11

「了解しました。今夜は彼女も事務所で、ということですね」


 艶消しの黒で塗装されたオルーク社製の四輪駆動発動車の中、ユカリはアイリスと隣り合った状態で、ベイリスの事務所に向かっていた。

 運転席と助手席には名前も知らない所員が、アイリスの左隣には虎の刻まれた防護布フェイススカーフが他人の目を引くルーカス・アトキンソンが座し、万全と言える警護体制が構築されている。


「あなたまで警護に動員されるって、少し大げさじゃないですか?」

『万全を期すように所長と副所長から指示が出てるからね。俺なんかよりユカリちゃんと話してなさい。俺と話してもクッソつまんないからさ』

「はーい」


 言葉の調子とはかけ離れた無機質な声を発して、外部に対する警戒の姿勢を再び執ったルーカスを他所に、アイリスはユカリの方に向き直り、いつも通り気の抜けた笑みを浮かべる。


「お話聞く限り、今日は事務所でお泊りみたいですね! ユカリさんはどうされるのですか?」

「私はいつもの場所に戻るよ」

「なんと! それは残念です!」


 大仰な反応を見せるアイリスの姿にユカリは苦笑するが、すぐに表情を引き締め直す。そもそもこの車に乗ること自体、彼女は断ろうとしていた。

 ―――敵がいつ来てもおかしくない時に、護衛の人の負担を増やすのは良くないよね?

 真っ当な彼女の選択は、アイリスの強硬な主張と、護衛に追加されていたルーカスの『別に増えても構わないよ。身体が動くユカリちゃんなら、そんなに負担が増える訳でもないし』との意見によって変更が為され、現状に至っている。


「ユカリさん! 私の公演は来てくれますよね?」

「行きたいけれど……、チケットってもう売り切れてるよね?」


 元の世界で彼女が贔屓にしていたバンドは、メジャーデビューしたばかりで日程や場所によっては小規模の箱でもチケット余りが見られた。

 だがアイリス・シルベストロの場合はまるで異なっており毎度争奪戦必至の状況。ダフ屋の類も出てスタッフを悩ませている、らしい。

 となると、もうとっくにチケットはない。

 順当に思考したユカリだが、アイリスは笑ってそれを否定する。


「ルメイユ記念館のホールには二階もありましたよね!? あそこは狙撃のリスクがあるそうなので、元は閉めてたんです。でも、皆さんに聴いていただけるようにってスタッフさんが開放してくれるって言ってました!」

「本当!?」

「ほんとです! ……これほど長い時間を一つの場所で過ごしたのも久しぶりですし、このくらいしないとお返し出来ませんよ」


 アイリスは、歌手の仕事を始めて以降は大陸西部を転々とする生活を続けていたとは、彼女自身の口から既に聞いている。彼女の人気が上昇していく今、その生活が終わる日は遠のき続けるのは議論の余地はない。

 そんな彼女の身では、ユカリの側からすれば全く特別な内容ではないやり取りは、とても貴重な物だったのだろう。

 この場にいるのは単なる偶然であり、もっと別の存在がここにいてもそれは不思議でも何でもないことだ。しかし、偶然がこれまでどのような物を齎してきたのかを、ユカリはよく理解している故に、アイリスに向き直り口を開く。


「全力で聴かせてもらうね。がんば――」

「夜分失礼するよ」


 別の声に遮られ、同時に発動車が急停止。

 運転手の動揺の気配と、あまりにも不自然なエンジン音の途絶。そして何より不遜な声が、偶然による急停車ではないと判断したユカリの視界に、数度目の対峙となる完全武装の『正義の味方』が浮遊していた。


「……ペリダス!」

「同類よ、君に用はない。時が来たので歌姫を頂戴する。……恨むなら仕掛けに気づけなかった君たち自身の愚かさを――」

『遺言はそれで良いのか?』

 

 無機質な電子音声が発せられるのと同時に、ペリダスの胸部装甲に幾本もの短剣が突き刺さる。小さな亀裂から黒い煙が漏出するに留まるが、続いて放たれた回し蹴りが装甲を砕き『正義の味方』を街路に叩きつけた。


『走って!』


 短い叫びに弾かれたように、ユカリはアイリスの手を引き車から転がり出て、脇目も振らずに走り出そうとするが、『操蔦腕イラル』が肉で行われたかのような、毒々しい赤の縛めに囚われて動けない。

 その様を見たルーカスが小さく舌打ち。

 背の『純麗のユニコルス』を引き抜き、切っ先に魔術と思しき光を宿す。


『手っ取り早く死ね。『聖角嵐豪斬コルノス・テンペルタル』』


 切っ先から大量の白い杭が放射され、豪雨の如き烈しさでペリダスへの侵攻を開始。『正義の味方』も黒煙を漏出させながらも第一陣を回避し、舗装が粉砕される音が夜に届く。音が消えるよりも速く放たれた第二陣に対し、両の手を振るって強引に軌道を変化させたペリダスの顔に、驚愕と苦痛。


「なん――」

『もう遅い』


 杭と接触した箇所の内部から、別の杭が植物の発芽のように這い出し、それは瞬く間に拘束具と化してペリダスの身体を戒める。

 強引に引きちぎろうと力を込めても、白い拘束具は動きに応じて形を柔軟に変化させるばかりで、『正義の味方』の望みは果たされない。

 もがくペリダスを他所に、道路を疾駆して距離を詰めたルーカスは『旺魔活膂規ディー・ウェン』を発動して筋肉を増強し、ユニコルスを敵の胸部に捩じり込む。

 見る者に恐怖さえも抱かせる美しさを誇る白の剣の切っ先が、ペリダスの胸部に届き、装甲を粉砕して身体を通り抜けた。

 黒煙の噴出量を爆発的に増大させ、『正義の味方』は物言わぬ物体と化して崩れ落ち、同時にユカリ達の戒めも解かれる。目だけで撤退を促され、今度こそユカリ達が走り出す。


「いやはや、本当に素晴らしい。我が鎧を砕いた者は、同胞でもムヘンセンだけだった。やはり君たちは一流の集まりだ。この世界に来たばかりの状態であれば、間違いなく敗北していたよ」


 敵を焼却すべく『奇炎顎インメトン』を紡ぎ始めていたユニコルスの切っ先が握られ、驚愕に目を見開いたルーカスの身体が剣ごと空中に持ち上がっていく。

 どれだけ構造が異なっていようが、胸部や頭部を破壊されれば死ぬ。

 今までの戦いで積み上げられた認識を目の前で破壊され、硬直する一同を嘲笑するようにペリダスは立ち上がる。


「しかし、君たちは一つ見落としていた。今の私は同胞の悲しみを背負い、大願を成す為に行動している。……この世界のお話でもあるだろう? 強い意思を持つ者は、ただの一流では倒せないとね!」


 ルーカスの肉体を何かが通過し、彼の動きが止まる。

 背後から状況を見る形となったユカリは、剣士の背に、通り抜けた物体の数倍の円が穿たれ、そこから骨の破片と臓器と思しき物が零れ落ちる様を目撃する。


「先端を潰れやすくすることによって、体内でのダメージを増大させる。この世界では『潰点射槍ホローアス』と呼ぶのかな」


 重要な器官を破壊された結果として、立つ力を喪失し崩れ落ちながらも、目だけで逃走を促すルーカスに従いユカリは背を向けて走る。

 背後から武器が激突して砕ける音や、悲鳴と湿り気のある爆発音が耳に届き、恐怖と罪悪感が加速度的に膨れ上がるが、死に物狂いで足を駆動させる。

 だが、元いた世界に於いて凡人の範疇に収まっていたユカリの脚力では、奇跡を紡ぎ出せる筈も無かった。


「――――がっ!」

「ユカリさんっ!」


 後頭部に強い衝撃を受け、体勢を保持出来ずにユカリは道路に叩きつけられ、彼女とアイリスの手は離れる。

 最悪の状況にまた一歩近づく中、ユカリは苦鳴を盛大に歌い上げる身体に鞭を打ち、ホルスターから銃を抜き、自らのこめかみに押し当てて引き金を引いた。


「なん、だとッ!?」

「―――――っけえええええええッ!」


渇欲乃翼エピテナイア』の発動によって、彼女の背を突き破って顕現を果たした毒々しい色彩のい肉の鞭が伸び上がり、『正義の味方』に迫る。

 以前ユカリも目撃した掘削用ドリルを掲げ、ペリダスは真っ向から攻撃を受ける。

 神経の通っている肉の鞭が削り取られ、口からヒトの声帯によるものとは思えない声が吐き出される。が、敗北はアイリスを奪われることに繋がる為に、更なる前進をユカリは試みた。

 

 転瞬、左脇腹に破滅的な衝撃が走る。

 ユカリの視界は、否、全身が容易に傾いで道路へ崩れ落ちていく。


 ――――な、にが?


 奇妙なまでに遅く描かれる視界の中で、ユカリは衝撃の発信源に視線を向ける。

 『渇欲乃翼エピテナイア』による鞭と鍔迫り合いを演じていた筈の、掘削用ドリルが脇腹に突き刺さり、その部位を挽肉状態に転じさせている様を目撃する。

 損傷が大き過ぎるのか、地面に這いつくばる以外何も出来なくなったユカリに興味を失くしたかのように、ペリダスは彼女に背を向け、アイリスに一言も発する余裕さえも与えずに意識を奪い、宙に浮き上がる。

 

 「君が『船頭』の力を有していたのは驚いた。だが、それ以外の面がお話にならない。……さらばだ同類よ。私が大願を為す様を、病院の寝台辺りで見ているといい」


 震える手で舗装路を掴み、指の皮が裂けて血が流れだすことも厭わず、少しでもアイリスの元に近づこうと、ユカリは地虫のように地面を這う。

 だが、身体の活力をほぼ奪われた者と、いまだ満ち溢れている者の間に存在する絶対的な機動力の差が埋まる道理などなく、ペリダスは動かなくなったアイリスを連れ、悠然と夜の闇に消える。

 自らの脈動と、誰かが激しく血を吐く音を聴きながら、ユカリは薄れゆく意識の中で通信機器に手を伸ばし、借り受けた際に一番頭の位置に登録した番号を発信。

 事情を知らない相手の声を聞けた安堵と、みすみすアイリスを奪われてしまった事に悔恨の感情を覚えつつ、どうにか最低限の事実を伝えた後、ユカリは意識を手放した。

 

                 ◆


 一面に白が広がる清潔な空間、即ち病室の中で、ヒビキは長い溜息を吐いた。

 彼の視線の先には、清潔な寝台の上で目を閉じている異世界の少女。意識は未だ戻っていない。

 連絡を受け、発信源にたどり着いたヒビキが見た光景は、日常をぶち壊す鉄の臭気と赤の前衛芸術。そして、地面に倒れ伏したルーカスとユカリだった。


「……」


 もっと早く、いやそもそも同行していれば。

 今更どうにもならない後悔と、ペリダス討伐の戦力が大きく削がれた不安が混ざり合い、ヒビキの表情は曇る。

 敵襲によって、この後すぐに突入と筋書きが書き換えられた作戦に於いて、雑魚を掃討する段階では恐らくマルク・ペレルヴォ・ベイリス一人で話は終わる。すぐにペリダスの元に辿り付けるだろう。


「問題はその先、だな」


 ペリダスは彼が有している全てを、今までの対峙では出し切っていない。

 全力を出した、そして鬼札となりうるアイリスを奪取した場合についての行動データは一切ないのが、ヒビキ達に提示された現実だ。

 今まで通りの回避不能、そして敗北が死に直結する戦いだが、これまで以上に碌でもない戦いになるのは避けられない。端的に言えば、最後に立っていられるかも不明の状況。

 軋む程に歯を強く噛み締め、壁に立て掛けられている『颶風剣ウラグブリッツ』を見つめ、一瞬手を伸ばしかけたが、すぐにその手を降ろして立ち上がる。

 今朝ヒルベリアから届いた、ユカリ曰くハルク・ファルケリアから借りた業物は、強力な力を持っているのは事実。

 だが、ヒビキには二刀を用いた戦闘を行った経験や知識も、物語の主人公のように即座に理想を体現させたり、慣れない武器をすぐにアジャストさせられる才覚もない。故に、業物に頼る手段は却下せざるを得なかった。

 

「……俺たちは必ず勝って戻ってくる。だから、ユカリはここで待っててくれ」


 そうなって欲しいとの根拠のない願望が多分に籠められた、空虚極まりない言葉を残して、ヒビキは病室を辞して戦場に向かう。


                  ◆

 

 少し時間を遡り、場所も移る。

 アークス王国首都ハレイド影の部分との分類が可能な、トスカーツを一人の少女が背丈以上のリュックサックを背負いながら闊歩していた。


「まったく、少し依頼の期間が開けばすぐにフケるな。……次来た時解体するか」

 

 物騒な言葉を吐く、白球とバットを用いる競技『バーセル』で着用する帽子を被って歩く存在は少女でもなんでもなく、ある種の存在とって有名人のファビア・ロバンペラ、無免許医である。

 嘗て罹患した奇病によって身体が退行を果たした彼女は、その容貌に起因する問題に加えて、生活費のタネが基本的に勝手に転がってくるので、外出は殆ど行わない。

 唯一勝手にやって来ない食料の確保を、治療費の支払いの滞った者に行わせているが、無報酬である点と量が膨大である点が災いし、こうして彼女自身が買い出しに出ることが多々起きている。


「……疲れた」


 自宅まではまだかなりある上に、体力は外見とほぼ同じ。故に重い荷を背負い続けることに限界が来たファビアは、完成直前で放棄されたビルに侵入して腰を下ろし、夕食と位置づけていたジャガイモを揚げた菓子を齧る。


「もう少し塩と油が強い方が良いのでは? いやしかし……」


 一人で間抜けな品評を繰り広げながら、二百ガルムの袋菓子を完食したファビアは荷の整理を始めた。


「そう言えば、久方ぶりに東方種の米を手に入れたが、あの小娘にでも送ってやるか。調理器具はなさそうだが何とか――」


 無意味な一人語りの途中、違和感を感じたファビアは上方に視線を向けメスを構えたが、背後に迫る硬質の感触を察して両の腕を下げた。


「ご理解が早くてありがたいですね」

「いきなり物騒な手だな。ティナ・ヨミウチ・ファルケリア、両親からそんなやり口しか学ばなかったのか?」

「……はぐらかされる訳にもいかないので。情報をお話していただければ、すぐに去ります」


 旧知の者の娘ではあるが、直接的な繋がりは非常に薄いティナが何故ここにいるのか。抱いた疑問は彼女の灰色の瞳に宿った感情を見て氷解したファビアは、敢えて問わずに本題に切り込む。


「何故私の元に来た。弟子は募集していないし、貴様は私の小間使いになる器でもないだろうが」

「あなたは人形を知っていますか?」

「知っているがそれがどうした?」


 凡人なら意味を理解し難い問いに答えを返すと、ティナの中に宿るどす黒い感情が一気に表出したかのように圧力が生じ、ファビアは眼前の相手への認識を改める。

 ――これは少し不味い精神状況だな。……ハルクかアイネどちらかが、いや、ルーゲルダの鞘が背にあるということはハルクの方か。

 内心で結論を導き出して気を引き締めたファビアに対し、ティナはあからさまに腹に何か詰めている風情の笑みを浮かべ、口を開く。


「知っているのなら話は早い。その人形がどこにいるのか、お教え願えますか?」

「断る。貴様に教える必要など――」


 頭を屈めたファビアの頭頂部を東方の異刃が通過。避けきれなかった頭髪が切断され、所在なさげに宙を舞う。


「紳士淑女の交渉をしに来た訳ではありません。次は当てます」

「二人の血統、そして貴様自身の才覚と修練の積み重ねが合わさった実力は見事だ。だが、私が予測していなかったと思うか?」


 視線を周囲に滑らせたティナの目が、僅かに揺らぐ。

 彼女の周囲には、自在に変色しながら瞬く『万封縛幻流光カレイブ・ゲルト』の光の帯がいつの間にか張り巡らされ、彼女が絶対に先手を取れない状況を形成していた。


「魔術の心得はなかったとお聞きしていましたが?」

「平時から手の内を晒す無能ではないのでな。……無免許で商売をするなら、この程度は出来て当然だ」

「……」

 

 この場における勝ち筋を見つけられなかったか、ティナが異刃を鞘に納め、右手をもう一本の剣の柄から離し、漏出させていた殺意を霧散させて数歩後退し、物騒な笑みを浮かべる。


「失礼しました。ですが、あなたが知っているという情報を得られたたけでも幸いです。……ここ数か月、あなたの元を訪れた者の中にいると分かれば、十分に絞り込みは可能です」

「一応忠告するが、復讐は何も産まんぞ」

「あなたのように、賢者を気取って何もしない事に比べれば十分に生産的ですよ」


 痛烈な言葉の斬撃に、顔に苦味が浮かんだファビアを放って、ティナは廃ビルを出て何処かに消えた。暫くの間はハレイドに滞在しているだろうが、説得及び拘束に出向く気力など湧きはしない。

 ――「人形」はハルクを殺害した者を指し、私にとってはヒルべリアの小僧を指す。前者の方は、ティナが探りを入れて来た所から考えると、恐らくハルクとルーゲルダ以外に目撃者はいない。となると、小僧が危ないな。

 結論を出し、ひとまず住処に戻ろうとリュックを背負い直した所で、耳障りな機械音声が耳に届き、ファビアは尻のポケットに突っ込んでいた通信機器を取り出し、耳に押し当てる。


「誰だ? ……お前か。また都合が良い時機に。いやこちらの話だ。……小僧について、だと? ……聞こう。住処に戻り次第折り返す。一度切るぞ」


 通信を終えたファビアは「次から次へと、一体何が起こっている?」と幼い顔を歪めながら吐き捨て、よろけながら自身の住処を目指す。

 先ほどの通話相手、ノーラン・レフラクタが切り出す予定の、ヒビキ・セラリフに関する話に対し、彼女らしからぬ僅かな恐れを抱きながら。 

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