8

 少しだけ時間は進んで夕刻。

 マルク・ペレルヴォ・ベイリスと、フリーダ同様彼に雇われたヒビキ・セラリフは、探索を行っていたアガンスの地下空間から脱出を果たし、事務所へ歩を進めていた。


「今回の相手はなかなか強敵だったな。絶滅した筈の『オルニトクス』がいるのは想定外だった。君がいなければ危なかったよ」

「アンタ一人で殆ど氷漬けにしてたじゃねぇか。一人で行けたろ」


 両者の服装を見れば、後者の言葉が正解と言えるだろう。

 戦場に赴くには不似合な、ベイリスが平時と同様に着用している、品の良い濃紺の背広には汚れ一つなく、汗の痕跡すら見受けられない。

 対するヒビキは、纏う白のシャツを手酷い汚れと損傷で放棄し、幾何学模様が刻まれた悪趣味なTシャツ一枚の姿になり、右腕の『魔血人形アンリミテッド・ドール』の改造部位を隠す為に巻かれた包帯が露出していた。

 虚しさと敗北感しか生まない比較を止め、ヒビキは屋台で潰したジャガイモをより合わせて揚げた食物を買い、ベイリスに手渡して口を開く。


「オルニトクスはまぁ良いとして、だ。あの野郎の居所はなかなか掴めないな」

「私達が進入可能な地下空間は全て確認したが、正解は何処でもなかった。褒美は絶滅した筈の生物と、奴の仲間の残滓だけ。少し不愉快な話だ」

 僅かな時間で完食して包み紙を道中のゴミ箱に入れ、ベイリスは深く嘆息する。彼の感情が、負の方向に向くのも無理はないとヒビキは内心で慮る。

 魔力形成生物を延々と産み出し、本体も相当以上の実力を持つ『正義の味方』が、有名人を狙っている上に町全体を危険に晒すなど、民間が行う仕事の範疇からとうに逸脱している。

 ――国に放り投げりゃ良いと思うんだが、ベイリスだしなぁ。

 一度受けた仕事を放棄するのは信条に反する上、所員が殺害された段階で意思は更に固い物となった、と言った所だろう。

 翻意を促すのは諦め、ヒビキは現状を好転させる手掛かりを探る方向に舵を切り、氷舞士に問いかける。


「探索が済んでいない地下空間はまだあるのか?」

「二つある。だが、片方は中央部の女神像噴水跡の下。もう片方は北区画ザッセンにあるスクライル本社ビル地下だ」

「あぁ、そりゃぁ……」


 返答に、彼らしからぬ僅かな間が生まれた理由がすぐに理解出来、ヒビキは諦観に満ちた溜め息を吐く。

 前者はアガンスの都市開発で噴の機能は消失したものの、広場として住民の憩いの場となっているだけでなく、地上の女神像は補修を重ねながら『エトランゼ』との大戦の時代から生き永らえている逸話があると、住民達の話で知った。

 人々から親しまれている上に、歴史的逸話が存在する物となると、説得材料が無い状態で手を付けるのはベイリスと言えど難しい。

 後者についてはヒビキも、否、アークスの国民皆があまり語りたくない存在だ。

 取り敢えず、世界的にも有数のシェアを誇るが、真偽問わずではあるが黒い噂も多く流れている武器会社が調査に応じるかの答えは彼の顔を伺えば分かる。

 悪い事に、彼の事務所はスクライル社からの武器提供オファーを蹴り、競合他社のオルーク社やウィストム社の製品を選んだ。噴水を管理する役所以上に、確たる証拠が無ければ調査に応じないだろう。

 一応、別の可能性も考慮した調査も行っているとの話だが、現状、それらの結果に関して問うまでもない。


 こちらが踊らされている間に、敵は着実に準備を進めている。


 どうにもならない現状に対する苛立ちで沈黙し、ベイリスの後を歩き続けていたヒビキだったが、前方を歩く氷舞士から発せられる足音が、何やら硬質の金属を叩く音に変わった事に気付いて、顔を上げる。

「おい、何処行くつもりだ?」

「屋上だ。安心しろ、このビルは私の所有物で入居者はいない。他人に話を聞かれることもない」

 内容におおよその見当が付いたヒビキは、黙したままベイリスの後に続いて、八階建てビルの脇に設けられた非常階段を登る。

 やがて二人は屋上に辿り着き、並んでフェンスに凭れかかって、通りを行き交う人々を眺める。

 買い物をする主婦、何やら雑談をしながら歩く学生、小走りで何処かへ向かう会社員と、ヒルベリアではお目にかかれない絵面に、ヒビキの意識はわずかな間だが、引き付けられる。

 ――当たり前だけど、ヒルベリアとは身なり段違いだ。ラープとトントン、いやこっちの方が全体的には……って、そんなこと考えてる場合じゃなかったな。


「……で、話って一体何なんだ?」


 直截極まるヒビキの問いに、氷舞士の地味ながら均整のとれた顔がほんの僅かに歪む。左腰の鞘に収まっている『転生器ダスト・マキーナ』、『氷伐剣ひょうばつけんナヴァーチ』の柄を少し撫でた後、ベイリスは瞑目する。


「私は、どうすればフリーダに許されるだろうか」


 予想していた、しかし安易な回答が不可能な問いが投げられ、ヒビキは右手を握りしめる。右手の中にあった包み紙が潰れる、くしゃり、と紙が潰される音が屋上に生まれ、虚しく消える中で、氷舞士の苦鳴にも似た言葉が継がれていく。


「あの時の対応そのものは間違っていなかったと、私は今でも考えている。これは何度振り返っても変わらない」

「そりゃアンタだけじゃない、フリーダも理解している筈だ。客観的に見れば、民間人を殺害したヤクの運び屋を殺す事は、どこにも間違いはねぇよ」

 

 客観的な視点から見える正解を、賢し気に振りかざすだけで感情が全て処理出来るのなら、この世から争いはとっくに消えている。

 機械的には処理出来ない感情で、時に無意味な行動を行うからこそ、ヒトという生物は発展し、そして殺し合うと、大昔に何処かで読んだ本の一節の趣旨がヒビキの脳裏を掠める。


「アンタの人間性は皆が知ってんだ。言葉を並べ立てなくても、行動を見せ続けることで、いつか理解してくれる日は来るんじゃないかって、俺は思うけどな」 

「なるほど」

「言葉なんて、思うように伝わらないモンだからな。……俺たちが今護衛してるアイリスは色々歌ってるけど、歌詞を都合良く解釈して変な真似をする連中だってゴロゴロ居るだろ? そういうことだ」

 一応意味は通るが、求めていたのであろう新たな視点、もしくは事態を即座に解決する特効薬的な措置からは程遠いヒビキの返答。それを受けて尚、ベイリスは小さく笑い、何やら言葉を紡ごうとした時――


「――ッ!」


 突如として背後に向き直り、ナヴァーチを引き抜いて『華氷弾エルーゲル』を発動。

 虚空に魔術を発動した事に対して、ヒビキが抱いた驚きと疑念の内、後者は『華氷弾』がある一点で停止した光景を受けて消えた。

 小さな氷の粒は、瞬く間に面積を拡大させ、ヒト型の氷像を形成。

 形状に見覚えのあるヒビキがスピカを構えた時、氷像が弾け飛び、夕日を反射して美しく煌めく氷の粒の間から、赤い光が伸び上がって二人の視界を覆う。


「流石は『氷舞士』の異名を背負うだけのことはある。部下の雑魚とは違い、少しばかり殺される危機感を抱かされたよ」


 話す内容と口調がかけ離れた声と共に、回復した二人の視界の前に、全身を板金鎧で覆った『正義の味方』、ペリダスが立っていた。

 即座に始動しようとしたヒビキの胸の前に、スーツで覆われた左腕が伸ばされる。


「おい、何の――」


 制止させられた事に抗議しようとしたヒビキの口が、中途半端な所で固まる。

 彼を制しているベイリスの表情が、記憶の何処を探しても見当たらない硬い物となり、頬には一筋の汗が伝っていた。


 ――アンタがそうなるまでの相手って事か。……冗談だろ?


「そこの君、武器を下ろしたまえ。今日この時の私は対話を目的としている。戦うつもりはない」

「知るかボケ。テメエはここでブチ殺す。……って、俺が言ったらどうするんだ?」

 答えは、ペリダスから放出される魔力が格段に増加した事実だった。

 先日対峙した際に推測した量を遙かに上回る魔力放射に、ヒビキの動きが止まり、描いた先手必勝を狙う策があえなく崩壊する。


「この場で戦うことに、私に不満はない。無論、負けるつもりはないがね」

 

 余裕を崩さないまま、正義の味方が不気味な笑声と共に身体を揺らす。

 何気ない所作だが、身体に圧しかかる魔力と、相手の手札が全て不明である事実への恐怖によって、自爆戦術も効果が薄いと気付かされたヒビキは完全に硬直。

 再びベイリスの目配せを受け、ヒビキは敗北感に打ちのめされながらも、スピカを鞘に納める。敵の無様な動きを『正義の味方』は悠然と睥睨しつつ口火を切った。


「よろしい。いきなり暴力で訴えるのは野蛮人の振る舞いだ。君達も文明人らしく振る舞いたまえ」

「ご大層なクチ叩いてるが、テメエ等は既にこの世界の連中を殺してるだろ」

「君達は力無き害虫を踏み潰すことに何の躊躇も抱かず、彼らを自分と同等に扱うことも無い筈だ。私達も、この世界の住民と同じように振舞っているだけだ」


 部下を害虫呼ばわりされたベイリスの表情が怒りで歪むが、市民に被害が及ぶ可能性や勝算の問題によってか、『正義の味方』に対して攻撃を仕掛けられない。

 無論、黙っていても仕方がないのは重々承知している為、ヒビキは言葉を返す。


「で、テメエが御大層な仕掛けをして、アイリスを狙う理由は一体何だ? 喧嘩を売る理由が何処にある?」

「君になら、理由はある程度理解出来ると思ったのだがね。……見込み違いか」

「他人に理解されない説明は、説明とは言わねぇんだよ。分かるように喋れ」

「異邦人の私が、そして私の同属が、この世界で居場所を得る。理由はこれで十分だろう。もっとも、君達の同属の手で全て殺されたのだが」


 痛切な感情が籠められた言葉に、二人は硬直する。

 確かに、言い伝えや資料から得る情報によれば、彼らはユカリと同様の異邦人と言える。

 ――待てよ、だったら……。

 一応、世界を跨ぐ方法は存在する。

 試して失敗したものの、血晶石を集めて再試行しようと計画している事実に思い当たり、更に言葉を継ごうとしたペリダスに被せる形で、ヒビキは口を開く。

 

「元の世界に戻せる方法があるとしたら、どうだ? 俺は試した経験があって過去に成功例もある。これなら平和的に解決する。乗ってみる気はないか?」

「この世界について多少調べたが、異なる世界を観測する術はない。君が誰かにその方法を試行して、正しい世界に送り返した事を観測出来てはいない筈だ。罠の可能性が存在する以上、乗る訳にはいかない。同属を殺害された今、尚更だ」


 実際に執り行った様子を見ていないにも関わらず、試みた方法に存在している穴を、的確に信用しない根拠に用いてくるペリダスを相手に、沈黙せざるを得なくなったヒビキを他所に、ベイリスが進み出る。


「居場所を作るだと? 笑わせるな。お前達は既にこの世界の存在を殺害している。しかも、それは私達がお前達の存在を認知する前に、だ」


 海獣の牙に酷似した、乳白色の刀身を持つ剣が引き抜かれ、同時に周囲の気温が僅かに低下する。


「早々に対話を放棄した者にかける情など私には無い。この町を危険に晒すお前には退場を願おう」


 同情を抱きかけたヒビキの心に突き刺さる、決然とした言葉が放たれ、場には風の声だけが存在する時間が流れる。

 果たして、停滞を打ち破ったのは『正義の味方』だった。ヒビキ達と始めて対峙した時と同様に、両の手を無機質に打ち鳴らす。


「君の尊い決意はよく理解した。しかし、私は目的を必ず遂行する。『船頭』の力を内包したあの少女を手に入れて、我が種族にとって住み良い場所にこの町を変える。……既に贄は十分に集まりつつある。時間はあまりないが、精一杯足掻きたまえ」


 粘ついた視線で二人を一瞥し、ペリダスの姿は小さな粒子に分解され消滅。

 追撃の選択肢もあったが、追手として使える者が少なすぎる状況では、成果は得られないと無意識の内に判断したのか、二人は屋上から動けなかった。

 長い溜め息と共にベイリスがナヴァーチを下げ、同時にヒビキはその場に座り込む。


「……良い返しだったと思うぜ。アンタの言葉が無けりゃ、俺はノコノコとペリダスに情を抱かされていた」

「君の場合、近くに異邦人がいるのだから無理はない。寧ろ真っ当な感情を維持出来ていると胸を張るんだ」

「組織的な行動が基本の軍人はともかく、在野の奴に正気がどれだけ必要なのかって話だけどな。……まぁいいや、今一番大事なのはこんな話じゃない」


 一度言葉を切って、ヒビキは氷舞士の眼を真っ直ぐに見る。

 恐らく、知らない方が良い事実しか問いの先に待っていない。

 だが、知らないより知っている方が、状況を正しく進められるのもまた然り。


「アイリス・シルベストロの持つ秘密は一体何だ? 不確実でも良い、全部話せ」

「……」


 依頼人の私的な秘密は、出来る限り知る者の数を抑えたい。

 仕事を行う者として、そして人としてごく真っ当な思考から来た、ベイリスの沈黙はやがて破られ、重々しく口を開く。

 ベイリスから語られる、想定外が過ぎる内容に硬直する存在は、二人いた。


「……」


 屋上の一つ下、八階部分の非常階段で立ち尽くすフリーダ・ライツレだ。

 彼がこの場にいる事に、偶然以外の要素は無かった。

 ルーチェ達と分かれたものの、土地勘の無いアガンスで憂さ晴らしも出来ずに、中央部を彷徨っていた時、何やら会話を交わしている二人を目撃し、後ろめたい行為であると理解しながらも、後を尾けていた。

 そして、知らない方が良かったであろう事実を知る羽目になったのだが、彼にとって衝撃を受けたのは、それよりも前の段階で交わされた言葉だ。


 ――ベイリスが、僕に許しを求めているだって? これは面白い冗談だ。


 衝撃を流すべく、脳内で皮肉になりそうな文句を浮かべても、顔は醜く歪むだけ。

 明らかに、今の彼の精神は不安定になっていた。


 ――嘲っているとばかり考えてたんだけどさ。いやまさか、名士様が未だに気にかけていたとはね。これなら、嘲ってくれていた方が良かったな。


 未だ続いているアイリスに関する話を、最後まで聞く事を放棄してフリーダは危うい足取りながらも階段を下り、地上に立つ。

 小さな、しかし人という存在が、個であると証明する為に必要な自尊心に従うか、それを曲げてでも良心に身を任せるか。

 迷いながら、フリーダは仮の住処に戻っていく。


                 ◆

 

 最後まで話を聞いた方、即ちヒビキも、ベイリスと別れた後、仮の住処に向かっていた。彼の表情もフリーダとは別の方向で暗い物と化し、聞かされた内容の重みが伺える。

 ――ヒトの縁はどこでどうなるか分からんって言うけど、アレは予想外だった。どうする……

 ナスペス区画に在る仮の住まいの内、自身に割り振られた部屋に灯りが灯っているのを視認するなり、ヒビキは思考を止めて走り出す。

 

――まさか、ペリダスがまた来たのか⁉


 そのような失策をする相手ではないと、彼も理解しているが何分時機が悪過ぎた。

 先刻の邂逅から来る最悪の想定は、防音処理が施された扉越しから、僅かだが聴こえてきた旋律で否定される。


「……」


 途切れ途切れに漏れ聞こえる、独唱歌の歌詞を繋ぎ合わせて推測すると、主題は「想い人と引き離された悲しみ」を題材とした在り来たりな物だ。

 しかし歌い手の歌唱力によって感情の芯を抉り出す生々しい、しかし片隅に残された希望が見事に表現され、その手の経験が無いヒビキをも、描き出された物語の舞台へ引き摺りだす力が生まれていた。

 歌が終わるまで、ドアに貼り付く奇妙な姿勢で硬直していたヒビキだったが、やがて別の部屋を割り振られている歌姫が、何故自分の部屋にいるのか疑問を抱き、慌ててドアノブを回す。

 

 そして、ドアは呆気なく開かれる。


「は?」

「私が来た時から開いてましたよ?」


 何かの罠か。


 一瞬湧き上がった疑問は、部屋の内部から聞こえてきた声で否定される。

 そこでヒビキは、ヒルベリアでの癖で扉の施錠を忘れていた可能性に思い当たり、舌打ちをしながら部屋に入る。


「おかえりなさい」

「……自分の部屋に行けよ」

「いやぁ、うっかりユカリさんに鍵を預けちゃってたんですね。で、どうしようかと思ってたら、ここの鍵が開いてたので」

「せめて鍵は閉めろ。アンタ自分の立場分かってんのか?」

「おおっ、それは失念していました」


 色気もクソもない、黒の鍛錬服トレーニングウェアに身を包んでも尚、独特の気を放つアイリス・シルベストロは、ヒビキの指摘の何がおかしいのか、澄んだ声を発して無邪気に笑う。

 先刻の話を受けた結果、彼女の調子に付き合う気分になれないヒビキは、不格好な笑みを返して寝台ベッドに座り、鞘からスピカを引き抜く。


「何をされるのですか?」

「スピカの整備。やんないと明日に差支えが出る。アンタが鍛錬をした後、喉の手入れをするみたいなもんだ」

「なるほど!」


 平坦なやり取りの後、ヒルベリアから送られて来た荷物から、ヒビキはマウンテンの石を加工した代物を取り出し、スピカの刀身を黙々と研ぎ始める。

 ――そういやお前の色、大分変わったな。

 カルスから渡された時は、スピカの色は蒼より白の成分が強く出ていた。今改めて眺めると、蒼の成分が相当強まっている。名前倒れしなくなったというべき変化だが、かなり妙な変化だとの感想をヒビキは抱く。

 ――使い手が馬鹿みたいに実力以上の相手に挑むから、お前が自分で強化してんのか? お前使い手より頭良いんだなぁ。

 非科学的結論を下し、作業を継続するヒビキだったが、背中に何やら硬い感触を感じて手を止めて振り向く。

「……背中を引っ付ける合理的理由を言え」

「気分ですよ気分」

「三文雑誌に抜かれたらどうすんだ。お前は良くても俺はゴメンだ」

「もう慣れました」

 堂々とした態度と返答に諦めたのか、ヒビキは会話を打ち切って作業に戻る。

 硬い物同士が擦れる音と、アイリスの鼻歌が混ざって、妙な空気が形成された部屋の中で黙々と作業に励むヒビキだったが――

「雰囲気からの推測ですが、ベイリスさんに聞きましたね、私のこと?」

「聞いた」

 場にいなかった筈の存在に核心を衝かれ、思わずスピカを取り落としかけながらも、問いに肯定する。

 ――アイリス・シルベストロは、『船頭』カロン・ベルゼプトの力を一部保有している。

 『エトランゼ』に劣らぬ長命を誇るとされ、世界で発生した様々な事象を記録し、一部の出来事に干渉したと伝えられるカロンは、当然ながらヒビキのような凡人共では到底得られない力を有している。

 一部であってもその力を持っているのなら、『正義の味方』が狙うのも、氷舞士が、そして彼女自身が出来る限り伏せようとした事に納得が行く。


「……いつ出会ったんだ?」

 

 緊張のせいか、彼の問いは上ずった声で為される。

 

「五歳の誕生日の前日です。……偶然でしたよ? お母さんの料理を手伝っていた時、何の気なしに歌っていたら、いきなりカロンさんが来ました。「今の歌、誰が歌っていたの?」って真剣な顔をして。あっ、こう言ったら割りとよく聞かれますけど、両親は健在ですからね! 町は竜の攻撃で無くなりましたけど」

「続けてくれ」

「「私が歌った」って言ったら、凄く驚かれまして。「貴女の歌は素晴らしいわ。世界だって変えられる」って言って、カロンさんは家に住み込み始めたんです。……期間はそうですね、竜が襲撃する前の年まででしたから、六年ぐらいですね」


 民間人と『船頭』が共同生活を送る。

 出来の悪い御伽噺にしか聞こえない話に眩暈を覚えながらも、ヒビキは更に続きを促す。

 「意外と知りたがりさんなんですね」と、アイリスは苦笑を浮かべつつ、言葉を継いでいく。


「私の声は、上手く扱えば他の人の力を増幅させたりする事が出来るそうです。それを悪用されないように自衛を。普通に歌う時に力が作用する事を抑える術を。この辺りをカロンさんに仕込まれました。……分かります?」

「大体。ついでにここまで登り詰めたのは、声の性質を利用したインチキとかじゃなくて、才覚と努力による物だっていう、アンタの主張もな」


 マウンテンの中で嘗て目撃した、三文雑誌に書かれた彼女に対する悪口を否定する形で、問いに対して肯定を返すと、歌姫は少しだけ表情を緩める。

 元来有していた力を暴発しないように鍛錬し、そして真っ当な実力でここまで登り詰めた彼女には、歌に対する強い愛と自負を感じさせられる。

 何も知らない外野に『船頭』の力で成り上がった、と賢し気に語られる事を嫌った事も、彼女の経歴が極端に伏せられている理由となっているのだろう。

 脇道に逸れた思考を元に戻し、ヒビキはスピカを研ぎながら再び問う。


「要するに、ペリダスはアンタの声が持つ増幅作用を狙ってるってことか。実際のところ、何処まで引き上げられるんだ?」

「やったことは本当に数える程ですからね。ただ、カロンさんからの教えは本当に凄かったので……」

「相手の望みを果たせる可能性は高い、か。厄介だな」

 

 スピカを鞘に収めて、ヒビキは勝利への道筋を模索する。

 相手の攻撃の主体はクシナート社製回転ドリルによる近接戦闘だが、召喚した模倣品が『煌光裂涛放レイクティルス』を放った事実から、豊富な魔力を持っていると推測が可能。

遠近両方を兼ね備えていると思しき相手の穴は、一体何処にあるのか。

 ペリダスの同属とされる別個体は、『痺活霧シュリンデ』を始めとした搦め手を用いる者から、『旺魔活膂規ディー・ウェン』による肉体強化のみで肉弾戦を行う者までと実に多様で、何らかの法則性を見出すのは困難を極める。

 ああでもないこうでもないと、一人唸るヒビキを見ながらアイリスは少しだけ笑い、当然ながら彼はそれに反応する。

「なんだよ?」

「本当に、仕事に対しては真剣ですね。ユカリさんに対しても、そのくらいきちんと向き合った方が良いですよ?」

「はぁ?」

 脈絡なく飛んできた言葉の理解に苦しんだのと、いつもの冗句だと考えて向き直ったヒビキを、真剣な雰囲気を讃えたアイリスの蒼い瞳が射抜く。

 適当にあしらって逃げることも出来ずに、ヒビキは顔を背けようとするが、歌姫の両の手に抑えられる。

 

「……離せ」

「最後まで聞きましょうよ。ユカリさんが異邦人だからって、深いところまで関係を持つのを拒むのは、良いとは思えません。この世界の方とだって、いつ会えなくなるのか分からないんです。私とカロンさんもそうでした。……大切に思うのなら、会えなくなる前に色々と分かり合っておくべきですよ」


 僅かに織り交ぜられた実体験以上に、アイリスの声の真剣さに射抜かれたヒビキは沈黙。その様をじっと見つめていた歌姫は、暫し時間が流れた所で相好を崩し、ヒビキの頬を軽く叩く。


「無理にいきなりやれとは言いません。でも、後悔が生まれないようにお早めに、ですよ?」

「……善処する」


 腕力の類ではない、別の経験値の差によって眼前の少女には敵わない。

 不思議な実感を抱きながらヒビキが短い返事を返すのと同時に、扉が遠慮がちにノックされる音が耳に届く。

 このノックは件の少女による物だと、彼が推測しつつ扉を開くと、想像通りの人物が大量の本を抱えて立っていた。

「どした?」

「『正義の味方』が何をするつもりなのか。何となくだけど考えたから、一緒に見て欲しいなって思ったの。良い、かな?」

 ドアの前に立つ黒髪の少女、ユカリから遠慮がちに投げられた問いに、ヒビキは先刻まで己の中にあった弛緩を放り捨てる。

 ――アイリスの言う事はどうしようもなく正しい。でもそれは、現状を打破してやっと考えられる物だ。今は、ペリダスのクソ野郎を倒す事に集中しないとな。

 内心でそんなことを考えながら、ヒビキは首肯してユカリを室内へ招き入れる。その背中を、アイリスは微笑を浮かべて見つめていた。




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