10

「なぁフリーダ! 俺、来週からアガンスに住む事になったんだ!」

「へぇ、そりゃまたどうして?」


 胸を張って朗報を告げた、浅黒い肌を持つ友人に対し、フリーダは笑みを浮かべて問いを返し、その答えに笑顔を更に美しい物に変えた。


「凄いじゃないか! 上手く行けば、君も君の家族も、良い生活が出来る!」

「だろ? やっぱ出来る男を世の中は見逃さないんだろうな!」

「それは言い過ぎだよ」 

「そこで平常通りに戻んなよ!」


 肩を小突かれ、笑いながらその行動を返してやろうと友人の方向に向き直ると、不意に視界が歪み――


「――ッ!」

 

 寝起きとは思えない程に目を見開いて、フリーダはベッドから転がり落ちた。

 周囲を殺気立った目で見回し、先刻までの光景が夢だと認識。妙に汗ばむ身体をタオルで拭う。

 夢を打ち消そうと何度も首を振るが、先刻まで映っていた景色は消えてくれない。その間にも、過去の記憶は続々と蘇り、フリーダの顔が歪む。

 思えば、友人は巧妙に自身の立ち位置を隠していた。近況報告の手紙には都市の豊かな生活を楽しむ様子が綴られ、フリーダも都市への憧憬を強めていた。

 しかし、その資金は何処から出ているのか。奨学金は出ていると言っても、毎月のように新たな何かを手にする余裕など無い筈だ。

 当然の疑問を深く考えずに流して数年が流れた頃、ヘディトの側からアガンスへの招待が届き、フリーダもそれを喜んで受けた。

 そして、アガンスに辿り着いたフリーダが得た物は、マルク・ペレルヴォ・ベイリスが友人を刺殺した瞬間と、彼が何処で何をしていたのかについての、知りたくも無かった真実だった。

 得た物全てを統合すれば、ベイリスの行為は一点の曇りもない正義だ。だが、絶対の正義を提示されても受け入れ難い物が人には少なからずあり、フリーダにとってこの一件がそうだった。

 ――どうしても無理なら降りろよ。

 近頃無謀な突撃ばかり見せている友人から、そのような配慮を受ける程に、この件に於いて自分は冷静さを欠いている。所員達に対する振る舞いが証明の一つとなるだろう。

 思考を回した分だけ、自己嫌悪と無力さの泥沼に陥っていく課題の直視をフリーダは諦め、手早く着替えを済ませる。

 着替えの後、遮幕カーテンを開いて外を伺うと、夜明け前のアガンスの景色と、そして見慣れつつある存在の背が見えた。

 

「ベイリス……?」

  

 先刻の夢で出てきた友人、ヘディト・ソマリオを殺害した男にして、今フリーダ達がアガンスにいる理由を作った男は、普段通り品の良い背広に身を包み、一人で歩んでいた。

 今日はロンゴリア市長と交渉を行う為、単独行動は当然と言えるが時間が早過ぎる。

 しかも、市長宅と全く違う方角に向かっている。疑問と興味が膨らみ続けた結果、フリーダは仮の住まいを出て、マルク・ペレルヴォ・ベイリスの後を追う。

 相手の力量を考えると、勘付かれる危険性が非常に高いが興味が勝ってしまい、フリーダは尾行を継続。両の手に『破物掌甲クレスト』を装備して。

 不慣れな土地故に、自分がどこにいて、どこに向かっているのか理解が得られないまま続く、時間的な問題で人気が無い町で展開される尾行は、ある場所に辿り着いて終わりを告げる。

 ――墓所?

 活力が一切感じられない空気に包まれ、無数の墓石が立ち並ぶ場所は、まず墓所以外の何者でもないだろう。だが、先日殺害されたコビー・ハイファクスは彼の自宅に埋葬された為、ここに訪れる必要は無い筈。


「命日以外に来るのは初めてか、ヘディト・ソマリオ」


 発せられた答えにフリーダが息を呑み、反射で飛び出す事を堪えている間に、手入れする者がいない為か荒れている墓を清掃するベイリスから、言葉が紡がれていく。


「今回、君の友人達の力を借りている。彼らは非常に見込みのある、そして現段階でも力のある者達だ。……手を下した私に力を貸さなくても構わない、借りる権利など無いからな。だがせめて、君の友人達の無事を祈っていて欲しい」


 呟きながら、氷舞士は墓石の汚れを丁寧に拭い取り、萎れつつある献花を、同じ種類の新しい物に取り換え、眠る存在の好物だった干し肉を供えていく。

 彼の動きは非常に手慣れた物で、墓地を何度も訪れ何度もこのような行為を行っていると、影で伺うフリーダに理解させるには十分だった。

 短時間で新品同様の状態に整えられた墓石を軽く撫で、ベイリスは僅かな時間瞑目。そして背を向けて墓所から去った。

 結局、尾行していたフリーダに気付かぬままで。

 完全に気配が消えた頃に、フリーダは氷舞士の立っていた墓石の前に駆け寄り、予想通り、ヘディト・ソマリオの名が刻まれている事を確認し、思考が止まる。

 抱いているベイリスに対する感情から、彼がする筈も無いと考えていた行為が眼前で行われ、しかも今回こそ突発的だが、定期的に行われている様子だった。

 これをどう解釈すれば良いのか。

 答えが見つからないまま、今日の相方となるルーチェ・イャンノーネからの呼び出しが来るまで、フリーダは旧友の墓石の前で立ち尽くしていた。

 

                 ◆

            

 アガンスの中心部に存在し、アイリス・シルベストロの公演に用いられるルメイユ記念館。

 公演が近い為、奏者達と共に調整を行っているアイリスの伸びやかな歌声が支配する空間の中で、ユカリは右隣の席に置かれた複数の通信機器とノートへ、忙しなく視線を行き来させていた。

 ノートにはアガンス全体の地図と、『エトランゼ』の模倣品が出没した日時が記され、それらを結び付けた線によって、謎の記号が浮かぶ。

 所員の誰か曰く、この形は失われた古代文明の文字に当てはまる、らしいが、その存在はマニアックな所員一人しか知らなかった代物。

 常人の営みから『正義の味方』が知るのは極めて難しいとするのが妥当であり、ユカリはその説を切り捨てる。

 出現し続けている存在は間違いなく『エトランゼ』を模した物と、以前彼女自身が対峙したカラムロックス、セマルヴェルグとの合致から断じられる。

 加えて、彼女は目撃していないが、ハレイドの図書館から借りた資料の中に存在した、ギガノテュラスとメガセラウスの図とも合致していた。

 残る一頭、『白銀龍』アルベティートを模した物が未出現の事実が不安要素であり、可能性であると判断し、歴史書を只管に漁り続けた結果、思いの外あっさりと答えに近い物に辿り着けた。


 何処かよりもどの順番で、の方が重要なのではないか。


 過去の大戦時、『エトランゼ』はギガノテュラスから始まり、メガセラウス、セマルヴェルグ、カラムロックス、そしてアルベティートの順でこの世界に顕現し、ヒトに対して牙を剝いた。

 最後のアルベティートは、彼奴の登場で立ち入りが禁じられた、このインファリス大陸の中心に存在する『デウ・テナ・アソストル』なる区域で顕現を果たした。

 五頭の中で最強と位置づけられる存在の模倣品が、未だ顕現しておらず、四頭は嘗ての大戦時と同じ順に顕現を果たす。

 ここに着目すれば、ペリダスが自身を誰の立ち位置に立たせ、そして拠点とする場所は何処か、おおよその検討が付けられる。

 

 ――冷静になれば、誰にでも気付けるし阻止出来る。……でも、総動員をかける必要が生まれたベイリスさん達は、気付きの余裕がなかった。

 究極の危険人物らしい『生ける戦争』が接近している噂や、四天王も別件で動いている状況では、公的な、そして強力な助っ人参戦は期待薄な状況。

 持ち札全ての使用を強いられた状況下で、油断出来ない強さの存在を町に放ち、実際に一人殺害した所で、自らも姿を見せて危機を煽る。

 一応警察組織と連携を図ったそうだが、民間人にまで危険が及ぶ可能性を煽られれば、人員の温存を試みる余裕など完全に消し飛ぶ。 

 単純極まりない、しかし善人に実によく刺さるやり口に、ユカリが無意識の内に唇を噛んでいると、歌声と楽器の音が不意に止む。

 彼女が視線を上に向けると、舞台の上に立つアイリスが手を振る光景が目に映る。

 一体どうしたものかと首を捻っていると、歌姫はユカリの方向に駆け出し、身に纏っている装飾過多気味の衣装から想像不可能な跳躍力を披露して、彼女の前に降り立った。


「休憩だそうです! 少しお話しましょうか!」

「そ、そうだね……」


 意気揚々と隣の席に座したアイリスと、呑気に手を振って楽器の調整を始めた奏者達を交互に見た後、ユカリはノートを下ろす。


「ねえアイリス。言いたくはないんだけれど、一番安全なのは練習や、それこそ公演も中止して、事務所で警護されている事だと思うんだ。……そうしようとか、考えなかったの?」

「なかなか難しい質問を仕掛けますねユカリさん」

「ごめんね……」


 アイリスにしては珍しい、負の方向の表情が浮かんだがそれも一瞬。すぐに元の、否、今までユカリが目にした事も無い真剣な表情に転換して、歌姫は告げる。


「ユカリさんの提案が正しいのは間違いありません。事務所の方々もそう思っているでしょうね。事務所の方が、私のせいで亡くられたとも理解しています。ただ、何もしないのは私の道理にも、いえ、存在価値に関わって来ます」

「……存在、価値?」

「私には世界変革の力はありません。ヒビキさん達のように戦う力も、ベイリスさんのように町を守る高潔な意思もまた然りです。歌う事しかできない存在が私で、それを待ってくださっている方がいるなら、エゴと分かっていても調整を止める訳にはいきません」

「でも、命を賭けてまでなんて……」

「私が止める事は、今まで踏み躙って来た方を更に貶める事です。……例えご遺族の方に罵られようと、曲げられない事はあるのです」


 アイリスが吐き出した、自らの非力さについての冷徹な分析と、どうしようもなく利己的で、狂気すら感じさせる決意を前に、ユカリは若干たじろぐ。

 

 この世界でも、元の世界と同様に、運動競技の能力や娯楽に関する力で金や名声を得る職業は存在する。すると、登り詰めるまでの苛烈な争いも同じようにあるのだろう。

 アイリスの才覚と、隠れ家にいる状況でも欠かさず行なう鍛錬の量を考えれば、彼女が勝ち上がるのは当然の話。だが、それは誰かの希望を破壊する事、即ち殺害して来たのと同義だ、と主張しているのだ。

 敗者がどのような感情を背負っているのかは、推測するしかない。

 だがアイリスが切り開いた未来は、敗者も見たかった物であり、描き続ける事が彼女の存在価値なのだろうと、ユカリは結論付け、同時に少し自身に失望を抱く。


 ――皆、何かを持って、選んで生きているんだよね。……なのに私、何も無いや。


 元の世界の生活を振り返っても、それなりな先を掴める程度の勉強をし、遊び金を稼ぐ為のアルバイトをそれなりに行ない、特段生産性の無い趣味や娯楽を行う。

 無論、選ばれし者ではない上、あったかもしれない可能性を見落とし、または握り潰して来たのに、そんな物を抱える資格などないと、ユカリは理解出来ぬ程愚者ではない。

 理解しているが、周囲の者達は皆何かを有しており、自分一人が持っていないとなれば劣等感を覚えるのが正常な反応であり、それを示したユカリに対しアイリスは微笑を浮かべる。


「大丈夫ですよ。ユカリさんは既にある方の原動力となっています。それに、たった今この瞬間に持ってないと駄目だなんて規定は何処にもありません。自分なりに色々考えて、掴めば良いんですよ」

「ありがとう。……でも、ある方って誰のこと?」

「えっ!?」


 ユカリの返しに対して、アイリスの蒼の瞳が完全な円を描き、そのまま背もたれに顔を埋めて何やら小さな呻き声を発し始めた。

 「あっちもあんまり気付いてなかった風情でしたけど、まさかユカリさんまでとは……」だの「いや似た者同士じゃないかとは思ってましたが……」だのと呟いた後


「えぇいっ! 休憩終わりです! ユカリさんはがっつりしっかりドッシリ構えててください!」

「う、うん……?」


 何やら奇妙な結論に達して舞台に飛び乗り、丁度戻って来た奏者達と短い会話を交わし、マイクを手に取ってユカリを指差し目を閉じる。

 まさに嵐の前の静けさに包まれたホールの中で、ユカリは考える。

 自分に何が出来、何を軸とすべきか、現状では分からない。だが、今までとは少しだけ向き合い方を変えてみよう。

 そんな決意によって、ユカリの拳が固く握られた時、右隣の席に置かれていた通信機器の一つに、小さな光が灯る。

 このタイミングで、しかも色からしてルーチェ・イャンノーネが携行している物が一番最初に光を灯した事実に、ユカリが確信を抱くと同時に、アイリスの歌声が放たれた。

  

               ◆


『市民が見てるから欠伸しない方が良いよ。俺達規範なんだしさ』

「はぁ、そりゃ悪かった……」


 とあるビルの屋上、並んで立つ長身の男によって眼前に掲げられた、スケッチブック上に踊る文字にヒビキは間の抜けた声を返す。

 今日の相棒の、悪趣味なチンピラ御用達のジャンパーが無駄に似合い、口元を防護布フェイススカーフで覆う男ルーカスと共に、日の出からずっとここにいるが、未だ武器を振るっていない。

 敵がいなければそれは当然で、今まで通り出現の報を受けてから動くのが効率を見れば最善だが、昨夜ユカリがベイリスと共に練り上げた仮説を確認する為には、これがベストと判断が下されたのだ。


 ――噴水地下に突入出来るように、私は市長と交渉する。許可を得る可能性を高める為に、仮説の検証を行なって欲しい。


 真っ当な要望を残して、日の出より早く市長宅に向かったベイリスの意思に背くつもりはないが、流石に退屈を覚え始めた頃。

 隣に立つルーカスが、不意に背部の鞘から眩い光を放つ『純麗のユニコルス』を抜いた。


『暇だし模擬戦でもしようか。君が知りたがっていた、問題点も見つけてあげるよ』

「そりゃどうも……ッ!!」

 

 皆まで言わせず接近するルーカスに対し、地面を転がって逃げを打ったヒビキは斬り払いを不完全な体勢で受け、衝撃で転がりながら白刃の間合いから脱出。

 回転の勢いを活かし、周囲に張り巡らされたフェンスに降り立ったヒビキは、不安定な足場を物ともせずフェンス上を疾走。

 追撃の素振りを見せないルーカスを見て腹を括り、フェンスを蹴って接近。

 空気を水平に裂く斬撃を放ったが、スピカの切っ先に僅かにユニコルスが接触しただけで軌道が逸らされ、相手に無防備な背中を晒すも、これは彼にとって想定内の事象。


『おっと』


 『鮫牙閃舞カルスデン・ブレスタ』に用いる捻り運動と同じ要領で、ヒビキは自身を高速回転。持ち主の動きにスピカが呼応し、蒼の異刃は円弧を描いてルーカスに迫り、そのまま得物による打ち合いに移行。

 端から仕込んでいた者と、読みを外した者では勢いに明白な差が存在しているのか、彼の放った彗星の様な突きがルーカスを大きく後退させる。

 勢いを殺せなかったか、フェンスと背中が仲良しになって逃げ場を消失した相手にも、攻めの手は緩めない。


 一気に距離を詰め、大上段からの斬撃を仕掛ける。


 対応として予測した通りの、下段からの斬り上げで襲来したユニコルスがスピカと接触するよりも速く、ヒビキは地面を蹴って宙に浮き縦回転しながらルーカスの頭上へ落下。

 経験でヒビキの上を行くルーカスは、空振りのロスを最小限に抑えて着地点を見切り、ユニコルスの切っ先が幽かに届く場所まで回避を済ませ、攻撃の準備に移っていた。


 しかし次の瞬間、ルーカスは読みが大きく外れた事を悟り、僅かに動きが鈍る。

 

 回転鋸と化していたヒビキから蒼の槍、いやスピカが放たれる。

 『魔血人形』の力を使用していない以上、得物を手離す事は絶対に無いとの判断は誤りだと突きつけられ、彼の表情に焦りが――


『いや、大丈夫か』


 美丈夫の表情にすぐ余裕が復活。飛来するスピカを叩き落として右手を伸ばし、遅れて胴部に向かってきたヒビキの右拳を掴み、混凝土の地面に叩き落とした。

 痛みで視界を点滅させ、暫し地面で無様に悶えていたヒビキは、やがて動きを止めて憮然とした表情を浮かべ、呑気な笑顔を見せるルーカスを睨む。


「俺の負けだ。……何か分かったか?」


 勿論、と言わんばかりに頷いたルーカスは地面に座り、再びスケッチブックを取り出す。その様を見たヒビキは、転がったスピカを拾い上げて鞘に納め、相手の指摘を拝聴する姿勢をとった。


『問題点は二つ。一つはパワー不足だ。身長と体重幾つだっけ?』

「一七六の五十九だ」

『軽い。体質やバランスの問題もあるけれど、前衛をやるならあと十キロガルムは欲しい。その軽さで、しかも『魔血人形』の力を解放していない状態で武器を手放して、徒手空拳で仕留める選択は愚かと言わざるを得ないね。そしてもう一つ……君の動きは、殺し合いの為の動きになっていない』


 意味を解せない指摘を貰って停止したヒビキを見ながら、ルーカスは真剣な表情を浮かべてスケッチブックの頁をめくる。


『どうにも、君の動きは相手を戦闘不能にする為の物だ。確かに一つ一つの動きはかなり洗練されている。だけど、何処か必ず迷いがある。君の才覚や実績からすれば、俺なんか瞬殺出来ていないとおかしい』

「アンタが言うなよ」


 年齢が倍ほど違うストルニーの実績に現時点で肩を並べ、ベイリスでなければ他人の下に付く必要性は皆無。世間からそう評される男からの予想外の高い評価を提示され、鼻白みながらヒビキが放った言葉は、すぐに切り返される。


『俺なんかより、君は遥かに高い所に行ける。でも、現状のままじゃそこには絶対届かない。剣技は誰から習った?』

「基礎はおやっさん。後は我流と、最近はクレイさんから習ってる」

『そりゃ不思議だ。クレイトン・ヒンチクリフなら出自的に有り得るけど、カルス・セラリフなんて大陸屈指の破壊者だぜ? そんな平和な戦い方を教えたってのは少し考えにくいね。……何か聞いてたりしてない?』

 

 問いに無言の首肯で返したヒビキの心には、僅かな暗雲。今まで積み上げてきた方向では望む場所に届かないとの宣告に加え、育ての親たるカルスが自分に教えた物は、彼の全てでは無かった可能性。

 ……一体、どういうことだ? 俺は相応しくないってのか? それとも何だ、他に何か理由があるのか?

 答えの出ない問いが頭の中を巡る。模擬戦に使った時間よりも長く沈黙した後、ヒビキはどうにか言葉を絞り出す。


「……敵を殺す為の動きは、どうすれば身に付けられる?」


 予測していたのだろう、ルーカスは弛緩気味の笑みを浮かべてスケッチブックの頁を更にめくる。


『心構えだけだよ。俺も含めて、戦う者としてなら目標として置いておくべきヴェネーノは、真っ当な観点から見れば只のクソ野郎だし、奴が求めた他の大陸にいる強者もまた然りだ。殺しの為の精神を作るなんてダサいから、カルス・セラリフが君に教えなかったのも、その辺りを配慮したんじゃないかな。ただ、これだけは覚えていて欲しい』


 白剣士の灰色の瞳に宿る物が変わり、ヒビキは背を無意識の内に正す。


『殺す為の動きを獲得したいなら、その身を血と敗者の怨念で汚してまで守りたい物を持つようにね。空虚な身で獲得すると只死ぬだけだよ』

『アンタは持っているのか?』

『そりゃね。持っていなきゃこんな事言わない』


 朗らかに笑うルーカスに、ヒビキは沈黙を返す。涼やかな風が吹き抜け、両者の衣服を軽く翻らせる。

 カラムロックスの影やボブルスはともかく、『ディアブロ』やペリダスは確かに内在する物を掲げて戦っている。だからこそ、彼らは強いのだという理屈には納得が出来る。

 ――なら、俺にとって守りたい物ってなんなんだろうな。

 当然の疑問に辿り着くも、これまた真っ当な話で答えはすぐに出てこない。口を挟まぬ事が配慮だ、との考えに基づいたのか、ルーカスはヒビキを真っすぐに見つめるだけで、助言には動かない。

 両者に流れる沈黙を破壊する形で、不意に通信機器から警告音が鳴り響き、ルーカスは耳元に手を当て何度か首肯。会話が終わるなりユニコルスを鞘から抜いた。


『ルーチェから通信が来た。ナスペスでギガノテュラスの模倣品出た。ユカリちゃんの推測なら……』

「!」


 ルーカスの喉元に設けられた発生装置が全て言うより早く、空に不吉な一筋の裂け目が走り、そこから大量の鮫が這い出す様を二人は目撃する。

 再現し切れなかったのか、細部に若干不格好な点が存在するメガセラウスの模倣品共は、水中における魚類の動きと同様に身体をくねらせ、地上に落下を始める。

 

『こりゃぁ、予想は当たりかな?』

「だろうな」


 短い会話を済ませ、次の出没予測箇所で張っている者に通信を飛ばした後、ヒビキは真っ直ぐに模倣品共を見据える。


 ――考えることは後でも出来る。今はただ、現状の処理に集中しろ!


 心に喝を入れながら、ヒビキは屋上から飛び降りた。


                   ◆


「おおよそ、結論は出ましたね」

 

 アイリスの護衛に駆り出された者と、未だ市長との交渉を行っているベイリスを除く者達が詰める夕暮れ時の部屋の中で、ストルニー・バスタルドが白板を叩いて場の注意を引き付ける。

 白板には乱雑に描かれたアガンスの地図。そこに出没した存在の形状と時間と順番が記され、部屋にいる者はそれを睨む。


「『エトランゼ』模倣体の発生順は常に大戦時と同じ。更に発生した後、噴水の存在する中央部では『正義の味方』が発していた物と同一の魔力の波長が計測。……もっと早く気付くべきでした」

 

 ヒビキやフリーダを含む全員から、微量の殺気が放出される。

 受け身しか選べなかった状況とは言え、安直極まりない手段を採用し、手掛かりが親切に撒かれていたにも関わらず、気付けなかった自分達への激情。そしてあまりにも余裕のある敵に対しての、怒りが入り混じった感情の放射を浴びながら、毛むくじゃらのキノーグ人は更に言葉を継ぐ。

 

「自身をアルベティートに准えたペリダスが次に指す手は恐らく二つ。模倣品と住民の殺害によって負の感情を集積し、何らかの仕掛けを起動させる事。そしてその仕掛けにアイリス・シルベストロを使用する事。……即ち」

「歌姫様を取られるよりも速く、俺達が地下に乗り込んでぶちのめせば万事解決って話だな」


 直截極まるヒビキの言葉に、ストルニーは首肯を返し、部屋にいる者達に何やら印刷物を手渡す。

 見ると、噴水地下への突撃を行う人員と、その際に町を守護する人員の割り振りが記されており、自分とフリーダの名前が突撃する側にあると気付いたヒビキは、ストルニーの方に視線を向ける。


「連携の訓練を受けていない外部の力を、最も上手く扱うにはこの配置が最良であると判断しました。……死に最も近づく場所に、大量の人員を割く訳にも行かないとご理解頂ければと。では解散、所長が戻り次第追加の指示を出しますので、各自調整を行なっていてください」


 ヒビキの視線に応じて放たれた〆の言葉が発せられるなり、所員達は各々の戻るべき場所に向けて部屋を退出。

 「それじゃ、頑張ってこーね!」と、同じく突撃部隊に選ばれたルーチェも、ヒビキの右肩を叩いて部屋を辞し、残ったのはストルニーと余所者二人だけ。

 特段会話をする必要も無いので、アイリスと共にいるであろうユカリの所に向かおうかとヒビキが思考していると、沈黙を守っていたフリーダがゆっくりと口を開く。


「一つ何か言うとすれば、僕達を突撃側、しかもベイリスまでも配した部隊に置いた合理的理由を説明して欲しいですね」


 突撃部隊に回るのは二人に加えて、ベイリスとストルニー、ルーチェとドノバン、ルーカスともう一人ミレーヌという魔術師の布陣であり、二人を省いても小規模の軍隊に完勝出来る。

 連携の問題を考慮すれば、二人は適当な走狗にでも回すのが理想なのは疑いようがなく、ある意味真っ当なフリーダの問いに対し、一・五メクトルに満たないキノーグ人は口籠る。


「それは私の意向だ。市長の許可は得られた、明朝日の出前に仕掛ける。ストルニー、所員に通達を頼む」


 普段表情が表出しづらい顔に疲労を刻みながら、声と共にベイリスがストルニーと入れ替わりで入室した事で、フリーダの緊張感が増す。

 彼が口を開こうとした時、ヒビキが突如として身体を曲げて表情を歪める。


「なんか、腹痛くなってきた。ベイリス、この階のトイレ何処だっけ?」

「この部屋を出て右手の突き当たりだ」

「そうか、ありがとな!」


 贔屓目に見ても腹痛を持っている者とは思えない速さで、ヒビキは部屋を出て行き、部屋には二人だけが残された。


「……彼は絶対に役者になれないな」

「でしょうね」


 彼なりに配慮した行動なのだろうが、見透かされては意味が無いと言わんばかりに首を振った後、氷舞士はフリーダの両の目をしかと見据える。

 逸らそうにも、逸らした先を確実に追尾してくるベイリスに対して、やがてフリーダは諦めたように相手の視線を受ける。


「それで、僕達を突撃側に回した理由は? まさかとは思いますが、使い捨ての盾にでも……」

「そのような真似をする訳がないだろう」


 静かに怒気を孕んだ切り返しに怯んだフリーダに対し、ベイリスは僅かに、この瞬間ではない何処か別の時を回顧するかのような目を向けた後、怒気を霧散させて口を開く。


「友人を私が殺害した事実は変わらない。謝罪をしようとも君は私を許しはしないのは、受け入れざるを得ないことだ。だが一つだけ、理解して貰いたいことがある。……それが理由だ」

「理解して貰いたい事?」

「そうだ――」

「嘘だろッ!? ……分かった、今すぐそっちに向かう。落ち着いて医者を呼べ!」


 二人の会話を遮って切迫した叫びと、道路の舗装を靴が激しく叩く音が耳に届く。

 フリーダが反射で跳ね開けた窓から移る景色に、事務所の外に降り立って何処かに向かおうとするヒビキの姿があった。


「何があったんだ!?」


 脳裏を過った最悪の可能性が外れていて欲しい。

 浅ましい願いを現実が嘲笑うように、フリーダ達を見上げるヒビキは、彼自身に対する怒りと悔恨が等分に配合された表情を浮かべて吼える。


「ユカリから通信が入った! ペリダスが動いて、護衛は重傷のルーカスを覗いて全滅。……アイリスも持って行かれた!」


 決着への希望の光が見えた途端、局面は最悪の方向に転がった。

 最上級に最低な現実を叩き付けられ、打ちひしがれる愚か者を嘲笑するかのように、室内の二人の間を妙に生温かい風が通り抜けた。

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