3


 ……自分の予想が甘過ぎたと、今なら言えます。提示された策は、恐ろしくリスキーで困難な物でした。フリーダ君が自分が行くと言ってくれた時、甘えておくべきだったかもしれません。……駄目ですね、いきなり弱気に呑まれてちゃ。

 暴落を続けている私の命の価値ですが、今回更に落ちて行きそうです。でも、絶対に帰ります。そうでないと、私は皆と並んで歩けないし、そちらの世界へ帰る為に協力を仰ぐ資格なんてなくなってしまいますから。

 ……本筋とは逸れますけれど、クレイさんって本当に凄い人だったんですね! ライラちゃん達が「割とホラ吹いているからね」って言っていたけれど、その認識は改める必要がありそうです。


                   ◆


 ノーティカとの国境にもなっている、四千メクトルを超えるエルーテ・ピルスを中心としたコーノス山脈を擁するザルバド。

 本来なら観光地に活用されそうなロケーションを有しているが、国境沿いである上に、ヒトに牙を剝く生物が多数生息している等の条件が揃っている為、一部の物好きや軍人を除き来訪者は少ない。

 定住者、という絞り込みを行うと更に数えられる人の数は減り、冗句を抜きに両手で数えられる程度ではと推測されている。

 エル―テ・ピルスの麓にある、そんな究極の物好きが住む小さな家の庭で、一人の少女が荒い息を吐きながら地に伏せっていた。

「……まだやるんですか、これ?」

「もっちろんです! 元・私のご主人にして元・四天王。そして貴方のお父様であるハルクさんは、毎日このくらいやってましたよ!」

 ハルク、の単語を聞いて、黒のショートパンツと袖なしのシャツを纏った茶髪の少女は腕立て伏せを再開する。

 傍らに立つ腰まで届く長い金髪に、機能性を完全に無視した白いワンピースを纏った少女は、彼女の鍛練に励む様子を見て何度も頷く。

「今日はティナちゃんも頑張ってますし、剣術の訓練の量を増やしましょうか!」

「本当ですか?」

「本当ですよー。私がティナちゃんに嘘吐いたことなんて有りましたか⁉」


 一瞬の沈黙の後、少女は躊躇いながら返答を寄越す。


「物心付いてこの方いっぱい有りますけど……」

「き、気を取り直して残りの腕立てもさくっとやっちゃいましょー!」


 少女、いやティナは右肩に刻まれた鷹の刺青が目立つワンピースの少女の、話題棚上げ能力に苦笑を浮かべつつ、腕立てを終わらせるべく動き始めた。

「ひゃくいち……ひゃくに……」

「ファイトですよティナちゃん! 一回やったらハルクさんをボッコボコに出来るようにと……ッ!」

「きゃっ!」

 突如として発生した不審な気配を肌で察知した金髪少女は、咄嗟の判断でティナに覆い被さって地面に伏せる。

 転瞬、彼女達の住まいの隣に建てられた納屋に謎の物体が落下し、震動と破砕音が響き渡る。

 それらが止んだ後も、金髪少女は暫し沈黙して納屋を睨むが、落下した何かが動きだして脱出し、二人の元へ向かってくる気配は感じられない。


「衝撃で死んだのでしょうか?」

「ティナちゃん、それは楽観が過ぎる見方です! 私の後に続いてください! こういう時は、直接見に行くのが一番です!」

「え、いや、ちょっとま……」


 反論を行う前に、金髪少女は納屋に向かって駆けて行く。

 念の為、もう一人の家人たる父も呼んでから納屋へ向かうべきかと一瞬逡巡したティナだったが、すぐにその考えを打ち消して少女の後を追う。

 二人が接近している納屋の中には、こちらも二人が床に転がっていた。

「あっれ、こんなとこに納屋なんてあったか? すまんユカリ君、無事か?」

「は、はぃぃぃぃ……」

 傷一つ無い状態で首を捻るクレイと、衝撃で目を回しているユカリだった。『転瞬位』に失敗する事なく目的の地に辿り着けたが、着地場所が妙だ。

 お陰で木くずと草に塗れ、納屋の弁償もする必要が生まれてしまった。もっとも、クレイは先日破壊した別の家の修繕費も支払っていないので、ここでも支払うか怪しい所だが。

「ま、話せば分かって……」

「やーやーやー悪人共の諸君! ここが何処かと分かっての狼藉ですか! この素敵に無敵な噂で噂の噂なこの私が……あれ?」

 立ち上がった二人が何らかの行動を起こす前に、納屋のドアを勢い良く開かれる。

 そこには表現し難い奇妙なポーズを取りながら、謎の口上を述べ始めている金髪の少女が立っていた。

 しかし、こちらに視線を向けるなり、口上を中断して首を捻り始めた。捻るの概念を超越し、折れてしまうのではとユカリが不安になるまで首が回った所で、可憐な口が再び開かれる。

「お二人さん、何処かでお会いしましたか?」

「面識のないユカリ君はともかく、俺の事も忘れるってなかなか酷いですね。お久しぶりです、クレイトン・ヒンチクリフです。十何年ぶ……」

「……忘れる訳ないでしょー!」

 皆まで言わせず、金髪少女はクレイに三歩で飛びつき、絞め技に近い形で彼を抱きしめる。

「お久しぶりですよクレイ君! 結構時間が経ってるのに若いまんまですし、背もまたちょっと伸びましたし、とりあえず身体には特段の異常がなさそうですし―――」

「ちょっと待ってルルさん、喜んでくれてるのは嬉しいですけど少し緩めて! 鳴ってはいけない音が身体中から……」

 ルル、と呼んだ金髪少女に首を締め上げられて、表情を歪ませるクレイ、それをあたふたした様子で眺めるしか出来ないユカリ。


「一体、何が起こってるんですか?」


 経緯を知らずに見たティナが、こんな言葉を漏らすのも、致し方ない奇怪な光景が納屋に描き出された。


                  ◆


「お久しぶりです、ハルクさん」

「堅いぞ、もっと緩くなれ。どうせ日頃は緩く生きているんだろう?」

「そりゃそうなんですけどね」

 普段誰に対してもヘラヘラとしているクレイが、ハルクと呼んだ男性に居住まいを正している。これだけでも、ユカリからすれば驚愕すべき事象であるが、今は本題だけに意識を置くべきと、内心で喝を入れる。

 あの後、クレイがここに来た事情を彼がルルと呼んだ少女に説明した結果、二人は家の中へ招かれ、このハルクなる男性と対峙する事になった。

 少し白髪が混ざる茶髪を短く整え、木こりのような服を身に纏っているが、年齢不相応に引き締まった肉体と縦横に傷が走る顔。

 そして決して開かれない右目を見れば、只の一般人ではないと断言出来る。 

 ユカリがじっと見つめていると、視線に気付いたハルクは破顔し、こちらに向き直る。

「自己紹介がまだだったね。俺の名前はハルク・ファルケリア。しがない木こりをやって……」

「……元・四天王でしょう」

 茶を載せた盆を持ちながら、恐らくは娘なのであろう、ティナと名乗った茶髪の少女が呟いた単語にユカリは驚愕し、ハルクは苦笑する。

「そんでもって、この私はルーゲルダ・ファルケリアです。ルルと呼んでください! それではむぐぐぐぐぐ…………」

「クレイの一代前だから、二十年以上前の話さ。過去はさておき、今はただの木こりであるのは事実だ。無駄話は要らないね、用件を言ってくれないかな」


 割り込んで来たルルの口を塞ぎながら、説明を促してくるハルクに首肯を返し、クレイとユカリは経緯についての説明を行う。

 『ディアブロ』の単語が出た時、ハルクやルルは眉を顰めたが、ユカリが全てを語り終えた時、両者とも深々と頷いた。


「確かに、心臓の再生もセマルヴェルグの羽を用いれば可能性はある。そのヒビキという少年が改造された存在である点が少し気にかかるが、今悠長に論じている時間は無い。だがユカリちゃん、君はそれで良いのか?」

「……」

「セマルヴェルグを一度殺したから、あの鳥とコネはある。でも、それは無条件で羽を貰えるとかの類じゃない。エル―テ・ピルスへ、奴が訪れる時期を教えて貰える、ってだけの話だ。羽を得るには山頂へ辿り着いて奴と対峙し、満足させるだけの力を見せる必要がある。登頂を果たす為には、奴の魔力によって変動を続ける迷宮の突破が必須だ」

「……」

「端的に言えば君には不可能だと、俺は思うよ」

 ファビアが、そしてクレイが自分には無理だと単刀直入に、または遠回しに指摘していた理由が痛い程に理解出来た為に、ハルクへの反論が見つからない。

 

 四千メクトル超の高さを誇る山の迷宮に進入し、内部に潜む凶暴な生物達を掻い潜って山頂へ。

 

 どうにか辿り着いても、嘗て世界を敵に回したセマルヴェルグとの戦闘に、何らかの形で勝利しなければならない。

 力を冷静に測れば、尻尾を巻いて逃亡するのが正しい選択だ。

 ――でも、そんな事出来る筈も無い!

 自分を守る為に戦って、生命の危機に陥ったヒビキの事を思えば、逃げる事など許される筈もない。

 決意と共に、ユカリはこちらの全てを撃ち抜いてくるような、鋭い目を向けてくるハルクを、詰め込める限りの意思を持って見つめ返す。

「時間の浪費は避けた方が良い。今から練習に入ろう。ルル、行くぞ」

「りょーかいです! ティナちゃんも一緒に行きます?」

「……いえ、私は結構です」


 背後から妙に硬い表情で睨んでくる、ティナという少女の反応がやや気になるが、相手の方は結論は出たようだ。

 ユカリは立ち上がり、促してくる二人の元へ進み出ようとした直前。最大の懸念事項を帰投準備を始めたクレイに問いかける。

「……期限はいつまで、ですか?」

「出来る限り早く、だな。俺も全力を尽すが、引き延ばしにしかならん。どれだけかかっても二週間で戻って来てくれ、それ以上は保証出来ない」

 山道そのものを登る訳でなく、どれだけの階層を抜ければ辿り着けるのか不明瞭。

 登山道等の整備が為されていない四千メクトル級の山を、ド素人が登り切るにはあまりにも短いリミットであるとは分かる。

 だが、望みを果たすには挑むしかない。


「生きて会える事を願っている」


 短い言葉を残して、クレイの姿が一瞬光った後消滅する。延命措置を行う為に、ヒルベリアへ戻ったのだろう。ヒビキに対して何らかの感情を起こす暇も無く、ルルに手を引かれる。

「それじゃ、行きましょうか! しっかり掴まってて下さいね。『転瞬位トラノペイン』で麓まで向かいます。ティナちゃん、夜には戻りますからお留守番お願いします!」

「……はい」


 ハルクも含めた三人も、クレイと同様の光に包まれて消失する。

 一人残されたティナは、暫くその場に立ち尽くした後、盆の上に乗っていたカップの一つを握り、床に叩き付けた。

 陶器のカップは派手な音を立てて粉々になり、中身が飛び散って床を汚す。その様を、ティナはいつまでも見つめていた。


                  ◆


「こ、これを登るんですか……?」


 ルルが発動した『転瞬位トラノペイン』によって、エル―テ・ピルスの麓に下り立ったユカリの第一声がこれだった。

 一定より上の部分は霧のような何かで覆われて見えないが、恐ろしく高い事だけは理解出来た。

 内部を通るとは言え、この山が元いた世界のように、安全な登山道の類が整備されている事は、まず無さそうだ。

「高さは特段意識する必要は無いよ。危険な場所を躱す運と、運を引き寄せるまで粘れる体力があれば、簡単に登れるさ」

「逃げも隠れも許容されますから、平地で他の皆さんと殴り合うよりは楽じゃないんですかね!」

 軽い調子でハルクとルルが励ましてくれるが、凡人であるユカリには二人の言葉の意味が理解し難い。


「……お二人は、どのくらいの日数で登ったんですか?」

「最初は二か月くらいかかったと思うよ。セマルヴェルグとやりあった時は一週間前後で済んだ筈だ」

「ですねー。まあでも、クレイさんの推薦がある人なら何とかなります! さっ! 御託より練習です!」

「は、はい!」

 ライラが託してくれた、暗緑色の服に身を纏ったユカリは、ハルクから一本の剣を手渡される。

 柄に翼を広げた巨鳥が刻まれた、少しだけ湾曲したロングソードといった風情の剣だが、通常のそれに比べ遥かに軽い。

「『颶風剣ぐふうけんウラグブリッツ』。魔力が無い俺でも使えた武器だ。君でも問題なく扱える……筈だ。うん」

「さ! 準備も出来た事ですし、チャキチャキとやってきますよ! まず最初はドキドキ・豆知識クイズからです!」

「ク、クイズですか……?」


 ルルから発せられた、かなり場違いな単語に目を白黒させるユカリを見かねたのか、ハルクが助け船を出してくれる。


「君がどの程度この世界の、いやこの場所についての知識を持っているかを確かめるだけだよ。持ち込む物は少ない方が良いからね。座学でやるより、覚えやすいだろう?」 

「な、なるほど……」

「それでは参りましょー! ユカリちゃん、この二つのキノコは両方山中に生息していますが、片方は食用、もう片方は毒キノコです。どちらが毒か分かります?」


 ずいっと突き出された二つのキノコは、どちらも毒々しい赤色の傘を持ち、柄の色や形も同じように見える。正直に言えば違いがさっぱり分からないが、沈黙していても話が進まない為、ユカリはより色が濃い方を指差す。


「外れですねー。見分け方はこうですよ」


 ルルはキノコを裏返しにして、ひだの部分を指差す。


「食用のカンシャクダケはひだの部分が波紋みたいな模様になってるんです。で、こっちのマツリダケはひだが無い。……一問目から難しすぎましたね、すみません」

「い、いえ……」

「迷宮の中では判別が難しいし、キノコをアテにするのは止めておくのが普通だ。……万が一が起こった時だけにしておくようにね」

「はい!」

「では第二問……!」


 実に数十の問いが投げられたが、ある意味では当然の結果として、ユカリは殆ど正解出来ずに終わり、ハルクとルルの顔色は少し悪くなった。

 正解、不正解とその理由についてきちんとメモを取り、少しでも頭に入れようとする姿勢は評価出来るが、知識量の不足は酷いの一言。

 ――異世界から来たと本人とクレイが言っていたが、どうもハッタリや虚妄の類ではないな。しかし……。

 次をどうすべきか首を捻っているルルと、書いた内容と彼女が提示した物を見比べて必死で覚えようとしているユカリの注意を、両の手を叩いて引き付け、ハルクは構える。


「座学はこのくらいにしようか。結局のところ内部に潜む魔物、そしてセマルヴェルグに対して何らかのアクションを起こせないと、目標は達成出来ない。俺が武器格闘を、ルルが魔術の担当で行くから、好きに対処してくれ」


 手渡されたばかりのウラグブリッツを構えるユカリに対し、ハルクは腰に差しっぱなしにしていた手斧を抜き、一気に接近する。

 瞬く間に両者にあった間隔は消失し、互いの得物が届くところまで縮まる。

 疾走の勢いを保持したまま、ハルクは手斧で斬り払いにかかる。

  

「――っ!」


 ヒビキを若干上回り、クレイより僅かに遅い速度で動ける相手であると、ユカリはどうにか判断出来た。見様見真似だが、刃が飛んでくるポイントを予測して、得物を一気に振り抜く。

 圧倒的な軽さを持つウラグブリッツは、ユカリの意を正確に汲み取り、眼前の空間を刈り取る。

 切断された植物が宙を踊るが、肝心のハルクが眼前から消えていた。


「――えっ⁉」

「遅いぞ」


 淡々とした声は右耳の方向から聞こえてくる。慌てて視線だけを横に向けると、既に隻眼の男は仕掛けの体勢に入っていた。


「いたっ!」


 ウラグブリッツを盾の替わりとして掲げるが、不完全な姿勢で受けきれる筈も無い。

 老境に差し掛かった外見から想像し難い、軽快な跳躍から繋げられた強烈な回し蹴りが刀身に刺さり、ウラグブリッツは鈍い音を立てて地面を転がる。

 完全に体勢を崩し、更に対抗手段を喪失したユカリに対して、ハルクは一切の容赦を見せない挙動で手首のスナップで手斧の天地を逆転。

 元・四天王の中で相当に加減した、柄の部分による一撃がユカリの腹部に吸い込まれた。


「……げほっ」


 体内に拡散されていく鈍痛に耐え切れずに、咳き込みながらその場に崩れ落ちる。

 全ての動きが、彼女の知っている五十代のそれでは無かった。

 四天王とは誰も彼も化け物しかおらず、そして自分が挑もうとしている存在は眼前の人間が全盛期に激戦を繰り広げた相手なのだ。

 つくづく掲げた物は無謀極まりないと痛感しながら、ユカリは痛みを堪えて立ち上がる。


「……またお願いします!」


 カラ元気も甚だしい叫びを上げて、ウラグブリッツを拾い上げて構え直す。


「次は私の番ですね。気を張って行きましょー!」


 既に両手が炎に包まれているルルに対して、ユカリは飛びかかった。

 結局、この日の練習は格闘、座学を一定のタイミングで入れ替えながら日が沈むまで行われ、その中で幾つかの確信をハルクとルルは得た。

 その一。ユカリ・オオミネは本当に異なる世界から来たこと。

 その二。彼女は魔術を殆ど使えないこと。過去にネックレスに付いた謎の石の力によって使用した経験はあるが、完全に物には出来ていない。そもそも、発動させる条件を本人が把握出来ていない。

 その三。彼女には全ての経験が不足している。これは短時間では覆しようが無い。

 自らの力不足を痛感し、どうやってエル―テ・ピルスを登り切るかユカリも悩むが、どのようにして教えれば良いのかと、元アークス最強の存在達も悩み続ける。


                ◆


「お、お先に休ませて貰います……」

「明日も早いから、ゆっくり休むんだよ」

「ウチのベッドは寝心地良いから……コケましたね」


 疲労困憊の有様で、貸与した部屋に戻っていくユカリを見送った後、ハルクとルルは顔を見合せる。


「……どうしましょうか?」

「素質は悪くない。だが如何せん時間が……」


 言葉通り、彼女をエル―テ・ピルスに差し向けるには時間が足りなさ過ぎる。一週間程度の時間があれば、逃げ隠れが主体とはなるものの潜行が可能になる筈だが、それでも十分とは言えない。

 生憎、時間は一週間も残されていないが。

 そもそも、内部の迷宮は地図が意味を成さない不定地形なので、目的のセマルヴェルグに会うには、最終的に運否天賦に委ねる事になってしまう。こればかりは努力ではどうすることも出来ない。

 嘆息しながら、ハルクは苦い顔で口を開く。


「今はまだ内部に入っていないし、俺達の補助があるから意思に揺らぎは見えない。明日一日でかなり追い込めるとは思う。……他力本願で嫌になるが、彼女の爆発的な伸びに期待しよう」

「歯痒いですねぇ……。ご主人、私もそろそろ寝ます。これだけ長く人の姿をとるのも久しぶりですし、思ったより疲れました」

「ユカリちゃんは気付いてないだろうが、お前もう七十超えてるからな。それと、今のご主人は俺じゃない、ティナだ」

「それは失礼……」


 皆まで言うより先に、ルルの身体が黄金色の光に包まれて消失。

 光は人の形を崩して剣の形へ収束し、やがて一振りの白銀の剣が、鞘に納められた状態で床に転がる。


「立った状態で寝るなとあれほど言ってるのにな……」


 ボヤきながらも目を細め、ハルクはルルを壁に立てかけ、再び椅子に座してトレーニングの計画を練る。大方を組み上げ、自らも寝ようとした立ち上がった時、居間の扉が開かれ、人影がこちらに進み出てくる。

「ティナか、どうした?」

 娘であるティナだった。近頃、自分とは話どころか目も合わせようともしていなかった為に、こうして向かい合うのは少し新鮮さを感じる。

 何故今日に限って話しかけてくるのかについては、大方予測が付いているので驚きは無い。黙して娘の言葉を待つ。

「何故あの子を認めたのですか?」

 エル―テ・ピルスへの登攀を指した娘の言葉に対し、ハルクは用意していた答えを返す。

「別に俺に決める資格なんて無い。登りたいなら……」

「そんな答えで満足する筈ないでしょう!」


 常識的な答えは、想定していた形の切り返しで潰される。


「確かに、あの山に挑む資格は誰にでもあります。ですが、セマルヴェルグがいつ山頂に訪れるのか。それを直接知る事が出来、その時期の登攀の可否を決めるのは、二十九年前に単独で撃破した貴方だけです!」

「単独じゃない、ルルも一緒に居た」

「言葉遊びは結構!」


 嘗て、ハルク・ファルケリアは魔力を生まれながらにして持たない、劣った存在として扱われていた。

 魔術を用いた派手な戦いが出来ず、暗殺やコソ泥紛いの活動で名を知らしめての四天王への登用に、反発する者は多数、と言うより国王と同僚以外全員が反対の有り様だった。

 潮目が変わったのは、エトランゼの一柱セマルヴェルグとの戦いだった。

 大怪鳥は他の存在とは異なり、ヒトの居住領域への侵攻をヒトとの決戦後も頻繁に行っていた。

 アルベティートの領域と伝えられる大陸北部の雪山地帯を避けているのか、大怪鳥はエルーテ・ピルスを拠点とし、何かを探し求めるように居住領域に入り込み続けていた。

 大怪鳥の立場や考えはともかく、何度も伝承の存在がやって来られては、ヒトの側からすればたまった物ではない。

 エル―テ・ピルスへと降り立つ事を確認する度に、何度も討伐隊が送り込まれたが、大怪鳥の魔力によって迷宮と化した山を登り切る事さえも叶わず、今でも大量の白骨が山中に残されている。

 そんな大怪鳥を単独で撃ち破ったのがハルクであり、彼は何らかの取引を行い、人里への理由なき侵攻を禁じさせ、エル―テ・ピルスへ降り立つ事も制限させた。

 取引の中には、大怪鳥がこの山に戻る時は、ハルクに伝えるなどの約束も有ると噂だが、娘のティナは噂は真と知っている。

 彼女と同様の結論に至った者は、ハルクが出す山への進入を禁じるお触れを無視して、セマルヴェルグを倒そうと山に挑んでいく。

 

 戻ってこない事から推測するに、挑んだ者は皆無惨に殺されたようだが。


 母アイネの血が強く出たお陰か、ティナは父と異なり魔力を有している。

 その程度の優位性に溺れる事もなく、父と同じ、いやそれ以上の鍛錬を重ね、相棒であったルーゲルダも二年前に託された。

 しかし、セマルヴェルグへの挑戦だけは一向に許して貰えなかった。

 どれだけ訴えても、この二年間「エトランゼへの挑戦は安い物じゃない」と斬り捨てられ続けていた。

 

 そこに、あの少女の登場ときた。


 ユカリと名乗った少女は、見る限り何の武術や魔術の心得も無い。

 違う世界から来たなどという世迷言を吐いている輩がいると、ここに食品を売りに来る行商人からの噂話で聞いたが、恐らくは彼女がそうなのだろう。

 うさん臭さしかなく、何の才覚も感じない少女に、しかし元四天王クレイトン・ヒンチクリフは力を貸し、挙句ハルクも挑戦を認めた。

 これを理不尽と言わずに何を理不尽と言うべきか。


「何の才能もない、あんな奴の方が私より資格が有ると言うのですか!?」

「ああそうだ。勘違いするな、剣も魔術も何もかも、彼女よりお前の方が上だ。いや彼女など比較にならん、お前は俺以上の才を……」

「ならどうしてですか!?」


 ティナからすれば当然の疑問を叫ぶが、ハルクは意にも介さない。


「分からないなら、挑戦する資格も無いな。それと何だ、アイネの旧姓を使って入学申し込みを書くのは駄目だぞ。どうせ身辺調査はされるんだからやるだけ無駄だし、やられると俺も色々と心が痛い」

「……今この場では関係無い話でしょう」

「大ありだよ」


 これ以上会話をしても、苛立ちが募るだけだ。

 判断を下したティナは、ハルクに背を向けて裏口へと走り出す。

 「夜遅いんだ、あんまり無茶するなよ」との言葉には、返事をせずに。

 路傍の生物が逃げ出す勢いで如く走り続け、何時の間にかエル―テ・ピルスの岩壁へと辿り着く。

 壁面にはあの少女が刻み込んだ傷が見え、その浅さから容易に推測可能な少女の力量の無さに失笑し、同時に怒りが湧き上がる。

 ――私は、こんな奴以下なのか。

 噛み砕きかねない程に歯を食いしばり、腰の両側に差した『緋譚剣ひたんけんコーデリア』と『滅竜刀・紫電めつりゅうとう・しでん』の柄に手をかける。二本とも、両親が贈ってくれた剣だ。

 腰を低く落とし呼吸を整え、目を一瞬閉じて、見開くと同時に叫ぶ。


「『欠落ノ光刃インパーフェクション』ッ!」


 抜き放たれた二つの刃は、抜刀の風圧だけで彼女の周囲の地面を破壊し、木々を派手に薙ぎ倒していく。だが、これはあくまで第一段階だ。

 烈風と同時に生み出された紫色の雷光は、絡み合いながら太さを、そして速度を増大させて瞬く間に天へ届き、空を覆っていた厚い雲を貫いて消えた。

 凶暴な生物が多数生息している為、今は人が寄り付かないものの、コーノス山脈には観光資源としていつか活用する為にか、国が保護令を出している。

 故に、この岩肌に直接これをぶつけた事は無いが、他の場所で試した結果から考えれば、間違い無く貫通させられる筈だ。

 ルーゲルダの力を借りて、ようやく一般人程度の魔力についての感覚を得られる父ハルクには、このような芸当は不可能である。

 七年前、ティナが八歳の時にこの技を完成させた時、ハルクは自分の頭を撫でながら喜んでくれた。

 ――俺より強くなれるな。いや、ティナは世界で一番強くなるぞ!

 確かに自分はそう評された。

 なのに、今は足踏みを続け、理解の出来ない理屈で、自分は無力な者に先を越されようとしている。


「……どうしてなんですか、父さん!?」


 地面を殴りつけ、ティナは問いかけるが、当然答えは返ってくる筈もなかった。

 

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