4:虹を呼ぶ者

 コルデック合衆国はエスクト州リルファ。

 五階建ての巨大建造物、水無月商会本部最奥に位置する部屋で、水無月みなづき蓮華れんげは積み上がった書類を愛刀で斬り捨てた。

「武器をそのように使ってはならない。可哀想ではないか」

「この××××××な書類、マトモに見てやる価値も無いだろ」

 団員から贈られた、青のバトルドレスがすっかり馴染んだドラケルン人。ハンナ・アヴェンタドールの指摘に渋面を浮かべながら、蓮華は革張りの椅子から立ち上がる。

「数字上、俺達はそれなりの集団だ。最近の動乱に対してどのような判断を下すのか、確かめて安心したいって気持ちは分かる」

 国に殉じて戦うか。話し合いを過度に重視して争いを放棄するか。

 その他諸々の思想上の争いを、まさしくその思想の荒波に飲まれてアメイアント大陸産まれとなった蓮華は、醒めた目で捉えている。


 愛国者は国を救おうとするが、国は愛国者をゴミのように捨てる。

 話し合いを過度に信ずる者は、それが通じない者に殺される。

 過激な環境活動家は野生動物を愛するが、野生動物は彼等を餌としか見ない。


 何らかの思想を盲信する者は、その信じた物に食い物にされる。中立という選択肢も「中立」の思想に傾倒しているに等しく、何処にも属さない事を示せば救いの手は著しく減じる。

 コルデック内外で多少なりとも影響力を持つ水無月商会が、エトランゼの宣告を筆頭とする近頃の動乱に対して、何らかの方向性を示す事は最早避けられない。

 選んだ道次第では破滅の道を辿りかねない。そのようなリスクを孕んでいるが故、彼も慎重にならざるを得ないのだが。

「エミリアの所は乗ったんだっけか。となると益々難しいなぁ……どした?」

「いや……会議の時間が近いぞ」

「そうだっけ? そんじゃ行くか」

 各々の主張を暴発させている、外の人だかりから視線を外し、蓮華はハンナと共に歩き出す。本当の秘書のように隣を歩むハンナに差した、小さな影を目敏く発見した蓮華は、すぐさま悩みの根源を理解した。

 才覚や実績に絶望的な開きはあるが、彼我の抱えた物に相似がある。彼女とのやり取りで見抜いた彼は、努めて軽い調子で口を開く。

「あーうん、私にもっと力があれば。具体的には魔剣継承者二人と同じぐらいあったらなぁって、自分を責める必要は無いからな」

「……そんなことは、思っていない」

 氷を想起させる美貌に、少しだけ赤みが差す。顔に出せばどのような言葉も無意味になるが、腹芸を使いこなすハンナもらしくないと苦笑しながら、蓮華は首を振る。

「いーや思ってるね。俺は詳しいんだ。けどな、一人で何でも出来るってそこまで良い物じゃないんだぞ」

「歴史は強者が作る。これは世界の真理だ」

「一人の突き抜けた才覚じゃ、死体の山を築き上げて伝説になるのが精々だ。自己完結出来るだけの才を持つ奴は、誰とも手を繋げない。孤立した奴に社会も国も作れやしない」 

 ヴェネーノや蓮華の同郷である風切鈴羽が、不世出の戦士であるのは事実。だが、彼等はその強さ故に誰とも繋がれず、力を振るい続けるしか出来なかった。

 仮に老境の域に達し、戦いを捨てる事を望んだとしても、暴力で存在を示し続けた彼等を世界は拒絶する。すぐ近くにいた者は支えになってくれるだろうが、手が届かない者達は決して彼等を肯定しない。

 繋がり、伝えることで世界を構築した人の世に於いて、刃を手とした者達は何れ排斥される。

「暴力なんかいらない。話し合いだけで全て解決。そんな理屈を、俺は肯定しない。力さえあれば許される、何もかもが肯定されるって理屈もまた同じだ。人類が獣でないとするなら、争いの果てに武器を収め、手を繋がなきゃいけない時が必ず来る」

「その時に生きて居られるのは、私のような半端者。レンゲ殿はそう言いたいのか」

「ドラケルンの信条に悖るのは分かるし、今は暴力が優越するのもまた然りだ。それでも人を辞めようとするなよ。お前にはまだ、手を伸ばしてくれる奴がいるんだからな」

 締め括った所で、蓮華は遥か遠くヒルベリアに住まう少年に思いを馳せる。飛行島で『エトランゼ』に魂を折られた後、再起したと風の噂で聞いた。

 喜ぶべき話だが、核となった事象の中身でそれは変わる。自己犠牲こそ最善の道と自己完結に至る事が核になったのならば、事態は最悪の方向に進んだと言わざるを得ない。


 ――俺はヒビキを説得する言葉を持たないんだけどな。


 ハンナについて理解が及んでも、あの少年については時間も交わした言葉も足りていない。理解の為に割く時間が自身に無い事もまた、蓮華は痛い程に理解していた。

「悩むなら、会いに行けば良いだろう。レンゲ殿を拒むような人柄でもあるまい」

 不意に差し込まれた言葉に、蓮華はハンナへ視線を向ける。似た者同士と勝手に括った剣士は、小首を傾げながら言葉を紡ぐ。

「レンゲ殿との繋がりを、彼は決して忘れていない筈だ。彼が我々に無い物を持つなら、逆も然りだ。それを伝えることが、年長者としての使命だろう?」

「参った、まさしくその通りだ。ハンナちゃんも言うようになったじゃないの」

「貴方と話していれば、多少は回るようになる」

「俺を詐欺師みたいに言うなよ。……ってちょっと待て」

 空気の変質を感じ、会話を打ち切った蓮華は手近な窓へ駆け寄る。喧騒がいつの間にか減じていた理由が、そこにあった。

 天から降り注ぐ青の流星が地面を穿ち、生まれた罅から同色の粘液塊が這い出す。地上へ姿を見せる過程で蠢動し、変形を繰り返す粘液塊には四肢が生まれ、次いで甲冑魚に酷似した頭部が屹立。

 本能が嫌悪する生々しさで開閉を繰り返す鰓が刻まれた時、目に黄金の光を灯した魚人が水無月商会本部への進軍を開始する。

 流星は止まらず、魚人の群れは瞬く間に百を超えた。粘液が変形した武器を掲げた彼の者達の目的は、水無月商会にとって不愉快な物だろう。

「こういう時こそ『力こそ正義』とか言ってる奴が、正義的にアイツ等ぶっ殺したり『話し合いで解決』とか言ってる奴が話し合いに赴く場面じゃないか? 俺はそう思うんだが」

「馬鹿な事を言っている場合か。適宜判断を掲げるなら、この瞬間をどう切り抜けるかを考えるんだ」

「分かってるよ」

 阿呆の言葉を放ちながらも、蓮華は限られた情報から最善手を模索する。

 今日この時間、本社に詰めているのは九十四人。戦闘力を有するのは四十三人。その中で、一線級と言えるのは彼も含めて二十七人。

 決断を下し、通信機を耳に押し当てる。

「千歳、村雲号の発進準備。行先はインファリス大陸。装備や物資は全部積んでるから、後は起動するだけで良い。俺とハンナもすぐに向かう。これ団長命令な、急げよ」

 通信を切るなり蓮華が、そしてハンナが走り出す。

 少しずつだが、確実に接近してくる魚人の群れが放つ音は、ヒトでに根源的な恐怖と不快感を齎している。悠長に振る舞っていては、蹂躙されて死ぬだけだ。

 加速していく中で、ハンナが叫ぶ。

「予想は付いているのだが聞くぞ。拠点を捨てるにしても、何故インファリスに!?」

「親父が持ってた本に描いてたんだよ。あの手の奴は『エトランゼ』が生み出す死兵で、どれだけ殺しても意味が無いってな! だったら、こっちから乗り込んで召喚主を叩くしかない!」

「では……」

「そうだ、俺達も例の戦いに乗る。さっさと片付けて帰ってくるぞ!」

 ――俺達だけだったなら、直々に殺しに来る筈がない。先の大戦でギガノテュラスを倒した事実がある、魔剣継承者を殺しに来たんだろうが……言わなくていいな。

 同道した者の士気を徒に削り、余計な罪悪感を抱かせる趣味は蓮華にない。同時に、ハンナの士気を削って生存確率を削る意味もない。

 何処までも冷徹な打算と、戦士の本能。そして、一欠片の希望を抱えたまま二人は格納庫へ向かう。

 彼等の最善手が誘導に依る代物と、知る由も無いままで。


                   ◆


「これで全員じゃないんでしょ? 凄いねぇ」

 ミーティングルームに足を踏み入れ、ライラが放った第一声が全員の気持ちを代弁していた。

 集められた戦士達を全員収容するなど到底不可能であり、一定数以上の組織は指揮官とその補佐数名に限定された。ルチア直属の正規軍人も場にいないが、それでも二百人近くが詰めている。

 そこらの『名有りエネミー』なら一方的な蹂躙が可能な人数。絶望的な短期間でこれだけ揃えたルチアの手腕には、ヒビキも驚嘆する他なかった。

 空いていた端の席に腰を下ろした時、ゆかりが右肩を叩かれる。彼女共々振り返ると、見覚えのある顔がそこに在った。

「ティナ!」

「……お久しぶりです」

「おい、俺を見て一瞬嫌な顔したよな? どういう意味だ?」

 極東の意匠が随所に刻まれた服を纏う双剣士、ティナ・黄泉討・ファルケリアは無言で視線を逸らした。

 ゆかりのエルーテ・ピルス挑戦で縁が繋がった少女は、命の恩人とも言える。もっとも、本気で殺しに掛かられるという出会いであったため、やり取りがぎこちなくなるのは致し方ない話だ。

「ティナも勧誘されてここに?」

「ええ。バウティスタ殿に、先日『名有り』討伐で顔を覚えて頂いたようで。……別の理由も、間違いなくあるのでしょうが」

 年齢不相応な達観した笑みを浮かべるティナが言う、別の理由をヒビキ達は知る由も無い。気にならないと言えば嘘になるが、相手が語ろうとしないなら深掘りする必要もないと結論付けたヒビキは視線を前に戻す。

 登壇した総指揮官ルチア・C・バウティスタは、マッセンネの邸宅で見せた猛禽の眼で室内を睥睨して頷き、右手を掲げる。

「此度の戦いはヒトとエトランゼの戦争であり、種族の生存競争である。諸君と共に戦えることを、私は誇りに思う。各人が何を抱えているかは問わない、連中を打倒しましょう」

 静かだが強い闘争心が滲む宣言は、腹に何物も抱えている戦士達には熱い言葉より刺さった様子で、弛緩した空気が若干ながら引き締まる感触をヒビキは抱いた。

 四者四様とも言えるキャラクターの四天王の中で、『証明者セルティファ―』の二つ名とそれが与えられる切欠となった出来事が示すように、ルチアの強みは集団の統率力。個人プレイに頼りがちな集団では無二の武器になるとヒビキは見ていた。

 

 その武器が清濁併せ持つ代物と、直後に彼は知ることになる。


 ルチアの説明を簡潔に纏めると『エトランゼ』のみならず、彼の者達の命を受けて四頭の竜が活性化している。隊を幾つかに分けてそれらを撃破し、『白光ノ騎士』を主軸とする部隊が本丸の撃破を担う。

 相手が『エトランゼ』で無ければ合理的な策だが、功を掴み取る為に来た戦士には納得行かない者も複数存在するのか、室内にどよめきが広がる。

「何か質問のある者は?」

 応える者はいない。大局的視点が欠けていると自覚するヒビキもまた、沈黙を守る。すると、前方に座していた一人が立ち上がった。

「兵を集めるのは良い。戦力増強は必須だからな。しかし、年端も行かない子供まで前線に出すなど言語道断。彼等が血を流さぬ為に、私達が戦うのだろうが」

 孔雀を想起させる巨大な頭部装飾を筆頭に、原色を多用した服を纏った長身の女性の声は、打撃武器の重みを持って響く。

 黒曜石の瞳には真剣な怒りが湛えられており、それが時折自分達に向けられている。気付いたヒビキが何か発する前に、女性はルチアへ切り込んでいく。

「貴殿は私を勧誘する際、成人のみで構成すると言った筈だ。約束を違えるならば、貴殿の槍として動くことは難しい」

「メネトカ王国当代女王、セルル・ティチモウ・メネトカです。メヒシク連邦共和国中部、メヒシク渓谷に残された小国の主まで呼び寄せるのは、ルぅちゃんも思い切りましたね」

 ティナの腰元から届いた聞き覚えのある声に、彼女を除いた四人が身を竦ませるが、正体がルーゲルダと気付き、手で軽い挨拶を投げたヒビキは、更なる解説を求める。

「コルデックやメヒシク相手に、人口数万人のメネトカが独立を守り続けているのは『太陽の御手トナティウリ』と称される、彼女一人の功績としても過言ではありません。公的な格付けこそありませんが、この場の殆どより強いですよ」

「そんなにか?」

「彼女の戦場には例外なく隕石孔に似た痕跡が刻まれ、誰も残りません。昼夜問わず永遠に戦えるとも聞きましたが、これは与太話に留めましょう」

 形容の言葉から推察するに、彼女の武器は槍と推測可能。当たり前の話だが、槍は大規模破壊を成せる武器ではなく、何らかの奥の手を隠し持っている筈だ。

 奇抜な衣装を纏った女傑の切り札に想像を膨らませている間も、当人達のやり取りは熱を持って続く。

 一方的に捲し立てられる言葉を、ルチアが受け流す構図が暫し続くが、議論は平行線を辿る。続行を無意味と断じたのか、溜息を吐いた四天王の紫眼が鋭さを増す。

「私は既にメネトカへ援助を行っている。貴殿にこのような事を進言したくないのですが、ご不満があるならば降りて頂いても結構です。無論、ご返却頂きますが」

「……貴女は未成年を参戦させないと、私に誓った筈だ」

「状況が変わった。それだけの話です」

「もう良いだろ? 金貰っといてグダグダ抜かすな。それ以上喚く暇があんなら、さっさと帰ってコスプレ物で稼いどけよ!」

 ヒビキ達にとって忌まわしい記憶と紐付いている女の罵声は、エルケ・トーレスの物だろう。多少の筋は通っているものの、下品極まる内容にセルルは顔を歪めるが、反論せずに腰を降ろした。

「地理的要衝を少数民族が占拠するなんて、大国からすれば邪魔でしかありません。南北問わず、アメイアント大陸の大国はメネトカへの圧力を強めていて、国としては限界に近いんですよ」

「ルチアの私的な援助との引き換えで、参戦したって訳か」

「四天王とは言え、個人の資金力では限界があります。幾ら何でも言い過ぎでは?」

「貴方が身に付けているヘッドプロテクターを売れば、メネトカの子供を一年養えますよ」

 至極真っ当な視点を提示したフリーダが、ルーゲルダの切り返しに鼻白んだように黙り込む。

 彼の防具に使用されている貴金属は確かに高価だが、使用年数やそれに伴う劣化を考えれば、分解して捨て値で数万スペリアが精々。アークス屈指の貧困都市、ヒルベリアでも一か月で消える金額だ。

 その程度の額すら大金と成り得るなら、個人の資金力でどうとでもなる。想像以上の窮状に絶句する二人に、ルーゲルダの冷酷な言葉が重なる。

「国際的な機関にメネトカが排除された今、セルルさんは賞金首を殺しても賞金を受け取れません。私財の大半はとっくに売り払っていますから、ルぅちゃんがどんな手を使ったとしても、纏まった金が得られるなら受けるしか無かったのでしょう」

「そこまでして受ける理由が。いや、その前に独立を守る必要はあんのかよ」

「誰だって、自分達の文化が珍獣扱いされたり博物館に放り込まれる道は望まない。それだけの話じゃないでしょうか」

 悲壮な決意で臨む存在を突き付けられ、否応なしに気分が重くなる一行を他所に、前方では別の誰かとのやり取りが続く。

 口火を切ったセルルとは異なり、その後は非常に事務的な問答に終始していく。特段質問することもなく、只の聴衆と化していたヒビキだったが、ある事実に気付いて挙手する。

「どうぞ」

「作戦の骨子は分かった。けど肝心の――」


 皆まで言えず部屋の灯りが唐突に落ち、室内にどよめきが生まれる。


 悪趣味な演出はする意味がない。ならば整備不良か。答えを求めて外へ視線を向けたヒビキの喉から、呻きが漏れる。

 変色を繰り返す空に淀んだ赤の流線形。大気を掴む翼には巨大な穴が穿たれ、際限なく粘性の液体を吐き続けている。斧の如き形状の角を一本戴く頭部は、否応なく恐怖を喚起する輝きを放つ眼が二つ。

 

「『崩城竜』ペグザールか。アレは討伐対象じゃなかった気がするんだが」

「大半の竜は、アルベティートやギガノテュラスに従属しています。何らかの指示が下ったのでしょう」

「ふ、二人とも! まだ沢山来てるよ!」

 ゆかりの叫びで呑気な議論を中断し、窓から外へ飛び出して空を見る。最初は点在しているだけだった極彩色の点が徐々に巨大化していき、それら全てが竜と解して場の全員から血の気が失せる。


 ――百……いやもっといるな。これはヤバいぞ!


 ブリーフィングでの暴発を防ぐためか、入室にあたって大半が武装解除を要求されている。ヒビキやフリーダ、ティナのように要求されなかった者もいるが、百頭以上の竜と正面から戦うには人手が致命的に足りない。

 接近してくる飛竜は既に魔術の構築を始め、一部個体に至っては着弾地点の微調整に移行している。武器を取りに走った者達が戦線に加わる前に、死の波濤は確実に降り注ぐだろう。

 歯噛みするヒビキ達に、腹の底まで響く重低音が空から落ちてくる。

「アルベティート様のお手を煩わせるまでもなく! この俺、ペグザールがお前ら全員塵に変えてやるよ! 武器を捨てて投降しな、爪の長さ分、楽に死なせてやらァな!」 

 知性の欠片もない三下極まる発言だが、ペグザールは千年以上生き延び、歴史上の大国をも滅ぼした記録も残る強者。ヒビキとて、適当に戦って勝てる相手ではない。

 ――ギリギリまで伏せたかったけど、仕方ねぇな。

 あくまで通過点である戦い。しかも本丸の『エトランゼ』ですらない敵に使用するのは気が引けるが、ここで死ねば何もかも無に帰すと判じて目を閉ざす。

 魔力の流れを整え始めたヒビキだが、瞼すら貫通して目を焼く白光で集中が乱れる。先手を取られたと判じて動揺する彼の耳に、凛とした声が届く。


「遅れました。危機のようですが、ボクが来たからには何も問題ありません」


 若く活力に満ち、傲慢なまでの自信が滲む男の声に、後方からどよめきが生まれる。唐突な乱入者が只の物見遊山でないと、魔力量で察した竜が再調整を行う隙に、声の主は前進を開始。

 ようやっと視力を取り戻したヒビキは、空中を疾駆する乱入者の全貌を目の当たりにし、その姿で正体を解して瞠目する。

 薔薇の装飾が踊る白銀の鎧に包まれた、一・八メクトルの肉体。はためく長外套や小手、具足は穢れ無き純白で、剣を覆う鞘に嵌め込まれた宝玉だけが彩を与えていた。

 兜に覆われた頭部が回され視線が交錯。気圧されながらも、ヒビキは問いを絞り出した。

「アンタが『白光ノ騎士』か!?」

「ご名答。ボクはエリス・ハワード・ルクセリス。全ての勝利を……」

 名乗りを中断し、エリスが反転。停滞から解き放たれた一頭の竜の頬を、左拳が強かに捉える。

 砲撃音に等しい打撃音が生じ、骨肉が混ざった液体を散らしながら、飛竜が逆回し映像の如く吹き飛ばされた。

「え? は? いやちょっと待て、相手は竜だぞッ!?」

 吹き飛んだ竜は群れに突っ込み、何体かを巻き添えにして大地へ堕ちていく。咄嗟に強化したヒビキの視覚は、殴打された箇所に大穴が穿たれ、頭部の半分が失われた衝撃的な光景を映し出す。

 ヒトの膂力で竜を撲殺するなど、ドラケルン人やべスターク人の一部で無ければ難しい。ヒュマである『白光ノ騎士』のエリスには、どう足掻いても不可能な筈なのだ。

「全軍あの白い奴を狙え! あいつをぶっ殺せば全部片が付く!」

 異次元の光景に硬直するヒビキを他所に、状況は動く。

 最大の脅威をエリスとしたペグザールの号令に従い、飛竜達が魔術を一斉に放射。傍観者達の毛穴が開き、滝の如き汗と涙が勝手に流れる厖大な魔力によって放たれる魔術は、下級の物であろうと災害級の被害を齎す。

 人間が受ける領域を超過した感情の奔流を、エリスは腰に提げた剣で受ける。


 鞘に格納されたままの剣は、迫り来る魔術を絡め取り、例外なく無力な光の粒子に変えて吸収した。


「祓光剣アロンダイトは全ての魔術攻撃を分解し、無効化する。そして」

 ほんの数センチ鞘から抜かれ、白銀の刀身が垣間見える状態でエリスがアロンダイトを振るう。旗を降ろす程度の軽い挙動で振るわれた剣から、無数の光条が放出。有機的な挙動で空に白の軌跡を描いた光条が、竜の体を駆け抜ける。

 流麗な斬線を刻まれ、波濤の如く血を吐き出しながら、竜の首が次々と堕ちる。古代の集団処刑にも似た光景が個人の手で、剣を抜いてすらいない状態で為されるのは、救われた側のヒビキにとっても悪夢に他ならない。

「この通り、全てを切り裂きます。どのような防御もボクの前には無意味です」

「……舐めやがって!」

 咄嗟の判断で前肢二本を捨て、唯一生を繋いだペグザールが憤怒の咆哮を上げ方向転換。圧縮空気を乱射して亜音速の領域に到達した巨竜は大顎を開き、エリスを食い殺さんと突進する。

 回避の可能性は無い。彼が躱せば、後方の基地に巨体が突っ込んで有志部隊の過半数は確実に死ぬ。

 どう転んでも死を生み出す盤面を整えた竜を他所に、騎士は泰然にして自若を守る。

「犠牲を出して勝つことも。自己犠牲を選ぶことも二流の選択肢だ。ボクは必ず勝つ。今までも、そしてこれからも」

 傲慢な宣告と共にペグザールの頭頂部へ向けられた、アロンダイトの切っ先から白光が照射。狙い過たず着弾した白光に脳を焼き尽され、何が起きたのか理解出来ぬまま巨竜は絶命する。

 無慈悲に疾走する光は竜の体内を蹂躙しながら疾走し、やがて尾の先端から飛び出して天へと抜ける。真っ二つに分断され、切断面から炭化した肉を散らす亡骸が墜落するが速度は死にきらず、そのままエリスへ迫る。

「避け――」

「詰めが甘い」

 叫びを遮って、つい先ほど聞いたばかりの声と槍がヒビキの傍らを抜ける。

 赤熱した二本の槍が亡骸に着弾。数十トンに達する肉塊が瞬時に蒸発し、槍が大地に突き刺さる。猛烈な熱波を撒き散らし、大穴を穿った槍は飛去来器の如き軌道で、再びヒビキの背後へ戻される。

 殺到した飛竜が何も出来ぬまま虐殺された事実は、無に帰した平原から伺えない。我が目で見届けた筈のヒビキも、百頭以上の飛竜が一撃で撃破されるなど、信じられる筈も無く硬直が解けない。

 陽炎揺らめく大地を茫と見つめる彼の肩が叩かれ、強制的に引き上げられる。赤熱した槍を担ぐ女性、セルルの目には憂い。

「先陣を切って飛び出す胆力は評価するが、無理はするな。あの者が齎すのは無差別な破壊だ。救いにもなるが、君が真人間であるだけ辛くなるぞ」

「太陽光を体内で変換して、敵を融解させるレーザーを放つセルルさんに言われたくないですよ。初対面の人に、ボクが人格破綻者って吹き込まないでください」

 春風の如き軽やかな言葉と共に、笑みを湛えたエリスが手を差し伸べてくる。

 踊る金髪に碧眼。完璧な比率の鼻梁。中性的な美貌を持つ青年の年齢は、それほど離れていないが、闘争の臭いはどこまでも薄い。

 先ほどの完勝劇と噛み合わず、機械的に伸ばした手が妙な力強さで握られる。

「君の事は知っていますが、此度の主役はボクです。ご理解いただければ幸いです」

「はぁ? アンタ一体……」

 強靭な義手が軋む程に強く握り込まれた手が離れ、微笑みを湛えたままエリスは去っていく。世界最強議論で間違いなく名が挙がり、たった今もその片鱗を示した彼が主役になると馬鹿でも分かる。

 道理が存在する中で釘を刺してくるとは即ち、エリスは自分に対して何らかの感情を抱いており、それは決して好意的な類ではない。

 人類の切り札の到着で沸き立つ声を背で受けながら、理解不能な事態に直面したヒビキは立ち尽くす。

 探しに来たゆかりに手を掴まれるまで、彼はずっと完勝劇の舞台を見つめていた。

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