3:『Un』dead Angel

『シケた面すんなって。おめーが何考えようと、デウ・テナ・アソストルの流れはなーんも変わんねぇ。だったらドッシリ構えとけ』

 アークス王国首都、ハレイドの裏通りに位置する雑居ビルの一室。清潔さを保っているが、陰鬱とした空気が染みついた部屋で、ファビア・ロバンペラと鞘に収められた妖刀が対峙していた。


 ヒトと物が会話する。


 確かに現実としてここに在る、滑稽な構図を描く片割れ。ヒトたるファビアは、禁足地に旅立った二人を妖刀越しに幻視していた。

『常識で考えろ。どんなインチキ使っても、ルチア如きであの二人の首は取れねーよ。叩き潰して終いだ』

「常識的にルチア単独の筈がない。相手が誰なのか、それが問題だ。そもそも、貴様もデウ・テナ・アソストルに向かうべきだろうが」

「あの二人が俺を抜けるなら行ったわ。けど、現実は違う。俺が行ったところで文鎮になって足引くだけ……って待て待て待て、窓を開けるな捨てるにゃはえぇよ!」


 正論は時に苛立ちを煽る。


 誰かが残した格言に乗った軽挙を辛うじて押さえ込む。冷静な判断を見せたファビアは、初等教育課程の少女も同然の幼い容貌に、苦悩を隠さず表出させていた。

 サイモン・アークスは愚か、先々代四天王に近い実年齢の面影を覗かせる闇医者に、村正と呼ばれる刀は慰めの術を持たず、彼女も求めていない。

 スズハ・カザギリが遺した唯一の武器『村正』は、然るべき存在だけが抜き、振るう事を許される。抜いた者には比類無き力を与えるが、代償として生命力を奪われる凶悪な対価が存在する。

 旅立った二人に適性が無かった事を喜ぶべきか、勝率の上乗せが成されなかった事を悔やむべきか。いずれにせよ、他力本願にならざるを得ない彼女にとって忸怩たる思いの湧き上がる問いだ。

「勝算持って挑んでんのは同じ。腹括ったモン同士なら、単純に強い方が勝つ。相手が弱ぇことを祈っとけ」

「もう少し……いや、良い」

 戦いの勝敗は力の強弱で決まり、正当性は勝利によってのみ証明される。

 スズハが遺した言葉は、どの尺度から見ても正しく、彼等に割って入れる存在は恐らくいない。敵対者の実力を、二人が上回っている事を願うしかないが、それだけでは時間の浪費が過ぎる。 

「ムラマサ。貴様ならルチアの、アークス国王側の手札をどう考える?」

「そうさなぁ。まず四天王は違ぇだろ。オズだけならともかく、クレイと敵対する道をパスカの坊ちゃんは選べない。グナイ族の餓鬼は憎悪が勝ってリスクの高い戦闘に出るか微妙だし、チビはそもそも実力不足だ。無理矢理出してたなら、とっくにケリ付いてるだろ」

 スズハと共に村正が親族を虐殺したユアンはともかく、残る二人にもそれほど異論の無い分析を行う光景はなかなか奇妙だが、とっくに慣れている。

 現役四天王の協力は戦果の観点から非現実的。次善策は国軍による物量作戦だが、手札が不明瞭なオズワルドの存在が枷になる上、国軍を動かすだけの正当性の確保は極めて困難。

 仮に確保出来ても、決戦場を禁足地とする事は絶対に不可能だ。実行した瞬間、現首相とサイモンの首が物理的に飛ぶ。

「選択肢を探せば探す程、ヒトでは不可能という結論に至るな」

「おー流石は天才外科医。家族を培養液にぶち込んでまで、アークスが引き留めただけの事はあるな」

 妖刀からすると単なる感嘆。ファビアからすれば忌まわしき過去の掘削。黙したまま、次を促す。

「多くの国が、他者を出し抜く大いなる力を求めた。武器の開発からヒトの改造、果ては命の造成まで。二千年前には最後の領域まで行ったが、『エトランゼ』との大戦で後退を余儀なくされた。けど、ヒトの執念は凄まじいよな」

 成功例がムラのある一人に留まるが、戦火に全て焼き払われた状態から、人体改造までヒトは再び辿り着いた。ならば、不可侵の禁忌と位置付けた領域に手を掛ける事も、気狂いの妄想と切り捨てられない。

 妖刀が描く、二人が対峙する敵はそこに立っている。仮にその絵が真実に近ければ近いほど、彼等の生還を担保する物は失せる。

 どれだけの想いを抱えて向かったのか知っている。故に、この願いを抱える事が彼等への侮辱とファビアは分かっている。


 それでも、彼女は願わずにはいられなかった。


 ――負けても良い。お前達がここで死ぬことを、スズも許さない筈……必ず、帰ってくるんだ。


                    ◆


 戦いには必ず静と動、二つの時間がある。

 大戦以前に躍動し、現代の兵法書にも名を刻む猛将、エクトル・ガララーガの言葉を当て嵌めると、この瞬間のデウ・テナ・アソストルはまさしく後者だった。

 片翼で滞空するアルティに対し、停滞は死に直結すると知りながらも、クレイとオズは動けない。

 名を呼んだ『戦旗フラッグス』の正体と効果。彼女自身の本当の実力。そして正体と、全てがヴェールに包まれている敵に、これまでの定石は恐らく通用しない。

 豊富な経験と本能から不動を守る二人に不審な物を感じたのか、アルティは小首を傾げる。

「私を打倒するのではなかったのですか? 動かないままで、打開策があるとでも?」

 声質は美しく仕草は愛らしいが、状況と凶悪な力を目の当たりにしてしまえば、外見的要素など些事でしかない。ただ、どこまでも平常心を守る敵への恐れが膨れ上がるだけだ。

 静の時間は続く。そして、アルティはそれを無駄と判定した。

「来ないのでしたら、私から行きましょう」

 翼に一段と強い光が灯る。開戦の合図を目の当たりにした二人は散開を選択。


 矢か弾丸か。


 いずれにせよ、人外染みた速度で疾走する二人に『煌光裂涛放レイクティルス』が降り注ぐ。ルチアとの戦闘からアルティ自身との戦闘までの動きに倣い、直進すると見せかけクレイが跳躍。瞬きの差で光条が届き地面が沸騰。

 濛々と立ち籠める白煙と、物質が焦げる臭気は先刻の比ではない。直撃は即死。掠めただけでも、重度熱傷が刻まれる事で再生の難易度が上昇し、戦闘効率は急激に低下する。

 目前を駆ける必殺の閃光。それによって喚び起こされた恐怖で竦む足に何度も鞭を入れて接近。二メクトル弱の射程に潜り込むなり、オー・ルージュを撃発。

 伸びた穂先をアルティは右手で捌き、翻してクレイの首を狙う。腕を引き戻して凌ぐが、衝撃で穂先が天を仰ぐ。魔術を紡ぐ時間は、ない。

 歯噛みするクレイの目前でアルティの右手が急停止。幻想的な輝きを放つ無数の帯は即座に千切られるも、確かな隙が生じる。

 クレイの左手が突き出される。掌に浮かんだ餓狼の紋様から、音が生まれた。

 ぶち撒けられたペンキ同然に広がる紅光が、低い唸り声を上げてアルティの全身に食らいつき、彼女を地面に引き摺り落とす。墜落で生まれた黒煙を裂き、紅光と獣声が断続的に響く様を見ながら、クレイは地面に降り立つ。

「ちゃんとやれ」

「『万封縛幻流光カレイブ・ゲルト』を一振りで破壊するなんて、想像出来る筈が無いだろう」

「神話の力がその程度か。世界のスケールは狭いな」

 軽口を叩くクレイも、相手の異常さを再認識させられ、内心では汗が止まらない。

『万封縛幻流光』の直撃を許せば、彼等も問答無用で拘束される。回避以外の対策がないとされる魔術を、右腕を払うだけで破壊した光景は、描かれた最悪を更に深化させていく物だ。

 生まれた隙に『執紅狼群噛散ネルフェヴシャ』を撃ち込んだが、瞬きと獣声が未だに続いているとは即ち、アルティは未だ生きている。

「次はどうする。持久戦は無理だぞ」

「ならば、短期決戦だ。……来るぞ」

 立ち籠める煙が吸収され『執紅狼群噛散』に起因する現象が途絶。

 何事もなかったかのように、アルティが立っていた。翼の接合部に生物の目に酷似した楕円が忙しなく動き回る様を除いて変化は皆無。負傷と消耗の兆しもまた然り。

 直撃を重ねても無傷を保ち、戦士なら多少なりとも見せる、仕掛けそのものへの興味や関心も薄い。

 額縁に飾られた絵を見るかのような、何処か遠い眼差しは不快感と疑問を、受け手に植え付け育ませている。この点だけでも、サイモンが目を掛ける特異性と言える。クレイ達はそのような理解に至り始めていた。

 無言のまま左手が挙がる。縒り集まった光が形成した、一切の装飾を持たない剣と共に、アルティが突進。既に仕掛けに入っており回避は不可能。

 目配せを交わしたオズワルドが前進。

 銃弾に匹敵する速力で撃ち出された刺突を、ダストテイルの腹で受ける。主の魔力に依るものか、色彩豊かな火花を散らす奇剣の輪郭が歪み、鉄針が雪崩の如く殺到。

 致死性の毒針を放つ、彼独自の改良が加えられた『狂飆裂鋼雫メクウェリュプス』はしかし、アルティの翼に取り込まれた挙げ句、忍び寄っていたクレイに襲いかかる。

「ぬおッ!」

 短い叫びが一瞬で遠ざかる。援軍が暫し期待出来ない事実に舌を打ち、前方の敵に意識を絞る。

 寸刻の離別を遂げた剣が、吸い寄せられるようにダストテイルを打ち据える。華奢な腕からの一撃は豪傑が放つ重さと速さを持ち、オズワルドの腕に痺れを。足に若干の後退を齎す。

 僅かに呼吸を止め、筋肉に更なる指示を飛ばす。絞り出したもう一段で押し込みにかかった剣を強引に払う。

 傾いだ剣に飛び乗り、ダストテイルを一閃。動けないアルティは、幻想世界の毒牙を七色の瞳で只見つめる。

 一直線の斬撃は狙いを過たず届き、唯一無二の音が禁足地に生まれた。

 

 最善は首を刎ねる。

 

 最低でも重傷を負わせる筈だった剣は、鈍色の剣列に阻まれ停止していた。

「これは……!」

 気付きと同時に言葉を切って後退したオズワルドの目前。斬撃を完璧に押さえ込んだ鋼の翼が打ち鳴らされ、視界が暗黒に包まれる。

 セマルヴェルグや、その下に属する怪鳥目が一たび翼を打てば、大型台風に匹敵する暴風が産まれる。

 伝承通り、禁足地の空を覆う分厚い雲が僅かな時間だが吹き払われ、屹立していた『大轟岩弩ティタ・ル・ペイスガン』の残滓が砕け、折れ、塵芥化して舞い上がり黒に同化する。

 暴風に容赦なく蹂躙され、散々転がった果て。地面の陥没に嵌ってようやく止まったオズワルドは、己の非力さに歯噛みしつつ、落ちてきたアルティの剣を己の両腕で受ける。

 接触点から白煙が立ち籠め、衣服が溶け落ち肌が爛れる様にオズワルドは戦慄する。

 肉体の組成がカロンと同じ、即ち魔力形成生物と化した彼に、ヒトが繰る攻撃は効果が薄い。嘗て喧嘩を売って来たドラケルンの怪物には手傷を負わされたが、アレは複数の魔力を取り込み強引に変質させたが故。例外中の例外だ。

 だが、剣との接触点を起点に肉体の崩壊が発生している事実は、この瞬間確かにある。自身に攻撃が届くとは即ち、彼の主たる『船頭』にも攻撃が届く。

『船頭』と戦いの盤面を形成する可能性を持つならば、確かに切り札に成り得るだろう。とんだ怪物を見出した、嘗ての雇い主の恐ろしさに、オズワルドの背を氷塊が滑り落ちる。

「どうしましたか? ここで終わりであるのなら、私の予想の内で終わりです」

 抵抗を押し切り、少しずつだが着実に剣が降りる光景は、彼女の言葉を肯定しているも同然。鈍い輝きに連動して迫る己の死を前にしながら、オズワルドは引き攣った笑みを返す。

「馬鹿を言え。死ぬ為に戦う阿呆が何処にいる。生前から、腕力勝負で優位に立ったことなど殆どない!」

 剣が地面を抉る。

 轟音が世界を聾し、極彩色に染め上げられた土塊が舞い踊り、大地に消えない傷が刻まれる。ヒトなど百人纏めて殺害可能な一撃だが、引き上げられた剣は清浄を保っている。

 攻撃は躱され、オズワルドはここにいない。

 突きつけられた事実を目の当たりにしながらも、アルティは揺らがない。

 畳まれていた翼を広げ、純白の光を灯す。狙いは『転瞬位トラノペイン』を用いて背後に回ったオズワルドだ。

「貴方の組み立てなど読め……」

「勝ってから物を言え。そして、その機会は永劫に来ない」

 一瞥も暮れずに仕留めにかかったアルティの背後。

 世界が何の前触れもなく割れた。

 裂け目から七色の波濤。渦巻く波濤はアルティの全身に絡みつき、彼女の手足が空気と同化する。

「これは……」

「異空間の生成と破壊。『船頭乃戯曲・葬創式シング・オブ・カロン・セプルディス』の効果だ。……行くぞ!」

 両の手から、生物図鑑のどのページにも記載されていない怪物の大顎が顕現。

 歪な牙から火花を打ち鳴らし、大顎は拘束されたアルティに突進。常識外れの挙動を見せつけていた少女は、纏う空気こそ不変だが拘束から抜け出す気配はない。

 表情から読み取り難いが、彼女は仕掛けに嵌まった直後脱出に動いた。そして、今も諦めていない。意思を汲めない状況に、彼女の身体が陥っているのだ。

 世界でカロン只一人が有する力を再現した魔術『船頭乃戯曲・葬送式』は別世界と形容可能な異空間を創造する。持続時間は短いが、生み出された世界は彼女が絶対の規則と化し、常在する世界に身体が残っていると、引き摺り込まれた部位への指示が全て遮断される。

 描いた予測が叶うなら、頭部を逃しても現状の四肢と翼が封じられた状態で、仕掛けは十分成立する。後は『虚現攪喰晶顎リヴィスタ・ルトゥム』で生み出された必殺の大顎で粉砕すれば終幕だ。

 ここまで引き摺り込まれると、普通は全身が飲み込まれる。牢獄に転じた異空間ごと粉砕する最良の形から逸れた現実は、アルティの驚異的な力を図らずも再提示するが、動けなければそれも無意味。

 渦巻く不安を一蹴する為か、オズワルドは大きく粋を吸い、声を絞り出す。

「砕けろ!」

 万物を咀嚼する非情の歯が、必殺の一撃を仕掛ける。前後左右、どこにも逃げ場は無い。

 だが、金属同士が擦れ合う不快な音が生まれ、大顎の進撃がアルティの纏う淡い七色の光に食い止められる。

 掲げた右手を激しく震わせるオズワルドに連動する形で、閉ざされんとする大顎に更なる力が篭められ顎関節部が軋む。竜をも一噛みで肉片に変える大質量をマトモに受け、光球に何度も亀裂が走るも、繰り返される再生が勝って突破に至らない。


 こうなれば、魔力が枯渇した側が負けの我慢比べとなる。


「大した防御力だ。……だがどこまで保つ!?」

「焦りを喚起する仕掛けは無意味です。そして、貴方が一番危ういと貴方自身がよくご存じかと」

 ただ打ち返しただけの、それこそ煽り以外の意味を持たないように聞こえる言葉には、視認困難なまでに細い針が含まれている。大抵の者には届かず、届いても首を捻るに留まるが、この場で受けたオズワルド・ルメイユには会心の一撃となる。

 オズワルドの中性的な顔が、そこに埋め込まれた七色に瞬く右眼が歪み、頬に一筋の汗が伝い――

「今だ! クレイ、やれ!」

「待ちくたびれたぞ阿呆! 終わりにしようぜ。『紅雷崩撃・第二階位ミュルサンヌ』ッ!」

 徹底的に息を潜め、完全に気配を隠していたクレイの咆吼に応じて、紅の一撃が禁足地に生まれる。数千の砲弾の炸裂に等しい音の進撃と、暴風が疾走。『虚現攪喰晶顎』で生み出された大顎と、アルティの防御術式が粉砕される様は、紅に掻き消され世界から切り離される。

 暴虐は始まりと同様唐突に去り、紅光が散る。ヒトが視認可能な範囲全てに数十メクトルにも及ぶ深い穴が刻まれていた。間断なく刻まれた事で、巨大隕石の直撃にも等しい破壊が大地に齎されたが、クレイの仕掛けはこれで終わらない。


 一本縛りの金髪をたなびかせ、滞空しながら掲げた長槍の穂先。


 破壊を引き起こした紅雲から無数の雷が降り注ぎ、持ち主の腕にも焦げ目や魔力充填過多に起因する揺らぎが生まれる。調整をしくじれば、自身が灰と化す危険を侵すクレイの周囲に、大戦期に用いられた巨大石弩が顕現。

 ドラケルンやベスタークといった、強靭な肉体は特徴の人種でなければ引き金を絞る事すら困難な兵器に括り付けられた、発動者の武器と同形状に落とし込まれた紅が一際強く瞬く。

 

 刹那の静寂。


 アルティが立っていた場所に、流星同然に紅雷が墜ちる。着弾点の大地を沸騰。溶け、崩れ、轟音と閃光が猛り狂う。

 物質の蒸発で発生した白煙も、最後の一押しとばかりに降り注いだ雷撃の炸裂で消滅。狂的な熱が放つ揺らめきの中に降り立ったクレイの隣に、『転瞬位トラノペイン』で逃げを打ったオズワルドが現れる。

 両者の息は荒いが、勝利への確信があった。

「やったか?」

「『紅雷崩撃・第二階位ミュルサンヌ』の発動時、アルティに逃走の素振りはなかった。君自身が、威力を一番知っている筈だ」

「その通りだ。……使わされるとは思わなかったけどな」

 クレイの特性である雷への変化を活用しない『紅雷崩撃・第二階位』は変質・始動後に、ほぼ制御が効かなくなる彼の致命的な欠点を潰し、敵に「当てる」事を重視して生み出された。

 どれだけ威力が高かろうが外せば零だ。雷撃を後出しの状態から回避するような大敵と、発動後の消耗した状態で戦闘を行うのは敗退行為も同然。事実、四天王に就任した頃は空振りから敗北寸前に追い込まれた事もあった。

 見かねたスズハの提案で編み出され、狙い通りの高い命中精度と十全な破壊力を持つこの魔術で生き延びた者は少数。その少数にしても魚の解体程度の気楽さで仕留められるまで負傷させられる。

 絶対の自信を持つ魔術は確かに決まった。だが、ここまでの戦いを振り返ればアルティが大人しく死んだと考えるのは早計。彼女を見つけ出し、欠片一つも残さず破壊してようやく勝利が確定する。

 骨の折れる仕事だが、殺し合いより格段に楽だ。緊張を緩め、二人は散開して歩き出す。

「『紅雷崩撃・第二階位ミュルサンヌ』」 

 アルティの声が届き、クレイの視界が紅に塗られた。


 感覚器官が機能回復を果たした時、左半分だけの視界となった彼が見たのは、炭化した断面図を晒して大きく削り取られた肉体と、無様に宙を舞う己の右腕と右脚だった。

 地面に転がされた彼の前で、浮き上がった二肢は紅雷に呑まれ完全消失。『慈母活光マーレイル』を反射的に紡ぎ肉体を再生する過程で、何が起こったのかについて理解を試みるが、無意味な試みに終わる。

 数秒前、声が届いた瞬間。本能に従って身体を捻り、二肢の消失に留められたのは僥倖だったが、そんな事を喜んでいる場合ではない。

「……俺の技が……奪われた」

「奪ったんじゃない。ボクと同じ形だろう」

 クレイよりも更に悲惨な、首なしの状態から復活を果たしたオズワルドによる妥当な着地点の提示は、言葉を発した本人にも何の納得も齎すことはなかった。

 術技の模倣には発動構造と出力方法の理解が求められ、その障壁を超えたとしても、自身の身体に合致する魔力循環と回路構築が発動に当たっては求められる。

 一朝一夕では到底実現困難。加えて『紅雷崩撃・第二階位』は兆しを見せた者にクレイ自身が伝授したが、全て失敗に終わった過去もある。

万変乃魔眼ドゥームゲイズ』を有するオズワルド以外に習得者はいない。経験から固められた常識が打ち破られた二人を他所に、アルティが姿を現した。徹底的な蹂躙を受けた筈の彼女だが、その身体は傷一つ無い。完璧な美を保ったまま、挑戦者を見つめていた。

「貴方達は誤認しています。『戦旗フラッグス』は単なる戦闘能力ではありません。全ての力をこの手に掴み、世界を導く為の力。貴方達の持つ固定概念を破壊する力と言い換えても良いでしょう」

「固定概念の破壊……だと?」

「才を持つ者や、貴方のように生まれながらの特異体質の者は、常に優越者として振る舞ってきた。ですが、数多の命を蹂躙したにも関わらず、完全な存在は一人もいない。貴方達とて、戦乱の火種をばら撒く悪です」

「……」

「優位性を奪い去り、人々の力を均一化する。階層の破壊と、誰もが世界に数多存在する歯車だと認識する事で、争いの火は永遠に消え去るでしょう」

「ご大層な理屈は分かった。けどな、テメエは飛行島で異邦人を食った。憎しみを生み出しといて、世界平和をホザく矛盾をテメエは抱えてるんだよ!」

 痛みすら忘却してクレイが放った、赫怒の咆吼にも均整の取れた顔は動かない。予め吹き込まれた答えを読み上げるかのように、淡々と言葉が続く。

「複数世界の存在こそが過ちです。比較対象など生まれない、絶対の一に作り替えることもまた私の使命。……クレイトン・ヒンチクリフ、オズワルド・ルメイユ」

 たおやかな指が、二人に突きつけられる。

 

 転瞬、彼女の背後の地面が砕けた。


 大戦期の機械剣から、二人には使用方法すら分からない、重力の縛が緩い大海の住人に匹敵する長さの鉄筒まで。ありとあらゆる武器がそこに屹立し、皆が例外なく二人に切っ先を向けていた。

「貴方達は世界平和の障害であり、私を知ってしまった。恨みはありませんが、その命、貰い受けましょう」

 簡潔な抹殺宣言を受け、自分達が戦場ではなく、処刑場に引き摺り込まれたと二人は理解する。

 完成された戦闘能力と、敵の術技を完全再現する原理不明の特殊能力。その力に基づいて放たれた模倣の術技は、オリジナルが放つ物と何ら遜色の無い破壊力を持つと身を以て体験した。


 二人が弱ければ、何も分からないまま楽に死ねた。

 意思が弱ければ、ここで即座に降伏し、勝者の立ち位置を得られた。


 しかし、二人はここまで食らいつくだけの実力を持ち、相打ちとなって朽ち果てようとも目的を成し遂げる、悲壮な覚悟を胸に抱いてここに来た。

 お伽噺の世界なら。否、真っ当なヒトならば讃えるであろう物を持っている事が、二人を地獄へと招き入れたのだ。

 皮肉な現実を覆すべく、武器を構えた二人の姿がかき消える。同時に、鉄筒が低く唸りながら回転を開始。速度の上昇に比例する形で、開口部に光が充填していく。


「可能な限り早く終わらせて差し上げます。安らかに眠ることも、全ての存在が持つ不可侵の権利ですから」


 絶対の意思を内包したアルティの澄んだ声が、禁足地全域に響き渡る。

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