7
瀟洒な煉瓦舗装が砕ける音が、街を揺るがす。
アガンスの一画には、今日も今日とて『エトランゼ』の模倣品が登場していた。
活況から来る真っ当な喧騒が、恐怖に起因する狂騒に塗り替えられ市民が逃げ惑い、主婦の手に有った買い物袋や、屋台で供されていた軽食、謎の雑誌や新聞が地面や空中に舞い、空間に奇怪な彩を描く。
狂騒の原因となった、不揃いの、そして怪奇な彩色が為された翼が目立つ鳥類のような何かが、存在を誇示する為にか、けたたましい叫声をあげた次の瞬間、首が身体と分かたれる。
下手人に注意を向けた鳥擬き共は、視線の先にいる存在の持つ、只ならぬ何かを察して一瞬動きが止まる。
「あれは!」
「ベイリスさんのところの……」
希望と不安が入り混じった大衆の声を背に受けながら、荒野の騎手に似た装いに、口元に虎を住まわせる男が鳥擬きに接近。無表情のまま、男は右手に握られた、痛みを感じさせる程に白い刀身の片刄剣の切っ先を鳥擬きに向ける。
『大人しく死ね。『
機械染みた無機質な宣告と共に、いつの間にか男の周囲を旋回していた
ヘドロに似た液体が雨のように地面を叩く中、足元に落ちた死体を踏み躙って始動した男は、尚も闘争心を失していない果敢な集団の中心部へ突撃。
鶏冠と思しき部位から放たれた『
幻想世界の住民たる白き閃光が、街の中に一瞬だけ生まれる。
剣が描き出す月暈の内部に存在していた者は、身体を形成する組織を破壊され、形状保持が不可能となって液体へ転生を果たし街を汚す。
たった二度の攻撃で、男と敵の残酷な実力差が白日の下に晒される。
辛うじて虐殺の絵画の材料となるのを免れた個体は、戦闘意欲を喪失して遁走に移行。殺し損ねた個体を男は追わず、空いた左の拳を掲げる。
すると、疾走してきた二つの影が拳を踏み台に空へ舞い上がる。
「呼ばれて飛び出て何とやら、だねこれは!」
猫の耳を持つ少女、ルーチェ・イャンノーネと、ヒルベリアからの助っ人フリーダ・ライツレは、正反対の調子でそれぞれが討つべき個体を捉える。
瞬く間に距離を縮めた敵に対して、逃走は不可能と判断を下したか、鳥擬きは己の中の最強の魔術を紡ぎ出すべく、口を大きく開いた状態で動きを止めた。
「遅いよ」
軽い調子で振るわれたルーチェの双腕には、四十センチメクトルに達する禍々しい十本の爪が屹立し、鳥擬きの肉体を完璧に捉えていた。
身体に金属の爪の侵入を許し、脳から心臓に至るまで全ての器官を破壊されては、劣化模倣品に最早為す術は無い。先刻男に切り刻まれた個体と同じ運命を辿ることとなる。
双腕の十の刃による処刑が展開されつつある中、フリーダは自らに割り振られた敵を、『
が、他の二人と比して動きに派手さが欠けているる為か、それとも実績や実力が劣っていることを見抜かれている為か、鳥擬きはフリーダに集中的に反撃を仕掛ける。
当たれば肉が穿たれる嘴の刺突を躱しつつ、フリーダは全身の魔力の流れを上昇させ、『
残る二人、ルーチェとルーカス・アトキンソンは、割り振られた敵を早々に片付けるだろう。その時フリーダが狩り残していれば、市民を守るべく助太刀に入るのは間違いない。
しかし、それは彼にとってベイリスからの助力を乞うことと同義であり、チンケな自尊心の発露でしかないと分かっていても、許す訳にはいかなかった。
「『
咆哮に呼応して、無意味と断じられるほどに高度を上げたフリーダの身体に無数の小石が吸着し、やがて一つの巨大な岩石を形作る。
直径二メクトル、重量はトンに達する岩は空中で激しく回転を始め、その勢いを保持したまま、鳥擬き達目がけて落下を開始する。
「うわ! それはちょっとなし!」
『ひとまず逃げようか』
二人の声を猛烈に回転する岩の中から聞くフリーダは、それに対して特段の反応を見せずに地面に降り立つ。
超局地的な地震と、補修にかなりの労力を要するのは確実である巨大な蜘蛛の巣を舗装路に描いた後、鳥擬きを完膚無きまでに粉砕した岩石は極彩色の光を放って爆散する。
周囲に大迷惑を齎す塵芥が舞う中で、フリーダは青い顔で立ち上がり、そして湧き上がる猛烈な眩暈と嘔吐の予兆に思わず口を押さえる。
――お前ならこれも使える筈だ。ちょっと練習してみろ。
元四天王に軽い調子で習得を勧められたシンプルな、しかし猛烈な破壊力を持った魔術は近頃ようやく発動可能な領域に到達し、たった今実戦初投入と相成ったが、身体にかなりの負担がかかっていると自覚させられる。
――回転と落下の際にかかる、重力に耐えられるだけの身体を仕上げないと、実戦で乱発は無理だねこれは……。
フリーダの思考は、右肩を軽く叩かれた事で中断させられる。努めて平静を装い振り返ると、鳥擬きの殆どを虐殺してみせた剣士、即ちルーカス・アトキンソンが相も変らぬ無表情で立っていた。
軽く右手を振り、踵を返す剣士の背に映る「付いてきてくれ」の意思を酌むか蹴るか。迷いで足が遅滞した瞬間に、ルーチェの声が飛ぶ。
「事務所に戻る前に休憩しようか。だってさ。フリーダ君も行こう!」
逃げ道を塞いでから、さっさと歩き出した二人の後を渋々ながら、といった風情でフリーダは追いかけ、辿り着いたのは小さな湖を有する自然公園だった。
手入れの行き届いた芝生に腰を下ろすなり、口を開こうとしたフリーダに対し、ルーチェが先手を打つ。
「疑問にお答えしようと思ってね~」
「……疑問、ですか?」
「「何でお前等はベイリスなんかに従ってんだ、眼と脳が腐ってるから医者に行けゴミクズ共」みたいな調子をずーっと続けられたら、流石にこっちも反論はしたくなるからね。ルーカス、あなたも異論は無いよね?」
一人勝手に氷菓子を購入していた為、自然公園に辿り着いた瞬間にルーチェに問いを振られる形になった剣士は、背嚢からスケッチブックを取り出す。
白紙の上に目にも止まらぬ速度でペンを走らせて文字を記入し、怪訝な目を向けていたフリーダにそれを突きつける。
『べっつに隠すことでも無いから構わないさ! ジャンジャン言っちゃって!』
「……」
思春期の女子学生が書くような、妙に丸みを帯びた字で書かれた文章で、知的な容貌で人気を攫っている男優と似た雰囲気を持つ剣士は肯定の意を示す。
外見と文章のギャップと、筆談を用いたことに疑問をフリーダが抱くよりも先に、ルーチェが口を開く。
「私達はね、みーんな所長に拾ってもらったの。うりゃ!」
「!」
軽い調子で掲げた猫耳娘の右手が、瞬く間に先刻までの戦闘で振るっていた、禍々しい金属の爪を持つ凶器へと変貌を果たし、反射で身を引きながらも、何かに気付いたフリーダの表情が変わる。
「……まさか」
「まさかだよ。私の武器は私の身体。『
『錬変成』は基本的に武器を始めとした、既に形が固定された物体に対して短期的な変化を引き起こす物であり、恒常発動、加えて発動者自身の肉体に作用させるのは不可能に近い。
前衛で戦う者がほぼ行っている、骨や関節の材質を最適な金属に置き換える処置も、時間をかけて行うものであり、これほど急速に行えない。
異常な魔術の使い方と猫の持つ物と同形状の耳、そしてヒビキ曰く彼女が先日口にしていた「あなたの方が先輩」という言葉。
ここから出される結論はたった一つだ。
「私は『
この場にいることから考えれば、彼女は友人と同様に「失敗作」の烙印を推された存在なのだろう。失敗作がどのような扱いを受けるかについて、碌でもない物しか浮かばず黙り込むフリーダを見ながら、猫耳少女は笑う。
「君のご想像通り、私は失敗作で「処理係」ってのをやらされててね。職員の皆さまが飽きたら処分される予定が、所長のお陰で人生大変更! って訳。ルーカスの方も、似たようなモンだけどね」
『俺は声が出せないせいで、ここ以外の組織に拾って貰えなかっただけで、ルーチェ程重い物を背負ってはいないよ。生まれつき声帯が無くて、赤子の時からユニコーンに育てられた奴なんて、探せば世界に四十八人ぐらいはいるよ、うん』
「なかなかいないでしょそんな奴」
『そうかなぁ』
笑う(一人は身体と顔の動きで、だが)二人の中に彼らの人生を大きく変えた、マルク・ペレルヴォ・ベイリスという男への思慕の情が宿っていることがはっきりと感じられ、フリーダは目を逸らす。
私情を排して客観的に見れば、ベイリスの人間性は素晴らしい物だ。
半端な才能では這い上がれる可能性が皆無のヒルベリアに生まれながら、その実力で名を知らしめ、計画的に金と人脈を積みながら仲間を集め、今では縁もゆかりもないここアガンスで事務所を立ち上げ、街の者だけに留まらぬ信頼を勝ち得る。
真似をしろと言われても不可能な、完璧過ぎる人生画だ。
故に、自分はここまで強固に反発するのだろうと、フリーダは考える。
騙されたことが始まりとはいえ、薬物に堕ちて反社会的行為を繰り返した挙句、殺人を犯した男など殺害されて当然だと言える。殺された存在が友人でなければ、
彼もそう割り切れる筈だ。
――友人を殺すような奴だから、悪い奴であって欲しい。そんな考えなんだろうね。なんてことだ、したり顔でヒビキに忠告をしてきたのに、僕もアイツと変わらないじゃないか。
皮肉な笑みを浮かべて、それに対し怪訝な表情を浮かべる二人に軽く頭を下げ、フリーダは一人歩き出す。
この状態で二人といれば、惨め過ぎて死にたくなるから、などと言った理由は語らぬままで。
◆
同時刻ハレイド。
中央図書館の一角で、大量の書物に囲まれた異邦人ユカリは頭を抱えていた。
彼女の周囲に積み上げられているのは、この世界の歴史について記された歴史書であり、今それらと相対しているのにも、きちんとした理由がある。
――君達の世界の歴史的事実に基づいて、私は狩りをする。
『正義の味方』ペリダスの残した言葉から、どうにかして行動パターンや最終目的地を割り出せないか。それが彼女がここにいる理由なのだ。
――本当は、ベイリスさんみたいに根城にしている地下空間を探す方が効率が良いんだけどね。私に戦う力があればなぁ……。
ふと、エル―テ・ピルスでセマルヴェルグを相手に共闘した、茶髪に灰の瞳を持つ少女の姿が脳裏に浮かぶ。一応ヒビキに稽古をつけてもらってはいるが、彼女の領域に辿り着くには十年単位の時間がかかる事は間違いない。
無いものねだりを止めユカリは再び本に向き合うが、朝一番からここにいるにも関わらず、手応えはない。
様々な者が提示し、そして否定された『エトランゼ』の者達を殺害した人の数だけ、この街で人々を殺害する説以外にはめぼしい物が見当たらず、誤って手に取った胡散臭い事で有名らしい学者の書物に記されていた、明らかに嘘であろう説を信じかけた程の混迷ぶりをユカリは見せていた。
「これ以上やっても私一人じゃダメか。……帰ろう」
見繕った本を持ち出す為の手続を受付で行う。
ベイリスと彼の事務所の力は戦闘以外の方面でも強く、教わった通り彼の元で居候している存在だと書類に記すと、あっさり許可が下りた。
――良いのかなぁ、こんなに緩くて。
アークスの警備体制に少し不安を覚えつつ、厳重に梱包された本が詰め込まれた背嚢を背負おうと試みるが、重すぎてバランスが上手く取れない。
暫し四苦八苦した後、背負う事を諦め、背嚢を抱えてユカリは図書館を辞する。
この世界を見てきた中で、元の世界に最も近いハレイドの街並みを眺めながら、ベイリスから託された通信機器で迎えの発動車を呼び出す。
ここまでの処遇は必要ないと最初は断ったのだが、「仕事を手伝ってくれている者に、危害を及ばせる訳にはいかない」と押し切られた事を思い出し、ハレイドに来た時に降り立った場所へ向かう。
――『正義の味方』がいつ仕掛けてくるかが分からないし、早く何か見つけなきゃいけないんだけどね。……やっぱり私じゃ――
「ばぁっ」
思考を強制的に打ち切る形で、眼前に悪魔の顔が登場し、ユカリは絹を裂くような悲鳴を発し、腰を抜かしてその場にへたり込む。
同時に図書館の本を詰め込んだ背嚢も宙に舞い、地面へ無慈悲な落下を開始。
傷付ける事は避けなければと、反射で身体を動かした結果、腹部で受けとめる形となって、ユカリは潰れた蛙に似た体勢を晒す羽目になる。
何事かとこちらに視線を向けた通行人は、地獄の使者の姿を認めるなり、顔を逸らしてそそくさと早足で去っていく。
「みんなはっくじょうねぇ~。助けたげてもいいのにぃ~」
「……?」
「ではもういっかい~。……ばぁっ!」
間延びした甘ったるく幼い声が記憶を叩き、ユカリが首を捻っていると、仮面が跳ね上げられ、癖っ気のせいで四方八方に乱れている桃色の髪と笑みを称えているが光のない目が顕わになる。
冷静さを僅かに取り戻し、改めて眼前の存在を視認すると、すぐにそれが誰であるのかについて、ユカリは正解に辿り着く。
「あなたは……」
「そうっ! アークス王国さいきょぅの剣士にしてぇ、天才びしょうじょの――」
「何馬鹿なこと言ってやがんだこのアホたれ」
名乗りを上げようとした四天王、以前と服は変われど装飾過多な点は同じ、黒と白の服を纏ったデイジー・グレインキ―の襟首が引っ掴まれ、彼女の矮躯が宙に浮く。
彼女を持ち上げた手の方に目を向けると、こちらも見知った四天王、ユアン・シェーファーが立っていた。
単なる呆れ顔さえも、世に蔓延る不正を憂う賢人の嘆きの表情に見せる、ユアンの美貌に複雑な物をユカリが感じていると、そのユアンが口を開く。
「仕事サボって遊んでやってんだから、せめてバレないように振る舞え」
「ぱぱぱぱぁ~んと正々堂々遊んでこそサボる意味があるのよぉ。ユアンはぜんっぜん、分かってない!」
「煩い黙れ連座覚悟でパスカさんにチクるぞ。おぉ異世界女、何してんだこんな所で。彼氏のヒョロガリ性別行方不明不景気面の充電切れ頻発野郎は一緒じゃないのか?」
「お久しぶりですユアンさん。……ヒビキ君は彼氏じゃありませんよ? それに形容する言葉が増えてませんか、すごく悪い方向に?」
「俺がそう思ったんだから良いんだよ。後アレだ。悪口と化粧は盛る物だってどっかの哲学者が言ってたろ、多分」
とんだ暴論を撒き散らしながら、ユアンは宙に吊り上げていたデイジーを放り投げる。綺麗な受け身をとって抗議をすべく口を開きかけた少女に「これで好きなモン食ってろ」と、何やらチケットを手渡す。
「ユアンのことぉ、あいしてるぅ~!」
ユカリ元いた世界の物体で例えるならば、一円硬貨並みに軽い愛の言葉を残して、菓子店へと疾走していくデイジーの背中を見送りながら、ユアンはその美貌を歪めて徐に口を開く。
「んで、お前はここで何してんだ? あぁいいや大体分かった。金に釣られてアイリス・シルベストロの護衛に乗ったら『正義の味方』が現れた。んで、ヒビキやらは敵の排除をやってるけど、お前は戦えないからって手前勝手な申し訳なさを爆発させて対処法を探しに来たは良いが、何も見つからねぇまま敗北感に打ちのめされて帰ろうとしてるんだろ?」
「……どうして分かるんですか?」
「男前の持つ勘があるからな」
自信満々で、容貌が伴っていなければ滑稽にしかならない言葉を吐き、そして正当化されるだけの物を持っている四天王は笑う。その方面で切り返すのはすぐに諦め、ユカリは現状の打開を行うべく思考を切り替える。
「ユアンさん、少しお尋ねしたいことがあります」
「ん?」
「これを見てください」
返答も待たずに、背嚢から取り出した地図をユアンに差し出す。
ストルニーが出没箇所と日付を記し、不必要なまでに彩り豊かになった地図を見て、四天王は暫し沈黙。
幾ら戦闘専門でもこの世界に関する知識は、ユアンの方が格段に豊富であり、可能性を提示してくれるかもしれない。そんな考えに基づいて突きつけた物に、ユアンは首を捻る。
「こりゃ一体なんだ?」
「エトランゼ模倣体が出現した場所をマークしたアガンスの地図です。『正義の味方』はこの世界の歴史的事実に基づいて狩りを行い、目的を果たすと宣言していました。……歴史的事実や法則性について、何か知っていますか?」
「言われても俺はアークスの人間じゃ……」
何かが不味かったのか、慌てて返答を打ち切ったユアンは、地図をじっと見つめる。
空いている左手で宙に見えない何かを描く、奇妙な手癖を披露する時間が少々流れた後、四天王は逆に問いを投げてくる。
「お前はどう推測してる?」
「それは……」
ユカリが今まで組み上げた自説をぶつけると、ユアンは得心が行ったように何度か頷く。
「悪かないけど、お前の視点はちょいとヒト族側に寄り過ぎてないか?」
まったく予想していなかった問いかけに、鼻白んで沈黙するユカリに対し、地図を見つめたままの状態で、ユアンは淡々と言葉を紡ぎ出していく。
「どれだけ知性や力を持ち、御大層なお題目を掲げていて、こっちの学者共が『正義の味方』っつー名前を与えたところで、連中は単なるクソ侵略者共だって事を忘れんな。あくまで俺の私的な意見として聞けよ? 考えるなら、俺達の敵の辿った道筋を敵の挙動と照らし合わせてみるのも、悪かない筈だ」
「それって一体……」
「ユアン君、ここにいたのね」
不意に背後から差し込まれた穏やかな、しかし根底に硬い筋の通った女性の声に、眼前の四天王は面白い程に顔を引き攣らせ、ユカリに背を向けて遁走を開始。
転瞬、金属音が空間を叩いた。
恐る恐る音の発信源へ目を向けると、ユアンの左足を綺麗に包囲する形で、無数のナイフが路面に突き立てられていた。思わぬ所で披露された曲芸を前にして硬直するユカリの横を、下手人が通り抜ける。
腰まで届こうとしている艶やかな紫の髪を揺らして歩く、恐らく一・七メクトルほどの身長の女性の目鼻立ちは非常に整っており、髪と同色の瞳が輝く目は俳優の美しさと戦士の頑強さが同居している。
そして同姓である、ユカリさえも惑わされそうな色香を纏った身体を、軍服に押し込んだ女性はユアンの肩を優しく掴み、彼の身体は釣り上げられた魚のように跳ねた。
「……なんでここにいるんですか、ルチアさん!?」
「パスカ君に頼まれました。デイジーちゃんを唆して仕事をサボるだろうから、連れ戻してくれってね。……付き合いが長いからって、行動パターンをこうもあっさり読まれるのは、四天王としてどうかと思うから、改善するように忠告しておくわ」
「俺は悪くねぇんですよ! なぁ異世界女! 俺の無実をさっさと証明しやがれ、いやほんとにお願いだから!」
そこで始めてユカリの存在に気が付いたと言わんばかりに、「ルチアさん」とユアンに呼ばれた女性は向き直る。正面から見据えられて更に増幅された圧力に、無意識の内にユカリは後退るが、女性は圧力を霧散させる穏やかな笑みを浮かべた。
「話は断片的にだけれど聞いています。ユカリ……いえ、東方的に言えば大嶺ゆかりさん。私はルチア・バウティスタ、一応四天王です」
「えっ!?」
目から放たれる圧力は凄まじい物があったが、帯剣もしていなければ重火器の携行もしていない。他の三人の中ではパスカ・バックホルツに一番近い物を感じるが、彼と比するといつ、何時で戦う準備が整っているとの主張が、彼女は非情に薄い。
ユカリの疑問と戸惑いを感じたのか、ルチアは艶やかな唇を開いて言葉を紡ぐ。
「私は先代からの居残り組で、もう年です。余程の事が無い限り前線にも出ませんし、出た所で足手纏いにしかなりません。だから国民の皆様に余計な威圧感を与えない為に、武器は基本的には装備していないんですよ」
「……こないだバトレノスで戦ってたし、たった今もナイフを持ってんのによく言うよ。やっぱ胸のデカい女は嘘吐きだ」
「何か言った?」
「いいえなんにも!」
よく訓練された犬と飼い主のようなやり取りを繰り広げた後、四天王は懐から物体を取り出し、ユカリの手に握らせる。ルチアの手が離れた彼女の手中には、元の世界で例えるなら「ガラケー」とでも言うべき物が鎮座していた。
「軍用の通信機よ。連絡が取れるのは私に対してだけになるけれど、これならヒルベリアでも使える筈。何かあった時、いつでも連絡してきてね」
「は、はい!」
「それでは、私達はこれで失礼させて貰うわね。……ユアン君、デイジーちゃんのいる所を教えなさい」
「……はい」
笑顔で手を振りながら、ユアンを引き摺って小さくなっていくルチアを、呆けたように見つめていたユカリは、自身の胸の中に温かい感情が湧き上がって来るのを感じていた。
――ああいう人もいるんだね。いざとなったら、力を貸すって言ってくれるなんて。私も、あんな器の大きい人になりたいなぁ。……そうだ!
ルチアの振る舞いに感銘を受けるのと同時に、ユアンの発した言葉を思い返して、ベイリスから借り受けた通信機を操作。
もう少しだけハレイドに留まる旨と謝罪の言葉を告げて、ユカリは図書館に向かって駆け出した。
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