4
何処かで物事が動いている時、別の場所では動きが停止している、といった事は無論ない。
ヒルベリアの一角で、事態を混迷に叩き込んだ当事者『ディアブロ』の片割れレヴェントン・イスレロも、一切の油断なく先日の失敗を取り返す一手を打つ為の準備に励んで、いなかった。
間抜けな寝息を立てながら、机に突っ伏して夢の世界に旅立っている様子だが、ここは彼の自宅でも何でもなく、国立リオラノ第一学校初等部の教室であり付け加えるならば授業中だ。
教科書を使って視線から隠れようとするといった、小賢しくも気遣いの意思が感じられる行動の気配が何一つない、堂々たる睡眠誇示をやられて、面白く感じる者は少数だろう。
白墨を握り潰し、ごく真っ当な感性を持つ担任はゆっくりと口を開く。
「誰かイスレロ君を起こしてあげて下さい」
「嫌です!」
担任のお願いを、教室の生徒達は一瞬で声を揃えて拒否する。彼が学校内で何か問題を起こしたり、著しく和を乱す発言などをした訳ではない。たった今行っている無礼な睡眠も、他の生徒もそれなりにしでかしている。
良家の子息とは思えぬほど壊滅的な成績を除けば、レヴェントンもごくごく年齢相応な普通の子供でしかない。
ただ、校外で彼がどのような活動をしているのか、公言はされていないが皆感じてはいるのだろう。彼らの保護者から何らかの「忠告」は為されてもいる筈だ。
他の生徒が起こしにいかないのも、当然と言えば当然のことかもしれない。
だからと言って、以前行った歴史科目についての試験で、見事にビリッケツの点数を獲得した少年の睡眠を放置するのは間違っている。
怒りと真っ当な職業意識に基づいて歩き始めた時、担任は視界の隅で、教室の扉がほんの少しだけ開かれ、そこから氷の色をした目が覗いている事に気付く。
相手も気付いたようで、慌てて扉は閉められる。
――別に悪い事をしている訳でもないのだから、堂々と入って来れば良いのに。
苦笑いしながら担任は方向転換し、扉を一気に開く。
「――ひゃっ!」
妙に可愛らしい悲鳴を上げながら、声の主は飛びずさる。本当に総統に選ばれ、数多くの実績を残している実力者なのかと、毎度抱く疑問を抑えつつ、担任は声の主に問いかける。
「ハンナさん、今日はどんなご用件でしょうか?」
「ええええとですね、総統からお話があるという事なので、レーヴェをお借りしたいのですが……すみません、授業中に」
「別に謝る必要なんてないでしょう。仕事なんですし。……今寝てるんで、起こしてあげて下さい」
担任の言葉を受けて何故かハンナの動きが止まり、分かりにくくはあるが見ている方にも痛みを感じさせる程に、彼女の顔は悲壮感を帯びる。
「な、中に入るんですか!?」
「当たり前でしょう」
「……兜を付けて入っても良いですか?」
「生徒が一瞬で泣いてしまうのでそれは駄目です」
「うぅ……」
女性にしては高い身体を丸め、風邪でもひいたのかと聞きたくなるほどに震わせながら、ハンナは教室に入り、レヴェントンの机へと向かっていく。
「総統閣下の兵隊さんだ!」
好奇心が強そうな一人の男の子が発した声を発端として、一気に自分への注目度合いが跳ね上がった事に気付き、ハンナは肩を跳ねさせる。
――そそそそう言えば、レーヴェの学年が上がってから、教室に入るのは初めてだった!
勝手に視線や声を意識し、勝手にパニックに陥っていくハンナだったが、とある女の子が発した「本物はでっかいね!」との言葉に足を止め、そちらへと顔を振り向ける。
「でっかいって言われると傷つくなぁ、君も女の子なんだから分かるでしょ? それにドラケルン人の中だと、私も普通な方だから……」
ハンナの内心は大体こんな調子なのだが、地の顔が若干冷たさのある物で、かつ彼女は表情を作るのがド下手、おまけに人前だとそれが更に酷くなる。
「良い度胸してるじゃねぇかクソジャリ。その度胸に免じて、テメエの望む死に方でぶっ殺してやる。遠慮は要らねえさっさと決めろ、決められないなら消し炭にしてやんよ」
傍らから見ると、こう言っているように見える殺気を放出している風情だ。
竜を始めとした、人外の化け物共と互角以上にやり合える彼女の殺気を、直に受けて、耐えられる一般人の子供などいる筈もない。
当然の帰結として、教室内に大音量の泣き声が響き渡る。
「ふぁ?」
ここでようやく、レヴェントンは目を覚ます。眼をこすりながら周囲を見渡すと、派手に泣く同級生とそれを取りなす担任、呆気に取られた風情で開かれた扉を見る他の同級生、という光景が展開されていた。
「……?」
何かトラブルでも起きたのだろうか。この時間は座学のみで、特段揉め事が起こる要素は無い筈だ。付け加えると、泣いている女子はいじめられる側に属する存在ではない。
「あだっ!?」
呑気にそんな思考を回していると、頭部に衝撃が走る。涙を目の端に滲ませながら首を回したレヴェントンの眼前に、妙に優しい微笑みを浮かべた担任が立っていた。
「相棒の方が来ていましたよ。……総統がイスレロ君を呼んでるそうです。早く行ってきなさい」
「……それは分かったんだけど先生、何でそんなに怖い顔をしてるんですか?」
壊れてはいけない何かが壊れる音が、レヴェントンの耳に刺さる。
「知りたいですか? ではまずこの前のテストについてから……」
「行ってきます! 追加の補習もちゃんと受けます!」
とんだ地雷を踏み抜きかけている事に気づき、レヴェントンは鞄と、入口に立て掛けてあった巨大な槌『御する者バスケス』を引っ掴んで教室から撤退する。
ハンナが来ていたという事は、恐らく異なる世界の者についての話だろう。成功させられなかった現実に気を重くしながら校門を抜けると、その隅で当のハンナが小さくなっていた。
「……何してるの?」
「……自分の性格の×××××加減に死にたくなっているんだ」
「女の子なんだし、その言葉はよそうよ」
「……すまない。総統がお呼びだ、行こう」
「うん!」
引き攣った笑顔を浮かべて、立ち上がって歩き始めたハンナの横顔を、レヴェントンは並んで歩きながら観察する。
戦場での勇猛かつ凛とした雰囲気が、今のハンナには微塵も感じられない。恐らくは、教室での騒ぎも彼女が引き起こしたのだろう。
環境によってあまりにも異なっているハンナの性格は、彼女の経歴が起因していると、レヴェントンは両親と、彼女の
ハンナの本当の両親は、ドラケルン人内での権力闘争に破れ、殺害されたとの話だ。それも両親が親友と呼んでいた者によって、彼女の眼前で。
幸運によって、ハンナはここロザリスに住むアヴェンタドール夫妻の養子となり、生き延びる事が出来たが、悲惨な光景を目にした影響か、初めは誰とも口を聞く事が出来なかった。
養家や、隣人であったレヴェントンの生家であるイスレロの者達も、粘り強く彼女と接し、どうにか最低限のやり取りはこなせるようになったが、それが可能なのは今尚ごく少数の人達に対してに留まっている。
初対面の者や、付き合いの浅い者とでは、戦いの最中でなければ未だにマトモなやり取りが難しい。
そこに、極端に若く歴代のイスレロの家の者と比すると、実力の類が圧倒的に低い部類に入る自分が、こうして『ディアブロ』として居る理由があるのだが。
今の自分と同じ齢十一の時、先代にして初代の『ディアブロ』二人を、完膚無きまでに叩きのめした天才の精神を安定させる役割が、隣人であり、友人であるが為に出来る。
レヴェントン・イスレロの役割はそれだけで果たされる。
先日のヒルベリアでの一戦で、ヒビキとか何とか呼ばれていた少年と彼女のやり取りに、自分が全く割って入れなかった事も、逆説的にそれを証明してしまっている。
一人のヒトとして、一応戦いに身を投じる者として、そして男として、自分がその程度の役割しか期待されていない事には、忸怩たる物を感じていないと言えば嘘になる。
だが、今はそれでも構わないと、レヴェントンは言葉にせずに思う。いつになるかは分からないが、正しい努力をしていれば、必ず並んで歩けるようにはなる筈だ。
根拠は? と問われれば何もない。しかしそう思って生きなければ、何も成せないのは揺ぎ無い事実だろう。
「……どうした?」
突如として肩を、しかし届かなかったので腰を叩いてきた相方に、当然ながら首を傾げるハンナに対してレーヴェは首を振る。
「何もないよ!」
「……そうか。なら行こうか、総統を待たせるのは良くない」
「うん!」
思いを言葉にはせず並んで歩き、「身体を動かしておくべきだ」と主張するハンナを押し切って、適当な所でタクシーを拾って総統府へと向かう。
『ディアブロ』と長時間いるのが嫌だったのか、運転手は法定速度を遥かに上回る速度で走り、想定していたより短時間で辿り着く。
すぐに執務室へと向かい、肥満気味の総統ロドルフォ・A・デルタと対面する。
「で、総統さん。何でいきなり……」
「異世界人のご招待に失敗したな」
基本的に直截な物言いをする自分達の雇用主は、今日もそうだった。二人の身体に緊張が走る中、ロドルフォは淡々と言葉を並べる。
「まぁなんだ、クレイトン・ヒンチクリフなんて化け物に乱入されたから撤退したのは仕方ない。俺も実戦に出ていた時対峙したがションベン垂らして逃げたさ。見捨てられた金属の無駄遣いが、無駄に強かったのもまあ仕方ない。俺も想定していなかった」
「……」
「しかし、だ。そう言った予想外が有っても、目的を達成出来なかったのは事実だ。……んで、俺が部下の仕事の失敗に対してどういう姿勢なのか、お前ら知っているよな?」
「!」
知らない筈がない。目の前の男は、仕事やら裏切りに関しては平等である。とある軍人は、それなりに重用されていたのにも関わらず、反逆を企てて一族郎党皆殺しにされている。
今回の件でそこまで行き着くには至らないと思いたいが、自分達にもそれなり以上の処分が待っているのは分かっている。
「え、ええとですね……」
「……」
レヴェントンが何か言う前に、隣に立っているハンナが突如として膝を折り、背に背負った『変形式撃竜槍パラボリカ』を展開させ、身にまとっている鎧の腹部から液体金属を引かせた。引き締まった白い腹部が顕わになる。
「全ては私の失策だ。レーヴェは最初から二人で戦う事を提言し、ヒンチクリフ氏が来た時も、戦闘の続行を指示していた。……私一人で十分だろう」
「ストーップ! 早まんないでハーちゃん!」
「放せ!」
「いやそりゃ無理だからね!?」
物騒な得物を振り回しながら揉み合う二人を前にして、ロドルフォは一度嘆息し、そして床を思い切り踵で叩いた。
硬質の音が耳に刺さり、二人は縺れた体勢のまま動きを止めた。
「自己犠牲の精神は非常に美しいが、俺の話はまだ終わっていないぞ。……バトレノスに追加で兵を送り込んだのは知っているよな」
「……?」
当然知っている、だがその提示の意図は何だ。大体このような疑問を呈している風情の二人に苦笑しながら、ロドルフォは続ける。
「当然あちらも戦力を増強した。四天王、とやらの内二人をあそこに送り込み、一人はあの腹黒狸の護衛、もう一人は……何かよく分からん仕事に駆り出されている。……この意味、分かるな?」
沈黙は僅かな時間だった。
「……もう一度、チャンスを頂けるという事ですか?」
「正解だ。お前ら程の実力者を、珍獣の乱入による失敗一回で見切るのも惜しい。……金属の無駄遣いとも、もう一度やり合いたいだろうしな」
二人の目に先刻までとは別種の光が宿る。安堵などと言った温い物ではない。仕留
め損ねた獲物ともう一度相対出来る、喜びに起因する光だ。
「三度目は無い、次で決めろ」
「はい!」
威勢の良い返答と共に、敬礼が返される。恐らくは身体の調整の為に、演習場に向かおうとしているのであろう二人を、ロドルフォは慌てて制止させる。
「話がまだ終わっていないぞ。……流石にそれだけじゃ甘過ぎるから、別口の罰を用意している。レーヴェ、お前はこの建物の掃除をしろ、割り振りは清掃係の者に伝えてるからその人に聞け。ハンナは……そうだな。この児童施設で何かパフォーマンスをしてこい。……言っておくが、子供を泣かせたという報告を受けたら、そこで首を飛ばすからな」
「……え?」
「……!」
ハンナにとって、どんな強敵と相対するよりも強い恐怖の感情が襲来し、あっという間に顔色が変わり、脱力して身体を床に預ける。
「……」
「あぁ、ハーちゃんが泡吹いて倒れた! 総統酷いよ!」
「戦闘の時のイカれメンタルが日頃の生活に欠片で活かされりゃ良いんだがなぁ……」
締まらない形ではあるが、ロザリスに於いても歯車は回り始めた。
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