9

 どんな国や地域、都市にも真人間が近寄らない場所がある。

 インファリス大陸有数の大国、アークス王国首都ハレイドとて例外ではない。

 警察組織すら踏み込みを躊躇する裏通りの一角に立つ、倒壊寸前で辛うじて踏み留まっている雑居ビルの一室。

 この場所が持つ負の気から最も遠いと思われる存在が、背を剥き出しにして手術台に伏せていた。

 消毒液と血肉の匂いが入り混って生まれる、独特の空気に包まれた部屋の中心。

 世界最強議論なる阿呆な、しかし老若男女皆かなりの関心を寄せる話に登場する女傑、スズハ・カザギリがうつ伏せ状態で長い溜息を吐く。

 手術台を囲む形で乱雑に配された、最新鋭の医療機器を忙しなく操作していた桃髪の少女は、それを合図に手を止める。

「服を着ろ。……相も変わらず、だ」

「なるほど、変わりませんでしたか」

 三十代半ばとは思えぬ倦んだ微笑を浮かべたスズハに、短い言葉を飛ばした桃髪の少女、否、無免許医ファビア・ロバンペラは葬式と敵襲が同時に来た表情で、器具を整理していく。

 彼女が製作した抑制用の包帯を巻き、その上から衣服を纏うスズハの細い腕は、壊死したかのような黒ずみが無数に刻まれ、一部が不気味な脈動を繰り返している。誰がどう見ても異常な刻印は、腕のみならず全身に刻まれており、彼女の内側も外見に違わず悲惨な代物だった。

「率直に言う。貴様が立って戦っている事が奇跡だ。血液から内臓まで全て末期の老人と変わらない状態の上、腕や背の黒斑を起点に肉体の崩壊が進行している。……またムラマサを抜いたな?」

「二週間前にアムネリス大森林で。……あれは最低の仕事でした」

「つってもアークス国王殿から振られた仕事だ。まっ、鈴にケチを付けるなら、ユアンとかいう餓鬼を殺し損ねた事だろうな! ありゃ良い復讐者になるぜぇ!」

 手術台と機材を除く全てが赤で汚れた空間に響いた、人ならざる無機質な声を受けたスズハの表情が歪む。当代最強の戦士と言えど、客観的に理が無い仕事で虐殺者の汚名を被った上に復讐者を生み出した事実を許容出来ないのだろう。

 だが、とっくに医師免許を剥奪され、社会的な体面保持の必要が失せたファビアにとってグナイ族の絶滅は些事だ。近くに放置されていた椅子に座し、頼りない裸電球に照らされた眼前の友人を見据える。

「スズ、お前の身体は時限爆弾を抱えているも同然だ。戦場、王城、ここを出た次の瞬間に落命するかもしれない。進行を遅らせる事は出来ないのか?」

 ゆっくりと首を振ったスズハの代わりに、再び無機質な声が飛ぶ。

「俺を握る限り無理だ。生命力と引き換えに力を与える事がスズとの契約で、手放せば力の四割が失われる。ケツの青い残り三人やら、そこらの軍隊にはそれでも勝てるだろうが、スズの理想には届かない」

「今更手放したところで、崩壊が始まった身体は再生しない。ならば、走り続けるだけです」

 狂戦士と括られ、世界を敵に回した人物は決して少なくないが、スズハ・カザギリはそのようなレッテルを貼られた者とは大きく異なる。

 別の道を歩んでも、スズハは転じた先で花開く才を秘めている。幸せの形など千差万別だが、闘争を経て醜い塵屑に成り果てる事よりは、どんな道であっても幸せな筈だ。

 表情に寂しげな物が混ざり始めているスズハの胸に、ファビアはメスを向ける。

「死へ向かう道に走り出したからなんだ。今からでも遅くない、武器を捨てて身を引くべきだ」

「それは不可能です。……戦いの先にしか、私の願いは無いのですから」

「願い、だと?」

「強者を殺し尽くせば、世界の憎しみと恐怖は全て鈴刃に向かう。それら全てを一身に受け止めて戦い、果てる。まっ、気の長い世界平和構築だな」

「馬鹿を言うな。道の先はクレイトンにオズワルド、ルチアをも殺害した場所に在る。お前は選べるのか?」

「選べなくても走るしかないのです。幼き頃に見た地獄を、二度と生まぬ為に。……代金はいつも通り月末に纏めてお支払いします」

「おい待て……」

 制止を一顧だにせず、話を一方的に打ち切る形でスズハは去った。

 極東の島国ヒノモトで、サムライ達に突きつけられた現実をファビアは知っている。

 原因、治療法、何れも不明の奇病で肉体年齢が逆流し続けているが、実年齢はスズハより遥かに上の彼女は、己の苦い経験があるが故に忠告を行った。

 文字通り視点が大きく異なる相手に、まるで届かなかった結果を前に、ファビアは手にしたメスを床に叩きつけた。

 説得を拒絶したスズハは、ビルを出るなりファビアから受け取った錠剤を全て口に放り込み、噛み砕いて飲み下す。常人が使えば中毒一直線の強烈な鎮痛剤の助力も、彼女の抱える物を抑え込むには足りない。

 長い付き合いである医師の前ではあのように吼えたが、身体の事はスズハ自身が最も理解している。サイモンの即位から三年が経過した今、最大の切り札を抜く回数を極力減らしているが、その努力も無意味に等しい。

 ファビアの指摘は一から十まで正しく、このままでは遠からず死に至る。呑み込まれる前に大願を果たせると信じてここまで走り続けていたが、近頃は揺らぎが生まれつつあった。

 荒い息を吐く女の耳に、腰元からの声。

「アイツの前では啖呵切って、出た瞬間にズタボロじゃ全然締まらねぇな。こっからどうすんだ?」

「城に向かう」

「そんじゃ足を呼べよ。今歩いたら、多分斃れるぞ」

「……分かっている」

「そいつぁ失礼」

 裏通りを抜け、適当な所で発動車を捕まえて「ギアポリス城前」と短く告げる。

 化け物と名高い四天王が乗り込んできたことに臆することなく、運転手は淡々と発動車を走らせ目的地へ到着。正規の料金に中級スペリア紙幣を一枚上乗せし、スズハは敬礼を受けながら城への帰還を果たす。

「チップの文化は今一つよく分からない」

「それは同意する」

 刀からのヒト臭い返しに苦笑しながら謁見の間に向かうが、国王は不在と返されたスズハは、思案を巡らせた末鍛錬場に向かう。

 いつ行っても一人は同僚がいる場所に辿り着き、重い扉を引き開けたスズハの目に飛び込んできたのは、回転しながら迫る赤い物体だった。

「おっと」


 咄嗟に右腕を突き出し、横方向に振り抜く。


 掌に一瞬だけ硬質な感触が奔るがすぐに押し流され、混凝土造りの床から乾いた音が生まれる。床に転がった物体、紅色の鉱石で組み上げられた鋭い穂先は、スズハが見慣れた物の一部だった。

「スズハさん!」

 駆け寄ってきたオズワルドは、少年から青年に移行しつつある年齢に不釣り合いな顔を引き攣らせていた。軽く手を振って大事ないと伝えたスズハは、物体が飛んできた方向に目を向ける。

 そこには、長い金髪を尻尾のように一纏めにした青年が、中腹から先が忽然と失せた棒を抱えて立ち尽くす光景が展開されていた。

「……一応聞く。大丈夫か、クレイ」

「な訳あるか! ラディオンが折れたんだぞ! これじゃ戦えねぇよ!」

 戦士にとって武器は魂の具現化に等しい。

 それが破壊されたとなれば、年下の同僚が混乱に陥るのは当然の話だが、このまま放置していては不味いのは間違いない。

「まずは落ち着け。焦ると最善策を見失う。そう、深く呼吸して……」

 先刻までの深い悩みとは一転した、浅いがそれなり以上に重要な仕事を完遂すべく、スズハは脳の回転速度を上げた。

 

                  ◆


 一寸先は漆黒。

 惑星に生息する多数の生物にとって快適と言い難い世界に、今日に限って紅と青と金が踊っていた。

 銃弾すら凌ぐ甲殻を有する巨大ダンゴムシ『ローリロ』の群れが、暗所で踊り狂う紅で叩き斬られ、汚液と血を撒き散らしながら吹き飛んでいく。

「こりゃ良いや! 剣のかったるさが全然ない!」

「気を引き締めるんだ。まだ大量にいるぞ」

「分かってるって!」

 弾んだ声の主が振るう紅は処刑人の刃そのもの。微塵に刻まれた甲殻片が宙を舞い、音程の狂った悲鳴を奏でてローリロは死に導かれる。

 恐怖に憑かれたか、残ったローリロは方向転換して逃走を選択。捕食者の筈が被捕食者に転じていた彼等の生を繋ぐことを、侵入者は許さなかった。

 ひと際大きな音を発して、十四体のローリロが紅に照らされる。背に『雷獄針ラ・ソース』の無慈悲な雷槍が突き刺さり、逃走はおろか生命活動すら困難な状況に追い込まれた彼等の聴覚器官に、軽薄な声が届く。

「襲撃かけなきゃ殺すつもりも無かったけどな。……じゃあな」

 言い終えると同時、殺戮者の指が打ち鳴らされる。

 

 転瞬、ローリロ達が爆発した。


 破裂音と肉が焦げる音、そして湿った音がひっきりなしに生まれ、それらが静まった頃。生の気配が著しく減じた空間に柔らかい光が灯る。

 上下左右全てが凹凸に支配された世界に、普段の東西折衷とは大きく異なる黒を纏ったスズハ・カザギリと、両手に紅刃を握ったクレイトン・ヒンチクリフが立っていた。

 四方八方に描かれた、体液と甲殻片による前衛芸術を興味深げに観察する同僚に、左手に『月燈火ルティーナ』を灯したスズハが言葉を投げる。

「そろそろ良いだろう。手応えはどうだ?」

「短剣を振る時と同じ感覚で振れるから楽で良い。鍔迫り合いになった時は苦労するだろうが、それはその時考える」

 言い切ると同時にクレイから紅が失せ、特異な形状の短剣が両手に残った。

「『特式魔導刃・四式』だったかな。やはり魔力量が多い君が使うと、良い働きをするね」

「長いから『テルトル』で良いだろ。目的地はもっと奥だろ? 行きましょうや」

 雑極まる名を武器に与えたクレイと、肩を竦めたスズハがいるこの場所は、セマルヴェルグが舞い降りると噂される霊峰『エルーテ・ピルス』を抱くザルバドの一角に位置する『バルクオル大坑道』だった。

 とある事情で廃坑になったこの場所に、態々四天王二人が踏み込んできた理由は一つ。損傷したクレイの武器『紅槍ラディオン』の修繕に必要な素材を得るためだ。

 個人的な理由故、一人で挑むとクレイは当初考えていた上、そもそも許可が下りないと踏んでいた。

 ライデアの路線を踏襲したサイモンは争いを嫌い、戦いを外交のカードから外そうと取り組みを続けている。武器が破損したのならば幸いとばかりに前線から外しに来る、といった所まで膨らんでいた妄想を一蹴したのは、他ならぬサイモンだった。

「戦士が武器を持たないままでどうするんだい? それにクレイ君。四天王各人に割り当てられた予算や休暇の使用が、君は飛び抜けて少ない。他にも悪影響が出るから武器を新造してくれないかな。いや本当、お願いだから」


 懇願に等しい命令には、首を縦に振る他なかった。


 二週間の休暇を申請し、雷の魔力を吸収する特性を有する鉱石を求めてクレイはバルクオル大坑道へ向かうと決めた。

「つーかさ、アンタも来なくて良かったろ。仕事もあんのに」

「君ほどではないが、休暇の使用が少ないと指摘を受けてね。無茶をやりそうな後輩の監視に使うのが最良だと判断した訳だ」

「……そりゃどーも」

 母親のような気の回し方をするスズハに苦笑を溢し、クレイは歩みを進めて行く。

 ローリロ以降襲撃を受ける事はなく、各々が発動した『月燈火』の光を頼りに前進。先人が残した梯子や『鋼縛糸カリューシ』をザイル代わりに用いて時折下降していく。

 戦闘もなく精神的に平坦な時間が続く中で、徐々にスズハが遅れ始めていると、先行するクレイはやがて気付きに至る。

 歩行速度が落ちているだけなら、このまま続けていた。だが、上司の全身に小さな震えが奔り回っていることに加え、生来の物とはまた別の白に肌が染まっている事実は無視出来なかった。

「異常はないから構わず……」

「んな蒼白な顔して言われても説得力がねぇよ。休みはたっぷり取ってんだ、今日はここら辺で終わりましょうや」

「しかし……」

 弁解の言葉を無視して進む野営準備に根負けしたのか、スズハは肩を竦めてクレイの補助に回る。手早く設営を終えて簡易な食事を済ませた二人は、焚火を挟む形で向かい合って座していた。

 何か気の利いた話でもすべきかもしれないが、生憎二人の趣味嗜好は大きく異なる。血界が遠い関係性の女傑と一対一で言葉を交わす機会は、振り返ると初めてかもしれない。

「今の国王陛下の手腕は、危惧していたより悪くないだろう?」

 迷っている内に、スズハが口火を切った。

「まぁな。つまらねぇだなんだと言う奴もいるだろうが、戦闘を減らすってのは良い傾向だと思うよ」

 先代以上に、当代国王サイモンは武力のカードを伏せる方向を示していた。無論、最後の札として発動させた事もあるが、そこに至るまでのプロセスは先代より慎重さを増している。

 四天王の仕事も害獣や『正義の味方』討伐。そしてこのバルクオル大坑道のような一度は開発されたが放棄された場所の再整備といった類が殆ど。理想的だが、生粋の戦士には息苦しさを覚える状況になっている。

 そんな疑問をぶつけると、スズハはクレイの予想を裏切るように微笑んだ。

「戦が無いのならそれが最良さ。……無血の戦も無くなれば良いのだけど」

「そういやアンタは……」

「そう、私達は『維新』によって流れてきた。他の御三家、水無月や黄泉討の者達と同様にね」

「黄泉討って確かハルクさんの?」

「逢祢さんはまさしく黄泉討の当代だ。君と会った時はニコニコしていたけれど、一人で城を破壊する猛者だからね。ハルクさんを馬鹿にしたりして、怒らせないように」

「ヒノモトは化け物以外人権ねぇのかよ。で、ゴサンケ? とやらは政治で負けたってことか?」

 当然辿り着く問いに女傑は小さく首肯。その姿に、普段見せない弱さを垣間見たクレイは、少しだけ緊張の糸を張り直す。

「侍の治世が完璧だったとは言わない。問題も山積みだったから、何れ変わっていただろう。けれども、申し開きの機会も与えられずに御三家は追放。残された侍は刀を奪われ、最下層まで落とされたと聞く」

 よくある話だと、当事者の前で口にする事は憚られた。

 支配者層を被支配者層が打倒し新たな社会を作ったという話は、往々にして二つが逆転しただけのオチで締め括られる。

 結局、蔑まれる存在が出てしまう、理想から遠いままの状況ではないか。そんな指摘は、勝者の法に従い抹殺される。ヒノモトではサムライがそれに該当し、スズハは状況を受け入れられてはいない。

「だから、アンタの望みは世界平和って訳か?」

「笑うか?」

「アンタが言うなら笑わないさ」


 即座に打ち返した言葉は紛れもない本心だ。


 前線に出るだけで空気すら変えてしまう戦闘能力。常に前を向ける精神力。誰であろうと分け隔てなく接することが出来る人柄。

 先天的な素養も多分にあるだろうが、磨き抜いたのは本人の鍛錬とそうあろうと決めて貫徹した意志の賜物。故に、はみ出し者である自分はここまで付いてきた自覚はクレイの内側に在る。

 どうしようもない危うさも、並行して感じてしまうのだが。

 一人で積み上げてきた者は、他者を頼る術を知らない。孤児のクレイ以上に、生き方を決めたスズハはその傾向がかなり強い。

 恐らく、求められれば眼前の女傑は全てを置き去りに走り去っていくだろう。

 その先に待つのが、約束された絶望と死であったとしても。

「アンタの行く末は俺も、いや四天王皆が見たい筈だ。ここじゃない道に行く時は、一人で抱え込まずに俺達に話してくれよ」

 珈琲の杯と共に差し出された言葉に、スズハの目が真円を描くがそれも一瞬。すぐに平時の凜とした光を灯し、笑顔で受け止めた。

「ありがとう。いざという時はそうさせて貰うよ。……クレイ、ミルクと砂糖は?」

「荷物が増えるだろ。我慢して飲んでくれ」

「参ったな……」

 文字通り苦い顔をしたスズハを見て、クレイも自然と笑みを浮かべたが、彼女の変化を観察して一つの確信を得た。


 スズハ・カザギリは間違いなく、抱えた物を内側に留めたまま逝ってしまう。


 嫌な確信が音になる事を阻止するかのように、クレイは珈琲を一息に流し込んだ。

 彼の内側で渦巻く感情は誰にも知られぬまま、夜の中に吸い込まれていく。

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