17

 ロザリス首都リオラノに存在する、周囲との調和をぶち壊している装いの総統官邸の一室で、二人の女性が向き合って言葉を交わしていた。 

 片方、各関節部と局部に装甲を忍ばせた野戦服で覆い、光を反射する美しい銀の長髪を一つに束ねている、一・八四メクトルの長身を持つハンナ・アヴェンタドールは、眼前の女性から自身の得物『金剛竜剣フラスニール』を受け取る。


「はい、これでフラスニールは剣形態のみに戻ったからね。パラボリカの擬装は出来ないから注意しなさい」

「問題ありません。……必ず強くなって戻ってきます」

「あんまり無茶しないようにね? レヴェントン君も悲しむから」

「レーヴェは強いですよ。私に何かあったとしても、すぐ切り替えられます。……では、行ってきます。レーヴェや総統を頼みます、義姉さん」

「了解。……天候は安定する季節だけど、砂漠は何が起こるか分からないから、危なくなったらすぐに戻ってきてね」

 ハンナと向き合っていた女、正統な用いられ方は近代ではほぼ消えた給仕メイド服を見事に着こなしているが、無骨な機械で構成された義腕で台無しにしている小柄な女性は、ハンナの頭を撫でようとして手を伸ばし、そして彼我の身長差で盛大に空振った。

「も、もう一回!」

 微妙に顔を頭髪の色に近い赤に染めた女性は、予め準備していた踏み台の上に乗って、改めてハンナの頭を軽く撫でる。

 三文芝居のような振る舞いを見せられても、ハンナは相手の女性に対して敬意と親愛の情が籠った眼差しを向け、されるがままとなる。

 ひとしきり撫でまわされた後、ハンナは女性に敬礼を残して部屋を退出。

 彼女の気配が完全に消えた頃、女性、いやフランチェスカ・アヴェンタドールは大きく嘆息して、機械で構成された右腕を空中で軽く振るって地図を展開。

 

「海峡を渡ってアトラルカ大陸北部のタドハクス砂漠に向かい、砂王竜の単身討伐と、単独でのサバイバビリティ向上訓練か。……ヴェネーノと対面したのが大きいのかな、やっぱり」


 職務に忠実で、給金も武器の整備と最低限の生活費程度にしか使わない。そんな妹が突如休暇をロドルフォに申し出て、不在の間、レヴェントンの教導を依頼してきた。

 かなり意外だったが、先日のヒルベリアでの敗北と、嘗て彼女の実の両親を殺害した同じ『ケブレスの魔剣』の継承者、カレル・ガイヤルド・バドザルクの死。

 そして、同じく継承者にして世界最強議論に名を連ねる猛者であり、強者との闘争だけを求める狂戦士ヴェネーノとの邂逅が絡み合ったのなら、全て得心の行く話とフランチェスカは結論を出していた。

 ――傷を作った最大の要因が消えて、自身の無力さを痛感するようになってエゴをはっきり出すようになった、か。権力とか変な方向にエゴが出ないのは嬉しいけど、ああやって独り立ちするのはお姉ちゃん少し寂しいかなー。

「さて、と」

 不意に、フランチェスカは右腕をある一点に構えて立ち止まる。

 義腕に無数に存在する、小さなボタンをリズミカルに叩き、反動に備えるかのように踏ん張りの効く体勢を執った。


 転瞬、彼女の右の掌から金属同士が擦れるけたたましい音が生まれ、無数の鉛玉が吐き出された。


 部屋の一点に設えられた、超小型の隠しカメラを完膚なきまでに破壊した事に対し、満足げに何度も頷いた後、フランチェスカは義妹と同じ扉から部屋を退出する。

「……義妹に頼まれたからには、しっかりやらないとね」

 そんな言葉を残して。

「あぁ壊された! せっかくお小遣いを貯めて買ったのに!」

「やっぱり、一度お前の親と面談するわ……」

 別室で、モニターの前で茶髪を掻きながら項垂れるレヴェントンと、渋い顔して腕組みをして立つロドルフォ・A・デルタは、間抜けなやり取りを交わしていた。

 旅立つ同僚と、彼女が留守の間自身の教官役となる存在がどんな会話をするのか、興味を抱いたレヴェントンが、色々な線を超えた真似を行っていたのを、たまたま通りかかったロドルフォが目撃した事から、この状況は始まった。

 屁理屈の雨に根負けし、「繋ぎ方を調整する」と偽って音声を拾えないように細工をし、ついでに見張りも兼ねてレヴェントンと共にこうしていたが、ここでふと疑問が浮かび、小太りの総統は自身の部下に問いかける。

「そう言やぁ、何でフランを選んだんだ?」

「そりゃフランさんが優しいからだよ! 会った時はいつも色々よくしてくれるし、怒ったところを見たことが無いし、それにおっぱい大きいし!」

「最後は本人の前で言うなよ。……つまり、お前はフランと仕事を共にした事は無いんだな?」

「あの人は教官で僕は『ディアブロ』だからね。もちろん無いよ」

 一点の曇りも無い笑顔を浮かべる部下を見て、ロドルフォの顔に苦い物が浮かぶ。

 幻想を抱いたままでも別に構わないが、一応知らせた方が良いと判断を下し、怪訝な顔をしたレヴェントンを真っすぐ見据えて、ロザリス総統は口を開く。

「ウチの戦車や対魔術装甲装備が飛躍的に発展したのは、十四年前にリットルノを制圧して、そこの技術を接収したからって側面が大きいのは知ってるな?」

「?」

「あぁ、教科書の改訂はまだだったか? まぁ良い。そのリットルノとの戦争に於いて、ある小隊が相手の装甲部隊と運悪く遭遇した事があった。遭遇報告の後、無線連絡も途絶し、誰もがその部隊の全滅を覚悟したんだが……」

「もしかして……」

「そう、ただ一人。フランチェスカだけが生き残って帰還した。戦車から随伴の歩兵まで、相手を皆殺しにしてな。右腕は完全に消し飛んで、左目も潰れ、歯も殆ど折れて、内臓もかなり落としてきたがな」


 小隊に所属する者が携行可能な機関銃と、短剣程度の歩兵装備で装甲部隊を相手にして、何が起こればそのような戦果になるのかが分からない。

 ごくごく真っ当な思考によって混乱する部下を見ながら、ロドルフォは自身も微妙に青い顔をしながら、話の着地点に向けて言葉を紡いでいく。


「帰還後、歩兵ではあり得ない待遇で、国中の名医によって再生が行われた。だが、最初に欠損したらしい右腕はどうにもならなかったし、内臓の機能低下で前線での長時間の戦闘には耐えられなくなった。そこで、俺は奴に教官の道を提示した。したんだが……」

「……何か嫌な予感がしてきた」

「誰にも詳細を話しちゃくれないが、フランは自分が見た地獄を生き残る事を基準にしているみたいでな。教導を受けた輩は皆、蛮勇と知性を共存させた優秀な戦士になる。……だがな。あいつの訓練を受けると、軍隊に志願してきた体力やらを誇る大の男達が、皆何度も泣き喚くわ、血反吐を吐くわ脱走するわが毎日起こる」

「……それ問題にならないの?」

「訓練の内容に理不尽で無意味な物は無いからな。量と教え方が凄まじいだけで。まあそんな訳で、あいつはハンナみたく甘くは無いって事は覚悟しておけ。お前のサボれるって願いは間違いなく叶わないからな」

 

 面白い程に顔を変色させ、目を大回転させている様子のレヴェントンは、最早話を聞いていない様子であり、ロドルフォは大きく溜息を吐く。すると、部屋のドアが開かれ、件のフランチェスカが姿を現した。

 敬礼の後、上司の横を通り抜けたフランチェスカは、半ば恐怖で意識が飛びかけているレヴェントンの手を優しく取って、彼と共に部屋を退出していく。

 扉を閉めると共に、レヴェントンの助けを求める悲鳴も締めだして、ロドルフォは大きく嘆息し、彼と出会う前に部下から手渡されていた書類を一瞥する。


「ハルク・ファルケリアだけではなく、カレル・ガイヤルドやらアリエッタ・リンクウィストも死亡。恐らくその他の英雄も、何人か殺られた。アトラルカ大陸の小国は女王国から独立、そして内乱が相次ぎ、東華じゃ革命か。……どうなってんだか」


 インファリス大陸西側に位置するロザリスを含む三国が、近年の主役となっていたのは、大陸東側の東華諸国連合の悪政に起因する混乱や、更に東の列島ヒノモトで生じた政変で、ミナヅキ、カザギリ、ヨミウチの三家を始めとするサムライが追放された事などの、周囲の国力の低下に依る物が大きい。

 それらの国力が回復、そして今まで劣等国だった国が力を付けて事態に絡んでくるようになれば、世界の混迷度合いは加速する。

 事実、新大陸の一国家の諜報員が、インファリス大陸の国々が共同で管理する、永久監獄の囚人の脱獄を試みた事件も既に生じている。

 そしてアークス国王は、そのようなこの世界についての話とは異なる次元で、何らかの手を既に指している。元四天王の殺害も、彼の計画に基づいた指し手の一つなのだろう。

 彼がバトレノス放棄してまで『ディアブロ』の回収を行ったのも、ハンナの鍛錬目的での休暇を許可した事も、全てこの先に起こる『かもしれない』未曾有の事態への恐怖から来ている。

 臆病だと人は笑う程の行動。そして、ロドルフォ自身も臆病に過ぎる振る舞いと理解している。

 ――ただの杞憂ならそれで良い。世界征服つっても、全てをぶっ壊した後に得る形なんぞ御免だ。

 対峙する相手、即ちアークス国王と比するとあまりに常識的で、そして甘い意思を抱いて、ロドルフォは守りの為の一手を模索し続ける。


                  ◆



 色々酷い目に遭いましたが、ひとまず無事に戻ってくることが出来ました。

 ……私の目の前で失われた命もありました。

 それを忘却する事なく前に進み続ける。これだけしか、この世界で何も持っていない私には出来そうにもありません。

 そして、ヒビキ君の様子が変なのも気にかかります。本人は「大丈夫だ」としか言わないんですが、そういう時の彼は大抵大丈夫じゃありません。

 ……原因が何か、解決策は何かを知るよりも先に、もう慣れつつある事態の急展開が起こってしまうんですけどね。


                 ◆


 真っ当な生活を送る者なら、誰もが目を背ける汚れ切った風景と悪臭が支配する、ヒルベリアのマウンテンの一つ。

 ゴミで埋め尽くされた空間の中で、ヒビキは即席のオブジェと十メクトル程の間隔を開いて対峙していた。

 左目に蒼の光を宿した状態で振りかぶり、右手でスピカをオブジェに向けて投擲。

 狙い通り、蒼の異刃は空気を裂いて突進し、乾いた音を立ててオブジェに突き刺さるが、ペリダス戦のような持ち主の超高速移動は発生しない。

 沈黙したままオブジェに歩み寄ってスピカを引き抜き、元の場所に戻って再び投擲。やはり何も起こらない。

 途中、無言のまま何度も首を振ったり、頷いたりしながら、ヒビキは延々同じ動作を繰り返す。数十回ほど続けた所で、スピカを納刀してゴミの大地に寝転がる。

 ゴミによる背部の痛みや、汚物を大量に混ぜ合わせた強烈な臭気にも、特段の反応を見せないのは、これまでの生活による慣れに加えて、彼の中に突き刺さった言葉が影を落としている為だ。

 ――俺もペリダスと同じ。分かりやすく言うならユカリと同じ存在、か。

 証拠が無い以上『正義の味方』の死に際の嫌がらせ、で笑い飛ばしてしまうのが一番合理的で精神衛生上良い。

 良いのだが、ペリダスの言葉を完全に否定する材料を持たない事が、ヒビキの心に影を落としている要因となっている。

 彼の名はまずインファリス大陸のそれではなく、東の端のヒノモトという国の名前、即ち先代四天王スズハ・カザキリが住んでいた国に近い。付け加えれば、ユカリの世界の名づけにも近い。

 そして、彼には生まれてから数年の記憶が一片たりとも存在しない。

 幼少期の記憶は忘却しやすいとは言え、皆無のケースは少数であり、それを最も知っている育ての親も消え、次いで知るライラの父には会うつもりは一切ないとハッキリ返されている。

 これでは、過去を辿って否定するのは困難と言わざるを得ない。

 完全な手詰まりによって泥濘に沈んだ感情を晴らす為、アガンスで咄嗟に編み出したスピカを用いた高速機動の練習と、久方ぶりのゴミの収集を行っているが、効果の程は言うまでもない。

 ――折角なんだし、アイリスの公演を聴きに行っとけば良かったな。

 今更どうにもならない後悔を首を振って追い出し、ヒビキはゴミを満載した荷袋を担ぎ、町の中に帰還する。

 換金を終えて生活用品を購入し、黙したまま歩き続けて自宅に戻ると、そこには紫髪の小柄な友人ライラが立っていた。

 いつも通りの、機関銃のようなトークを仕掛けて来ない事に少し違和感を抱きながら、ヒビキは問いを投げる。


「どした?」

「あっヒビキちゃん……」

 

 向き直ったライラの表情は暗い。というよりも、何か極大の恐怖に憑りつかれているような物で、目はひっきりなしに四方八方を泳ぎ回っている。

 何らかの事件が生じたとの報は、ここに帰還してから受けていない筈だと、ヒビキが首を捻っていると、ライラが震える声で告げた。


「あ、あのさ……、ユカリちゃんがさ、第一マウンテンに来てって言ってたよ」

「はぁ?」


 わざわざマウンテンに来いなど、滅多にマウンテンに向かわないユカリの性格からすれば奇妙である上、伝書鳩役をライラが行うのも変だ。


「分かった。行ってくるわ」

「……気を付けてね!」


 何か途轍もない異常事態が生じたのでは。

 結論を下したヒビキは踵を返し、ライラの声を背に受けながら家を出て、数十分かけて第一マウンテンに辿り着いた途端、異変に気付く。


「……静かだな」


 ゴミの投棄が行われたのは昨日の話で、未だに換金の可能性がある物も十分転がっている筈。日の高い今は『塵喰いスカベンジャー』で賑わっているのが、ヒルベリアの日常だ。

 ゴミが満ちた状態にも関わらず、『塵喰い』が影も形も無い状況は、マウンテンが非日常の空間と化した最大の証拠とも受け取れてしまう。

 湧き上がり始めた違和感と恐怖を、何か有害ガスを生じる代物でも投棄されたのだろうと、ユカリがここにいる事実と不和を引き起こす考えで押し潰し、中心部に踏み込んだヒビキの目が、ある物を捉えて凍り付いた。

 ゴミ山の至る所に、バスカラートを始めとしたここに生息する生物の死骸が散乱し、地面に奇妙な彩を添え、噎せ返る程の血臭と死臭が場に供されていた。

 近くに転がっていたディメナドンの死骸を見ると、心臓のある箇所を除いては一切の傷が見受けられない。他の死骸も検分してみたが結果は同じ。

 一つだけなら偶然。だが全てがそうとなると、結論は一つに収束する。

 下手人は、生物の心臓のみ破壊する巧緻極まる芸当によって、この虐殺劇を展開してみせたのだ。

 ヒルベリアの住人の内、元・四天王の肩書きと実力を有するクレイトン・ヒンチクリフなら可能かもしれないが、彼がここに戻ってきたとの報は未だ無い。

 

「貴様がヒビキ・セラリフか。……風格は欠けるが、力を交えれば真実を理解出来るだろう」

「!」


 疑問で脳を埋め尽くされたヒビキが硬直していると、不意に、聞き覚えのない鋼の声に名を呼ばれる。弾かれるようにして振り返った彼の両目が、声の主を捉えて眼球が零れ落ちかねない程に見開かれる。

 背後に立つ存在の片方は、最早見慣れた存在であるユカリ・オオミネなのだが、彼女の表情は隣に立つ存在への怯えで塗り潰されていた。

 赤熱した鉄の色の髪を靡かせ、二メクトルの長身を飛竜が這い回る長外套で覆った見知らぬ、しかし全身から発せられる圧倒的な強者の気配から、隣に立つ男が最悪の存在である可能性が頭を過る。

 突然の来訪者はユカリに目もくれず、ヒビキに向かって一歩踏み出す。

 世界が男を畏れているかのように突風が吹き荒れ、マウンテンのゴミが宙に巻き上げられ男の前に一筋の道が描かれる。

 花道を通るように歩み、互いの得物が接触しないギリギリの距離で立ち止まった男は、先刻と同じ鋼の声で、ヒビキが抱いた最悪の予測と一致する名乗りを上げる。


「我が名はヴェネーノ・ディッセリオン・テナリルス。……始めよう、世界で最も無意味な、そして最も美しい闘争をッ!」


 

 

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