3

 インファリス大陸極東部。侍が跋扈する列島にほど近い半島。


 多種多様な火種が一度に炸裂し、二つに分断された国の軍事境界線。

 大量の地雷が撒かれ、限られた区画を除き民間人の立ち入りが禁じられて四半世紀近く。野生動物の楽園と化した当地の姿は、無惨な変貌を果たしていた。

「死ね、黄泉討逢祢ぇえええええッ!」

 憎悪と喉に絡んだ血塊で酷く濁った咆哮が響き、赤銅の装甲を纏った男が蹂躙され尽くした猛然と疾走する。何度か地雷を踏み抜き、ばら撒かれる炎や鉄片を一顧だにせず前進する男の目に人影。

 鬼を模した面覆と炎が踊る鎧に身を包み、重厚長大の表現が相応しい無骨な大刀を掲げる影は、装備と不釣り合い極まる矮躯から厖大な圧力を放っている。

 往生際悪く留まっていた生物が、次々と意識を手放す威圧感に晒されても男、いやソン漢拏ハルラは止まらない。

 そして彼の選択は予想済とばかりに、人影は大刀を構えて迎え撃つ。

「行くぞ」

 静かな女の声と共に、大刀が打ち下ろされる。

 大地に激震と亀裂を齎す剣風纏いし大刀は、真正面から迫る漢拏の頭頂部へ落ちていく。一秒先で体が分断される状況で嗤う彼に呼応するように、赤褐色の右腕が燐光に包まれる。

 けたたましい音が奏でられ、大刀は狙いからズレた地点に命中。即席の地震で揺れる世界で女は大刀を引き戻す。体格と得物の重量を考えると、判断・実行共に驚愕すべき速度だが、漢拏は右拳を振り抜いた勢いで『次』に移行していた。

 間合いを十全に詰めて放たれた回し蹴りが、女の頬を強かに打つ。金属の面覆を纏うが故、負傷を無視して女が前進を選んだ時。装甲が砕けて素肌が暴かれる。

 金属粉と化して消えて行く装甲を目の当たりにし、女の挙動が微かに鈍る。対して、舞い上がった土塊を踏み台に跳躍した、漢拏の一撃を防ぐ術は彼女に無い。

 暴かれた頬に右足が直撃。爆ぜた赤と白を散らしながら、女は大地を転がっていく。後退中に『鉄射槍ピアース』の乱射で追撃を免れ、十全な距離を取って立ち上がった時、装甲が完全に失われた頭部には、妙齢の貌があった。

 大刀を自在に繰る膂力を想像させない美貌に、闘争心は皆無。それどころか、頬に穿たれた無惨な穴すら意に介していないと錯覚させる程に、女の表情に揺らぎはない。

「爆裂魔術ではない。奇妙な仕掛けを使うのね」

 面妖な現象への興味だけを示す女、黄泉討よみうち逢祢あいねに呼応したのか、漢拏も頭部装甲を解除。極東系の顔を露わにした彼は、禍々しい赤銅の爪を逢祢に向ける。

 血走った眼と、全身の微細な震えが示す感情は一つ。捻じ伏せようと試みても尚、際限なく沸騰するそれによって歪んだ顔に、醜悪な笑みが浮かぶ。


「復讐を成す為に磨き上げた技だ。原理を知りたくば教えてやる。貴様の四肢を捥ぎ、犬と××××××させた後でな!」

「ヒトと犬は性交などしない。現実を見なさい」

「その口を……いつまで叩けるだろうなッ!」


 煽りの応酬を打ち切り、両者が接近。間合いに入ると同時、大刀と拳が火花を散らす。衝撃による後退を最小限に留めた漢拏が左拳を放つ。大刀の中腹が受け左腕が切断されるも、伸びて来た右拳が逢祢の顔面に接近。

 回避の為に動きかけた首が急停止。落ちていく左腕から放たれた『焦延留炎バルドラム』の直撃こそ免れるも、熱風に目を焼かれて視界が消失。再生よりも速く振るわれた大刀は、相手の髪を切断するに留まった。


 翻って、漢拏は既に仕掛けていた。


 右直拳が弩の如き速度で撃発。連なる破裂音が世界を震わせ、大刀を握る逢祢の肉体が軋む。一撃の破壊力は大刀が勝り、射程も逢祢が二倍以上の優位を持っている。自由に振らせれば終わると、経験から痛い程理解していた彼は、徹底的な接近戦で相手の優位性を封じる事に、活路を見出した。

 降り注ぐ拳打を凌ぎながら、逢祢が大刀を振り下ろす。回避を許したと見るや、剛力で刃が旋回。足を狙った低位置の斬撃を前に、狙われていると分かっていても跳躍を強いられた漢拏の目前に、翻された大刀の切っ先。

 反射的に上昇した左掌が穿たれ、血飛沫が歪に散る。目前の切っ先から伝わる殺意で、敵の指し手を解した男は腹から『暴颶縮撃プロケイア』を発動。圧縮空気の射出で距離を離し、激痛に侵されながら立ち上がる。

 絶好機にも関わらず、逢祢は踏み込まず大刀を正眼に構え停止している。

 挑発か軽侮を疑う場面だが、戦いでそのような愚を犯す小物では断じてない。勝利を掴む一手があると判断したが故の静止。そして、それは漢拏も同じ。

 ――貴様だけが解を持つと思うな。俺とて、勝ち筋を持ってここに来た。

 全身の装甲を解き、右腕に魔力を集中。バランスの変化で荒れる呼吸を整え、硬化していく右腕の感触に魂を昂らせながら、漢拏が疾走を開始。

 ――俺は負けるか? いや、負ける筈が無い。復讐に全てを捧げた俺ならば、誰であろうと勝つッ!

「喝ァッッッ!」

 咆哮に違わぬ、肉食獣の如き挙動で疾走する漢拏に対し、逢祢は静かに大刀を構える。

 互いに最後の一撃を仕掛ける準備を整え、後は交えるだけの状態。否応なく濃度を増していく闘気と殺意を纏う二人の距離が縮まり、やがて零になる。

 右肩の肉が引き千切れ、骨が粉砕される音を奏でながら撃ち出された拳が、大刀を掻い潜って逢祢の左胸に着弾。

 肉を強かに打つ確かな感触と、侍が血を吐く光景に勝利を確信した漢拏は、口の端を吊り上げ――


 彼の右肩から先が切断されて宙を舞った。


「何が……起きた……?」

 大刀の一撃を、自分は確かに躱した筈だ。回避を視認してから軌道を変えるなど、物理的に無理だ。小細工が通るような温い一撃どころか、人生最良の拳打を受けても何故敵は得物を振るえるのか。。

 己を襲う現実の全てが信じられず忘我する漢拏の体は、振り子のように揺れた末、泣き別れた右腕と全く同じタイミングで地面に頽れた。

 一方、黄泉討逢祢は血を吐きながらも、己の足で立っている。文字通り一撃で、勝敗は決した。

「貴様は……何をした」

「教える義理はない。ただ、分からない貴方が私に勝てる筈も無かったわね」

 冷淡に切り捨てられ、屈辱に貌が歪む。

 四年前に弟を失ってから今まで。逢祢を殺す為だけに積み上げて来た日々が、微塵に粉砕された事実は心を打ちのめすには十分な代物。

 止めどなく血を吐き続ける肩口を一瞥し、前方に視線を戻した漢拏は目を閉じる。

 勝敗が決した今、最早何も出来ない。肉親と同じ場所へ送られる瞬間を待つ彼は、逢祢が大刀を背に戻す音を聞いて愕然とした面持ちを浮かべる。

「何をしている。殺せ」

「……貴方の一撃で、暫く刀を振るえそうにもない。そして追い討ちは好まない」

 余計な怨恨を背負う事を回避する。無意味な死体を増やす趣味を持たない。各々の理由に従い、不必要な殺害を行わない者は多数存在している。

 仮にこのまま放置されても、肉体の強度と体内を巡る魔力によって命は繋がる。右腕は永劫に失われるが、新たな人生を歩むことは可能だ。

 決して非難される選択ではなく、漢拏自身も快楽目的での追い討ちを好まない故、普段なら尊重していただろう。

「数多の敵を殺して隷属させた……戦闘不能に陥った弟を、智異チリを殺した貴様の口がそれを語るのか!?」


 四年前、騙し討ち同然の形で逢祢は漢拏の前に現れた。


 当時率いていた仲間や、唯一の肉親である弟を惨殺した彼女を殺す為だけに生きて来た男にとって、人道的配慮など許せる筈も無かった。

 その一件を抜きにしても、黄泉討逢祢の武功が彼女の戦闘様式を物語っている。敵対者を無慈悲に殺し、味方すら慮ることなく前進し続ける姿は、この瞬間に敵を放置する姿からは何処までも遠い。

 何処からともなく現れた首無し馬に跨り、逢祢は背を向ける。

 最終決定を目の当たりにし、漢拏の目に煮凝った炎が灯される。

「その欺瞞、魂に刻んだぞ。どのような道を歩もうと、俺は貴様を殺してやる。今ここで首を取らなかった事を、後悔させてやるぞ、黄泉討……逢祢……!」

 遠ざかっていく背中に呪いの言葉を吐き、左手を前方に伸ばす。

 決して届かぬ手に、炎の眼差しを向けた漢拏は盛大に喀血し、そこで意識が暗転する。


「……」


 意識が覚醒し、流れていく冷気で現在地を認識したソン漢拏ハルラは、握り締められていた左手を解く。

 爪の痕に沿って血が滲む手の開閉を繰り返し、余計な昂りを醒ましながら視線を巡らせる。延々と広がる夜空を裂いて駆ける、氷色の飛竜の頭部。振り返った賑やかな色彩の青年と視線が交錯。

 ドラケルン人の青年、リームス・ファルラ・フェルシュホーの顔に、職業意識すら上回る負の感情が過るが、それを斟酌せず漢拏は問うた。

「到着まで、どの程度だ」

「速度より安定性を取ったからな。二時間ぐらいはかかる。ってかさ、何でおっさんはあのバ……怪物の依頼を受けたんだ? 受ける余地、無いだろ」

 当て擦りの成分は多分に含まれているものの、語った過去を考えれば疑問は筋が通っている。

 唯一の肉親を。体の一部を永遠に奪った仇敵の依頼など、内容が何であれ拒否が常識的な反応だ。先刻まで見ていた夢の時期やその直後なら、確実に蹴っていた自覚は漢拏にもあった。

 因縁を完全に配しても、内容が人類の危機という曖昧な代物であるならば、その選択を肯定する。

 後ろ暗い生業から遠い、青年の常識的な思考に何かを喚起されたのか。漢拏の口がゆっくりと開かれる。

「衰えの坂を下り始めた今も、黄泉討逢祢は頂点に食らい付く実力を保持している。奴から絶対の勝利を取れるのは、現代に於いて二十もいない」

「その二十人って誰なんだよ」

「イルナクスの『白光ノ騎士』を筆頭にヴァイマル鋼国の『茨姫』。故人だが風切鈴羽や、当代魔剣継承者の内ヴェネーノとカレル……」

「俺がそいつらを嫌いだって分かって言ったろ。生者の前に死人を出すなって」

 案の定、苦い顔のリームスからの抗議を受け流し、漢拏は言葉を継いでいく。

「頂点に連なる者は他者と交わることが出来ん。四天王に収まった風切とて、隔絶した奴の下に三人が連なっていたのが実情だろう。黄泉討とて、例外ではない」

 圧倒的な強者は一人で勝利を描けるが故、集団で戦えない。無理に連携を試みれば、力の抑制を強制されることや、彼等の領域に辿り着けない「仲間」に不満を抱いて自壊する。

 双方にとっての悲劇を回避する為に、彼等は孤独の道を選んだ側面はある。そこに分類されると解する筈の逢祢が、助力を乞うた今回の事象は異常に過ぎるのだ。

「『エトランゼ』がまやかしであったとしても、その先に危機が待つと奴は確信している。……神すら蹂躙する奴が何を恐れるのか、興味が湧かんか?」

 三十年以上前に無惨な敗北を喫し、第一線から消えざるを得なかった男らしからぬ答えは、損得勘定を第一に求められる商売人には今一つ響きが悪い。

 竜語で飛竜に追加の指示を行ったリームスは、呆れた顔で首を横に振った。

「その為に態々死にに行くってか。俺にはよく分からん話だわ」

「お前向けの話をすると、この手の事象で真っ先に挑むであろうヴェネーノについて、与太話程度でも話を聞かん。つまり、奴の死は事実だ。ヒトの最高到達点、嘗ての勇者すら超越したであろう男を破った者も、そこにいるのかもしれん。そして」

「……そして?」

 気に障る話題からの転換。

 そこからの唐突な沈黙に、リームスは疑問を呈するが、漢拏は口を引き結んだまま沈黙する。

 再開を待っていた青年も、沈黙が数分続いた段階で諦めたように前方へ向き直り、周囲の警戒に専念する。

 人類滅亡の危機を提示され、兆候も幾つか見え始めている中では、彼も不安と恐怖を抱えているだろう。流された部分も多少あるだろうが、大半は純粋な感情に基づいて逢祢の誘いに乗った筈だ。

 説明を求めるのは当然。しかし、当の漢拏にとっても口にして許される物なのか。そもそも気の迷いではないかという疑問が、最後の一片に関しては残り続けていた。

 ――純粋な善意や、闘争への喜びといった美しい感情。始まりの時からずっと程遠い。確かめる場とするのも、悪くはないだろう。

 思考を打ち切り、再び目を閉ざす。

 語りが止まった事で、風切り音だけが響く夜空を、二人を乗せた飛竜は静かに駆けていく。

 目的地は、着実に接近しつつあった。


                    ◆


 あらゆる状況への対応を目指して製造され、竜からの攻撃すら耐える頑強さと引き換えに、絶望的な乗り心地の軍用車に揺られて一週間。

 ルチアの提案に乗った四人は、有志部隊の拠点が設けられたアラカスク平原に降り立ち、当地の凄惨な様に硬直する。

 至る所で立ち昇る黒煙は、建造物の基礎と思しき箇所から上がり、直近に襲撃があったと明示する。襲撃が長期にわたって複数回、執拗に行われた為か、地質を無視して黒く染まった土には無数の穴が刻まれ、不穏な音が時折奏でられる。

 赤紫色に染め上げられ、時折明滅が生じる空からも、雷鳴とは似て非なる独特な重低音が延々響く。

 デウ・テナ・アソストルと異なり、当地は特段の規制が敷かれておらず、一都市を形成するだけの面積もある。にも関わらず、嘗ての領有国の後継たるペトレイアを始め、各国が決して手中に収めようとしなかった。

「この辺りは定期的に野生生物達が足を踏み入れ、ヒトの活動を発見すると破壊活動を行う。多くの国や企業が開発に参入し、例外なく撤退した。だからこそ我々はここを駐屯地に、そして戦場に決めたのよ」

 答え合わせと、ルチアの補足を受けても尚、幻想世界のように思えてしまう光景は、無数に展開されている兵器や戦士の姿によって、少しだけ現実の物に回帰する。

 宣告以降『エトランゼ』は人類の活動に必要不可欠な施設や、挑発的な行動を見せた集団を徹底的に破壊している。


 大規模な反抗の構えを見せて一箇所に誘い込み、数の暴力で撃退する。


 異次元の力を持つ『エトランゼ』相手では、品性をかなぐり捨てた手段以外ない。理屈は妥当だが、勝利を算するのは困難。眼前の風景を作り出すような生物も十分な強敵だが、エトランゼは彼等を遥かに上回る事は疑いようがない。

 生死の保証すらない上に負ければ人類が終わる、にも関わらず、万全の備えが無いまま戦闘を強いられる。

 目的地へ向かう障害となるが為に請けたが、無謀極まる戦いだ。

 再認識させられ息を呑むヒビキ達に寄り添うことなく、ルチアが歩き出す。機械的な挙動で彼女に続いた一行は、壁に迷彩塗装が施された建造物に導かれる。

 開かれた扉を何度か潜ったが、いずれも皮膚に僅かな刺激が走る。条件に該当した者を拒絶する結界は常道だが、ここでは必要ないようにも思えてしまう。

 ――部外者が来る筈も無いのに、誰を警戒しているんだかな。

 疑問が脳裏を掠めている間に、突き当りの小さな部屋に到達。待機していた完全武装の軍人と短い会話を交わした後、簡素な椅子に座したルチアは四人にドッグタグを手渡す。

 物体の役割は分かるが、自分達に渡す意味が分からない。そのような反応を見せた四人に対し、ルチアは溜息を溢す。

「死ぬ時はタグも木端微塵だろうから、本来の目的は期待していないわ。それを見せれば食事から治療まで、こちらの支援が基地内で受けられる。紛失しないように」

「随分と気前が良いですね。財源は何処から?」

「サイモン・アークス先王の私財が一部。残りはアークスを始め、この戦いに賛同する国々が出資しました」

 淀みなく打ち返された答えに、興味本位で問うたフリーダが押し黙る。

 一度対面したヒビキやゆかりですら半信半疑の今、伝承の怪物など大半の人々が実在を疑っている。既に現実と化した一部国家による侵略に、戦力を振るべきとの意見が多数派を占める現状で、絵空事への血税投下が明るみになれば、一部の政権は確実に倒れる。

 為政者として致命的な爆弾を抱える事になると承知で、この戦いに賭けた者達の覚悟と、そうまでしても在野の戦士を主軸に据えざるを得ない現実。

 至れり尽くせりのサービスの裏にある重みを十全に理解し、精神のギアが無意識に一段引き上げられる。変化を察したかは定かでないが、僅かに頬を緩めたルチアは指を打ち鳴らす。

「仔細の説明は二時間後、全員を集めて行います。宿舎の確認などは、それまでに済ませておきなさい」


                    ◆

 

 司令本部を辞した四人は、ルチアの指示に従う形で宿舎へと向かう。

 誰もが認めるリソース不足にも関わらず、体裁の整った風景が広がっているのは、指揮系統を本職軍人が握っている故だろう。

 そのような所感をライラから聞きながら歩む基地内は、多種多様な装備を纏った人々が行き交い、彼等を相手にする多種多様な施設が並ぶ。

 不謹慎な例えだが祭りのような熱気を湛えていた。

 最初に目に留まったのは、三メクトルを超える巨漢の五人組。ヒビキの胴回り程もある腕を筆頭に、全てが規格外の肉体が背負うは揃いの大槌。

「べスターク人であの体。揃いの大槌。グランダル興業の看板、破岩五人衆だね」

「一個師団すら崩す五人組か。いきなりヤバいのを見たな。おいフリーダ、あれは……」

 戯画的なまでの三角帽と導師服を身に付けたシルギ人の女が、硝子玉の如き無機質な目で一行を静かに見下ろす。

 何かが起きるでもなく、交錯した視線は数秒で外され、放出された魔力量にヒビキの身が微かに震える。

「蠱毒のライノファ。アトラルカ大陸屈指の呪術師だから、軍に取り立てられていると思ったよ」

「あっちには溶剣士ハートレーもいる。何というか、有名人大集合だな」

 国や地域の看板まで行かずとも、行き交う戦士は名声と実績を持ち合わせている。楽観など出来はしないが、悲観的な予想を僅かに上方修正することを許され、ヒビキは小さく拳を握る。


 トラブルは得てしてそのようなタイミングで起きる。そんな現実に、突きあたる事になるのだが。


「お姉ちゃんどこの子? というか、スタッフ?」

「すみません。離して貰えませんか……?」

「固い事言わないでさぁ。ちょっと話するだけだよ」

 左隣を並んで歩いていたゆかりが、迷彩服を纏う三人の男に囲まれていた。紅潮した頬や、無意味に揺らぐ足が彼等の状態を朗々と語る。

 平時なら、雑に追い払う事も出来た。しかし、この場所にいる事実と、彼等の所属がヒビキ達にとっては問題なのだ。

「陸地の原初支配者『プリオメノクス』の紋章。『トーレス烈士隊』か」

「不味いのに当たったというか……どうしようか」

 行き場を失った元警官や軍人、元犯罪者を集めた組織はありふれているが、人格に問題があり過ぎるトーレスの配下となれば、彼女に似た者が集まってくる。

 彼等を排除するのは何も間違っていないが、恨みを買うと話が加速度的に拗れる。下手をすれば流血沙汰に発展する為に、ヒビキ達も軽率に動けない。

「なぁ、アンタ達もこんな所で経歴に傷を付けたかないだろ? それにユカリだって嫌がってんだからさ」

「そうだよ! 嫌がってる子に付き纏うなんてサイテーだよ! 大人なら、ちゃんと慎みを持とうよ!」

「嫌から始まる楽しみもあるだろ? だからお連れさん達も気にすんなって」

 酒精に骨の髄まで浸っているせいか、ヒビキやライラの説得に堪える事なく、集団の一人がゆかりの腕を強く引く。

 話を聞くつもりもなければ、自分達が宣った「話をするだけ」で済ませる気もない。酔いが抜けた頃には全て忘れているのだろうが、だからと言ってこの瞬間の蛮行は、絶対に肯定される筈も無い。


 ――話が通じない。もう良いな。


 ゆかりの顔が青ざめる様に、ヒビキの自制が一段緩む。

 スピカに手を掛けて体勢を整え、相手の装備や利き手を注意深く観察しつつ前に出る。変化に気付かず、集団が間抜け面を晒しているのはいっそ好都合。

「もう一度言う。ユカリから……」

「隊長、ミーティングから態々抜けてどうしてこんな所に!? ……えっ団員を探しに来た!? ……そのお心遣い、流石です!」

 媚びているのか馬鹿にしているのか。今一つ怪しい軽薄な声で、ヒビキの足が止まる。誰に宛てられた物か定かでなかったが、目前の三人には激烈な効果を齎した。

 掴んでいたゆかりの腕を振り払い、覚束ない足取りながら全力疾走で三人が散っていく。諍いが起こることなく解決したのは幸いだが、その理由が不明瞭で消化不良感は拭えない。

「怪我、無いよな?」

「大丈夫だよ。……今の声、誰だったんだろう」

 咄嗟に受け止めたゆかりの疑問は、全員が共有するもの。ルチア以外との会話すらない現状で、助けてくれる第三者など要る筈もない。

 疑問を抱きながら周囲に視線を巡らせる。

 薄情にも遠巻きに見つめていた者達がそそくさと去っていく中で、蛍光グリーンの彩が目に喧しい戦闘服姿の男が、歩み寄ってくる様が映る。

「恐怖で統治している集団なら、頭の存在を匂わせりゃ良い。頭が体裁を気にする軍人崩れなら尚更だ。すぐに暴力に訴えるのはスマートじゃないな、エキセントリック少年ボーイ達」

 衣服同様、蛍光グリーンが各所に入った黒髪。胡散臭さを醸し出す左右で色が異なる目の青年は、へらへらした笑みを浮かべたまま体を折る。

「一応、善意で助けたんで感謝してくれよな。レミー・ホプキンス。『ジュース屋の傭兵』つったら、お分かり頂けるかな?」

「あ、ありがとうございます。……ジュース屋?」

「『イビルファングエナジー・タスクフォース』コルデックの傭兵部隊か」

「ご明察。流石はレンゲが認めた男だ。よろしく頼むな」

 私企業が傭兵部隊を組織することは、現代に於いて珍しくない。

 その中でも、コルデック合衆国の清涼飲料水企業が所有する傭兵部隊は、豊富な資金をバックに小国の軍隊を凌ぐ力を得ている。

 存在意義が広告宣伝である以上、参戦は予想されていたが、単独でコルデックに住まう大怪鳥や『古塊人ゴーレム』をも狩る実力者、レミー・ホプキンスを筆頭とする一軍が出てくるのは予想の上を行っていた。

 イビルファングエナジーは、この戦いに相当入れ込んでいる。だが、本業が別にある営利企業である以上、他の傭兵組織よりも求めるリターンは当然大きい。

 中枢に絡む物を対価に要求される可能性も高く、国同士の戦いで彼等を使う国が現れなかったのは、そのような理由もある。

 それすらも呑んで、頼らざるを得ない有志部隊の危うさに、暗澹とした気分になったヒビキと対照的に、レミーは何処までも軽い。

「何が出てくるか知らないが、生物なら俺達は絶対に殺せる。だったら深く考える必要はねぇよ。手柄を総取りしちまうかもだが、レンゲが認めたその力、バッチリ見せてくれよ」

「相手が『エトランゼ』かもしれないのに、軽過ぎないか。アンタや部下が、死ぬかもしれないんだぞ」

「飼い主様が行けと言うなら、俺達ゃ死んでも戦うさ。お前達だってそうだろ?」

 猟犬の矜恃と形容すると美しいが、自殺志願者と距離の近い答え。フリーダやライラはあからさまに反発を示すも、自身の根源も近似であるが故、ヒビキは二の句が継げず硬直。

 奇妙なタイミングで差し込まれた停滞に、ゆかりが問いかけようとした時。背後から別の女性の声が届く。

「レミー! 一人でふらふらしないでください。あなたがそうだと、隊員達も追従するんですよ! カルなんかミーティングすっぽかして、煙草吸いに行っちゃいましたよ!」

「やっべ、見つかった。そいじゃ、戦場で……じゃないな、二時間後に会おう!」


 わざとらしく肩を竦め、レミーは踵を返す。


 救世主的な登場を果たし『水無月蓮華の知り合い』という惹句と、ヒビキへの揺さぶりを残して去っていく男を、四人は見送るしかなかった。

「何というか……個性的な人だね」

 精一杯オブラートに包んだゆかりの評にも、反応が鈍い。

 到着してから今に至るまで、提示される情報があまりにも多過ぎるのだ。

 集められた戦士の質は予想を上回っている。何処まで行っても安心出来る人数などないが、可能な限りの戦力が揃った。

 しかし、腹の底に抱えている物は玉石混交。エトランゼが本当に現れると信じている者は皆無に等しく、戦場が近いにも関わらず、空気は今一つ弛緩気味という有様だ。

 集まった何割かは確実に敵前逃亡を選ぶか、マトモに戦わない。心身共に準備が整っている者にしても、現れた敵次第では同じ道を辿る。

 指揮系統を四天王が握っていようと、思想信条が全く異なる者達を完璧にコントロールすることは不可能。戦いの盤面を作り出す、一般的なスタートラインに立てるかも半々といった所だろう。

「……取り敢えず、宿舎まで行こうぜ」

「うん! そうしよう! 寝床は大事、男女別れてないと困るよ!」

「ライラちゃん、それは流石にちゃんとしていると思うな」

 豪華な看板と、不安塗れの内情。

 そこから目を背ける為か、無為に明るいやり取りを交わしながら四人は歩む。

 集う人々の不調和を示すように、上空は奇怪な変色を繰り返していた。

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