える顔が、戦場に立つべきでない領域にいる事を示すが、全身から滲む屈折した闘気や、戦闘用義手を宛がわれた右腕は男が同類と認識させるには十分な代物だった。

 歩み寄る男の黒瞳が二人を捉える。頭から爪先まで検分されているような薄気味悪さを抱きつつ、念の為に身構えるが、男が首を振った事でそれは杞憂に終わる。

「黒髪に貧相な体。男だか女だか分からん不景気面のお前がヒビキ・セラリフ。頭は回りそうだが、覚悟の足りない面をしている茶髪がフリーダ・ライツレか」

 失礼千万な形容で動きかけた足を押し留め、ヒビキは首肯。

 尖塔からここまで二十メクトル弱。殺意の類が無くとも、本来なら視認することが可能な近距離にいながらも、声を発するまで存在を悟らせなかった事実は高い力量の証左。

 体の何処かを奪われなかったのは、男の自制のお陰でしかない。

「アンタは? 見る限り極東人っぽいが、アイネさんの連れか?」

「奴に買われてここに来た。ソン漢拏ハルラ、南鮮民国の出だ」

 日ノ本の西北西に位置する半島は、民族紛争によって南北に分かたれた。男が示したのは、より日ノ本に近い南側。

 北部と異なり自由な移動が許されているが、央華人が不在である事実が示す通り、本作戦に参加した極東人は少数。逢祢に「買われた」と語るならば、彼もまた乱入者。

 語り口から察するに、エリスの超技を目の当たりにした筈だ。

 あらゆる要素が疑問と興味を喚起し、ヒビキは漢拏と名乗った男に問う。

「アンタも見たなら、何故温いと思った? 少なくとも、俺はあんな勝ちを描けない。真面目に考えると、アイツに任せてしまうことが最善かもしれない」

「ここに集った連中が全員で仕掛けても、恐らく奴が勝つだろうな」

 予想に反して、漢拏は『白光ノ騎士』の力量を肯定する。

「では何が不安なのですか? 彼の経歴や実績は素晴らしい。力に溺れる傾向もないし……」

「奴は負けたことがない。それが問題なのだ」

 勝敗の判定は曖昧だが、全ての戦士は皆敗北を経験している。ヒビキも例外ではなく、ここに立っているのが不思議に思える数の敗北を重ねて来た。

 翻って、エリス・ハワード・ルクセリスは記録されている限りでは只の一度も負けた事が無い。徹底して雑魚を狙う賞金稼ぎや、ヒルベリアの『塵喰い』でも有り得ない話で、彼が戦ってきた相手からすると異常さは増す。

 弱冠九歳で戦場に出てから十年。全ての敵に完全勝利を収めた経歴を人々は称えるが、懸念材料と見た者はいなかっただろう。

 男の特異な視点は、聞き届ける価値がある。

 そう判断したヒビキは腰を降ろす。特段の反発を見せず彼に倣った漢拏は、静かに語り始める。

「誕生の瞬間から勇者の人生を決定付けられ、それに違わぬ才を抱き、溺れることなく鍛錬を積んで勝利を重ねて来た。『努力すれば全てが手に入る』と、腹の底から信じているだろうな」

「……」

 言わんとする事を解し、ヒビキの脳裏に先日対峙したデイジーの姿が掠める。

 暴力に依る戦いでは確かに勝利したが、彼女の心を救う事は出来なかった。歩んだ道が著しく異なるデイジーとヒビキの間には、絶対の断絶が横たわっており、それは努力で覆せる代物ではなかった。

 どうにもならない違いを「知っている」からこそ、言葉を拒んだデイジーをヒビキは理解出来た。逆説的に、知らずにいたなら彼女に手前勝手な感情を抱き、殺害していたとも考えられる。

 冷たい恐怖が背筋を走り、無意識に身が震える。

「勝ち続けている間は良い。だが敗北や準ずる何かに晒された時、容易に木偶に成り果てる。信じていた物を砕かれる程、強力な攻撃は無いからな。奴に依存すると、お前たちまで無様な死に飲まれるぞ」

 笑い飛ばすには、男の放った言葉は重過ぎる。

 絶対無敵の騎士にも穴はあり、敵が『エトランゼ』である以上、ヒトでは想像も付かない奇手で突いて来る可能性は高い。仮にエリスが粉砕されたなら、彼の強さに魅せられた者は戦意喪失する。

 そうなれば、人類滅亡への美しい線路の出来上がりだ。

 依存に対する警告を深く胸に刻んだヒビキ達だが、漢拏への疑問が続けて浮かぶ。

「なんで俺達に伝えた? それこそエリスなりに伝えりゃ良いだろ?」

「俺は紛うことなき敗北者だ。勝者は耳を傾けんよ。お前達に伝えたのは……情が湧いた、とでもしておこうか」

「はぁ?」

「もう少し面構えは引き締めておけ。邪魔をしたな」

 謎かけに等しい答えを残して、極東人の男は去っていく。

 自身について一つも語らなかったが、彼も何らかの形でこの先の戦線に加わる。しかしそれは、彼の抱いた懸念が的中した時だと、ヒビキは奇妙な理解に至っていた。

『白光ノ騎士』が勝利を収めると二人は疑っていなかった。ゆかりやライラ、ティナですらそうだろう。

 思考停止同然の確信が揺らぎ、反比例するように湧き上がるのは危機感。先に待つ戦いへの見方を変える必要が生まれたが、ならば正解は何処にあるのか。

 疑問は解消されぬまま、二人は床に就くことを強いられた。


 時間は更に流れ、基地の片隅でのこと。

 レミー・ホプキンスと彼の部下である二人の男達は、意気揚々と寝床へ向かっていた。

「ここの飯は旨いな。個々のアレルギーにも配慮して貰えるのはありがたい」

「社長の趣味でファストフードばっかだしなぁ。隊長、掛け合ってくださいよ」

「カルはともかくジェイクお前、好き放題バイソンバーガー食っといて何言ってる。掛け合ってやるけど、お前が毎食十個も食うから絶対社長は蹴るぞ」

 派手なライトブルーを衣服に踊らせる青年、カル・サージェントの感想に明るく追従したジェイク・ガーロフの言葉に渋面を浮かべながら、レミーは生返事を返していく。

 ――楽にやれる面子を選んだのは、ちょっと間違えたかもしれない。緊張感が無さ過ぎる。

 参戦を命じられた際、レミーは部隊の中で気心の知れた四人を選抜した。

 全員が文句なしの実力者で、彼のやり方を理解しているが為の選択だったが、どうにも真面目さに欠けた面々となったのは確か。

 ブレーキ役は性別が違うのでここにおらず、食事を終えて寝床へ向かうだけでも、周囲の人員から思いっきり周囲から白い眼を向けられていた。

「シリアスは嫌いなんだよ。死ぬかもしれないんだから気楽にやろうぜ」

 そのようなスタンスで隊を率いて、実際に結果を出していたものの、今回ばかりは少し失敗したと感じていた。

 ――俺も不法移民だし、品とかそこら辺はゴチャゴチャ言えないんだけどな。

「飯も旨いし、あの訳分からん強さの兄ちゃんがいるから、楽に戦える。いい仕事受けたっすね!」

「殺し合いするのは変わらないんだ、気ィ緩めるなよ」

 ジェイクに釘を刺すものの、イルナクスの怪物の登場で気が楽になったのはレミーも同じ。核となる存在がしっかりしていれば、枝葉の兵隊は余計な事を考えずに武器を振るえる。

 頭よりも体で考える性質が多い戦士にとって、これほどありがたい環境はない。そう思いながら、レミーは明日以降に思考を向ける。

 セイスレプモスのデータは少ないが、翼を持たない大型地竜の討伐経験は豊富。余程の失敗を犯さない限り勝てると、レミーは踏んでいた。

 となると、問題はその先のアルベティート戦。古文書を当たってもロクな記録は出て来ず、妄想に近しい知識を得るに留まったが、これは司令部も大差ないだろう。

 究極のアドリブ、つまり運頼みになる。ギャンブルを非常に不得手とする彼は、これ以上の思考を止める。同時に、並んでいたカルの足が止まっている事に気付く。

 青年の眼は、堆くコンテナが積み上げられた区画に向けられていた。

「どうした?」

「トラブル。……話題の有名人と、誰かさんだ」

 プロの空き巣か極東の『シノビ』に匹敵する、静寂を極めた足取りで三人はコンテナの陰を覗き込む。

 本作戦の切り札たる青年エリスと、不思議な型通りのチンピラが六人。前者の表情は伺えず、会話の内容もあまり聞き取れないが、どうにも後者が難癖を付けているのは確かなようだ。

 聴き取りに注力して数分間耳を傾けた結果。

『何故お前が頭を張るんだ』だの「年上を敬え」だのといった、手前勝手な主張をエリスに押し付ける、無意味な音の放出と三人は結論付けた。

「トーレスのとこですかねぇ」

「体面を重んじる軍人崩れが、デカいヤマの現場で揉めるアホ連れてくる訳ないだろ。どっか別の所だ」

「似たようなところだろうがな。どうする、隊長?」

「君子危うきに何とかかんとかって奴だ。今すぐ逃げ……」

「キモい面晒してんじゃねぇや! どうせ血筋だけで成り上がった××××××の癖によぉ!」

 小物らしさ全開の決断を覆い隠して、集団の一人が叫ぶ。三下らしさ全開の罵倒だが、この手の叫びを放った者は大体が痛い目に遭うと相場が決まっている。

 爽やかな笑みと紳士的な振る舞いを崩さない青年は、どう出るか。

 興味本位で足を止めたレミー達は、しかしエリスの激烈な変化に戸惑った。

 内容的には先刻までの罵倒と大差ないにも関わらず、騎士の背から放出される空気には怒りが混じる。風がざわめき、皮膚に痛みが奔る程の魔力が放出されているが、酒でも入っているのか男達は気付かぬまま罵声を重ねていく。

 不意に、エリスが無言で腕を掲げ、そして降ろした。


 転瞬、金属が砕ける硬い音がレミー達の耳を弄する。


 音に侵され、ふらつく視界が正常な状態を取り戻した時、彼等は信じ難い光景を目の当たりにする。

「……おい、何が起きた?」

 エリスを包囲していた六人が皆、例外なく武器と体の何処かを粉砕されて地に臥せっていた。生命に別状は無いものの、治療を受けねば後遺症が残る深手。

 凄絶な光景に顔を歪める三人だが、問題は別の所にあると戦士故の直感で気付く。

 感情と魔力の昂りこそ激烈であったが、右腕を打ち下ろすだけで武器と体を粉砕する事など不可能。距離や立ち位置的に直接の接触は無かったと見るのが妥当で、ならば難易度は余計に上昇する。

 それなりに場数を踏み、珍妙な戦士も目にしてきたと自負するレミー達も、エリスが何をしたのか全く分からない。強さだけでは片付けられない不可解な現象を披露した『白光ノ騎士』は、しかしここで終わらなかった。

「隊長、もしかして全員殺すつもりじゃないっすか?」

「――ッ!」

 ジェイクが疑問を発すると同時に、レミーは動いていた。

 砲口が一体化した奇怪な剣『重牙砲ヴェノム』を背から抜き、エリスが抜いた剣の軌道に捻じ込む。

 王道と邪道。全く趣の異なる剣の激突で火花が散る。

 その様を、レミーはコンテナに背を打ち付けながら目撃した。

「隊長!」

 血相を変えて駆け寄ろうとする二人を手で制し、ヴェノムを杖として踏み留まる。腕の感覚が吹き飛び、視界は茫と霞むが強引に内側へ押し込み、出来損ないの笑みを浮かべる。

 年下とは思えぬ絶対零度の気迫に圧され、逃げ出したくなる衝動に駆られるが、ここで逃げては沽券に関わると、レミーは努めて平静を保つ。

「どちら様でしょうか?」

「共に戦う仲間に決まってんだろ。良くないなぁ、頭数を減らすのは」

「侮辱した挙句攻撃を仕掛けた。殺されても、文句は言えないと思いますが」

「圧倒的実績があんなら流しとけよ。強い事は皆知ってんだ。一人や二人……」

 皆まで言えず、レミーの視界が急上昇。

 襟元を掴まれ、空中に釣り上げられたレミーは足をバタつかせるが、状況の打開には何の貢献もしない。静観と指示していた二人に、改めて「動くな」と目で伝え、改めて説得を試みるべく視線を降ろす。

 単一の感情で塗り潰された青年は、あらゆる説得を拒絶する眼差しで視線を絡める。逸らせば負けるという、野良犬の習わしで乗ったレミーの背に、嫌な汗が流れ落ちていく。

 エリスの剣とヴェノムでは、二倍以上の重量差がある。剣の軌道から推測すると、彼は接近に気付いていなかった。にも拘らずヴェノムを弾き返し、持ち主ごと吹き飛ばした。

「……だ」

「あ?」

「いつ、何処で、誰が相手であろうと。ボクは勝利する定めにある。邪魔する者は全員消えて貰う。それだけです」

 圧倒的な実力差と状況が導き出す未来、即ち死を覚悟したレミーの体が再び浮遊。

「でっ!」

 地面に叩き付けられ悶絶する彼を一瞥して、エリスは去っていく。気配が完全に去った頃を見計らい、駆け寄ってきた二人の肩を借りて立ち上がったレミーは、右腕の骨折に気付いて苦笑する。

「大丈夫っすか? というか、こいつらどうしましょう?」

「俺を宿舎に放り込んだら、お前らが司令部に伝えろ。アイツの事は一応伏せとけ、こっちが不利になる」

「了解した」

 命を拾った安堵で一気に痛みがぶり返し、時折滑稽な痙攣を起こしながら、仲間に担がれたレミーは寝床へ向かう。

 ――どうにも、白光ノ騎士ってのは危ういな。簡単に負ける事は無いだろうが……うん、この先は止めておこう。

 極東出身の誰かが抱いた物と同じ懸念を強引に搔き消し、痛みが齎す微睡に身を委ねたレミーは意識を手放す。

 希望、不安、欲望。そして恐怖と妄執と、あらゆる感情が行き交う中で夜は更けていく。


 前哨戦の朝もまた、徐々に足音を立て始めていた。

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