5
熱帯特有の植物達が鬱蒼と生い茂る空間を、ゆかり達は歩む。
目的地となる決戦場は島の丁度中心に位置するが、その方向に直線で突き進んでも到達出来なかった。唯一島への潜入経験があるコルヴァンはそう告げた。
「既に分かってくれているだろうが、この島は撒き散らされた魔力で歪みが生じている。最も確度が高い記録では、円を描く形で向かう事で中心に辿り着けたとある。それを試す他ないだろう」
念の為フリーダが飛翔魔術の使用を試みて、不可視の力に阻害され空振りに終わった事実。そして提示された情報を踏まえ、五人は徒歩での探索を選ぶ事になったのは必然的と言えるだろう。
非効率的な方法への帰着は焦りを生むが、かと言って現実に奇跡の大逆転はなかなか起きてくれない。
我が物顔で島を支配し、遠慮容赦なく立ち塞がる植物を各自の武器で切り捨てながら進む、地道な探索は今日が二日目。
太陽の大半も緑に覆い隠されている故、体内時計からの推測になるが、既に時間は午後に入っている。止めどなく流れる汗を拭いながら、ゆかりは飛び出ていた蔦を鬼灯で引き裂く。
植物が生い茂った森のど真ん中で休息を取れば、快不快を論じる前に隊の誰かが野生動物の胃袋に送られる。点在している開けた場所を発見するまでが探索時間と定めた。結果、昨日は日没前に探索が打ち切られた。
焦りは禁物と重々承知しているが、もどかしい物を感じるゆかりの耳に、微妙に音程の外れた鼻歌が届く。
「静かにしろ」
「黙りっぱなしも疲れるだろ? 大丈夫だって、オレ強いしな」
気の弱い人間なら、一瞬で謝罪を繰り返す機械に転じそうなコルヴァンの冷たい声にも、鼻歌の主ハンヴィーは毛ほども動じない。
沈黙がずっと続くのは余計な緊張を招くが、彼ほど呑気な調子もまた別の感情を人に呼び起こす。何らかの強い感情を彼に向けるコルヴァンと、どこ吹く風とばかりに調子を崩さないハンヴィーの構図は、残る三人に胃痛と不安を喚起する。
「きょ、今日の見張りは誰と誰にしますか? 昨日はコルヴァンさんでしたよね? だったら……」
「俺がやる。それが合理的だ」
空気を変える試みは無情な断言で粉砕される。軍人故、不眠の任務に携わった経験は豊富なのだろうが、合理性を持ち出されると取り付く島がない。
会話の接ぎ穂を見出せず、間抜けに口を開閉するゆかりを他所に先頭の軍人は淡々と歩を進める。正論を叩き付けられて、誰も反論出来ずに広がる気まずい沈黙を打ち破ったのは、やはりハンヴィーだった。
「軍人だったら、休息の重要性は分かってんだろ? オレがやる。ユカリも一緒にな。それで良いだろ?」
「連続で行えるよう鍛錬は積んでいる。お前の出る幕はない」
ゆかり達に向ける物よりも、数段温度の低い態度で接する軍人に対し、伝説の継承者はニっと笑う。
「皆で一つの隊だろ? だったらここで意地を張んなって。とにかく、今日はオレとユカリが見張りな。ヨシ!」
「好きにしろ」
形の良い眉が少しだけ歪む。それが反応の全てだった。
前方に視線を再度固定し、歩みを再開するコルヴァンの背に頭を下げ、ゆかり達も彼に続く。色々と失敗したのでは? といった疑問も浮かぶが、何処かで成功に引き戻せばいい。
「……まっ、俺も色々気になるからさ。夜に聴かせてくれよ?」
ハンヴィーの小さな囁き。その意図を問う前に、不意に視界が開ける。
もう目的地に辿り着いたのか。甘い期待は緑の絨毯だけが広がる様と、そこに転がっていた無数の岩塊で砕かれた。
「これは……」
「ただの岩じゃない。恐らく……」
フリーダの声に反応したのか、約八十センチメクトル前後の岩塊からヒトの太腿に匹敵する、太い六本の脚が飛び出す。脚によって浮き上がった岩塊は、格納していた小さな目や触角、そして脚を一回り肥大化させた巨大な鋏を掲げ、一斉に不快感を喚起させる音を奏でた。
「……ヤシガニかな?」
ワードナを構えつつ、既知の生物の名をゆかりは呟く。形状に相似点は多数だが、呟いた存在は大きくてもこの半分程度。間違っても、岩を背負うだけの筋力は持っていない。
「バーキノス。俗称が君の言った名前だ。知っているだろうが、種としてはヤドカリに近い。人の身体を容易に傷つける鋏を持っているが、本来はこの三分の一程度だ」
「だったらこの群れも……」
「そうだ。そして、君達はここで武器を抜く必要は無い。継承者、お前が働け」
「えぇ、ここで全部丸投げかよ!?」
「バーキノス程度で消耗していられる道理はない。だが、銃・格闘・榴弾発射器に剣。いずれも一度の攻撃で全てを掃討するのは困難だ。お前の胡散臭い武器なら可能だろう」
感情論を一切排した理屈で反論を封じられた為か。それとも別の理由か。
ともかく、コルヴァンに応じたハンヴィーは、自身に集中する視線を悠々と受け止めながら、両手を突き出す奇妙な姿勢で構える。
肘に括り付けられた金属環が蠢き刺突剣を形成。やはり奇妙な光景を描き出したハンヴィーは、揺れる十本の剣を括り付けた両腕を交差。
生命のやり取りを行う直前とは思えぬ、軽い空気を纏った継承者は、満面の笑みを湛えて吼える。
「まーアレだな。いい加減オレも強いとこ見せたかったから丁度いいや! 行こうか、ヴァイアー!」
鞭が打ち据えられるような、硬い音が響く。
音が止んだ時、ヴァイアーがハンヴィーの肘に引き戻される光景が展開。停止した世界はそこから動いた。
地面に生い茂った草が刈り取られて宙を舞い、視界の端に転がる本物の岩が削られ破片が散り、攪拌された空気が風となってそれらを吹き払う。
そして、バーキノスの全個体に鋸刃状の斬線が刻まれ、それを起点に巨大節足動物の肉体が二つに分断される。青紫色の液体を噴出させながら、生命が連鎖的に崩れ落ちて行く様に目を見開くゆかり達と、何かを噛み締めるように視線を固定しているコルヴァン。
四人を見てどのような感情を抱いたのか、虐殺を完遂した伝説の継承者は、変わらない朗らかな笑みを浮かべる。
「終わったな。さっ、行こうぜ!」
◆
ハンヴィーによる、バーキノスの圧倒的な虐殺の後も一行は探索を続けたが、それほど距離を稼ぐことは出来なかった。
自律移動する食人植物に、バーキノスに匹敵する大きさの甲虫といった、やはり規格外の生物との対峙や、休息場所の探索で思いの外時間を食った。
明確な理由はあるが、それは焦りを打ち消す要素には成り得ない。
「……はぁ」
揺れる焚火の前で、ゆかりは大きなため息を吐いた。
手に握られた筆記具も、彼女の感情を忠実に反映して進みが鈍い。
出せるアテなど無いと分かっている手紙を書くのは、有していた常識を根本的に否定する現象が相次ぐ世界で、元々の大嶺ゆかりを忘却しないようにする。この世界での経験を、元の世界に戻っても思い出せるように記録しておきたい。この二つが始まりだった。
グァネシア群島に降り立った日から今日までも、手紙を書く条件を満たしている。来たばかりの頃と比較してしまえば薄いが、それでもハンヴィーから今日見た様々な生物まで。強い驚きを感じる要素は多々あった。
筆が進まない要素は何か。結論には、とうに辿り着いている。
明確な拒絶を叩きつけた、黒髪の少年の姿が脳裏に蘇り、ゆかりは瞑目して首を振る。
そもそも、彼をそこに至らしめた理由や、この瞬間自分がここにいる理由は未だ不明瞭な物が多過ぎる。
この世界に導いたと主張する『船頭』カロン曰く、大嶺ゆかりはそれなりに特別な存在らしいが、彼女自身は特別な要素を何も持っていないと自負している。
ここまで生き延びたのは、善き人々との出会いに恵まれた側面が強い。異なる道を行くことになった同級生、砂川至の方が特別な存在と捉えやすいだろう。
何もないが、無条件に肯定すると自分はヒビキを歪めるだけに現れた存在と結論付けられてしまう。それは嫌だと、ゆかりの内側は強く叫んでいるが、ではヒビキにとって大嶺ゆかりは一体何なのか。
毎日この問いに至り、答えが出せずに打ち切らざるを得なくなる。
見事な手詰まり状態に陥り、再びため息を吐いたゆかりの手から、不意にノートが滑り落ちる。折悪く吹いた強風にノートは乗せられ、森の奥へ向かう。緑の海へ一度潜り込めば、再発見は不可能。
慌てて立ち上がって追い始めたゆかりの目前で、闇から忽然と伸びた褐色の手にノートが掴まれる。次いで現れた全身の輪郭は「トイレに行ってくる」と言って、持ち場を離れたハンヴィーに他ならなかった。
「あ、ありがとう」
「良いって。日記書いてんだ? すげぇよなぁ。オレも親父に書けって言われたけど、四日で飽きたもんな」
やはり性別が怪しい少年と共に、焚火の近くに戻り腰を降ろす。
全身に刻まれた刺青と相俟って、幻想的な空気を醸し出すハンヴィーを見ていると、彼の養父の言葉を信じることはどうしても難しくなる。
――それに昼間の戦いを見ていたら、私達が止められる可能性は……あんまりないもんね。
「ん~? 顔が暗いぞ?」
「えっ? ひゃっ!」
忽然と滑り込んだ大きな目に凝視され、思わず身が跳ねる。夜に同化する目の中に、空に散らばる光点に似た物を宿す少年は、ゆかりの反応に苦笑しながら焚火に枝を放り投げる。
「ユカリはさ、どうしてここに来たんだ? フリーダとライラも、結構強い意思を持ってきたっぽいけど、多分引き金を引いたのはユカリじゃないかなぁって」
「……どうして、そう思ったの?」
「勘! オレの勘、結構当たるんだぜ」
誇らしげに胸を張る様は幼子同然の無邪気な振る舞いだが、彼の言う勘は見事に正解を言い当てていた。既に隠し事がある後ろめたさも影響したが、吐き出してみれば何か変わるかもしれないという期待感が上回った。
「私はね――」
淡々と、今日に至るまでの歩みを夜の森に投げる。
最初は真剣な面持ちで聞いていたハンヴィーだったが、終盤になるにつれて纏う空気が変化していき、当地に来た理由の辺りでは怒りを湛えていた。
ゆかりが語り終えるなり、勢いよく立ち上がった継承者は、彼女の手を掴んで歩き出す。
「ちょっと、何処に……」
「ヒルベリア! そのヒビキって奴の根性、叩き直してやる!」
予想の斜め三十度上を行く答えに面食らい、ゆかりは慌ててハンヴィーを押し留める。華奢な体の何処から出力しているのか、不思議なまでに強い力で出鱈目に振り回され、目を回す羽目になったが辛うじて押し留める。荒い息を吐きながら、もう一度座るように促す。
全く納得していない風情の少年をどうにか説得すべく、必死で思考を回しながら言葉を紡いでいく。
「エトランゼに何を言われたのかも分からない状況で、ヒビキ君だけを責めるのは間違ってる。だから落ち着いて」
「そこじゃなくて! いやそこもあるけど! お前等二人とも、ちゃんとはぐらかさずに相手に言えよ!」
「はぐらかさず……?」
「そう! いくら困ってたからって、見ず知らずの、しかも身元不明の輩とずっと行動を共にするなんて……只の善意だけな訳ないだろ!」
「ずっとじゃない、よ?」
「聞け!」
「はい」
凄まじい気迫で、ささやかな抗議は破壊される。こうなると、主張を語りきるまで止まらないといった確信と、ここまで直截に自身とヒビキの関係に切り込んでくる存在がいなかった故の興味。
二つがない交ぜになった結果、主張を受け止める決意が生まれ沈黙を選んだゆかりを他所に、ハンヴィーの独演は終着点に向かっていく。
「オレはそのヒビキって奴じゃないから、断言は出来ないさ。けど、ヒビキがユカリに向けた感情を隠しているのは確かだ! ユカリだってそうだ! 思ってること有るんだろ!? だったらちゃんと言えよ!」
一つ年下の少年が発する言葉には、遠慮会釈の類が一切ない。
胸に痛みが走る一方で、その分ハンヴィーが包み隠さず主張し、そこに悪意が無い事も伝わってくる。純粋な言葉の雨を浴びて、彼女の心は回り始める。
「言いたいことはあるよ。でも、それを受け入れてくれる保証なんて何処にもない。……ヒビキ君も同じように考えているから、言ってないんだと思うよ」
「なんで保証を求めんだ馬鹿! 友達作る時も、今ここにいるのも、ユカリは保証があるから動いたのか!? そうじゃないだろ! そりゃ嫌われるのは怖いさ。けど、言わなきゃ何にも始まらない! ヒビキもユカリを受け入れた時に『怖い』を乗り越えて、ユカリも同じように乗り越えた! それと同じだ!」
あぁ、この人は伝承が絡まなくとも特別な人だ。
強い言葉を繰るがそこに嘘や虚飾が皆無の少年を見て、ゆかりは純粋に思う。
ここまで迷いなく言う為には、日頃から実践していないと難しい。おまけに、特別な立ち位置にいる以上、彼は自身の掲げる物を押し殺して生きる事が正しいとされる人物だ。
理想論を並べ立てるだけでは、簡単にボロが出ている。それを見抜ける程度の経験は、ゆかりもこの世界で積んでいる。
だからこそ、ハンヴィーの言葉は五臓六腑に突き刺さり、必要だったとは言え抑え込むことを続けていた自分を、ゆかりは少し恥じた。その様を見ていたハンヴィーは何度も頷いた後、不意に真剣な表情を崩して少女に耳打ちをする。
ゆかりの顔が、宵闇でもはっきり視認出来るほど赤く染まった。
「……!」
「良い案だと思うんだけどなぁ」
「わ、私が! ヒヒヒヒヒビキ君を押し倒す!? そんなの無理、絶対無理!」
「男は大体馬鹿だし、ヒビキって奴もユカリにぞっこんみたいだし? まー今まで我慢出来てたんだし、多分間違う前にちゃんと言ってくれるよ多分」
「そのまま行っちゃったらどうするの!?」
「そん時は仕方ない、二人で快楽に溺れれば……ってぇ!」
顔を真っ赤にしたゆかりの拳が、ハンヴィーの頭部を捉える。
ぽこん、と間抜けな音が更けて行くファナント島の空に伸びていく。
◆
同時刻、バディエイグ首都ウラプルタの総統官邸。
当地から遠く離れた女王国が発行し、何故か世界中で売れている三流娯楽誌に「世界で最も殺したい男ランキング」なる悪趣味な企画が踊ったことがあった。
ヴェネーノやカレルのような色々な意味で異常な戦士や、逆に殺しに来そうな本職の皆様を除外した、そもそも開催する意義に疑問が生まれる規則で行われた投票。栄えある一位に輝いたのが、バディエイグを支配するベラクス・シュナイダーだった。
軍を率いてクーデターを実行。国の実権を奪取したのが十八年前。
議会制民主主義の時代と比較して、バディエイグに眠る資源は適正価格で、即ち大国にとって嬉しくない価格で取引が為されるようになり、友好の名を借りて行われていた資金の搾取も停止した。
このように傀儡が破壊されたことへの苛立ちも多分にあるのだろうが、それは一つの側面に過ぎない。彼が堂々の一位に輝いた理由。それはたった今この瞬間にも示されようとしていた。
総統官邸の一角に位置する小さな部屋に、八人の男女が拘束された状態で転がされていた。彼らの憤怒の視線は、前方に立つベラクス一人に向けられている。常人なら怯えまで行かずとも、何らかの感情を喚起されるような敵意と憤怒の奔流を浴びても、バディエイグの統治者は退屈を隠そうともしない。
「反逆者は一山幾らで現れる。その主張も均一だ。『圧政で民衆を抑圧し、恐怖政治でバディエイグを貶める悪逆非道の独裁者』を殺して、バディエイグを変革するといった辺りか。反論は受け付ける」
瞋恚の炎を灯す目をぎらつかせる八人は答えない。激情に駆られて余計な事を口走ることへの警戒か、相手の言葉がほぼ正鵠を射ている証明か。
無言を守った相手に失望したのか、ベラクスは予備動作なく室内を、八人の周りを歩き始める。元々彼は優れた戦士であり、現在も鍛錬を欠かしていない。拘束したヒトを殺害するなど
事実を噛み締め、意思の揺らぎが垣間見えた八人を他所に、ベラクスは何処か遠くへ視線を投げながら歌うように言葉を紡ぐ。
「では、インファリスやアメイアント諸国に乗せられる形で、民主主義を持ち込んだこの国が得た物はなんだ? 国際社会からの賞賛か。民主主義の響きが齎す先進国気分か? それとも真の発展か。残念ながらどちらも違う。国力の低下と資源や人材の流出を引き起こしただけだ」
「人材の流出? 年に二百人も殺しているお前は、人材を自らの手で減らしているじゃないか!?」
喚いた男に、零下の眼差しを向けたベラクスは肩を竦めながら足を止める。
「君達のように喚くだけの存在を人材と言うのか? そのような考え方は失礼ながら無い。私の言う人材とは、国を支えるに足る意欲と才、そしてその可能性を秘めた幼い子供のことだ」
直接言語で表現しなかっただけで、何処にも当て嵌まらない為に実質不要と宣告された八人が唖然とした表情を浮かべる。益々怒りが充填されていくのだが、ベラクスは意にも介さない。
「無論、当て嵌まらない大人を不要と言うつもりはない。勤労、納税の義務をきちんと果たすのであれば、私がその者に干渉する道理は何処にも無い。さて、君達はどうかな」
「権力の喪失を恐れて独裁を繰り広げる奴が、賢し気に選別をすること自体が間違っている! お前の基準なんざ、誰も肯定しない!」
叫びを、ベラクスは平担な表情で受け止める。
「だろうな。しかし、かつて民主主義がこの国に在った時、時の為政者を指示する者達は、過ちを犯し弱体化する国に反抗を示した者達にこう言った。『不満があるのならば対案を示せ』と。私は対案を示して現状の形を作り上げ、バディエイグを改善に導いた。
君達も示し、私を引き摺り下ろして形を作れば良かっただけの話だ。それをしなかった君達は、無能な反逆者として死ぬ事がお似合いだ」
宣告と同時、部屋の扉が開かれる。
軍服を纏っているが体格等から文官と推測可能な女性が、ある物を難儀しながら部屋に持ち込み、ベラクスに手渡す。
剣身が複雑に湾曲して非対称の形を持つ、バディエイグに古くから伝わる『ネンクス』と呼ばれる刺突剣と似た形をしているが、本来懐に収められる程度の大きさである筈のそれは、一般的な片刃の長剣と同等のサイズを持っていた。
女性から武器を受け取ったベラクスは、感触を確かめるように何度か振るう。洗練された挙動から、示威行為に留まらない使用が為されていると、拘束された八名に朗々と語られる。
色が失せて行く八人を他所に、独裁者と称される男の倦んだ声が届く。
「連日繰り返すと薄くなるのは百も承知だが言わせて貰う。統治者の座など、欲しければくれてやろう。この国を導く覚悟がある者になら、命ごと差し出しても構わない」
言い切ると同時、剣が振り下ろされた。
短い悲鳴と喚き声が生まれては消え、やがて完全に聞こえなくなる。飛散した血や亡骸の処分を終えたベラクスは執務室に戻り、律儀に立っていた部下の姿を目撃する。
「お疲れ様です」
「ありがとう。……君は帰って良いんだぞ」
「コルヴァンがいない以上、護衛は私の仕事です。一人で守れるとか言わないでくださいね、もう五十を超えているのですから」
一介の軍人であった頃からの部下、アティーレ・スファルトの指摘に、ベラクスは苦笑を返す他ない。
二十代半ばまでグレリオンで過ごしたベラクスや、ロザリス出身のコルヴァンに近い立ち位置にいる事で、謂れなき中傷や理不尽を多分に被っている。にも関わらず、変わらぬ忠誠心を持つ女性士官は、上官に支持率や国民の動向を簡潔に纏めた報告書を手渡す。
「大佐の理想に追従できる国民は、やはりごく少数のようです。とは、毎度お伝えしていますね」
「暴力を行使する組織が、規定する側に回ってはならない。国家運営に於ける不文律を破っている私が、支持を受けられないのは道理に適った話だ」
大量の国民を殺害したことは動かぬ事実。同時に、ベラクスの指揮下に入ったバディエイグは大半の指標を改善させ、旧体制とは比較にならない程に強い国になったのもまた事実。
経済的な指標だけで従属することは、感情を持つ人間には不可能。どれだけ華々しい数字が並ぼうと、ベラクスへの憎悪は決して消えない。暗殺を企てる国民はまた現れる。それが明日かその次か、はたまた数分後かが読めないだけの話だ。
質素な椅子に深く腰掛け、悪逆非道と形容される男は宙に目を彷徨わせる。迷いを見せることはあれど、彼がここまで露骨に、しかも処刑後に見せることは稀。入口の見張りに戻りかけていたアティーレは足を止め、眼鏡の位置を直しながら上官を見据える。
「私はここに登り詰めるまで、いや恐らく今も夢を見ていた。力、資金、そして弛まぬ努力に確かな実績。これらを兼ね備えた者が変革者になると。無論、クーデターから始まった私が該当するとは思っていないがね」
謡うような言葉が、室内に滔々と響く。
「けれども、どれだけ得ようと最後に必要な物は別にあった。それをハンヴィー・バージェスは持っている。……恐らく、あの少女もね」
大よそ手に入れた。
傲慢な形容が単なる事実と、「正しさ」に蹂躙される立場から救われ、部下として長年傍にいたアティーレは重々分かっている。故に、ベラクスが持たずハンヴィーや、ここでニアミスを果たした異邦の少女が持つ物を想像出来ない。前者だけなら信仰と説明が付けられるが、後者が加わると理解の外に出てしまう。
「大佐の手中になく、あの二人に有る物とは、一体何ですか?」
当然の問いに、ベラクスは幽かに微笑む。
「単純な物さ。それは――」
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