5:天球を穿つ

 アルティを包む煙を吹き払われる前に、クレイは動いた。足が動く度に稲妻が大地を揺らす、まさしく雷神同然の光景を描き出す男の左手が刺突槍に変化。真っ向から受けに掛かったアルティの掌と激突。

 ここまでの戦いでは、激突と同時に体勢を崩されて反撃を浴びていた。しかし、今のクレイは先刻までの彼ではない。

「……」

 ほんの少し瞳を揺らしたアルティが、靴底から火花を散らして後退。即座に出力を引き上げて均衡状態に持ち込むが、彼女が押されたのは確か。

 魔術で押し返そうとしたのか。右腕に光を灯した敵の姿に、頬まで裂けたクレイの口が歪む。

「遅ぇッ!」

 五指が必殺の剣と化した右手が撃発。けたたましい雷鳴を響かせながら迫る手の撃墜を試みたアルティの側方。忽然と割れた空間から、オズワルド・ルメイユの右眼が顕現して妖しく輝く。

「『船頭乃戯曲・斬式シング・オブ・カロン・シュラーディス』ッ!」

 異空間から射出された漆黒の剣が余さずアルティに届く。目に見える傷こそないが、剣の暴風に晒された人形は純粋な回避を目的に後退。

 後退の選択をアルティから初めて引き摺り出し、クレイは更に踏み込み――

 

 胸部を襲った激痛に、獣の呻きを吐いて身体を折った。


 『紅雷崩撃・最終階位ユノディエール』発動には、心臓の変異が必須となっている。


 ヒトでは不可避の現象である、魔力生成・伝達で生じるロスを完全に消し去り、高純度の魔力で体内を満たして纏う。発動者の理想を余さず世界に描く技には、当然大きな代償が存在する。

「貴方は擬似的な魔力形成生物に成り果てた。ですが、ヒトは心臓が無ければ生きられない。命を捨てて勝利を得る価値が、この戦いにあるのですか」

 恐れや哀れみはない。だが、邂逅してから今に至るまで、一度も揺らがなかったアルティが「興味」という形ながら揺らいだ。


 どこまでも正しい問いに、クレイは喉で呻く。


 血晶石とて無限の魔力を有さず、ヒトの心臓程度の大きさでは保有量など微々たるもの。純粋な魔力形成生物が持つ生成・吸収機構は、クレイが持っている筈もない。

 全てを理解した男は出来損ないの笑みを湛え、真理に対峙すべく声を絞り出す。

「オズやヒビキと違ってな、俺は産まれた頃に捨てられた。両親はそれぞれの道を歩んで、新たな家族を設けて幸せに暮らしているらしい。

 つまり、俺は必要とされなかった、産まれてはならなかった命だ。そんな奴が、誰かの為に何かを成せるのは素晴らしい事だと思ってる。

 ……だから逃げた奴の役割を、まだ未来を持っている奴の為に道を開く事を果たさせて貰う。『虐雷神極輝光刃ユーピード・キャリバー』ッ!」

 血と決意に満ちた咆哮が、大地に響く。

 周囲に生まれた円環状の紅雷と共に、クレイは飛翔。急降下斬撃に繋ぐと読み、逃げを打ったアルティが螺旋を描き上昇。即応したクレイは、追いつけないながらも射程範囲内に相手を捉え、踊る円環を一斉に放つ。

 展開された五枚の盾を雷撃が砕き、副産物の衝撃波と高熱に巻かれて体勢を乱す怪物の目が下を向く。

 急上昇する異形の手がアルティに殺到。空中で何度も方向転換を繰り返しながら、悪意と殺意に満ちた手を躱し、無手で引き裂き沈めていく。完璧な挙動で『船頭』の手札を沈めた少女に、追尾を続けていた紅狼の牙が突き刺さる。

「これは」

「捕まえたぜぇ……××××××!」

 白磁の輝きを放つ首に噛みついたクレイは、超至近距離からの魔術に胴を焼かれ、口腔を撃ち抜かれる。常人なら、いやヒトの枠組みに居る者なら即死する反撃にも動じない。


 心の臓を、ヒトを捨てた男は文字通り命を燃やしている。


 命の炎が尽きるまで、辞書から死の文字を消し去ったクレイは首を捻り、アルティをゴミ同然に地面へ追放。彼とまた別の理由で無傷の少女は、落下の途中で水晶の縛鎖に囚われ強制停止。即座に原因を解して振り解きにかかるが、万華鏡の如き変化を繰り返す縛鎖は無音で揺れるばかり。

 カロンの力が籠められた『万封縛幻流光カレイブ・ゲルト』は、対象の魔力流を乱す作用が付与される。ヒトが受ければ、脳の指示と手足の連動が狂う症状を押しつけられ、正常な動きが著しく困難になる。

 無論、アルティならば即座に修正・脱出を果たすだろう。だが、そこに至るまでの僅かな時間は、戦いに於ける確かな隙となる。

 胸を穿つ長槍を乱雑に引き抜く。竜牙を想起させる装飾が持ち手に至るまで並び、穂先はドラケルンが振るう剣同然の巨大な刃が屹立する異形の槍を一瞥し、クレイは動けないアルティを双眸に収める。

「『虐雷神天穿槍ユーピード・ランベリス』ッ!」

 

 紅雷が空に閃く。


 投擲された長槍がアルティの胸に炸裂。体内から破砕音を生み出しながら『万封縛幻流光』を引き裂いて彼女を叩き落とす。地中まで追放されたアルティを捉えて離さぬ長槍の柄。

 その先端が、妖しく揺らいだ。


 天高くから、無数の雷がアルティを襲う。


 柄に吸い寄せられた雷に間断なく撃ち抜かれても、アルティは死なない。だが、天空を制する竜の怒りに等しい雷撃の雨に、彼女の転がる大地が音を上げた。

 跳躍から飛翔に繋いで逃げた二人の目に、雷撃が降り注ぐ一点が地響きを上げながら沈む様が映る。倒せないのであれば、二度と戻って来られない地中へ追放し、長き時を費やして、惑星自体の活動で化石に変えてしまえばいい。 

 ヒトを捨て去ったクレイの破壊力と『船頭』の力を借り受けたオズワルドの二人がかりで実現した、常識を遥かに逸脱した仕掛け。

 裏を返せば、超越者の領域に足を踏み入れた彼等でも、アルティの殺害は叶わない残酷な真実を世界に示したに等しい。

 最後の一枚を残して手札を使い切り、祈るように下方を睨む二人を嘲笑するように雷撃が唐突に終わり、白の流星がクレイに突進。

 剣よりも鍬に近い、複数の刃が並ぶ奇怪な物体を左手で食い止める。崩壊し、散りゆく左手の残滓を短槍に変え顔面へ打ち込む。引き戻された物体に凌がれるが、そこで二人は膠着状態に陥る。

「やっぱ死なねぇか……!」

「役目を果たし終えるまで死にません。貴方達の排除は、通過点に過ぎない」

「……オズ、どれだけかかる!?」

「一分だ! それまで保たせろッ!」

 人智を超えた猛攻に晒されても尚無傷の敵。

 彼女を討つ為に最後の一枚を切る。

 悲壮な決断を下したオズワルドが、唐突に湧き出た粘液に包まれる。彼の充填が完了するまでの時間稼ぎに動いたクレイは、ブレ始めた視界にアルティを確かに収めて踏み込む。

 突き込まれた短槍を翼から伸びた剣が押し流す。先刻までの奇怪な物体が蠢き、今度は斧に変形。がら空きの胴部を狙い、一・八九メクトルのクレイをも上回る長大な刃が落ちる。

 仮に両断された状態から再生が可能でも、余計な消耗は避けねばならない。回避を迫られたクレイは、驚くべき行動に出た。

 泳いだ身体を出鱈目に捻り、足裏から『鉄射槍ピアース』を発動。射出の反動で加速し、落ちる斧の内側に滑り込んで渾身の突きを放つ。

 乾いた音が場に響き、アルティの頭部が仰け反る。ヒトを装う偽装染みた挙動を他所に彼女の姿が消失。死角からの不意打ちを警戒して『傾驚雷網』の防壁を張り巡らせたクレイだが、アルティが十メクトル離れた地点に顕現を果たした事で杞憂に終わる。

「……た」

「あ?」

「ここまで食い下がるとは驚きました。愚かな選択ですが、貫徹する貴方達は紛れもなく勇者と言えるでしょう」

 唐突に放られた賞賛の言葉。

 創作物の世界なら敵が主役を認めた、熱い局面と形容される現象を、対峙する男は鼻で笑う。

「腹ん中に掠りもしてねぇのにほざくな。それっぽいこと言っても、俺達が絆される訳でも無けりゃ降りることもない。……それと後一つ、お前はどこまでもヒトじゃない」

「それは当然でしょう。私は世界救済の為に作られた」

 織り込み済みの反論を『蜻雷球リンダール』で黙らせて言葉を繋ぐ。限界が近付き、発声すら痛みが生まれる状況でも推測をぶつけ、確かめなければならない。


 今の彼に残されたヒトとしての思考は、ただそれだけだった。


「猿でも分かること言ってんじゃねぇよ。ヒトならざる者であろうが、例え道を共にすることが出来なかろうが、個々人の資質次第じゃ互いの思想信条・信念を理解し合える。それは生物が、いや世界中の存在が共通する物があるからだ。

 だが、戦って分かった。お前の目は世界を見ちゃいない。お前の手は誰とも、何とも繋がろうとしない。お前の本質は――」

「『双界河航舟シーファ・アーク』」

 問答を交わしていた二人の視線が、咆吼の主に向けられる。

 そこに立っていたのは、異形のヒト型だった。

 中性的な貌が半分砕けた骸の仮面で覆われ、露出した両眼は毒々しい紫の光を放つ。華奢な身体は奇妙な肉感を持った赤黒い装甲に包まれ、怨念が具現化したと錯覚させるそれを、幾何学模様が踊る古ぼけた外套が隠す。

 両腕はカロンが振るう『刈命者オルボロス』の面影を持つ水晶の剣と結合。ヒトの機能を完全に捨て去り戦奴に変質する現象は、カロンの切り札の一つを発動する予備段階だが、その事実を知る者は場にいない。

 旧友の唖然とするクレイと、静かに推移を見守るアルティを他所に、旧友同様全てを捨て去ったオズワルドは地面に剣を突き立てる。


 死した大地を裂いて、舟が顕現を果たした。


 全長四十メクトル程度。大まかな造形は五百年程前に世界を席巻した帆船に近い。

 だが、サイズに見合う人員が搭乗し、航海を行う可能性が一切排除されていると、一瞥しただけでクレイは察する。その理由となる、舟に立ち並ぶ数百の砲がアルティに無機質な殺意を向けていた。

 死者の記憶や朽ちた舟から無差別に回収したのか、並ぶ砲に統一感は皆無。酷い物では、古代の人々が作り出した投石器程度の代物も配されている。カロンが過ごした時の流れと、古のガラクタさえも武器に変える執念で観衆を圧する舟に、オズワルドが取り込まれる。

「何があろうとこれが最後だ。好きなタイミングで始めてくれ。ボクが合わせる」

「オーケイ。コイツを叩き潰して、笑って逝こうや」

「……死後の世界でも、また会おう」

 オズワルドの声が途切れ、全ての砲口に光が灯る。

 旧友の動きに呼応する形でクレイも魔槍を放り捨て、両腕を顔の前で交差させて息を整える。打ち捨てられた魔槍は砕け散り、鳥へと変化してどこかへ飛び去っていくが、場の誰も意識を向けることなく、次に描かれる光景に備える。


 泣いても笑ってもこれが最後。現状は語るまでもない。


 ここまでの戦いが神の視点で正解か否か。クレイには分からない。生まれ変わりとやらが実現し、数十年後に転生を果たさぬ限り、答えの出ない問いだ。

 ただ、眼前で悠然と立つ者の根源に触れて、彼女の描く未来が誤りと彼は判断した。見立てが正しければ、彼女は異邦の少年や少女、敬愛する者の縁者。果ては全ての異なる世界に牙を剥く。

 絶対に、ここで止めなければならないのだ。

「貴方達の覚悟を汲みましょう。『力乃戦旗・封界剣エスカリオ』」

 一切の装飾が排された、全長二メクトル弱の剣がアルティの手に握られる。

 クレイの意識は、そこで途切れた。

「……!」

 口から雷鳴を吐いたクレイの輪郭が崩壊。入れ替わる形で顕現した紅雷が一直線にアルティへ向かう。それを合図に、舟に括り付けられた銅鑼が盛大に鳴り響き、全門一斉に光を放った。

 肉体を再構成する魔力をも推進と破壊に注ぎ込む、まさしく捨て身の仕掛けと、伝説上の存在が用いる大技の発動で、千頭を超える竜と数万のヒトが激突する面積を持つ禁足地が激震に包まれる。

 大気が怯えたように唸り、狂ったように空が変色を繰り返し、大地を構成する全てを飲み込んで迫る大瀑布に、たった一人で相対するアルティは揺らがない。

「これだけの力が外界に放たれる。さすれば世界に乱れが生じる。……食い止める事が私の使命」

 決然と成すべき事を世界に告げ、エスカリオを正眼に構える。

 ヒトを捨て去った化け物共の進撃をしかと見据え、小さく息をする。

 

 白刃一閃。


 両者の激突は、恐らく一秒以下の時間に過ぎなかった。

 その一撃で交わった力は迷い、そして居場所を求めて大地へ、空へ向かう。

 白光が惑星全土を覆い尽くし、光の矢が宇宙空間を駆け抜ける。

 異常な光景が描き出され、終息した時――

 


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