9 赤の予兆

 アークスとロザリスの緩衝地帯コラトルにも、商売人という人種は存在する。

 資源もなく、只管に平原が広がる土地の為そう位置付けられたが、二大国の気分次第で荒事に巻き込まれるリスクは依然ある。

 だが、国土全体を焦土に変える規模の戦いを避ける傾向が強まった今、注意すべき対象は野生生物に絞って問題ないと言える治安状況となっていた。

先日まで行われていたバトレノスでの衝突に於いても、コラトルは単なる通過点の扱いを受け、戦火に巻き込まれることはなかった。

 故に、晴天時には女王国が視認可能な、素晴らしい風景美と潮風を堪能出来る場所で飲食店『マハマハン』を構える、ニットス・マールマも、暴力や闘争に起因する騒動への恐怖心を忘れつつあった。

 つい先程、店内に一人の男が入ってくるまでの話だが。


「店主よ。あまり見ないでくれるか」

「……失礼しました」


 問題となっている客が放った銀の眼光に射抜かれ、ニットスは虫の鳴き声で謝罪し、眼前で鯨肉を無表情で喰らっている男から背を向ける。

 二・三メクトルほどの長身に、赤熱した金属に似た色の髪を靡かせ、竜が這い回る装飾が施された長外套に、背から飛び出す剣の柄。

 そして全身から発せられる、調度品等で形成された店内の落ち着いた雰囲気をぶち壊す、隠しきれない闘争心と強者特有の気配。

 大陸、いや恐らく世界全体からも討伐令が出されている男、ヴェネーノ・ディッセリオンが眼前に座しているとあれば、ニットスの反応は当然と言えるのだろうが。

 どちらかの国の軍か警察本部に連絡すべきなのだが、不審な行動を取れば自分の首が飛ぶと容易に想像出来てしまい、行動を起こすことを本能が拒否し、ニットスは動けない。

「貴様と戦うつもりなどない。俺が狙うのは、最強の称号を得るのに必要な強者だけだ」

 成人年齢をとうに通過している者が吐けば、虚妄の住人呼ばわりされる馬鹿げた言葉も、ヴェネーノが吐けば周囲を凍り付かせる物に早変わりし、ニットスは引き攣った笑みしか返せない。

 この男がさっさと完食して退出する。

 彼のささやかだが切実な願いはしかし、予想外の方向から粉砕されてしまう。

「おう、酒持って………………」

 店内に持ち込まれた喧騒が一瞬で霧散する。

 二メクトル超の隆々たる肉体を持つベスターク人にして、この辺りはそれなりの扱いをされている集団を仕切る髭面の男、オブス・オルッソは、入店してすぐヴェネーノの存在に気付き、自身の顔に恐れと野心を等分に示して狂戦士の肩を叩く。


「『生ける戦争』サマがこんな所で何してる?」

「獲物を求めてヒルベリアに向かっている」


 短い言葉の後、無表情で皿に残る肉とパンを纏めて口に放り込むヴェネーノに対し、集団の中から嘲弄に起因する笑声が聞こえてくる。


「おいおい、『生ける戦争』がヒルベリア如きに行くのか? 随分落ちぶれたモンだなぁ」「アトラルカ大陸に行ってたってのも、単にビビって逃げただけなんじゃね?」「そう考えりゃ、大したことねェな」


 この会話では端役であるニットスの顔色が、瞬く間に蒼白な物に転じる中、ヴェネーノは黙したまま言葉を受け止め、一定の時間が経過した時、全身に僅かな闘争心の炎を灯して、自らの言葉を滑り込ませる。


「では、手合せをさせて貰おうか。俺が大したことが無いのならば、貴様達は問題なく俺に勝利出来る筈だ」


 場が水を打ったように静まり返る。予想外の提案に、オブス達の動きも停止したが、煽った以上逃げを即断することも出来ない。

 加えて、暴力による上下関係のみで統率されている集団は、力を証明出来なくなれば容易に崩壊の道を辿る。

 

「やってやろうじゃねぇか……!」


 故に、破滅への疾走を選択したオブスを見て、捕食者の目に転じたヴェネーノは徐に立ち上がり、ニットスに向けて料理の額丁度のスペリア硬貨を放る。


「安心しろ。ここには傷一つ付けん」


 自らが勝利を掴み取る確信だけで構成された言葉を吐き、オブス達の後に続いて店を退出したヴェネーノは、相手から十メクトル程の距離を取って向かい合って両の手を広げる。

「好きな時に仕掛けて来い。だが、弱者を嬲る趣味はない。故に、貴様達が大人しく背を向けて消えれば、何もしない」

「テメ――」

「警告はしたぞ」


 紅の一閃が世界にはしる。

 

 煽りに反応し得物に手をかけた男達の上半身に、波打った軌跡が描かれた後、下半身と分たれて炎上。

 上半身が世界から焼失するよりも先に、集団への接近を果たしたヴェネーノは、空中で集団の中心へ向けて旋廻。掲げられつつあった剣や槍を、残酷な刃が持ち主諸共微塵に砕く。

 剣風で舞い踊る、金属片と血と内臓の間をすり抜けたヴェネーノは、幸運にも瞬殺を免れた男の肩口を踏みつけ、腕を引き千切りながら草の生い茂る大地へ着地。

 着地の際、背中を晒した事に釣られて動いた槌使いの首を、振り向きざまに斬り飛ばした所で淡々と言葉を紡ぐ。

「弱い、遅い、脆い。端的に言えば、貴様達は無価値だ」

 赤の間欠泉が視界を彩る中、仲間が泣き喚く声と共に平時なら激怒する指摘を浴びても、オブス達は何も返せない。

 体格だけで見ると、眼前の男はオブスよりも十センチメクトル程大きいだけ。ベスターク人とドラケルン人では、ある程度の身体能力の差は存在しているが、そんな物でたった今引き起こされた惨劇は説明出来ない。

 視覚が痛みを覚える程に美しい輝きを放ち、形状の禍々しさと持ち主に匹敵する巨大さを覆い隠している剣にも秘密はある。

 そこまでオブスが思考した段階で、ヴェネーノが血肉の海を蹴って再始動。

 

「接近戦に持ち込ませるな! アレを使うから時間を稼げ!」


 オブスの切迫した叫びに反応して、一人の男が『剛錬鍛弾ティーツァエル』を発動。

 二十年程前からロザリス軍の主戦力となった、戦車が放つ弾丸と同じ大きさ、質量を誇る金属塊が生まれ、音を裂き、土と植物を巻き上げて狂戦士へ接近。

 数メクトル離れた所に立っている状態で掠めただけで、風圧で人体は破壊され、直撃すれば、については思考の必要の無いタングステンカーバイドの凶弾が迫っても尚、彫像のようなヴェネーノの表情に揺らぎはない。

 『剛錬鍛弾』が紡がれた段階で両の足を大地にしかと食い込ませ、全身の筋肉を怒張。一切の迷いを見せずに己の得物、ケブレスの魔剣たる『独竜剣フランベルジュ』を迫り来る弾頭に突き込んだ。

 

 転瞬、タングステンの弾丸は、暴力的な速力で放たれたフランベルジュに粉砕されて無力な金属粉と化し、風に吹かれて大気中に消える。


 ヒトの域を超越した、一部の化け物共だけが可能な芸当を平然と成し遂げ、再び走り出した狂戦士の身体に、奇妙な変色を伴った光を放つ帯が絡み付く。


「『万封縛幻流光カレイプ・ゲルト』の効果を知っているよなぁ!? 魔力に喰らい付き、自動で対象に最良の拘束方法を行う! 俺はこれであの・・ロフマットを殺した。……もうテメェは詰みなんだよぉッ!!」

「俺が凡庸な存在であるなら、な」

「……なにぃッ!」


 魔力を掻き集め、戦いの後に行動不能となって部下に捨てられるリスクを承知で高難度の魔術を発動し、汗と血涙を流しながらも勝利を確信して吼えたオブスの眼前に、ヴェネーノの顔があった。

 凶悪な竜や高位の魔術師さえも、一度拘束すれば只の的に変え、彼を強者の立ち位置に立たせていた魔術をあっさり突破された。

 現実の何もかもが理解出来ない、といった風情の表情に切り替わったオブスの頭頂部に、フランベルジュが突き刺さり、そのまま地面まで一気にはしり抜ける。

 血液、脳漿、砕かれた骨。出鱈目に攪拌された臓器。

 これらが混ざり合って異臭を発する液体が撒き散らされ、空気と地面を汚す中、ヴェネーノは手首を返し右腕一本でフランベルジュを一閃。

 動きが止まった所で一斉に攻撃する腹積もりだったのか、魔術を途中まで紡いだ所で硬直していた者達にも必殺の斬撃が届く。

 彼らをオブスの同様の物体に転生させた後、ヴェネーノは一人だけ残された男の首を左手で掴む。


「敗者の定めだ。諦めろ」


 懇願が発せられるよりも速く、左手で首を握り絞められた事によって、男は形容し難い鳴き声を上げて絶命する。

 戦いの幕は降り、景色が著しく汚された点以外は、元通りの平穏な状態が帰って来る。魔術の類も一切使用せず、己の肉体に傷一つ付けさせずに、文字通りの完全勝利を実現させた男の顔には憂い。


「この程度か。強者でなければやはり満たされん。ヒルベリアでの戦いが、素晴らしい物であれば良いのだが」


 凄惨な虐殺を繰り広げたにも関わらず、穏やかな、そして苦悩の色も伺える言葉を吐き、フランベルジュを背負い直して歩き始めたヴェネーノだったが、その足はすぐに止まる。

 彼がここまで乗っていた発動車に、先刻の戦いで相手が持っていた得物の破片が大量に突き刺さり、走行不能状態に陥っていた。

 元々、ロザリスのとある町で捨てられていた物を、適当に修理して乗っていた物ではあるが、何か思う所があるのか、ヴェネーノは暫し沈黙。


「……勝手に蘇らせた挙句、俺の技量の低さで再び殺してしまったのは、謝罪してもしきれぬ。新たな存在に生まれ変わり、再び世界に羽ばたく事を願っている。……店主よ」

「!」


 処刑が終わった為、様子を伺いに外に出たニットスに向けて、ヴェネーノは懐から紙幣の詰まった袋を投げる。


「その金を使って回収業者を呼べ。こいつはまだ生きる道があるからな」


 言葉の理解に苦しんでいる店主に背を向け、ヴェネーノは歩き出す。

 その足取りに迷いはなく、目には期待の色。


「……ヒルベリアに住まう戦士よ。貴様が戦う意味の有る存在である事を願うぞ」


 空が彼の髪色とは趣の異なる赤に染まる中、狂戦士は笑声を高らかに響かせた。


                 ◆


 狂戦士が接近しているなど露知らぬヒルベリアの中で、二番目に大きな建造物と称される「レフラクタ特技工房」の一室は、今日も今日とて喧騒が支配する空間となっていた。

 殆ど一人で工房の仕事を行っているライラック・レフラクタは、顔面保護用のマスクを装着し、手にしたノミで廃材の塊を削り出す作業を行っている。


「……なんかこれ、はずれ臭いね」


 とある『塵喰いスカベンジャー』から託された廃材に、その者が発動した魔術の残滓を注入しながらノミの類で削る、『転生器ダスト・マキーナ』を生み出す伝統的な作業を淡々と進めながら、ライラはぼやく。

 工程自体は、幼い頃から仕込まれて熟練の領域に踏み込みつつある彼女にとって、別段難しい物ではない。しかし、あまり楽しく無い仕事である度合いは、彼女の中では友人の身体をメンテナンスする事と並ぶ。

 『転生器ダスト・マキーナ』はどのような物となるか、そして完成するか否かについては、完全に運で決まる。 

 きちんとした武器の形状になる物が全体の五割、その中の三割が実戦で使用可能な強度と性能を発揮する。この段階でかなり博打染みているし、使用者の戦闘様式に噛み合うかどうかも問題となってくる。

 個人の魔力を強く浸透させる必要がある為に、他人が転用する事も難しいので、結果としてせっかく作ってもまたマウンテンのゴミに、という事象も珍しくないが、それは作る側の感情を強く傷付けていると、廃棄側は気付いていない。

 捨てられる為の物が完成に近づいていると、少しずつ気分が沈み始めたライラの視界にある存在が飛び込み、ノミが床に落ちる。


「……何しに出てきたの?」


 加齢とは別の要因で後退した額に、枯れ木同然の手足。ライラと同じ鳶色の瞳には、僅かな光さえも存在しない。

 ライラの父、ノーラン・レフラクタが自室から出てくるのは、ごくごく稀な事であり、彼女が家にいる時は、食事の時でさえも出て来ようとはしなかった。

 胡乱気に室内を睥睨したノーランが、弱々しく口を開く。


「……今日はあの人殺しはいないのか」

「!」


 口調とは裏腹に、明白な敵意や憎悪が籠められた言葉を受け、ライラの目に瞋恚が宿る。父が「人殺し」などと形容する存在は、たった一人しかいない。

 しかし彼こそが、友人をこの世に繋ぎ止め、不自由な石の身体を提供した存在なのである。故に、彼女の思考は沸騰する。


「……ヒビキちゃんならアガンスにいる。……で、何しに出てきたの?」

「近頃のアレに対する入れ込みが異常なお前に、忠告をしにきた」


 血の繋がった親子とは思えぬ程に、冷え切った表情で二人は言葉を交わす。

 もう一人の家族にして二人の仲介役の、ジーナが買い物に出ている為に、制御する者がいないやり取りは険悪さを増していく。


「引き籠りが忠告? そんなことするより先に働いてよ。アンタが引き籠ったせいで、工房の維持費を捻出するのも大変なんだけど」

「あの男がカルスを殺した。それだけではない、あれは他にも二人殺している。さっさと切り捨てるのが最善だ」

「全てを捨てた奴の言葉を、誰が信じるのさ。カルスさんが行方不明になったのと、ヒビキちゃんの存在は関係がない。この程度の……」

「関係はある」


 今までの言葉とは段違いの、強い感情の昂りを感じた為にライラは押し黙る。


 自動で動いている、一部の工作機器の作動音を背景に睨み合う二人の内、やがてノーランが緩慢な動作で背を向ける。その際、どうしようもなく不出来な存在に対する、憐憫にも似た感情を瞳に宿し、ライラの怒りには燃料が注ぎ込まれるが、彼はそれについて意に介さず、言葉を紡ぐ。


「……お前が理解出来なくとも私は構わん。だが、あれによって未知の災厄が引き起こされる危険性だけは認識しておけ。……切り捨てる準備も、な」


 言い捨てて、ノーランは部屋から消える。

 彼の言葉は意味が理解し難いし、それに従ってヒビキを切り捨てるつもりも無いが「未知の災厄」の部分に、ライラは引っかかりを覚える。

 ヒビキを拾ったのがカルス・セラリフであり、その友人だったノーランは、カルスが消えるまで、ヒビキに対しての態度も、自分に対してのそれと変わらぬ物だった。

  カルスが何らかの要因で消えてから、彼が豹変した事から考えるに、何らかの恐ろしい出来事が生じたとみるのが妥当。

 では、それは一体何なのか? 肝心な箇所に思考を伸ばした所で、自前の機械とは別の音がライラの耳に届く。


「もしもーし⁉︎ ……ユカリちゃん? どしたの急に。……ウラグブリッツを送って欲しい⁉︎  ……うん、まぁそこまで言うなら送るよ。ユカリちゃんの勘はよく当たるしね。……ベイリスのトコの愉快な皆様にもよろしく。それじゃ、気を付けてね」


 借り物の最新型通信機器による通話を終え、小さく溜息を吐く。

 異邦人たるユカリの要求は、端的に言えば戦う為に必要な物を送って欲しいという単純な物。

 声の調子や、今要求してきた事から判断するに、致命的な状況に陥ってはいないが、その予兆はあるのだろう。

 油で汚れた手袋を放って、ヒビキの家に向かおうとしたライラの足は、外の景色を見てすぐに止まる。


 異邦人来訪の証だと彼女達が考えている、空の変色が展開されていた。


 現状、事態を何も好転させられていない自分達を嘲笑するかのように、新たな懸念ばかりが襲い来る状況に、ライラは自身の内部に、汚泥に似た物が堆積しつつある感触を抱く。


「……」


 やはり、これに対しても自分は何も対処は出来ない。

 ならば、出来る事だけは確実に処理していこうと、割り切りと諦観の感情を抱えて、ライラは改めてヒビキの家へと向かった。



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