16

「やーお久しぶりだねフリーダ君!」

「……意外と元気そうですね」

「そりゃもう! 沢山見舞いの人来るし、看護師さん美人だし!」


 胸部や両手、そして頭部を包帯や細胞活性化用の護符でグルグル巻きにしながら、清潔な寝台で飛び跳ねるルーチェ・イャンノーネに、フリーダは苦笑を返す。

 先日ユカリも運び込まれた病院に、三日前に激戦を繰り広げて負傷したベイリスと部下達は担ぎ込まれており、フリーダは彼らの見舞いに来た格好だ。

『ちょっとタンマ! せめて拘束は解いてくださいよ! いやあの時は緊急事態だったからで、今の俺に脱走する理由は……』

 無機質な電子音声による、妙な人間臭さを感じさせる言い訳と、次いで届いた叱責の声と悲鳴に、二人は顔を見合わせて笑った後、ベッドに寝転がった状態でルーチェの瞳に今までと異なる色が宿る。

 こうして振る舞っている彼女も、謎の魔術によって脳に大ダメージを負った筈なのだが、既に会話が可能となっているのは、彼女自身の高い回復力か、それとも友人と同じく改造による後天的な力が作用した為なのか。無意味な思考を回している内に、問いが投げられる。

「アイリスちゃんの公演はどうなったの?」

「無事成功したそうですよ。……関係者の中で観覧出来たのは、ユカリちゃんだけですがね」

「いーなーユカリちゃん。私も怪我してなければ……って、ヒビキ君はどうしたの? 彼も無事って言ったらアレだけど、まだ軽症で済んだ方でしょう?」

 当然の疑問に、フリーダの言葉が詰まる。

 ペリダスの最期を確認したのはヒビキのみであり、討伐後最初にフリーダが目にした彼からは、動揺がありありと浮かんでいた。

『正義の味方』から心の平穏を乱される何かを提示されたのだろうが、今日に至るまで、彼がそれを他人に明かす事はなく、報酬の交渉も行わずにヒルベリアに一人帰還してしまった。

 強引にでも聞き出すべきか、それとも黙って流して時を待つか。

 どちらも最善手とは言い難い為に、どちらも選べなかった苦味を押し潰し、フリーダは曖昧な答えを返し、猫耳娘も何かを察した様子で笑って受け入れた。

 これから先の展望について言葉を交わした後、フリーダはここに来た目的を果たすべく、ルーチェに問いかける。


「所長? 隣の病室にいるよ」

「個室じゃないのか……」

「あの人そういうの嫌いだもん。まー運良く他に入室してる患者さんいないんだけどね」

「ありがとう。……行ってくる」

「頑張って!」


 痛々しい両手を勢いよく振って、そして襲来した痛みで転げるルーチェに苦笑を返して、フリーダに隣室に向かう。

 丁度見舞いに来ていた所員達の中、上位の所員で唯一自宅療養で済んだストルニーとすれ違い様に黙礼のやり取りを行い、緊張で妙に乾く喉を、唾を飲み込んで誤魔化してベイリスのいる部屋に踏み込んだ。


「フリーダか。今日は千客万来、だな」


 ベッドの背部を起こして、備え付けの簡易机に大量の書類を広げた状態で、病衣を纏ったマルク・ペレルヴォ・ベイリスは笑顔でフリーダを出迎える。


「もう仕事をしていいのかい? 確か、魔術回路が何本か切れたんじゃ……」

「戦闘は一定の期間禁じられたが、書類仕事は出来る。ストルニーが代行すると言ってくれたが、彼に甘えすぎる訳にもいかない」

 

 フリーダ達の眼前で死んだコビーやミレーヌを含む四人が死亡。実力ある前衛のルーカスとルーチェが暫く戦えず、ドノバンは武器を喪失した事で戦闘力が低下。

 ストルニーも完調から程遠い状況で、ベイリス特殊事務所は実質的に機能停止の状況に追い込まれている。

 身体の状態に甘えきりでは、事務所が崩壊する可能性について理解は出来るが、自身が身体を動かす事にも支障が出ている状態で、それを行うベイリスの姿勢から、事務所と所員に対して彼が抱く愛情が伺える。

 私的な事情で相手の時間を消費させる事に、妙な申し訳なさがフリーダの脳を掠めるが、それではここに来た意味が無いと思い直して、手を止めてこちらを見つめているベイリスに対して口を開く。


「ひとまず、あなたがあの魔術を使っていなければ、僕たちは全員死んでいた。その点に関して、三人を代表して礼を言う。……ありがとうございました」


 下げられつつあったフリーダの頭が、物理的に止まる。中途半端な位置から目だけを動かすと、氷舞士の手が彼の頭を掴んで止めていた。


「君達がいなければ、私達は押し切られて敗北を喫し、この町はペリダスの計略通りに歪んでいた。私こそ君達に礼を言わねばならない立場だ」


 そして、ベイリスの頭が深く下げられる。

 頭を下げられる経験などロクに無い上に、この町の名士とも言える存在からそれを受けるなど予想だにしていなかった為に、動揺するフリーダだったが、この場に来たもう一つの理由を思い出して堪える。


「……あなたが過去にやった事について、全てを許して水に流しますとは、言えそうにありません。あなたに僕の友人が殺害された事は一生忘れられないでしょうし、忘れるつもりもない」


 偽りのない本心からの言葉を、ベイリスは予想していたのか、それとも振る舞い方を決めていたのか、特段ショックを受けた様子も無く黙したまま首肯だけを行う。

 悲しむ、怒る、もしくは第三の感情の発露。どれで来るか読めないが、フリーダは言葉を重ねる。


「ですが、あなたは今の僕たちを救い、そして町を救い続けて来たのも事実です。……法や利益を超えて、皆があなたを慕っているのも、そこから来る物でしょう」

 

 寝台の周りに所狭しと飾られた花束などの品は、所員の家族からの物もあるが、大半が市民から贈られた物だ。それだけで見舞いに来る人の数が推測可能であり、面会が可能になった段階では、来客者の整理が必要な程だったという。

 直接的な関係が薄い相手に対して、無関心になりやすい社会に於いて、ここまで慕われる存在は稀有であり、何が彼をそこまで至らせたのかは明白だ。


「あなたを私的な感情で罰したくないのかと問われれば、肯定を示す僕もいる。けれども、それは客観的に望ましい事ではないし、主観的に見ても良き事ではない。……だから、もう少しあなたを判断する材料を得る為に、正規の人員が復活するまであなたの元にいさせて貰えませんか?」


 問いを受けて、ベイリスの翡翠色の目が大きく開かれ、真意を理解した彼の表情から、僅かに表出していた緊張が霧散する。

 『エトランゼ』の持つ力を再現した魔術発動の反動で、動きの鈍い右腕を難儀しながらも掲げ、フリーダの元に差し出した。


「限られた期間であっても、君がいてくれるのなら現状の我が事務所にとって非常にありがたい事だ。君が納得して判断を下せるようになるまで、私や部下達を存分に観察してくれ。遠慮は不要だ」

「勿論、だ。全てを隈なく観察させて貰うつもりだよ」

「手厳しいな」

  

 差し出された手を、フリーダは固く握り返す。

 アイリス・シルベストロの護衛依頼を受けた時と同じ行動。だが、あの時と今では彼の表情も、内面に抱える感情も大きく異なっていた。

 眼前の男に対して、過去から継続して抱いている感情を残しながらも、別の方向からの前進を試みようとし、それを理解したからこそ、ベイリスも提案を受けたのだろう。

 過去は別の何かに塗り潰されて無かったことに、とは絶対に出来ない。

 出来事に立ち会った人々の感情も同じだろう。

 フリーダとマルク・ペレルヴォ・ベイリスの二者間に刻まれた過去の亀裂は、完全に埋まることは決して無い。

 しかし亀裂とは別の立ち位置から、二人は歩み寄ることが出来た。

 逃避や対立していた問題の本質から目を逸らしただけ、との誹りも受ける事もあるかもしれない。

 だが、硬直していた関係がほんの少しだけであったとしても、融和に向けて動き始める事が出来たのなら、逃避などではないのではないか。

 

「早速だが、いつから勤務可能なのか調整しよう」

「本当に早速だね。余韻に浸るとかそういう事は無いのかい?」

「良き事はすぐにでも動かしていくべきだろう?」

「まぁ、それもそうだね」

 

 関係を前進させる為の会話が、和やかな空気の中で医師が入室してくるまでの間、二人で展開されていた。

 

                  ◆


 ヒトと『正義の味方』による大乱戦が繰り広げられた結果、各所が破壊されて、ようやく修復の準備が進み始めたアガンスの片隅。

 アイリス・シルベストロとユカリが、最後の会話を交わす為、道端のベンチに隣り合って座っていた。

 二人の視界の先では、アイリスの事務所の者や奏者達が忙しなく機材や食料を積み込む作業を行っている。もうまもなく全ての作業が完了し、歌姫はこの町を去る。


「今回は本当にお世話になりっぱなしなのに、お返しが何も出来なくて申し訳ありません」

「仕方ないよ。私が言えることでもないけれど、これからの予定を曲げてまで、ここにいる時間を延ばすのは、ベイリスさん達も望まないんじゃないかな?」


 何かベイリス達に対して思い当たる節があったか、指摘を受けたアイリスは遠い目をした後、彼女の中で整理が付いた様子で笑う。


「そうですね。私はまだ、止まったりは出来ません!」 

 

 スクライル本社でユカリ達を救った『船頭』の力を有する存在である一点で、アイリス・シルベストロはこれから先も、命の危機に陥る可能性が存在している。

 ベイリスを始めとした強力な存在がいた為に、今回は生き延びたが、嗅ぎつけた輩から襲撃を受ける危険そのものが消えた訳ではない。

 活動の継続でリスクは高まり、やがて最悪の結末に至る可能性は、彼女も覚悟している筈だ。

 しかしアイリスは現実の予測、有する力と齎せる物をとうの昔に天秤にかけ、後者を選んで進んできた。倒れることを理解して尚進むその姿勢が、『船頭』の持つ力を行使せずとも、彼女に活力が満ちている理由なのだろう。

 恐らく、ユカリとアイリスが再会する事はない。あるとすれば、再会自体は良き物であっても、抱えている最大の目的は前進していない証明となる。

 だからこそ、別れのやり取りなど湿っぽい物にする必要はない。先日までと同じように特段の意味の無い物で良いのだ。

 他愛のないやり取りを重ねている間に、出立の準備が完了し、アイリスの名が呼ばれる。最後に一応締まったやり取りをした方が良いのでは、との考えが頭を掠めたユカリの身体が、不意に引き寄せられる。

 引き寄せた側のアイリスと超至近距離で目を合わせ、その活力に溢れた目に気圧されていると、歌姫の口から囁きが零れ落ちる。


「……ユカリさん。これから先、あなたは私よりも厳しい事態に直面すると思います。何を信じれば良いのか、分からなくなる時もあるでしょうし、辛い選択をする機会もまたそうでしょう。……でも、忘れないでください。あなたが信じた道や人が最も正しく、信じるべき存在です。世界の理や為政者が何と言おうとも、それさえ忘れずにいれば、あなたが望む物は決して遠のく事は無い筈です。私自身は無力ですし、その瞬間まで共にいる事は出来ないけれど、ずっと応援しています!」


 日頃の彼女とはかなり色の異なる言葉を受け、動きが止まったのは一瞬。


「ありがとう。……アイリスも、アイリスが言ってくれたことも、全部忘れずにいる。アイリス程の強い意思はまだ無いけれど、実現出来るように精一杯足掻くよ」

 現状を認識しながらも、最大限の意思表示を見せたユカリの手を固く握り閉めた後、再び名を呼ばれたアイリスは、何度も振り返りながら発動車に乗り込み、そして去っていく。

 発動車の姿が完全に見えなくなった頃、ユカリはヒルベリアに帰る準備の為に仮住まいに向かい、道中でヒビキについて思いを馳せる。

 ヒビキがペリダスを打倒した瞬間は、彼女は意識を手放していたが、彼と『正義の味方』が会話を交わしている時には、非常に不鮮明でとぎれとぎれではあるものの、二者の会話を聞く事が一応出来ていた。

 覚醒と喪失の狭間にあった意識では、全てを拾いきれはしなかったが、「同じ存在」という下りをハッキリと記憶しており、それがヒビキの動揺に繋がっているのだろうと、ユカリは推測している。

「私と同じ存在、か……」

 どう転がしても良い方向に考えられそうも無い言葉を受け、これから先に新たな何が待つのか。そして、アイリスにも指摘された最も望む物、即ち元の世界への帰還が果たせるのか。

 不安はいくらでもある。だが、囚われて停滞していてはそれこそ何の意味もない。

 アイリスの言葉通り、自分の意思や周囲の者を信じて前に進む事でしか、光は見えない。

 前に進む為の具体的な行動を、自分は何か起こせるか。

 問いを回しながら、ユカリは歩き続ける。


 

 

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