4:叶わない夢、希望の全てを
水音が盛大に響き、低い呻きが生まれる。
金髪に金の瞳、そして金の鎧。ある意味潔さを感じさせる長身のドラケルン人は、立ち上がるなり首を捻った。
「ここはどこだ。……俺は死んだ筈なんだが」
男の名はカレル・ガイヤルド・バドザルク。ヴェネーノやハンナと並ぶ当代魔剣継承者にして、数ヶ月前にオズワルド・ルメイユと交戦した末に死亡した男だ。
徹底して勝利だけを追求する男は、当然ながら死後の世界など信じない。周囲にあるのは、整い過ぎるが故に恐怖を喚起する星空と澄んだ水。何処までも広がる静謐な空間の一点。見慣れた黄金の剣『散竜剣クレセゴート』を目撃したカレルは慌てて駆け寄り、生前の相棒を検分する。
「俺は死んだ。だったらクレセゴートも砕けた筈。つまり……」
思考の海に沈み始めたカレルの耳に、不快感を喚起する呻き声が届く。遅々とした動作で首を回した男の目に映るは、異形と化した死者の群れ。
敵の正体を看破したカレルは首を横に振り、唇を僅かに舐める。
「いや、違うな。コイツ等全員死人か。……ここは『
死した者は真の意味で眠りに就く為に、カロンが操舵する方舟で河を渡る。方舟の通り道となるのが『
だが、救済の手が全員に差し伸べられることはない。
善なる者が優先され、カレルのような悪人は後回しにされる上、専用の舟も極めて小さい。穢れた魂を過剰に受け入れると、世界のバランスの崩壊を招くとされているのだ。
そこで、安らかな眠りに就く権利を賭けて悪人同士で殺し合いが行われる。乗船が許されるのは、勝ち残った一人だけ。美しい世界で最後に描かれる光景が『
無数の目は一様にカレルに向けられている。この場で最強の彼を最初に殺した後、残された有象無象でじっくり戦う。描いた理想の光景を実現すべく、救いがたき悪人達は手を組んだ。
死後にようやく団結や連携を覚えた彼等を、カレルは醒めた目で見つめる。
静止した彼の姿に好機を見たのか、十名ほどが呻きを上げて突進し――
「死ねや不細工共」
吐き捨て、クレセゴートを振るう。
黄金が瞬き、突進を選んだ十名とその背後に控えていた数十名が両断。組織の結合が崩壊し、砂塵と化して消えていく。
生前は数多の罪を犯した者達がたじろぐ。そんな彼等に、カレルは心底からの侮蔑を向ける。
才の炎に焼かれた末に道を違え、堕落したものの彼の本質は勝利を渇望する戦士。一世一代の大勝負には、必ず身一つで挑んで勝利を掴み取ってきた。
安寧な死を得られる最後の、そして全てを賭けて然るべき場面で姑息な連携を図る者達など、彼には糞に集るウジ虫以下の下劣な存在でしかない。
闘争心を己の身に灯し、生前と変わらぬ輝きを放つ黄金の邪竜は、傲然と宣告する。
「俺は人生に満足してるんでな、別に安寧な眠りなんざ要らねぇよ。ただ、お前らみたいなカスにそんなモン与えるのは世界の損失だ。来いや××××××。ビビってんなら、俺が全員殺してやるよ」
悠然と宣告し、カレルは動く。
死者の群れに飛び込み、クレセゴートと一体化して舞う。彼が腕を振るう度、無数の首が飛び、引き戻される度に胴体が灰と化す。
あまりに一方的な殺戮劇の中、カレルはとある音を耳にする。
彼よりも更に竜に近く、貪欲に最強を求め続けた。そして彼が最も聞きたくない男の咆吼に似た音を意図的に締め出し、カレルは死者を切り捨てていく。
――『聖別』は確か同時に起こることは無かった筈だ。勿論、死者の世界なんぞ誰も知らない。伝承に間違いだってあるだろう。……だが、な。
記憶の海に没し、正解を掴む事は叶わない。
ただ漠然とした疑問と不安を抱えながら、黄金の邪竜は殺戮劇を死後の世界でも描き出す。彼以外に立つ者がいなくなるまで、狂気の時間は続いた。
◆
戦いとは、あくまで両者の間で勝敗の天秤が揺れる事象を指す。
数十万の大軍と数千の寡兵であっても、戦術や飛び抜けた怪物が存在していれば。という注釈こそ付くが逆転の可能性が生まれる以上、戦いと称して差し支えないだろう。
では、勝敗の天秤が一切揺れることのない事象を何と呼ぶべきか?
その答えが、禁足地に展開されていた。
淀んだ空から追放され墜ちたクレイは地面に叩きつけられる寸前で回転。額や鼻から流れる血を雑に拭い、降り注ぐ『
距離を詰めて紅雷を纏った右拳を撃発。鳥の囀りが無数に重なる甲高い音を響かせ、アルティの顔面を狙う。
直線的な仕掛け故に回避は容易。上体の僅かな移動で躱し、傾斜で沈んだ左手に燐光が灯り両刃剣を形成。速度が乗り過ぎたクレイに回避の術はない。それを理解している故か、クレイは嗤う。
右足を軸にクレイが回転。直後、跳ね上がった分厚い刃が空間を引き裂く。素材から考えると重量は皆無に等しいが、ほぼ直立状態から放たれたとは思えぬ速度が徒となり、アルティに隙が生まれた。
無音で側方に回り、今度こそはとばかりに拳を叩き込んだ。
激突、そして沈黙。
エネルギーの全放出を示すかのように囀りが止む。回避されず命中させられた証明となるが、それが何の意味も無かったと、クレイは次の瞬間に思い知る。
「温い」
「!」
伸びてきた両手が右腕を無造作に掴み、釣った魚を誇示するように乱雑に引き上げられる。関節が砕かれ、肉が引き千切られる激痛を浴びながらも『
散乱する破片が背中に刺さり、肺や内臓に達して赤黒い血を吐くクレイの眼に映るは、アルティのしなやかな足と夜会靴。
原始的な仕掛けだが、眼前の少女の力でやられれば顔が圧壊する。本能が打ち出した、腕を交差させ受け止める選択は頭部を守ったが、両腕の破壊を招く。
欠損部位の放置が何を生むか。知るが故に治癒魔術を無意識に紡ぐクレイだが、アルティの左手に魔術組成式が灯る様に瞠目。『
機能回復を果たした時、アルティの姿は遙か遠くに映る。『
「愚かな判断ですね」
「言っていろ!」
水晶の刃が瞬き、放たれた光条を両断。速力を活用し、敵の左手に真っ向から食らいついた。
数分前、肉体を四等分された事実を疑わせる、完全な復活を果たしてオズワルドが戦線復帰。負傷と消耗を感じさせない挙動でアルティと斬り結ぶ。前者が放った突きを後者が捌き、何処からか引き出した禍々しい双刃で首を狙う。
直線的な仕掛けを極小の『
後頭部から毒々しい液体を垂れ流し、四つん這いの姿勢で着地・跳躍。オズワルドは再びアルティに食らいつき、異次元の剣舞が再開される。
致命傷を何度も受けながら戦線復帰する。正真正銘の化け物と形容可能な現象を見せるオズワルドにも、アルティは恐れを見せない。
多少蘇生能力があろうと決定打が無い以上、消耗戦に持ち込めば確実に勝てる。オズワルドに対する認識がこれならば、彼以下のクレイはアルティにとって脅威に成り得ないのだろう。
所詮ヒトの枠に押し込められている。当たり前の現実を恨めしく思い、クレイは血が滲むまで唇を噛む。
――今、ない物ねだりをすんな。勝つ事だけを……考えろ!
再生を不完全なところで打ち切り、オー・ルージュを構える。
大地に亀裂が奔り、空気中の至る所でパチパチと何かが弾ける音が響く。めまぐるしく動く敵に当てられるか。オズワルドを巻き込まないか。
不安は付き纏うが、アルティに対して未開示の札はこれも含めて僅か。真っ向勝負で勝ち目が無いのなら、賭けない道など選べない。
穂先を縺れ合う二人に固定。息を大きく吸い、叫ぶ。
「『紅雷崩撃』――」
「知らないとお思いでしたか? 『
切ろうとしていた札が、美しい声で紡がれる。悪夢そのものの現実に見開かれたクレイの蒼眼が紅に塗り潰される。
丁度身体の中間点に大穴を穿たれ、上下に分かたれる寸前に陥ったクレイは、全身が焼け焦げ、黒煙を吐き出しながら地面を無様に転がった。
「『
聞き覚えのある名が再度紡がれ、一周回って常温と錯覚しそうな熱とオズワルドの苦鳴が届く。大地に頭から突き刺さった彼は、負傷を棚上げして駆け寄り、クレイの惨状を前に中性的な顔から色が失せる。
「まだ終わっていないぞ。立つんだクレイ!」
「……分かって、るよ。うっせーな」
強気を崩さず応じるが、オズワルドの声はやけに遠く聞こえ、眼の焦点もブレ始めている。豊富な魔力を有し、手札の少なさを逆手に取って魔力消費を抑えていても、肉体強化と治癒魔術の恒常発動を続ければ底を着く。
失敗に終わったが二度切り札を使い、上位魔術も乱発した結果、既に完全な肉体修復は困難。無傷で勝利すれば問題ないが、ここまでの戦いを見れば絶対に不可能だ。
「下がっていろ。ボク一人で」
「馬鹿かお前。今更それで勝てるわきゃねぇだろうが」
勇ましい提案をしたオズワルドも、身体の至る所の輪郭が緩み、空白や負傷が埋まるまでの時間
が延び始めている。カロンの魔力で肉体が組まれているが、基礎はあくまでヒト。どれだけ上手く立ち回っていても、必ずどこかで綻びが生まれる。
提案を受け入れて一人で挑む事を許せば、致命傷を無数に浴びてデウ・テナ・アソストルの塵と化すのは必定。分かりきった未来へ続く道を態々示した友人は、疑念を抱いたクレイに小声で告げる。
「カロンから許可が下りた。切り札を使う」
「なっ……!」
万策が尽きているのは、客観的に見て明らかだ。
近接戦闘では二対一でも劣勢。魔術は相手が全ての尺度で上回り、クレイ独自の魔術も習得済みで奇策が通る余地は皆無。異世界の技術と思しき不可思議な仕掛けには只蹂躙されるばかりで、持久戦については言うまでもない。
彼女の知識外に在り、そして模倣不可能な攻撃で制圧する道以外では、どれだけ足掻こうと敗北は確定している。
ここまでの戦いでオズワルドが放った『船頭』の仕掛けは、何らかの理由があるのか、アルティも使用の気配がない。純粋に彼女の持ち札を上回る破壊力の仕掛けをぶつければ、現状よりマシな道が見えるだろう。
だが、当人以外が切り札を使用した結果に関する記録は存在しない。真っ当な想像力を働かせれば『エトランゼ』と対等に渡り合う存在の切り札など、ヒトの身に耐えられる筈も無い。
即ち、オズワルド・ルメイユが二度目の死を迎える事が確定する。
「既に死んだ身、もう一度死ぬことも――伏せろッ!」
強制的に下げられた頭上を、無数の隕石が疾走。悪魔の嘶きを引き連れて、クレイを吹き飛ばした物体は、即座にヒトの視界から消え失せ遙か彼方で爆裂音を奏でる。
泥にまみれた顔を上げる。数メクトルに達する巨大な砲身を格納し、剣を引き出したアルティに、七色の光を纏ったオズワルドが食い下がる様がそこにあった。
心臓や脳を破壊されても死なない人外同士の戦いは、クレイにある理解を齎した。
二人の戦いに、自分が飛び込んでも何の役にも立たない。
爆轟とオズワルドの絶叫が響く中、クレイは呆けたように立ち尽くす。
勝てなければ何をすべきか。現役時代に留まらず、路地裏を這い回る薄汚い野良犬だった頃でも即答出来る。戦いから逃げれば良い。
名誉の戦死など、お偉方やそれに自分を重ねて酔っ払う阿呆が、自分が死なない立場にいる局面に限って振りかざす滑稽な代物。死ねば何もかも全て終わりで、スズハからもそのような指導を受けていた。
「生きていれば、何かを変えられる」
直接の師となった先代四天王やスズハの言葉は、絶対に正しいとこの期に於いても正しいとクレイは信じている。だが、彼女から託され、四天王を辞してから今に至るまでの長い時間で、自分が何を成したか。
答えは単純。クレイトン・ヒンチクリフは何も成せなかった。
ここまでの時間で、何かをしていればアルティの完成を。嘗ての友の決定的な変質を。異邦人に纏わる様々な事象を止められたかもしれない。
何もせず現状の危機を招いた者が、この苦闘をオズワルド一人に押し付けて未来を描ける筈も無い。そして、彼の死を許容出来る器など、彼は持ち合わせていない。
古びた写真を懐から取り出し、見つめる。
再びそれを仕舞い込んだ時、クレイの目には先刻と異なる光が灯っていた。
絶対の喪失に誰かが飲まれていようと、明日は訪れる。
明けぬ悲しみに囚われた誰かが泣き喚こうが、空はいずれ晴れる。
一個人がどれだけ足掻いても星は回り、世界は進む。
全て、世界に纏わる絶対の真理だ。けれども、クレイはその真理に挑む少年と少女を
幸せな形で彼等が離別する未来を、己の身を対価に守れる可能性が少しでもあるならば、どれだけ無様で無謀であろうと、結論は決まっている。
――今の俺に出来る事はこれしかない。……スズさん、ハルクさん……それに皆。勝つ事を願ってくれ。
へし折られたオー・ルージュを天へ掲げ、そして振り下ろす。
数多の敵を屠り、アルティの戦いでも砕けず付き合ってくれた純ルベンダムの穂先は、狙いを過たず写真が収められた場所を射貫き、彼の心臓に達した。
極限の苦痛で蒼眼が零れ落ちんばかりに見開かれ、胸元と口から大量の血が吐き出されて死んだ大地に歪な彩りを加える。
生命の根源が破壊され、自身の存在が世界から切り離されていく感触で何もかもが塗り替えられていく。
無様な痙攣が幾度も繰り返された後。
この世のものとは思えぬ苦悶の咆吼が生まれ――
そして、男の姿が瞬きと共に掻き消えた。
同じ頃、アルティの剣にダストテイルの刃が砕き斬られた。物悲しい残響を奏で、宝石同然に輝く粒子と化して退場する剣を鞘に納め、突進する剣を両の手で挟み止める。
「『シラハドリ』ですか。流石はスズハ・カザギリの弟子、と言いましょうか」
「後にも先にも、成功したのは一度だけだが……なッ!」
中性的な男の胸元が弾け、漆黒の槍がアルティを襲う。
掠めただけで結合崩壊を引き起こす、呪術に等しい因子で構成された槍を打ち出す、カロン直伝の『
のみならず、『輝光壁』の解除に併せて振るわれた左拳が彼の胸を強かに捉える。
骨を持たぬ身体が軋み、体勢を崩したオズワルドは後転からの立て直しを選ぶ。
立ち上がった彼の背に、冷たい感触。
「貴方が出来るのならば、私にも出来る。終わりにしましょう」
『
気付いた時には剣が引き絞られ、オズワルドを両断する体勢が完成していた。消耗しきった今、真っ二つにされてしまえば再生の保証は無く、回避の魔術を使えば攻め手が尽きる。
必敗の状況に追い込まれ、ヒトだった頃の名残か反射的に目を閉じて――
転瞬、超至近距離で雷鳴を聞いた。
「――ッ!」
音と閃光の暴虐はすぐに収束し、逸脱した強靭さからほぼ同時に感覚を取り戻したオズワルドは、信じがたい光景を目撃する。
背後にいた筈のアルティの姿が消え失せ、彼女の魔力は数十メクトル離れた、濛々と煙が立ち籠める場所から辛うじて感知出来る。即ち、敵はそこまで吹き飛んだという事。
一方的な蹂躙を繰り広げていた彼女が、ここまで体勢を崩すのは初めて。そして、それを成した男の姿に、オズワルドは瞠目する。
「追いついた。まだ死んでないか?」
「……クレイ……その姿は」
そこにいるのは確かにクレイトン・ヒンチクリフだ。
だが、厖大な魔力に起因する紅雷で全身を覆うに留まらず、大きく裂けた口に巨大な牙が並び、ヒトの形を喪失した五指が略奪者の曲剣に匹敵する鋭利さを獲得。極端な前傾姿勢となった背から禍々しい槍が飛び出した異形の姿など、オズワルドの記憶をどれだけ掘り返しても存在しない。
あまりの凶暴さに、大陸北部の国々が総力を挙げて絶滅させた狼の一種『ガルム』を想起させる姿に変貌したクレイは、くぐもった声で呟く。
「俺が見せてた最終階位はな、偽物なんだよ。……スズさんにも見せちゃいなかった。心臓を血晶石に変化させる仕掛けだから、そりゃ当然なんだけどな」
心臓を血晶石に置き換える。
意味を理解した。出来てしまった事で絶望に染まったオズワルドに歪んだ笑みを浮かべ、クレイは煙に埋もれたアルティの姿を捉えて吠える。
「命は置いてきた。これが俺の切り札『
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