12 殺意弾ける夜の中で

 無数の影が、地上に穿たれた円から飛来する。

 品の良いスーツを纏ったマルク・ペレルヴォ・ベイリスを先頭に、突撃部隊は戦場に突入を果たす。

「よく来た! 私も――」

「黙れ」

 落下途中現れ、高らかに名乗りを挙げる首無し騎士は、ベイリスが『氷伐剣ナヴァーチ』を一振りしただけで氷像に転生。只の的と化した首無し騎士の胴部に、鉛と魔力の二種の弾丸が命中。微塵に粉砕され消滅する。

 鉛の弾丸を射出した中肉中背の男、ドノバン・バルベルデが吹き鳴らす口笛を背景音楽に、一同は氷の粒が躍る中をすり抜け、噴水の機構があったと想像し難い、処刑場に酷似した無機質な地下空間の底に辿り着く。


「地上部隊は警戒を怠るな。可能な範囲で構わない、いつでも避難誘導が――」


 通信が途絶し、同時に聞き慣れた声による不協和音が一同の耳に届き、場の者全てが顔を歪める。


「アイリスの声、か。……けど、この歌は一体なんなんだ?」

「良い質問だ、私と同質の存在よ。これは私の世界に於ける秘術の為の祝詞でね。詰めの一手だ」


 反射で零れたヒビキの問いに、悠然と答えていたペリダスの眼前に、飛翔した氷舞士が無言のまま接近。

 右手にナヴァーチ、左手に『爪牙造成デイル・クェイト』で作り出した氷の刺突剣を構え、両者がペリダスの頭と胸に突き出される。

 二者は絡み合ったまま落下を始め、その最中に始動したルーチェとストルニーが各々の得物を振り下ろす。が、ペリダスは二人の追撃を躱し、組みつくベイリスを強引に振り落とした。

「少し落ち着きたまえ。物事には順序があるだろう?」

「私はお前の死体を所員達に供える義務がある故、人生で最も落ち着いている」

 不吉な歌を聴きながら、傍観者の椅子を押し付けられる一人となったヒビキは、主役二人が放つ物とは別の何かを感じ、左目の力を解放。


 空間を見渡して違和感の正体を掴んだ時、ヒビキの全身が総毛立つ。


「大願を果たしていない状況で勝てると自惚れる程、私は愚かではない。しかし、不利な状況に直面しただけで望みを放棄する程、意思は弱くない。少し遊んでいてくれたまえ」

 典雅な動作で掲げられた右手の指を、『正義の味方』が軽く打ち鳴らす。

 音に呼応して天井が砕け、床が捲れ、空気を裂いて、異形の化け物達が場にいる者達を囲む形で顕現を果たし、ペリダスの姿が掻き消えた。


「別の目的で使うつもりだったが、君たち相手には使わざるを得ないな。この者達を突破した時、また会おう!」

「迎え撃つぞ!」


 ベイリスの叫びを引き金として、地下空間の戦いが幕を開ける。


 金髪の妙齢女性ミレーヌ・アウグスタと、ドノバンの二者が紡ぎだした『奇炎顎インメトン』が轟音と共に炸裂。赤の奔流が小型の異形を舐め取り、生まれて十秒足らずで世界から退場させるが全滅はしない。

 炎の幕を突破した鮟鱇の身体にヒトの腕、そして野犬の足で構成された異形は、小さな両目で一人を見据えて突進。


「……って、やっぱ俺かよッ!?」


 まず初めに一番弱そうな輩を狙う。

 これは何処も共通だと、妙な形でヒビキは知る事となった。

 別の三頭を同時に相手取るベイリスが、援護射撃を放ってくれたことで、異形の片腕が消滅するがそれだけで止まる筈もない。

 回避を諦めてスピカを抜き放ち、片腕で振るわれた槌を迎撃にかかるが、筋力差が大き過ぎる為に蒼の異刃の切っ先は弾かれ、持ち主への進撃を許す。

 槌はヒビキの頭部目掛けて振り降ろされ、打突面が瞬く間に距離を詰めていく。

 

 鈍い音が眼前で轟き、己の頭部からでなかったことに疑問を抱いたヒビキが顔を上げると、横から伸ばされた十本の爪が槌を受け止めていた。


 爪の主、ルーチェ・イャンノーネが両腕を跳ね上げ、異形の胴体は一瞬がら空きに。その一瞬の間に、背後から放たれた無数の鉛玉が異形の生命活動を停止させた。


「集団戦って事を忘れちゃ困るよ」

「まったくだ。おい坊主、無事か?」

「……なんとか、な」

 返事を皆まで受け取らず、ドノバンとルーチェはまた別の敵に向かう。

 ふと横を伺うと、既にベイリスは相手にしていた三頭を生命なき氷像に転生させ、別の敵に挑んでいた。

 遅れを取る訳にはいかない。気合いを入れ直したヒビキは前進、頭部に人肉食花ラフェルシアを戴く鳥人ハーピィと対峙する。

 三次元戦闘を可能とする相手からすれば、それが出来ないヒビキなど、取るに足らない雑魚と映るだろう。

 肉厚の花弁を揺らして嘲弄の意思を露わにする鳥人に、皮肉な笑みを返したヒビキは『器ノ再転化マキーナ・リボルネイション』を行って砲口を突きつける。


「『大鯨恐槍雨ヴァレル・ストラフォーリエ』ッ!」


 変形したスピカに存在する円筒が激しく回り、砲口から水の槍が無数に放たれる。

 当然、鳥人は翼で空間内を飛び回って水の槍を躱し、有利な射程から一方的に毒液を吐きつける。右手で放つナイフで毒液を撃墜しながら、ヒビキは左手のスピカを横に振り、水の槍を撒き散らす。

 誰かからの抗議を無視してスピカを振り回した結果、空間にいる多数の異形に槍が突き刺さる。無論、大半の存在はヒビキに矛先を向ければ、その隙に他者から攻撃を受けると理解しているが故に仕掛けてこない。

 しかし、馬鹿が少なからず敵にもいるようだと、向けられる視線と敵意の量で察したヒビキは、先刻とは別種の笑みを浮かべる。

 毒液を放射しつつ、先陣を切った鳥人に続いて十数頭の異形が進撃を開始。

 乱戦の中で、状況に気付いたフリーダが顔色を変えるが、彼とて助太刀は出来ない状況。蹂躙を待つだけの状況で形態を戻したスピカを納刀。

 毒液や雷球の類を容赦なく浴びるが意に介さず、柄に手をかけ吼える。


「馬鹿が釣れたなッ! ……『鮫牙断海斬・呑嘯乃型カルスデン・スクァルクート・レヴィダルス』ッ!」


 ヒビキの眼前をスピカが奔り抜け、射程の内側にいた存在は、彼らの胴部に刻まれた一筋の斬線に従う形で身体を分かたれ、極彩色の体液を吐き出しながら絶命するが、これだけで彼の仕掛けは終わらない。

 突如としてスピカが通った範囲の地面を砕いて大量の水が噴出し、残る異形を呑み込んで彼らを天井に叩きつけ、更に噴き出す水の圧力で、生命維持が不可能に陥るまで粉砕してみせた。

 

「仕上げには、足場が必要だろう?」

「アンタにご理解頂けるとは嬉しいね!」


 投げられた声と共に濁流が瞬時に凍結。

 氷の粒を散らして地面を蹴ったヒビキは、氷柱と化した異形を踏み台に跳躍。飛行能力を活用して攻撃から逃れていた鳥人に接近し、必殺の射程に入り込む。


「『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』ッ!」


 必殺の一撃が鳥人の身体を駆け抜け、数センチ大の肉への転生させてみせた。


 血と肉の雨を浴びながら着地したヒビキは、技を決めた余韻に浸ることなく周囲を見渡すが、既にこの空間での戦いは決着しており、残っていたのは援護をくれたベイリスのみの状況になっていた。

 ――さすがに速いな。……あれ、俺もしかして要らなくね?


「魔力で強引に地下水を汲み上げ、激流で押し流す組み立てか。本来は開けた場所で使う物だろうが、閉鎖空間で機能させる良い応用だった。ただもう少し周囲にも注意を払ってくれ」

「……悪かったよ」


 余計な思考の中差し込まれたベイリスの冷静な指摘を受け、バツの悪そうな表情でスピカを納め、既に先行していたフリーダ達を追って、ヒビキは次の空間が存在すると思しき道を走り始める。

 だがその足は女の甲高い悲鳴と、自身の顔に貼りついた大量の血潮で強制停止させられる。

「ミレーヌがやられた! こんの糞……」

「先に回避だドノバンッ!」

 切迫した叫びに弾かれて再始動し、次の空間に辿り着いたヒビキの顔面に衝撃。物体を右手で乱雑に顔面から引き剥がすと、そこには絶叫の表情で硬直した金髪の女の生首。

 前方に視線を向ける。すると、ペリダスと同じ意匠の鎧を纏う、六本の腕を持った四メクトル程の巨人が立っていた。

 片側三本の腕で、握られた腕をすり潰し、もう片側の三本に得物を構え、臨戦体勢に入った所で、もう一度ペリダスの声が届く。


「これは私の世界で王の護衛を行うものでね。名前を『オルダレム』という。世界が違う為に完全再現とはいかなかったが、それでも強い。君たちに――」


 宣伝文句を遮る形で、一斉に放たれた魔術がオルダレムに殺到。しかしその全てが、巨人に届く前に無力な粒子と化して空気に溶けていく。

「所長! もう一度!」

 何かに気付いた様子のベイリスに被せてストルニーが叫び、もう一度魔術が斉射されるが結果は同じ。オルダレムに届かせる事さえ叶わない。

 反撃とばかりに、六本の腕全てが振り降ろされ、空間内に激震が走って六人は地面に張り付くことを余儀なくさせられる。第二撃を躱し、転がったままの状態でヒビキはベイリスに問いを投げる。


「アンタ何か気付いてたろ!? アレの種が何か分かんのか!?」

「『破幻詠エクスプローティア』による、魔術を無効化する壁を作っている。……しかも途轍もなく高い完成度だ。恐らく、我々が魔術を形成し始めた段階で、最適解を作り出している」

「そんな馬鹿な……」


 フリーダの絶望の声はもっともな物だ。

 竜などと異なり、ヒトは体内にある魔力を完璧に処理仕切れている訳ではない。発動機で生み出したエネルギーの大半が無駄になる事象と同じく、魔術を紡ぎ始めた段階で幾何かの魔力が空気中に漏出する。

 漏出した魔力を読み取り、発動に先んじる形で無効化のシステムを組み立てられているとすれば、この場の六人が放つ、脆弱なヒト族が強者と渡り合う為に習得した魔術は、超高位の対応策を有するオルダレムには全て無意味となる。

 それでも、ベイリスはナヴァーチを構えて、彼の部下達も呼応する。


「どれだけの強敵でも、町の為に退く訳にはいかない。行くぞ!」

「まっ、一人一本なら理屈上は六対六で互角だ。坊主共、派手にやろうぜ」

 

 それなりに年を食った男とは思えない、熱い感情に突き動かされるように、ヒビキとフリーダも戦闘体勢に移行。オルダレムの法螺貝の音に酷似した叫び声を合図に、乱戦が開始される。

 疾走するヒビキに対し、担当の腕からミレーヌの亡骸が放られ、臓器をばら撒きながら迫る。

 罪悪感を抱くのは一瞬。

 死体の弾丸を両断し、その先に迫っていた剛腕を受け止める。恐らく三桁キロガルムに乗っている腕を前に、全身が盛大に悲鳴を上げる。

 ――乗ってみたが、こりゃ予想以上にキツいなッ!

 押すも退くも叶わず。膠着状態に陥ったヒビキを他所に、別の腕ではナヴァーチと三叉槍の激突が繰り広げられる。

 暴風に等しいベイリスの苛烈な刺突攻撃と、無骨な外見から想像も出来ない繊細な制御から放たれる三叉槍の乱舞の調和で、真っ当な神経を破壊する大音声が轟く。

 音だけで恐ろしさが理解出来る、異次元の戦いに身を震わせていると、突如としてオルダレムからの圧力が増した。

 ――ベイリスに対抗する為に出力を上げたか! ……クソッ!

 体勢的に引っ繰り返す手段が無いと判断し、逃れる策を模索し始めた時、女の悲鳴と衝撃がヒビキを襲う。奇妙な形で願いが叶った彼は、身体を宙に浮かせて吹き飛ばされる。

 ドノバンが天井に、ストルニーが地面に、フリーダが通路の彼方へと飛んでいく中、ヒビキは女を受け止めたまま壁に激突。

 壁材が砕けて掠め、それに頬の肉を抉り取られる激痛に顔を歪めつつ腕の中を確認すると、そこには猫耳娘、即ちルーチェが収まっていた。

 彼女の武器である手の爪は殆どへし折られて不揃いの長さと化し、胸元に一筋の斬線が走り肉が耕されている。

 胸の傷以上に、彼女の爪は指を変形させて形成している事実を思い出し、眼前の光景の意味を理解して表情が凍ったヒビキに対し、ルーチェは蒼白な顔で笑う。


「やー受け止め感謝。男は殺したくなるぐらい嫌いだけど、まあ君なら良いよ!」

「んなこと言ってる場合か! その手……」

「あー大丈夫大丈夫。研究所で、前と後ろと口の処女を同時に奪われた痛みよりはマシだから♪」

「それ以上喋んな」


 悲惨極まりない軽口を叩く相手の胸の傷に、携行していた薬をかけるなり肉が焼ける臭いと煙が立ち昇り、ルーチェが顔を歪めて身を悶えさせる。

 当然完治には程遠く、最大の問題である爪に何の対処もしていないが、治癒系統の魔術を持たないヒビキにはこれ以上何も出来ない。

 他の者達がすぐに戻ってくる事に期待し、再びオルダレムに挑みかかる。

 ベイリス以外が吹き飛ばされた影響で、五本の腕が一斉にヒビキに向けられる。一点に全てが集中する恐怖はよく理解しているが、これを好機と強引に解釈し、力の解放度合いを一気に引き上げ、足を馬車馬の如く回す。

 地面の一部を砕く音を背で受けつつ、攻撃をすり抜けたヒビキは敵の胴を蹴って頭部の高さに到達。意図を解してくれたか、後方から援護射撃が飛んだ事で腕が引き戻されるのが遅れた。

 ――これで終わりだッ!

 

 狙い通りスピカはオルダレムの首を駆け抜け、巨人の頭は胴部から切り離されて落ちていく。勝利を確信し、重力に従って地面に降り立とうとしていたヒビキに、鈍い衝撃と鉄の臭気。


「はぁッ!?」

「ヒビキ!」


 左腕が消滅し、これ以上ない馬鹿面を晒して硬直したヒビキを、戻ってきたフリーダが抱えて横に飛び、オルダレムからの追撃を躱す。腕が再生されていく感触に顔を顰めながら顔を上げると、首を失っても尚活発に、いや失う前よりも動きを活性化させている巨人の姿があった。


「……どういうことだよ」

「恐らく、奴にとって頭部は重要な器官ではないのでしょう。そして、手傷を受ける事で何らかの仕組みが作動し、力を増したようですね」


 自分の仕掛けがものの見事に裏目に出たことに、歯を砕けんばかりに噛み締めるヒビキ。

 彼の感情を置き去りに、オルダレムは更なる活性化を果たし、今まで一人で対応してみせたベイリスを遂に圧し返す。


「何処か一つの部位を集中して狙う。などという思考では終わらない。全身を纏めて破壊するしかないな」

「……どうやって?」

「ツンケンすんな茶髪の兄ちゃん。ただ、俺の『嘆きのサリバン』の火力じゃ奴の装甲は抜けない。副所長までは全員無理だ。所長かそこの坊主に託す他ないが……」

「先刻の流れを見る限り不可能ですね」


 背広の各部が損傷したベイリスの分析に被せたフリーダの問いにも、具体的な答えを返せる者はいない。

 魔術が有効なら。

 意味の無い思考が、場にいる者の大半を包んで空気が着実に沈滞し、アイリスの放つ不協和音だけが音の全てとなる時間が流れていく。

「ひっどい雰囲気だね。ってか、私を忘れるのはヒビキ君達はともかく、所長とか薄情過ぎじゃない?」

「アレを使うのはリスクが大き過ぎる。お前を死なせる訳にはいかない」

「所長のそーいう所、拾ってくれた頃から大好きだけど、今はそうも言ってらんないでしょう? 時間稼ぎお願いね!」

「……分かった」

 何らかの結論が出た風情のベイリス達を見ながら、ヒビキ達は互いに頷き合って始動。高度な魔術対策が施された代償か、オルダレムは極めて受動的であり、魔術を紡ぐか攻撃行動を執らない限り動かない。

 故に今まで呑気な話し合いが可能となっていたが、ルーチェが仕掛けの準備を始めれば矛先は当然彼女に向かう。故に今必要なのは、盾となる存在だ。


「さぁ来やがれ。俺はすげぇから覚悟しておけ! なんてったって、一回首が飛んだだけで死ぬからなッ!!」

「いや、それは皆同じだと思うが」

 

 追走するベイリスの、極めて真っ当な指摘を背で聞きながら、ヒビキはオルダレムの二本の腕を真っ向から受け止める。スピカに二本の腕が激突する寸前、横から飛来したフリーダが一本の腕に取りついて自身に『怪鬼乃鎧オルガイル』を発動。


「――――るうああああああああああッ!」


 らしかぬ絶叫と共にフリーダの全身の筋肉が肥大化し、巨人の意思、そして関節の可動限界にも逆らう方向に腕を強制的に導く。

 巨人は抵抗の意思を見せ、フリーダを振り落としにかかるが、ヒビキも貼り付いているせいか、全ての力を注ぐことが出来ない。

 隙を晒すオルダレムの側方、一定の距離で時機を測っていたベイリスが始動。

 ナヴァーチを用いて芸術的なまでに輝く閃光を描き出し、それの通り道となった三本の腕が崩れ落ちる。再生が始まるが、氷舞士は敢えて追撃せず後退を選択。


「ルーカスと同じモン食らえや、この寸胴野郎ッ!」


 太い叫びを掻き消す、金属同士が擦れる耳障りな音を奏でながら、傷口に鉛玉が殺到。再生が完了するよりも速く、オルダレムの内部を駆け抜けて破壊し、巨体が揺らぐ。


「準備完了! 『縛鎖獅魂憑化ケル・ヴェルゼ』ッ!」


 ルーチェの叫びが、途中でヒトから獣のそれに切り換わり、思わず振り向いたヒビキの視界に、信じがたい光景が広がっていた。

 細身の少女の身体から、漆黒の毛が噴き出して全身を覆い、形成された巨大な毛玉の中から三つの獅子の首が飛び出す。背部から無数の鎖が伸び上がり、絡み合いながら両手剣並みの太さを有した爪が並ぶ四肢が顕現。


「魔造獣ケルヴェリオ! まさか本当に実在したなんて……」

 

 火山地帯に生息する三つ首の魔犬ケルベロス。

 強大な力を持ち、決してヒトが飼い慣らせぬ彼らと近似の存在を、魔術を用いて強引に生み出す計画から完成したのが、ここに立つ三つ首の獅子ケルヴェリオだ。

 ヒト族に変態の力を強引に押し込むなど、予想も出来る筈もなかったが為に呆然とする二人の眼前で、ストルニーが獅子の身体を駆け上がり、頭頂部に巨大な螺子と思しき物体を突き刺した。

「苦しいでしょうが我慢してください。……すぐに終わらせましょう」

 脳を傷つけられ、地面を溶解させる唾液を撒き散らして悶える獅子に謝罪の言葉を示したストルニーが更に物体を捻る。零れ落ちかねない程に目を見開いた獅子は、巨体を軽快に翻し、オルダレムに襲い掛かる。

「俺たちも援護を……」

「無理だ。ストルニーによって脳を操作されても、あの姿状態のルーチェには敵と味方の区別が付かない。精々、標的を絞る程度の制御が限界だ」

「……だから失敗作、って訳か」

 自身と同じ烙印を押された存在を、ヒビキは暗い感情の籠った目で見つめる。

 観劇者を他所にして、獅子の三つの頭部はオルダレムに喰らいつき、分厚い装甲を難なく噛み砕き、壁に叩きつける。

 空間そのものが崩壊しかねない激震を齎し、噴煙の中に巨人は消える。そこに狙いを定めた三頭獅子が一斉に口を開き、口内に不吉な力が収束していく様をヒビキは観測し、反射で身体を屈める。


「これで締めましょう! 『縛獅三異砲火ヘレイン・ケルヴェリオ』!」


 頭部に乗ったキノーグ人の声に呼応して、左右二つの首から鎖が吐き出され、オルダレムを絡め取って中空に釣り上げる。感情の見え難い六つの目に確かな殺戮の喜悦を灯し、中央の首から爆炎が噴出。


「ぐるゥあああアあああッ!!」


 ヒトの要素を完全に捨て去った咆哮を引き連れ、己が吐き出した爆炎を晴れ着として纏ったケルヴェリオが前進。巨人を三つの大顎で捉えて地面を転がり、ゼロ距離からの火炎放射が敵の体内を焼く。

 巨人の装甲が粉砕され、金属片と奇妙な光の粒がばら撒かれる。怪訝な顔をするヒビキとフリーダを他所に、ベイリス達は各々の武器を構えて魔術を紡ぐ。

「内部構造に傷がついた今、魔術を抑える術は奴にない。……撃て!」

 切迫した叫びに押され、残る四人がそれぞれの対遠距離用の魔術を発動し、それら全てがオルダレムの内部に吸い込まれる。全てが飲み込まれ、静寂が場に齎されたのは一瞬。

 巨人の全身が数回り肥大化し、感覚を奪い去る白光と轟音が場にいる者を包み込み、それらが消えた時、巨人の姿は完全に消滅していた。


「やった……のかな?」

「とーぜん。私を……」

「話すな」


 フリーダの問いに、平常の調子で返した声の先で悲惨な光景が展開されていた。


 地面にへたり込むルーチェの右足は骨諸共焼け溶け、先ほど負った胸の傷は更に深くなっている。更に、制御の為に突き刺された物体による穴が頭部に刻まれ、そこから止めどなく血が吐き出され続ける。

 外傷に加えて、恐らく魔力回路や脳にも深刻なダメージが及んでいる。

 間違いなく戦闘続行は不可能であり、一刻も早く病院での治療が必要な状況で、猫耳娘は蒼白な顔に笑みを浮かべ、呂律の怪しい言葉を絞りだす。


「私はここでアウトくさいから逃げます。……所長、皆、頼み、ます」

「……必ず勝って帰る。休んでいろ」


 意識を手放したルーチェを抱え、ストルニーが黙礼して撤退していく。

 外傷は少ない彼も、三頭獅子の制御で魔力の殆どを使い果たし、神経系統のダメージは重大な物になっているのは疑い難い。最初の一撃を放てたとしても、ペリダスとの闘いに参戦することは不可能だろう。

 人員を更に失った状況で『正義の味方』と対峙しなければならない状況となった一行に、またしても苛立ちを煽るタイミングで声が届く。


「オルダレムも撃破されたか。ベイリス以外は死んでもらう予定だったが、過ぎたことは仕方がない」

「さっさと出てこい思考も趣味も最低のクソ野郎! 出てこられないなら、謝罪の言葉を残して死にやがれッ!」

「私は勇者でも何でもないのでね。勝ちが確定しない限り正面切っては戦わないよ。だが、気が変わった」

「なっ!?」


 ドノバンの煽りに、ペリダスが含みのある回答を行う中で、突如現れた光の帯がヒビキの身体に絡みつき、彼の身体を宙に吊り上げて上空に導いていく。


「同類と決着を付ける形の幕引きも悪くはないだろう。君たちはもう少し遊んでいてくれたまえ」

「ヒビキッ!」


 空の彼方に消えていきつつあるヒビキの手を掴もうと、フリーダの手が伸びる。両者の指が接触する寸前、引き上げられる速度が急上昇し、友人の姿が瞬く間に見えなくなる。

 同時に無数の完全武装の騎士が姿を現し、三人を包囲して武器を掲げる。

 

「ヒビキを助けるためには、これをどうにかしないと駄目、か」

「だろうな。出来るだけ速く仕留めよう。行くぞ」

「つっても、あのクソと同じ意匠ってことは……」

「今は倒す事だけを考えるんだ」


 背中合わせの状況で、圧倒的に不利な三回戦の幕が開く。


                 ◆


 連れ去られたヒビキは、暫し宙づり状態で空の旅を強制的に堪能させられた後、不可視の地面に顔面から放り出される。

 顔の痛みに耐えながら周囲を見渡すと、アガンスの夜景が一望出来る場所にいること、完全に他者と切り離されたことを理解して、元々良くない顔色が更に悪化する。


「私の作った空中庭園はお気に召したかな?」

「……気に入ったよ。テメエが死んで、死体を肥料にして花でも植えられんならもっと気に入る。なんで態々俺を選んだ?」

「単純な理由だよ。私は君が気に食わないからだ」


 本当に単純な理由と共に、ペリダスは掘削用穿孔器ドリルを掲げ刀身の回転を開始。話し合いの余地は最早何処にも無いと結論付け、ヒビキもスピカを掲げて走り出す。

 一撃必殺になりかねない、近所迷惑な音を発しながら迫る豪速の突きを、ヒビキは黒髪を散らされながらも回避し、側方から激流の如き斬撃を放ち、透明な床に亀裂を刻むも手応えはなし。

 理屈ではなく本能に従ってスピカと共にまわり、背後から無音で仕掛けられた袈裟斬りを受ける。が、膂力では僅かながらも相手が勝る。

 身体が宙に浮き上がり、彼の意思とは無関係に後方に飛んでいく。飛行手段を持たないヒビキに落下は致命傷。床にスピカを突き立てて留まる事を試みるが、直後何かに気付き、足首を痛めることを承知で横に飛ぶ。


 転瞬、ヒビキがいた場所を『煌光裂涛放レイクティルス』の光の刃が通過し、床を消失させて雲を裂きながら空に消えていく。

 

 ――――模造品が使えんなら本物が使えない道理は無い。だが幾ら何でも……


「遅いよ」

「――しまッ!?」

 

 未だ立ち上がれないヒビキの腹部に蹴りが入り、何かが砕ける音を発しながら床に転がされ、更に穿孔器が落ちてくる。咄嗟に伸ばしたスピカで受け止め、両者は火花を散らして静止する。

 まるでスピカを削り取ると言わんばかりに、猛烈な回転を続けるドリルを見て、ヒビキの中で気付きが生まれ、そして恐怖で皮膚が粟立つ。


 ――ドリルの刀身が自律回転をすることで、静止状態でも多段攻撃を仕掛けている事と同じ効果を生むのか。……不味い!


 以前戦った相手である、ハンナ・アヴェンタドールが放った『嵐竜旋撃ドラグヴォーゼ』も形はまるで異なるが、多段攻撃である点は同じ。それを受け切れなかった以上、劇的に筋力や技量が成長した訳でもない今、これを受け続ける事も不可能と結論を下し、ヒビキは必死で思考を回す。

 

「――ッ!」

 

 魔力を左足に集中させて撃発。力の配分を変えたことで、スピカを押し退けた穿孔器が、胸に到達するよりも速く左膝がペリダスの胸に届き、『正義の味方』の身体を僅かに浮かせる。

 必殺の状況から転がり出たヒビキは、寝転がったままスピカを振るって半円を描き、ペリダスの身体を捉える。

 斬撃は鎧の装飾をほんの僅かに損傷させるに留まるが、体勢を立て直す事を優先して、追撃せずに距離を取ったヒビキに『鉄射槍ピアース』の雨が襲来。図らずも立て直しの選択が正解だったとの証明を得、改めてペリダスと睨み合う。


「……このままやったところで、仮に俺を殺せてもそこから先が無い。下がどうなってるかは知らねぇが、いずれベイリス達がここにも来る。多勢に無勢だ」

「多勢に無勢、か。それはどうだろうね?」

「――ッ!『鮫牙断海斬カルスデン・スクァルクート』!」

 

 含みのある笑声と共に飛来する光の槍に、ヒビキは水の鮫を放って応じた。

 二つの魔力塊が激突し、そして崩壊するよりも速く、両者は接近を果たして全力の刃を激突させ、紫電が空に散る。

 膂力で劣っている以上、このままではどう足掻こうが負ける。ならば、また別の方向で対抗するのみ。

 そう言わんばかりに、ヒビキは右拳をペリダスの顔面に向けて放つ。必然的に得物同士の競り合いには敗北し、肩口を斬られ血肉が舞うが、正義の味方の頭部甲冑をへこませ、後退させることに成功。


「――なっ!?」


 これまでの中で初めて聞いた焦りの声と共に、ペリダスは接近を阻止すべく穿孔器を放る。放たれたそれは巨大化を果たし、ヒビキの視界を埋め尽くすまでに至るが、彼は蒼の左眼でそれをしかと見据え、左腕を伸ばす。

 ――相手が焦るってことは、ここが攻める時だ! 


「ぶった斬れろッ!!」


 穿孔器の先端に、スピカの刀身が食いつき、そのまま火花と金属音をバラ撒きながら蒼の異刃は金属塊を駆け抜けた。

 半ば自棄に近い敵の武器の破壊を成功させ、ヒビキの眼前に映るは丸腰となった『正義の味方』のみ。

 突破された事実に対しての焦りからか、無数の魔術を放ってくるが、戦いの波を掴んだヒビキには無意味な物。全てを躱し、もしくは破壊して必中の間合いに入り込む。


「テメエのお遊びもここまで――」

 

 咆哮を遮る激突音が轟き、ヒビキの身体が後方に吹き飛ぶ。


 顔面に痛みを感じると同時に、後頭部にも激痛が走る。チラつく視界で周囲を見渡すと、ヒビキとペリダスの間を不可視の壁が分けていた。

 殴る、スピカを突き立てると、現時点で可能な策を講じるも壁は一切動じず、隔離された最悪の状況で、『正義の味方』の淡々とした声が届く。


「君は感情の高ぶりで、限界以上の力を引き出せるのだろう。それ自体は素晴らしい物であり、私も少し焦りを抱いた。だがその領域に行くほど、周囲を観察する力が失われるようだね。目的は無事達成だ。図らずも、君を一人にして正解だったね」

「……テメエの目的は、一体何だったんだ?」


 壁を破壊する為にあらゆる手を打ちながら、ヒビキがそう怒鳴ると、アイリスの放つ不協和音を背景音楽に、ペリダスが歓喜に満ちた声を上げる。


「もう隠す必要も無い、君の質問に応えよう。私の大願、それはこの町を可能性の町とすることだ!」

「……?」

「現状、私にこの世界から脱出する術はない。しかし、元の世界と同じ力を行使出来ている。即ち、世界の完全な断絶は生じていない。……この意味が分かるかな?」


 理解不能なのか、もしくは今までの行動を繋ぎ合わせ、答えに辿り着いたとしても、事実の直視を拒否してしまったか。

 何も返せないヒビキに、出来の悪い生徒を見る教師の目を向け、ペリダスは言葉を継いでいく。


「この世界の存在を贄として用い、力を振るい続ける事で、私は徐々に元の世界での力を取り戻した。……そして、歌姫の力を借りてここまで辿り着いた!」

 

 伸ばされた手の先で空が歪み、そこから色彩を奪い取られた状態の、ペリダスと近似の姿を持つ者達が、続々と這い出して来る。

 ヒビキ達が今まで対峙した存在と異なり、明らかに自律行動を行っているそれらは、一切の迷いなく町に下降していく。


「彼らは力と闘争本能を持つだけで、知性の無い存在だが、力の定着を齎すには十分。……いずれ影がこの町に定着すれば、今は影だけを呼び込む『転世乃門トラン・コモスルード』が世界を繋げる力を生み、我が世界の者達を行き来させられる可能性が生まれる!」

「……んな世迷言、……実現する筈がねぇだろが」


 混乱の極地に立たされた状態で、途切れ途切れに否定の言葉を吐くヒビキを憐れむようにペリダスは笑い、指を軽く打ち鳴らす。


「力だけを呼び込む事も、最初は出来るとは思ってもいなかったさ。それが現状はこうだ。僅かな可能性も、信じてみるのは悪くはなかったね」


 こんな状況、こんな相手でなければ、ありがたい人生訓となりうる言葉を吐くペリダスを、何も出来ない状態で睨むヒビキだったが、いつの間にか自身が大量の影に包囲されていると気付く。

 影は思い思いの武器を携え、既にいつでもヒビキに向けて放つ事が可能な状態。

 これらを倒した所で、根本的な解決にはならない。そして、敵の強さから考えると、影と言えど戦い続ければこちらの体力が先に尽きる。

「辞世の言葉を言うといい」

「……必ずぶっ殺してやる」

「そうか。では、精々頑張ってくれたまえ」

 絶望に完全に侵されぬ為に虚勢を張り、スピカを構えたヒビキに向けて、無数の武器が一斉に振り下ろされた。

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