幕間:有幻に光は走る


 数多の色が混ざり合い、唯一無二の色彩が描き出された空間。

 感覚の正しさを担保する物が皆無の空間に、二頭の大蛇が伏していた。

 古の時代、二千年前の大戦以前から語られるバキラゼルとナザルニア。グァネシア群島に於いては伝説の存在である魔力形成生物の無機質な瞳に宿るは、眼前に立つ者への確かな敵意。

 水晶の輝きを放つ長い髪を揺らす、美しい装甲を纏った一・七メクトルの女性は、目まぐるしく変化する双眸を細めながら、身の丈に匹敵する大鎌を突きつける。

「ヒトに靡いた醜い××××××! このような無礼を……」

「強者が全てを規定すると、貴方達自身が語っていた筈。ならば、この状況も必然であり抗弁権はない」

 黄金の鱗に覆われた片割れ、バキラゼルの赫怒の咆吼を冷ややかに流した『船頭』カロン・ベルセプトは周囲に滞留し、牙を剥かんとしていた蛇達の魔力を一睨みで吹き払う。描かれている光景と、互いの指し手が交錯した結果が、両者の力量差を端的に示していた。

 両者が立つ場所は惑星の内側に位置するが、高位の魔力形成生物のみが存在を許される、隔絶された異空間だった。通常の生物は踏み込んだ瞬間に塵と化す場所で対峙した両者は、互いに対する敵意と理由に基づいて激突に至った。

「異邦人達が現れていなければ、力を降ろした者の手で混乱が齎されていた。許されるとでも言うのかしら?」

「ヒトに過大な力を与えたお前が語るか! それに他世界を繋ぐ力を持ちながら侵攻に動かず、調停者を気取って振る舞う、お前の何処に正義がある!?」

 ヒトではない彼女等の次元では、蛇達の理論が正当性を持っている。独自の力を持つ要因でもある偶発的な誕生に起因した、種としての継続性の問題が解決すれば、この次元に達した魔力形成生物は覇権を手にすべく牙を剥くだろう。

 そして、魔力形成生物の枠組みに於いて格の違う強さと、他世界を繋ぐ力を持つカロン・ベルセプトならば、これらの問題を放置してでも戦いを挑める。

 ヒトと『エトランゼ』を筆頭とする惑星の生物。二者間に致命的な破綻が生まれつつある時を除いて自身の空間に篭もり、近年動き出したかと思えば死人に魔力を分け与え、その者に厄介事の種を潰させるだけ。

 バキラゼルとナザルニアの、強者に括られる魔力形成生物の論理とは大きな隔たりがあり、彼等が激するのは必然と言えよう。

 掲げた論理に従う形で拘束されている現状は、皮肉以外の何物でも無いのだが。

「力の授受は結構。強者の論理を振りかざすのも結構。けれども、私はそれを肯定しない。そして、貴方達の論理に乗る形で勝利した。……消えなさい」

「××××××――」

 聞くに堪えない下劣な罵声が中途半端に途切れる。

 掲げられた大鎌『刈命者オルボロス』が鼻先を微かに撫でるなり、二頭の輪郭が緩み、解けて粒子の塊に変質する。体表と同じ黄金の光を放っていた粒子は大鎌に取り込まれ、空間に静寂が訪れる。

 自身には劣るにせよ、数千年の時間を刻んできた存在を赤子の手を捻るも同然に退けた喜びは皆無。どのような不覚を取ろうが負けないと確信を有していた上、彼女の関心はこの空間の外にあった為だ。

 二頭の蛇が指摘していた存在、死せる四天王オズワルド・ルメイユの現在位置と状況は、彼女の内側に流れ込む情報で手に取るように分かる。

 サイモン・アークスが生み出したと思しき人造生物と対峙し、相当の苦戦を強いられている。

 絶対の強さとやらが妄想と知っているが、魔剣継承者カレル・ガイヤルド・バドザルクすら退けたオズワルドの苦戦。しかも劣勢に追い込まれつつあるのは、カロンの予測の外にあった。

 天を仰ぎ、そこにある蠢く色を見つめる。自身が力を送り込んだ存在、そして図らずも彼が対峙している者と同じ七色の瞳は、この瞬間の何処かから外れた場所に在った。


                     ◆


「どうしてボクを素体にした?」

「んー? 言ったじゃない、気紛れだって」


 南部アメイアント大陸に位置する大密林の一角。


 凶暴な野生生物が跋扈し、雨天時には一部で有毒ガスが発生する。おまけに足元には大樹の根がのた打つ、過酷な領域に著しく不適切な瑠璃色のドレスを纏ったカロンは、オズワルドの何度目かの問いに小首を傾げた。

 ハレイドの路上で死亡したオズワルドには血縁者がいない。書面上の家族がいる『ルメイユ記念学院』への引き渡しも機密保持の為に却下され、国軍の地下施設で火葬される事が迅速に決まった。

 決行、即ち装置に棺が収められて火が入る寸前。空間を強引に繋ぎ合わせて遺体を抜き取り、魔力を分け与えて『屍人マリオス』に極めて近い形でオズワルドを復活させた。

 復活の過程で故意に最期の記憶を欠落させ、目的達成後の返還を条件に配下となるように告げた。行動を共にしているとは即ち承諾したということだが、オズワルドにとって提案自体が解せないのだろう。

「私が表に出ちゃうと、色々問題が起きるの。つまらない同類との小競り合いとかなら良い、負けるつもりもないし。でも万が一『エトランゼ』とかが出張っちゃうと、世界に問題が起きるからね。貴方みたいな存在がいてくれる方が、都合が良いの」

「筋は理解出来るが、それなら生者を使うべきだ。公式で死んでいるボクが目撃されてしまうと厄介だ。貴女の目的にも支障が出る」

 記憶の一部を奪い肉体を変質させたが、カロンは彼の人格に手を付けなかった。こうして反論されたり、そもそも指示に背かれる可能性は、運用に当たって本来なら真っ先に排除すべき代物。

 司る狭間の領域から死者を引き出し、思うがままに使役する術を持つ彼女が、態々オズワルドを選ぶ理由は薄い。何度も繰り返されたやり取りの始点となる問いに、カロンは目を細める。

「そんなに気になる?」

「当たり前だ。『死んでも死にきれない』体験など、必要が無ければしたくもなかった。それに、貴女ほどの存在に……」

「はい、今日はここまで」

 追求に火が入りかけたオズワルドの鼻に、たおやかな指を当てる。優美な動作に気圧されたか、それとも予想外の対応に毒気を抜かれたのか。身を引いて首を捻るオズワルドを他所に、ウインクを飛ばしたカロンは樹海に目を向ける。

「時が来たらちゃんと伝えるわ。でも、あまり期待しないで貰えると嬉しい」

「恋する女学生のような言い方をするな。その顔でやられると、色々と困る」

 あくまで例え。オズワルドにとって、それ以上の深い意味はないだろう。

 理解しながらも、樹海へ向かうカロンの足取りは自然と速まる。

「……そこまで焦る必要もないだろう」

「仕事は素早く的確に、よ。ほら行きましょう」

 重みが欠落したやり取りを交わしながら、世界に仇成す怪物を排除すべく、二人は緑の大海に身を投じた。


                  ◆


「まさか自分の例えが正解だったなんて、あの子は思ってもなかったでしょうね。……覚えてる訳ないか」


 呟き、目を閉じる。


 最後の『起源種』オズワルド・ルメイユの、生前と変わらぬ暗緑色の左眼。凡庸なその眼に宿る光は、彼女が一切の打算なく接した唯一の存在に連なる物だった。

 現在纏っている少女の姿も仮初めであり、容易に変化が可能。円滑に物事を動かすために、伝承で描かれるような老人の姿に戻らなかったのは、その存在と出会った事に未だ執着を抱いている証左。

 しかし、大戦以前の世界から生き続けていれば、魔力形成生物でも記憶や熱は擦り切れる。輪郭や声、熱を忘却し、焼き印のように残った「思慕していた」感情を軸に動くことは、どうしようもない過ちだろう。

「ボクは貴女が愛した存在でもなければ、代替物になるつもりもない。感謝しているが、それ以上でも以下でもない」

 先日種明かしを行ったオズワルドには真っ向から告げられ、手段が誤っているとまで断言された。断言の後になって思うところがあったのか、取り成すように並べられた謝罪の言葉は、やけに鮮明に残っている。

 大局的な視点では愚かで滑稽な代物で、自我を持つ存在は動く。超越者の椅子に座りながら愚を犯したカロンは、そのような物を核に動いた存在が他者の予測から逸れた行動を取ると身を以て知っている。

 故に、世界の規則に反しない一線を探りながら現状を回避する形を模索した。


 ――結果はご覧の有様だけどね。


 ヒトの側に偏り過ぎた結果、エトランゼと断絶が生じて完全な正解を探る道は断たれた。感情面を抜きに、自身の力に親和性が高いオズワルドを用いて行った工作も、功を奏さなかった。

 超越者にあるまじき失態続き。忸怩たる思いから唇を噛んだカロン。

「聞こえるか? 聞こえるなら返事をしろ!」

 そして、脳裏に突然飛び込んできたオズワルドの声に眼を見開く。

 力を流し込んで生命活動が成立している関係から、両者は通信機器がなくとも交信が可能。だが、今まで一度も使われたことがない上、戦闘は未だに続いている。

「どう? 勝てそう?」

「残念ながら逆だ。ボクもクレイも、今すぐ墓の下に叩き込まれそうだ」

 努めて動揺を抑えた問いに返された答えと、乱れた呼吸。何度も挿入される共闘者の苦鳴。それら全てが、最悪の事態を告げている。

 指を咥えていれば、道理に従って二人は死ぬ。自身が乱入する選択肢は、サイモンの一手が打たれた今でも静観を守るエトランゼの介入を招き、大戦同様の被害を生みかねない。

「クレイと友好関係を持っている怪鳥類に、戦いの結果が出たら『彼等』に伝えるよう指示を出せ。……そして、力の流入量を限界まで引き上げろ」

「自分が何を言っているのか、分かってるの?」

「当たり前だ。分からないほど、ボクはおめでたい頭をしていない」

 カロンの持つ魔力は、ヒトの持つそれと根本的に異なっており、無差別に流し込めば、一瞬で死体の山が出来上がる。適性を持ち、生命維持に必要なオズワルドですら、一定以上は毒になる。

 崩壊しない上限が現状の流入量。ここから更に注ぎ込めば自壊への道が開く反面、出力が上昇する保証はない。あからさまに迷いを見せたカロンに、オズワルドの声が飛ぶ。

「理想の為に、貴女はボクを蘇らせた。ボクは理想の為に、今こうして戦っている。そこに何の違いがある!? 一度死した身、勝利を得られるのなら砕け散っても構わない。下らない躊躇から、争いの種を増やすな。……貴女が望む終着点は、そんな下らないものかッ!?」

 叩きつけられた叫びは、カロンを停滞から解き放つに十分な威力を持っていた。

 虚空へ左手を伸ばし、腕を覆っていた装甲が流星に転じて空間を駆けた末、壁に溶け込む。壁に波紋を刻んだ流星はそのまま上昇。天蓋を突き破って消えた。

 オズワルドに普段分け与えている魔力は、カロンの指一本程度。その数十倍となれば、劣化は免れないが切り札の行使も可能となる。劣勢を覆す、少なくとも可能性は生まれる筈だろう。

「貴方があの魔術を発動すればどんな敵にも勝てる。私はそう信じている」

「ありがとう。期待に応えられるように勝ってみせる。……貴女との時間は、なかなか幸せだった。続きがあることを願っていてくれ」


 どのように形容されるか、誰もが理解可能な言葉を残し通信が切れる。


 最後の言葉に、思い出の影を垣間見たカロンは左腕を降ろし、オルボロスを掌から血が滲むまで握り締める。

 先にある光景は朧気に見え、多少のズレが生まれても大筋が変わらないと、カロンには分かっている。幾度繰り返しても、喪失に慣れることはなく、今回は特に強い痛みがある。

 利己的で切実な、ヒトに近い存在に成り果てていると証明する感情を抱えたまま、船頭は前を向いて歩む。

 オズワルドの、そして記憶の彼方に消え去った「誰か」は、足を止めることを望んでいないだろう。痛みを超えて進み、調停者の役割を完遂する事こそ、彼等の思いに報いる唯一の形。

「貴方の思い通りには決してさせない。全てを失ってでも、私は正解に辿り着く……!」

 溶岩の熱を有した声を残し、カロンは隔絶された空間を去った。

 彼女が針路を何処に向けたのか。それが明かされるのはかなり先の事になる。

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